[カテゴリー別保管庫] 雑記

脳科学関連以外はここに入れてます。おもに生活雑記、ネットでの話題、さいきん聴いたCDについてとか。

2022年08月06日

pooneilの膝改造日記 完結編

これまでの経緯:

今回は膝に入ったボルトを外す手術のあたり。これでpooneilの膝改造日記は完結のはず。(<-フラグ)


[pooneilの膝改造日記 533日目] 膝のボルトを外すために2泊3日の入院。病室に入ったら、なんだか「帰ってきた」という気持ちになった。手術の方は、挿管して全身麻酔と神経ブロック下で内視鏡での確認後ボルト外して縫合して全部で30分とのこと。手術終了後1時間以降に軽食。親知らず抜くよりも早い。

尿道カテーテルは無しと聞いてほっとしている。あれはつらかった。 あと、手術予定の手際が良すぎてびっくりする。私の手技だと、麻酔開始30分後ではまだcraniotomyが始まってない(<-比べるな)。

膝のMRを撮影したところ、半月板にまだ傷があることがわかった。術中に内視鏡で見て必要なら縫うという話になった。やるなら今しかないが、その場合は再び松葉杖の生活に戻る可能性が出てきた。


[pooneilの膝改造日記 534日目] 無事終了。10:30オペスタートで、11:30終了。レントゲン撮影して病室に戻ってきた(11:45)。まだもうろうとしていて、タイプミスが多い。けっきょく半月板縫ったりはしなかったみたい。

執刀医が説明に来て、内視鏡で確認したけど半月板はとくに傷ついていなかったのでノータッチとのこと。そういうわけで問題なく帰ることができる。11:54の時点でまだ神経ブロックが効いているので、左膝部分の体性感覚は麻痺している。でも左膝を曲げることはできるし、左足首を曲げることはできるし、膝と足首の曲がりを感知できる、つまり固有受容感覚はちゃんと働いている。プロポフォールが抜けきってないので、目の焦点が合わず、タイプミスが多い。タッチタイピング自体はできるが、指への司令と実際に押すキーがずれている。sensorimotor contingencyがずれている感じ。

麻酔の導入の方は、麻酔科医が「プロポフォール20mg/kgで始まりましたよ」と言ってから1秒ずつカウントしたけど、1,2,3までは覚えていて、5に行く前に意識消失した。

目が覚めたときは時間の経過の感覚は少ないが、「意識が消失してから目覚めるまでが一瞬」というのとも違うし、「仮眠で1時間寝た」とも違う。その中間くらいの時間経過感覚。

(12:12) だいぶ目の焦点があってきて、タイプミスも減ってきた。11:45の時点で思考自体はとくに妨げられている感じはなかった。睡眠から覚めた直後にまだちょっとぼやっとしているのと同じくらい。

プロポフォールによる麻酔導入のタイミングでは、1,2,3までは覚えていて、4あたりで麻酔に落ちてゆく感じと、ああ4が言えないなという感じを抱いた記憶がある。あとで麻酔科医に私がいくつまでカウントできていたか聞いてみたい。(記憶と実際の行動の間にずれがあるかもしれないので。)

目が覚めてすぐ(11:50)、今日10:00公開の僕ヤバを見に行ったので、判断力は失われてないっぽい(<-そうか?)

(12:30) 看護師さんが来たのでトイレに行かせてもらった。神経ブロックが効いているので両足で立つことはできない。左足の力が抜けていることに気づいた。車椅子が必要。運動指令は出せるし、固有受容感覚はあるけど、正常からは下がっているらしい。前回の手術では術後1日は絶対安静だったのでこのあたりを試すことはできなかったので、今回はじめて実感した。

あと、体性感覚は左足の鼠径部より下の内側では麻痺していて(自分で触ると感覚はある)、外側はほぼ正常に近い。麻酔科医からの説明では鼠径部で神経ブロックすると言っていたので、それで選択的に遮断しているのだろうか。

ついでに調べてみた。「神経ブロックの最近のトピックス~上下肢および体幹手術における鎮痛~」 「膝関節手術に関しては、大腿神経ブロックから内転筋管ブロックという、より末梢での神経ブロックでの運動機能を温存した術後鎮痛が少し前までのトレンド」

オペ室に入ったときに確認したけど、超音波のモニタを立ち上げていたので、たぶん超音波ガイド下での大腿神経ブロックを行っていたのではないかと思う。

前回の手術では硬膜外麻酔を併用していた。今回は神経ブロックだけと説明を受けた。

これによると「外側大腿皮神経ブロック」 というのが別にある。今回は大腿神経ブロックだけだったと考えると、外側の体性感覚が比較的保持されているという実感と合ってる。

(16:40) 神経ブロックの効果はだいぶ抜けてきたので、両足で立てるようになった。片松葉で歩行可能になった。内側の体性感覚も戻ってきた。そして膝内側の切開部がピリピリ痛くなってきた。ロキソニン飲まないと。

(17:20) 松葉杖なしで歩けるようになった。念のため転倒しないように、慎重に歩いてる。


[pooneilの膝改造日記 535日目] 昨晩は微熱(37.3度)が出たけど、ロキソニン飲んだら今朝は平熱に戻った。神経ブロックも完全に抜けた。歩くのに支障はないが、膝をあまり曲げることができない。皮膚を縫ってあるからだと思うけど、全体的に腫れてる感じもある。ともあれこれで退院。

外した膝のボルトをもらった。こんなのが入ってたのか。術前は皮膚を上から触るとここかな?ってかんじでわかるけど、普段の生活で(たとえば正座しているときに)気になることはなかった。

来週が抜糸なので、それまでは転倒(ヒヤリハット事象も)がゼロになるように、歩行を控えめの生活にする予定。

病院からの帰りにタクシーを呼んだけど、電話がつながらなかったので地下鉄で帰ってきた。ちょうど入院してから退院するまでが札幌では大雪で、交通関係混乱していたせいだろう。そうしてみると、なにごともなく手術が済んで退院できたことが、とてもラッキーで有り難いことであることに気づいた。


[pooneilの膝改造日記 537日目] 退院して2日経つが、膝の周りが腫れていて、普段ほどは曲げることができない。(術前は155度だったが、今は90度くらい。) 手術で内視鏡を入れたので、それで腫れるみたい。正常な側で見える膝関節のくぼみが左でが見えなくなっている。歩行自体での痛みはない。


[pooneilの膝改造日記 542日目] 今日は病院で抜糸。待ち時間に北18条交差点の北天堂書店に寄った。ここはSFの文庫の棚が充実していて、本棚4つが早川SF文庫、創元SF文庫、サンリオSF文庫に充てられてる。ヴァリスのサンリオSF文庫の初版とか昔はクソ高かったはずだが、今は1500円くらいで売られてる。

これでpooneilの膝改造日記、完結!


2022年07月29日

「モエレ沼、スチールウール、卵(らん)と眼(がん)」(さうして、このごろ2022年1月版)

「トラゴン」というのを考案した。龍じゃなくて虎なの。ワンワン!

「カビゴン」というのも考案した。カビなの。ポケモンじゃない。苔むした園庭に紅葉が舞い散る。

2020年4月にモエレ沼公園に行ったときに野外ステージみたいなところがあったので写真を撮った。当時は軒並み学会、研究会がオンライン開催となりはじめた時期だったので、「ここで学会やれば、ソーシャルディタンスも保てて、いいんじゃねwww」と投稿しようと思ったが、俺内会議で却下された。


「新千歳から羽田の空路 遅延で終電後着陸時のTips」これはいい情報。自分はそもそも夜遅い便には乗らないようにしているけど、いつかこういうことに遭遇することはあるだろうなと覚悟はしている。 つかなるたけ出張したくない。すべてリモートで済ませたい。

うまぴょい伝説のBメロからサビでの転調が連続しまくる部分を知りたくてググってみたら、解説動画があった。ふぃぎゅ@メイトの作曲者の人だった。

“The Phlorescent Leech & Eddie” (Flo and Eddieの1st 1972)を聞く機会があったのだけど、60年代サイケ的な味があって、もっとハジケてる2ndよりも好き。


ひさびさに生命表から生存確率を計算してみた。条件付き確率p(x歳で生きてる|53歳で生きてる)を計算。ついでにに60際、65歳、70歳でも計算。20-80%のレンジで考えると、73-92歳 のあたりで死ぬのが大半ということになる。

ついでに20歳から85歳まで5歳刻みでプロットしてみた。差が見えてくるのは50歳以上だとか、どんなに生き延びても100歳までにはだいたい死ぬとか、そういう身も蓋もないことが明確になる。


声に出して読みたい解剖学用語1: ディセンディング エイオータ (descending aorta)

どんなに美味いものでも、美味しいのは最初の一口だけで、食事中にマインドワンダリングが始まって、思考に沈降しているうちに食事が終わってしまう。一人で食べているときはそれでも一口目は味わっているが、会食しているときは会話を維持するのに必死なので食事を味わうことができない。だから、もし会食するなら「あーこれ美味いなあ」って話だけをしていたい。

「キノコには意識がある。学習し、短期記憶を持つとする科学的根拠」マヂかよ〜俺が死んだらキノコにマインド・アップローディングしたい(<-ヤケクソ)

リアデイルのキャラデザがいいなと思って第1話を観てたんだけど、感想ブログを漁ったら「キャラデザが古い」「ゼロ年代っぽい」みたいなのがけっこうあって、なるほどそういうものかと思った。

テンガロンハットを2つ重ねて、中に隠れているハトを、そっと逃してやりたい。鍵盤の連なる山、水晶と霜柱の国。スチールウールが燃焼する動画。遠くで地鳴りがしている。私はそれがなぜだかを知っていて、でもそれをここに書きたくない。すきま風でコーンスープがすっかり冷めてしまった。


本しゃぶりブログで骨伝導イヤホン (AfterShokz)を推してたのを見ていちばん安いやつ(Open Move)を買ったら大正解だった。それでプンパーニッケル(ライ麦パン)を推してたので、買ってみた。腹持ちがいいので、仕事場でカップラーメン食うよりいいかと思って続けてる。

札幌駅近辺だと、ESTAのB1にある輸入食料品店ジュピターでdelbaのPumpernickelが売ってたので買った。250g (8枚入り) で350円くらいするのでコスパ的には良くない。とりあえずクリームチーズとかソーセージとかと一緒に食べてる。

業スーでトマトブルスケッタ 190gで185円というコスパ最強なものを見つけたので、買ってきて乗せて食ってる。Youtube観てたら酷評されてて泣いた。俺の、俺の、業スートマトブルスケッタ をバカにするな!(<-過度な感情移入)

(2022年6月 後日談: プンパーニッケルじたいはいいのだけど、乗っけるものが油っこくなりがちなので、けっきょくやめた)


大学生協食堂でいかに安く抑えるかというのを試行錯誤していたのだけど、ライス中+棒々鶏豆腐で240円というのが価格と満足度でギリギリなライン。次はライス中+温泉卵で160円というのを試してみようと思う。

急に思い立って、LAに滞在したときのアパートがまだあるかGoogle mapで調べてみたら、まだあった。それだけ。

ニワトリ胚網膜 (眼底)ってこうやって見ると、似てるよね。「卵(らん)と眼(がん)」を引き合わせるポエジーが私の中に生み出された。

「ロックイン新宿」が閉店だって。北大に異動する直前の2019年12月にベースを選ぼうと思って行ったのを覚えてる。


そういえば札幌って空襲の被害にあってないんだっけ?と調べてみたら、北海道空襲: 札幌は今の丘珠空港とか今の苗穂分屯地への空襲はあったようだけど、 室蘭、釧路、根室が主な標的だったらしい。豊平区でもあった札幌空襲(1) 6つの空爆標的リスト

ついでに見つけた「さっぽろの戦跡」 北24条に「札幌飛行場」というのがあったことを知った。(今の丘珠空港は札幌新飛行場に該当。) よく行ってたスーパーアークス北24条店の近くに、正門がまだ残されているとのこと。ストビューあった: 道道89号


岩波文庫版ベイトソン「精神と自然」を入手した。大学生協のクラーク書店では売り切れ、北で最後の一冊だった。発売即重版というニュースを見て驚いたが、ちょっと実感したかも。まあ原著も思索社版も持っているのだけど、さっそく自炊した。

以前「形式、実体、差異」(「精神の生態学」に入ってる)のサマリを作ったことがある。

「このような『精神mindの単位』についての見方は、前述の『進化における生存survivalの単位』についての見方と正確に一致する」つまり、生存の単位は「柔軟性を持った生物と環境」であり、「精神の最も単純な単位」とは「木を切る私が、斧と木によってメッセージが周回する回路」である。このような見方はenactive approachを先取りしていると言えるだろう。


Parannoul、以前聴いたとき青春感あるシューゲで気に入ってた。bandcampインタビューを読んで、ギターもベースも弾いてないことを知って驚いた。「予備知識を持たずに僕の曲を聴いて、全てVSTで作っていると気付かれないようにするのが僕の目標だったんだ」


2022年06月14日

「バ ディヤ、フルヘッヘンド、ウォウ〜」(さうして、このごろ2021年11-12月版)

Earth, Wind & Fireの“September”のサビの「バ ディヤ」のところ、わたしには聞き取れないけど、たぶんpartyがなんたらとか言ってるんだろうなと思ったまま生きてきたが、調べてみたらただの掛け声だった(“Ba de ya”)。

北岡さんのツイートを見て、CHAINでも文字列傾斜錯視を試してみた。ナカグロ抜いてみるとちょっと下に傾いてる感あるかも。とはいえ「研究教育センター」 だけでも傾いて見えるのだけど。


札幌は今日も雨。昨日も夜から雨。明日も雨。明後日も雨。つか来週金曜まで雨印が入る10日間予測。自転車生活している私にとっては、行動範囲が狭められてしまうのでたいへん困る。やっぱ車がほしい。カーシェアで時間を気にしながら走るのではなくて、いつでも好きなときに石狩湾まで車を飛ばしたい。


Primal screamの“loaded”で最初の会話のサンプリング部分が映画“The Wild Angels”(1966)からであることを最近知った。牧師の問いに答えたヘルズ・エンジェル(ピーター・フォンダ)の長台詞なのな。ヘルズ・エンジェルが"we wanna get loaded"って言ったなら、それはLSDでもなければヘロインでもないのは確かだろうけど、ビールではなくてメタンフェタミンかもしれないな。

Velvet Undergroundの“Loaded”は明白にドラッグ的な含意があるけど、“The Wild Angels”のセリフにはその含意はないはず。というのもヘルス・エンジェルはLSDには興味がなくてビールのほうが好き、みたいな描写を“The Electric Kool-Aid Acid Test”で読んだので(私の記憶が正しければ)。

では1991年のPrimal screamの“loaded”の含意は何かというとMDMAだと思うのだけど、という前提が抜けてた。


ギター弾いてたら出てきたアルペジオのパターン。なんか聞いた覚えがあるのだけど、なんだったか思い出せない。

XX5430 G6
XX4320 F#7
XX2220 A
XX2100 E

ターヘル・アナトミアの逸話で出てくる「フッフルヘンド」って音韻的にもなんかいいよなと思ってググってみたら正しくは「フルヘッヘンド」だった。まちがえて覚えていたよ!しかも間違ったまま気に入ってた。はー、フッフル、フッフル。

エコーチェンバーの中に安住するのはよくない、という強い信念があるのだけど、ふと思うに、エコーチェンバー作る能力って、友達作る能力と正の相関があるんではないだろうか、なんてことをFBを見てて思った。

ひさびさにprime music開いてみたら「大阪へやって来た」友部 正人 が入ってた。エンケンも1stから3rdまで入ってた。

「せきしゅんのあめ」って歌詞、なんだったっけ?と頭をぐるぐると回っていたが、自力で思い出せなかったのでググってみたら、2ページめに出てきた。「散りゆく花」アリスだった。

「金魚王国の崩壊」久しぶりにアクセスしてみたら、まだ完結してないみたい。そもそもどこまで読んだかも覚えてないので、4話から読み直している。ウォウ〜

ビートルズの"I feel Fine"のドラムのハイハットが"チャンチャカランチャチャンチャンチャンチャン"なのは遅いスピードで録音したのをスピード上げてるから(アウトテイクでは"チャンチャンチャンチャン"としか叩いてない)と理解していたのだけど、ググってもどこにもそういう情報がない。まぼろし?

そういえばSaxon Shoreって活動してるのかなと調べてみたら、いまだに2009年の"It Doesn’t Matter"以降新作が出てなかった。私のスマホの着メロはいまでもこれの6曲め、"Bar Clearing Good Times"なのだけど。


「望遠レンズの圧縮効果」の話、この記事を読んでだいぶ納得いった。ではなんで「実際よりも」圧縮されて見えるか、については書いてなかったけど、おそらく我々の目は広角レンズ的に距離を感知しているので、望遠もしくは画角が狭いものの拡大はその予測を裏切るのだろう。

試しに紙で筒を作って遠くの風景を見てみたら、圧縮効果っぽくなるようだ。ただし、今日は雪が降ってきて、遠くが霞んでしまうので、正当な評価ができないのだけど。

「望遠レンズの圧縮効果」の最たるものがプロ野球の投手の後ろから見た映像だと思う。あれだと球のスピードがすごく遅く見える。審判カメラによる映像がyoutubeにいくつかあるけど、あれは迫力はあってすごい。当たったら死ねる。アストロ球団かよっていう。でも揺れるので長く観ることはできない。

だったら、スーパーボウルのEyeVisionみたいに、複数カメラで揺れを補正した上で、たとえばバッター目線とかで安定した映像を流すということはできないものだろうか?スーパーボウルほどのカメラ数必要なさそうだし。でもNPBはまだしもMLBでも観たことない。そういう需要ってないのだろうか?

それとも、画面に看板広告を写しつづけることが経営判断上重要すぎるために、映像経験についてのイノベーションを妨げているということだろうか?


昨日は年末恒例の高校の同窓会。Zoom飲み会だけど、ブレイクアウトルームで10分ごとに強制シャッフルする形式だったので、例年よりも多くの人と話ことができた。そういう意味では、Zoom飲み会も悪くないかもと思った。

進学校なんで、経済的に成功してアーリーリタイアした人もいるのだけど、今回さらに増えてた。私にとっては無縁な話ではあるけど、どのくらい資産が溜まったらアーリーリタイア可能なので聞いてみたかった(が聞きそびれた)。

自分は53歳なので、定年までもう10年切ってる。(そもそもいまのポジションは年限あるし。) いま健康寿命が72歳であることを考えると、もうそんなに時間はない。今でないとできないことに注力したほうがいいのではないか、なんて考えたりする。

この間の同窓会のときの会話で「ユヴァル・ハラリ」と「ジュンパ・ラヒリ」を取り違えて喋ってきたことに、今になって気がついた。


2022年04月24日

リルケの「ドゥイノの悲歌」と「開かれ」

(20151115) なんとなく詩が読みたいと思って先週借りてあったリルケの「ドゥイノの悲歌」を読んでる。案外覚えてた。大きい数字がきっちり割り切れるところとか、軽業師についての言及とか。以前読んだのは学部の頃だろうか。当然岩波文庫の改版前のものだ。どっかにドイツ語の原書があるのだが、実家だったか?

「ドゥイノの悲歌」の第8悲歌は「動物と人間」がテーマで、「動物にとって開かれている」という表現がハイデガーの批評の対象となったとかは知らなかった。さらにまさにこれをテーマとした「開かれ 人間と動物」アガンベンという本もあることを知った。読めるかどうか分からないが借りてこよう。

『ドゥイノの悲歌』の第八悲歌の解釈 独語独文学科研究年報, 16: 53-66 良い資料も見つかったので、ドイツ語で読むか。(<-ぜったいやらない系)


(20190922) 再び「ドゥイノの悲歌」を読みたくなって、「新訳リルケ詩集」(富岡近雄 訳、郁文堂 2003)を借りてきた。ちょっと積んでおく(読むとは言わない)。つか昔丸善でハードカバーで買ったものだが、今はネットで原文にアクセスできるな。

「ドゥイノの悲歌」は第8章が動物と人間の心について比較しているところがあって、違った方面からも面白いのだった。

Wikipediaの解説を読むと、

作品の基底には「全一の世界」、つまり目に見えるもの・見えないものを含むあらゆる事象が相互に関連し一つの統合をなしているというリルケの考えがあり

とか書いてあって、また繋がったよ!とか思う。(<-Jumping-to-conclusionバイアス)


(20200721) リルケの「ドゥイノの悲歌」が好きで、たまにマイブームが来るのだけど、今回はDeepL翻訳を使って独英対応させながら読んでた。

第8悲歌で動物の意識に言及して「開かれ」Das Offeneという概念が出てくる。新約リルケ詩集(郁文堂)にリルケによる説明(書簡)があった(p.421)。

「動物の意識の程度は、(私たちが為すように)世界をあらゆる瞬間に自己に対置することなく、自己をそっくりそのまま世界の中に置くのです。私たちは、私たちの意識が取った独特の展開と強調によって、世界の前に立っているのです…動物や花はおそらく、自らは全くそれとは理解することもなく、開かれた世界のものであり、そして自分の前に、自分の上にあの名状しがたい開かれた自由を持っているのです。このような自由は、ひょっとしたら初めての愛の瞬間に…そして神への献身のうちに、私たちが(ほんの一瞬の間)その等価物を見出すようなものです」

ハイデガーも「開かれ」という言葉を使っているけど、逆に使っているらしい。「ヴェールを剥ぎ取られた存在を名指す開かれを見ることができるのは、人間だけ、いやむしろ、真の思惟の本質的なまなざしだけである。逆に、動物は、この開かれをけっして見ることがない」(「開かれ」アガンベンp.102より)

意識を考えるにあたって、どこかでこういう「実存」について考える必要があるだろうなあとは思うのだけど、なんかハイデガーのこういうところが馴染めない。リルケの言ってることのほうが理解可能に思う。仏教っぽいからかもしれない。

「開かれ」については「ハイデガーと生き物の問題」(串田 純一)の第3章で「自然全体のただ中で脱抑止の連関にとらわれているものとしての生き物」の関連で言及されている。

「開かれ」についてなんでこだわっているかというと、オートポイエーシスにおけるorganizational closureとどっかでつながらんかなと思っている。


(20220424) 今回は札幌中央図書館で「リルケ全集第4巻 詩集IV」(河出書房新社 1991)を借りてきた。これには「ドゥイノの悲歌」の翻訳に加えて250ページ分の解説がついてる。さて今回はどこまで行けるだろうか。


2022年04月16日

「バラ園、水平線、おだのぶなが」(さうして、このごろ2021年10月版)

ここが私の好きな場所。工学部前の噴水。弁当買ってきてここで食べたりする。ほんとうは大野池でゆっくりしたいのだけど、あそこは人が多くてベンチも埋まっているいことが多い。

ひさびさに東岡崎駅前に戻ってきた。ここがジョギングしたところ、ここが新しくなっている、とか思いつつ、でもさっぱりエモくならず、感情の平板化を再認識するだけだった。

水平線の距離は4.5kmという話、ウィキペの「水平線」見て計算してみた。[地球の半径R(=6378km)]と[R+身長h]と[水平線の距離x]の直角三角形で x^2+R^2=(R+h)^2 だから、 x=\sqrt(h \cdot (h+2R))\simeq \sqrt(h \cdot 2R)=\sqrt(1.8/1000 \cdot 2 \cdot 6378)=4.8km でもその理屈だと地面に這いつくばる(h=0.2m)と1.6kmになるんだがいいのか?


北大植物園に行ってきた。昨年10/31に行って以来1年ぶり。緊急事態宣言の間ずっと閉館していたので。バラ園では赤いバラがなんか光って見えるのに惹き寄せられた。でもそれは、写真には映らない。あれは、なんでがな あつたらうか?


「江別古墳群」 へー北海道にも古墳あるんだと思って読み進めたら「北大医学部陽子線研究施設で発見された古墳」って書いてある!これ仕事場の眼の前なんですけど!調べてみたら、サクシュコトニ川沿いには擦文文化(この言葉もはじめて知った)の竪穴住居とかがある(K39遺跡)。

北大埋蔵文化財調査室というところがニュースレター詳細なレポートを出している。北大遺跡保存庭園とかもいったことがない。北大内、まだまだ知らないことが多すぎる。


札幌ではここしばらく寒い雨が降る日が続いたけど、今日は快晴で気温も17度くらいまで上がるとのこと。北13条門前のイチョウ並木にも、紅葉を観にきた人たちが今日はたくさんいる。北大のイチョウの最盛期はたぶん来週だけど。今日は私も円山公園にでも行ってこようと思う。

けっきょく出発が15時に。中央図書館に行ってから円山公園まで行って帰ってきた。14kmくらい。もうすっかり日が暮れていたので、円山動物園と円山球場からの下り坂を自転車を押して散歩した。


途中で撮った写真。 私の好きな場所1: 南21条西15交差点。電車事業所への引込線があるため、やたらとたくさん架線があるところがいい。 私の好きな場所2: 北5条西8交差点。サクシュコトニ川の水源を敷地内に持つタワマンのすぐ向こうにラーメン二郎が見える。その取り合わせがなんか味わい深い。


(10/31) 職場の前の北13条門イチョウ並木がいいかんじに紅葉してきた(金曜に撮影)。昨日土曜は紅葉を見に来た人たちで混雑して、まるで観光地のようだった。


「おだのぶなが」を"uwoda"で発音する技法を編み出した。

「どらえもん」をasahi super dryみたいにdryemonと発音する技法も編み出した。

New Radicalsの“You Get What You Give”のPVをひさびさに観て、90年代後半にメンタルタイムトラベルした。戸崎町のTSUTAYAがまだ「ディスクステーション岡崎」って名前で、試聴用のCDプレイヤーが並んでて、賑やかで混んでて、音楽が私にとって重要で、強い力を持っていた。

秋になってふたたびコバエとの闘いが始まったが、寒い季節になったらまったく現れなくなった。でも吉田は今日も生きている。吉田とコバエでは吉田のほうが生命力が高いらしい。よし、来年まで生き抜くぞ!

Turtle (タートル)もTortoise (トータス)も亀感あるけど(音韻的な意味で)、Terrapin (テラピン)って亀っぽくなくない?もっと平べったくて、流線型で、水を切って速く泳ぎそうな感じがするんだけど。


2022年03月14日

「夏の魔物、秋の日はつるべ落とし」(さうして、このごろ2021年9月版)

気分転換がてらスーパーまで買い物に行ってこようと自転車置き場に行ってみたら、私の自転車にトンボが停まっていて、こりゃシャッターチャンス、とスマホを掲げたが、近づく前に逃げられてしまった。

Retinal waveの研究について考えてみたのだけど、もし人間でもこんな活動パターンが出ていたとするならば、赤ちゃんはお腹の中で毎日閃輝暗点みたいなのを経験していたのかもしれない。わたしはもう歳をとったので、そのころの記憶がないからわからないけど。

ある朝、居室に行ったら、小さな「夏の魔物」が盛大にお店を開いていた。こんなのはじめて。そういうわけで、「殺してしまえばいいとも思ったけれど」とかいいつつモタモタしてたら、エアコンの吹出口から逃げられた。いったいどこから入ってきたのかと思ったが、そこか。


骨伝導ヘッドセットはずっと興味あったけど、ネットで調べてもちょっと使ってみた的な記事しかなかったので躊躇してた。でも本しゃぶりブログの人が1年間使ってみたという記事を書いたのを読んで、即ヨドバシカメラまで行って買ってきた。AfterShokzのOpenMove。

そしたら1日でもうこれは手放せないとわかった。自分は仕事中に音楽聴かない人間なので、岡崎在住時は職場との行き帰りと車の移動で音楽を聴いてた。でも札幌に引っ越して車がなくなったので、ほとんど音楽を聴く機会がなくなった。でもOpenMove買ったらジョギングから買い物までずっと付けっぱなし。

音は普通のイヤホンよりも良くないけど、外で環境音を聞きながらでは音質を求める必要がなかった。音漏れは思ったより少ない。高音がシャカシャカいうので電車では使えないが、信号待ちで隣の人に電波ソングが丸聞こえになったりはしない。あと、耳をふさがないというのは実に快適。いい買い物だった。

骨伝導する位置はすぐわかった。ひとつ気がついたけど、マウスのクリック音のようなカツカした音はこめかみにビシビシくる。響く音と響かない音があるらしい。低音は響くだけで音としては聞こえてこないので、イコライザーとかでカットしてしまったほうがよさそうだが、そこまで手間はかけてない。


懸垂式モノレールに乗って車道の上を走り、最後は離脱して終着駅につく記憶があったので、湘南モノレールかなと思って動画見てみたらなんか違う。

いろいろ調べたがわからない。懸垂式なので、該当するものは湘南モノレールしかなさそうだ。

自分のツイートを検索したら、そもそも自分は湘南モノレールに乗ったことはないと書いてあった。昔家族と鎌倉に行ったときに乗ったつもりでいた。でもそれは勘違いで、このツイートをしたときにストビューで下の道路を追跡しただけだったようだ。そんなことありうる? 自分の記憶が信じられなくなった。


9月も後半になったら、18時にはもうすっかり空が真っ暗だ。緯度と経度の違いだろうかと調べてみたら、札幌の日の入りは17:27で、岡崎は17:45。いうほど違ってないな。地域差よりはむしろ夏から秋にかけての変化を実感しているらしい。「秋の日はつるべ落とし」だ。

調べてみたら、簡単ではないということがわかった。「日の入時刻地図」を見て初めて知ったのだけど、日の入りの時刻って経線と平行でないのだな。当たり前かもしれないのだけど、夏至と冬至の傾き方が「日の出時刻地図」と「日の出時刻地図」で反転しているのを見てわからなくなった。

さっきのPDFとか、こちらのページとか見て、アナレンマを書くと9月終わりには正午の段階ですでに太陽が10度西に傾いているとか、均時差の概念とか、いろいろ理解しなければならないことがあることを知った。さっきのpdf見ながら三角関数をいじればよさそうだ。


2022年02月02日

「ピペットマン、パラフィルム、ドムドムバーガー」(さうして、このごろ2021年7-8月版)

「ロビンソン」と「クルーソー」でコール・アンド・レスポンスしてみたい。アリーナ席を左右半分に分けて。

大学の建物から出てみると、月の右上に三日月みたいなのが光ってた。あいにく老眼が進んでいるので月も惑星も結像できず、上下に2つ重なって見える。調べたところでは、木星か土星?

今日は電子秤やピペットマンの選定をしていた。実験で必要なサイズを確認とか、GILSONのやつでもGとLとPでなにが違うかとか、いろいろ調べていたら3時間くらい飛んでた。

パラフィルムを注文しようと思ったのだけど、パラフィルムという言葉が出てこなくて、「3Mの…シリコンの…」(どちらも間違い)とググってみてもさっぱり見つからず、諦めてべつの仕事していたら突然「パラフィルム」の語が降りてきた。私の中に、パラフィルムの概念は、たしかに存在していた。

時計台、とは名ばかりの錆びた鉄骨と古びたコンクリートの塊でできた階段を登り、見下ろしてもだだっぴろい駐車場にただ一つの車と、それを照らす街灯しか見えない。逃げて逃げてここまで来たのだけど、ここにもなにもなかったし、階段は低く共鳴しているし、天井の闇は不吉にうごめいている。

ホメオスタティシャンhomeostaticianという職名を考案した。生体恒常性を整えてくれる。(<-「整える」を定義しろ)


久しぶりに夢らしい夢を見た。いつもの「ほとんど考え事」ではなくて、視覚経験を伴い、他者がいて私は行動していた。私は車の中にいて、次の場面で私は自転車を停める場所を探していた。内容はひどく自罰的なものだった。今日はいつもより早く目が覚めてしまったので、夢を覚えていたのかもしれない。

ここ数年、少なくとも札幌に来てからは夢らしい夢を見た記憶がないので、これが初めての経験だ。もしかしたら普段から夢は見ていたのだけど忘却されていて、今朝はたまたま早く目が覚めてしまったから記憶に残っている、ということなのかもしれない。


USCにいたときに地震があったな、と急に思い出したので調べてみたら、どうやらこれ: "2010 Baja California earthquake"らしい。LAはせいぜい震度3か。それでも到着直後だったので、すげー不安になったのを覚えている。とりあえず向かった建物の裏口の階段の踊り場の光景を覚えている。

"Dangerous Giant Heavy Duty Hammer Forging Process, Excellent Workers’ Skill In Steel Forging” 映像もいいが、音もいい。もっと良い機材で録音してほしい。

ドムドムバーガーの「ドムドム」部分にはシンセベースっぽさを感じる。(<-不要不急なツイート)

タフであるけど弱いままでありたい、強者の論理を振り回さずにいたい、と心密かに願いつづけている。でもそのためには、卑下せず自己憐憫せず、おのれのダメさに言い訳せず、恥をかくことにオープンである必要があるだろう。そんなの不可能だなと思いつつ、ただ命の炎を、消えるまで燃やし続ける。


2022年01月30日

「夜明けの口笛吹き、ゼラニウム・キッス」(さうして、このごろ2021年6月版)

(6/10) 大学構内をポプラの綿毛が舞ってる。構内のサクシュコトニ川にも降り積もってきている。夜はなんか花のような甘い香りがしている。綿毛は花が咲いたあとにできるから、花の香りというのは正確でないのだろうけど。明日は気温が30度までいくらしいので、たぶんポプラの綿毛ももっと飛び交うことだろう。

以前のブロク記事に去年の綿毛がいちばん飛び交っていた日のサクシュコトニ川の画像を貼っておいた。2020年6月9日。ほぼ1年前だったので、自然すげえって思った。


藤井寺市の古市古墳群見に行きたい。歴史はぜんぜん興味がないのだけど、「街の中に普通に古墳がある風景」というのに惹かれる。新コロのせいでもう1年くらい北海道から出てないので、そろそろどっか行きたい。

「何者かになりたい」と「モテたい」って同じ構造だということに気がついた。後者が「(相手が誰か想定せず)モテたい」を含意するがゆえに説教食らうのと同じように、前者も「何者ってなんだよ、具体的な目標見つけてそれに向かって努力しろよ」と説教されるという意味で。(<-いい歳してどうしたの?)


「ゼラニウム」ってあまり名前と実物が一致してなくない? 「テンジクアオイ」って言われるとそれはそれでテンジクぅ?って思うけど。

それでなんで「ゼラニウム」だったかというと、「ゼラニウム・キッス」というフレーズを思い出して、それが誰の歌詞だったか思案していたのだけど、けっきょく判明したのは、ボブ・ディランの「ローランドの悲しい目の乙女」"Sad Eyed Lady of the Lowlands"だった。


“The Piper at the Gates of Dawn”を「夜明けの口笛吹き」って誤訳だよね?シド・バレットなのだから“Piper”と言ったらBlakeの詩に出てくるような羊飼いの笛とかパンフルートとかああいうのだよね?と調べてみたら童話「たのしい川べ」の7章からとったそうな。

そういうわけでだいたい合ってた。ところで、ではなぜ「夜明けの口笛吹き」なのか、というのは当時のレコード会社の人がどう考えたか次第でよくわからないけど、誤訳というよりはむしろ「夜中に口笛を吹くのは縁起が悪い」というアレから来たのではないかと思った。


ライジングサン中止のニュース。五輪に反対する立場ならば、フェスにもおおっぴらに行くとは言いにくいと思っていた。Lack of integrityの問題に直面せずに済んだとむりやり納得しておくことにしよう。来年までは頑張って生きて、来年こそ行けるように準備しておこうと思う。

「トラコーマ」って今日日使わないフレーズだよなあ、と思ってウィキペってみたら「先進国ではほとんど見られなくなった」とあった。急に思い出したのは、たぶん子供の頃に病院で見た写真のトラウマな記憶のせいだと思う。たぶんこういうの

このブコメにもあったけど、「故人のアカウントで親族が訃報をツイート」ってたしかにそんな簡単じゃないなと思った。私も長男あたりにパスワードを教えておいたほうがよいのだろうか?


2021年12月03日

「カニちゃんこ、レッドバロン吉田、ヌンク!」(さうして、このごろ2021年5月版)

「ショック!カニちゃんこ」という廻文を考案した。

「あきれるわ、アルキル基」という廻文を考案した。

「ありえない解決策を図る」というのを提案したい。つまり、豚が空を飛べばいい。最初から。ドクター、ドクター、プリーズ!

春と秋はいつも着てるL.L.Beanの赤いウィンブレ(というかヤッケ?)、新婚旅行の写真でも着てたので、たぶん25年くらい着てるんだけど、ついに腰のあたりの縫製がほつれてきた。長い間よく保ってくれた。

(2021年11月追記: けっきょく補修して、2021年の秋もこれで乗り切った。)

「レッド・バロン」という概念が好き。バイクには乗らないので店には興味ないのだけど。バロン吉元からの連想か、70年代感ある。紅い稲妻。「バロン」ってきょうび使わない単語だよね。なろう系異世界ものの舞台(ナーロッパ)で貴族や騎士がいる世界でも、バロン(男爵)って見たことない。なぜだろう?


“curfew”(門限 or 外出禁止令)という単語を知った。そういえば、なんかの歌詞にこの単語あったなと思ったが思い出せない。ビートルズ、S&G、と順番に検索していって、ボブ・ディランの“Gates of Eden”の出だしに出てくるのを見つけた。記憶にあったのは多分これだけど、まだしっくりこない。

自分は大学生の頃に翻訳に興味を持っていたのを思い出した。安西徹雄の「翻訳英文法」に賛同して、バベルプレスの「翻訳の世界」を購読して、巻末にある翻訳問題を解いて送ったりしてた。けっきょく翻訳業界はあまりに儲からないことを知ったので、進路としては選ばなかったけど、いまでも学術書の翻訳を読むとたいがい理解不可能な文章があるので、ブチ切れて原書にあたって、俺なら(翻訳英文法的に)こう訳すのに、とか思ったりする。

先日、北島三郎の「函館の女」が頭の中でぐるぐると鳴りつづけていた(イヤーワーム)んだけど、金管楽器の音がコンプがかかったみたいにバキバキに鳴っていたので、本物もこんな音だっけ?と確認してみたら、もっとおとなしい音だった。記憶を頼りにすると、コンプがかかるらしい。

CREAMの"Crossroads"ってジャック・ブルースが歌っているもんだとずっと勘違いしていた。いまはじめて気がついた。いかに自分がぜんぜん「聴いて」ないかということを気づかされた。

「アンドリュー各務原」という芸名を考案した。なんとなく語感がよい。


異世界転生したい。宮廷薬剤師として、有機化学の知識を駆使して、薬草からの抽出法とか試行錯誤しながらスローライフを送りたい。

生理研のラボの人の結婚披露パーティーで、豊田市のレストランを貸切にして、中庭のところでセレモニーをやって、私はなんだかんだで手持ち無沙汰になって、あちこちウロウロしながら、でもとてもいい季節で、あの光景を急に思い出した。(光景が先で、後で結婚披露パーティーだったことを思い出した)

左右の指をキツネのポーズにして「ヌンク!」って叫ぶ型を考案したのだけど、ところでヌンクってなんだったっけとググってみたらファッションブランドが出てきたので、いやそれではなくてと調べてみたら、細胞培養に使うディッシュだった。そうそう、これよこれ。ヌンク!(左右の指をキツネのポーズにして)

「卓球したくないですか?」(<-電車で急に話しかけてくる隣の席のおじさん)

(5/31) 今日も冷たい空気で、夕方になったらさらに冷たい雨までが降ってきた。いわゆる蝦夷梅雨というのは6月後半の話らしいので、それとはべつのようだけど。

今の気候はむしろ「リラ冷え」に該当するらしい。まだまだヤッケと長袖の生活が続く。


2021年11月29日

「ゴニオ先輩、フキノトウ、長久手-弁天島」(さうして、このごろ2021年4月版)

「ゴニオメーター」の「ゴニオ」部分、いいよね。俺もゴニオ先輩にラーメンおごってもらいたいよ。

次男が小学生だった頃のソフトボールチームで、特別イベントとして岡崎市民球場でナイターで練習試合をやったことがあって、私は保護者として球拾いをやっただけではあるけど、こんなところで野球できたら楽しいだろうなあと思った。ここ5年くらい野球してないな。

昨日数年ぶりにサーティワンアイス食べた話を書こうかと思ったが、コロナの時期に外食した話をツイートしている人が周りにいないので、そんなことしてません、やろうとも思ってません。

私のソウルジェムが曇ってヤヴァいことになっていたので、コープに行って寿司10貫入り800円のところ半額400円を買って号泣しながら食べた。(<-号泣してない)


(3/23) 医学部学生サークル室の脇に咲いてたフキノトウ。この時期はまだ人通りの少ない道には雪が残っている状態で、これがこの春初めて見つけたフキノトウ。

(4/8) 今日はたぶん一ヶ月ぶりくらいの久々に雪が降った。帰りの道にはなにもなかったけど、芝生がうっすらと白くなるくらいは降ったようだ。なるほどこれが「なごり雪」ってやつか。


(4/11) 中央キャンパス西のジンパ用スペース(閉鎖中)のフキノトウ。ここは構内のセコマへの近道で頻繁に通るので、日々成長してるのがわかる。


大学1年のときの英語の先生がたしか有名なSF評論家だったのだけど、自分に知識がないので何も話しかけられなかったことを思い出した。(裏とりに調べてみたが、たぶん巽孝之氏だったと思う。)

ついでにメモっておくと、もうひとりの英語の先生は小野寺健氏で、E.M.フォースターの「アビンジャー・ハーヴェスト」を採りあげてた。大きい書店でE.M.フォースター全集が並んでいるのを見たりすると、もう一回読んでみようかなとか思って本を取る。そして本棚に戻す。


エアリプには応答しないし、エゴサはしないようにしている。これまでずっとそうしてきたし、今後もそのつもりでいる。それはそれで我慢が必要なこともあるけど、今後も炎上もしなければバズりもしない、という状態をキープしていきたい。

なにか話題を出すなら、なるたけ他人事みたいな態度をとらないように気をつけているのだけど、自分ごとに引き寄せて書くと、書くべきでない深淵が出てきてしまうので、けっきょくツイ消ししたりする。そういうのを繰り返していたら、自分が書くことのできることなんてほんの少しだなと気がついた。


"Buffalo Springfield"の名は蒸気ローラーの名から取られているけど、実車の映像がyoutubeにあった。Buffalo Springfield Steam Roller

これを見るとSpringfieldとはOhio州のSpringfieldなので、Buffaloとはナイアガラの滝の近くのBuffalo ということだろうか。東海で例えるなら(<-?)、長久手-弁天島みたいな。


みんなしてナイスネイチャ、ナイスネイチャって、そんなにたくさんの人がネイチャーにアクセプトされてんの?

My Bloody Valentineの"Strawberry Wine"を久々に聴いていて、これってブルガリアンボイス的なコーラスにできないかなとか思った。それだけ。

"Strawberry Fields Forever"のサビでフロアタムがドコドコ鳴ってるのはオーバーダブだと思うんだけど、ドラムカバーしてる映像で、左手一本でドコドコ鳴らしているのを観た。再現できるのか。本物はフィルイン叩いている間もフロアタム聞こえるのでやっぱオーバーダブだとは思うんだけど、


2021年10月21日

「きかんしゃトーマス・マンボウ・フキノトウ」(さうして、このごろ2021年3月版)

きかんしゃトーマスのOP曲、始まりがいきなりC-Abで転調か。かっけーな。シド・バレットみたいだ。

天気予報のお告げのとおり、今日は気温が10度まで上がり、道の雪が融け始めた。雪解けの季節が近づいてきた。雪解けって白い雪からせせらぎが流れるようなイメージだったけど、じっさいは泥混じりの雪で排水口が詰まって横断歩道前に泥水の水たまりができる。これが雪解けだった。


エヴァについては当時薬学の友人が熱心に勧めてくれたが、TVシリーズ前半で断念して以来いっさい見てない。自分は90年代までは(根本敬とか危ない1号とか読んじゃうような)ロック寄りのサブカルで、(ギャルゲ論壇や非モテ論壇が隆盛した)ゼロ年代からオタクにシフトしたので、基礎的素養が欠けている。

1980年代は同時代の音楽には見向きもせず1960年代のサイケデリック・ロックとかそういうのばかり聞いてきたので、現在のシティポップ再評価の流れにもぜんぜん乗れない。ヴェイパーウェイヴとかチルウェイヴみたいに、仮想の80年代を表現したものはわかるんだけど。


「岩波文庫の哲学の色」 こういうのがパッと出てくるのはいいなあ。自分はこの種の気の利いてるのが好きで、自分なりにそういうのが溢れてくる時期があったと自負していたのだけど、TwitterやSNSで反響が可視化されるに至って、私なりに面白いと思っていたものはたいがい独りよがりだということに気付かされて、幻想は壊れた。

ウィキペで(アメリカでも)「『フランダースの犬』は出版されているが、「こんな結末では、主人公たちが可哀想過ぎる」として、ハッピーエンドを迎えるように改変され「ネロが息を吹き返す」「ネロの父親が名乗り出る」といった展開になっている。」というのを読んで、ほっこりとした心持ちになった。

長い映画でのトイレの問題 自分もこれ深刻で、90分程度のものはなんとかなるが、それ超えたら途中でトイレに行くの込みで見てる。人間がトイレに行かなくて済む(+雨のときに傘をささずに済む)ようになったら、それこそがシンギュラリティだと思うよ!(<-ヤケクソ)

「ただの田舎の駅前の安いそば屋なのに妙に気になる」 これ好き。ここに再訪するためだけに旅してもいいし、行ってみたら思ってたほどでなくてがっかりするところまで込みで、そんなふうに人生を楽しめたらよかったんだけど、と思う。


春が近づいてきた。今日は今年初の自転車でお出かけ。15.6km in 74min。とくにあてもなく、西の方に向かった。道の雪は融けたけど、自転車レーンには雪が積み重ねられていて、まだ自転車で走るには早かったようだ。だがおれは一番先に咲くフキノトウ(<-どうした?)。

走っているうちに、琴似に行けばなんとかなるだろう、と目標をとりあえず決めた。宮の森まで来たら、サザエ食品の店舗があったのでそこで途中停車。(後で調べたらこれが宮の森本店で、裏の工場からできたてが買える) おはぎをゲットした。あんこも良かったがモチ米がうまくて満足した。

道中でそういえば激安スーパーで有名なのがこっちの方にあったな、と思い出したので、ネットを検索してみたら、西野の「マンボウ」だった。ということで今日の目的地が決定。店の前まで来たら、もう人が多くてすぐわかる。「食費を半分に!」とあるけど、本当に安かった。

たとえば豚バラブロックが341gで270円 (税抜き)とか(79円/100g)。若鶏むね正肉が69円/100g、たとえば241gで166円 (税抜き)とか。これは車で来ないと意味がないことがわかったので、今日のところはとりあえずかさばらないものということで、ユウキの甜麺醤130g 248円と豆板醤130g 248円 (amazonに勝ってる)だけ買ってきた。

帰りは発寒川の雪を見たり、場外市場に寄ってみたり。最後に桑園のホーマックで災害用の手回しアーム付きラジオを買ってきた。でもってFMラジオを聞きながらこれを書いてる。いい週末だった。明日から本気出す。


今日はいろいろあってけっきょくCOOPに行くのが20時を過ぎたので、刺し身を買って海鮮丼。アトランティックサーモン刺身用 170gと豊後ブリ刺身用 100gが両方半額で合計350円。ご飯に対する刺し身の比率が高すぎた。刺し身は200gくらいあれば充分らしい。でもまあ、それも自炊ゆえの喜びということで。

自転車で街を走ると、滑り止めの砂利で走りづらい。アスファルトにところどころ大きな穴が空いている。雪が解けて、道に沁み込んで、また凍って、を繰り返すことであちこちに亀裂が入っている。路肩の雪も日に日に薄くなる。雪解けした場所にはすでにフキノトウが育っている。春が近づいてきた。

「虚無」と「スンってなる」ってネットでも日常生活でも使ったことがない。使いこなしてみたいなと思うこともあるが、使いこなせないので、使わない。

にゃおーん (<-いろいろ言いたいことはあるが、言うに言えない気持ちを「にゃおーん」の一言に込めて)

Youtubeで「屋根から雪が落ちる映像」みたいなのばっかり観てる。

「限界ごはん」 自分は札幌単身生活で夜遅くなった帰りに、スーパーまでの雪道を1km歩く余裕もないときは、家に常備しているパック入りモチとかフリーズドライ卵スープで凌いでた。たしかにここで紹介されてるようなものを常備しておくと有効そう。


2021年10月17日

pooneilの膝改造日記つづき

pooneilの膝改造日記のつづき。以前は第17日目の退院の日まで書いたのだった。そこからリハビリの日が続いた。それについてツイートしていたのをまとめておく。


[pooneilの膝改造日記第18日目] 退院後の仕事第一日目。居室に行ってPC仕事。ロキソニンが切れたからか、ずっと頭が痛い。歩く方はとくに不便なし。中央食堂まで往復してきた。膝の装具があるのがすごく安心させてくれる。これなら明日は紀伊國屋書店まで歩いて往復できそう。(<-急に負荷をかけすぎ)

これまでのメモを全部まとめてブログ記事にしておこうと思う。医師から膝MRのデータももらっているので、それも解析したい。簡易ビュワーによるJPEG形式の閲覧(添付画像)だけでなく、DICOM形式のデータももらっているので。

前十字靭帯ACL再建術の動画。3Dアニメーション使用でわかりやすい。つか説明聞いてたら、術後2-3時間回復室で過ごした後、家に帰ります、とか言ってる。日帰りかよ!

術中に関節鏡突っ込んでいる画像。見ているこっちが痛くなってくる。

退院後の仕事場での生活は案外問題ない。家のほうがかえって不便。というのも、病院ではベッドだったから、腰掛け状態から立ち上がるのは楽な動作なのだけど、家では布団なので、床から立ち上がらないといけない。そういうわけで毎回、生まれたての子鹿みたいに、プルプルしながら立ち上がっている。

退院したら焼肉屋行くぞ!とか思っていたが、夕食にスーパーARCSで買ったホルモン300g 400円を焼いてその脂でインゲン150g炒めて食べたら、なんだか満足してしまった。

入院中に(ずっと見そびれていた)「ダークナイト」観るぞと思っていたけど、長い(150分)のが億劫で、ついつい「釣った魚のさばき方」みたいなyoutube番組ダラダラ観てたら、入院期間が終わってしまった。Kindleにも積んでた小説詰め込んでおいたけど、いっさい読んでねえ。もう一週間入院していい?


[pooneilの膝改造日記第19日目] 今日はだいぶ頭痛が軽減した。装具を付けて歩く時間が長かったため、家に帰ってきたら脚が腫れていた。当分は足を動かす=>腫れる=>冷やす、の繰り返しで、それでも足を使って筋肉の衰えを回復させる必要がある。寝ているときは意図して寝返りを打つようにしている。


[pooneilの膝改造日記第20日目] タクシーで駅前まで出て紀伊國屋書店に行ってきた。本屋っていいなあ。でも購入は無し。その足でヨドバシカメラに向かい、ずっと懸案だったGPSウォッチ(Garmin Foreathelete 245)を購入した。ウォーキングとかライフログとか、いまこそ必要だと思ったので。

けっきょくのところ、歩き出せばとくに膝が痛むこともない。それよりは、デスクワークで膝が曲がった状態をずっと続けて、トイレに行くために立ち上がると、膝を伸ばした状態にするのがしんどいので、ちょっと時間をかけて伸ばした状態で安定するまで待つ必要がある。


[pooneilの膝改造日記第21日目] 札幌駅ビルまでお買い物。島村楽器と三省堂に行って何も買わず。ユニクロでレギンス(ジョギングとかでハーフパンツの下に履くやつ)を探したが見つからなかった。今度ワークマンで買う。帰りに大学までウォーキング。片松葉杖で1.4km/15分。

駅ビルでは、エスカレーターの上り下りでどちらの脚を出すべきか一瞬迷う。(常に低い方に損傷側がくるようにするのが正解だが、とっさに出ない。) 歩きでは、膝の装具をしていれば、ほとんど不安を感じることはない。たぶんもう片松葉杖無しでも歩けるのだけど、体重の2/3までという制限を守る。


[pooneilの膝改造日記第22日目] 昨日くらいから膝裏内側の神経がピリッとすることがある。膝裏の腫れが引いてきて、可動域が上がり、ほとんど問題なく歩けるようになってきたのだけど、膝裏の神経周りも色々再編成している段階で、刺激されたりとかを繰り返している様子。


[pooneilの膝改造日記第23日目] 片松葉杖もだいたい慣れたと思ってたが、夜の暗い帰り道で段差があるところに気づかず、転倒してしまった。装具をしていて可動域が狭いため、柔道の技(体落)をかけられたみたいにつんのめった。幸いうまく受け身をとれたので、大事には至らなかったけど。油断怖い。


[pooneilの膝改造日記第24日目] 術後3週目の診察とリハビリ。今日で片松葉杖が終了。普通に歩く練習をした。とはいえ基本は片松葉杖のときと同じ。左足をつくときは膝真っすぐで踵から、左足を上げるときは膝を曲げる、の繰り返しで問題なく行けた。整理券取りに行って帰って全部で6時間。半日潰れた。

今日の帰りも夜の暗い道の部分で、予想外に低いところでガクッとくるヒヤリハット事象があった。吉田という歩行システムが予測誤差の修正に脆弱であるのを実感した。手術からの回復期に、身体と環境の関係が時々刻々変わってゆくのに対応できてない感じ。(<-予測誤差トーク)


[pooneilの膝改造日記第28日目] 今日は自転車でジュンク堂書店まで行ってきた。片足ケンケンで時速10kmくらい出るし、心拍も140bpmくらい上がるので、それなりに運動になる。片道2.5kmで15分くらい。


[pooneilの膝改造日記第31日目] 手術から一ヶ月経った。今日も病院。リハビリは順調で、左膝の屈曲も140度までできた。(術前は左右とも150度。) 北27条の循環器内科の方はエコーで左ふくらはぎの血栓が無くなっているのを確認。Dダイマーが前回の19.9から2.8まで下がった(まだ基準値よりは高い)。


[pooneilの膝改造日記第63日目] 手術から2ヶ月経った。昨日から自転車解禁となったので、片足ケンケンから両足漕ぎに戻す。片足ケンケンのときはサドルを下げていたけど、両足漕ぎでは左膝を深く曲げすぎないようにサドルを高くした。とっさのときに左足を突くと危険なので、ゆっくり安全運転にする。


[pooneilの膝改造日記第88日目] 今日もリハビリ。2週間前から膝曲げ歩きKBWが始まって、今日はついにウォーキングからランニングに移行する動作の練習へ。とくに問題なし。それよりも椅子に座った状態からの片足スクワット10本3セットがきつかった。ちょっと左膝が重い。(腫れてはいないが。)

今日からジョギング解禁となった。でも、もうすこし体重減らしてからでないと怖い。雪で道が使えなくなるまでは、ウォーキングの時間と距離を延ばしていこうと思う。いま30分で3kmペース。これを50分くらいまで延ばしたい。膝の屈曲も150度になり、右と同じになった。自転車を漕いでいても、膝を曲げにくい感じがなくなった。

「膝前十字靭帯損傷の再建手術を受けたアスリートの競技復帰を支援するため、リハビリ期(初期~復帰準備期)に応じたセルフトレーニング動画」これすごく充実してる。


[pooneilの膝改造日記第151日目] 昨日はリハビリの日。ジョギングしてみましょうということで3分間軽く走ってみたけどとくに問題なし。だいぶもとに戻ってきた。はやく走りに行きたいところだが、道はツルツルで危険なので、氷が溶けるまであと一ヶ月半待つ。

昨年の冬は転倒回数ゼロを達成したが、ヒヤリハット事象はけっこうあった。今年はヒヤリハット事象ですら左膝に急激に負荷がかかるので避けなければならない。いまのところヒヤリハット事象は2回くらいか。北図書館前の道がスケートリンクみたいになってて危なかった。


[pooneilの膝改造日記第165日目] 昨日はリハビリ。左足のみで椅子から立ち上がるやつ、1月にはできなかったが、今回は難なく成功。この2週間くらい一日おきでスクワット、左足のみスクワット、ヒップレイズを続けてきたので、その成果が出たっぽい。道路を走ってみたいので、はやく雪解けしてほしい。


[pooneilの膝改造日記第179日目] 昨日はリハビリ。今回から横向きの運動も追加ということで、1) サイドスクワット、2) スケーティング、3) 右足で飛んで左足片足で着地するやつ。問題なくできる!と飛ばしたら、今日は左膝の奥に鈍痛がある。今日明日は膝の筋トレは休みにしてクラッチとかにする。

術後初のレントゲン写真を撮ったのを見せてもらった。腱を通すために骨にぽっかり穴が空いてた。あと3ヶ月でリハビリは終了とのこと。先が見えてきた。これであとは、1年以上経ってからボルトを外して完全終了になる。


[pooneilの膝改造日記第193日目] 今日はリハビリ。フロントランジをする際に、膝裏の内側ハムストリング腱の張力が高くする指示を受けた。でも触って確認しながら力を入れてもうまくいかない。しかもこの腱はわたしのACL再建に使われた部分だ。まだまだ自分の体を使いこなせてないことがわかった。


[pooneilの膝改造日記第208日目] 今日はリハビリ。両膝の筋力測定をした。だいぶ回復しているが、まだ右より左のほうが弱いとのこと。あと、体重支持指数(WBI)が低いですね、と言われた。WBIの改善には、筋肉をつけることよりも(筋肉を減らさないように)体重を減らすことのほうが有効そうだけど。


[pooneilの膝改造日記第285日目] 今日は手術後9ヶ月目でリハビリの最終日。ここしばらく筋トレをサボっていたので、左膝周りの筋肉の太さがまだ右側よりも1cm程度細いままだった。あとは自分で筋トレしながら、ボルト外す日が来るのを待つ。pooneilの膝改造日記もこれで終了。


2021年09月17日

「どんぐりカレー・西瓜糖の日々・アリザリン クリムゾン」(さうして、このごろ2021年2月版)

「ストレイン・ゲージ」ってなんかバンド名っぽくない? なんかメンバー全員入れ墨入れてそう。

声に出して読みたい日本語といえば、今の気分としては「宝石の八神」かな…

「沸騰するやかん」「どんぐりカレー」「市松模様と螺旋形」「白黒の集合写真」「雑草に埋もれたマンホール」「街路樹からの落雪」「消える境界線」「七色の鍵盤ハーモニカ」「グリッサンド」「ポルタメント」「パンダ色のマスクカバー」「毛糸の靴下」「地震の前兆」「自走する草刈り機」「黒い日傘」


ブローティガンの「西瓜糖の日々」を原書で読もうと、kindle paperwhiteに入れて寝る前とかにちょっとずつ読んでいたのだけど、2ヶ月くらいかけてやっと読み終わった。翻訳で読んだのは20年以上前だろうから内容は忘れていたけど、ともあれぜんぜん入り込めなくてショックを受けた。

以前読んだときは「えいえんのせかい」のような寓話的な儚い世界だと思って読んだのだけど、再読してみたら、街から離れたところにヒッピーがコミューンを作って、そこで何かひどい犯罪が行われたであろうことを寓話的にぼかして表現しているようにしか読めなかった。

しかも主人公はものすごく傍観者的なのにモテて、主人公にとって都合の良いことだけが起こる。(嫌いな奴らが勝手にどんどん死んでゆく。) これは再読したことによって私にとっての物語の解像度が上がったせいか、それとも藤本和子の翻訳が原書よりも良かったからなのか。

今回はこの世界の描写についてちょっと気をつけて読んでいたけど、電気とか機械とかは一切出てこなくて、照明はランタンだし、人力だったり、馬だったりする。ただし「街」の存在があって、そこは1960年代のアメリカであるようで、ポストアポカリプス的な舞台設定だという前提が元々誤解だったのかも。


「せいりけん」って入力して変換したら「整理券」になった。他の人にとってはまったく驚きではないことだけど、私にとってはこんなこと数十年ぶりのことだ。

髪が長くなってきたけど、床屋に行く回数は減らしたい。ヘアバンドがどっかにあったはずだが見つからない。そういうわけで、持ってた赤いバンダナを巻いて、ヒッピーおじさんもしくはカントリー歌手(ウイリーネルソン的な)みたいな風貌で中央キャンパス総合研究棟2号館の4Fを行き来してる。


夜に誰もいなくなったところを見計らってギターかき鳴らして歌いたい。いい場所がないので、夜遅くに平成ポプラ並木の放牧場の横まで行くのがいいのかもしれない。人と出くわすとむちゃくちゃ気まずいけど。もしくは電子研の北の原野みたいなところとか?とにかく誰もいないところを見つけたい。

「電子研の北の原野みたいなところ」って今書いたけど、Google map見てみたら、なんかすげー整地してる。なんかの車が地面ならしてる。なんだこれは?いま行けばここは雪の平原?


ドノバンの"Wear Your Love Like Heaven"の歌詞にはいろんな色が出てくるので意味もなく並べてみる。Carmine, Carthamus Rose, Alizarin crimson. こうやって並べておいてなんだけど、ディスプレイの色って別もんだよな。

ウィキペの色リストのページ。

こういうのって永久に見てられる…といいつつ30秒で飽きた。


2021年07月28日

「アムール今出川・クラゲ茶・大仏廻国」(さうして、このごろ2021年1月版)

「アムール今出川」っていう芸名を考案した。アパートの名前でもいい。…とここまで書いてから、念のためググってみたら、「アムール賀茂川」が実在することを知った。

「スーパーでよく聞くポポーポポポポ」 あれの名前が「呼び込み君」であるということを知ってしまった。

今日はオンライン飲み会だったので、いつもどおりウクレレいじりながら喋ってた。そういえば「ウクレレで緊急地震速報」をやるチャンスだったのに、忘れてた。

今どきのネットで人気の曲をいくつか聴いてみたら、歌がボカロっぽくて、映像がヴァイパーウェイヴ感あって、なるほどと思った。


「おかゆ作品」 わかる。先日日常系30分アニメ観たら、Bパートまでたどり着けなかった。いまの俺の胃にはモルカーしか受け付けないようだ。

子供向けでも、たとえば「おさるのジョージ」はけっこう「やらかし」のシーンがあるので、共感的羞恥がキツくて案外観るのがつらい。モルカーも、銀行強盗に乗っ取られたシーンがもし5分続いたら、たぶん観つづけることができなかったと思う。えいえんのせかいに旅立ちたい。


「クラゲ茶」ってのを考案した。ものすごく語呂が悪い。

「クラウド・ファンディング」ってのを考えた、まで書いて、念のためtwilogで検索してみたら、まさかのネタかぶり、しかも3回目。いったいなにがそんなに私の琴線に触れるのか、私が知りたい。

「大仏廻国」では東海市の聚楽園大仏が開眼して犬山城まで行き、さらに戻って三河までやってきて西尾の常福寺大仏に会いに来る。そんな存在とはつゆ知らず、自転車で通りがかったので常福寺大仏の写真を撮っていた。大仏にはとくに興味があるわけでもないが。


Korg Gadgetではスケールに合わせてキーボードを切り替えることができるので、Dドリアンにしてアンビエントなパッドをいじっていたら「君が代」が演奏できることに気づいた。要は雅楽の壱越調がDドリアンに対応しているということのよう。

興味が湧いたので更に調べてみたら、雅楽のスケールにエッカートが西洋風の伴奏を付けた。でもむりやりな当てはめのため、最初と終わりはユニゾン(N.C.)だし、基本C/Am調の和音だけど途中でD-G (ドッペルドミナント)が入る、ニール・ヤングみたいなコード進行になった、ということらしい。ソース


なんだろう?コンビニの駐車場があって、その前を走る細い道の向こうには、線路がある。なんだか懐かしい気もするし、すごくありふれすぎているだけにも思えるし。

髪が伸びてきたが、あまり床屋に行きたくない。前髪がじゃまになってきたので、JR東海の牧瀬里穂のCMの彼氏みたいに、赤いバンダナを巻いて、論文書きをする。とここまで書いて、Youtubeで確認してみたら、青いバンダナだった。(<-ファクトチェック)


急に思い出したんだけど、高校生の頃に栗本慎一郎の本(「パンツを捨てるサル」「意味と生命」あたり)を一生懸命読んでいた時期がある。(大木幸介経由での)ドパミンA10細胞(VTA)とか、ウイルス進化説とかいろんなもののごった煮で、たぶん無意識レベルで私にすごく影響を与えている。

中3のときに聴いた「リボルバー」からサイケデリックとか変性意識状態とか神経伝達物質とか、そういう本を読み漁って、私は薬理学の道に進もうと考えた。それからいろいろあって(雑)、なぜか今ここにいる。33年前のちょうど今頃、眼底出血で入院していた高3の自分には想像もできないことだった。


2021年04月24日

「緊急地震速報、サンタさん、冬到来日記2」(さうして、このごろ2020年12月版)

私のはじめてのツイートが2007年12月13日で、それから13年が経ったとのこと。経つなよ。

暮れといえば「スカスカおせち」の時期ですが、あれって2010年の暮れの話だから、ちょうど10周年。あれから世界は色々と変わった。

「老人と子供のポルカ」って1番の「やめてけーれゲバゲバ」しか知らなかったけど、2番は「やめてけーれジコジコ」で3番は「やめてけーれストスト」だったのか。この役に立たない知識を俺は頭に刻み込んで、そのまま消えてゆく。

緊急地震速報のあのフレーズがジミヘンコードであることを知った。|C7(#9)/G|C#7(#9)/G#|だって。ギターのフレット表現だと |x|10|10|9|11|11| から |x|11|11|10|12|12| へスライドアップする。私には弾けなかった。小指セーハで1,2弦を押さえればよいのかなあ?

緊急地震速報のあのフレーズがジミヘンコードだったって以前書いたけど、ウクレレで弾いてみた。|5|4|6|6| と|6|5|7|7| の繰り返し。それにベースG-G#を付加して、トリップホップぽいドラムループを貼り付けた。

pooneil68 · earthquake_alert

今日は頭の中を"Can’t Find My Way Home" (Blind Faith)がぐるぐる回っていたのだが、いつのまにかElectronic版(バーナード・サムナーが歌ってるやつ)に移行していた。

「虚構推理」のギミックってまさにカウフマンの「隣接可能領域」だよな、ということに気がついたのでメモ。

たぶんいま時期をいつか想い起こす日々が来たとしたら、今の時期のことを「納豆とキムチと豆腐の日々」と名付けることだろう。(<-「酒と薔薇の日々」っぽく)

あー、俺のところにもサンタさん、来てくれないかなあ (<-お前が、サンタに、なるんだよ!)


以下、冬到来日記。

(12/8) 今の札幌はぜんぜん雪が無い。一ヶ月前の雪(11/9)が消えて以来、パラパラとは降るけどぜんぜん積もらない。予報によれば月曜は一日中降るようなので、ここで積もるのかも。

(12/11) 札幌は今日の入りが一年の中で一番早い(16:00)。ちなみに日の出は6:56。なんでこんな非対称なの?と調べてみたら、南中時間が11:28と前にズレてる。いまだに理屈を理解できてないが、もうちょっと朝方にして、早めに太陽浴びて季節性うつ対策しておかないと。つか寝る!

(12/13) 自転車を冬期保管所に預けてきた。ここから3月までは自転車の無い生活になる。ギリギリまで粘ったが、期限は明後日で、明日以降は雪の予報なので、たぶんここが最後の機会。自転車を置いて、徒歩で大学まで帰る俺は、まるで翼の折れたエンジェルのようだった。

今日もすっかり遅くなった。帰り道の空気はスキー場の匂いがした。家に帰ってみると、部屋の温度は12度になっていて、いよいよ寒くなってきた。先週は最高気温が5度くらいだったけど、明日からはいよいよ最高気温が0度以下になるらしい。試される大地。

(12/14) 天気予報のお告げのとおり、昨日の夜から朝にかけて雪が降って、道路が真っ白になった。つか昨日までが暖かすぎた。朝はサクサクの雪だったが、夜の帰り道にはこれがぜんぶカチカチになっていて、北13条門の北大通りの信号を渡るときなどは、転倒しないように小股で歩いた。


(12/16) 道路で「ブイーン」みたいな音がしていて、こんな時間にヘリコプター?と(非主題的に)思っていたが、いま気づいた。除雪車か。月曜から続いている雪を削りにやってきた。除雪車ガンバレ、除雪車ガンバレ。(<-戦時中?)

(12/19) ひと仕事終えて、帰りに大学の建物から出てみたら、夜の間に雪が降ったらしく、パウダースノーで足跡が一切ない。これスキーできるんじゃねーの!と興奮しつつ、自分の足跡の写真を撮っておいた。


(12/20) 朝起きたら、けっこうな量の雪が降ってる。大学に行ってみたら、昨日の私の足跡は11時間ですっかり消えてしまい、再びふかふかの雪の中を蹴散らしながら歩くことになった。


(12/24) 今日は生暖かい雨が降って、リハビリの帰りの道は雪が溶けてベチャベチャになっていた。天気を調べてみたら、今日だけ最高気温が5度で、明日からまた最高気温は0度以下になる。つまり今日は車を運転できるチャンスじゃん?と気がついたので、カーシェアで業務スーパーに行って買いだめしてきた。

(12/26) 今日はガチ寒だった。けっきょく雪は夜まで止まず、気温-6度でも風が強かったので、体感温度はもっと厳しかった。明日も気温は低いが雪は降らないようなので、明日こそ買い出しに出かけようと思う。

(12/31) 昨日の夜から朝にかけて再び雪が降ったようで、北大構内はふかふかの雪で車道も歩道も埋め尽くされていた。



2021年03月25日

「小樽行き、赤い稲妻、冬到来日記1」(さうして、このごろ2020年11月版)

楽天の通販で買い物かごに入れた状態で到着予定日が11/3着になってたから購入作業を進めたら、届け先が愛知県のままだったので北海道に変更した。それでもう一回確認したら到着予定日が11/4-6に変わっていて、北海道に住むってこういうことかと思い知らされた。

職場で部屋に鍵を置きっぱなしにしてロックアウトされてしまった。半年ぶり2度め。携帯も財布も上着も何もない状態。知り合いが出てくるのを待ったが、祝日の前ということもあって、17時半にしてすでにほとんど誰も居ねえ。15分くらいかけてなんとか解決したが、マヂ死ぬかと思った。

「コロナボーイ、コロナガール」っていうなんかダンス・チューンのタイトルっぽいフレーズを思いついたのだけど、不謹慎かと思ってリトラクトした。でもあまりのも語呂が良いので、ここに高らかに宣言しておく。(<-すんな)

そういえばSpirea Xの"Sunset Dawn"って"Jugband Blues"だよね。いつかわかってくれる人がこれにファボ付けてくれる日が来るまでは、生き延びようと思う。

「走れ!赤い稲妻!」

今日の授業が終わって、21時前くらいに疲れた頭で北13条門の横断歩道で信号待ちをしていたら、札幌発、北大経由、小樽行き 高速バスというのがバス停に到着したので、このまま俺を連れ去ってくれよ、とか思った。

「進化は予測できない」の例として、キャラ付け要素として「オッドアイ」「モノアイ」「チューリップハット」が出現したことを挙げてみたい。「チューリップハット」にはマヂびっくりした。

榎本喜八の人生、すげえなあ。とくに「神の域」から「奇行」のあたり。おおっぴらには言いにくいけど、俺はこういうのに心打たれるんだ。

さっそく「打撃の神髄 榎本喜八伝」松井浩、読んだ。自分と重なる部分もそうでない部分もあり、この種の突き詰め方をする人生には心打たれるのだけど、あー、もうこれ以上言いたくない。


以下、冬到来日記。

(11/4) 札幌、初雪きた。初雪はすぐ止んで陽が差してた。今日は盛りだくさんで疲れ果てたので、CHAINの演習授業が終了したあとさっさと帰宅。帰ってみると、室温は16度台になっていて、これまでの17-18度から下がってきている。

(11/9) 昨日の夜中は強風で窓ガラスが揺れていたけど、今朝起きてみたら、雪が降っている。(氷の粒だから正確にはアラレか) 先日の雪は一時間も経たずにやんで積もらなかったので、今日のが初積雪か。明日、明後日も朝方は雪らしいので、根雪にならないことを祈る。


銀杏並木は昨日まで観光客が集まるほど葉がたくさんあったのに、昨日の夜の強風であっという間に葉が落ちてしまった。銀杏もたくさん落ちているけど、氷漬けになているので匂いがしない。あとで氷が溶けると臭くなる。冬を越して雪解けしてから匂いがするのは3月あたりに経験した。

(11/14) 長期予報を調べてみたら、次に雪が降りそうなのは11/23。まだしばらくは自転車で活動できそう。

(11/15) 今日は中島公園まで出かけてきた。豊平館とか天文台とかを散策。菖蒲池のほとりのあずま屋からサックスの音が聞こえてきたので近づいてみたら、ご老人がカセットテープかなにか流しながら練習しているようで、メロディーをよく聞いたら「長崎は今日も雨だった」。味わい深い。


(11/16) 今日は実験がない日なのでまとまった仕事ができるぞと思っていたが、各種メールと事務作業をしていたら、もう窓の外が真っ暗だ。というのも、札幌の日没は早い。札幌の今日の日没時間は16:10なので、岡崎市の16:45と比べると明確な違いを実感する。

(11/18) いま15時50分だけど、すでにもう空が暗い。1月に着任したときはぜんぜん気にならなかったのだけど、今は日没の早さを痛感する。こうなると、もうすぐ夜が明けない日が来るんじゃねーの?(<-自然の斉一性への疑念)

(11/24) めちゃ集中できたので仕事が進んだ。帰りに建物を出てみたら、再び雪が降りはじめていて、寒々とした道を、いつもの薄っぺらいウィンブレ(20年着てる赤いやつ)のフードをかぶって、家まで歩いた。


(11/26) アパートの駐輪場は12月半ばで雪のため閉鎖になる。札幌駅北口に冬期自転車預かり所というのがあることを知った。先週末に予約手続きをしてきた。「例年持ってくるのが遅くて、雪の中苦労して運んでくる人がいるから気をつけて」と言われた。あー、私は性格的にギリギリまで粘りそう。


2021年03月05日

札幌近郊をウォーキングしてきた

(11/3) 今日は午前中にウォーキングしてきた。4.22km in 66:47。途中で色々美味しそうなものがあったのでつまみ食い。気温も12度くらいで快晴で快適だった。滞在時間2時間でサクッと戻ってきて、共著論文の最終チェックを開始。そしたら空が曇ってきて、小雨がぱらついてきた。絶妙なタイミングだったらしい。


あと、この街は歴史的建造物を保全活用をしていて、どれも味わい深くてよかった。写真撮るために立ち止まってばかりで、あまりウォーキングにはなってなかったが。



2021年02月05日

「ハングリーバード、Treasure Trip、北大植物園」(さうして、このごろ2020年10月後半版)

「〽今日の仕事はつらかった〽あとは〽ストロングゼロをあおるだけ〽」(<-あおらない)

頭の中で「ガットゥーゲダウェイー ガダガダガダゲダウェイー」ってフレーズが流れるけど、誰の曲か思い出せない。“got to get away” “gotta gotta gotta get away”でググってみたらストーンズ(“Out of our heads”)だった。うーむ、頭の中ではミック・ジャガーの声で再生されていたわけではなかった。

中央キャンパス2号館前のイチョウ並木の写真を撮っておいた。けっこうな数の観光客がいて、みんな写真撮ってた。

昨日の夜、なぜかウィキペの「克美しげる」の項目を読みながら、火曜サスペンス劇場のようだなとか思った。なんでそんなもの見てたんだっけと思ったが、たぶん筒美京平死去のニュースから巡り巡ってそこにたどりついたんだろう。たどりついたらいつも雨ふり。

「ハングリーバード」ってのを考えた。怒ってないの。代わりにめちゃ腹減ってる。…とここまで書いてから試しにググってみたら、そういう名前のゲームがあることを発見した。実在すんのかよ!

「格闘技を習ってホームセンターで働いて裏で弱い人のために戦う人生を歩みたい」 わかるわ(ry 俺も必殺シリーズみたいに、表向き姑に婿殿!とか叱責されて肩身が狭いんだけど、裏稼業では得意の解剖技術で的確に脊髄を撃ち抜いて世の悪人を闇に葬ってみたい。(<-混ざっとる)

西18丁目の保健所に書類を提出しに行ってきた。帰りはミニ大通公園の遊歩道に沿って植物園の裏に出たらなんかすげーいい感じだったので撮影しておいた。



Primal Screamの初期のライブ映像ってのを見たら、"Treasure Trip"のギターのカッティングがまるでTomorrowのようだった。なんだっけこれ?と思って探してみたら、“Shy Boy"だった。つかサビもそっくりじゃね?さっそく"Treasure Trip” "Shy Boy"でググってみたが該当する記載が見つからなかった。世界初の発見を主張しておきたい。

キース・ムーンがハイハット使わない話、昔の映像で確認してみようと思って1967年のBeat Clubの映像を見てみたら、たしかにハイハット開きっぱなしで使ってる形跡がないんだけど、2:16のあたりで一瞬叩いてる。本日伝えたいのはそれだけです〜

ラストチャンスなので北大植物園に行ってきた。混んでるかと思ったらガラガラ。いい天気でゆっくりできた。扇状地の先にあるので湧水池(メム)がある(図1)。ハルニレ(エルム)の林(図2)。オオタカネイバラの実(図3)。


「〽今日の仕事はつらかった〽あとは〽ストロングゼロをあおるだけ〽」(reprise)


2021年01月26日

「フジツボ、ブタにゃん、キツネ」(さうして、このごろ2020年9-10月前半版)

「チーローリアーン」ってAMラジオでさんざん聴いたよなと思って探してみたら、youtubeで見つかるどころか千鳥饅頭総本舗が昔のCMコーナーとか作ってた。実家がメリヤス工場でクーラーがあるのが仕事場だけだったので、夏休みとなると夏休み子ども電話相談とか聴きながら仕事場でゴロゴロしてた。

ついにコバエを殲滅できたっぽい。コバエホイホイを新しく追加してももう捕まるやつがいない。「物陰にアースジェット」「至近距離からアースジェット三段攻撃」などの技法を開発してここまで来た。端的に気温が下がったからとも思うが。ここにアースジェッター吉田の名を返上したいと思う。

「フジツボ」を「フジツヴォ」と発音する練習をしておいた。この技法が役に立つ日が来るときに備えて。


サマースクール最終日のzoom飲みが終了した帰り道、松葉杖をつきながらイチョウ並木を歩いていてふと見上げたら、昨年の葉が落ちずに残っているっぽいものを見つけた。見回してみると同じような黄色い葉は他の木にも見つかった。まるで俺の人生のようだった。(<-そういうの要らない) ともあれ記録。


アマプラに「新しい日の誕生」2814が入っている(ただし1-6曲目までだけ)ことに気がついたのでさっそく聴いてみたら「悲哀」がいちばん良かった。ヴェイパーウェイヴ的意匠をまとったアンビエントって感じ?こっち方面、ちょいちょい見つけては聴くのだけど、いまのところまだドハマリはしてない。

“13th Floor Elevators - May The Circle Remain Unbroken” これ映像も相まって最高にサイケデリックで大好きなのだけど、違法アップロードなのでリンクしなかった。でもいつのまにかライセンス表示されるようになったので、実名アカでリンクできるようになった。


「薬の名前のタイトル曲リスト」ってのを思いついた。いちばん気に入っているのはSebadohの"Dramamine" (酔い止め)なんだけど、他が思いつかない、というかたいがいドラッグになってしまう。'Heroin"とか"Cocaine"とか。"Tylenol"とかあってもよさそうなのに。ググって"Halcion"ってのを見つけた。

野付半島を知った。なにこれ、キーウェストかよっていう地形に惹かれた。レンタカーに自転車積んで行ってみたい。海水面上昇で消えつつあるというのを読んで、これは早めに行っておくべきだなと思った。花が見ものなようなので、来年の6-8月あたりで。

「ブタにゃん」ってのを考えた。ブタなの。ネコじゃない。ニャンニャン。

入院前に髪を切ったのだけど、白髪が中途半端に交ざって、短髪のゴマ塩頭で、スクールウォーズ時代の名古屋章みたいになってきたので、つい気の迷いで白髪を染めてしまった。そんな自分の自意識が恥ずかしい。(<-ファクトチェック:スクールウォーズ時代の名古屋章は白髪ではない)

「ハートのエースが出てこない」から間奏を挟むと、どうしても「北酒場」になってしまう。(<-昭和トーク)


生協食堂に行く途中でリスが木の実を持って飛び跳ねているのを見かけて、おー、なんか北米っぽいと思った。帰り道では中央キャンパスの駐車場をキツネが歩いているのを見かけた。おー、なんか北海道っぽいと思った。建物の隅に隠れたところの写真。痩せ細っているようすだった。


2021年01月23日

「ちのいろ、わが放浪、針尾送信所」(さうして、このごろ2020年8月版)

ザリガニ釣りとか行ったなあ。生ぬるい浅い池で、子どもが夢中になって、でもあれがどこだったか、ぜんぜん場所の記憶がない。たぶん俺はあそこにいたはずなのだけど、あの浅い池に足を踏み入れた生ぬるい水の感じとかは覚えている気がするのだけど、あのとき、俺は一体どこにいたというのだろう?

アースジェッター吉田、アースジェットにつづいて、アース製薬の「コバエがホイホイ」も投入して、アース製薬の回し者に。効果てきめんで、3日で台所でコバエを見なくなった。やったか?(<-フラグ)

「ちのいろ赤血球」というフレーズを考案した。繰り返しでポエジーが宿るかどうかの検討。(<-ポエジーって何?)

北大通りの酔っぱらいがうるさい。フォッフォッフォッ、元気があってよろしい。(<-でもうるさい)

ヨックモックのシガールはハラールだという知識を得た。


昨日北図書館で岩波文庫から「対訳 ランボー詩集――フランス詩人選1」というのが出ているのを見つけた。わたしにとってランボーは人生を左右した重要な詩人で、見者の手紙における「詩人は、あらゆる感覚の、長期にわたる、広大無辺でしかも理に即した錯乱により、見者となる」というのはその後の人生に大きく影響した。

後に13th floor elevatorsのトミー・ホールが1stのライナーノーツに"quest for pure sanity"と書いたときに、私はランボーを思い出しながらそれを読んだものだった。だったのだけど、今からフランス語を勉強しようとも思わないので、本棚に戻した。

でもけっきょく我慢できず「対訳 ランボー詩集」借りてきてしまった。さっそく「わが放浪Ma Bohème」をどう訳しているか見てみたら、Oh ! là là !が「いやはや!」となってて、16歳のランボー青年にはなんかそぐわないなあと思った。ちくま文庫版の訳を確認したいがいま手元にない。


このブクマにある「OOくんパパ」「OOくんママ」はたしかによく使った。ソフトボールのチームでお手伝いしているお父さん同士での会話とかだと、OOくんも下の名前しかわからないので、そもそも名字で呼ぶことが出来なかったりする。

ついでながら、子どもができてから夫婦で「お父さん」「ママ」と呼び合うようになったが、それは子どもの呼び方を共有しているんだと思う。その証拠に、私は自分の母親を「ばーちゃん」と呼んでしまう。それは、私の母親は、私にとっての母親というよりも、子どもたちにとってのばーちゃんだからだ。

いま、子どもたちが大きくなり、つぎつぎと家を出ていく段階なのだけど、それによって、この感覚はまた変化するのかな、と思う。


「道路を方角ごとに塗り分けると、その街のでき方がわかる」(DPZ) これ大好き。札幌中心部の図を見ると、札幌駅から北東へ斜めに走っている道(元村街道)があるが、これも歴史的に古いから。これについては以前書いた

広域図では琴似が函館本線と平行になっているけど、そのなかでぽつんと発寒だけ違う向きになっている。ウィキペに「発寒地区中心部の道路は当初、札幌市の中心街と同様に南北の碁盤の目状に建設されたが、後に幹線道路や鉄道に沿う形で発展していったため」とあった。

発寒の北西にある旧中の川も南北に走っている。これは以前RSRの会場を見にカーシェアで出かけたときに見つけた。さらに札幌の地図を北西に進むと(これはDPZの記事には載ってない) 、手稲駅あたりも南北に道が走っている。ていねっていねっていねーに描くと(ry

創成川が途中で線路のポイントみたいに斜めに切り替えしてるところも味わい深い。つまり北12条通りから北18条通りまで1kmかけて、東1丁目通から西2丁目通までのワンブロック分を切り返している。理由は解明できず。ともあれここが寺尾堀として明治3年完成したことを知った。北海道開発局

ついでに東京の古地図とかを調べていたら、地理院地図で昔の航空写真を見ることができることを知った。1936-42頃の地図洲崎球場を探してみたら、それっぽい扇形が見つかった。解体後っぽいが。


牛乳の賞味期限が近づいていたので、フルーチェを作ってぜんぶ食べた。子どもたちと一緒に住んでいた頃はこうではなかったな、とか思いおこす。

Wired記事: 「人間がクルマをつくっていると思っているけれど、本当はクルマがわたしたちにつくらせている」「人間は明らかに、嬉々としてモノを増殖させています。これは人工生命で、わたしたちは気づいていませんが、その繁殖はすでに始まっているのです」 これは面白い!

針尾送信所のストリートビュー。これいいな!俺がメジャーデビューしたら、アルバムジャケットにはこれを使いたい。

曜日がタイトルに入っている洋楽。私も好きな曲でリスト化してみよう: Blue Monday (NO) / Ruby Tuesday (RS) / Wednesday Morning, 3 A.M. (S&G) / Thursday (Country Joe & The Fish) / Get Em’ Out By Friday (Genesis) / Book of Saturday (KC) / Sunday Morning (VU)

放課後ていぼう日誌を観ていて、ずっと前に子どもたちを連れて潮干狩りに行った日を思い出した。調べてみたら10年前だった。その日は奥さん休みで私が子供連れて行く日で、潮干狩り行って砂抜きして次の日に酒蒸しとあさりパスタを作った。たぶんあれが人生で最後の潮干狩り。


2020年12月07日

「オブリガード、蝉の声、アースジェッター」(さうして、このごろ2020年7月版)

(7/14) 寒い時期は遮光カーテンを閉めっぱなしにしていたが、開け放ったら開放感がすごい。西5丁目樽川通の向こうに北大病院の駐車場があって、街灯が照らす範囲には車が一つも見えない。

札幌に来たタイミングが雪の時期だったせいか、あちらのほうがデフォルトで、雪のない今が特別な状態のような、冬の街を今の街に重ねて見ながら、あの雪はどこに行ってしまったのか、COOPに行くのすら一大決心して出かけたというのに、なんだか当てが外れたような、そんな気持ちになったりする。


(7/15) 「人間知序論I」の吉田担当講義はぶじ終了。講義終了後いろいろ後片付けを終えて2号館から出てみたら、夜の草の匂いが濃厚で、なんか圧倒されたので、スマホカメラで写しとっておいた。



「ありがとう」って言うふりして「オブリガード」って発声してみる、っていう技法をずっと暖めているのだけど、実演する機会がない。

大学生の頃、わたしもショーン・ライダーみたいなジャケット着て、ツーブロックにして前髪かきあげたいと思って、当時行きつけの美容院でその話振ったら「ツーブロックは刈り上げ部分をこまめに揃えないとかっこ悪いですよ」って言われて、俺には無理だと諦めた記憶がある。

んでいまyoutubeのPV見直したら、ショーン・ライダー、ツーブロックじゃないじゃん。(<-イピイピヤイヤイヤイ!)

Yndi Haldaの"We Flood Empty Lakes"がYouTubeからも聴けるようになってた。iTunes上に自分がこれまで聴いた曲の回数が記録されてるんだけど、 2009年から今までで、この曲聴いてる時間がいちばん長い。そのくらい好き。ひたすら祈りが高まってゆく感じなの。


「北海道開拓の村」まで自転車で行ってきた。敷地がデカくて、一回りするだけで2時間かかった。お客に若者が多かった。たぶんみんなゴールデンカムイの聖地巡礼(私を含む)。写真は鶴見中尉が座ってた椅子(旧松橋家住宅)と例のラッコ鍋をした囲炉裏(旧樋口家農家住宅)。



今日は再開した札幌市中央図書館まで自転車こいできた。南22条西14の交差点までやってくると藻岩山が近づいてくる。ここは市電車庫の前で、ドえらくたくさん電線が走っているのが風情があるので写真を撮っておいた。


帰りに市電の線路と分かれる南1条西15で市電を撮影した。なんか昭和感ある町並みだったので、グレースケールにしてみたが、よくよく見たら2020年でないとありえないものが写っていた。


洗濯物を部屋干しして、部屋の灯りを消して、窓を開け放って、北大通りにたまに車が通り過ぎるのを見ながらこれを書いてる。なんか静かだなあと思ったら、蝉の声がまったく聴こえないからだ。そういえば大学構内でも蝉の声を聴いたことがない。

ウィキペでこういう記述を見つけた:「北海道ではエゾハルゼミのほかにエゾゼミやコエゾゼミも生息するが、これらのセミもやはり森林性のため、北海道の市街地では一年を通じてセミの鳴き声はほとんど聞こえない。」

静かだってことは、オケラの鳴き声(「ジー」)もまったく聴こえないということか。岡崎とはずいぶん違っている。


バナナを追熟させるために食卓にバナナを置き続けていたら、コバエが発生してしまった。パスツールの法則間違ってない?

それはそれとして、対策するためにめんつゆトラップ(洗剤入り)を作って食卓に仕掛けておいた。いま最大の懸念は、明日の私が「なんだっけこれ?」とか言って飲むこと。


「万有引力」の「万有」っていったい何よ?と思ってググってみたら、"universal gravitation"だった。じゃあなにかい、"universality"は「普遍性」じゃなくて「万有性」かよ、ってそれはそれでカッコいいな。万有製薬!


「新宝島」の手稲ネタは道民なら手稲のイントネーション(テ(↑)イネ)からして間違えない、という証言(2017年の記事より)。ついでにググってみたら「道産子は三音の地名を、真ん中を上げて発音します…「お↑た↓る」「こ↑と↓に」」道民への道は遠い。

ちなみに愛知県岡崎市のイントネーションも標準語での人名とかで使われる「お↓か↑ざ↓き↓」ではなくて、三河弁では「お↓か↑ざ→き→」(ももクロ」「手羽先」と同じ) (ソース) 当分は使いこなせなかったが、次男のソフトボールの付き合いなどでだいぶ上達した。

JR千歳線の車内自動放送では「て↑い↑ね」と読むので私はすっかり勘違いしていた。しかしこれは道外イントネーションとのこと。さきほどの記事でも批判されている。

ついでに「NHKアクセント辞典 "新辞典"への大改訂(5) 日本地名と「地元放送局アクセント」~積年の課題に解を求めて~」という記事も見つけた。これ見て思ったけど、自分が住んだことないところのアナウンスって俄然どうでもいいな。(<-ヒドい)


コバエ対策にめんつゆトラップを作成したが、みなさんトラップの周りで井戸端会議してやがる。ブチ切れたので、ホーマックまで行ってアースジェット買ってきて、トラップ周りをジェットした。だいぶ効きめあったが、まだ1-2匹残ってるっぽい。殲滅するまではアースジェッター吉田を名乗ることにする。

飛んでるコバエにアースジェットしてもまったく問題にされてないので、あいつら俺の殺意に気づいてもいないっぽい。我々人間が歩いている先に壁があったとしても壁に殺意を感じないのと同じで。つまり、時間と空間のスケールが合ってないと、殺意を含めたコミュニケーションは成り立たないのだな。


自分はむしろ「如何にして善く死ぬか」に目が向くので。これは何かの価値に殉ずるという意味ではなくて、生物として生まれ死ぬだけのことなのだけど。

なにかをやり遂げて死にたいというわけでもなくて、志半ばでいいのだけど、でもたとえば、自分の子供が車に轢かれそうになったときに、躊躇せず身を挺することができたら、とか夢想する。

「なにかの価値のために殉ずるという意味ではない」と繰り返した上で、意図を持たずに自然と体が動いたことによってなされる聖性(ベイトソンの聖なるもの、もしくは禅で出てくるような)、そういうものを心の拠り所にしている、という側面はある。


積んでた「地図の中の札幌」ちょっと読み進めた。なんつうか、文章が簡潔で達意でいいかんじ。ちょっと読み進めただけで、創成川が大友堀として開拓者によってかなり早い時期に作られたこととか、大通が北側の官庁街と南側の民家とを分ける防火帯だったとか、重要な知識がするすると頭に入ってきた。

「地図の中の札幌」読み進めていたら、大正5年の地図に天使病院(北12条東3丁目)がなにもないところにポツンとあることに気づいた。ホーマックに行くときに通りかかるので、名前的にキリスト教系の病院なんだろうなあとは思っていたが、いま調べたら1911年に開設されたそうだ。

あと、明治29年に札幌にあった屯田兵司令部が第七師団となり、これが旭川に完全に移転したのは明治35年、って書いてあって、おお!鶴見中尉!とか思った。(<-現実とフィクションの区別が云々)

「地図の中の札幌」読み進めていたら、昭和30年くらいの地図で、JR桑園駅から北大構内まで引込線が出ているのがあった。当時北大は石炭の大口顧客だったことが理由らしい。地図によると、引込線は工学部の裏を通り、今の北図書館とかフロンティア応用科学研究棟あたりに入っていた模様。


住んでるアパートから北大通りを隔てて北大病院の駐車場が見えるのだけど、この北大通り=西5丁目通り=電車通りは以前市電鉄北線が走っていた

それは知ってたけど、地下鉄南北線が札幌オリンピック直前に開通したのと同時に市電が廃線になったと知って納得いった。つまり、今の南北線が走っている道路は、市電の走っている広い道路よりも1ブロック東を平行に走っている。それに違和感を持ってたのだけど、つまり、市電を稼働させたまま、その隣の道を工事して地下鉄を作っていたからなのだな。たぶん。それが証拠に、両者は麻生で合流する。


2020年11月28日

「ポプラの綿毛、どーもくん、マインスイーパー」(さうして、このごろ2020年6月版)

(6/9) 今日は北大の校内を綿毛が飛びまくってる。調べてみたら、ポプラの綿毛だそうな。下の写真は北大内を流れるサクシュコトニ川で、川面に白い綿毛が吹き寄せられている。それ以外にも大量に風に舞っているのが見える。私のzoomのvirtual背景は今日からこの動画に変更した。


昨日まで気温14度くらいで涼しかったのが今日は25度まで上がったのでこのタイミングで一挙にきたらしい。北大の目抜き通り(ポプラ並木)の道脇にも、こんなふうに白い綿毛が吹き寄せられている。


現在のサクシュコトニ川は復元されたものだが、北大からさらに上流をたどっていくことができる。北大クラーク会館の南に清華亭という古い建物(写真)がある。


その隣の偕楽園緑地をたどり、途中ラーメン二郎と線路を越えると、伊藤邸跡のタワマンの敷地内に水源(湧水=メム)がある。私有地なので中には入れないが。

その道路を隔てた南側には北大の植物園があって、こちらはまた別の川(セロンペツ川)の水源なのだけど、植物園はコロナ以降閉園になっていて入れない。外から覗いてみたら、白い花がたくさん咲いていて、甘い匂いがしていた。

Google mapの航空写真を見たら一目瞭然だった。ラーメン二郎のすぐ西から、細い川の名残りがぐるりと210度くらい回って偕楽園緑地に流れ込んでいる。メムも線路を越えてすぐ、タワマンの北東あたり。

この機会にいろいろ歴史を調べてみた。Wikipediaにあった1891年の地図をみると、清華亭と偕楽園が記載されていて、湧水地は線路の南にある。

この地図(1891年)の段階では北海道大学はまだ札幌農学校の時代で、いまの北大の敷地には「農学校付属農園」と書いてある。札幌農学校の本体は時計台のところにある。調べてみたら、1903年に札幌農学校はいまの北海道大学の敷地に移転している。

「今昔マップ on the web」の札幌市のところを見ると古い地図を見ることができる。1916年の地図では敷地はサクシュコトニ川の南までで、名称も(東北帝国大学)農科大学となっている。北海道帝国大学になったのは1918年で、1935年の地図では大学病院が現在の場所に出来てる。

この機会にもう少し調べてみたけど、札幌の古い地図は「北海道大学北方資料データベース」にいくつかある。ここまで調べたところで「地図の中の札幌: 街の歴史を読み解く」(堀 淳一)という本を見つけた。札幌愛を高めるために読んでおこうと思う。

もひとつ地図ネタで興味あったのが、大覚寺あたりを斜めに走っている道路。札幌は基本碁盤の目なのにこの道(花畔札幌線)はそれを無視しているから古い道なのだろう。Wikipediaを調べてみたら、明治初めに作られたとのこと。途中にある本龍寺は安政に開山。明治以前の札幌に興味を持った。


「にりくにつといとくこいこつ」を思い出した。中1と高3に眼底出血でそれぞれ2週間くらい入院したのだけど、視力検査で提示されるのがこの文字列。いつも同じやつだから覚えてしまった。あれから再発する日が来るのを恐れていたけれど、なにごともなく30年以上が経過した。(<-フラグ立てるな)

「…」「お別れ会で 花を渡した」「団地の下で 手紙を書いた」「土に 埋めた 鍵を 探す」「今も 眠る 口を 閉ざす」「起きる 笑う 腕を 伸ばす」「歌を 歌う 鐘を 鳴らす」「…」

意味もなくWikipediaで「どーもくん」の記事を読んでいたら、「機嫌が悪くなると強烈なオナラをする。」という記載があって、「その設定、要る?」と思わずツッコんでしまった。

3時くらいになって雲が厚くなって、空が暗くなり雨が降り出した。雨雲レーダー見たら一過性のものらしいので外出せずに作業をしていたら、5時くらいですっかり雨は止み、雲は通り抜け、日が照っている。一昨日も一過性の雨だった。これが「蝦夷梅雨」に該当するものだろうか?


いろんなことをわざとごちゃまぜにして考えてみると、世の中のことはたいがい「弱い因果のネットワーク」で、いざある部分だけ見ても制御できないし、責任とか原因とか言われるようなものは分散している。われわれは認識はそのような局所ではなくて、ちょっと引っ張ったら共倒れになる連鎖を見てる。

そういう連鎖を遠くからピンぼけにして見るならば、世界は必然のように動いていて見える。逆に局所に焦点を当てて見るならば、そこから見える世界がぼやけてくる。


(6/23) 廊下を歩いていたらちょうど日没の瞬間だった。19:05くらい。夏至が6/21だから日が長いのも納得だった。


人生やり残したことがあるとか、死んでも死にきれないとかそういうのはとくにないけど、2035年9月2日の皆既日食には立ち会えたらいいなあと思う。あと15年って気の遠くなるような未来に思えるけど、15年前が2005年であると考えると、たぶんあっという間に過ぎ去ってしまうのだろう。

久しぶりにテレビがある環境なので、テレビを点けてみたが、とくに観たいものがない。しかたないので「おしりたんてい」を観ることにした。


「研究とはなにか?」の説明図で、円の中が既知で外が未知で、実際の研究とは、その円弧をほんのちょっと広げることなんだよ、ってのがあるよね(“The illustrated guide to a Ph.D.”)。

あれをマインスイーパーで説明できないかなと思った。理詰めで広げてくんだけど、運頼みのところは多い。うまくいくと大きく領域を広げることができる。

マインスイーパーの例は学生向けの説明にいいかなと思ったのだけど、いま調べたらマインスイーパーはwindows 10には標準搭載されてないということを知った。それじゃあ意味がない。


2020年11月07日

「フキノトウ、マーモット、胃ゾンデ」(さうして、このごろ2020年4-5月版)

(4/14) 北大はすっかり雪が融けて、銀杏並木の道の雪の下から現れるのは、落ち葉と銀杏で、秋がそのまま春にワープしていることがわかる。まさか春の代名詞が解凍された銀杏の匂いだったとは。中央キャンパスの駐車場横も雪解けして、こちらは落ち葉の間からフキノトウが出てきた。


(5/13) ちょうど一ヶ月前に写真を撮ったときは、ふきのとうが出てるところだったけど、ほぼ同じ場所の写真がこれ。花の部分はほぼ終了して、葉柄から大きな葉がどんどん広がっている。


先日の夜、水を補給しにディナーベルに自転車で向かったら、なんかすげえいいかんじの春の空気で、もうこのままどっか遠くまで行きたいって思ったけど、自分を説得して、水2L2本と半額お惣菜を買っておとなしく帰ってきた。

あれはいつだったろう、浪人時代だろうか、夜に自転車で出てみたら、やっぱりこんなかんじのいい空気に胸躍らされて、曳舟から水戸街道を東進して、千葉県に入って車も無くなったあたりで24時もとうに越えて、すっかりテンションが落ちて、引き返して丸八通りの見知らぬラーメン屋に入って帰った記憶。

当時はものすごい大冒険だったような気がしていたけど、いま距離を測定してみたら、たった18kmだった。ママチャリだからたぶん往復で3時間くらいかけたのだろうけど。


こちらがマーモット。こっちがマーモセット。違うでしょ?何も違うでしょ?音がだいいち違うでしょ?音が違うから当然名前も違ってくるでしょ?

マスクが入手できないので、持ってる赤いバンダナをマスク代わりにしたら、変装してる不審者になったので、街に行くときは使えないと思った。

今日はカツゲンの1L入りを買った。ますます道民らしくなってきた。


いまの居室は空調がリモート制御で12時前、17時前、21時前に強制的にオフになる。そのため、集中して仕事をしていると、いつのまにか暖房がオフになったままで部屋がすっかり寒くなっているなんてことを繰り返した。

でも最近は感覚が研ぎ澄まされて、暖房がオフになる瞬間に気づけるようになった。つまり、暖房の音はふだんは意識に上っていないのだけど、オフになった瞬間にそれに注意が向き、ポストディクションによってオフになった瞬間の音変化を意識するという説明。この「気づく前の暖房の音」ってのが面白い。


好きなコードその1。スカボロー・フェアの出だしのカポ7フレでX04030というやつ。むりやりコード表記するならA5(11,13)というべきか。AドリアンなのでAm(omit 3rd)でテンションがb13ではなく13になってる。

好きなコードその2。Vapour Trailのイントロの979900というやつ。イントロは全部1,2弦が開放のシューゲ王道のやつ。コード表記するならE5 on C#とというべきか、C#ルートで解釈するならばC#m7(omit 5)ってわけわからなくなるので。


いつだったか思い出せないのだけど、なんか行き止まりの電車の駅から坂に向かって歩くと、左に折れたところに商店街があって、そこでレコード屋に入ったら13th floor elevatorsのリイシューCDボックスがあったから買おうかと逡巡した記憶があるのだが、あれはBrightonだっただろうか?

ここまで記憶だけを頼りにして思い出した上で、google mapで調べてみたら正解だった。Trafalgar Stから右に入ったいくつかの小路だった。たぶん2012年7月のASSC。これは俺にしか意味がないが、浮上してきた記憶を大切に保管しておく。

そういうスナップショットみたいな記憶の断片がいくつかある。フロリダでのVSSでコンド借りてみんなで泊まったのだけど、なぜか早起きして誰もいない、独特の入り組んだ道を辿りながら、海まで出ようとして、でも出れなかったときの中央分離帯とか。


岡崎の西友前のTSUTAYAは昔は地元系のレコード屋で、駐車場の壁に"Music spin me round"って書いてあって(うろ覚え)、80年代かそれより昔から営業していたことが忍ばれる。CD販売のスペースは以前はワンフロアまるまるだったのに、いまはレンタルCDとレンタルコミックに押しやられ1/4となっている。

発売されたばかりのブンブンサテライツの1stをここの試聴スペースで聴いて即買いしたのを覚えている。視聴できるスペースが各音楽ジャンルごとにたくさんあって、私が知らない音楽がたくさんあると思った。いま急速に無くなりつつある光景だから、私自身があの空気を忘れないように記録しておく。


ここのやりとりが面白い。これを見て思い出したけど、音楽聴くと必ず聞こえる「チッチッ」って音(はじめてそれを意識したのは井上陽水の「断絶」)の正体がわからなくて、それがクローズド・ハイハットの音だと知るためには、ドラムセットの構成を理解する必要があった。

ここまで書いてから井上陽水の「断絶」(曲の方)を再聴してみたら、左チャンネルでクローズド・ハイハットの音とアコギのコード弾きが重なっていて、しかも2番ではフェイザーがかけられていてサイケなテイストになっている。自分にとっては初めてのサイケな音だった(「リボルバー」より前に聴いてた)。

中学生の頃に聴いた岡林信康の「自由への長い旅」のイントロのギター(大滝詠一が演奏している)がすごいいい音で、自分でギターを弾いてもぜんぜん再現できなくて、コードの押さえ方か、ギターに秘密があるのかと思っていたけど、けっきょく鍵はコンプのかけ方だということをだいぶ後になって知った。

「自由への長い旅」のイントロのギターについては、たしか「サウンド・クリエイターのための、デジタル・オーディオの全知識」 に大滝詠一との対談があって、そこで言及されてたはず。図書館で読んだ本なので現物を確認できないけど。

リンゴのドラムの音(たとえばRainとか)はリミッタで潰してあの音になっているのだけど、それは自力で解明した。中学生のころ宅録のために使っていたラジカセでマイクのゲインを上げると、アナログでリミッタがかかったみたいになるので、ゴミ捨て場から拾ってきたスネアでそれっぽい音を作ってた。


コルトレーンの至上の愛の“Resolution”を聴いていたら、ベースソロのあとでサックスが入ってくるところで(0:21あたり)、その0.5秒前くらいから左チャネルでサックスの音が小さく聞こえるのに気づいた。これってマスターテープの段階で裏移りしてると理解してたけど、この現象、調べても見つからん。

昔カセットテープで音楽聴いてたときによく経験した。プログレとかだと、静かなところから急に音が大きくなるところがあるので。録音テープは巻いてあるから、大きい音が入っているとそれが1周前に写ると理解してたけど、そもそもそんなこと起こるのだろうか?調べてみたけど見つからなかった。


解析が終わらないので、気分転換のために体動かそう、キャッチボールとかしてえなあ、とシャドーピッチングしてみた。そしたら右手の人差指と中指の指先がなんか腫れるような感覚が。遠心力で指先の毛細血管が拡張したってことなんだろうけど、こんなこと人生で初めてだったので、加齢を実感した。

「胃ゾンデ」っていいよね。「ゾンデ」だけでもそうとうキテるのに、それに「胃」付けて「イ・ゾンデ」って、音韻的に、胸がキューってなるね!

会議終了したら自転車でどっか気晴らしになる場所に行きたいと思うのだけど、札幌ではまだ開拓できてない。東京なら荒川堤防だし、岡崎なら矢作川堤防だった。どうやら私には川と堤防が必要らしいのだが、豊平川は絶妙に遠い。

報告会が無事終了して、買い物行ってきて、家に帰ってきたら爆睡。スッキリ目覚めた。レジリエーンス!


2020年09月28日

pooneilの膝改造日記

[第1日目] 先月ジョギング中に左膝を痛めて歩けなくなって、MR撮ってみたら左膝の前十字靭帯が全断裂していることがわかったので、再建手術を受けることになった。今日(9/7)から入院で明日が手術。9月23日退院予定。ネットは使えるのでここに記録しておく予定。

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手術の概要はこのあたりにあるけど、

ざっくり言って、どっかから靭帯とってきて、骨に穴開けて靭帯通して、ボルトで留める(<-ざっくりしすぎ〜)。術後すぐは神経ブロックと尿カテーテルで移動不可だと。もう脱走したくなってきた。

病院の説明によると、術後一週間は車椅子か両松葉杖で体重かけずにリハビリ、一週間後あたりから体重をかけながら歩く練習、退院前には片松葉杖で歩く練習、とのこと。先は長い。運動できない分肥満に気をつけないといけないが、コロナで外出禁止なので、間食買いだめしてきた。

病院食はちゃんと量はあって、でも塩分控えめな感じで健康的だった。もしかして間食せずにこれだけ食べればダイエットになるんじゃねーの?

ほんとうは内容的にはFBに書いたほうが、旧友への近況報告になってよいのかもしれない。でもFBだといちいち「悲しいねボタン」とか押されるのも気がひける。そういうわけで、我が心の故郷であるtwitterで続けることにした。スルー気味にウォッチしておいてください。

手術前の検査がだいたい終わったので、仕事ができるようにセットアップした。MBPのバッテリーが膨らんできてヤヴァいので、キーボードとマウスは外付けを使ってる。はっ、これってもしかしていわゆるワーケーションなのでは?(<-チガウ)


[2日目] 毛剃り完了。いま栄養液の点滴が始まった。手術は14時から。

手術無事終了。予定通り14:00スタートで、16:50あたり終了とのこと。

全身麻酔の経験が面白かったので、メモっておく。手術室まで歩いていって、手術台に乗り、麻酔科医の先生と会話しながら(こちらが研究者なの知ってる)、「いまレミフェンタニル入れましたよ」「ああこれで鎮静ですね」「はい、ではこれからプロポフォール流します」「ああたしかに冷やっとしますね、そういえばプロポフォールって懸濁液なんで」というあたりで意識が無くなってた。意識が消える瞬間がわかるのがすごい感覚。

次に目覚めたときは手術室で、はい、目覚めました、みたいなのが聞こえて、わたしもとっさになにか喋った気がするけど、憶えてない。エレベーターに乗せられて、自分の部屋まで連れて行かれて、ベッドの上に載せられるのとか、ぜんぶ憶えているのだけど、たぶんまだしっかりとは目が覚めてない状態。

よく全身麻酔は睡眠とは違って時間が経過した感覚はあまり無い、というけど、たしかに睡眠のあとのような時間経過感はない。かといって、目をつぶって開いたら術後だった、みたいな一瞬の経験というのとも違う。なんとも表現し難い不思議な感覚。

それの理由は、プロポフォールが切れて目が覚めたとはいえ、まだ覚醒しきってない状態が当分続いたからで、じっさいに家族や同僚にスマホからメールを打ったのが18:00くらいなので、60分くらいはまだ目覚めきってない状態が続いていたものと思われる。(術後にTwitterに書き込んだのは18:10)

この時間帯の経験についても記録しておく。ベッドに戻ってきてすぐは、硬膜下麻酔と神経ブロックが効いているので、膝の周りは全く痛みはない。というか触覚自体がない。その先の左足首と指のみが触覚、というか感覚のみがあって、まだ動かすことはできない。つまり、左足先のsense of agencyはないけど、body ownershipはあるような状態が続く。そこから60分たって、いまは左足首と指が動かせるようになり、スネや膝も固定されているのがわかる。


[第3日目] 昨晩は痛みは出なかったのでよかったが、尿カテーテルがなんか違和感であまり眠れなかった。主治医の説明によれば今日から痛みが出るかもとのこと。麻酔科医の説明によれば神経ブロックが切れるのが24時間なので。リハビリは明日からで今日は安静にする。


[第4日目] 昨日は昼から微熱が出た(37度後半)。医師によると手術後に熱が出るのはよくあるとのこと。膝は痛みが出ないのでこのまま行けるかと思ったら甘かった。明け方4時くらいに痛みで目が覚めて、ボルタレン飲んだけど痛みは引かず、そのまま夜が明けた。

朝昼のロキソニンが効いたのか、昼になってやっと左足を持ち上げることができるようになった(痛いけど)ので、車椅子でトイレに行ってきた。今日の午後で抗生剤(セファゾリン)の点滴は終了。術前からライン入れっぱなしだったのがやっと外せるので、嬉しい。チクチクして微妙にストレスだったから。

今日は3時過ぎからリハビリ第一回目。それまでに昼のロキソニンが効いて痛みが減ってくれるとよいのだけど。

膝の痛みがだいぶ引いたので、リハビリも問題なく終了。体を温タオルで拭いて、体温も平熱に戻って、だいぶ頭がはっきりしてきた。(術後はずっと重苦しい状態が続いていたので。) 持ってきた緑本のAICの章を開いてみたが、読む気力は出なかった。来週から本気出す。(あまり出したくないが。)


[第5日目] 昨日も熱が上がり、明け方は膝の痛みが出た。それでもちゃんと眠れたのでよかった。今日からいよいよリハビリが本番突入。午前の一時間で電気刺激や左脚のモモ上げをやって、午後の一時間で両松葉杖(左足荷重0%)の練習や脚の横上げをやった。どう考えても明日は筋肉痛。


[第6日目] 昨晩も微熱(37度前半)が出た。膝の痛みはロキソニンでなんとかなってる。動かそうとすると角度によっては痛いが、要領さえわかればなんとかなる。今日もリハビリで左膝周りの筋力強化と両松葉杖の練習。まだ昨日の筋肉痛が来てないということは明日来るということか。

病院は6時起床、21時消灯で、3食を毎日同じ時間(7:30, 12:00, 18:00)に摂るのだけど、確かにこれっていいなと思った。いつもは腹減って集中力切れたら14時くらいに昼ごはんは生協かセコマだったけど、午後に眠くなったりするので。この機会に朝型に移行できたらなおよいけど、そっちはわからん。

リハビリの時間以外はずっと病室で、トイレに行くとき以外はヘッドの上にいる。気分転換に車椅子に乗って本読んだりもするが、あまり不満もない。とはいえ、外に出たい欲望が高まる情報(旨い店とか)には意図的に触れないようにしているが。なるたけ心が平穏であるように心がけている。


[第7日目] 今日のリハビリは自主トレで脚上げ10回3セット3方向。そのあと髭剃って洗髪してさっぱりしたので記念写真。洗髪台の使い方がヘタクソでTシャツをびしょ濡れにしてしまった。体を拭いてから膝のお皿を動かす運動。左足のお皿周りが見えないことからわかるように、まだめちゃ腫れてる。

EMSでは膝のお皿(膝蓋骨)を引っ張っている大腿四頭筋の内側(内側広筋)を刺激してた。刺激に同期させて、自力でも筋肉を収縮させる。正常側ではお皿の動きで確認できるのでカンタンなのだけど手術した側はお皿を触ってモニタしながら正しく収縮できてるか確認しながら行った。

なんだかんだとまだ膝の痛みは出ている。ロキソニンは一日3回で一週間分処方されていて、たぶんこれ以上は長く飲ませないだろう。明後日までにロキソニン無しでも済むところまで回復してほしい。かなり気をつけて、左足に体重かけないようにしているのだけど。


[第8日目] 昨日は頭が痛くて何もできず。熱も37度前半だったし、明け方は膝の痛みで目が覚める。けっきょくアイシングがいちばん有効で、寝る前にアイシングしてたのがぬるくなって逆に熱を持たせてしまうのが明け方4時ということらしい。


[第9日目] 今朝も4時くらいに痛みで目が覚めたが、対策はわかったので、即ナースコールしてアイシング再開。これで十分眠ることができた。今日のリハビリではついに左足に体重1/2をかけて立つ。鏡の前で「クララが立った!」をやった。写真を取りそびれたが。

午前中には抜糸も済ませた。写真は以下の通り。グロ注意。抜糸は局麻も無しで一瞬だった。手際が良い。そのあと3Mステリストリップで固定。俺が研究で使っているのと同じwwwとテンションが上った。(マーモちゃんは即剥がすが、吉田は人間なので剥がさない。)

今回の手術は、ACL完全断裂の再建 + 半月板裂傷部分を削るという手術で、内視鏡を使って最小限の侵襲で行う、ネットで調べた通りの術式だった。どこから再建用の腱を持ってくるかはそれぞれのようだが、私の例では膝裏内側の腱をとった。このため、アキレス腱伸ばし的な動きにはひきつれを感じる。

今回経験したのはよく確立した術式だったけど、それでも疼痛、患部の腫れ、尿カテーテルの不快感など、しんどいことがいろいろあった。人類の医学の発展はまだまだ不十分だなと実感した。BMIが進歩して健常人への埋め込みを実現するためには、この種の苦痛をすべて取り除く必要があるだろう。

とくに尿カテーテル、あれは人生でもう二度とやりたくない。確かに排尿はできているけど、妙な残尿感があって、手術直後の夜に何度も目が覚めた。けっきょくあの妙な残尿感は尿ではなくて空気だったらしい。後日尿カテーテル抜いた後めっちゃ空気出た。尿カテーテル改善した人にノーベル賞出したい。

今日も夜から37.3度となった。なかなか終わらん。


[第10日目] 今朝も午後くらいから微熱が出てる。リハビリの方は両足立ちでのスクワットがはじまった。左右のバランスが悪い。手でサポートしての左膝の屈曲では、90度曲げたいところだが85度どまり。膝とふくらはぎがまだパンパンに腫れているので、物理的にこれ以上いかない。


[第11日目] 昨晩はアイスノンを置いておいてもらうようにして、朝3時くらいにそれを自分で取り替えて寝たらすぐ眠ることができた。リハビリの方は膝の屈曲やスクワットの要領がだいぶわかってきた。ベッドでも膝の屈曲をするため、ベッドに腰掛けて作業するが長続きしない。


[第12日目] 主治医と相談をして、9/23の退院ということで話が進んでいる。あいにくこれから連休なので9/20-22はリハビリもなくただ寝ているだけとなる。術後2週(9/22)から左足の荷重が体重の2/3となり、両松葉杖から片松葉杖になる。膝の装具も今使っている膝が曲がらないものから膝が曲がるやつに変わる。これらの使い方を全部教わって、その日のうちに退院ということで、かなり慌ただしくなりそう。ともあれ先が見えてきた。退院したら肉と寿司食べたい。

膝の回復の方は、両松葉杖で問題なく歩くことができて、リハビリも日々向上している。ただし、ふくらはぎの腫れは引かない。主治医によれば、膝裏の静脈が詰まっているのかも、ということで、普段はなるたけ装具で締め付けないようにして、いろんな姿勢で膝の屈曲をするようにしている。

ただし、膝下の外転が起こらないように気をつけてる(前十字靭帯に負担がかかるため)。膝の伸長(0度以下の屈曲)も前十字靭帯に負担がかかるらしいが、私の膝は元々健常側でもそっち方向には曲がらないようなので、今とくに問題ではないだろうとのこと。

熱は今日も37.3度。ロキソニン続けすぎでは?


[第13日目] 血液検査の結果、D-dimerの値が大きいとのこと。ふくらはぎの腫れから、膝窩静脈での血栓(DVT)が疑われたので、エコーで検査。もし血栓があれば、血栓が飛ばないように絶対安静で処置だったが、エコーで血栓が無いことが確認できて、とくに方針変更なし。ほっとした。

膝の屈曲のテストも110度までいった。前回測ったとき(~1wk)は87度で、術前は120度だったので、だいぶ回復してきている。ある一定以上曲げると膝周りの腫れで物理的にテンションがかかってくるのと、膝内側の術部(いちばん縫合が長いところ)の痛みが出てくるので、その手前で止める感じ。


[第14日目] ふくらはぎの腫れの対策のため、昨日はベッド上では装具を外して、膝の曲げ伸ばしをしてみた。これが奏功したらしく、今日のふくらはぎ周りの測定では2cm減で右と同じ程度になった。(でも筋肉の減少も加味する必要あり。) 膝の腫れも引いて、お皿の形が見えてきた。

上記の術後5day(第7日目)と比べると、そこから一週間でだいぶ腫れが引いたのがわかる。


[第15日目] 膝とふくらはぎの腫れがだいぶ引いて、膝の屈曲もがんばらなくても90度をキープすることができてる。もうふつうに片松葉杖で歩けるだろう?と思うけど、指示通り両松葉杖で歩行している。腫れが引いてみると、術後の13日で左足の筋肉がだいぶ落ちているのを実感する。

「六花亭の喫茶」ってさんざん通りがかったけど行ったことないな。北大の北20条門近くに「北大エルム店」があるけどここは喫茶がない。札幌駅南口の「札幌本店」はテナントのヤマハミュージックにはなんどか行くのだが、喫茶に行こうと思ったことがない。退院したら行こう。


[第16日目] 今日から膝の装具が、新しいコンパクトで膝を曲げられるタイプになった。いままでは膝固定用でかさばるわ下にずり落ちるわで、装着するのがが億劫だった。新しい装具なら片松葉杖も問題なくできる。これなら日常生活に問題なく復帰できる。いよいよ明日退院。

とはいえ、新しい装具でもけっこう締め付けっぱなしになるので、移動時だけ装着して、研究室でのPC作業時は外している、という運用になりそう。ともあれこれで、中央キャンパス2号館から生協食堂まで往復する目処がついたので、ひと安心。

今回の入院ではいろいろしんどかったけど、コロナのせいで外出禁止というのが堪えた。毎日同じ部屋からの同じ景色で、リハビリに行っても同じ景色で、隣のパン屋の煙突から出る熱で歪む空気を眺めてた。インターネットを窓にして、外に出ようという気持ちを(太陽みたいに)直視しないように心がけてた。

それでも今は「退院したらMARUZEN&ジュンク堂書店 / 紀伊國屋書店 / トリトン / 六花亭行きてえなあ」みたいに思うのだけど、たぶん退院したらどうでもよくなるだろう。「実際にどこかに行くこと」ではなくて「行こうと思えば行けること」さえ叶えば、たぶん私は充分なんだ。(<-感覚運動随伴性?)


[第17日目] いま最終日の診療が終わって、荷造りしているところ。これから午後のリハビリして、入院費の精算をして、これで退院。この部屋ともおさらば。毎日繰り返し眺めたカレンダーと部屋の窓からの風景。あんなに外に出たかったのに、今は、忙しい日常に戻るのが億劫な気持ち。


退院して家に帰ってきた!家を出てくるときに生ゴミ全部処分してきれいにしてきたので、留守の間にコバエ大発生ということもなかった。今日はこのまま休みにしたいところだが、血栓マーカー(D-dimer)の値が今朝も高かったので、念のため別の病院の循環器内科を受診することになった。今日はまだ続く。

循環器内科でエコー検査したら、ヒラメ筋の毛細血管に血栓があるということで、血栓を溶かす薬(リクシアナOD錠)が処方された。もし(エコノミークラス症候群みたいに)太い血管に血栓が見つかっていたら、入院して絶対安静だったということで、大事に至らなくてよかった。

病院を出てみたら、すでに午後6時近くなっていて、周りは暗くなっていた。私が外の世界から隔絶している間に、この街はすっかり秋になっていたということに気がついた。L’automne déjà ! (アルチュール・ランボー)


まだ続きはあるけど、ここまでとしておきます。


2020年07月25日

Snap Cameraで「盛って」みた

みなさんリモートの会議や講義でいろいろ試行錯誤してるところかと思います。わたしはzoomを使ってますが、講義でブレイクアウトルームを使いこなすためにドタバタしてます。

リモートで自宅からの会議、講義となると、背景が生活感溢れてしまうので、バーチャル背景とか使う。ここまでは以前から普通にやってた。でも、同僚と話していて「いろんな条件で、顔を出しにくい場合もあるし、アバター使ったり、映像加工アプリを使うのとかどうだろう」なんて話題になったので、さっそく自分で試してみた。

VRchatでLive2Dのモデル読み込んでとか凝りだすとたいへんそう。Macユーザーなので、FaceRigは使えない。ということでいちばんお手軽なSnap Cameraにしてみた。

yoshida20200724b.png

とりあえず家でヒゲボーボーでも会議に出るためには、図aの"Potato"のようなネタ系でいいと思った。元々ビデオ画面を出しているのは「寝てないでちゃんと話聞いてるよ」ということを伝えることが最大の目的だと思うので。このときの実際の私は図b。

Snap Cameraでは、いろんなフィルタ("lens"と呼ぶ)が選べるのだけど、"Remove Beard"というのを見つけた。図bの状態から、ヒゲをごっそり無いことにしてくれる(図c)。しかもよく見ると肌の色合いとかも変わっていて、SNOWみたいに「盛る」ことができるらしい。

そこでいろいろフィルタを試行錯誤してみて、最大限「盛る」ことに成功したのが図d。お前誰だよっていうかんじ。(最大限盛るために、あらかじめ髭は物理的に剃っておいた。) さっそく会議で使ってみたが、参加者から笑いを取ることができたので満足。

b)の状態から、d)に変えて「盛ってみましたwww」って言って、じゃあ戻しますって言ってc)に変える。これによって今は盛っている自分なのか盛ってない自分なのか、参加者にはわからないようにしてゆくってのを考えた。そう、substitutional reality (SR)のように。

そんなこんなで、元気にやっております。(<-なにか話を畳む言葉がほしかった)


2020年07月20日

「倍音キング/銀河通信」(さうして、このごろ2020年1-3月版)

今年もまだ夢らしい夢はみてないけど、今朝は気がかりだったので、頭の中でずっと「ゆうゆう窓口はいつから開く?」と問い続けていて辛かった。これが初夢といえば初夢だろうか?

無事札幌に到着。札幌駅北口は今日もぜんぜん雪がなくてびっくりした。たまたまらしいけど、地球温暖化してない?=>「全地球的global」は大げさだろ?=>じゃあ「地球の一部」で。=>温暖化っていうけど変化を証明できるの?=>じゃあ「温暖だ」で。=>「地球の一部が温暖だった」という穏当な結論にアップデートした。

ついにベースギター買ってしまった。Bacchusのジャズベのいちばん安いやつBJB-1R。税込み18,700円。その後ろのエレクトリックギターは23年前(結婚直前)に買ったのだけど、ギターを買うのはそれ以来。なんか感慨深い。とりあえずSaturday in the parkのリフ弾いてみた(<=ありがち)


ハンガーラックを作ろうと思って箱を開けて説明書読んでみたら、「ゴムハンマーの使用を推奨します」とか書いてあってブチ切れ。そんなもん持ってねえし!温度湿度計を買ってボタン電池を入れようとしたら説明書に「精密ドライバーが必要です」とか書いてあってブチ切れ。そんなもん持ってねえし!

ホームセンターで大きな荷物を買ってタクシー使って帰る。運転手さんに「愛知から来たんですが冬の運転ってどうですか」と聞いてみたら、アイスバーンどころかミラーバーンがあるよ、とかブラックアイスバーンとかホワイトアウトとかいろいろ詳しく教えてくれた。仕事でなければ冬は運転しないって。


実家の近くを都電が走ってた頃の写真を見つけた。小林酒店があって、これは現存してる。右一つ飛ばしが今の蕎麦屋の福壽庵で、我が家で店屋物取るといえばいつもここだった。わたしはいつも親子丼を頼んでた。母親に見せてやろう。

間奏でぜんぜん違う曲が差し込まれるみたいになるの好き。すぐに思い浮かぶのは"See Emily Play"でいきなり早回しのピアノ曲になるところとか。

"wonderful parade~philter records compilation"ってのをずっと昔に買ってバンド名とか把握しないままに聞き続けてきたけど、2曲めのサイケ・ポップ"YOU ARE AN AIRPLANE"はつくづくいい曲だと思って調べてみたら"of Montreal"というバンドで、Youtubeで数曲聴いてみたらこれは好きだ。20年積んだ。

大通公園をウォーキングしてきた。北大から札幌駅経由で大通の1丁目から11丁目までを辿るコース4kmちょい。たまたま雪まつりもやっていたけれど。


「ベルファスト金山」という芸名を思いついた。なんというか自然の厳しさが滲み出る感じ。

これ素敵だ。Processing3をPythonモードにしてこのコードをコピペすると同じものが再現できる。それでコードをいじると色合いを変えたりできる。fill(i,c,99)の99を255にしたらこうなった。


Supercolliderでも同様にTwitterの140文字でコード書いて音楽作品作るという文化があって、このアカウントがたくさんリツイートしてる。これ聴いてるとキリがない。ほんとうはコードを解読して、使い方を学ぶのに役立てるべきなのだけど、その手前で満足してしまう。


あたらしい場所は中央キャンパス総合研究棟2号館というところで、薬学部の隣、銀杏並木通りとポプラ並木通りの角あたり。というわけでオリンピックのマラソンコースが遠くだけど見える。


「聴かないバンドのTシャツは着ないようにしましょう」 わかる。Grateful DeadのTシャツ着ててもたいがいDead聴いてないだろうからなあ。

私が「Grateful Dead聴くんですか?」と問われたら「拙者60年代の2nd(“Anthem Of The Sun”)あたりのガレージバンドからアシッドテストを経由してジャムバンド化した時代のデッドが好きで候」とかキモオタ語りする気まんまんなのだけど。

札幌の夜は暴走族がいないので週末でもとても静かだ。夜中に道路でゴトゴト言ってる音がしたら、それは除雪車で、それはそれでうるさいのだが、すっかり慣れて風情を感じるようになった。

昔小学校の社会科で学んだときは、豪雪地帯(新潟とか)では雁木づくりとか消雪パイプとか街の設備として雪の対策が行われているという話だったが、札幌は街づくりとして東京と一切ちがいがなく、ただただ札幌市の除雪車が頑張ることでなんとかしているようで、驚きがある。

琴似のイトーヨーカドーとかは駅から直結して行けるようになっていて、雪への対策を感じるけど、イオンモール苗穂とかアリオ札幌などの新しいショッピングモールは駅から離れていて、車で来ること前提で、駐車場が普通に野外にあって、買い物中に大雪になることとか想定しているように見えない。

受験が無事終了した長女を連れて、車であちこちお買い物へ。ここ数年はほぼ毎晩のように図書館とか習い事とかで送り迎えをする生活だったが、これが岡崎では最後の機会かと思うと感慨深い。


持続性のあるネット活動をしたいので、バズらないし炎上もしない状態を維持したい。風野春樹氏のウェブ日記にある「銀河通信」からかけ離れてしまっている自分のブログとツイートには満足してない。もっと謎な心象風景ポエムとか自作曲混ぜ込んでドン引きand放置されたい。

「日々誰に向けているのでもないテキストを淡々と書き、そしてどこかにそれを読んでくれる読み手がいる、ということに心を癒され、直接感想メールが来たりすると、かすかな苛立ちを感じずにはいられないような、そんな「コミュニケーション」」ツイッターのlikeは読み手が見えるのがこれを妨げる。

ツイッターを始めた頃に、私のブログをそのように読んでくれた人がいて、淡白なやり取りを数回か繰り返したのだけど、没交渉になったと思ったら鍵がかかってた、という苦い記憶がある。そういうわけで、こうやって擬態しているけど、私には90年代後半のweb1.0的な部分が残されている。(<-自分語り乙)

こう書いて文面を見返していたら(推敲して投稿し直したりする)、以前ブログに書いたことを思い出した。「部室でジャムった日のこと。」 あれもほんのひととき、通じたかどうかもわからないコミュニケーションの話で、私がそういうのを大切にしているということを再認識した。


名鉄特急に乗ってるところ。新舞子駅に近づくと景色が開けて海が見えるのだけど、その瞬間が好き。何度も見た風景だけど、そしてこれが最後というわけでもないのだけど、別れを惜しむように灰色に曇った海を見送った。

10日ぶりに北海道に帰ってきたら、すっかり雪が融けて、まるで春のようになってた。歩道の雪が融けて、滑り止めに撒いてた小石とか踏み残された土とかが残されて、全体的に埃っぽい感じ。雲のない山に落ちる太陽を記録しておいた。


「高輪ナワタカ」という芸名を考案した。縄跳びが上手いの。

その昔、中学生くらいの頃だろうか、大島中央銀座の古ぼけた駄菓子屋に1回10円でできるギャラガ(そのかわり画面は白黒)があって、そこで小学生に混じって一人ギャラガだけをやるのが俺だった。あとディグダグも好きだったな。同じゲームをひたすらやるタイプだった。

いまぐぐってみたら、wikipediaで「ギャラガ」のネーミングが「ギャラクシアン」+「蛾」だということをしった。いや、昔からそれは知っていたのかもしれないが、昔それを知っていたというメタ記憶がない。敵機がどう見ても蛾なので、そんなこと明白だったのではないかと思うのだけど、メタ記憶は無い。

小学生の頃は駄菓子屋前のアーケードゲームを他人がやっているのを後ろから見るくらいで、自分ではやれなかったはず。ゲームウォッチを買ってもらって、友達のと交換して桐杏学園(代々木校)までの往復30分をゲームに費やしていた記憶がある。

「倍音キング」ってのを考えた。「あなたは偶数倍?わたしは奇数倍。」とか言ってビッグマフを踏むの。(<-持ってねえくせして)

「海へ行くつもりじゃなかった」のタイトルの元ネタが児童文学であることを初めて知った。しかし自分は昆虫図鑑->元素周期表->西村京太郎鉄道ミステリー->太宰治と中原中也、という遍歴で児童文学を完全にスルーしたのでこの辺全く知らない。

図書館が大好きで、江東区立城東図書館と亀戸図書館と深川図書館と江東図書館をハシゴする小学生だったのだけど、いま岩波少年文庫のリストを確認してみたら、一切貸し出しすらしたこと無いことに気がついた。あああのとき俺は老けていた。今はあの頃よりもずっと若いよ(マイ・バック・ページ)。


2020年07月04日

「スピログラフ/東亜飯店」(さうして、このごろ2019年10-12月版)

シューゲといえばタイトルは単語一文字がベストで、SeagullとかParalyzedとか完璧。そういうシューゲ詩語みたいなのを見つけた者が優勝できる。Meltとかいかにも。かといってwhateverとかは違う。こういうシューゲ語感談義を酒を飲みながらやってみたい。人生でそういうことをしたことはないけど。

わたしが小学生のころ、祖母が早川書房の寮母だったので家には海外SFのペイパバック(たぶんペリー・ローダン)がたくさんあった。罰当たりなことに、私は一切見向きもせず、いつしか処分された。あれにハマっていたら人生違っていたのかもしれない。

その頃の私はといえば、ゴミ捨て場で見つけた化学の参考書にハマって、大きな紙に手書きで周期表書いたりしてた。そののち高校で勉強に落ちこぼれた私を救ってくれたのも大西の有機化学だし、大学で薬理学に進んだのもインドール環とかへの興味からだった。そういうわけで、化学のことは愛してる。


はっぴいえんどの2ndの「抱きしめたい」「空いろのくれよん」での大瀧詠一のビブラートはニール・ヤングだなと思って聴いてたけど、同様に1stの「春よ来い」や「はっぴいえんど」のダミ声的アーシーな感じはローウェル・ジョージだと思ってた。でもそれだと計算が合わない。

はっぴいえんどの1stは1970年リリースだけど、Little Featがブレークした“Sailin’ Shoes”は1972年リリースだった。つまりこっちは私の勘違い。推測するに、3rdの「さよならアメリカ さよならニッポン」の録音をローウェル・ジョージが見に来た逸話と混ざったんだろう。


「ADHDの自分が片づけられない理由が分かった。」 これ当事者研究的ですごくいいと思った。まさに注意の処理過程(専門家的には視覚サリエンスと言っておきたい)でなにかが違っていることを言語化している。

と感心していたら、ブクマコメントで「何言ってるか良くわからないところが、精神構造のごちゃごちゃ感そのもの」ってあって、ちょっとショックを受けた。これで伝わらない人もいるんだということは、私もよく知っておくべきだなと思った。

ブクマ全体で見ても、「わかる!」って人と「何言ってるかわからん」って人が混ざっているようなので、とても面白い。なんか人間の認識の盲点がここにありそう。


久々にギター弾いてた。Guitar Rig 5(アンシュミ)のプリセット試していたら、"Kurt in Bloom"とか"Carlos in Europe"とか"Edged without you"とかもじったネーミングが面白いのだが、"Pete won’t explain"というのが一瞬わからなくて、すぐにThe WhoのI can’t explainだ!と気づいた。クイズかよ!

「僕のマルコフ・ブランケットを取り上げないでくれよ」(by ライナス)っていうフレーズを考えた。考えるな。(<-考えてもいいよ)

「僕のマルコフ・ブランケット」とは僕を僕であらしめるものだから、それを公園だろうがどこだろうが、ボロボロになっていても、どこにでも持ってゆくのは当然なの。うーん、深い。深くない。(<-やっぱり深いよね)

KONTAKT5のサンプラーの音を色々いじっていたら、「メロトロンのフルート」ってのを見つけた。鳴らしてみたらまさに「あの音」だったので、"Strawberry fields forever"のイントロとか、Dinosaur Jr.の"Thumb"のイントロとかを弾いて堪能した。

「ど根性ガエル」で町田先生の毎度のセリフが「教師生活25年」っていうアレだけど、大学3年で薬作に入ってからすでに研究者生活25年過ぎてるじゃん、ってことに気づいた。

犬山城下町は毎度ながら19時過ぎには真っ暗で観光客も皆無、やる気あんのかと言いたいが、職場環境としてはめちゃホワイトということで、これは素晴らしいことだと思い直した。


酒を飲まなくなってから、飲み会のために5000円払うことが耐え難くなった。べつにみんなと語り合うのが嫌になったわけではないのだけど。ドトールでアイスコーヒー一つで3時間粘ろうぜ!(<-51歳が言うこと…?)

本日の北大シンポジウムは無事終了。パネルディスカッションのチェアもYing-Tungが活躍してくれた。いろんな人と話ができてよかった。しなければならないことが溜まっているので、ホテルに戻って仕事。

長女から「迎えに来て」というLINEが来たけど、スマン、パパ今日は岡崎にいないんだ…


東亜飯店貼るとかネタを考えていたのだけど、ぜんぜん余裕がない。

「温泉卵」というフレーズを提案したい。「温泉」と「卵」というありえないモノ同士の邂逅。シュルレアリスム。

朝食を食べながら野菜ジュースのパッケージを見たら、「23種類の野菜と現実」と書いてあったので、心の中がポエジーで満たされたのだが、よくよく見たら、「23種類の野菜と果実」だった。

小学4年生くらいのころ、夕方にとてもお腹が減っていて、大島6丁目団地に来ていたおでんの屋台を通りかかったら、はんぺんが5円とあったので、ちょうど持っていた5円を渡したら、屋台のおっちゃんに「15円だよ」と言われて、恥ずかしくいたたまれない気持ちで家に帰ったことを思い出した。あのときの飢餓感が今も俺を支えている。(<-なこたあない、とタモさんが)

解析が終わらねえ…音楽でも聴いて気合い入れるかとモグワイ聴いたら、もっと陰鬱な気持ちになってきた。

はてブコメントより。これ、私の言いたいこととぴったりあってる。なんつーか私には、酔っ払ってしゃべるときの粗雑な感じがおっかない(自分にも相手にも)。初対面の人と距離を縮めるために飲むというのは避けたい。気心知れてガードを下げるのはいいことだと思うけど。

夜の駐車場で、道路の中心線に鎮座しているネコちゃーんが居たので、スマホを持って近づいていったが、このあたりまで接近したところで退去なさった。


夕食食べながら、受験生の長女たちと一緒に「東大生クイズ」的なテレビ番組を見て、答えを当て合うなど。残る人生でもう何度もできないことだろう。

スピログラフってあれか。なるほど「破壊と創造の幾何学模様」だった。すげえ!ちゃんと変則ループものの歌詞になってる!

「クラウド(cloud)・ファンディング」ってのを考案した。どういう仕組かわからないけれど、雲から無尽蔵にお金が落ちてくるの。うちでのこづち!

あと「未確認飛行物体」っていうフレーズも考案した。略して「みひぶ」。

140字まるまる使ってツイートすると「オタクが早口で言ってるかんじ」が醸し出されるのはわかっているけれど、溢れるほどある言いたいことを、切り詰めて切り詰めて、でも誤解を防ぐように一つのツイートにまとめるとしたら、当然こういう文体になるじゃん?って思う。(<-めっちゃ早口で言ってそう)

東京の実家に戻ったら、お茶うけのお菓子を入れた容器に「ナボナ」があった。生きとったんかワレェ、とか思った。さっそくYouTubeで探したら、自由が丘亀屋万年堂自体がCMをアップロードしてた。

ザ・フーの「クイック・ワン」で好きな点は、ラストが「チャン・チャン」で終わるところ。コミックバンドかよっていう。


昨日の忘年会兼送別会では、頼まれてもいないのにウクレレで別れと旅立ちの歌を2曲。ユニコーンの「素晴らしい日々」とスピッツの「楓」で。良い選曲でしよ?二番まで歌ったら妨害された。フルコーラス歌わせてくれ。(<=ただ歌いたいだけ)

ラボの送別会ではあらかじめ贈り物とかは無しでお願いしていたのだけど、まったくゼロなのも残念ということで「日本一高い納豆」の詰め合わせセットというのをいただいた。たしかにこれはいいアイデア。さっそく食べてみたが、大粒で柔らかく、美味かったので幸せになった。

この話には文脈があって、いつも私の昼食はローカーボ志向で激安豆腐と納豆で済ませているので、せっかくなら吉田が自分で買いそうにないものを贈ろう、ということになったらしい。そういうわけで、いただいたときにとっさにトンチを効かせて、「ところで高級豆腐はないのですか」と切り返してみたら、ドン引きされた。

いつもどおり家族と一緒に夕食。今日は特別に奥さんが手作りでピザを焼いてくれてる。次男は腹減ったからなんか間食させろとか文句言ってる。私は引っ越しの準備とか年賀状の印刷とか。ありふれた日常風景だが、1月から単身赴任なので、こういう時間がなくなるのだとじわじわ実感してきている。

クリスマスイブの思い出といえば、大学2年生くらいだろうか、だれともなにも予定がないのだけど、なんだかイブの街の光景の中に混ざっていたくて、自転車で池袋と新宿と渋谷をハシゴして、ただただ繁華街の中を歩いた、そんな年もあった。

その前の年は、穴開きジーンズにネルシャツ重ね着してグランジロック的な(Nirvanaとか)つもりでいたら、友人に「山男?」とか言われてめちゃ恥ずかしかったことを覚えている。よってトレンディドラマw的にバンダナまいてみたいな格好は宇宙神に誓ってけっしてしていなかったことを、強調しておきたい。

自分はあの80-90年代をサイケデリックロックとシューゲと「マリファナ・ナウ」と「完全自殺マニュアル」と「危ない1号」と根本敬で乗り切ったサブカル人間なので、最近のシティポップブーム含めた80年代再評価の流れにはぜんぜん当事者意識が持てない。いや、そこまで強く否定する必要もないか。

そうして考えてみると、時代にチューンできずにサブカルを見出した私が、なぜかゼロ年代にオタク文化(ギャルゲ論壇とか)にチューンしてしまったのは不思議なのだが、ゆえに私は第2世代オタク(ガンダムとか)も第3世代オタク(エヴァとか)に乗り遅れてそのあたりへの興味がぜんぜんない(<-自分語り乙)

なんて自分語りはいいから、いまからラボ行ってもうひと仕事してくる。きっと 想像した以上に 騒がしい未来が僕を待ってる(<-パクった)


「ヌガー」って、音韻的にも、なんか「歯の詰めものが取れそう感」あるよね。

冷蔵庫の扉を開けたら、中の人が油断していたらしく、消灯している状態から点灯する瞬間に遭遇した。今度は通りがかりに後ろ手で開けてみるとか、いろんなフェイントを効かせて扉を開けてみることにしょう。

新幹線に乗っているときに満月が出ていることに気がついて写真を撮ってみたら、ちょうど駅を通過したらしく、意図せずグルスキー感(?)が出たので、記念に貼っておく。


家族と年越し蕎麦を食べながら「浜田、アウトー」みたいなやつを視聴した。

考えてみれば、例年東京の実家で年を越してきたので、岡崎で年を越すのはこれが初めてかも。そしてたぶん最後でもあるのだろう。


2020年06月30日

「ドルフィン・キック/ソクラテスの弁明」(さうして、このごろ2019年7-9月版)

繁華街を歩きながら、座り込んで地図を見ている旅行客とか、交差点で演奏するベーシストとか、暗闇にぼおっと浮かび上がる欄干とか、生ぬるい風とか、人混みを避けて進むジョギングランナーとか、そういうのを横目に見ながら、ブクオフにたどり着いて優雅な時間を楽しみ、白くまアイスを食べた。

「ドルフィン・キック」というのを考案した。イルカの鳴き真似をしながらドロップキック。めちゃ練習が必要(<-おもに鳴き真似の)

あと「アングリー・バード」ってのも考案した。めちゃ怒ってる。手のつけようがない。仕方がないので放置している。どっかへ飛んでいてほしい。銀閣寺。

「ヌガー」って、いいよね。(<-主に音韻的な意味で)

もろもろメール送り終えてラボからの帰り道、図書館の時間外窓口に本返しに行くつもりが、明日の予定とか考えごとしながら運転してたら、自宅に到着してた。私のオートパイロット(ゾンビ)モードが何もかもやってくれすぎて困る。いっそのこと実験と解析もしておいてほしい。

今気づいたけど、JR幸田駅の手前で在来線と新幹線が交差するのか。そんな重要なことではないが、はじめて意識に登ってきたことではあるので、ここに記して永遠の記録とする。


「骨休め」っていいよね。自分の中のガイコツ部分が、なんかアホ面してかぱっと口を開けているイメージ。世界が二つに分かれて、そこに海の水が流れ込む。

いまとくにウナギを食べたいとは思わないが、リョコウバトは食べてみたい。肉が美味で取り尽くされたというのを見ると。

早晩ウナギは絶滅するだろうけど、近い将来、専門店でありえないくらい高額になって、裕福な人がFBで自慢する写真をシラっとした気持ちで見てみたい。

今回の札幌での、全ての予定されてたイベントが終了して、JR琴似駅からホテルに向かうまでの帰り道で、これですべての日程が終了か、という感慨が湧いてきた。空気が涼しくてまるで秋が来たかのようで、なんだかメランコリックな気持ちになってきた。

今日撮った写真だけど、私にはこの画像に、雪が降っていて「夢の跡」が流れている光景が重ね合わされている。メランコリックな気分だから。


札幌からの帰りの電車の中で、和やかにしりとりをしていた家族が、ママの失言で小学生が一挙に機嫌を損ねてブチ切れ、居眠りしてたお父さんに八つ当たりしてお父さんがブチ切れて、ママが恐縮するというなんともやりきれないシーンに遭遇してしまったので、ここに記して永遠の記録とする。

Tom Froeseと会話していて「そういえばフローゼってドイツ的な名前?ドイツのミュージシャンで聞いたことのあるけど」って話をして、思い出せなかったのでその場でスマホでぐぐってみたらタンジェリン・ドリームのエドガー・フローゼだった。クラウト・ロック趣味が初めて日常生活で役に立った瞬間。

「ハクキンカイロ」と書いたTシャツを自作して、それを着ながら冷房のない部屋で汗だくになって、チューニングの合わないギターを掻き鳴らして、隣の部屋から壁ドンされたい。あまりの暑さにセミさえ鳴かず、すべての生きているミミズは地下に逃れる。遠くには鳥居を通して不二が見える。

「ヌフォガエル」ってのを考案した。ヌフォっとしている。つか寝るぞ諸君


先日クリスとskypeで話ししてて、なんか噛み合わないなあと思ったら、クリスが二重否定で話してるのを(「XXでないわけがない」)、私が単純否定だと誤解してたからだった。「英国人的だな!」とか言って笑った。

ブログ記事を作るために数年前のツイートをまとめていたら、「東岡崎からの空港バス」とか「改修工事前の実家」とか「田嶋さんのセミナー」とかそういうものに連続して遭遇した。しばし立ち止まって、心を当時へ飛ばしてみた。

「クラウド・ファンディング」ってフレーズを考えた。雲が、ゆっくりと、通り過ぎてゆくのを、長い時間かけて、眺めつづけるの。ファンディングのほうは知らない。

「来世で」を多用しているので、輪廻転生を信じているとか誤解されないように説明しておくと、来世というものは端的に無いので、「来世でやる」とは「やらない」という意味。“God only knows” = “Nobody knows”なのと同じ。言わせんなよ…

夜の風があんまり気持ちいいから、近くの奈良井公園までビールとつまみ持っていって、夜空を見ながら、たまにKindleで「意識と本質」のII章を行ったり来たりする。こんな気分は久しぶりだ。近所を歩いても新鮮に見える。


誰にも通じない地元ネタ…248号で八帖の交差点越えた北のコンクリート塀が並んでいる佇まいが、千石の交差点を通り過ぎた小石川高校の前あたりを思い起こさせる。とここまで書いてストリートビュー確認してみたら、そんなに似てねぇ。しかも小石川高校は6年一貫制の中等教育学校になってた。時が駆け巡ってる。

「また逢う日まで」を車運転しながら絶唱したりするんだけど、あれってコブシ(メリスマ)の入るところが「なぜかさみしいだ〜け なぜかむなしいだ〜け」で「だ〜」の部分なのが絶妙に難しい。ふつう「しい」の部分に入りそうなものなのに、そうはなってない。ネット探したがだれも言及してないな。


Kindleにダウンロードしたまま積んでた「ソクラテスの弁明」をウォーキングがてら読んでみるか、薄い本だし、と歩き始めたら思った以上に面白くて本編から訳者の解説まで全部読んでしまった。ソフィストとは別に哲学者が誕生したこととか、大学の概念の誕生とか、やっぱ古典超重要だった。

衆愚によって感情で裁かれる状況とか、現在の状況を思い起こされるものもあった。あと、ここで出てくるソクラテスは、死を恐れず金を取らず貧乏で信念を貫くというなんだかロックな爺さんだった。そういうわけでそのうち訳者の「哲学者の誕生 ソクラテスをめぐる人々」を読んでおこうかと思う。

あと、これが「無知の知」の原典なわけだけど、正しくは「不知を意識すること」とあって、それってメタ認知じゃねーの?とか言いたくなってきた。

あと、ソクラテスは「神霊の徴」を聞いているんだけど、それはなんらかの行動(政治的参加とか)を制止する声として聞かれている。これには驚いた。まったく知らなかった。


2020年06月15日

「シケモク先輩/ウォーリーを探せ!」(さうして、このごろ2019年4-6月版)

家の駐車場から西の空を見たらいい感じに空の色が青から緑、黄、赤となっているのに気づいてスマホで撮影してみた。電線が邪魔、と言いたいところだが、電線があってこそ、というふうにも思う。


「ウィスコンシン・カード・ソーティング・テクニック」ってフレーズを考えた。ウィスコンシン州では一番なの。地元じゃ負け知らず。そうだろ?

「ゼロセン」ってのも考えた。ゼロがセンになるの。そんなのって、そんなのって、ほぼ無限大じゃん!

進化生物学とかで出てくる「ボディプラン」という言葉を見るたびに、「ボブ・ディラン」に空目するのだけど、とくに実害は被ってない。


車を運転しながら、DTMで作りかけの曲を聴いてたら急にメロディーが浮かんだのだが、長女のお迎えの時間になったのでそこで中断。メロディーを忘れる前に録音しておきたいのに今日に限ってドンキに寄りたいとか言うので、しかたなくドンキの外で待ってる間にボイスメモで鼻歌を録音。俺いったい何者。

もうちょっとマシな方法はないか調べていたら、Logic Pro XからiOS用GarageBand用にエクスポートできることを知った。ただし、Google Driveには対応してないので、iCloud Driveが必要。あれもこれも使うのが嫌なので避けてきたが、しかたないので無料分だけ使うことにした。

ともあれiPhone上のGarageBandからファイルを開いて、歌用のトラックを追加してみたら、伴奏流しながら歌を録音することができた。ボイスメモだと同時に音楽を鳴らすことができない(自動的に音楽が消音される)のでこうはいかない。

これまで歌入れは家族のいない機会にこっそりとしかできなかったのに、これなら毎日できるじゃん!またもや人生の楽しみが増えてしまった!


「シケモク先輩」ってフレーズが降りてきた。なんか70年代のドラマっぽいでショ。

特急電車で「右側に国宝犬山城が見えます」とかアナウンスが出てた。国宝かよ!とか思って検索してみたら、天守が国宝に指定されている城は姫路城、彦根城、犬山城、松本城、松江城の五つだけ、とのこと。

「コネクショニズム」ってのを考えた。コネ第一主義。(<-チガウ)


「ウォーリーを探せ!」ってのを考えた。ウォーリーは遠いところに旅立ってしまったのだから、そんなところを探しても見つかるわけがないんだ。でも僕らはウォーリーを探さなければならない。おい、ウォーリー、お前は一体どこに行ったんだい?

以前近くの西友がブリットポップやシューゲばかり流すと書いたけど、あれって西友で共通だったのか!はてぶ

そしてついでに選曲終了のニュースも知る。「西友が音楽ファン「お墨付き」の店内BGM選曲を終了? 真相を訊く」 いつだって、謎が解けたときは、謎そのものが無くなっているんだ…(<-意味ありげだがとくに意味はない)

「大西の有機化学」というフレーズが急に浮かんで調べてみたら表紙画像があった。高校の物理の試験で100点満点で5点を取って絶望していた私を救ってくれた大西の有機科学。


研究所の東門で飛行機雲があるのに気がついたので、スマホのパノラマ写真機能を使って撮影してみた。だからなんだと言われても、答えはヴェイパー・トレイルのように雲散している、としか言いようがない。


「サバミソグラフィー」ってのを考案した。「グラフィー」つけると大概なんとかなる。「サバミソイズム」ではダメ。全然わかってない。「サバミソレスク」は狙いすぎ。見ているこちらが共感性羞恥。わかるかなぁ?わっかんねぇだろうなぁ(<-昭和)

「【のどごし<生>】ブランドサイトはこちら」「お~いお茶ブランドサイト」というのを見ると「ブラインドサイトblindsight」と空目するのは俺ちゃんの職業病だ。わかるかなぁ?わっかんねぇだろうなぁ(<-もういい)

「ラーハン」と「チャーメン」を組み合わせて純化することによって「ラーメン」と「チャーハン」を単離することに成功しました!(<-モルダー、あなた疲れてるのよ)

「うどんこ病」ってのを考えた。「そもそもなんでうどん粉なんだっ、小麦粉でもいいじゃないかっ」って粘着してきてすごくウザいの。お花を大切に!


2020年05月25日

「ノルウェイの森/Campfire guitarist」(さうして、このごろ2019年1-3月版)

「ウニカレー」が食べたい。カレーなの。ウニは入ってない。ただ、ウニのように黄色いカレーなの。何の変哲もないカレーに「ウニカレー」という名前をつけたことによって始まる、回り道に回り道の苦難。ジャン・バルジャン。

「こういう地方都市って多い」こういう話題大好き。東岡崎駅も川を隔てて離れたところに城と旧市街と西三河庁舎がある。JR岡崎駅はさらに南3.5kmのところにあって、しばしば鉄道忌避の例として挙げられる。(がwikipediaによると本当は違うらしい)

「ボルゾイ」っていいよね!と思ってなんとなくググってみたら、鳥取のボルゾイ・レコードというのを発見。なんか惹かれた。鳥取に行く用事は当分無さそうだけど。

長男の発案でフェルメール展行ってきた。11時からの時間指定のチケットを取っていって、20分並んで入場。中もけっこう混んでいたが、まあ全部見ることができてよかった。なによりも母と子どもと三世代でこういうのに行くというのは貴重な機会となりそうだ。


「ノルウェイの森」の最後の“So I lit a fire”ってところは、一人残されタバコに火をつけ「でもNorwegian woodも悪くないね」と苦笑い、って理解だったけど、「風呂で寝ることになってしまった復讐をするために、その場所を燃やしてしまうことにした」とWikipediaにあって、マヂかよ。

たしかに、持ち主のいない部屋に火をつけて、「おー、ノルウェイ製の木材ってよく燃えるな〜www」ってイギリス的な?ブラック・ユーモアが利いているとも言えるか。


マグフーズで鶏皮 200gで安売り100円というのがあったので2つゲットした。フライパンで焦げ目つけようと火にかけたらスゲー油出て、最後は素揚げみたいになった。モヤシとシメジ(計120円)と合わせて炒めて食ったら多幸感が溢れてきたが、油は多すぎて捨てた。食い過ぎで腹が苦しい。

「ポピヨドン吉田」という芸名を考えてみた。ついでにポピドンってなんだ?と思ってwikipediaを調べてみたら、ヨードを溶かすのにエタノールではなくてポリビニルピロリドン(ポビドン)を使うことで刺激性を下げたのがポビドンヨードだということを知った(<-ペーパー薬剤師)。

ひさびさにフレスカに行ってジェラートを。毎度の親父の「不味いよ」も聞けて満足。「いやいつも来てます」とか返したら、「今日は不味いよ」ってそこ粘るのか。イチゴ、パイナップル、栗のトリプルで、たいへんよかった。

父親の形見のウインドブレーカーを母親が送ってきたけど、そんなに古びてないのでここしばらくそれを着ていた。ふと気がついたら腕の先の方に画鋲みたいなものが入っている。ポケットと繋がっているところまでずらして取り出してみたら、ゴルフで使うボールマーカーだった。潮来カントリー倶楽部。

「ランランとカンカン」っていうコンビ名を考えた。ランランは目が爛々としている。カンカンは頭を叩くとカンカン鳴る。二人が協力して窮地から奇跡の脱出をする。


あーあ、棚からボタ餅落ちてこないかなー(<-ダメ人間)

長浜の街を歩いたら、片方の通りはジャズが流れていて、まあありがちかなと思っていたら、もう一つの通りはThe Smithsが流れてた。この曲なんだっけと思い出せずにいたが、調べてみたらMeat Is Murderの一曲目、The Headmaster Ritualだった。

「スイート・ホーム・アラバマ」を聴いてた。例のニール・ヤングをディスるくだりだけど、呼び名がMister Young->old Neil->Neil Youngとなるんだけど、だんだん怒りが爆発してゆく感じなのだろうか。「吉田氏がxxしたそうな->正俊おじさんはxxしたそうな->吉田正俊は覚えておけよ」みたいな。

0時過ぎて論文のドラフトを共著者に送って疲れた頭で家に帰ってみたら、長女がドンキに連れて行ってくれという。どうやら学校のバレンタインのイベントかなにかでいろいろやっているらしい。仕方ないのでいまドンキまで送って待っているところ。(<=まんざらでもない)

"Avicii"の名前の由来が「阿鼻地獄(avīci)」(「阿鼻叫喚」の阿鼻)であることを知った。

Webの音楽サイトで「あなたのギターのレベルを教えてください」ってのがあって、選択肢がTotal beginner / Three-chord strummer / Campfire guitarist / Garage-rock guitarist / Rock-star guitaristってなってるのがなんかウケた。これから"Campfire guitarist吉田"を自称したいと思う。

キッチンで考えごとをしながらスティックコーヒーの袋を開けたら、顆粒を床にぶちまけてしまった。やっちまったと思いつつ考えごとを継続して、水で湿らせたティッシュで顆粒を集めたら、こんどは顆粒が溶けて床がコーヒー色になった。そこでやっと正気になって「誰もお前を愛さない」を思い出した。


空いてない電車では立つように心がけているのだけど、先日の名鉄電車で、ついに生まれて初めて自分より若い人に席を譲られた。そんなの受け入れるわけにはいかないので、気づかぬふりして別の車両に移った。白髪を染めるのは止めてたけど、老人扱いされるくらいならと白髪染め買ってきた(<-泣ける)

「トロイの白馬」ってのを考えた。しかも正体はユニコーン。大空を駆け巡りたまえ。

「ジョニ黒」ってのも考えた。めっちゃ黒い。極黒の鳥。NASAもびっくり。黒く塗れ。直感を越えて。 ルーツ牛乳かと思ったら豆腐だった。むかしの潜水服。止むことのない雨。

「モンドリアン図形」ってのも考えた。もんどり打って倒れたら、このザマよ。海風が強くて、肌がベトベトするんだ。


2020年05月20日

「かに道楽/アーメン・ブレイク」(さうして、このごろ2018年10-12月版)

「うな丼」ってのを考案した。丼の水の中にシラスウナギが泳いでいるの。それを眺めて過ごす。観賞用。

「情熱大陸に上陸したい」とは思ったことがないな。「吉田正俊の朝は早い」とかナレーション付けられたいと思ったことはないな。そもそも吉田正俊の朝は遅い。

「ブラジリアン柔術少年とモンゴリアンダンサーの詩」っていうタイトルを考えたのだが、今ではこれは「文化の盗用」になるのだろうか?

シド・バレットの名曲Octopusって"close our eyes to the octopus ride"だから「タコに乗って海を探検」的な歌かと思ってた。でも歌詞を読んだらぜんぜん海っぽくないので、遊園地の「オクトパスライド」のことであることが判明した。つかたぶん"Terrapin"と混ざってた。


小学生の頃、流行っていた玩具を親にねだると、父が買ってきたのはきまって安物のパチもん(紐が軸で空回りしないヨーヨー、すぐばらばらになるルービックキューブ)で、憤慨して泣いた記憶がある。

だから今でも、コレジャナイロボ的話題を見ると心が乱されてしまう。

そのなかでもいちばん強烈な記憶は、弟がファミコン買ってほしいとねだったら、父親が買ってきたのはセガだったとき。しかも不人気ソフトとの抱き合わせ販売で、モナコGPもギャラガもなかった。けっきょく数年後にファミコンを買うことができた。バブル期で父の収入も上がっていく時期だった。

コンビニまで散歩、とドアを開け家を出てみたら、昨日の草刈りのせいか青臭い冷気が漂っていて、なんだか胸を締め付けられるような気持ちになった。誰もいない緩やかな上り坂を歩いていると、遠くから団らんの声が聞こえてきて、人がまだ活動していることを知る。

「エターナル・ゴールデンハムスター」ってなんだっけ?と思ってぐぐってみたが出てこないので、そういうものはとくに無いらしい。

疲れ果てたが、夕食前に仮眠したら回復した。このまま寝ると夜中に起きそうなので、夜の岡崎を車で流しながら、音楽を聞いてた。そしたら商工会議所通りの下り坂の先にある、雨上がりの霧がかかったような空に、イオンモールの過剰な明かりが反射して、白くけぶっているのが見えた。


マーモちゃんの世話を終えて、肉食って、伊賀川沿いを経由して図書館へ。ん?ネコちゃん!ネコちゃん!今日は休日らしい休日。


伊賀川は護岸工事ですっかりきれいになったけど、何度か大雨があって、すっかり上流の土砂が堆積していて、知らぬ間にこんな形になっていた。こんなものを記録しても意味などないのだけど、それでもそれが存在していて、それを見ていた人間が居たという証拠を残すためだけにこの画像を貼っておく。


「かに道楽」って遊びを考えた。ばらばらになった蟹の甲羅から、正しい組み合わせを見つけるの。古くは貴族も嗜んだらしい。

今朝は電子ドラムが空いていたので、「アーメン・ブレイク」 をマスターしようと思って練習してみたら、クッソ難しい。ライドシンバルを8分で叩きながら3拍目の裏に16分二つのバスドラを入れるのがこんなに難しいとは。シナプスからフィロポディアが出入りするのを実感した。

“When the levee breaks”でバスドラが入るところはアーメン・ブレイクと同じ(3拍の裏)ということに気がついた。こっちのほうがゆっくりなので(70 bpm)、とりあえずは叩ける。あと、ハイハット8分音符をキープしながらバスドラで16分音符2つをどこでも入れられるように練習してみた。難しいが楽しい。

「イリュージョニスト」ってのを考えた。イリュージョンをみるのが得意なの。(<-チガウ)


「世界一の新宿駅の隣で超ヒッソリの“あの駅”」ということで小田急線の南新宿駅が採り上げられていた。中学受験をしたときは桐杏学園の代々木校に行っていたので、このあたりで買い食いしたもんだった。今調べてみたら、幼児教育専門として生き残ってた。

私が通ってた頃は、開成中の隣りにあった西日暮里校が有名だった。年末から正月をまたぐ講習(「正月特訓」)では、朝校舎の周りを鉢巻姿でランニングして、「開成!合格!」とやるのをテレビが報道する(受験戦争の加熱の例として)というのが恒例だった。私もやった。「開成!合格!」


2020年05月01日

「ペンギン仕立てのカエルさん/おでん星人」(さうして、このごろ2018年7-9月版)

ひさびさに豊田市立中央図書館まで本を借りに行った。片道30分かかるので、そのあいだに「世界はいつも夜明け前」かけながら練習した。だいたい6回ぐらい聞き直して歌えるようになった。キー下げなくてもギリギリいけた。

そうして考えると、歌詞カードを見なくても歌える歌を持つことが財産なのだということに気がついた。これまでたくさん洋楽を聴いてきたけど、けっきょくのところ歌詞カードを見なくても歌えるのはビートルズとニール・ヤングだったわけで、けっきょく俺は「ビートルズおじさん」だったのかとも思うが。

「偽タクシードライバー」ってのを考えた。タクシーなんだけど一日中街を流しているだけなの。人は乗せない。手を上げても停まらないから客激怒。でもって車には通信カラオケが設置してあって、1曲歌うとスイカに100円入金される。謎の「機関」から。8時間で100曲で1万円計算。ああ忙しい。


英語で会話していて聞き取れなかったときに、わかった顔せずに聞き返すよう心がけているけれど、固有名詞、とくに人の名前は鬼門だ。以前誰だったか「ロッジャレモ」ってのがわからなくて何度か聞き返したらRoger Lemonだった。これは自分が「ロジャー・レモン」ってカタカナ読みしてる証拠だった。

いつものドイツの共同研究者は聞き取りやすい英語を喋ってくれるのでだいぶ助かっているのだけど、マイクロサッカードの研究者Michele Rucciが「ミケラルチ」だったときは難儀した。イタリア名だからミケーレなんだな。あと基本フルネームでも繋げて発音するんで分節化に失敗する。

コンビニのロックアイス400gに100%グレープジュース500mlを注いでストローでチューチュー飲んだら多幸感が溢れてきた。

グーグルマップでアムダリア川を追いかけながらどこで水が無くなっているかを調べた。


疲れ果てて元町でぼっちホルモン。ひさびさにすたみな太郎以外の肉食ったので幸せになった。もうちょっと幸せになってもいいんではないの?と自問自答する。


センマイ好きでないんだけど、なんかセンマイが多いぞと思ってまずセンマイだけぜんぶ焼いて食ってから、シマチョウとかハラミとか好きな部分を焼いたらご飯が足りなくなった。よくよく考えてみれば、好きな部分だけ食べて好きでないものは後回しまたは残す、でよかったんじゃないかと気づいた。


以前も書いたけど、自分はいつの間にか頭の中に鮮やかなvisual imageryを作ることができなくなっていた。いつからできなくなったのか、それともはじめからできなかったのか、それすら思い出せない。でも音楽に関してはいつでも頭の中で鳴らせる。

いまもニール・ヤングのcowgirl in the sandのイントロのギターが鳴ってる。もしかしたらこれも消えてしまうのかもしれない。でもはじめから存在しなかったわけではなかったんだと、そのことを証明するために、web上に書き込んで永遠の記録とする。

いまは"A Tair"が流れている。望めばいつでも「えいえんのせかい」への序曲を流すことができるのだ。


明治38年の東京府南葛飾郡全図というのを見つけた。当時は新大橋通りはまだ無くて、羅漢寺が新大橋通りをまたぐように位置しているとか、自分の実家あたりは何もない原っぱだとか、竪川にぜんぜん橋が架かってないとか、なにもかも味わい深い。

FMラジオ聴いてたら「夏に聴いたら死にたくなる名曲ベスト3」ってことで「パラノイドパレード」きのこ帝国が流されて、蒸し暑い夏にはシューゲの音とけだるいボーカルがよく合う、って紹介されてたので、わかるわ〜と思った。

「ペンギン仕立てのカエルさん」というフレーズを考えた。中身はまだない。「チューリップのアップリケ」と韻を踏んでる。踏んでない。


長男は20歳の誕生日を迎えたので、今度の1月は岡崎で成人式。超感慨深い。そして私の人生はすでに余生となった。

ふと思いつきで「人生」でググってみたが、役に立ちそうな情報はなかった。


「一目置かれる」ってフレーズを見てひさびさに思い出したけど、中学生の頃の通信簿に「クラス内でも一目置かれる存在」と書かれたことが密かに自信になっていた。これは私にとって最上位を占める価値観で、私は「一目置かれる」存在になることさえできれば、社会的な意味ではだいたいハッピーだ。

つまり、社会的な意味では「仲間の中心でいたい」「憧れの対象になりたい」「競争相手に勝ち続けたい」「相手を自分に従わせたい」「頼りになると思われたい」「誠実だと思われたい」といったさまざまな欲望があるわけだけど「一目置かれる存在」になりたい。「尊敬されたい」というのとはちと違う。


ヘシェル海江田っていう芸名を思いついた。ヘシェル回が発達してる。ただそれだけー(<-発達とはなんだ?)

人生で初めて、ホテルで寝ている間にベッドから落下した。枕ごと落ちたので頭を打たなかったのが幸い。落ちていく間の浮遊感は記憶しているけど、ベッドの縁から落ちた瞬間の記憶はない。Postdictionの時間幅はそのくらいらしい。(<-ホントか?)

「オデッセイ」かと思ったら「おでん星人」だった。びっくりしたなーもー


こっちは別の日に行った北野廃寺跡。岡崎市にも白凰時代に法隆寺と同じような構造の寺があったという証拠。いまは何もないただの公園だが、わずかに塔の土台の丸い石と講堂の基礎の四角い石が並んだものが残されている。クソ暑い8月の日で、地元の老人会とおぼしき集団がみんなで草取りをしていた。


こちらの記事を見るかぎりだと、いま矢作川の東岸にある「大門」という地名はちょうどその西岸にあった北野廃寺の山門だったことが由来とのこと。要は矢作川を遡ってここまで人が行き来していたのだな。

ここまで書いておいてなんだが、歴史には特に興味がない。


2020年04月30日

「汎神論的な悪意/カニチャハーン」(さうして、このごろ2018年4-6月版)

活字中毒。文字メディア大好き。チラシでいいからなんか読んでいたい。ネットラジオとか映像や音声で流すものはほとんど聞かない。TEDですら、英語の勉強だと思って我慢して聞くけど、内容知るためにはtranscriptで済ましたい。音声だと文字のように飛ばし読みできないってのが耐え難い。

先日松屋に行ったら自販機に「大盛りカレー単品」ってのがあったので、サラダとか味噌汁とか無しのことかと思ってそれ頼んだら、「ご飯抜きカレールーだけ」が来た。いまさらご飯追加お願いするのもおっくうで、そのままルーだけ食べてみたら、意外に腹いっぱいになって満足した。よかったね!

カップラーメンにモヤシをトッピングする技法を探求している。普通にカップラーメン作ってモヤシを乗っけるとスープが薄まってしまう。試行錯誤の末、カップラーメンにはお湯半量、モヤシに粉末スープをかけてレンチンして水分を出させて、これらを合わせるようにした。これで私のQOLは25倍になった。


吉岡実の「サフラン摘み」を読みたくなって図書館で探したのだけれど、「吉岡実」という名前が出てこなくて見つからなかった。いま気づいたけど、「吉野弘」とごっちゃになってた。

「ストロングゼロ文学」を理解するためにストロングゼロ ダブルグレープフルーツ 350mlを買った。飲みはじめて、ああこれは以前間違えて買ってぜんぜん飲めなかったやつだと気づいた。しかたなく閉店前のイーオンで半額になっていたアジフライで流し込み、吉岡実全詩集を開いて文字を追う。

「すぐそばにタコのメスのみひらかれた眼がある それには汎神論的な悪意が感じられる」 …汎神論的な悪意!イイね!

駅でSuicaのチャージしているときに機械が「チャージ中です」って言ってるのを聞くと「チャージマン研!」の変身バンクが頭の中でリフレインする。ジュラル星人にSuicaを奪われないように、慌ててカードを引き抜く。

自分がいちばんお金をかけたのは楽器だろうけど、エレキギターは20年前に買った島村楽器のES-335模造品(当時5万円)だし、中2で買ったアコギ(当時2万円)は長男に譲ったし、ウクレレは15年前に買ったフェイマスの入門用(FS-5, 当時2万円)を修理して使ってる。トータルで10万円行ってない。質素すぎない?


今日の任務を無事終了させた。高安ですじラーメン。 腹一杯なので鞍馬口駅まで歩く。まだ岡崎に帰ってから今日締め切りの仕事がひとつあるが、あと一時間くらいで完了するだろう。良い一日だった。

実存的な不安に駆られて眼を開けたら、名古屋駅だった。っぶねー、乗りすごすところだった。


どっかの地方都市に出張したときに線路沿いにある城跡公園をぐるっと歩いたけどあれはどこだっけと記憶を辿ってみたが、山形だということに気がついた。そうそう、この東大手門を渡った憶えがある。駅前に戻ってジャスコ的なスーパーでお惣菜買ってホテルに戻った。

ひとつひとつ数え挙げてみる。広島、富山、高岡、新潟、甲府、長崎、熊本、札幌、仙台、長野、高山、山形、花巻、那覇、せいぜいこのくらいか。旭川も福井も秋田も岡山も山口も博多も大分も鹿児島も行ったことがないな。四国には大学の卒業旅行以来足を踏み入れてないし。(首都圏、関西、愛知は除く)

東海道新幹線沿いはあるか。小田原、熱海、三島、沼津、焼津、静岡、浜松。遺伝研に行ったときの三島はなんかいい感じのところだったな。三島広小路駅、好き。


夕食に帰ってみれば、奥さんから鳥川までホタル見に行こうとの提案。Web情報によると今日がベストコンディションらしい。たしかにたくさん飛んでて最高だった。写真部に入ってる長女が一眼レフで露光時間延ばして撮影したのを送ってくれた。いい一日だった。


小雨降るなか車を走らせて、土井町で右折して田んぼだけの真っ暗な道を通り抜けて、美矢井橋まで出てみると、真っ黒な河と遠くの街の光が見えた。渡橋を通って戻ってきて、TSUTAYAでよつばと!の最新刊をレンタルして、店の前の電灯の下で全部読んで(<-マイルドヤンキー)、リフレッシュした。

よつばが自動改札でおっかなびっくり切符を入れて一喜一憂している様子をコマ数かけて描写しているのを見ると、親目線で涙が出てきちゃう。そうやって私は、三人の子供が成長するところを見届けてきたので。

紅葉が満開の東公園の池の横を通る砂利道を勝手に先に進んでいく子どもの姿を見ながら私は後ろを追いかけていく。ああこの光景を私は懐かしく思いだすだろうと思った記憶がある。でもあれは長男だったか、長女だったか、次男だったか。それすらも思いだせないのだけど。


おっさんカラオケしたい。「ボヘミアン・ラプソディ」とか「天国への階段」とか「ハイウェイ・スター」とか「ホテル・カリフォルニア」とかバンバン曲入れてみんなでマイク奪い合って全員で歌うの。

あとオタクカラオケもしたい。もちろんJOYSOUNDで。「鳥の詩」とか「Rumbling hearts」とか「同じ空の下で」とか「true my heart」とか「青い記憶」とか「Little Busters!」とか「空気力学少女と少年の詩」とか歌うの。当然キー下げるのは禁止。


車でアルバム「断絶」を歌いながら岡崎の街を警備。「人生が二度あれば」は父を亡くしたばかりの私にとっては泣かずには歌えないので、泣きながら歌う。この感情を探ってみたのだけれど「人生が二度あれば」って二度あったってしょうがないんだよな。子どもを育て家族のために年老いた母にとっては。

それでも「二度あれば」としか言いようがないし、若い歌い手が拙い表現として「二度あれば」と歌っている。そしてこのアルバムで歌われている感情はすべて、最初の曲「あこがれ」が提示しているように、ステロタイプな「あるべき姿」が失われた世界の話となっている。

だから「二度あれば」も子供じみた願望を、そんなものは失われた大人の世界から歌っているはずなのだ。同様に「断絶」も「感謝知らずの女」も「愛は君」も「限りない欲望」もそれらの感情はぜんぶ相対化されるの。竹田青嗣の陽水論でも似たようなこと書いてた気がするが、手元にないので確認できない。

一方でアルバム「断絶」は陽水的にはコミックソングとして作ったんでないかという節もあって、「小さな手」で間奏がいきなりムード歌謡になる(サックスソロと伊勢佐木町ブルース的吐息)とか「断絶」のやけくそな歌い方とか「ハトが泣いてる」がなぜかブラス・ロック的なアレンジであるところとか。

わざわざググって「伊勢佐木町ブルース」というキーフレーズを探し出す俺エラい。(<-偉くない) しかもどうしても思い出せなくて、「お色気BGM」でググると「タブー」とか「哀愁のヨーロッパ」ばかりで、しかたなく「テレッテテレレレッテレ」でググったら見つかるという驚きを伝えておきたくて。

「あこがれ」がオルゴール曲の序曲で始まって、「家へお帰り」のエンディングが同じオルゴール曲で終わって、そのあと曲間が少し開いて「傘がない」が始まる。これはサージェント・ペパーズでの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」と同じなので、「傘がない」はそれまでの曲と別の位置づけになってる。


「うにラーメン」が食べたい。うにがビッシリ入ってるの、殻だけ。中身は無し。しかも汁なし。そんなの食べたくない。寝る。

本日の「一度使ってみたいフレーズ」は「おいおい、そいつはちょっとパッショネイトすぎないか?」で。「パッショネイト」好きなんだが、パッショネイトな奴がなかなか見つからないので使う機会がない。

「カニチャハーン」が食べたい。「カニチャーハン」ぢゃないの。キラー・カーン的な何か。特殊健康食品カニチャハーン。

「忘れがたない虹と花」ってなんだっけ、とググってみたら、中原中也だった。中原中也を忘れてるのはさすがにまずいと思った。

自宅の部屋がどうにも不快で、しかも不快であることにも気づいていなく、ただただ不幸な気分に浸っている状態だったのだが、ふと思い立って扇風機を出して動かしてみたらすべてが解決した。蒸し暑かったのだね。


2020年03月26日

「ズモフ/バルーン型投光機/ビュッフォン」(さうして、このごろ2018年1-3月版)

「コチュジャン・エクスプレス」ってのを考えた。めっちゃ辛い。そしてめっちゃ速い。なにそれ。

「かわいそうなウーゾ」ってのを考えた。どんな善良な人にも嗜虐心を抱かせる過酷な宿命からウーゾは**するのだけど、それはお星様も誰も、読者さえも見ていなくて、読者が読まされていたものは実はべつものであり、あらゆる嘆きは届かず、記憶にも留められず、すべてはなかったことにされるの。

帰り道を見てみたら知らぬ間に雪が降って、そして止んで、道路は真っ白に薄く雪が積もっていて、雲は去り空が見えている。ともあれ自転車を転がしながら、転ばないように細心の注意を払い、ゆっくりと長い坂を登り、そして下り、なんとか家まで帰ってきた。

"LAY YOUR HANDS ON ME"を聴いて感涙していたら、急に「全ての言葉はさよなら」ってのがどういう意味だかなんかわかったような気がした。「全ての言葉はこんにちは」ということは決してないのだな。

車で皆既月食の見やすいところを探してTSUTAYAとかコンビニの駐車場とか行ったけど、だれも皆既月食に興味を持っている様子はなくて、なんだか独りで無邪気に月探している俺おっかしいなとか思いながらスマホで写真を撮った。

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ふと思い立って「ズモフ」で調べてみたらプロレスラーにバック・ズモフ(Zumhofe)という人がいるのを知った。って以前書いたような気がするが、記録が残ってない。デジャヴ?

「お祖父さんが作ったドールハウスが泣けるほど昭和の住宅だった」ははあ、コレジャナイロボ案件ね、と脱力笑いネタと思って読みすすめたら「お祖父さんの夢を形にした家なのかも」というところで感涙してしまった。

年度末になると道路工事が増えるけど、夜に使う「バルーン型投光機」がなんか怖い。あれ見るとギョッとする。真夜中にビルの間から半月が現れたのを見かけるとギョッとするけど、たぶんそれと同じ理由。


ある種の「優美さ」を尊ぶ人からは私は無教養でがさつな人間だと思われるのだということをひさびさに思い出した。研究者の中で生活しているとほとんど忘れてしまうのだけど、立ちふるまい、言葉遣い、身につけるもの、そういうものを見て即座に他人を評価する人達がいるのはアタリマエのことだった。

俺が普段の会話でもn=1で一般論に持ち込もうとする話を聞くのが耐えられないのと同じように、ある種の人は猫背で歩いたり箸の使い方が下手だったりするのを見るのが耐えられなかったりするのだろう。


車の中で「1,2,3,4,5,6,7,休, 1,2,3,4,5,6,7,休, 1,2,3,4,5,6,7,休, 1,2,3,4,5,ビュッフォン」っていうジングルを考案して精神統一を図った。

って書いてみて気づいたけど、"You never give me your money"のアウトロのパクリだな。ギャフン。じゃなくてビュッフォン。


淀から八幡市のところ、めちゃ楽しいな。巨大な列車基地があって、無茶なカーブがあって、いい感じの河川があって、ケーブル支線があるって、アトラクション盛り込み過ぎだろ。<=鉄ちゃん

エクストリーム帰宅を成功させて21時30分には名古屋駅に到着したが、驛麺通りはすでに終了だった。そういうわけで夕食は岡崎西友の割引弁当に確定した。


もしポプテピピックOPの「パラレルワールド旅して 鏤める願いに気付いて」が壮大な伏線で、この伏線が最終回で回収されたりしたら感動して泣く自信があるが、そんなことはけっして起こらないだろうと思っている。(<-「脚本の人そこまで考えてないと思うよ。」のコピペを思い出しながら)

「おお、おお、おお、俺の『ネコちゃん警察署捜査本部』よ、いったいぜんたい、どこへいっちまったというんだい?」(reprise)

寿司食いたい。他人の金で。雲丹ばかり注文して呆れられたい。

鰻食べたい。他人の金で。入店してから一時間かかるような老舗で、待っているあいだにビール2本空けてお腹いっぱいになって、やっと出来上がったやつを端っこの方だけちょっと食べてあと全部残したい。でもこの望みはかなわないだろう。なぜなら鰻はもう10年前に絶滅してしまったのだから(<-未来人)。

スバカマナで恒例のアニバーサリーバイキングをやっていたので子どもたちと行ってきた。5種類のカレーは辛くないけどそれぞれ味わい深いし、チーズナンはいつもどおり美味しかった。こういうのでいいんだよ こういうので

最終回見た。「パラレルワールド旅して 鏤める願いに気付いて」マヂでループもの的な伏線回収があったのでたまげた。


2020年03月24日

「ズボラッティ/ヨシダルシダ」(さうして、このごろ2017年10-12月版)

「立憲」付くと明治っぽいよね。カイゼル髭はやしたい。海に太陽が溶けこみ、太陽に向かって鳥が溶けこむ。アトラース神の豪腕が大地を踏みしめ天空を支える。

カラオケ屋で「俺がサザーンマン歌うから、お前は次にスイートホームアラバマ歌ってくれ」みたいな打ち合わせしてみたい。思い出のレコードと、大げさなエピソードを…

こないだのKフォーラムのときに「ニューヨーク・シティ・ボーイ」歌ったのに、このネタ振るの忘れてた。次回はぜひ「スイートホームアラバマ」を「スイートホーム岡崎」でキメてみたい。

「クロマニヨン」にはフランス語テイストを感じるなと思って綴りを調べてみたら"Cro-Magnon"だったので思わずうっとりとした。


「1・2のアッホ!!」のことを数十年ぶりに思い出した。そして忘れる。

「pooneilさんのもやもやクリニック」ってのを考えた。モヤモヤしてるの。しかもべつにそれを治療してくれるわけでもない。ただただモヤモヤしてる。迷惑〜

雨の中を自転車で帰るときの「実存スケール」とは、軽い順に1) 雨降る前の空気の臭いで気分がいい 2) 霧雨じゃ、濡れて帰ろう、と武士を気取ることが出来る 3) 雨の中で傘もささずにスマホをいじる英国紳士を気取ることが可能なくらい 4) 悲壮感の中にも濡れながら走るヒロイズムにひたれる 5) なんでこんなバカな選択をしたのか、自分に腹が立つ、となってます。

「デイドリームおとうちゃん」ってのを考えた。ずっと夢を見て、今も見てるの。(<-寝ろ!)

ワイルダー、と言ったらペンフィールドです。ではスペンサーと言ったら?」「ドライデン!」「正解!」まで書いてから調べてみたらスペンサー・ドライデンは2005年に亡くなっていることを知った。

ドノヴァンの"Wear Your Love Like Heaven"の歌詞にはいろんな色が言及されるんだけど、rose carmetheneってのがどんな色かわからない。ググるとドノヴァンの歌詞ばかりヒットする。画像検索からすると、サルビアの花的な色?

次男が自作のチェスを持参して勝負に挑んできたので受けて立ったが、完全に負けた。将棋でもオセロでも負けたことがなかったのに。もう俺から教えてあげられることは何もないな!

「ズボラッティ」ってキャラを考えた。いいかんじにヒゲなの。でもミラーニューロンとか発見してない。ズボラだから。こりゃ参ったネ!


ウィキペで「ロビン・ダンバー」の項目を読んでいたつもりがいつのまにか「エインズレー・ダンバー」の項目を読んでいて、気がついたらキャブテン・ビーフハートの"I’m Gonna Booglarize You, Baby"を聴いてた。(<-よくある)

次男がこういうメロディーの曲をiPodに入れたいんだけど、と歌いだしたので、ヲヂさんイマドキの歌はわからんがなーと聞いてみると、「残酷な天使のテーゼ」だった。それはさすがに知ってた。

「俺の懐のオムネティクスが火を噴くぜ」(<-世界初プレクソン自由律俳句)

ヨシダルシダ、ってのを考えた。カメラじゃなくて吉田が丁寧に書き写してくれるの。べんりー

今日で私のナイター練習手伝いは最終回。こうやってガッツリ次男のイベントに付き合うことも今後あまりないだろうと考えると感慨深い。ともあれ怪我しなくてよかった(私自身が)。毎回左膝が痛くなっていたが、今日は右膝もキタ。無理しないように気をつけて、ギリギリ大事には至らずに済んだ模様。


「遮断器のない踏切、信号のない横断歩道」ってフレーズを考えたが、あんまり語呂が良くない。

次男がマラソン大会で活躍したお祝いに寿司へ(回転するやつ)。栄光に向かって陽のあたる坂道を駆けのぼっておられる。いっぽうでその父ちゃんはといえば、うだつの上がらない惨めな生活を未練がましく続けては、緩慢な死へジリジリと向かっておる。

俺も宮廷薬剤師になりたいなー(<-人生に迷ってる)

「再生核ヒルベルト空間」ってものものしくて好き。「ヒルベルト先生、核を再生しちゃったんですか?!」って聞きたくなるよね。

ひさびさに"Travel is dangerous"を聴きながら打ちひしがれている。いま聴くべき曲ではなかった。


2019年09月23日

「オクラホマ・ミキサーってプロレスの技っぽい名前だよね(<-イケメン声で)」(さうして、このごろ2017年7-9月版)

サリエンスの定義として「そこに行けば どんな夢も かなうというよというcounterfactual expectationを持たせる場所」というのを考えた。(<-それパクリ)

「ブタにゃん」ってのを考案した。ブタなの。ネコじゃない。(<-論理的)

皆既日食の映像を幾つか見たけど、みんなわかってねえっつうか、そんな拡大した映像でフレアとか見てもしょうがないだろ。端的に、昼間だったのが暗闇になってしまうっていうこの世ならぬ異様さを露出の自動補正なしに記録するってのが見たいんですけど。(<-なにもしてないくせにエラソー)

明け方まで散々飲んで語って、始発電車に乗って帰り道、もう喋ることもなくて、なんか手持ち無沙汰で、なんてことがあったような気もするし、無かった気もする。あっても無くてももはやどちらでもよいのだし、そのとき雨さえ降っていなければ、万事問題なしなのだ。


先日5年ぶりくらいでカラオケに行ったのだけど、選曲に遠慮があって不完全燃焼だった。次回のために候補曲をリストしておく:“Lay Your Hands On Me”,“人間発電所”,“The Nights”,“New York City Boy”,“Built To Last”,“Snowdome”,“スターライトパレード”,“なないろびより”,“コネクト”,“アルクアラウンド”,“Birthday song, Requiem” だいたいJoysoundにしか入ってないということも判明した(<-検索してるし)。

(Kフォーラムでの講演の終了後)そのあとカラオケへ。今回は「ダンシング・クイーン」「招待状のないショー」「New York City Boys」「ロビンソン」で。「コネクト」「The nights」「アルクアラウンド」はなかったので断念。「さよなら」と「12月の雨の日」は時間切れで歌えず。楽しかった。

「ぼくのフレンド」と「ようこそジャパリパークへ」も歌えるようにしておかないと。


「40歳になるころには 単著の一つも出して ひとりで地下室のある家を買い 週末はギターを弾いたり、 メロン、 メロンはどうでもいいや。」http://twilog.org/pooneil/date-080909

ストーン・ローゼズの再結成にも来日にもさっぱり興味はなかったが、このグラスゴーのスタジアムでのライブで、観客がリフから歌まで全部大合唱しはじめちゃうこの現場には居合わせてみたいと思った。I Wanna Be Adored https://www.youtube.com/watch?v=YthoNkDAWkw


ネットを彷徨っていたらウィキペで「ダダイズム」の項目で「萩原恭次郎」なんて懐かしい名前を見つけた。こんなものまでネットにはあるのか。 https://ja.wikisource.org/wiki/ラスコーリニコフ

中学生の頃に中原中也経由でダダイズム・シュルレアリスムに目覚めて(<-まさに厨二病)、それからアンドレ・ブルトンの「溶ける魚」(当時は全集にしか入ってなかった)とか探して読んだものだった。

それはサイケデリック音楽を知るのと同じくらいの時期で、私はアルチュール・ランボーの「詩人は長期間の、破壊的で計算された錯乱によって見者になる」を本気で受け止めて、そういう表現を追い求めていたのだった。そういった「反自然主義的」なものへの志向(嗜好?)は現在に至るまで変わらず続いているようだ。

その頃マン・レイの展覧会に行った記憶がある。http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000135536 横浜美術館美術情報センター https://yma.opac.jp/opac/top (追記:2019年現在サービス利用不可能)の情報を参考にして調べてみたところ、1986年、高1の夏の小田急グランドギャラリーと判明。水泳部の練習の合間に行ったらしい。元気だ。


今週のYAで三月のライオン読んだら、幸田香子のモノローグ回だった。形式としては幸田母のモノローグ回(Chapter 97)を踏襲している。あの回は幸田母の贖罪意識が表現された神回でラストのページ読むと毎回泣けるんだけど、それはそれとして、今回の幸田香子のモノローグ回はどうだろう?

香子が贖罪意識を持ってました、で終わりでは済まないと思うんだな。そうするとあれは壮大な前フリなんじゃないかと思う。香子がそのように「わかって」いたとしても、いざ桐山零と対峙したときに再びコンフリクトが起きるのを避けられない、そういう業がないと香子らしくないだろう。

そこを零と香子が乗り越える過程で、ひなたもいまのオコチャマ状態から自分の手で掴み取る行動を起こすところまで行かなければきっとこの話は閉じないだろう。作者がそこまでごまかしなしに書いてくれるのを期待してる。


今日は岡崎の花火大会なんだけど、次男はママと泊りがけでソフトボールの大会、長女は友達と遊びに、というわけで独りの夜を迎えている。この20年くらいで初めてだろうか。家で肉でも焼くかと買い物に行ってみたら大渋滞。しかたなくチャーハン山盛り作って全部食ってうたた寝して目覚めたところ。

夜中に車を運転していて、道路標識とかが人の顔にパレイドったりすることはまああることだけど、一昨日遭遇した事案では、大きな黒い牛が見えたと思ったら、暗い道に駐車してあるワンボックスカーだった。流石にそれはねーよ!と思った。


休暇二日目。奈良美智展@豊田市美術館。 http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2017/special/narayoshitomo.html 実物を見るのはこれがはじめてだったけど、とても良かった。ついでに、入り口のレコードジャケットのニール・ヤングのセレクションがソロのファーストとオン・ザ・ビーチだったのが気が利いてると思った。

長女の文化祭の手伝いとやらで、あちらこちらに買い物連れて行ったり、写真の印刷手伝ったりとか、なぜか俺まで忙しい。(<-うれしそう)


伊賀に行ってすき焼き食べたい。10年ぶりの「金谷」で、あれ?こんなもんだったっけ?とかがっかりするもよし、やっぱりうまかったと感激するもよし、どちらでも後悔はしないだろう。いざ生きめやも。

太陽からの熱線も、紫外線も、大粒の雨も、雹も、煉瓦も、蛙も、すべてのものが、すべて同じ強度で降り注げばいい。手を上げて受け止めることすらできず、全てが平等に破滅させられ、全てが平等に生き残る機会を与えられ、海の深いところまで、浸透され、貫通され、透徹され、埋葬される。

リハビって理蔓延る。

俺は根本敬作品で言うところの村田藤吉で、吉田佐吉みたいなのに見つかっては喰いものにされる人生を繰り返してきた。自分なりに工夫はしているけれども、事態は好転せず、いつぶん殴られるかと怯えながら日々を暮らしている。ホントだよ。

こんなに「敗北主義者」をやっていても、予想外の悪意にぶつかれば、胸は痛むし、眼は廻る。だから、自虐と自己弁護で、固く固く自分の身を守りながら、終わりのない退却戦をつづけるのだ。


ハシビロコウの嘴焼きが食べたい。身は要らない。

カリフォルニア・ロールはもう飽きた。シカゴ・ロールが食べたい。シカゴ・ロールには◯◯◯ウナギが入ってる。まで書いてから念のためググってみたら、シカゴ・ロールって本当にあんのかよ。https://www.tripadvisor.co.uk/LocationPhotoDirectLink-g39588-d405790-i89077491-Malone_s-Lexington_Kentucky.html https://www.yelp.com/biz_photos/annas-asian-grill-and-sushi-bar-chicago?select=DWKf-tIweKcoR6_zqYggDA

念のため「嘴焼き」もググってみたら、「あひるのクチバシ揚げ」ってのがあることを知った。http://blog.livedoor.jp/ma888tsu/archives/51711852.html 世界は、俺の想像力よりも、ずっと広い。


「オクラホマ・ミキサーってプロレスの技っぽい名前だよね(<-イケメン声で)」ってツイートをしようとしたが、念のためググってみたら「オクラホマ・スタンピート」と混同していることがわかった。スッキリした(<-スッキリすんな!)。

「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」ってタイトルには、なんで俺人間代表として責められなきゃならないの?って涙目になる。「意識はいつ生まれるのか」ってのもいつになったら生まれるんだと責められて動揺した。「森田はいつになったら一流になるんだ?」とか言われながら杖で殴られる感じ。

「会計680円で1180円出すのが気持ち悪い?」ってのをみて、なるほどそういう人もいるのかという「気づき」を得ることができた。なんなら、私は会計688円で1243円出したりするけど。


2019年09月05日

ロサ会館の大黒屋。(さうして、このごろ2017年4-6月版)

「石鹸みたいなカップケーキ」「フィラデルフィアからフィラデルフィアへ」

「猫に小判」をバレないように「コヴァン」と発音する技法を開発した。

今日は花見。ウクレレ引きながらコード進行を考えていたら、こんなのが気に入ったので、乙川の土手を演奏しながら歩いた(<-不審者)。|X543|X542|*2 |X220|X120|*2

このあいだの花見で思いついたコード進行でギターを弾いてSoundCloudにアップしておいた。|Cm |Cm7b5 on Ab |A |AM7 on E | https://soundcloud.com/pooneil68/guitar-cm-cmb5-on-ab-a-am7-on-e


進化論で出てくる系統樹って、いま生存しているものから遡るんではなくて、絶滅したものまで入れて作れば、たえず枝分かれしては絶滅してゆく繰り返しのなかで、ほんの僅かな偶然を辿っていまここに生存しているというのが見えるはず。これ見つけた:http://web.uconn.edu/gogarten/

さっきのツイートの図を見ると「生存バイアス」を可視化できたようなかんじがしてなんだか面白い。 http://web.uconn.edu/gogarten/ToL.gif


その昔池袋ロサ会館でジンギスカンの安い肉食べ放題のチェーン店があって、正直美味しくなかったけど、とにかくたくさん肉食って、たくさんビール飲んで、たくさん吐いて、それで幸せだった。あの店の名前が思い出せない。歌舞伎町コマ劇場近くにもあった記憶があるのだけど。

(追記:同じ疑問を持っている人を見つけた。答えは「大黒屋」だった。そう言われるとそうだった! https://twitter.com/tsuyu2011/status/781250650113998848 )


長女が一眼レフカメラ買いたいっていうんで情報集めているところ。カメラに興味持ったことがなかったけどいろいろ調べてみたら面白くなってきた。とくに標準レンズキットでどれ選ぶかとかはあらかじめ決めておかないと割高になるので悩ましい。

今日はカメラを買いたいという長女に付き合っていたら午後から夜までまるまる費やすことになってたいへんだった(<-満更でもない様子)。でも買うところまでたどり着けたので良かった。


Miku-gazer 2011 (Vocaloid2) https://soundcloud.com/pooneil68/miku-gazer-2011 6年くらい前に初音ミクでシューゲっぽく作ったもの。


「最後のバスはもう出ていってしまった。私は真夜中の道を記憶だけを頼りにして進まなければいけなくなった。バスならすぐ到着する場所へ、私は夜通し歩きつづける羽目になった。私は自分の愚かさを恥じて、誰にも相談せずに、登り坂の向こうにかすかに見える街の明かりへと引き寄せられていった。」


「The 13th Floor Elevators 47年ぶりの再結成ライヴ」http://amass.jp/56251/ もう2年前のニュースだけど、今知った。トミー・ホールが壺をトゥクトゥク鳴らしてるのが聴こえる!こんなことってあるんだ!

わたしのエレベーターズ愛はこちらを参照「俺がもし人生をもう一度やり直せるなら、the 13th floor elevatorsで壺にマイク突っ込んでトゥクトゥクいう役、あれをやりたい。」http://pooneil.sakura.ne.jp/archives/permalink/001392.php http://pooneil.sakura.ne.jp/archives/permalink/001400.php


"Eleanor Rigby"の歌詞ではエレノア・リグビーという老婦人とマッケンジー神父の生活が1番と2番で別々に描写されて、3番で初めてふたりとも描写される。それで死んだエレノアの葬式には「誰も来ず」埋葬をしたマッケンジー神父が手の泥を拭うわけだけど「誰も救われなかった」。

なんか舌っ足らずだと思ってた。じつは叙述トリックで二人は邂逅してなくて、もし 二人が出会ったいたならば「誰も来なかった」「誰も救えなかった」は回避されたかもしれなかったけど、それすら起こらなかった、っていうドラマチックさが排除されてよりいっそう侘しいものになったってのでどうよ?

もしかしてそういうふうに読めないか3番の歌詞を再読したが、"wiping the dirt … as he walks from the grave"でtheがついてるからやっぱエレノアの埋葬としか解釈できないか。


実家が立て直しをするので家に置きっぱなしにしてきたものを片付けてきた。JAのフィルモアライブのポスターのレプリカ https://www.wolfgangs.com/jefferson-airplane/posters/poster/BG042.html がずっと壁に貼りっぱなしだったのだけどそれも剥がした。そのとき自分のかさぶたを剥がしたような痛みを感じた。(<-ウソ)

酔っ払った頭で阪大の西入口を出て、阪大病院前のモノレールにいくよりは歩いたほうがいいはずと池の周りを歩いたら、山田駅のつもりが北千里駅で(どうして勘違いした?)、もう時間が間に合わないのでタクシーで千里中央まで(幸い1000円以下だった)いって、新大阪に出たら東京行き最終だった。


「地獄に仏の喩えもあるさ さよならだけが人生だ」

岡崎行きの空港バスに乗り込んでみるとなんだか憶えのある臭いがして、いったいこれはなんでながあったらうかと思案していたが、ブックオフの臭いだ、と合点がいって満足した。

おととい久々に夢の内容を覚えている夢を見たのだけど、その中で私はUS西海岸のサイケデリック・ロックとUKのサイケデリック・ロックのどっちが好きかを誰かにコンコンと説明をしていた。色も音もなかった。つまりそれはいつも通りほとんど「思考」で、知覚経験らしきところはなかった。


VSSのときからちびちび読んでた「人間の大地」 (光文社古典新訳文庫版)を読了。新潮文庫の堀口大学訳と比べると格段にわかりやすくてよかった。新潮文庫で読んだときはそもそも初めの章で乗っているのが市電だってことすらわからなかったから(バスか何かだと思ってた)。

それでもまだ本当のところ、この話での飛行機ってのがどういう規模のものかという情報が足りなくてイメージが定まらない。宮﨑駿のイラストで書かれるようなものでイメージしてたけど、どうもそれは正しくなさそう。


"Life"を買ったときのことはよく憶えている。宮下研から派遣されて岡崎に住むようになる直前に日本薬理学会年会が1995年3月に名古屋で開催されて、帰りに近鉄パッソにあったタワーレコードに寄ったらこれがヘビロテされていて、即購入したのだった。当時の新生活への高揚感と混ざっている。

いちおう裏とりをしてみたら(<-律儀)、 http://www.pharmacol.or.jp/society_infomation/chairman/kaicho.html を見てみたら第68回は1995年3月に名大の日高先生が会長で、Lifeの日本での発売日は1995年3月25日だった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ライフ_(カーディガンズのアルバム)


中高生の頃の私の口癖は「要するに」で、吉田お前要するにって言うけどぜんぜん短くなってないじゃんとよくツッコミ入れられたものだった。今にして思えばこれは私の本質を突いている。結局のところ私は今でも「要するに」って言いたいだけなのだろう。そんな詰まらない奴だとは認めたくないけど。

ブログに書いていることもそういうことで、論文とか本とか読んで、「要するに」こういうことだろ?って書いてみるのだけど、凡庸なまとめだったり、的外れだったり、はたまた独特な理解だったりということを蓄積しているのだろうなと思う。


気持ちいい季節の、我が家に誰もいない時間が3時間ほどあったが、昼寝で使い果たしてしまった。でも幸せ。

近所のローソン100円ショップは昭和50年台に建った住宅地に入居したご老人をメインターゲットとした立地だが、現代アイドル歌謡がヘビロテされていた。別のバイトの人のときはアニソンで、また別の人のときはビジュアル系なので、どうやらある程度自由が効くらしい。労働者のQOL的にいい話だ。

ブクオフとか行くと同じ放送がずっと流れているので何度もイノセントワールド聞かされたりする。客は一瞬だからどうでもいいだろうけど、従業員にとっては辛かろう。

やっとこさ「河合荘」最新刊読んだけど、最高だな!「世界が美しく見える」の描写のところとか、超共感した。そうだった、俺もそれを知っていた。さあ頑張ろう。


「【昭和時代】昔、お風呂入る前に棒でかき混ぜてなかった?」https://togetter.com/li/1124785 うちは築40年でボイラー式だからいまだにお湯かき混ぜてる。子供と一緒に風呂入って追い焚きしながら火傷しないようにブロックして足でかき混ぜつつタオルくらげ作って遊んだものだが。

東京の昔ながらの鰻屋に行きたい。独りで行って、本も携帯も持っていくのを忘れて、することもなくぼんやりして、1時間くらい待たされて、でも全然美味しくなくて、しかも7000円くらい取られて、でもぜんぜん惨めではなくて、暑い夏に空気が揺れて、お迎えがきて、そのまま消え去りたい。


2019年09月04日

暗い部屋で、「優しい世界」に浸りながら、千年眠りつづけたい。(さうして、このごろ2017年1-3月版)

寝息の音がするから誰かなと思ったら、自分の呼吸が窓に反射して聞こえるのだということに気がついて、試しに息を止めてみたらたしかに音が消えた。(<-いったい何が言いたいの?)

今日の節分はひさびさにパパが鬼になってみたが、鬼のお面がないので、恐竜が飛び出すホログラム加工してあるウチワをお面代わりにして鬼になった。皆さん容赦なく鬼に落花生をぶつけてくれて、今年もつつがなく節分が終了した。

ハシビロコウが動かないのは怠け者だからなのではなく、奴が動かない間にも頭の中はフル回転、最大のepistemic valueを得るために奴にとってのベストを尽くしてるんだな。つまりexloration-exploitionのバランスが我々と違うだけのことなんだ。(<-FEP小咄)


田嶋さんのセミナーが来週金曜日にあるとのこと。この機会にPLoS Comp BiolとNature Comm論文を予習して理解できるようにしておく予定。 https://twitter.com/satohirotajima/status/828776630915067909

はぁ…他人の金で寿司食べたい…あと自分の金で浅草今半で両親にご馳走して感謝されたい…無理だけど…(<-いますぐやれ!)


FBとかでオモシロ動画みたいなのが流れてくると、それを楽しむ前に、データのソース情報なしにクリック数だけ増やそうとしているサイトに加担するのが嫌で、元ネタ探しの旅を始めてしまう。そしてたいがい元ネタは見つからない。

はやくgoogleがパクリサイト追放の一環としてオリジナルの素材(画像、動画、文章すべてについて)の同定をして検索結果に反映するようにしてほしい。

いろいろ思い通りにいかなくてしんどいことばかりではあるけれど、このあいだのFrontier論文を読んだ人が賞賛のコメントのメールを送ってくれたので、なんだか元気が出てきた。

もっともっと、ニュートラルに、無邪気に、なんなら非人間的に、日々のよしなしごとが通り過ぎてゆくさまを書きたい。


(ニュートンプレスに民事再生手続のニュースを受けて)「ニュートン」誌ってほとんど読んだことがないので、正直スマンかったとしか言いようがない。小学校の時は元素の周期表が大好きな化学(not科学)少年だったが、そのあとは詩とか小説とか音楽とかそういうのばっかで、高校3年で有機化学に開眼した。化学と文学!

そういうわけで、ホジキン・ハックスレー方程式を理解して感動したとか、デヴィッド・マーの「ビジョン」を読んで世界が変わったとかそういう正統派的な経験はない。ベイトソンと岸田秀とヴァレラから入っちゃったから。もしあそこで清水博経由でまじめに生物物理を学んでいればと思わなくもない。


長男は無事合格して、この春から東京へ向かう。子どもが家を出るとは、俺の人生も終盤に差し掛かったなという実感がある。俺自身がまだ何者にもなっていないというのに。

ふと見渡すと、岡崎は山に囲まれていることを実感する。


「新入生たちに送るξ(グザイ)の書き方」https://togetter.com/li/1092915 グザイ嫌い。フリストンのFEP論文読んでてもグザイが出てくると全部xiに置き換えてノート取るくらい。全てのグザイを生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全てのグザイを、この手で。

恵文社一条寺店好き。ちくさ正文館も好き。働かず、気を使う相手もいず、何故か生きるだけのお金はあって、食欲もなくガリガリな草食キャラで、レコード屋と書店とを往復しながらそれにも飽き飽きしているような高等遊民として人生を過ごしたい。来世はその方向で。(<-ついに諦めた!)


「勝ったな!ガハハ!!」っていいな。

洗濯してベランダに干して、ラボに向かってたら、いきなり雨が降ってきた。オイオイオイー、雨降って地固まる!

もりの、くまさん!

すっごーい!(<-心が浄化された)

「リサフランク420 / 現代のコンピュー」ってのを見つけて気に入ったが、youtubeにあるのもsoundcloudにあるのもどれが公式かわからないからリンクできない。

暗い部屋で、「優しい世界」に浸りながら、千年眠りつづけたい。

たしかに、砂漠のシーンで「なにもないね」ではなくて「砂がいっぱいだね」って反応したところはハッとした。


飛行機は無事新千歳に到着した。これから札幌に向かうところ。

シースー(<-うざい)も済ませて、ホテルにチェックイン。スライドを手直ししたくなってきたが、あんまり難しい話にもしたくないのでバランスを考える。質問の答用資料に回すか。

雪がやんで真っ白な街を見ながらの帰り道に「Last regret」とか聴きながらメランコリックな気分に耽溺した。空港には雪ミクミュージアムがあったがグッズはあまりなかったので、手ぶらで帰ってきた。(雪まつりになってからが本番だろう。)


2019年09月03日

王と王子と神と天使のどれになりたい?(さうして、このごろ2016年11-12月版)

コンビニで「ハッピーターン250%」を手に取ったときに急に思ったけど、なんでホコリを被っている商品が皆無なんだろう。昔は埃かぶったカビ臭い店でおばあちゃんがもの売ってたはずだ。強烈な効率化でこれが成り立ってるんだな。でもそういえばこないだの昭和な温泉宿の食品店は埃かぶってた。

今日は子どもたちとスバカマナで60分食べ放題コース。久しぶりに和んで会話した。長男の「小5でアジカン、中2でシューゲ」という名言も出た。

夜中にトイレに起きて、家族がみんな寝静まっていて、体温と寝息で人の気配があるのを感じると、これは奇跡のような事実で、今この一瞬に誰もいなくなってしまったら、この家は幽霊屋敷だなとか思った。

自転車での帰り道には「累積ガウシアン関数、ロジスティック関数、ワイブル関数、などまあ数多くございますが、どれをお使いになってもねえ、同じような、もんですが(<-スネークマン・ショーネタ)」という返答を考えていたが、展開上、使う場所がなくなったのでここに貼る。(<-貼るな)


明日は早起きして次男のソフトボールクラブチームの試合のお手伝い。スコアボードに点数を書くだけのカンタンなお仕事で、特等席で次男のプレイを見ることができて、あとで指導に役立てることができる。俺の人生にとってこれがいちばん大事と言っても過言ではない。それでも早起きは辛い。

「王と王子と神と天使のどれになりたい?」私は天使かな。ひれ伏されたいのでもなければ、ちやほやされたいわけでもなければ、全知全能の力を振り回したいのでもない。よき知らせをもって世界にふれまわりたい。

俺も出世コースを外れたらアラーム鳴る機能つきのゴーグル欲しかったよ(<-正直すぎ)。と言いたいところだけれども、自分の体が出しているアラームのほうがもっと大事だからなあ(<-マヂレス)

次男のソフトボール大会のお手伝い終了。次男のチームは残念ながら予選敗退。チーム全体としてまったく打ててなかったのでヤキモキしながら得点係やってた。次男の遊ゴロ内野安打が唯一のチーム打点となった。

山の上にある中央総合運動場からの帰り道に谷を渡る橋から見下ろす道がビルの15階くらいから見下ろすような高さで見えるのだけれど、そこを自転車で下りながら「ここからいま飛び降りる理由なんてまったくないな」と唐突に思った。ほんとうに唐突だったので、なんでそう思ったかもわからない。


行くも地獄、引くも地獄なら、そのときの報酬を最大化するのではなくて、取りうる選択肢が増える方向を選択したつもりなのだけれど(<-FEP)、もちろん後から振り返らないと、本当のところはよくわからない。

ヘドバとダビデ(「ナオミの夢」)で有名なダビデのフルネームはDavid Rosenthalであることが判明した。だからなんなのだと言われても困る。


「三三七拍子というけれども実はあれは普通に八拍子だよね。ということでガチで三三七拍子やります」と言って3-3-4-3の変則ビートを手拍子で刻むっていうネタを実践したことがあるのだけれど、あれは自分で思いついたオリジナルで、あのときの俺は冴えていたと思う。

あと、「指切りげんまんで『針千本飲ます』っていうけど、あれを『針一本飲ます』って言い直すと、ガチで飲ます気が出て怖いよね」っていうネタもあったけど、あれも自分で思いついたオリジナルで、あのときの俺は冴えていたと思う。

という話をツイッタに書いたことあったっけと思ってtwilog調べてみたらそれはなかった。


サンレコの最新号はプライベート・スタジオ特集。https://www.amazon.co.jp/gp/product/B000LE0RKS/ 高校生くらいのときに漠然と将来のことを考えながら、地下室のある持ち家で防音設備があってギターが弾けて、みたいなことを夢見ていたことを思い出した。

世界がもう少し良くなってくれたらいいなあ(<-ネット見ながら思ったことを書こうと思って、エッジを削り、オブラートに包みまくったら、まったくなにも言ってない表現になってしまった状態)

俺は、俺の「ズッコケ道中」を、クサらず、卑下せずに、ただ進み、目的地に辿りつく手前で退場してもいいんだと、最終地点などないのだとわかったうえで(<-途中でどうでもよくなった)


「アインシュタインが黒板の前で6-3=6と書きながらベロを出している」という画像をネットで見たが、それは当然コラなのだけど、ソースはどこかと調べて、でも簡単には答えが見つからず、ふと「そんなことは俺の人生にとってはどうでもいい」ということに気がついて止めた。(<-よくある)


田中一村は「白い花」が好き。中央画壇に背を向け、奄美で極貧の中作品を書いて「日本のゴーギャン」となった一村に対して、画壇に受け入れられた最後の作である「白い花」を好きと言うことはたいへんダッサいことかもしれない。俺の感受性は彼の人生選択を裏切っている。でもこれがいちばん好き。


短い曲っていいなあとあらためて思う。Tyranosaurs Rexの"Salamanda Palaganda"ってヴァースとコーラスの構成で3番まであって、アウトロで違った展開もあるのに2:16で終了する。美しい。こういうのを目指したい。

素朴な驚きとして、弦の振動や太鼓の震えや声帯の響きが、スピーカーの振動板というぜんぜん違う素材によって再現できることって、ほんとうに不思議だ。液晶ディスプレーに光る蜜柑や人の顔や這いずるワニが画面に写ったものにしか見えないことを考えると、まったくありない奇跡のように思える。


Likeよりもリツイートしろよ!ってのはごもっともだけど、ツイッターの仕様的にリツイートするとツイート数が加算されるのが気に食わないのでリツイートはしないことにしている。今の仕様でのツイート数はオリジナルなコンテントの数になってないので間違ってる。同じ意見を聞いたことはないけど。

ツイッターより前にブログを始めていたせいか、ツイートをフローというよりはストックとして扱いたい気持ちが強い。だから自分にとってツイートは140文字ギリギリに収まるように繰り返し推敲したミニブロクのエントリであり、いまの18,430ツイートをリツイートで薄めたくないという気持ち。


いま部屋にある除湿機は、稼働しているときはずっとモーター音がしているのだけど、除去した水が満タンになるとファンを停めて静かになってしまう。つまり、満タンになった水を捨てて再稼働させるためには「無音であること」に気づかないといけない。これってけっこう難しい。サリエンシーがないから。

同じように、誰か特定の人のツイートがしばらくないなあとかいうことも気づきにくい。なんかの拍子に、そういえば最近見てないなあ、みたいなかんじになる。ここから導き出せるのは、「自分のツイートを待っている人がいるから書かなくては」なんて考えはまったく不必要ということ。

だから、いつでもフェードアウトしていいのだけど、なんだかんだと書きたくなることがあるから書き続けてしまうんだなあ。(<-変な締めかた)


今日は長女が昨日の余りご飯でチャーハンを作ってくれた。たいへん素晴らしい。iPod Touchが台所にあったところを見ると、作成過程だか成果物の写真をインスタに上げたらしい。パパはツイッターで娘はインスタ。


2019年07月21日

2016年10月チュービンゲン出張メモ

そろそろチュービンゲン出張の準備を、と思って気温を調べてみたら最高12度、最低4度とかでクッソ寒いもよう。まだ自分は膝丈パンツにアロハシャツという状態なので、ちょうどこのタイミングが衣替えとなりそう。

明日からのチュービンゲン出張に備えて、時差分夜更かししてみた。7時間差なので今はまだ夜の10時。明日は完徹して空港バスに乗る予定。寝過ごすのがいちばん怖いから…

体内時計を後ろにずらしたつもりが、眠くて頭が働かない。今日はトヨロックの一日目で、午後3時からeastern youthだったんだけど、こっち行ったほうが1024倍幸せになれたっぽい(<-counterfactual)。

さーて、あと12時間で共著者へのデータ送付と科研費の第一次締め切り用の原稿提出をする。飛行機の中でシンポジウム用のスライド作って(すでに3/4できてる)、喋り原稿作って、それでフランクフルト到着。これで時差ボケになるまえに水曜までに必要な仕事は済むはず。(<-社畜)

科研費一次締切の書類を終了させた。解析の方はまだまだつづく。出発まであと5時間。

よーし、解析結果もメールした。あと2時間でスライドの完成を目指す。

いまから搭乗。今回もドタバタだった。でも今回は「白い恋人」をおみやげに買うのを忘れなかったので良かった。


フランクフルトに到着。入国審査が1分で終わった。列の前に一人しかいなかった。こんなことは初めて。いいことだ。ともあれ予定よりも早くシュツットガルトに向かっているところ。

チュービンゲン到着した。思ったより寒くない。最高11度、最低4度って聞いてたからけっこう覚悟していたのだけれど。

TU-NIPSシンポジウムの第一日目が無事終了。Schloss Hohentübingenの博物館で夕食という大変貴重な機会を楽しんだ。トイレの鍵が外せなくなって中から出られなくなるなどのトラブルもありつつ、ホテルに帰還してみれば夜10時半。喋り原稿を完成させるまであと少し。

喋り原稿完成した。いつもの say -f talk1.txt -v Alex -o talk1.aiff でファイルを作ると14分。実際に喋ると20分くらいになる。トータル30分にはちょっと短いがまあだいたい目処はついた。

朝起きて練習3回やって24分に収まるようにした。本番もだいたい24分で終了。質問込みで30分ちょっとオーバーでだいたい妥当な感じで終了。質問は前半に集中して、肝心のポズナー課題とマイクロサッカードのところは反応なしだったが、初めての図のお披露目としてはまあよかったのではないかと。


夕食は昨日の城の近くのお店で、食事が出るまでクッソ待たされたが、隣の人と「ゾンビモード」についての議論とかして楽しんだ。その人は第一回のシンポジウムのときに来ていたと話していて、たしかに見覚えもあったのだが、いまさら名前を聞くわけにも行かず、あとでこっそりネットで調べて確認した。

今日はネッカー川岸のホテルからチュービンゲン大学(丘の上)までウォーキングで行ってみた。 2.96km in 33:54。1.6kmで100m登るので最後はけっこう汗かいた。普段はバスで10分なんだけど、これなら毎回歩きでいいかも。


おとといはStuttgartのトルコ料理のお店まで連れてきてもらった。Piri Reis Restaurant & Cafe ラム肉を瓶で料理したものを山盛りで盛ってもらって大変満足した。StuttgartまではTuebingenから車クッソ飛ばすと40分弱。



目覚めた。時差ボケもだいぶ修正されてきて、夜中に起きることなく朝まで一挙に眠ることができた。さあ今日も頑張ろう。VSSに出すネタの方は昨日でだいたいまとまってきた。データ的にはどっちに転ぶか予想つかないので解析が楽しい。(<->ざっと見予想通りのものを形にする場合と比べて)

ラボに行く途中で中心街へ買い出しに行ったら、街中でジャズバンドが演奏をしている。なんだか岡崎のジャズ祭りみたいだと思ったら、まさにそういうイベントが今日から開始とのこと。Tübinger Jazz- und Klassiktage http://www.jazzklassiktage.de/


気分転換に建物の外に出てイヤホンで音楽を大音量で聴いていたら、ちょうどRideの"Leave them all behind"のイントロの部分で階段を登りながら見えてきた沈みゆく太陽が目に入ってきて、なるほどこのイントロは沈みゆく太陽だったかと合点した。(<-JTC bias)

じっさい、歌詞的には、まぼろしの世界へ時を越えて向かい、色は失われ夜に溶け込んでゆく(超訳)、というかんじなので、だいたい合ってる。


さて月曜が始まった。今日と明日でCIN滞在は終了。問題はどこで科研費原稿をfinalizeするかだが、いまのところ飛行機の中になりそう。

Rail & Fly用のチケットを印刷してもらったら、あともうすこしで帰国かと感慨深くなる。だけども 問題は 今日の雨 傘がない。

小雨になったところを見計らって帰ってきた。そしていつものようにREWEでしょっぱすぎるクスクス(のようなもの)とと水を買い込んで、これでなんとか一晩しのげる。本当はここから科研費原稿書きなのだけど。持ってきた本も読んでない、ジャズフェスティバルも行ってない。ひたすら解析している。

使っているバス停がUni kliniken Bergという名で、 丘の上の大学病院の最寄りとなっている。手前の平地にあるバス停の名はUni kliniken Talというのだけど、Talとは「谷」の意味だった。Bergが「山」だから、「大学病院山部」と「谷部」というところか。

もう時間切れなので科研費書類書きに専念している。ああ終わらない。今日こそは日が暮れる前に帰ってネッカー河の中洲の公園を散策するつもりだったのだけど、けっきょく達成できず。今回はbotanical gardenにも行かなかった。今晩もREWEで夕食を買い物ということになりそう。


長居せずホテルに帰ってきた。これでCINでの仕事は終了。荷造りをして名残を惜しむ。前回のチュービンゲン訪問時のツイートを見ると、午後6時に鐘の大合唱があるのだけど、今回聴いた記憶がない。つまり今回午後6時にホテルに居たことは無かった。

以前のツイートを見直して、フランクフルト空港のチェックインにどのくらい時間があるか調べてみた。そしたら、肝心の部分の記述がない。なにやってんの俺。いつもなるたけメモするようにしているのに。

科研費書類、やっと最終形が見えてきた!でももう24時なのでここまでで寝る。


いまフランクフルト空港。結局鉄道が遅れて接続で一本逃して1時間遅れ、離陸まであと100分。でも駅到着12:00,駅出てすぐにチェックイン到着12:05,荷物預け12:10,そこから歩いてパスポートコントロール12:20,荷物チェック12:25で30分かからず全て終了。

長距離鉄道駅から来たのは初めてだったけど、すぐにチェックインできて荷物軽くなるのはよかった。この空港は3回目だがターミナルにまったく見覚えがないので、改装でもしたのだろうか。次があるかはわからないけれど、情報としてメモっておく。


とにかく帰ってきて、仮眠したら頭痛はなんとか通り過ぎてくれたので、科研費書いた。書くべきことは書いたので、あとはどうわかりやすい構成にするかという段階まで来た。明日は用事がいろいろ入っているので時間が厳しそうだが、とにかくいまは無理矢理でも寝る。(<-いまドイツ時間で19時)

昨日はぶじ科研費の書類を提出して燃え尽きた。昨晩は時差ボケ直すのも忘れて大爆睡した。9月を乗り切り、チュービンゲン出張を乗り切り、科研費を乗り切って、でもまだいろいろ締切が追っかけてくるのだが、でもなんとかここまでたどり着くことができたと感慨深い。


2019年06月07日

公募での面接の仕方とか調べてみた

前回のエントリにも書きましたが、ポスドク研究者を一名募集してるところです。応募したことはなんどもあるけど、自分で募集をかけるのは初めて。

これから選考の過程で面接とかをしてゆくわけだけど、自分なりの基準とかいろいろ準備しておかないといけない。US方式を踏襲して、まずはskypeで面接、そのあとで現地でトークと面接という段取りを予定しているのだけど、じつのところ皆さんどういうことを聞いているのだろうか?そういうわけで情報収集してみた。

日本語の書籍でアカデミックでの面接というのは図書館では見つからなかったので、「中小企業で人を雇う方法」みたいなのを探して読んでる。あとはネットの情報だけど、大学のサイトがそういう情報を持っていて大変参考になることがわかった。あとは体験談がいろいろある。バイオ系の人が多いな。

調べてみると「募集側の立場」(どのような質問をして、どのように人を選ぶか)についての情報よりも「応募側の立場」(質問対策)についての情報のほうが圧倒的に多いこともわかった。

まあそんなわけで、web上の情報をまとめていたのだけど、これは他の人でも役に立ちそうなので、ブログのエントリにしてみた。ここから:


英語 大学サイト

英語 その他の団体サイト

日本語 団体サイト

日本語 個人サイト


2019年06月06日

ポスドク研究者の募集をしてます(6/30まで)

現在生理研・認知行動発達機構部門の吉田のグループではポスドク研究者を一名募集しております。

詳しいことは生理研のサイトを御覧ください。同様の案内をjrec-inおよび日本神経科学学会にも出してます。同様のものをこちらにも貼っておきます。条件がマッチしている人はぜひ応募してください。


生理学研究所・認知行動発達機構研究部門(吉田グループ) ではポスドク研究者を募集します。(2019/5/30開始, 2019/6/30締切)

生理学研究所・システム脳科学研究領域・認知行動発達機構研究部門に所属している吉田正俊助教は、ラボを主宰する磯田昌岐教授の元で、独立した研究プロジェクトを進めております。ここ数年は、統合失調症の脳内メカニズムの解明を目指して、マーモセットを実験動物として、視線計測と神経活動計測を用いた研究を進めてきました。この4月からスタートした後期革新脳に採択されましたので、本研究の中心部分を担当するポスドク研究員を1名募集します。

詳しいことについては生理研の吉田のwebサイトにある募集ページをご覧ください。http://www.nips.ac.jp/~myoshi/postdoc_recruit.html

[1. 研究プロジェクトについて]

吉田グループでは統合失調症の脳内メカニズムの解明を目指した研究を行っております。統合失調症患者では眼球運動および視覚探索の空間パターンが影響を受けていることが以前から知られております。吉田はこれを視覚サリエンスへの影響として捉えることでヒト-動物で共通の脳・行動マーカーを確立することを目指して、統合失調症患者での視線計測データの解析、マーモセットでの視線計測と脳活動計測を行う研究を進めてきました。今回の募集では、本研究での実験、解析について中心的役割を担っていただけるポスドク研究者を募集しております。

[2. 本募集のアピールポイント]

生理研の吉田のwebサイトを御覧ください。

[3. 応募条件]

募集側と応募側のミスマッチを防ぐために、吉田の方からは、 以下の2つの条件を満たす方のみに応募を絞らせていただきます。 3-1) 神経科学または動物行動学の分野で博士取得、もしくは取得見込みの方。 3-2) ご自身で動物(哺乳類)の行動トレーニングを行った研究で一報以上の筆頭著者論文を持つ方。

[4. 待遇]

フルタイム勤務で年棒制の雇用です。革新脳の中での身分は「研究員」、生理研としての身分は「特任研究員」となります。

[5. 採用時期、採用期間]

採用期間は一年ごとの契約更新で最大で2024年3月まで(後期革新脳の終了まで)です。着任は早ければ早いほどありがたいですが、現在のお仕事、学業の都合もあるかと思いますので相談しましょう。

[6. 応募方法、選考過程]

募集側と応募側のミスマッチを防ぐ、お互いの手間をなるたけ少なくする、ということを考慮して以下の段階を踏んでいきます。

  • 資料請求: この公募に興味を持った方はまずは吉田までメールして資料請求してください。(お名前、メアド、身分、所属、所属のわかるweb上の情報など、身元が分かる情報をお知らせください。)
  • 応募: 応募をすると決断した方は生理研の吉田のwebサイトに記した参考資料を吉田 myoshi@nips.ac.jp までメールしてください。第一次面接等の選考作業は応募をいただき次第順次進めてゆきますが、締め切りの6/30(日)までのすべての募集を受け付けます。
  • 第一次面接: 以上の資料を元に選考した上で、skypeなどを使って遠隔で第一次面接を行います。6/30の締切を待たず、順次進めてゆきます。
  • 第二次面接: 生理研に来て研究室、実験室を見ていただきます。ラボのメンバーと話をするなどして着任したいかどうかの判断材料に使ってみてください。私との面接、セミナーなどもしていただきます。

詳しいことについては生理研の吉田のwebサイトにある募集ページをご覧ください。http://www.nips.ac.jp/~myoshi/postdoc_recruit.html

以上です。ぜひ応募よろしくお願いします。


2019年05月27日

Fmaj7add9、ハートの形のサングラス(さうして、このごろ2016年9-10月版)

「「諸般の事情で」ってフレーズは使ったこと無いな。」とか豪語しておいて心配になったので「諸般の事情で pooneil」でググってみたがなにも見つからなかったので大丈夫だったっぽい。(<-人間がちっちぇえ)


好きなギターのコードはFmaj7add9かな(XX3213だから正確にはmaj7の音はオミットされてる)、とかカッコつけてみたりするけれども、じつのところギターを覚えたての頃にアリスの「チャンピオン」でかき鳴らしたEmこそが私の心の一番深いところにあることは認めざるをえない。

車で陽水とかエレカシとか流しながら、ボーカルにどのようにビブラートをかけているか注意しながら聴いていた。こう、どこか気持ちが高ぶったところで意図せず震えが出るような場面に遭遇すると、聴いているこちらも激しく心が震える。

NUVO社のプラスチック製 フルート Student Fluteっての見つけた。14,500円とか安くて俄然物欲が高まった。やってる人に言わせればちゃんと教室に行って教わりましょうということになるだろうけど、遊びたいだけなんだ。

でもって遊びたいだけだったらこっちのほうがよさそう。NUVOのTooT。これなら衝動買いしても後悔しないかんじ。


例のUKギターロックがBGMとして流れる西友に行ったら、 こんどはPrimal Screamのファースト・アルバムのGentle Tuesdayだった。12弦ギターキラキラのあれ。たまげたなあ。

その昔、ジッタリン・ジンの「プレゼント」の替え歌であなたがわたしにくれたものに「七福神の置き物セット」とか「ハートの形のサングラス」とか珍妙なものを入れるのが流行った。(<-ありもしない過去を捏造)


奥田民生の「息子」って父親の眼で息子を見ている歌詞だと思っていたのだけど、それにしては「別嬪さんにきっと惚れられる」とか古風な言い回しが出てくるのに言語化できない違和感を持っていた。それで、もしかして息子だった自分が父親からかけられた言葉だったのではないかということに思い至った。

そうすると、歌詞の最後に"…Farther told me"って付けられる。Aviciiのthe nightsみたいに。もしくは、息子としての視点と、(これから自分がなる)父親としての視点が交錯する歌詞として読めるかもしれないと考えた。考えただけー


車で「サイレン」かけて声のかぎり歌ってたら「存在証明を鳴らせ」のところで感極まってしまった。この曲は小さい頃の長男が好きで車中で何度も聴いた思い出の曲だが、この部分は典型的ロキノンフレーズで心に染み入らなかった。でもやっとわかった。作者は本当に存在証明を鳴らそうとしていたのだ。


「俺には世界が無自性で空である縁起のネットワークとして見えるぜ」と言えたら素晴らしいけど、頭ではわかるけど、そのように実感持って世界を見ることができるようには会得できていないと言わざるをえないのがおおいに不本意だ。

「俺には世界が、意味付与された『知覚』の手前の、純粋な『感覚』の集合に見えるぜ」と言えたらスゴイのかもしれないけれど、それを「世界」と呼んでしまった時点で、意味付与された「知覚」以降の存在に思える。脳から見ると、知覚から世界を構成するような言い方をするけど、たぶんそれは誤謬。

「俺には世界が、解釈されるのを待ちつつも、いまだ意味をなさず俺との関係を取り結ぶに至っていない、意味の可能性のかたまりに見えるぜ」と書いてみたら、あまりに当たり前のことだった。

ではそのようなつながりというのはいったい何なのか、「連合」なのか、「因果」なのか、「情報」なのか、「意味」なのか、「縁起」なのか、ともあれそういうつながりと、未だ関係を結んでいない潜在的つながりとで世界が成り立っている。


Tony ViscontiはT RexのプロデューサーをTyrannosaurus Rexのファーストからやっていたわけだけど、バッキングヴォーカルもやっているとは知らなかった。テレグラム・サムの項目を見るかぎりイントロの「ウー」とかはTony Viscontiか。


ボブ・ディランは二分冊の全詩集 https://www.amazon.co.jp/dp/4794951302 を買ってコードを書き込んで、毎日のようにそれ見ながらギター弾いて歌っていたことがあるくらいには好きだった。とはいえ60年代のロック時代のディランしか追えてないくらいにはヌルいファンであるのだけど。

ディランを通してT.S.エリオットとか、アンドレ・ブルトンのシューレルアリズム詩(溶ける魚)とかをわかりもしないくせに読んだりするくらいには世界を広げてもらった。今となってはほとんど聴き返すこともないのだが(ブロンド・オン・ブロンドを通しで聞いたのはいったい何年前のことだろう)、中学の卒業文集の自分の欄を「Sad Eyed Lady of the Lowlands」の歌詞で埋めてたりとか、なんだかそういうことを思い出したので、ネットに書き込んで、永遠の記録となることを願う。

ディランがニューポート・フォーク・フェスティバルでエレキ持ってブーイング受けて退場って逸話があるけど、これが1965年7月25日。そこからハイウェイ61とブロンド・オン・ブロンド出して(以降隠遁することになる)バイク事故に遭うのが1966年7月29日。たった一年のことなのだな。

ニューポート・フォーク・フェスティバルの逸話は以前散々読んだけど、これはかなり盛った逸話だったようで、真偽についてはウィキペディアに項目があるということを知った。


急な大雨の中を家まで帰ってきた。しかもなんだか生暖かい空気で、まるで夕立のようだった。

ゼネラル・エレクトリックのロゴを見るたびに、持田製薬を想起するんだけど、そもそもどういうロゴだっけと調べてみたら、案外似ていた。持田製薬のロゴ

戦車に嵌ったアライグマの動画を興味深く視聴する。(<-仕事しろ!)

いろんな締切りがある中を水をかき分け抵抗に耐え進む感じ。締切り追い越したかと思ったら、締切りが先に飛んだりして。締切りに翻弄されながら、締切りとともに生きる。(<-生きるな!)


2019年05月10日

2016年3月UK出張メモ

“The Visual Brain: Order and Disorder” at. 8th Annual meeting of The UK. Neuro-Ophthalmology Special Interest Groupに参加したときのメモ。

そしてそのあといろいろあって5時40分発の空港バスでもうすぐ出発。今から寝たらぜったい寝飛ばすので、スライドの仕上げとしゃべり原稿作りをしながら、まんじりともせずに夜を過ごす(<-誤用)ことを決意した。

しゃべり原稿完成した。いつもどおり say -f talk1.txt -v Alex -o talk1.aiff で音声ファイル作ってみると14分。実際に喋ると20分くらいになるだろう。30分の割り当てだから、もうすこしサリエンシーについて詳しく喋ってもよいか。まだ元気。

ホテルの部屋に入ってネットに繋けて、やっと「心理的安全性」を確保したところ。予定通り15時くらいに着陸して、入国審査の行列を通過するのに45分かかって、そこからピカデリー線で50分かけてラッセルスクエアへ、コンビニで買い物して、チェックインして17時。けっきょく2時間かかった。

地下鉄で行くと6ポンドで、ヒースロー・エクスプレス使うと17ポンド+乗り換えなので、ケチるとこうなる。毎度ながら思うけど地下鉄は若者とか学生ばかりだ。

昨日は19時に仮眠し始めて、でも目覚めたのは2時で、こりゃもう眠れないかと思いつつもむりやり寝たら3時から9時まで眠ることができて、そりゃ寝過ぎじゃあねえのかと思いつつもまあよかった。出発前から頭が痛くてこりゃ熱上がるかと思っていたが、なんとかギリギリ凌いだっぽい。

トーク終了した!午前中押してるところでのラストのトークで、30分のところを23分代で終わらせて、質問込みで26分で終了。そのあと合う人ごとに良いトークだったとお褒めの言葉をもらって、これまででいちばんよい反応を貰ったように思う。

前半のヒトでの「なにかあるかんじ」の話から、それをnhpで調べてSDTとサリエンシーで一貫性のある話をするよって方向で。神経活動の話は無しだったが、SDTと色(DKL)の話を詳しめにきっちりやったのは今回の聴衆(視覚科学および眼科臨床)に対しては正解だったようだ。

シンポジウム後の立食パーティーでColin Blakemoreとサシで語る機会があったので意識談義へ。Surのrewiringの話題が出たので、いつもの知覚運動連関が大事って話をしたら、それだけで足りると思う?と問われたので、期待とか予想とかは必要かもしれない、でも、といつものカエルの意識談義へ展開させてみた。Morlandとも話をする機会があったのであなたの1996論文で方位サリエンシーについての着想(moving barはmotionを見ているのではなくてpositionの変化を見ている)を得たのですとお礼を言っておいた。

Holly Bridgeとも話をしたかったのだが、ぜんぜんそのチャンスがなかった。というわけで今回の訪問の目的はだいたい達成した。Colin Blakemoreにワインを注がれてしまったので、ひさびさにアルコールを摂取した。さっさと寝るか。(ただいま19:54)

今回も3時間前に到着、チェックインはすでに開始してた。JALのカウンターは小さいので並ばなくて済むのでありがたい。隣のBAとか大行列になってる。安全保安区域も混んでなかったが再検査に引っかかって15分で通過。トータルで離陸の2時間半前、搭乗開始の2時間前に中に入れたのでまあ充分。

羽田に到着!メールがどっさりと貯まっている。気温18度とか言ってて驚く。でもロンドンもこの時期にしては暖かったし、なにより晴れ空が出てて快適だった。

行き帰りの待ち時間用に「光車よ、まわれ!」天沢 退二郎を持って行ってたけど、帰りの飛行機で読了。これは良かった。わかりにくい所も多いけど、昭和の東京郊外を舞台にしたファンタジーで、なんかすげーさまざまな水のイメージに晒された。

なんか時代背景的に、あさま山荘事件とかあのあたりの立て籠もりとかを想起したので調べてみたら、この本の執筆は1972年の8月から12月にかけてとあとがきに書いてあった。あさま山荘事件は1972年の2月。

Holborn駅のエスカレーターでテストしたら二列で立って乗るほうが効率よいってニュース。Leicester squareとかLondon bridgeとかで長いエスカレーター乗ったけど、東京と同じく片側はだいたい歩いてた。

ロンドンで連れて行ってもらったデンマーク・中近東料理店でローストビーフを頼んだら、付いてきたソースが緑色で謎な青臭い味でいったいこれはなんですかと聞いてみたら「コリアンダー」という返事がきた。その謎なクオリアが一挙にコリアンダーのフレーバーとして再解釈されるという経験をした。


2019年05月08日

ブラディー疲れた、訳ありさくらんぼ(さうして、このごろ2016年5-6月版)

帰り道に守衛所の前を車で通ったら、丸っこいフォルムの動物が草むらに隠れた。たぶんあれはタヌキだ。昔はよく見たけど、今回は久々だ。まあ3時に帰ること自体が久々なのだが。

そして車で下り坂に差し掛かると、夜景が開けて、90%くらいの満月が西に傾き、びっくりするくらい空を明るく照らしていた。その左には惑星とおぼしくものが赤っぽく光っていて、まるで世界が終わる前触れのやうだった

本日の仕事はこれで全部終了!もう寝る!ブラディー疲れた!(<-インチキ・ブリティッシュ・イングリッシュ = IBE)


今日は次男とこどもの日企画に参加。バドミントン15分*2 + 卓球20分*4って書くとたいしたことがないように見えるが全力出して戦ったので疲れた。バドミントンは2勝1敗、卓球は4勝2敗くらい。これで家でビール飲んでだらっとしていられれば最高の一日なのだが、仮眠後ふたたび解析へ。

以前次男といっしょにバドミントンをやりまくったのはいつだったかかなと思って調べてみたらついったに書いてあった。私生活つつぬけじゃん!

これで今日は終了かと思ったら、次男がシャトルバッティングをしたいというので100球くらい付き合った。なるほどただ素振りをするよりも有効。シャトルを追って姿勢が崩れないように、ちゃんと呼びこんで振りぬくことを意識するように指導した。

ヌゥ…すでに前腕に筋肉痛が出てきている。これは今日バドミントンのラケットを握って振った影響だな。(<-なぜか嬉しそう)


次男がテレビの動物番組を見ながら「鮫って居ていいことある?」って喋ってたので、「パパって居ていいことある?」って聞いてみたくなったが、あまりに卑屈かと思い直して、代わりにツイッタに書き込んでみた。(<-代わりにすんな)


今日は次男のソフトボールクラブチームでナイター練習のお手伝い。コーチがバッティングのときの腰の回し方について説明してて、すごく勉強になった。こんど試したい。

つまり、上半身を回す前に左右の下肢の内転筋を締めるように腰を回す。上半身が回るのはその後。これによって上半身が開かずに球を呼び込んでどのコースでもバットが出すことができるようになる。

って自分のことは別として、帰りの車では次男とともにキャッチングの時の右手の場所について議論したりしてた。我が家はなぜか父も長男も次男もキャッチャーなのだった。(体がでかくて声がでかくて視野が広くて肩が強い系)


家に帰って、全力バタンキューして、目覚めたら22時。コンビニまで歩いてみたら、とても気持ちの良い温度で、先日空に見た禍々しい惑星も今日はただの明るい星で、なんだか多幸感あふれる散歩だった。つか今からひと仕事するにも遅すぎるし、どうやって眠ればいいのだろう?

高校生ぐらいに考えたネタで、「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます、ってのがあるけど、針一本飲ます、にするとマジで飲ませる気が伝わってきて怖いよね」ってのがあるんだけど、念のためネットで調べてみたら同じ話が見つからなかったので、著作権を主張しておきたい。

なるほど「誤解を恐れずに言うと」「失礼を承知で言うと」「自戒を込めて」って使ったこと無いな。そういう言い訳入れたくなるときはすでに論法が間違っているのでだいたい書きなおしてる。「不躾ですが」は使う。というかメールでの頼みごとはすべて「不躾」。誤解を恐れずに言うならばね。


今日は宿題を早く終わらせた次男の相手をして、日が沈む前にトスシャトルを使ったバッティング練習に付き合う。シャトル6個で30回=180球。投げたこっちも疲れた。素振り180回よりはずっと良いが、フォームを見ておかないと悪い癖がつくのが注意点。

今日も今日とてソフトボールチームのお手伝い(球ひろい)。コーチの指導を聞いててわかったけど、選手たちはボールを呼び込んで打つように徹底されてる。それはいいのだけど、後ろ側の足に体重乗ったままで腰回さないで手打ちするので、速球をきっちり打ち返せてない。だから「ボールを呼び込んで打つ」ことと「軸足(後ろ側)のお尻を前に出すように腰を回す」こととを両立させないといけないということのようなのだ。


帰りに寄ったコンビニに「訳ありさくらんぼ」ってのが売ってたので、「聞かないよ〽その理由(わけ)は〽」みたいな演歌だかムード歌謡だかのフレーズが頭に浮かんだ。

コンビニ帰りの駐車場で西の空に火星が赤く光っているのを見て、ぼんやりと「そういえば高校のときの同期に赤星くんっていたなあ」とか考えてた(<-マインドワンダリング)

Google Chromeの検索欄に「ここが」と打ち込んだら「ここがあの女のハウスね」と補完されたのでまったくどうかしていると思った。…まあ、それを探そうとしていたんだけど。

いやまじで、ホワイトボードのペンのかすれを解消する方法を見つけたら、革命的イノベーションと呼びたい。マヂ困ってる。

スマホに付けていたキュゥべえストラップが色が剥げて謎生物となっていたので、なんか新しい物をと思って秋葉原に寄った際に探してみた。アウトでないものを探していて、けっきょく羊のショーンを選択した。牧場主のオッサンのがあればそれ買いたかったのだけど、そんなものは無いらしい。有れよ。

アウトでない選択として考えていたのは、十四松がユニフォーム姿で「ハッスルハッスル! マッスルマッスル! 」って言ってそうなのがあったとすれば即買いだったのだけど、そういうものも無かった。有れよ。


昼にうたた寝していたらなんかの夢を見て、しかもそれは朝見たものの続きだな!と思ったことは憶えているが、内容はまったく思い出せない。たぶんそれはimageryというよりはthoughtだったように思うのだけど。

今回は「さっきの続きだ!」という特別な思考が働いたから夢を見た、というメタ認知が働いたのだけど、ふだんもたぶんこういう意味での夢は見ているということなのだろう。


ブルースギターといえば、高校生のころ小川町のカワセ楽器に出入りしていて、そこでカントリーブルースギターの教則本を買ってオープンDチューニングでボトルネック奏法とか練習したものだった。それはクリームとかから遡りたかったからなのだけど、けっきょくブルースを理解することは出来なかった。

ネットで探してみたけどこれとかだな:「ステファン・グロスマンのカウントリー・ブルース・ギター」昔だからCDとか付いてない。仕方なく楽譜だけ見て演奏してた。それだとブルースギターのタイム感とか音程感とかさっぱりわからないのだった。


2019年05月07日

宮廷薬剤師、ポンチ絵、バルーン投光機(さうして、このごろ2016年3-4月版)

俺も宮廷薬剤師になるか!(<-なんかテレビ見てるところ)

イヤホンをストーブ前に放置したら熱くなってしまった。やむを得ずそのまま耳に入れてみたら温くて気持ちいい。これはビジネスチャンスか?(<-チガウ)

帰り道のコンビニの前で、電線がたくさん走っているのってなんか風情があるなあと思って写真に撮ってみたら、ひこうき雲が写ってた。



@ksk_S さん経由で知った「夢の中に出てきた奇妙な単語達」「ヘビとショウガを抜いたケーキ」とか「リドプチチャン穿孔」とか「この新しい原子は左に回すと緑色に変化します」とかサイケデリックで痺れる。

以前書いたブログ記事の「ボン・ボリーニ!」「幸せはスペードの43」「暖かいところに集まる習性を持っている「つるにはまるまるむし」」とかと近いけど、「夢の単語」の方がホンモノ。俺のは狙いすぎのニセモノ。


年度末になると夜間の道路工事が増えて、車を運転しているとあの明るいボンボリみたいな照明がいきなり現れてギョッとするのだけれど、あれの名称は「バルーン投光機」というということを知った。つか知ってどうする。

新学術の班会議の予定をカレンダーに書き込んだら、2017年にも私が存在していることが確かになったような気がして、不思議な心持ちになった。

ハーゲンダッツの華もちシリーズが出て一瞬で手に入らなくなって、非主題的に(<-現象学ジョーク)欠乏感を感じていたのだけど、井村屋のやわもちアイスを見つけた。ラクトアイスなので満足感は低いけど、それでも私のQOLが256倍になった。


今ケーキ屋さんの前を通ったら、ケーキの名前のひとつが「シフォン主義」って書いてあって、通り過ぎた2秒後くらいになってから意味を理解して軽く吹いた。

ためしに「シフォン主義」でググってみたら、「相対性理論」のファーストアルバムのタイトルであることが判明した。己の不明を恥じた。


人生の中で厳しい時期をなんとかやり過ごすためには「弱くあり続けられる強さを持ち続けたい」と頭のなかで唱えたりすることもあるものなのである。(<-である、じゃねえ)

なんというか「人生は続く」ということをひしひしと実感させられる。それにはポジティブな意味合いもあるけど、絶望でもある。24時間寝ても寝足りない。ドアは鍵がかけられたままで錆びついてしまった。でも雨は降りつづけ、安物のビニール傘では雨を凌ぐことができない。(<-雨降ってません)


簡潔なチルウェイブの作り方。“Find an 80s sample. Slow it down. Put a beat behind it. Put a droning synth behind it. Turn on Ableton’s Beat Repeat effect.”

Kraftwerkの1970年ライブというのを聴いてみたら、すげークラウトロックというかカンタベリー・ロックしていてよかった。

Khun Narin’s Electric Phin Band タイの伝統音楽とアシッド・マザーズ・テンプルみたいなサイケなジャムの合体という感じでスゲーいい。


わたしがはじめて「ポンチ絵」という概念を知ったとき、「ポンチ」という言葉は太宰治の前期作品でしか見たことがなかった。おそらくは戦前生まれで軍人メタファーを駆使しちゃうような大先輩方が作った言葉なのだろうと戦慄したものだった。

別件だけど、数十年前の話で、戦前生まれの大先輩に「敵前逃亡は銃殺刑だぞ」と軍人メタファー使って説教されたことを今でも覚えている。というかその人のことはそのことしかもう覚えていない。

甲子園と戦争メタファーって話はどこかで書かれてなかったろうか? 私は試合開始のサイレンにそれを感じる。夏の甲子園で終戦の日の正午に黙祷するのとか。


2018年12月22日

さうしてこのごろ201602

冬の自転車での帰り道は、ライトを灯けなければならない。持ってるライトは点滅することで電池の保ちを良くしている。暗い時間は長いはずなのだが、明るいときの残像で長時間道を照らしているように錯覚するのだ。ではなぜ暗闇の残像は持続しないのだろうか?暗闇の速さはどれくらい?(<-チガウ)

次男が代休の日用にコナンのDVDをツタヤに借りに行ったら、暗殺教室の映画版のポスターが貼ってあって、それを見ながら次男が「この黄色いのが悪者でしょ」と言うので、いやそのように見えるけど実はこいつはと微ネタバレかましつつ擁護しておいたが、ぶっちゃけ次男はどうでもよさそうだった。

暗いところからいきなり明るいところに出たときの「眩しい」って感覚、あれってなんなんだろう?痛み?苦しみ?気持ちの良いことではないのは確かだけど、痛覚を刺激されてるとかそういうのではない。杆体中心の活動から錐体の活動に移行することがなぜつらい?

我々は空を見ていても無意識的に太陽を直視するのを避けていると思うので、それとも関係してるかも。先天性無痛症の人が舌をかんだり骨折をしたりすることを考えると、そういう無意識の体の位置の誘導というのは見えてないけどかなりあるのだろう。


「シンギュラリティ 人工知能から超知能へ」訳者あとがき「抽象化の能力は反省(reflection)という、事象を再帰的に検証する行為を通して論理的な手続きを構築することを可能にしている。これは人間のような複雑な神経ネットワークを持たない前・反省的(pre-reflective)な生物にはない特徴である。」URL

  • ここで参照しているJCSの記事のPDF

  • さらに(スワンプマンの)デビッドソンによる"Rational animals"のPDF

Z会を「ツェット会」と読むと秘密結社度が上がってたいへん良い。ベルク・カッツェ(Bergkatze)くらい良い。

ミニオンズのCM見てて「これってスポンジボブ?」って聞いたら次男にめちゃバカにされた。

「茶の間の超能力者たち…野口選手がラストスパートをかけた頃からどんどん跳ね上がって、ゴール時点での瞬間視聴率は29.2%に達したそうです。これって不思議だと思いませんか?」これは進化の説明に使えるナイスな事例。メモっておく。

「カニは食ってもガニ食うな」の「ガニ」って音が好き。ローラン・ガルニエの「ガルニエ」よりも好きなくらい。


「ダダイズム100周年 全てを疑問視した芸術運動」ダダイズムなんて言葉久しぶりに聞いた。私がこの言葉を知ったのは多くの人と同様、中原中也からで、「タバコとマントの恋」とかの作風には強烈な影響を受けた。

それは中学生の頃で、そこからシュルレアリスムを発見し、「溶ける魚」を愛読し、そのあとでサイケデリック・ミュージックに触れ、そしてザッパを知ったのであった。(<-なぜかである調に)


私の父親は75歳を越えてから経営していた町工場(「(株)ヨシダニット」)の規模も縮小して仕事を減らしているのだけど、それでも年末には仕事がたくさん入って、休み前に終わらせるのが大変だったと言う。この歳でまだ仕事を持ってくるクライアントがい続けるってすげえことだなとあらためて思う。


「王様・軍人・学者・職人」って区分の話が好きなんだけど、あれは占いみたいに使うものではなくって、誰もが持っている欲求を明確にして、どうそれを割り振るかということを考えるのに役立つ。

たとえば研究者は「学者」的欲求だけでやっているかというとそうでもない。「日々の発見でのアハ体験や、研究をまとめ上げbig pictureを組み立てる喜び」みたいな「学者」的欲求は研究者の生活においてはほんの一部であって、「論文通すために査読というバトルパートで完勝するとか、大きいグラントを取ってくる」といった「軍人」的欲求も不可欠だし、そのためには「揺るぎないデータを得るための実験手法の開発のためのこだわりとプライド」といった「職人」的欲求に支えられる必要があるし、「PI/ラボマネとして個々のメンバーが幸せでアクティブなラボを作りたい」といった「王様」的欲求がなければ研究はスケールしないだろう。

翻って自分はどうかというと、いまここで晒すわけにはいかないのだが、だれもがそれぞれに違ったバランスでこの人生というゲームに取り組んでいるんだろう、とかそういうことを考えたり、考えなかったりする。


ウィキペってみたら、ジョージ・オーウェルはイートン校卒で、30代は「パリ・ロンドン放浪記」「カタロニア讃歌」とかのルポライターで、42歳で「動物農場」でブレークして、結核を患いながら45歳で「1989」を書いて、46歳で死去とのこと。


2018年11月09日

さうしてこのごろ201601

今日は昼から実家に弟一家も集結して11人で乾杯。近くの公園でサッカーボールで遊んだり、8人でババ抜きしたり。あと初めて「4人制スピード」をやってみた。試行錯誤の結果、参加者は4人で場のカードは2枚でやるのがちょうどよいことが判明。場のカードが4枚だと一発で終わってしまう。

あと、参加者が5人だと接触プレーが多すぎて危険。

あと、場にプレーヤーの手札が重なりまくって正しく手札が置けてないという問題が発生するので、レフェリーをひとり置いて訂正をさせると、プレイを止めなくて済むので良いということもわかった。横で見ている方が面白いってのもあるので。

あともう一つのポイントはトランプは2セット使って、ジョーカーは除いておくとよい。(<-マニュアルみたいになってきた)


Tychoが気に入ってこういう音(リヴァーブかけまくり+シンセパッドでもやもやの音像)の作リ方調べていたら、Chillwaveというキーワードを発見した。それでwashed outとかToro Y Moiとかを知った。ジャンル分けもこういうときには役に立つ。

私自身はシューゲでサイケな方が好きなのだけど、いわゆるChillwave、たとえばWashed outはもうちょっと80年代ディスコサウンド的な要素が入るようで、あまり趣味ではないのだけれども、聴いてれば慣れるかもしれない。

60年代サイケからChillwaveへの系譜という意味では、ソフトサイケのGundalfでのヴォーカルにリヴァーブかけまくりの音とかは近いんではないかと思った。そういう見方で聴いてみると昔の音だからスッカスカではあるけど。


正月も終了してしまったけれども、この時期になると想い出すのは「スカスカおせち」と「サンタクロースミュージックFES」だ。なんでこんなに気になるのかはわからないが、いまでもあれはけっきょくどうなったのだろうと気になる。

今日は次男を連れて吉良町の屋内プール(ホワイトウェーブ21)へ。年始だからかガラ空き。流れるプールで前後5mに人がいない!というわけで3時間みっちり次男と遊んできた。家に帰ってすぐに爆睡したけど、これからまたさっさと寝る。レジリエンスを涵養中。(<-テキトー)

昨日ひさびさに(たぶん10年ぶりくらいに)Space OddityをiTunesで聴いたところだったので、訃報には驚いた。この偶然に意味を見出したいところだが、ぶっちゃけ偶然。

やれやれみたいなポーズで「負けそ。」って言いながらドヤ顔でカメラ目線で、お茶の間の笑い声が重ねられる、っていう記憶の断片があって、多分昔の海外のコメディードラマなんだろうけど、わからん。たぶんこのエピソード記憶を支えていた細胞は3個くらいしかなかったんだろう。


以前は東岡崎駅前で夜9時以降営業している飲食店といえばココイチしかなかった。でも昼に行くと家帰ったときに奥さんに外食したのが臭いでバレるので次第に行かなくなった。ここ数年では、カレー欲が高まったときはステーキガストの日替わり定食のカレー食べ放題を利用する。味にこだわりは無い。

そうしたら、学食とかふつうのカレー屋とかであるような、ルーとご飯の比率を考えながら食べる必要がなくなって、ルー2:ご飯1 (通常の比率と比べて) くらいでいけるようになって幸せになった。ルーの味よりも、ルーの比率が低いことのほうが俺を不幸にしていることがわかったので、最近は学食の380円カレーでも、ルー比の高い状態でカレーを食って、余ったご飯は残すという方法を編み出した。これで人生の幸せが二倍になった。

Matthew Sweetの"Girlfriend"のドラムが好きなんで、アウトロのブレーク後のドラムだけのところをDAWで切り出して、ループにして120bpmを100bpmに下げてベースとエレピ入れたら、Fatboy Slimみたいなビッグビートになったのでなるほどと納得した。

「ぶももも」みたいな擬音ってなんだったかと思案していたが、「できんボーイ」(田村信)の「ずもも」のことだったようだ。Kindleで1巻読んで確認してみた。少なくともこの擬音のセンスは私の心の奥底に埋め込まれているのは確かだ。


2018年11月03日

さうしてこのごろ201512

うちの次男が「安心して下さい、穿いてますよ」をわざわざ実演して説明してくれるのがウザいながらも愛おしい。

「49%の職業が機械や人工知能によって代替することが可能」のニュースを見ながら長男と「ベーシックインカム」とか「蔓延する自己責任論」とかそういうことについて語った。

昨日は長女が英語のリスニングの勉強の仕方を知りたいと言っていたので、ESLPodcastを薦めたがまだ難しそうで、洋楽の歌詞カード読んで歌えるようにすればというのが長男との結論だった。


「藤田嗣治、全所蔵作品展示」に行って戦争画見てきた。これはすげー。玉砕の美化かつ戦争の悲惨さだった。縮小サイズで見てたら折り重なる人々と暗い色調に目が行くのだけど、 実物で見たら日本刀の威力が強くて、敵とともに互いに喉元を押さえあって刀を突き立てるというモチーフがいちばん心に来た。

実際の戦争はこんな肉弾戦ではなくって、兵站の軽視による餓死と病死だったことを知っている我々にとってはこれは見てきたようなウソなのだけれども、でもそういうのを超えたものに圧倒された。そういう何重にも読み取れるものがここには入っていて、これを見て「玉砕の美化、戦争協力、イクナイ!」と言うわけにもいかないし、「戦争の悲惨さを訴えた名作」というのも正しくない、ということを実物を見て感じて帰ってきた。

補足すると、敵も見方もわからないような入り混じった状態で(顔はどちらも迷彩のため赤茶色に描かれている)、唯一それを知る鍵が日本刀を握っているかになっているということ。西洋画の意匠の借用が多いもの(「神兵の救出…」「ソロモン海域…」とか)よりもただただ暗く塗られたものが良かった。

その一連の作品で一番いいと思ったのは「ブキテマの夜戦」というやつで、これはもはや肉弾戦をしているところは山の端に見える細い赤色で暗示されているだけで、前面は打ち捨てられた野営所か何かで、暗い画面をよく見ると3人くらい死者が横たわっているというもの。これには心が震えた。

これは1944年、最後の最後のあたりの作品なので、どう解釈しても戦争賛美を読み取ることができない。戦争協力側に入りながら、大衆の支持を集めたことで、軍部の怒りを買ってもおかしくないような相当きっついところを攻めている作品のように思えた。


MogwaiのTravel Is Dangerousがロシアの潜水艦クルスクの沈没をテーマにしていると読んで、アウトロの音の意味が理解できてしまった。あと歌詞の聞き取りが英米人でもめちゃめちゃだということが分かって拍子抜けした。

Sing, Singじゃあおかしいもんな。Sink, Sinkだ。「沈む、沈む、母国によって溺れさせられ。この古いマシンは呪われ、忘れられ、二度と浮上することなく。」こうなのだな。


今日の午前は実家で今日の午後のプレゼン資料づくり。両親が仕事をしながらかけているAMラジオから「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が流れてきて、思っていたよりもバッキングがかっこよくてシビレた。

世間ではスター・ウォーズが盛り上がっているけど、告白してしまえば全く見たことがない。つか80年代辺りの洋画を全く見てないことに気がついた。E.T.、バック・トゥ・ザ・フューチャー、トップガン、シュワルツェネッガー出演作、スタローン出演作、ダイ・ハード、エイリアン、ジョーズ、ゴーストバスターズ、ロボコップ、インディ・ジョーンズ、マッドマックス。これは教養に欠けるという意味で恥じるべきなんだけど、なぜか全く興味が無い。ってここまでピックアップしてみて気づいたけど、アクション映画を見るという習慣が(レンタルですら)無いということか。

なんか70年代後半のギャグマンガで「ぶももも」みたいな擬音があったよなと思って調べてみたが見つからない。代わりに「ぶももベーカリー」という名のパン屋を見つけた。香椎神宮駅前だそうな。俺の人生と交錯してまた去っていった。


ついにサンタクロースの正体を知ってしまった次男のために自転車を買いに帰宅ラッシュの国道248号線を行ったり来たり。日、水、木と三回目でやっと買えた。次男も満足、私も満足。よいクリスマスイブとなった。

長女が「サンタクロースは本当はいるんだけどその正体を疑ったがゆえに来てくれなくなったので、代わりにパパとママがプレゼントを買ってくれるんだよ」という論理を展開したが、次男は聞いちゃいねえ。


「けれどもかれらの存在は彼らにとって無限であり、意識の枠がなく、おのが状態に向ける眼をもたないそれはかなたへ注がれているかれらの眼差に等しく純粋なのだ。かれらが未来をみるとき、かれらはいっさいを見る。そしていっさいのうちに自己を、永遠にまったき存在である自己を見ているのだ。」

「けれど動物も、その身はつねに警戒にほてり、かれらのなかには大きい優秀をはらんだ重さと不安がひそんでいる。つまりかれらにも常にまつわりついているものがある、それはわれわれをしばしば圧倒するもの、ーーー思い出だ。」(第八の悲歌)

ここで「思い出」と言っている部分の原語はErinnerungなのでこれはふつうにmemory一般を指していて、recollectionとかそういった含意はないようだ。

ここでいう「開かれ」(das Offene)ってのが「行為的連関のモード」にあり続ける動物であり、反対向きに(内向きに)死の恐れを見るのが表象によってできた「反省的試行のモード」の世界であり、(フッサール)現象学ってのはそういう開かれ(直接的な経験)への志向っていう俗っぽいご利益があるってことなんではないだろうか。

第8悲歌で動物にもErinnerungがある、ということを書いてあって、これはふつうにmemory一般と理解していたが、「経験の構造」を読んでたら「『受動的総合の分析』における『想起(Erinnerung)』の理論」という記述が出てきた。


家族と一緒に食卓を囲む日常を過ごしていて、当たり前のようでいてこれ以上なく幸せなことだなと思う。正直今日は悪いニュースもあったけど、そんなの吹き飛ぶくらい、毎日が幸せだ。(<-涙目)


2018年10月31日

さうしてこのごろ201511

薬品会社の工場が移転した跡地に新興住宅街ができていて、きれいにライトアップした家が立ち並ぶところを自転車で通りかかったら、子どもたちが列を作って練り歩いていて、いちばん先頭のやんちゃっぽいのらしきが「トリックオアトリート!」と叫んでいるのを通り過ぎた背後で微笑ましく聞いた。


「『俺たちの旅』の歌詞はラブソングではないところが良い」って書いたけどこれは正確ではなかった。「背中の夢に 浮かぶ小舟に あなたが今でも手をふるようだ」には「あなた」への憧憬の情がある。でも「憧憬」ってとても良い。ライドっぽい。

と言いたいところだが、アンディ・ベルの曲はだいたい甘ったるいラブソングで最高(Vapour trailとか)。マーク・ガードナーの曲は寂寥感あふれてて至高("Seagull"とか"Leave them all behind"とか)。たぶん。歌詞全部再確認する必要があるが。

確認のためにアンディ・ベルによる解説を再読した。 Seagullはアンディ・ベルだそうです。さきほどの説はretractしたいと思います、と言いたいところだが、Unfamiliarがマーク・ガードナーなので、だいたい合ってる。


近所の100円ローソンショップでご老人達が生活用品をたくさん買い込んでレジが行列になってた。400m先にAEONがあるのだけど、徒歩圏であることが重要なのだろう。竜美のこの辺は1960年代に住宅造成がなされて移り住んだ人たちが(私の両親と同じくらいの)70-80歳になっている。

名古屋に通うために岡崎に家を購入する若夫婦は、以前は竜美に家を建てたのだろうけど、私が来た頃は緑丘だったし、さらに上地にも新築の住宅がたくさん建った。いまは福岡町と中島町のあいだに広い道路ができて(わたしの自転車コース)、そのあたりが住宅建築ラッシュとなっている。


ひさびさに次男と「人生ゲーム極辛」をプレイ。父は順調に社長へとステップアップして裕福な人生を歩み、次男は途中でフリーターにジョブチェンジして借金だらけでゴール。終了後に「ジョブチェンジのところはおまけしてほしかった」とか言いながらため息ついて片付けしてた。甘ったれてやがる。

昨晩は久々に子どもたちと外食。今どきの中高のスクールカースト状況とか、ヒップホップの4大要素とか、シャドーイングの仕方とか、森羅万象について長男と長女と語り合った。そのあいだ次男は食い過ぎでダルそうにしながら、ストローでサイフォンの原理を再現するなどの科学的偉業をうち立てていた。

太宰の言葉を借りて表現するならば、「けれども私は、ハムレット話法というものを処世術みたいな打算的なものとして考えていた矢先であったから、」批判者の曖昧であるという言葉を意外に感じた、というところになる。(<-いろいろ考えた挙句のこの表現)

今日は次男を体操教室に連れて行って、車の中で「アルクアラウンド」を二人で熱唱。一番のヒラウタ部分の「僕は歩く〜」が四回繰り返されるところが良いと言っていて、よくわかってるじゃんと関心した。


なんとなく詩が読みたいと思って先週借りてあったリルケの「ドゥイノの悲歌」を読んでる。案外覚えてた。大きい数字がきっちり割り切れるところとか、軽業師についての言及とか。以前読んだのは学部の頃だろうか。当然岩波文庫の改版前のものだ。どっかにドイツ語の原書があるのだが、実家だったか?

「ドゥイノの悲歌」の第8悲歌は「動物と人間」がテーマで、「動物にとって開かれている」という表現がハイデガーの批評の対象となったとかは知らなかった。さらにまさにこれをテーマとした「開かれ 人間と動物」アガンベンという本もあることを知った。読めるかどうか分からないが借りてこよう。

『ドゥイノの悲歌』の第八悲歌の解釈 独語独文学科研究年報, 16: 53-66 良い資料も見つかったので、ドイツ語で読むか。(<-ぜったいやらない系)


Saint Etienneを聴きながら帰宅。「こんなにいい気分なのははじめて、こんなに自分が強く感じるのははじめて、何人も私たちを止めることは出来ない!」とセカンド・サマー・オブ・ラブのMDMAで多幸感出まくり感あって最高。

「アウトロなんて「完璧!(perfect)」ってリフレインしてるし。」って書くつもりで、でも念のため歌詞サイトチェックしてみたら、アウトロのウィスパーは「何人も!(nothing)」って繰り返していることが判明。俺24年間ずっと勘違いしたまま聴いてた。どっこいそれでも生きている。


今日は家族5人全員で上和田町のスバカマナ。食べ放題をやってた ので、というかそういう時しか行かない。こうやって家族5人で外食というのも長男が高校を卒業したらなかなか無いだろう。じつはあと数えるくらいしかこういう機会はないのだ。きっと今日のこともいつか懐かしく思い出すことだろう。

今日は子どもたちのひいおじいさんが天パーだったのでうちはみんな癖っ毛とか、長女がいつも写真取っているのはinstagramにアップしているからとか、そういうとりとめのないことを話したが、あとでそれを想い出せるように、ここに記して永遠の記録とする。


急に思い出した。私は中学か高校くらいの頃、父親はまだ酒を飲んでいて、いつも行く寿司屋の「たけさん」でビール飲んで将棋打って、酔っ払って帰ってきて、たまに「マスオさんが持ってくるアレ」を持ち帰って、みんなで寿司(鮪の赤身)を食べたのだった。

「たけさん」はおやじさんの体調が悪くなったかなんだかで店じまいをして、いまは別の店になっている。その隣りにあった古い本屋も、さらに隣りにあったスポーツ用品店も、その向かいにあったレンタルビデオ屋も、みんな無くなった。

俺の人生が停滞しつつ徒に時が過ぎてゆくばかりであるあいだに、2年8ヶ月ぶりの「よつばと!」の13巻が出た。買いに行こうっと。

「みかんの心ぼし」をひさしぶりに聴いてみたら、3番の歌詞の展開がPixiesのMonkey Gone To Heavenの3番の展開を完全に先取りしていたことを知って、あのねのねの偉大さに驚いた。当時は不二家歌謡ベストテンとかでワンコーラスしか聴かなかったから気づかなかったのだ。


2018年08月16日

さうしてこのごろ201509

「ソーナンス」って屈託なくって内面無いかんじですごくイイ。ああ、俺の内面もソーナンスみたいだったらよいのに。(<-ソーナンスはソーナンスであれで実はいろいろ考えていることあるのですよとお説教が)

学芸会で水戸黄門をやるとかで、次男が水戸黄門のDVDを見ている。昔の水戸黄門(東野英治郎版)は単純に勧善懲悪でよい。最近のも流していたけど、複雑すぎる。現代ものドラマみたいになってた。

マカクのresting state fMRIの解析のためにAFNIにはお世話になっているが、ここのロゴのセンスとかがなんつーかアメリカで売っている水色のケーキ的センスというか、旧愛生会病院ホームページ的な残念感があるのがいつも気になる。たとえばこのスライド

このあいだ、どういうシチュエーションだったが忘れたが、興奮して喋ってたら(<-よくある)、喋りながら鼻を鳴らしてしまった(ブタの鳴き声のマネみたいなアレ)。素で「フォカヌポウ」をやってしまった自分を恥じつつ、あれってこういう意味だったか、という気づきを得た。

運転しながらの帰り道に、安城街道で上りたての半月を見たら、飛行機雲がちょうど前を横切っていて、まるで半月が串刺しになったかのようだった。「ククク、ついに【ヤツ】が目覚めるときか」(<-厨二病風)


夕ニャンの「勝ち抜き腕相撲」でロッキーの合図とともに乱闘が始まるあれ、あんなかんじで(ry

ハッピーターンのパウダーが増量250%になっているのを堪能する幸せ。いったい、これ以上、なにを望めばいいというのだろう?ああ、勝ち抜き腕相撲か。

「ここさけ」岡崎でも来週いっぱいまでやっていることに気がついた。レイトショーなら1100円。行くか。でもその時間最近いつも眠い。時差ボケだろうか。

「んもっちー!」「けぼー!」とコールアンドレスポンスをしてみたいのだが、もう子どもたちは大きくなってしまってそういうバカなことの相手はしてくれないのだった。これが35歳問題か。(<-テキトー)

だれかオレのことも修復してほしい。(<-さりげないノーベル化学賞ネタ)

「意識とはは幻想である」ってのは結論ではなくって、それが原点なんだという言いかただとしっくり来るかなと思った。すっかり忘れていたけど、私の原点のひとつは岸田秀の「唯幻論」で、国家も歴史も社会も貨幣も自己も共有された幻想であり、それは結論ではなくって、乗り越えられるべき原点だった。

「俺たちの旅」の歌詞を熟読してみたけど、あらためてすごくいい歌詞だなあ。 ラブソングではないところが良い。こういう含羞含んだドリーミーな歌詞はシューゲに通ずる。シューゲアレンジで録音したい。

トイレでプーさんカレンダー見ながら瞑想に耽っていたら、「ほっきょくぐまって「くま」かとおもったら「ぐま」かよ! 「ぐま」つよい! 「くま」よりつよい!「ぐま」つよい! 「くま」よりつよい!」っていう歌詞を思いついた。

家族が見ているテレビをぼんやり音だけ聴いていたら「ポルターガイスト」って言葉がドイツ語だってことにふと気がついた。当たり前っちゃあ当たり前だけど、その発想がなかった。「ガイスト」はZeitgeist(時代精神)と同じだから「魂」とかそういう意味なんだろう。ポルターは知らん。

いま流している番組のナレーターが仮面ライダーWのあれの人なので、「ヒート!トリガー!ジョーカー!」とか言ってみたくなったが、次男がいない。ホームシック。(<-家に居ます)

今朝の草刈りの方は無事終了。草刈機の操作に没頭しすぎてジャージが草の破片だらけになってしまった。くさかりまさお!

夕方ジョギング10.03km in 69’05"。ひさびさの矢作川沿いコース。行きは夕焼けに向かって走って、帰りは暗闇に向かって走って、小休憩のときに振り返ってみたら、残照に堤防沿いの植えられた街路樹がシルエットだけになっていて、なんかもう、生きててよかったって感じだった。


次男の体操教室への送り迎え。待っているあいだに意味もなく中央総合体育館の写真を撮ってみた。

そして行き帰りの車では次男と一緒に「スターライトパレード」とか「バッハの旋律を夜に聴いたせいです」を絶唱。人生を楽しんでおります。


長女がAviciiかけてて、いいかげん憶えた。The nightsの歌詞が泣ける。「僕が子どものときお父さんは…と言った。そして"These are the nights that never die"で「その夜」はけっして死なないけど、お父さんは亡くなったんだろうと暗示される。

広島到着!駅の「みっちゃん」に行ったら大行列だったので隣りに行った。新幹線も指定は満員、自由席に行っても座れなくてデッキで立ちながらラップトップ仕事をした。今日はなんか特別な日だったか?それとも日本の景気が回復しているのだろうか?(<-「主語大きすぎ」問題)


2018年03月11日

マニフェスト20180311

「人生何者にもなれなかった、けど」という記事を見た。この記事自体はどうでもいい。でも恥ずかしながら告白すると、私もいい歳して「何者にもなれなかった」みたいな気持ちを持つことはある。ただその表現では正確でないので、もうすこし言葉を費やしてみる。

私は薬学部に入って研究者としての訓練を始める前から、ベイトソンみたいな、ヴァレラみたいな、領域を自由に動き回る教養人になりたかった。偉い先生になって教え子から尊敬を集めたかったのでもないし、本を書いて文化人として扱われたかったわけでもなかった。

大学院に入った私は、ベイトソンみたいにやるためには、清水博が実践したみたいに(注1)PIになって自分の陣地を作ってから己の道へ進めるという戦略がよいのではないかと考えて、神経生理学者としてPIになることを目指した(注2)。

でも出世ルートから外れて年老いてしまい、どうやら計画は「まずPIになる」という段階で頓挫したようだ。それならば代替策はと、「高等遊民になりたい」と冗談めかして書いてきたのだけれども、それは「なろうと思えばいつでもなれる、仕事と家族を捨てればなorz」っていう苦しい思いを裏に貼り付けた上での発言だったのだ。

だから「高等遊民」になりたい、という表現も正確ではない。私は好事家や「プロのお客さん」(by 大槻ケンヂ)になりたいわけではない。ベイトソンみたいに、生きること、心を持つこと、優美であること、尊いこと、それらを「結びつけるパターン」を見つけ出すような生産的な活動をしたいのだ。私はいまでもこの目標に向かって進んでいるつもりだし、その意味では諦めているわけではない。

生きていることと心を持つことを繋げるような、なんだか分からない枠組みに向かうことは、ひとことで言うならばそれは「意識研究」だと思うので、自分のライフワークは「意識の解明です」と説明してきた。

でもそのように説明すると、心の現象のほんの一部である意識だけを研究したいのかと誤解されることがある。そうではなくて、(現象学的に言えば)心の構造が、「注意を向けられ、意識化されたもの」を氷山の一角に、「非主題的な意識」があり、それをさらにたくさんの「無意識」が取り囲んだ地平としてなりたつ仕組みをこそ知りたい。そもそもわたしは盲視という無意識の知覚を研究してきたのだから。

それをあらためて表現しなおせば、ベイトソンが言った「結びつけるバターン」であり、そういった、なんだか得体の知れないものに取り組みたいというのが私の行動原理になっている。

でもそのために自分が持っている道具はあまりに少なすぎて、道具を揃えているあいだに人生の大半が終わってしまいそうだ。「永遠に生きるように学び、明日死ぬように生きる」これは正しい考え方だと思うけど、「永遠に生きるように学ぶが、明日死んでも悔いはない」というやり方にしか自分にはできないなと思う。

そういうわけで、いまの自分にとって「何者かになる」とかそういうこと自体はどうでもよいことなのだけど、研究の道に進む際にひそかに立てた目標からどんどん遅れていっていることに焦りを感じている、というのが正確なところだろうか。


ここまで書いてこの原稿は放置していた。公開するにしてはちょっとぶっちゃけ過ぎているかと思ったので。以前信頼できる友人から、ジョブ探しの際にはwebサイトの内容に極力気をつけた方が良い、とアドバイスをもらったことがある。まったくそのとおりだなと思って、精神状態が悪いときに書いたものはほぼ非公開にした。あと自分の文章作成の方針として、原稿(Twitter含む)を見直してみて、自己憐憫や自己欺瞞や自己正当化や愚痴が含まれていることに気づいたら即削除するようにしてきた。

このような自己ルールの帰結として、このブログは研究に関わる告知や報告が大半を占めるようになって、風野春樹氏のウェブ日記にある「銀河通信」の感覚はまったく失われてしまった。

でも昨年末に祖母と叔父と父親がたて続けに亡くなり、親しくしていた研究者たちが若くして亡くなるのに遭遇して、自分の人生について振り返る時間が多くなった。偶然だが今日は3月11日だ。すくなくとも今回は、自分はどう生きるのか、それを語って消さずに残しておこうと思う。この文章には自己憐憫や自己欺瞞や自己正当化や愚痴が明らかに含まれている。それを完全に脱臭できたらよかったのだけど、自分がどう生きるかを書くにはそれは避けられないことなのかもしれないよ。自己正当化だけど。

注1: 清水博氏が1970年に九州大学の教授になったときはあくまで生物物理(自己組織化現象の物理)の枠内での仕事をしていた。「情報の創造」(場とかホロンの概念)を目指してラボの方針を転換したのは1976年に東大薬学部に移って以降の話。この経緯については氏の「生命と場所」のあとがきに書かれている。

注2: いまでもエリック・ホッファー的な「在野の研究者」の可能性についてよく考える。それをおおっぴらにするわけにはいかないのだが。


2018年02月23日

わたモテが12巻まできて最高潮に面白くなってた

以前コミック「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」(わたモテ)についてブログの記事を書いたことがある。そのときは主人公のぼっち描写と社交不安障害(SAD)についての論考から興味をいだいて5巻まで読んだけど、主人公の空気系ぼっちだが肥大化した自意識でやらかした失敗談をギャグとして読ませるという構造に、読んでる側の共感的羞恥がきつくて中断してた。

でもここ最近になって「尊い」連発の熱い記事を何回か見かけたので、再開して11巻まで読み進めてみたら、すごく面白くなってる。主人公の下品でクズなキャラはそのままに、周りの人間模様が複雑化して話が動いている。

それでいよいよ12巻出たので発売日に購入して読んでみたが、予想以上に素晴らしかった。1-7巻くらいまでの「陰キャぼっちあるあるネタ」から8巻の修学旅行編以降では「青春群像劇」へと展開していたのだけど、12巻ではそれが最高潮に面白くなっている。でもこの変化は路線変更というよりは主人公の成長物語におけるひとつながりの流れであると捉えられる。

作品初期の主人公の目を通したクラスメイトの描写は、見下す対象でありモブキャラにすぎないあっさりとしたもので、名前すらも与えられていなかったのだけど、いまではみなそれぞれに人間味を持ち、それぞれの機微も併せて描かれるようになった。

それは主人公が「クラスのリア充ども」といっしょくたに見ていたところから「あいつらもけっこう大変なんだな」みたいな認識を経て、ひとりひとりを個別の人間として扱い、扱われることで、世界が明確に輪郭を持ってゆく過程を反映しているように読める。

これが1巻から6年かけて計画的に構築されたものなのかといったらたぶんそうではないだろうけど、でも結果として1−7巻が周到な伏線としてはたらいている。たとえば2年生の始業式での自己紹介でウケを取ろうとしてコケたことが伏線となって、2年の終業式の打ち上げで話題となったり、3年生の始業式での自己紹介へのネタ振りになっている。

一方でこのような変化は(主人公の内面の変化に対応しているだけではなく)中学生から高校生に成長していく段階で、いじめが子供じみたものであることが共有されて、学生生活の娯楽としてのいじめがなくなってゆくタイミングとも合致しているだろう。Web版最新の喪128以降でのキバ子はその流れに乗り遅れて、キョロ充としてのカッコ悪さが露呈したところが描写されている。(わたモテの主人公はあくまで空気系ぼっちであり、明確ないじめの対象ではないけど。)

そういうわけで、今後も展開から目が離せない。アマゾンのレビューも現在星5が96%と絶賛状態だし、売り上げも上がるんではないだろうか。いっそのことアニメ2期来ないかね!卒業式で完結するとしてコミック出版まであと2年くらいはかかるだろうからタイミングは悪くないと思うんだけど。


2017年11月22日

「理不尽な進化」読んだ!(2年前に)

旅のお供に「理不尽な進化」(吉川浩満 著)を持ってきた。第1章を読み終わったけど今のところいい感じ。「適者」は強者ではなく、ニッチの埋め合いであって、進化とは必ずしも進歩ではないこと、「適者」であるがゆえに一見トートロジーに見えるということ、このあたりについて正しく理解したいと思っていた。

ここで紹介されている「理不尽な絶滅」を自分の人生と実存に引き寄せて読んでしまいたいところだが、まさにそういった進化観とと実存と認知バイアスというのがこの本のテーマなわけで、あんまり即断せずに読み進めていこうと思う。

「理不尽な進化」は最終章まで来た。なるほど「回帰する擬似問題」とか「心脳問題」のときと同じ構造を持っている。進化論が歴史と適応の組み合わせであり、これは意識での一回性の問題と同じなのだな。そして袋小路の成り方もよく似ている。機能主義者の無意識的な形而上学的コミットメント問題とか。

ほかにも「「お話としての説明」と「科学としての説明」という対比」の話と繋げて考えてみたりとか、いろんなとっかかりがあって、頭のなかで重要なところに杭を打つことができたような気がする。これを起点にもっと進めてゆくことにしよう。

あと、フリストン自由エネルギーとも関わる「最適化」の問題。歴史の影響から逃れ得ないがゆえの「奇妙な生物」と「messyな解決法」。期待に依存しない「アルゴリズム的解決」と物理に拘束された「embodiedな解決」。IITや自由エナジーをこちらから鍛えることができないだろうか?


「理不尽な進化」は読了してたけどメモ書くのを忘れてた。パウル・クレーの「新しい天使」くだりとかしびれた。トラルファマドール星人のように永遠の相のもとに進化、そして我々の歴史を見るならば、それはランダムウォークと枝分かれた先が消えたものでできた樹形になるわけで、その消えた先を見て"So it goes"と言ったんだなとか改めて感じ入った。あれの話でも、なんかしょうもないもの盗んで射殺された話とか、そういうときに"So it goes"というフレーズが繰り返されたはずだ。

あと、この本を読んだことで、Varelaが「知恵の樹」や「身体化された心」で「ナチュラル・セレクション」に対抗するために使った表現「ナチュラル・ドリフト」の概念を理解する準備がやっと整ったように思う。たぶん「アルゴリズム」なのかそれとも「来歴」なのかという問題に回帰するはず。


2017年10月31日

坪内ショウヨウ/三社祭/ネコちゃん警察署捜査本部 (さうして、このごろ2015年8月)

「おお、おお、おお、俺の『ネコちゃん警察署捜査本部』よ、いったいぜんたい、どこへいっちまったというんだい?」

「まどのそと」までは良いだろうが「つよいあめ」と繋がってはダメだ。まどのそとにはいったいなにがあるのがよいのだろう? ぼんやりプラットフォームに立っていたら、自分の後ろに人が並んだ。わたしは慌てて自販機に向かった。雪が降っていて、私はそのとき何かをやりきったつもりだった。

俺がGを恐れるのは、ほんとうは世の中にはもっと恐れるべきものがあるのだけれども、そういう気持ちを隠蔽して矛先をGに向けているためだ、という可能性はないのかと無理やり考えてみたが、さっぱりそんなあては見つからないのであった。これが認知的閉包というやつか。(<-言葉遊び)

ザッカーバーグの”Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity”が今でも気になるのだけど、そもそもintegrityってわからないなあ。https://en.wikipedia.org/wiki/Integrity

「坪内ショウヨウ」っていう芸名を考えついた。「カセタイシュウ」くらいイケてると思う。

何年前の話だったか忘れたけど、次男と街歩いてたら本屋だかレコード屋だかの店頭に萌え絵のポスターがあって、それを見た次男が「なにこれ!鼻がない!」ってめちゃくちゃウケてたのを思い出した。それだけ。

トバ・カタストロフ理論 で「現世人類が総人口が1万人にまで激減した」って話がなんか好き。言語化しにくいけど、なんだか痛快なかんじ。


「高菜、食べてしまったんですか」ネタを振りたくなって、どんだけ元気一杯よ俺、とか思った。行ったことないのに。これとstudygiftだけは未だに気になるのだけど、なんでこれらに私はそんなに惹かれるのだろうか。多分私の欲望とか嫉妬とか弱点とか個性とかを反映しているのだろう。

あと、「スカスカおせち」も未だに気になる。あれは大震災の前の正月、思えばのんきな話だった。

「サークル・クラッシャー」とか「オタサーの姫」とか「童貞を殺す服」とかそういうフレーズが世をにぎわすたびに、俺の人生にはもはや全く関係のないことのはずなのに、なぜか25歳の俺に戻って、胸を痛めてしまう。

「サンテ・ド・ウ」に「デッセ・ジェニー」的な吉本センスを嗅ぎとったので調べてみたら、はたして参天製薬は大阪の会社だった。(<-「はたして」を使ってみたかっただけ)

いままで「リッチモンド」Richmondだと思っていたものが「リッジモント」Ridgemontであることに気がついて、福本漫画のように現実空間がグニャアとなるような衝撃を受けた。受けてない。

遊佐未森の曲の歌詞で「樹々に隠れた大きな家に一人で彼は住んでる何やら妙な研究してるそういう噂」ってのが好き。俺もそういうところで何やら妙な研究したい。


RDレインの「引き裂かれた自己」を大学生の頃に読んで大きく影響を受けたことを思い出した。どうしていままで忘れていたのだろう? このブログ記事で「存在の裂け目」という言葉を使ったときにこれがレイン本由来だったことに気がつなかかった。

レインの本のメッセージのひとつとして、統合失調症患者の内面に整合的な物語があるんだということを受け取ったし、いま私がご執心の(<-自分で言う?)過剰サリエンス説もそれのバイオロジカルなバージョンと言えなくもない。「反精神医学」とかそういう政治的なものには興味が無い。

そのへんの家族療法的なものと認知行動療法の関係とか知りたい。あと最近話題になっている「オープンダイアローグ」ってのもそのへんのはず。そういうことを知りたい。


6月28日@pooneil いつのことだったか、こういう梅雨の蒸し蒸しした時期に、浅草橋を通る用事があって、そういえばおもちゃ問屋のせがれがこの辺だったっけかとか思って通りかかってみたら、偶然、軒先で甚兵衛姿でビール飲んでた。

それで、飲む?みたいな展開になって、アサヒビール(スーパードライでもなければ黒生でもなく)と枝豆をご相伴に預かって、ご両親にお礼言って、気持よく帰ったおぼえがある。あのときのビールはうまかった。たぶん。

三社祭の時期かなと思ったけどあれは5月だから多分違う。軒先って…いいよね。(<-イケメンボイスで)


2017年05月05日

「吉田=ホセ」の法則 (さうして、このごろ2015年7月)

Harvard squareで昼ごはん。ネットで評判を見て、Flat Pattiesでチーズバーガー頼んだ。4ドルなのにパンの部分が絶妙にカリフワでうまかったので大正解。

注文のときにおねえさんに(出来上がったときに呼び出しに使う)名前は?って聞かれたので「YOSHIDA」って答えたらわからんって顔したので、「YOSHI」って言ったら、注文票に「JOCE」って書かれていた。なるほどこういう風に聞こえるのか、と感心した。

ハンバーガー焼いて手渡ししてくれるおっちゃんは注文票の「JOCE」を見て「ホセ?」と聞いてきた。思わず吹いたが、予想できる事態だったので、慌てず対応してすぐハンバーガーをゲットできた。これからこういう場合は「ホセ」と名乗ることにしようと思う。


今年の我が家の会心のズッキーニ。デカい。


"procrastination"(先延ばし)って単語、語感が無駄にかっこいいから好き。もっとキモいのにすればいいのに。「ズモフ」とか。

「サークル・クラッシャー」とか「オタサーの姫」とか「童貞を殺す服」とかそういうフレーズが世をにぎわすたびに、俺の人生にはもはや全く関係のないことのはずなのに、なぜか25歳の俺に戻って、胸を痛めてしまう。

中学校の卒業前くらいに体育の授業でレポートが要求されて、その頃なんかで読んだ、今で言うところのHIIT(50m全速力を一日4回くらいを一週間続ける)を実践してレポート提出したら、体育教師にお前ふざけてんのかと凄まれた。急に思い出した。今にして思えばあれが体育学を忌避した遠因だな。

デトロイト・メタル・シティってあまりピンとこなかったというか、出落ちすぎて続けて読む動機がないなと思ってはじめの方しか読んでなかったのだけれど、もしかしてあれは「デロリンマン」の系譜で読めばいいのではないかということにふと考えが至った。そう読めば泣けるかもしれない。泣きたい。

Teenage FanclubのThe Conceptについてのコメントで"The "Aaaaaaahs" kill me."っていう表現を見つけた。"Aaaaaaahs"ってのは組曲構成の後半のあれのことだけど、Aaaaaaahsにもtheが付きうるんだ、って面白く思った。


次男を連れて岡崎城の目の前の乙川カヌー体験コース行ってきた。次男は何度かこういうの行ってるのでけっこううまい。上手なお兄さんにカヌー上でボール操る方法とか教わってた。私はバランス悪くて一回転覆させた。薬学ボート部だったのに!

貴重品は身に付けて、とのインストラクションだったので財布をポケットに入れてた。転覆によって財布はずぶ濡れ。お札を扇風機で乾かしてる。川で財布落とさなくてよかった。乙川は真ん中の方は後が届かないくらい深いことを知った。岡崎に19年いてこの川で泳いだのは初めてのことだった。


2017年03月10日

「Skype3時間/Disorientation/Y字路」(さうして、このごろ2016年8月版)

本日の最後の任務終了。Skypeで3時間ちかく語った。受話器を握る指がしびれた。(<-受話器ないし)

カラオケ屋で"I Feel Love"をキー変えずに歌いたい。「魅せられて」みたいな振付で。

「新思索社、破産決定」というニュースを知った。ショック!残念!とか言いたいところだが、ベイトソン本二つしかこの会社の本は買ったことが無かった。正直スマンカッタ、としか言いようがない。


SHIROBAKOの第1話を見たら、使えない金髪野郎の失策を補うために進行の人が頭を下げて別のアニメーターに仕事の肩代わりをお願いするという胃が痛くなる展開で、なんでテレビ見てまでこんなつらい思いを追体験しなければいけないのかさっぱりわからなかったので、それ以上見るのはやめた。

久々にアコギ出して弾き語り。ペット・ショップ・ボーイズの「ニューヨーク・シティー・ボーイ」とか歌って左手の指が痛い。つかBmaj7-Gm6-Am7-Dmとかギターで弾いても気分が出ないがな。

それで歌詞を見てて気がついたのが、"Want to go and wander in the ticker tape"とtheがついてる。なんか特別な意味があるのかと調べてみたら、「ニューヨーク名物の紙吹雪舞うパレード」のことだった。


今日は毎年恒例の岡崎の花火大会。これまでは家族と一緒に研究所の開放スペースで過ごしたり、次男を連れて自転車漕いで見に行ったりしたのだが、昨年は海外出張(GRC)、今年は次男はソフトボールチームの合宿で一緒に見ることができていない。

それで気づいたんだけど、もうすでに(子育ての生活の1ページとして、)子どもたちといっしょに花火を見に行くというのは終了していたのだと。それはなんとも悲しい話だ。残るは、次男がソフトボールチームから卒業するまでの期間で、そしたらこういう生活は唐突に終わるのだ。ついにそう実感した。


駐車場からちょうど沈む夕日が見えたのでスマホで撮影したけど、こんな色じゃあなくって、もっと禍々しいくらいの存在感だったのだけど、どうしてそういうのって写らないのかな?


名鉄の中で夢中で本を読んでいて、ふと顔をあげたら周りが田園風景で、いったい自分はどこにいて、どこに向かっているのかわからなくなるような、disorientationの感覚を経験した。これは再現しようと思ってもなかなかできない。

けっきょくそこは刈谷に向かって東へ走る途中で、こんなところに田んぼがあるなんて思わなかったからなのだけど。

こういうことは以前もあった。車を運転していつもの見慣れた上地から南下する道を、そのときは北上しているだけだったのだけど、いったい自分がどこにいるのかわからないまま、とにかくまっすぐ進めば知っているところに着くはずとの信念だけで運転してた。


「Disorientationの感覚」と言えば、そんなの夜に車でナビ無しで山道に向かって走れば再現できるじゃんと思って、緑丘から南へ向かったら、山道を後ろからDQNカーに張り付かれて桑谷山荘辺りまで走ることになって、大後悔した。

けっきょく名電山中まで出て、国一を帰ってきたが、ふと気がついて、藤川の道の駅は深夜はどんなかんじなのか見てきた。DQNカーが集合しているということもなくて、トラックとかキャンピングカーとかが静かに並んでいた。


相模原の事件と一橋大の事件とが重なって、さまざまな言説を読んでいろいろなことを考えるけれども、そういうことって世間話ではなししたりしないんだよな。そういうことを話ししてみたいんだけど、けっきょくオリンピックの話とか朝のテレビで見た話に終始してしまう。

「オリンピックで思い出した水泳部あるある」これを読んでたら「レモンのはちみつ漬け」なんて胸キュンワードが出てきたのでしばし反芻した。(<-人生の勝者)

「プレイボール」ちばあきおの1-2巻がKindleで期間限定無料になっていたのでさっそくダウンロードして久々に読んでみた。谷口くんの渾身のバックホームのシーンで感涙できたので、俺はまだ大丈夫だと思った。

「あなたが友だちだと思っている人の半分はあなたを友だちだと思っていない」 泣けるわ〜友だちの定義を操作的かつ広く取ろう。俺と雑談をしたことのある人は全員俺と友だち、俺と食事に行ったことある人は全員俺の心の友(<-ジャイアン的な意味で)


skype終了。3時間もやると受話器の手が痺れるぜ。(<-同じネタ使い回し)

例のごとく22時の西友で大幅安売りになったお惣菜を見知らぬデブと争ってゲットしていたら、RideのVapor Trailが流れてきた。以前からここの選曲はUKギターポップぽいなあと思っていたが、疑念は今日確信へと至った。


岡崎市で好きなY字路といえばここ(本局の奥)ここ(岩津町)。後者は名鉄挙母線の跡地だと理解していたが、こちらの記事によれば勘違いだったことが判明した。

前者も後者も狭い道で、つまり古い道である可能性が高い。じっさいに昭和6年あたりの地図を見てみると、ちゃんと載っている。これは激萌えスポットと言わざるをえない。


2017年02月02日

「サード・プレイス/リョコウバト/アウトロ」(さうして、このごろ2016年7月版)

ガソリンスタンドに行って給油しながら、「イレギュラー、満タン、現金」ってフレーズが頭に浮かんだ。ちょっとハードボイルド感出てる。

気持ちは高ぶったままで、これでは眠ることができない。カーステレオのボリューム上げて、アジカンとかサニーデイ・サービスとかかけて、大声で歌いながら深夜の岡崎の街を警備していたら、やっとこさ心の平安を取り戻すことが出来た。

とある事項についていろいろツイートしてみようとしたが、「誤解を恐れずに言うと」と書かないと無理そうな展開になった。ということは、どんな言い訳を付けてもけっきょくは誤解を産むということだ。そういうわけで書きかけたそのツイートは消すことにした。(<-よくある)

ひさしぶりに楽しい飲み会だった。アルコール一滴も飲んでないけど、楽しい飲み会だった。

さっきまで実家の近くのミスドで作業してたが、周りの座席は中国語、韓国語、ポルトガル語が混ざっていて、マヂ異国だった。「コレニホンゴデナントヨミマスカ?」と問われて、どこかの住所の漢字の読み方を説明することに。うーむ、これが「サード・プレイス」か。(<-覚えたばかりの言葉を使いたいだけ)


そもそも今自分が大学生だったらなにをしていただろうか?いまからPythonを勉強して機械学習をやってとかだったろうか?でもそれって20年前にバイオでポスドクに行く選択と同じレッドオーシャン一直線という気もする。

給料安くても勤務時間が限られたホワイトな環境で、独身で、ストレスの少ない地方都市で、時間外はDTMやってsoundcloudとかで作品発表してハートが付いたらそれで満足、みたいな人生がいいな。

鰻が食べられなくなる日って、ある日これでおしまいではなくて、割高で質が悪い鰻ばかりになって庶民は食べなくなって、数年経って忘れたころに物好きが食べる鰻がこれで最後というニュースを他人事として聞くのだ、というふうにイメージが湧いた。リョコウバトのときはどうだったのだろう?


仕事に没頭してたらいつの間にか周りが真っ暗になっていて(<-部屋の電気を付けないタイプ)、夕立がやってきていることに気がついた。なんとかやり過ごすはずが雨は止まず、しかたなく帰ってきた。これからこういう夕立を何回か体験して、いつの間にか梅雨明け宣言が出されて、夏がくるのだろう。

帰ってきたらすっかり雨は止んでいて、西の方には青空まで見える。けっきょくもう15分待ってから帰ってくればよかったことが判明した。でもそれまでに既に45分待った後だったのだから、これは合理的な意思決定だったのだ、と自分に言い聞かせる。でも基本的に俺の意思決定めちゃくちゃだなと思う。


工夫してあるアウトロは好き。「すばらしい日々」のアウトロでギターのリフはイントロと同じなのにコード進行だけ違ってて好き。"Sir Psycho Sexy"でいきなりプログレみたいなコード進行になるところ好き。C†Cの"Crossing"もこの系統だけどやっぱ好き。

「思い出してる 夢みるように 夢みるように」ってのはあらためて聴いて泣ける。(過去を)思い起こしているのに、(未来を)夢見るようにっていう(<-説明ダサい)。「たとえこの世界が本当だって」っての好き。「たとえこの世界が嘘だって」じゃないの。本当だってことを否応なく知らされるの。


KORG Gadgetが半額になってた。この日を待ってた。さっそくiTunesから購入してダウンロードしているのだが、やたらと時間がかかってまだ完了しない。そうして、いま日本中がポケモンGoをダウンロードしていることに気がついた(7/22)。

さっそくKORG Gadgetで短い破片を作ってsoundcloudに上げてみた。メロトロンっぽいフルートと「チルウェイブ」ってタイトルのパッドがあったのでそれを使って。


耳かきが大好きで、毎日2,3回くらいやってる。つまり耳かきをする動機はもはや耳孔をきれいにする喜びではない。それで今気づいたのだけれど、もしかして私は外耳道の軟骨よりも奥にある頭蓋骨(側頭骨)を引っ掻きたかっただけなのではないかと。ってなにそれ怖い。

でもひとつ思い当たるフシがある(<-あるのかよ)。小中学生くらいのときに、眉間を鉛筆の後ろ側とかの棒でコツコツとやると、なんというかそのあたりが「ニ〜ン」とした感覚になるので、よく繰り返していた。もしかしたらあれも頭蓋骨に直接刺激を与えたかったのかも。ってなにそれ怖い。


2016年09月27日

「公正なる世界戦線」(さうして、このごろ2015年6月版)

さっき新横浜駅で「いま有楽町なんで、いまから東京駅に向かいます」って携帯で電話しているおっさんを見かけた。いったいどんな大冒険がこれから君を待っているんだい?


「ライク・ア・ローリング・ストーン」の歌詞で「彼(ナポレオン)のところに行けよ、呼んでるぞ、拒めないだろ」って畳み掛けるところが好き。”Go to him now, he calls you, you can’t refuse”

しかもよく見ると、heとyouの順序がライティング的によくできていることに気がつく。「ディランに学ぶ英語ライティング」って企画を思いついた。


「人は33歳までに音楽的嗜好が固まり、新しい音楽への出会いを止める傾向がある」 知ってた。ビートルズとソフト・マシーンが好きです。あとの音楽は全部クソです。こうですか?

でも実際問題として、いまDeerhunterとかTychoとかYndi HaldaとかWashed Outとかを聴いていても、それは私にとっては、カンタベリーとシューゲイザーとクラウトロックからの発展形として聞いているだけで、私がなにを美しいと思うかの感受性はちっとも拡張していないんではないかと思う。


「今いくよ」というけれども、已にいったものはいっていないし、未だいってないものはいってないし、今いきつつあるものもいかない。いきつつある者はいかないし、いきつつある者ではない者もいかない。「今くるよ」というけれども、(略) (ナーガルジュナ「中論 今いくよくるよの考察」より)


「ミルウォーキー・カード・ソーティング・タスク」ってフレーズが降りてきた。だったら「タラハシー・カード・ソーティング・タスク」とかどうよ、とか考えてみた。「ツーソン・カード・ソーティング・タスク」とかは普通にありそうで怖い。結論としては、「どうでもよい」


西友で3割引きになっていたお弁当を買ってガチャガチャが並ぶベンチで遅い夕食をしていたら、おじいさんが所在なさそうにじっと座っていて、徘徊老人だろうかと思ってこっそり見てみたら、案外若い人だった。マクドナルドはすでに閉店し、消灯し、アイカツの筐体からむなしく音声が流れた。


世界は俺を追い立て、追い越し、追い抜き、トンネルの先の方にぶつかって詰まってしまった。俺はトンネルの壁を手で伝いながら、夜露に濡れた壁を伝いながら、その部分に探るように前へ進むのだけれども、いつのまにかトンネルは闇に溶けてしまって、世界もそのうちどっかへ行ってしまった。


俺は自分で自分に賞状を書く。夜道の畑のスイカの甘い匂いとか、山道で不格好に大きくなっているタケノコとか、稲刈りで大量に見つかった小さなカエルとか、降りだした雨で立ち昇るジオスミンの香りとか、そういったものをかき集めて、承認欲求を満たしていこうと思う。


Grateful Deadの"Morning Dew"で一番好きなバージョンは Europe '72 に入っているやつだけど、もっといいのがあるかもしれない。俺は無限の図書館を、オイルで磨かれた板張りの廊下を、欧州の城を模した廊下の壁画を眺めながら歩いてゆく。


「公正世界仮説(just-world hypothesis)」という言葉を知った。つか「公正世界」って言葉の響きがカッコええ。「公正なる世界戦線」(just-world front)とか作って戦いぬきたい。いや、べつに戦いたくない。


「もぐ♥ワイ!」ってのを考えついたんだけど、誰にこの気持ちを伝えたらよいのかわからない。


海外からの客人を迎えてひさびさにビール3パイントも飲んで酔っ払った。夜の奈良井公園の気持ちいい空気の街灯の下で本を読みながら酔い覚ましをして、それだけでもう幸せだった。この瞬間の気持ちをwebに書き留めて、永遠の記録とする。


2016年08月06日

ゲッチンゲン・チュービンゲン滞在記

(2015年3月、ゲッチンゲン、チュービンゲンに滞在したときのメモ)


今日は共同研究がいろいろ進んだ。19時過ぎたところで夕食行く?って聞くからスーパーでなんか買ってくよって答えて別れて、Kunsthalleにあるスーパー(Penny Markt)で鱒のスライスとかハムとか棒アイスとか買い込んで最終バス待ってたら、10分たってもバスが来ない。

ついに案内板から17番バスの案内が消えてしまって、同じくバス停で待ってた人たちもみんな諦めて歩き出した。だれも文句言わないのでよくあることなのだろう。しかたなく昨日車で案内してもらった道を記憶をたどりながら、誰一人歩いていない静かな道をバス停を一つ一つたどりながら下っていった。

誰も歩いていないのをいいことに吉田式ディナー(歩きながら鱒のスライスを手を汚さずに食べる技法)を実践しながら道を下ってゆくと、Max Planckからの道と合流するSpemannstraßeまで来て、やっと歩いている人も出てきてホッとしたが、今度はゲストハウスの場所がわからない。

バス停で待っていた学生さんがウロウロしている私を見かねてスマホで地図を調べてくれて(偶然日本語を理解できる人でスマホの画面が日本人イケメン俳優だった)、お陰でなんとかゲストハウスまでたどり着いた。けっきょく戻るまで30分かかった。まったくえらい目にあったが暖かい夜で助かった。

食い物があったので悲壮感が出なくてよかった。空腹で寒くて異国の地をさまよい歩いたりとかそういうことにならないで、ほんとうによかった。生きてるって、素晴らしい!(<-おおげさ)


(ソース不明のブログの記事より:)「もうわかっているかと思いますが(もしくはすぐに気づくことになりますが)、チュービンゲンで真夜中に食欲を満たすのは至難の業です。」 知ってた。20時過ぎたら店は閉まってる。水が無いことに気づいて、しかたなく駅構内まで買いに行ってきた。

解析が終わらん。ネッカー川の向こう側では酒飲んで騒いでいる若者たちがウェイウェイ言ってる。(<-言ってない)

REWEというスーパーマーケットが土曜でも夜10時までやっていることを発見した。これでなんとかサヴァイヴしていけそう。

仮眠してた。18時の鐘が鳴り響きだした。いろんな鐘の音が重ね合わされて、いい感じに不協和音がドローンのように響くのに重ねて、まだ足りないかと鐘が打ち鳴らされて、なんだかサイケデリックだった。寝起きの頭で音の行方を追い続けたら、街のアンビエンスノイズにかき消される瞬間を見とどけた。


2016年05月03日

吉田サンクチュアリ(さうして、このごろ 20150430)

「ニューヨーク・シティ・ボーイ」をカラオケで歌いたい。サビのところでみんなにマイク回して「オカザキ・シティ・ボーイ」とか「トットリ・シティ・ボーイ」とか歌ってもらう小ネタまで準備してあるというのに(<-切ない)。

“100,000,000 miles high”ってタイトルを考えた。highすぎて、太陽まで届いちゃうの。Higher than the Sun。(地球から太陽までの距離 = 149,600,000 km = 92,950,000 マイル)

今日はなんだか疲れた。感情が動かずに、事実だけ事務的に処理できるようにいられたらいいのに。上がったり、下がったり。ヘルター、スケルター、ローリー、ポーリー。車を飛ばして、幡豆の漁港まで行って、堤防から雨振る海を眺めたら、少しは気が晴れるだろうか?


二年前の豆まき: 昨日豆まきできなかったから今日豆まき。次男が鬼になりたいって言うからみんなで次男に豆を投げる。なんだかいたたまれなかったので鬼を守った。我が家から鬼は出て行かなかった。— Masatoshi Yoshida (@pooneil) 2012年2月4日

去年の豆まき: 今日は俺が鬼の役だったので「不動の心、不動会」とか言いながら居間の片隅でポーズを取ってみたら、子どもたちが「無言で」落花生を「勢いつけて」俺に投げつけるというわけのわからないことに。途中で奥さんが指摘して「鬼は外、福は内」がコールされるようになったので節分らしくなった。そんな日。— Masatoshi Yoshida (@pooneil) 2014年2月3日

今年の豆まき: 次男が風邪で豆まきは延期。次の日も長女も風邪、長男は帰ってこないので、ママから二人でやっておいて、と落花生をもらって次男と二人で豆まき。新聞チラシで即席のツノを作ったパパ鬼を家から追い出すところまででヨロシク、とあらかじめ段取りと個数を決めて、無事実行。そういう顛末にて。


ラボでの今日の任務終了。家帰ってたまっている仕事を片付ける。「貯まっている」ではなくて「溜まっている」だな、とか文字変換しながら考えた。空には太陽が出ているのに、雪が降ってきて、しかもそれがさっさと融けて、工事中の砂利道に水溜りができている、そんなイメージ。

「マシン・ラーニング」ってあらためて字面がカッケーな。「ハンマービート!」「デウス・エクス・マキナ!」「キカイノカラダ!」そんなかんじ。(<-徹夜ハイ)


豊橋駅の名鉄ホームに降り立ったら、屋根の下なのに水しぶきの当たるのを感じて、俺もここまでポエジーが高まっちゃったかと(<-?)思ったのだが、空を見るとかすかに雪が舞っていて、なんだなにも不思議なことはなかったのだと安堵したのだが、上着持ってこないで背広だけだったのでクソ寒かった。

岡崎に戻り、くらやみの道を更に強くなった雪の中、自転車で戻ろうとすると、車のヘッドライトに照らされた雪が渦を巻くように不思議な流れを作っていて、それに少し見とれ、遠くを見やり、近くの交番に目を向け、でもって家に向かって急いだ。


車で「雨ざらしなら濡れるがいいさ」を絶唱しながら、いつもは「時が来たなら 終わるもいいさ それが俺の最後の運命だったら」のところで感涙してるのだけれど、その続きの歌詞の意味がはじめて頭に入ってきた。「その時、瞼に吹く風も見えるだろう 静かに揺れるだろう」と言っているのだ。

つまり「時が来たなら 終わるもいいさ」という言葉が激情にかられて歌われているように聴いていたけど、そうではなくて、その時の心は平安であり、瞼に吹く風を見るような、なんならマインドフルネスといってもいいような心持ちで終わりを受け止めると言っていることに、今になって気がついた!


太陽が二つあって、それぞれが昼と夜を照らすので夜が無くなり、そしてそれに誰も気がつかない。よくよく見ていれば、夕焼けと朝焼けとが重なるのだからわかるはずなのに、肝心のその時間だけ、だれも竹林に居なくて、謎は暴かれず、川の水が鏡となり、葉の影がすべて三日月となる。

二歩では飽きたらず、三歩を実現するために、指を使わず掌だけで歩を隠し持つ技を磨き続ける日々。その修業は決して無駄にならずに、エレベーターをボタン操作だけで加速する方法を編み出すことで開花した。

「ぼくらは太陽まで歩いてゆくんだ」っていいな。飛ぶのでもなければ、走るのでもないの。歩いてんの。辿りつくのかっていう。表現がぼんやりしすぎていて、正しく像を結ばないのだけれども、それはそれでいいんじゃないかと思う。ぼくも歩いて行こうと思う。等高線と螺旋とを辿りながら。

帰りに遅い昼食をとスーパーに入ったら「魚の塩ダレ焼き」というのがあったので買った。200円でたっぷり食べれてお得。見たかんじカジキっぽいのだが、「魚」。たぶん輸入魚なのだろうけど、「カジキ」でもなく「カレイ」でもなく「魚」という概念を食べることで私の心は宇宙に飛んだ。

吉田が余生を平穏に過ごすことができるように、桑谷山荘の跡地に「吉田サンクチュアリ」を作ってほしい。でもって、バーベキューに来てハメ外す若者を叱責したり、咲き誇るあじさいの世話をしたりするの。

「すしざんまい」とか三昧はぜんぶ「サマーディ」に置き換える。「すしサマーディ」。うーん、満足。(<-頭働かない)


2016年04月20日

ホワイト、ジャック!

(原題:さうして、このごろ 20150131)

「子供の頃、何が欲しかった?」高校生のときは宅録関係だったな。カセットMTRが欲しかったけど買えなかったので、シャープのダブルカセットでピンポン録音してた。ヒスノイズが重なりまくって、出来上がりの曲はシューシューいってたっけ。けっきょく大学4年くらいにfostexのX12買った。

「子供の頃、何が欲しかった?」あと、ドラムマシンが欲しかったがなかったので、近所のゴミ捨て場でスネアドラムとシンバルを拾ってきて、バスドラ代わりに枕をスティックで叩いて、マイクで音拾ってた。カセットでリミッタがかかる(リンゴ・スターのドラム的な意味で)ので案外音は気に入ってた。

ゴローがBOSSのドラムマシン (Dr. Rhythm DR-110ってやつ)を持ってて、それを借してもらったことがあって、延々ひとりでジャムってた。Grateful DeadのDark Starのモチーフを延々展開して。


「Z会(ぜっとかい)」のことを「ツェット会」と発音すると、秘密結社っぽくてよい。

JR岡崎駅から戸崎町を経由してゆるやかに登る坂道を自転車を漕ぎながら、この国道をエポケーして(<-フッサリアンジョーク)、これが開発される前の50年前の、林の中の誰もいない砂利道を自分は自転車を漕いで登っているのだと、目に見えるものを消して、ただ坂の傾きに意識を集中させる。

ライカ犬、ライカ犬。「今そこにある危機」と傘を回して見え隠れする魔女。電話で届けられる、予想通りの悪いニュース。思いつく限りの嘘と、廃墟で行われるある種の犯罪。カミキリの幼虫が白日のもとに透視され、白日のもとに凍死される。そうしてついに、海を見つけた。ライカ犬、ライカ犬。

n=1で「やっぱ俺の言ってたこと正しかった」とか言われると本当に統計わかってんのかって思うけど、そういうときに人々が言いたいのは「n=1の新しいevidenceによって、以前持っていたpriorから仮説が補強される方向にposteriorが変化した」ということだと脳内変換してる。


小学校3年生くらいのときには自転車でもうどこへでも行けるつもりであちこち行って、でも新大橋がまだ歩道がなくって車道だけで、ここ(隅田川)が自分の行ける範囲の限界なのだと思った覚えがあって、新大橋を走る車と排気ガスのイメージがあるのだけど、なぜかそれは色あせたカラーのイメージで、たぶんテレビの映像の記憶と混ざっている。

帰郷したときに送り迎えで明治通りを往復して、日曹橋の交差点を通りかかった。日曹橋は橋と名が付いているが橋はない。以前日本曹達の工場があった場所で、運河の埋め立てで橋もなくなり、橋にだけ名前が残る。日曹橋への愛が深い人の記事を見つけた:「いつか日曹橋で」が出来るまで あとこれも詳しい:東京都江東区に「日曹橋」という地名があります

岡崎の電車通りに「芦池橋 バス停」というのがあるが、ここにも芦池橋はすでにない。しかしこの近辺を歩いてみれば道路に運河の名残らしき段差があるのに気づく。

岡崎市内(2012.12.28) 「新田橋親柱 電車通りの歩道の脇にあります。図書館の前から電車通り西側にあった江川まで流れていた小川の橋らしいです。ちなみに江川は久後崎から占部川まで続く川で現在は暗渠になっています。」 あとこちらにも記載あり。


「島村卯月がブレイクしなかった世界で!」を読んだら泣けた。

「パパも返品ね」っていいなあw いっそのことパパを返品して、返金して、倒壊して、融解して、全てをやり直して、進化からやり直して、進化のランドスケープから違った山を選んで、僕らみんな全く違った形の生き物として生まれ直し、全てをやり直してみればいいんだと思う。

子どもたちがまだ小さかったころはよく受話器を耳にあてて「もしもしこちらネコちゃん警察署捜査本部、何?事件?」ってダミ声で言うっていうネタ(?)を繰り返していたのだけれども、だれも相手してくれなくなったのでもうしなくなった。それは記憶の片隅に追いやられ、しかし消えずに浮上してきた!

ツタヤで借りた「それでも町は廻っている」を読んでいる私を見た次男が「(手塚治虫の)ブラック・ジャックを読んでいるのかと思った」と言ったので、まったく頭を使わずに「ホワイト、ジャック!」とウイスキーのCMみたいに渋みたっぷりに返答したら、我ながら気に入った。「ホワイト、ジャック!」


「世が世なら・・・ADHDは狩猟採集社会では優位性を持っていた。」 元ネタはこれ:BMC Evol Biol. 2008 介入してるわけではないのでこれ自体はそんなに強い議論ではない印象。

統合失調症が創造性と関わるとか、糖尿病が寒冷期に糖を蓄える際には有利だったとか、そういう説とともに、進化的には意味のある表現系はここ数千年だか数百年だかの環境の違いには順応できないってのはもっともらしい話だ。

構造で規定されるんだな、みたいな相対化の洗礼を受けたのは大学生の頃だったか。今にして思えばずっとそんなこと考えていた気がするし、ずっとそれをうまく取り込むことが出来ずに、あるときは構造主義だったり、あるときはアフォーダンスだったり、オートポイエーシスだったり、力学系だったりと、近寄ってはぐるぐる回りつづけていただけなような気もする。

それは中観派の空の思想だったり、現象学の反表象主義だったり、実在の絶対性みたいなものを避けていく選択肢を常に選んできたけど、大元は浪人のときに読んだ岸田秀と「弁証法とはどういう科学か」で太宰治から戻ってこれたという、身も蓋もなく実存的な理由があったことは覚えている。


2016年04月13日

疾患と疾患モデル

.@KWS456123 「表面的な理解/解釈のみで…危険がある」という批判は患者を実際に見ている方でさえ自問自答すべき問題なのだと理解しました。しかし、この批判を転じて、患者を見ている方が動物モデルをやっている人に向けてしまうと、誰にでも言えてしまう、不毛な批判になってしまう。

じゃあどうすればいいかといったら、ひとつの方法は患者を見ている人と一緒に動物モデルを研究するということになるのだけれども、この批判は際限なく、恣意的に運用することも可能だから(なにしろ患者を見ている人でさえ問題にしなければならないのだから)、動物モデルへの批判自体はそのモデルが実際に役に立てば消えるだろうけど(遺伝的疾患モデルなど)、精神疾患モデルの場合にはそれがうまくいってないことが元凶なのだろう。

…以上、河島さんのツイートにインスパイアされて、最近考えていたことにつなげて書いてみました。

.@NaotakaFujii なるほど、いまの話はかなり一般化が可能な論点であるようですね:「主観的観察の観察対象ソースを共有することである程度避けられるかもしれない」

そうしてみると、神経生理学者が自分でデータを取っていて、データ科学者と一緒に仕事するときにもおんなじ構造が出ていることに気づく。神経生理学データはそのままだといろんな目に見えない情報が欠けている(記録者が未熟だからこのデータの信頼性は低いとか)。それらをどうやってメタデータとしてデータに足してゆくかというのがひとつの課題なのだけれども、そこで神経生理学者としての私は「じっさいにデータを取るところを見ていないと正しいデータ解析はできない」という気持ちは強いし、自分の経験として、「両方をつないでハブとなる人間が居ないとうまくいかない」という信念もある。

私の視点はどちらかというとハブの人が一人で両方見渡すことが大事という方向性なのだけれども、いま藤井さんが書いていることは、互いに両方見渡すことができる技術を作れないか、ということなんだろうと思う。

「同じイベントを全員が同じ視点から見て共有し議論する」これが視点交換とかにつながり、ジェンダーバイアス、福島、いろんなところにつながることはわかる。それこそが「なめらかな社会の実現」なんではないだろうか。

さっきの話をまとめると、[精神科医 - 精神疾患の動物モデルの研究者] という関係と [神経生理学者 - データ科学者] という関係の相似に無自覚だったし、自分はそのどちら側にも立ちうるのだな、というのこと。だから、データ科学者に向けてデータわかってないじゃん、って批判は誰にでも言えてしまう不毛な批判であって、しかも立場に依拠しているため際限なく言うことが可能。

だからその批判を使う際には「どこまでわかっていればデータを理解したことになるか」を正しく限定する必要があるし、それはデータ科学者に欠けていることではなくて、データを提供する側が行動しないと解決しない。

.@KWS456123 そうですね、自分ならどうするかな?って感じで捉えていくのが生産的ですよね。


2016年04月01日

さうして、このごろ 20141031

ふなっしーは「ヤケクソ感」が出てるところが好き。「ヤケクソ感」という美を世界に広めてゆきたい(<-ヤケクソ)。

.@ichipoohmt オカザえもんはエキセントリックだけどヤケクソではない。紳士(ゼントルマン)ですね。


「あいにく修行中の身だ」っつうのは日常生活のどっかで使ってみたい。松山はよく「春雨じゃ、濡れてまいろう」って言ってたけど、あんなかんじで。ちなみに「この世を忍ぶ仮の姿」ってのはよく使う。

「吉田が輝く社会」を作りたい。


綿棒で第2中手骨と第3中手骨の間を穿つ。これが極意。ピアノと月とドブ川に浮かんだゴムボート。道路工事用のライトの周りで、3つの楕円が形を変えながらも中心をピッタリと合わせて回るさまが、まるで枯れ葉のようだった。

「枯れ枝を踏み進む」って書いて、”re-e”の繰り返しと”f”の音と”su-su”の繰り返しにうっとりとしてみる。


雨が降ってなかったタイミングを見計らってコンビニまで昼ごはん用の鮭缶とちくわを買いに行ったら、帰りに雨に降られた。風が強いので傘は持って行かなかった。ずぶ濡れになった。ところで雨に「降られた」って表現って面白いなあ。「雨に憑れた ひとが行き交う」を思い起こした。

雨で練習が無くなって暇になってしまった次男の相手をして、竹で作った刀のおもちゃを改造してやる。先っぽの割れている部分をのこぎりで切って、断面をコンクリートに擦って角を取って、さらにビニールテープを巻いて安全確保。夕食前は二人ポケモンポンジャン。父大負け。1勝4敗。


「人生ゲーム極辛」を次男とやってるところ。私はスポーツ選手で、次男はフリーター。そしてストレス(カード)の多い私は「ハードコース」へ突入、ストレス(カード)のない次男は「ノーマルコース」へ突入したところ。ああ、人生。

「人生ゲーム極辛」終了。次男の勝ち。せっかく給料は父のほうが高かったのに、途中の「ハードコース」が尾を引いて、出遅れた。ああ、人生。


「マイム・マイム」って改めていい曲だなあと、とくにhey hey hey heyで四つ打ちで念押しているところ。あそこの響きってなんか特別だなと思ってコード調べたらふつうにV7だったんで自分の勘違いに笑ったが、なんか特別感あった。

以前「線路は続くよどこまでも」の「[G7]はるかな まち[C]まで [F]ぼくたち[E7]の」の「の」の部分だけがCメジャー・スケールからAハーモニック・マイナー・スケールになっていることを知って(しかもコード的にはAmに解決しない。この曲にはマイナーコードがない)この曲の良さを再発見したことがあった。

「缶コーヒーにヘブライ文字」ってフレーズが頭に浮かんだが、端的にさっき「マイム・マイム」の動画を見たからだと気づいたので、心がほっこりしてきた。(<-犯行の動機は「ほっこり」という語を使いたかっただけ)


自転車で例のバイパスを国道23号線超えて、吉良のホワイトウェーブのところまで行って、西尾市役所まで行って、また戻ってきた。23号線より先は道が狭くなって、マヂで「暗闇を切り裂」いてきた。矢作古川が暗くて怖い。

吉良のホワイトウェーブへと左折する交差点で一休みしたら、畑につるが生えてて、それを追ってみるとスイカだか瓜だかの細長いのがあって、よく見たらたくさん並んでる。暗闇で見るスイカというのはけっこうびっくりするものだったはずだが、そのときは気にならなかった。かすかに甘い香りがしてた。


今日は次男の学芸会。出し物は学年全体で「泣いた赤鬼」。赤鬼も青鬼も何人も居て、場面ごとに別々の人が担当するという今どきのパターン。

うちの子は三人いる青鬼の一人で、三人いるということは3つの場面(悪役になるよと赤鬼に相談、村で暴れて赤鬼に退治される、村を去り手紙を残して朗読)のどれかを担当なわけだけど、次男は最後のパートをやってた。おいおいオイシイな、それ。ともあれ、泣いた赤鬼大好き。何度見ても、ぼくの心のやらかい場所を 今でもまだしめつける。

10年前に書いた「泣いた赤鬼」と映画「Bruce Almighty」の共通点。でも10年後のいま見返してみれば、人間とはホルモンに左右され泣いたり怒ったりする動物なんだなという醒めた感慨が。人間ってちっぽけだなあ。(<-主語デカすぎ)


昨日は次男と一緒に公園でキャッチボール。次男がキャッチャーの練習をしたいというので、私は2週間後のソフトボール大会に向けてピッチャーの練習(投げたことないけど)。そして今日は筋肉痛。右の肘がなるのはわかるとして、左の腿の裏がなるのははじめて。左足のステップを活かす方法を習得中。

その後で竹で作った剣をノコギリで切る仕事の二本目。今回は取っ掛かりだけ作ってやって、あとはぜんぶ次男が切って、コンクリートの床で角をなまらせて、テープ貼って終了。「二刀流!」とか言って遊んでいる。なんだか典型的にチビッコなのが面白い。

「プレイボール」ちばおきおのワンシーンで、なんか部に問題があって揺れている状況で、合宿場で谷口くんがひたすら夜に打撃練習してて、「コーン」「コーン」って音鳴らし続けるのに部員のみんなが気づくシーン、あそこを読みたいのだけど何巻なのか記憶が無い。

走ってる方の筋肉痛はもう出なくなってる。いい調子。昨日のピッチャー練習の筋肉痛は出てる。左腿の裏がキテいるのは、ソフトボールの教本に書いてあることから判断するにフォームが悪いということのようだ。基本動作を練習することにする。夜の奈良井公園で、谷口くんみたいに。(<-なりきり中)


2016年03月23日

さうして、このごろ 20140930

今日食べた太刀魚の塩焼きは旨かった。ここに記して永遠の記録とする。

「トンカツ慕情」を模して言うならば「棒アイスをな、ガリガリ君リッチをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ。」ってところだろうか。ハーゲンダッツではなくて。あぁ僕らの人生って空飛ぶブタくんサーカスみたいだね?


小学校高学年ぐらいのときに、近くの団地のゴミ捨て場というか古本回収しているところで化学の参考書を見つけて、それに元素の周期表が乗っていて、すべての物質がこれのどれかに対応しているという事実を知って夢中になり、軌道モデルで表を書くのにふけった時期があったことを思い出した。

時間が飛んで、こんな季節、もう少し10月に近いくらい、清里駅から合宿所に向かって夜遅い時間に真っ暗なゆるい登り坂を歩きながら、草の匂いとか遠くを走る車のライトとかそういうのを感知していたことを思い出した。

さらに時間が飛んで、M1の秋、戸田のボートの合宿場に行く手前の公衆電話から電話をかけるために小沢健二の「天気読み」を聴いて気分を盛り上げて勇気を振り絞ったことを思い出した。あれもたしか涼しくなってきた時期だったはずだ。


イヌのSNP解析の図 こういうのにものすごく惹かれるんだけど、子供のときに元素の周期表に超絶惹かれたのと同じことだと気づいた。見渡せる範囲内で、網羅的に、十分な粒度で書かれたものがどうやら私は好きということらしい。

だから、「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え = 42」というのには惹かれない。粒度が低すぎるから。もっと網羅的にいかなくっちゃ。


隆介と大学生くらいのころにゴールデン街とか行って、店の人が恭しく出してくれたボジョレーヌーボーとか恐縮しながらご相伴に預かって退散して、いつかオレは社会人になったらこういうところに来て楽しめる日が来るのだろうかと自分の将来を想像したものだけど、けっきょく再び行く機会は来ていない。


東岡崎駅から岡崎高校へ向かう登り坂を車を走らせていたら、高校前の信号のところで左にグッと曲がったところで下弦の月がヌッと飛び出てきたのでギョッとしたが、そんなことは予想がついていたはずだった。でもなんだか赤黒い月で、ほんとうに、ギョッとした。


アパートの駐車場で次男と花火。風が強くてロウソクに火が付かないので、チャッカマンを買いにコンビニまでダッシュしてきた。次男と二人でどっちが保つか競争した。途中から長女も参加。線香花火をやりながらiPodで動画撮ってる。我が家の花火ストックを全部消費した。これで夏は終了。

奥さんが捕まえてきたコオロギが消灯した部屋で鳴いている。なんかすごくいい音だ。そこから鳴っているとは信じられないようなかんじ。秋なんで、コンビニまでアイス買いに行ってこよう。

空気が秋すぎて胸がキュンキュンしてくらぁ(<-江戸っ子)

「レエン・コオト」を着て、大雨の中、アスファルトの道を歩いてみたい。羽根町の交差点みたいな難所を目指して。

say -v Otoya のOtoyaさんの喋りを聞いてたら、Capsuleの「 壁についているスイッチ」を思い出した。

熊野古道行ってみたい。名古屋から新宮までは特急でもバスでも3時間以上かかるので遠いなと思っていたけど、近鉄で大和八木駅まで行けば2時間弱で、そこからバスで90分。それだったら、けいはんなに行くときに寄り道する感覚だ。

つかその前に橿原神宮とかあのへん行くべきだが、前回の機会には心の余裕がなさすぎて不可能だった。心の余裕、大切。


スコットランドの話題でハイランド、ローランドってのが出てきたので、アズテック・カメラの「ハイ・ランド、ハード・レイン」を思い起こした。ウィキペで「スコットランドのロック・バンド」なんて項目を見つけた。

グラスゴー出身多いなあ。TFC, JMC, プライマル・スクリーム、ベルセバ、モグワイ。クリエーションレーベル。グラスゴーってめんたいロックの博多みたいな存在か(<-逆)。



2016年03月22日

さうして、このごろ 20140831

わたしが「salt waterって詩語として好きだなあ」と書くときには「そもそも詩語なんてない」「すべての言葉が配置によって詩語となりうる」「だがあえて書く」「詩を描いたことなんてないけど」といった万感の思いを込めて書いていて、そしてそれがだれか一人にでも伝わればいいと思ってる。

でも「電気刺激によってこむら返りの頻度を下げる」とか書くときにはぜんぜん万感の思いを込めて書いてない。勝手なもんだ。


google日本語入力で「サッカード」って入力すると「サッケード」が選択肢に出てくるので素晴らしいと思う。でも「サッケード」じゃなくって「サッカード」って発音してるよって思うから「サッカード」って書くようにしている。(<-ゲシュタルト崩壊)

一方で、「サリエンシー」は発音としては「セイリエンシー」というのが正しいと思うけど、「サリエンシー・マップ」って言葉に馴染みすぎたからいまさら変えようという気がおこらない。(<-恣意的)


「線路は続くよどこまでも」ってCメジャースケールの明るい曲なんだけど「ぼくたちの」の「の」のところだけE7になっていて、Am-Dm-E7の短調になってる。あそこが好き。歌詞としては「春、金町まで」っていきなり東京ローカルな歌詞になるところも意外性があってよい(<-すっとぼけ)。

「ポーリュシカ・ポーレ」をサーフ・ロックアレンジで聴いてみたいなあと思って調べたら寺内タケシとブルージーンズを見つけたが、そういうのではなくって、Pixiesみたいに轟音でサーフ・ロックでしかもロシア民謡をカバーというニッチなものを欲していることに気づいた。


いまじんに向かう上り坂の暗い道を車で走っていたらなんかが横切ったので慌ててブレーキを掛けた。あの胴のひょろ長さはネコではなくてタヌキだと思う。タヌキさん、タヌキさん、銃を抱えてどこ行くの?タヌキさん、タヌキさん、銃を抱えてどこ行くの?(<-Hey Joeのメロディーで)

駐車場のいつもの場所に停めようと思ったら、なんか隣の車がはみ出している。むりやり車を入れることはできるけど、こんな車の停め方している奴はきっと擦りながら出てゆく可能性も高いだろう。面倒だが遠い別のところに車を停めた。結果的にそれは私の人生最善の選択だった。(<-S.ジョブズ風)

今日は「オフトゥン」という言葉を知った。「トゥ」のところが好き。こうしたまた前人未到の高みに到達してしまった。


「"what’s the deal with ~"のフレーズは、ちょっぴり不思議なものや予期せぬものを前にして「知りたいんだけれどもどう質問をすればよいのかハッキリとはわからない」ときに使います。」 これ合点がいった。

ザッパの200motelsの出だしは司会が「リンゴ・スターがザッパみたいなカッコをしているんだけど、聞いてみましょう。"what's the deal?"」となる。訳すとしたら「いったいなにごと?」もしくは「どうなっちゃったの?」みたいなかんじか。



2016年03月21日

さうして、このごろ 20140731

夜に豊田図書館へ本を返しに行った帰りに、三河上郷のあたりを走っていたら豊田東ジャンクションの夜景が見えて、ちょうど「青い車」を歌いながら走っていたところだったから、なんだかちょっと感動してしまった。平常心を失っているらしい。

田舎道をひとりでドライブしてそれで幸せなんて、これっていわゆるマイルドヤンキー? でもそれだけで幸せだった。

竜美小のところからローソンに行くのに、真っ直ぐな下り道へととつい折れ曲がってしまったが、いや俺はここよりもその先のくねくね道が好きなんだと思いだして、なんか人生の選択を仮託するかのようにわざわざストップして、Uターンして、そのくねくね道をエレカシ歌いながら降りて、満足だった。

この日のことは忘れることはないだろう、あの高速の風景と固く連合させたんだ。

でもじつは忘れちゃうんだ。だからわざわざ世界に向けて書き記す。

「なんか雨が激しくなってきた。きっと、梅雨を終わらせるためには、長く、強い雨を降らせないといけないんだね。(<-なんかかっこいいこと言ったふうな顔つきで) 」これ好き。(<-自画自賛)


Googleの天気予報を見たら「ちぎれ雲」って書いてあったので「おいおい、無駄にリリカルだな」と志鷹さんの口調を真似て呟いてみた。

「ポンチ絵の世界」ってタイトルを考えた。中身はまだない。

「スベスベマンジュウガニ!」とシュプレヒコールしている横で、両手の平をこすり合わせながら「すべすべすべすべ」と茶坊主的にステージ上であっち行ったりこっち行ったりする役割、あれをやりたい。「すべすべすべすべ。」

積み木を重ねてバナナを取る係、あれでもいい。

「マグデブルグの半球よ、おおレトルトよ! 汝等祝福されてあるべきなり、其の他はすべて分解しければ。」いま思うとなんだかすごくスチームパンクだな!


夜運転してたら、後ろから追ってくる軽自動車がヘッドランプ真っ暗なんで、信号で停まったときに自分のライトをハイビームにしたりしてアピールしたんだが、気づいてもらえなかった。更に帰りにも別の車がステルスモードで走ってた。おいおい最近こういうの流行ってんの?

んで、今日は夜に信号待ちしてたら、ジーンズ屋の壁で光がチラチラ動いているのを見つけて、いまどきお店の宣伝でもプロジェクションマッピングかと感心してたら、手前にある街灯に蛾が集まって飛び回っているのが壁に投影されているだけだった。ぎゃふん。


「白色レグホンじゃあなくって、褐色レグホン。なんか燃えるような夕陽のイメージ。」とここまで書いて、ねんのため「褐色レグホン」でぐぐってみたら実在することを知った。ショックを受けている。指先が震え、皮膚のいちばん面の部分が痺れている感じ。川原の礫石がきれいに積み上げられている。

ピアノを演奏する手にモーションブラーがかかり、あらゆる色はかき混ぜられ、つまらない灰色になった。クレヨンの落書きは全部捨ててしまおう。登り坂が終わったらそこは里山で、草履とか行李とか蝉とかが並べて売られている。

「キレッキレ」と「シュッとしてる」を日常生活の中で使ってみたいのだけど、なかなか使える場面がない。

シカゴの"25 or 6 to 4"って時間のことで、午前4時まであと25分または6分=午前3時35分または3時54分だと思っていたが、そうではなくって"25 or (2)6 to 4"、つまり午前3時34分か35分か、ってそりゃそうだよなと思いつつ、わかるかんなもんとも思った。

「愁嘆場」という言葉を知った。なんか気に入った。

"let it go"の訳をメロに合わせるために「ありの ままの」にしたってのはわかってるとして、意味に忠実に、簡潔に表現するとしたらどうなるかって考えたけど「ほっとけ、ほっとけ」ってのを考えた。ダセえw

帰り道でヘビを見かけた。マカロンが散歩していた空き地の草むらに逃げてしまって見失った。ところでヘビを見たのは良い兆しだろうか、悪い兆しだろうか? どっちでもいいか。そもそもどちらに転がるかも長い目で見ないとわからない。今はただ笑う。


ストレッチをしながら"The time is out of joint: O cursed spite, That ever I was born to set it right"とか読んでいると、なんだかそれは、カルモチンと間違えてヘノモチンみたいなおかしみがあって気に入った。

今日は次男と将棋。2戦2勝で完膚なきまでにボコっといてやった。まだ当分負けそうにはないが、そうはいってもあと数年で追い越されることだろう。それでよし。all shall be well and all manner of thing shall be well.

上機嫌で替え歌歌ってた。Deep Purpleの"Child in Time"のメロディーで「よっしっだー(おっとうちゃんー)、よっしっだー(おっとうちゃんー)」って。

あと、風の谷のナウシカのメロディーで「かぜのたにの とうちゃん よしだ よしだ まさとし」ってのもよく使う。「よしだ」を二回繰り返すところが気に入っている。

コンビニの駐車場に車を停めて、車から降りてみたら、なんだかざわざわとした風が吹いていて、遠くではパトカーが走っている音が聞こえた。もしかしていま台風がやってきて、ちょうど台風の目に入ったところなのかもしれないと、そんなわけはないのだけど、そうだったらどうだろうと、幻視してみた。

「蒲焼き」のことを「カヴァヤキ」と発音してツッコミを待つ。夢の中で。


八丁味噌の八丁(八帖)ってのは地名で、岡崎城から八丁(~800m)離れたところに味噌工場がある。外国からお客さんが来ると、岡崎城かこの味噌工場に行く。豊田の自動車博物館(長久手にある)に連れてったこともあったっけか。

日本橋八丁堀とか、広島の八丁堀とかの場合は堀の長さが八丁だから八丁堀なのであって、城との距離の問題では無いようだ。


2016年03月20日

さうして、このごろ 20140630

よし、どうあれ魂を曇らさないように、正しい選択を行うことに注力していけば、それは未来に生きるのではなく、今に生きることになるだろう。(<-なんか読んで気分が盛り上がっていらっしゃる様子)

安息香酸、ビルの谷間を飛ぶカラス。保育園のオルガン、ヘビとスズメバチ。雨雲とヘリコプター、様々な色文字のマグネット。全てを透徹し、浸透する法則性。段差とダンプカー、チョークの粉。森とモノレールと焚き火と海水。ブレーキを踏んだら、ハンドルにロックが掛かった。

「つかお茶碗と箸をドラムに見立てて遊ぶのやめてもらえますか?」


岡崎市民としては、長久手古戦場公園には行っておこうと思う。小牧・長久手の戦いというのは、犬山城にいた秀吉と小牧城にいた家康が対峙しているところで、家康の岡崎城に奇襲にかけに行った秀吉陣営を家康側が追いかけて長久手のあたりで衝突して、家康側が勝ったという話(ということを今知った)。

三河の人は尾張とは別だという意識が強いので、岡崎の人に「名古屋の人」とか言うといっしょくたにしないでほしいと思われる。それにはこういう歴史的経緯があるからなのだな。

じゃあ三河と尾張の境目ってどこかって知多市と豊明市の間くらいのイメージあったのだけど、桶狭間の戦いで今川義元がいた沓掛城ってのは豊明にある。まあ、ニワカなんでせいぜいこんなところで。


英語らしく発音するためには促音を入れないようにってことで、Zakは「ザック」じゃなくって「ザク」だよって話になる。こないだ誰かと話してたときにRoger Lemonのことを「ロッジャ・レモ」って発音している人がいて、なんどか聞き返してやっと聞き取れた。あれはなんでがなあったらうか。

「アンドロメダの異星人」ネタで思い出したけど、「と学会」的なやり方よりは「幻の名盤解放同盟」的なやり方のほうが好きだったな。


「ジョニー・マーの最も素晴らしいリフ 10選」ってのを見て、Electronicの2枚目の最後の曲が好きだったっけなと思って調べてみたら、見つかった。"Time Can Tell"だった。哀愁ただようネオアコポップチューン。iTunes探してみたら売ってたのでこの曲だけ買った。

石川博品作品で「俺はモリッシーふうに花束を抱えて、『あっちはジョニー・マー? こっちは僕?』ってギャグを思いつき、ひとりでニヤニヤしていた」ってくだりを見つけて、ロキノン世代かよ!と「フハッ」と鼻を鳴らしてみた。これを思い浮かべてた。

ケリューケイオン ってなんかで見たなあと記憶を辿ってみたら、「よくわかる現代魔法」だった。なんだかもう、人生で大切なことはすべてラノベから学んだ。


2016年02月24日

サマー オブ ラブとコムニタス

サマー オブ ラブ(1967)、セカンド サマー オブ ラブ(1988-1989)に加えて、ニコ動、初音ミクの2007年をサード サマー オブ ラブと捉える史観があるというのを知った(『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』柴那典)。

でも、サードが来るのはむしろこれからだと思う。「インターサブジェクティビティー!」という幻想の同時発生がSummer of Loveの本質であり、次に来るサード サマー オブ ラブでもそのような幻想と幻滅とがなにかのテクノロジーとともに再来するだろう。

「インターサブジェクティビティー!」というのはサマー オブ ラブの元となったケン・キージーらのアシッドテストのムーブメントで使われたキーワードで、このムーブメントの興没はトム・ウルフの"Electric Kool-aid acid test"にて描写されている。詳細については以前のエントリを参照してほしい。

(ところでニコ動と初音ミクのムーブメントは、サマー オブ ラブに連なるものというよりは、イギリスのパンクムーブメントや日本のイカ天バンドブームとかの系譜ではないだろうか?)

サマーオブラブにおける「インターサブジェクティビテイー!」という感覚について調べていたら(<-そんなもん調べるな)、文化人類学者のヴィクター・ターナーによるコムニタスという概念を知った。まさにこれだ!元論文はこれ:"Liminal to Liminoid, in Play, Flow, and Ritual: An Essay in Comparative Symbology"

Spontaneous communitas is "a direct, immediate and total confrontation of human identities … It has something 'magical' about it.”

"this moment when compatible people - friends, congeners - obtain a flash of lucid mutual understanding on the existential level"

"… if only the group which is felt (in the first person) as "essentially us" could sustain its intersubjective illumination."

これだわ。自発的にほんのいっとき繋がるかんじ。昔書いたこれとかまさにそんなかんじ:「部室でジャムった日のこと。」

じっさいに、カトリックの巡礼、ヒッピーのムーブメントやレイヴカルチャーとかの場面でこのコムニタスという概念は援用されているようだ。ケン・キージーが「東方への旅」に言及したのも当然のことで、自分のやっていることを分かっていたのだ。

さらに調べてみたら、「インターネットとコムニタス」という記事も見つけて、面白いなあと思ったら風野春樹氏の記事だった。


2015年04月29日

MathJaxテスト

ネットを見ていたら、数式がTeX記法でしかも画像でなくてコピペできるようになっているのを見つけた。 http://blog.gepuro.net/archives/123

調べてみたら、MathJaxというそうな。さっそく試してみた。

$y'' + x^2 y' + 4y = e^x$

\begin{align*} \hat{\beta_n} = \left[\sum_{t=1}^n x_t x_t ' \right]^{-1} \left[ \sum_{t=1}^n x_t ' y_t \right] \end{align*}

ちゃんとコピペできる。上の式だとこうなる:

βn^=[∑t=1nxtx′t]−1[∑t=1nx′tyt]

htmlのヘッダはいじらないで、本文中にscriptを書いてやれば動く。だからレンタルサーバーでの運用でなくて、ふつうの無料ブログとかでも使える。こりゃあいい。


2015年01月17日

さうして、このごろ 20140531

金平糖がポルトガル語のコンフェイト (confeito)から来てる、って記載のあまりのそれっぽさに、ウィキペなのに民明書房刊かと思った。

しゃっくりをしたら、しまい忘れた電気ストーブの熱反射をする部分が音を反響した。なんだか新しいワビサビを発見してしまった。

「ノーベル棒」ってのを考えついた。ノーベル賞じゃないの。代わりに棒が付いてる。棒が付いているからいろいろ便利なの。背中掻いたりとか。それだけ。それより先のことは考えてない。


奥さんの友人の一歳児を預かった。私の本棚から本を取り出して「読んで?」と主張した。でもそれは「くらやみの速さはどのくらい」だったので「それは絵がないからこっちにしよ?」と言って「マンガはじめましてファインマン先生」を見せた。でもどのぺーじも「おじさん」「くるま」だった。

見かねた奥さんがどうぶつ絵本を出してきてくれたんで、それを読んであげた。「これは?」「きりん!」「これは?」「がおー!(ライオン)」「これは?」「ちーた!(トラ)」とかなりイケてた。


「奥が深い症候群」というのはプログラムなどがさまざまな歴史的要因でバッドノウハウを抱え込んでしまうものに対して、そのバッドな部分をありがたがることへの批判なのだが、脳と心がまさにそういう意味でバッドノウハウだらけで、messyなのであった。

Larry Wallの言葉で"Perl is messy because the world is messy."というのがあるらしい。(ググると元ネタは見つからないのだが。)

世界がmessyでそれに対処するためにバッドノウハウで対処するというのはまさに「脳はあり合わせの材料から生まれた」というかんじでおもしろい。そしてハッドノウハウであることと「ハックする」ことってのはやってることは同じで、あとからどう評価するかだけの違いなのだ。つまり間に合わせでうまく行ったハックをその適応範囲を超えて使い続けようとすると、それは「バッドノウハウ」になるだろう。


VSSの飛行機で読みかけだった「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」を読了した。よかった。プロットとしては、えっ、そこで終わるの?ってかんじで、「猫のゆりかご」や「スローターハウス5」みたいなドラマチックな展開はないのだけれども、エリオットもストーリー自身も、ハムレットのように反転して意味を固定させないところが好み。というか、意味を固定して説教くさくなっちゃうようなものを受け付けることが出来なくなってしまっているくらいの域(?)に達しているもんで。

さっそく感想漁ってみようとぐぐってみたら関連キーワードに「富士山の恵みミネラルウォーター」が出てきたので、機械学習ならではの発想(?)に感心した。


The Musicのヒット曲"The People"のサビの部分はスキャット的に歌詞にならないなにかを叫んでいるのかと思っていたが、"out all alone and out on her own"と歌っていることが判明。いつもながら、まったく聴き取れていないことにショック。

ウィリアム・ブレイクの「無心のまえぶれ」(Auguries of Innocence)を読んでいたら、slip inside the houseのメロディーでこれを歌えることに気づいた。(詩の基本的形式だからみんなそうなのだろうけど)


「なぜ一流の男の腹は出ていないのか?」とか「なぜ東大生のノートは美しいのか」とか、正しくない言明があたかも成立しているかのように「なぜ」を付けて煽る技法についてなんか名前をつけたい。「早まった一般化」「合成の誤謬」論法、よりもspecificな感じで。

長女が英語の発音の聞き取り問題を出してほしいというので、Macのterminalのsayコマンドで発音だしたった。

雨の中を家まで帰ってきたが、傘が小さくて左肩がびしょ濡れ。我々の生活の質向上に寄与するのは傘をもっといいものにすることじゃあねえのか? "We re-invented umbrella"とか言ってkick starterで資金集めるの。具体的なアイデアは無し。

帰りの名鉄は人身事故のせいで混雑してた。近くにいた男子学生が同じクラブと思しき女子に「お前そんな格好してオレのこと男だと思ってないでしょ」みたいな、付き合い始める手前っぽい甘酸っぱい会話をしていたので、読んでる論文が頭に入らなくて困った。


家に帰って、長女と一言二言話をして、寝っ転がりながら「^ぶ\た-く_ーん」と太陽にほえろ!の黄昏れたインストバージョン(オルガンかなんかが主旋律のやつ)のメロディーで歌ったりする。べつに子どもに向かって歌っているわけでもないが、かといって一人でいたら歌ったりはしないだろう。

つまりこの15年くらい私は「^ぶ\た-く_ーん」とか歌いつづけてきたんだ。子どもたちが大きくなって、家を出て行ってしまったなら、いったい私はどうするというのだろう?


2015年01月10日

VSS2014訪問記

20140514: 明日は飛行機で12時間なので、QC15のイヤーパッドがほつれているのを治すために針仕事。

ギリギリのタイミングでVSSのiOSアプリが更新された。前のバージョンは要旨が途中でぶつ切りされていたけど、これが解決した。機上で読む。


いま空港でこれから出発。眠いが、離陸時に寝ると2時間ぐらいで目が覚める。航空機で爆睡できたらいいのだけれど。

共同研究ミーティング用の資料はできあがった。空港バスでラップトップいじるとか余裕なさ過ぎ。

ぼっち、車無し、観光地、ということで生きていけるかどうか心配になってgoogle mapでストリートビューを見てみた。セブンイレブンとハワードジョンソンがあるのを見つけたので、とりあえずサバイブできそう。


デトロイト着いた!いつもながら入管とか、安全検査とかがひどい。手荷物をベルトコンベアで送る部分と身体検査をするところとが離れていて、ベルトコンベアの荷物が溜まったまま放置されてるところに自分のラップトップがあるのを遠目に見たりとか。

いつも通り、離陸後の1時間くらい寝て、あとは完徹。でもドラフトコメント書きとVSSプログラムのチェックが出来た。Tampa行きの中で爆睡する予定。

Tampa行きの航空機で爆睡していたら、着陸態勢で気圧が上がるときにうまく耳抜きが出来なくて左耳、歯、頭まで全部痛くなった。もともと意識してあくびとかして直さないとこうなるのだけど、こんなにきついのははじめて。つまり、着陸時に赤ちゃんが泣くのと同じ理由なのだが、これがあるために、ダイビングでも耳抜きが出来なくてしんどかった。どっかに針で穴でもあけてやりたい。


ホテル到着した!メインのではなくてGuy Harveyの方。なんか部屋の空きの都合で、スイートルームにアップグレードしてもらった。なんかこれ新婚用なのですけど。レンジ、コンロ、鍋、冷蔵庫が揃っているので、なんか作るか。

いつものパターンからすると、このまま寝ると午前3時に目覚めるだろう。エアポートシャトルで来る途中でWalgreensとか店がいろいろあるところを見つけたので、そこに行ってこようと思う。

Walgreensまで行かずにもっと手前にCVS pharmacyとPublixっていうスーパーがあった。Publixでほかの日本からの方に出くわした。どうやらここは定番だったらしい。せっかくアメリカでスーパー行くなら肉だな!ということでrib back買ってきた。明日焼く。

あと、おなじみのカナダの先生にも会った。明日のシンポジウムでまた話そう!と快活に分かれていった。


CRSのサテライト8:00-12:00に参加中。色の話とディスプレーの話のどちらかを選ぶように書いてあったからこのトピックで4時間ってすごいな!と思って参加してみたのだが、行ってみたら一つの部屋でそれぞれ質問込みで2時間だったのでぜんぜん浅かった。

「ここでは技術的詳細には立ち入りませんが」を連発された。DKLについても俺のブログ記事のほうがよっぽど詳しい。ただ良かったのは、DKLはbackgroundの値によって決まる相対的な値であることを強調していたこと。

でも、質問で個人差に合わせてどうcalibrationしてゆくかの問題が出たらまた「ここでは技術的詳細には立ち入りませんが」だった。L,M,S Coneの比率は個人差がものすごくあるのだから、そこをやらないと意味が無いじゃん。以前この論文のfig.4を見て、あまりの個人差に驚いた覚えがある。

いまはディスプレーの話をしてる。いまはどのくらいCRTの輝度が安定するか、スイッチオンしてから3時間までの輝度変化の図を出してる。理屈的には知ってたが(「り りろんはしってる」)、データを見たのは初めてだった。

つぎはspatial uniformityの問題。これはたしかCRTよりもLCDのほうが問題なはず。将来的には、広い画面での視覚刺激を考えているのだけど、その意味ではプロジェクターとかのほうがよいのかもしれない。PROPixxとか。

「将来のために買ってキープしてあるモニターがphospherのdecayが遅くなっているようなんだけど、使わなくても劣化するものなの?」って質問には劣化しますって答えてた。CRSは三菱の新品CRT未使用品をキープしてて売ってるんだけど、やっぱ完全に新品とおなじではないようだ。

LCDでの時間応答特性を上げるために使われる"overdrive technology"について。これがあるのでスペック値はものすごく速く見えるが、微妙な輝度が表現できているわけではない。だから0->255とかの時間ではなくて、gray-to-grayの時間が重要なのだが、そのへんまで話をするかどうか見ているところ。

そこには行かずにOLED displayの話に移行した。このへんはキャッチアップしてないので知りたかった。いまになってOLEDとOELDとを混同していることに気がついた。ググりながら調べているところ。OLEDのほうがCRTとかと比べてCRT空間の緑側の部分をより広いところまで表示することができる。

JOVに出た、OLEDを視覚研究に使うことについての論文ふたつ

.@kohske OLEDはOLEDでいまのところ60Hzまでしかだせないし、なんか長持ちしない(short life expectancy)みたいなことを話してました。

活発に質問している奴の顔がなんか見たことあるなあと思ったら、PsychoPyのJonathan Peirceだった。PsychoPyのデモでグルグル回る顔はこの人だ。


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ブライアンのトーク終了。質問者が私とアリ(Ali Borji)って関係者ばかりだった(もうひとりは不明。シニアな人だったけど)。

竹村さんのトークの前に、ホテルに戻って遅い昼食。 これで昼は5ドル以下をキープしていけそう。

長い一日だった。アリ(Ali Borji)と会って話が出来たのが収穫だった。私がUSCに滞在していたときにちょうどポスドクとしてIttiラボに入ってきたのがアリで、トップダウン注意をどうモデル化するかみたいな話を延々したものだった。

ジアドにも会えたし、今日最小限しておくべきことはぜんぶ済んだ。スーパー行ってみたらまた日本の先生に会って、帰ってきたら22時過ぎてて、今から走ると遅くなってしまうので今日の朝に走ろうと思う。(<-今日は走らない作文完了)。


朝ジョギング 6.16km in 45min@St. Pete。平均ペース7'19"/km。浜辺をジョギング。波打ち際のちょい手前を走ると足場がしっかりしているので気持ちよく走れる。ROVO聴きながら水平線見ながらで宇宙感覚で走った。老夫婦がウォーキングしているのと何度かすれ違った。なるほどフロリダだなと思った。

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昼はRib back焼いて食った。 二つで4ドルで大満足。ステーキ屋行く必要ないや。ただ、ホテルに備え付けのにくき利用のぎざぎざの付いたナイフが壊滅的に切れなくて、しかたなく骨にかぶりついた。

ジョギングして、トーク聞いて、肉食って、もはや一日が終わりそうな勢いだが、今日の本番はこれから。午後にふたつサッカード関連のセッションがある。

コーヒー飲んだら元気が出てきた。そうか、コーヒーが足りなかったんだ!

共同研究者とのディカッション終了!かなり進展あった。これで安心して海に入れる。海パンは持ってきた。


朝ジョギング 8.51km in 60min。平均ペース7'04"/km。だんだん調子出てきた。もうすこしでまた7分/kmを切れそう。はじめはゆっくり、ほとんどウォーキングで、15分くらい経過したらだんだん上げてゆくということで正解だったらしい。もうすこし(あと1kmちょっと)でビーチの南端まで辿り着けそうなので、帰国する前に10km走に挑んでみようと思う。

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肉焼いて食った。これで6ドル。大変満足。VSS来てからまだ一回も外食してない(初日のレセプションを除けば)。ここまできたら自炊で全部済ますのを目指すか。

焼き加減としては肉汁が出だしたくらいがちょうどいいのだろうけど、そうすると中のほうが真っ赤だ。お店で食べるならミディアムレアくらいで頼むけど、自分で焼いたもんで赤いの食うのは怖いので火が通るまで焼いたら硬くなってしまった。難しい。

VSSのデモナイトが大混雑だったので早々に退出して、浜辺で陽が落ちるところをビデオに撮ってた。

帰りのシャトルを予約した。帰るんだなあって実感が湧いてきた。あと42時間で出発だ。

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「ステーキの焼き方」をぐぐってみたところ「あらかじめ冷蔵庫から出して室温に戻しておかないと中まで火が通らなくて赤いままになってしまう」というミスを犯していたことが判明。つか初歩中の初歩だった。今日は冷蔵庫から出して再チャレンジ。

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強火で30秒、弱火で2分、裏返して強火で30秒、弱火で2分のトータル5分でいいかんじにできた。

6ドルで大満足。ただ、コンロの真上にある火災報知器が鳴って困った。じき止まったが。そしてホテルの人はだれも来なかった。


朝ジョギング10.03km in 70min。平均ペース7'00"/km。予定通り10km走してきた。南端まではもうちょっとだったが、5kmに到達したところで折り返してきた。70min切りたいところだったが、それには届かなかった。でもだんだん調子が戻ってきてる。

VSS終了。どんどんホテルから客が出てゆくのを見ていると、いつもながら不思議と悲しい気持ちになる。おみやげは全部買った。シャトルの確保もした。帰国する前にメール色々書いて、帰ったらいろいろやらなければならないことに手を付けて、さっさと頭を切り替えていくことにしよう。

VSSの発表についてもまとめておきたかったが、どれもhighly relevantすぎてちょっと書きにくい。ともあれいろいろ収穫があってよかった。NCMとVSSどちらに行くべきか逡巡していたのだが、VSSに来ておいてよかった。

サランラップと塩コショウとオリーブオイルが余った。置いてゆく。サランラップはすごく重宝した。作り置きして半分ラップして冷蔵庫というオペレーションが可能になった。本当は牛脂とかが欲しかったのだがなかったのでオリーブオイルで。でもベーコンで間に合うということを学んだ。


起きた。もうすぐ出発。

タンパ空港には2時間前に到着したけどガラ空きですぐにチェックインできた。チェックインでハマるのを恐れていつも早めに行くようにしているけど、考えてみればここ最近困ったことはないな。1996年のLAXで螺旋階段みたいなところで2時間並んだ記憶がある。たぶんあれを引きずっている。

長男へのお土産のチョイスに気の利いたものが見つからなくて毎度難儀するのだが、今回はESPN(スポーツ専門チャンネル)の雑誌の表紙が田中将大だったので、これにした。


中部国際空港到着した!たぶん眠れないだろうと思って、飛行機の中では2週間後のJCのスライド作ってた。ほぼ完成。でもまだ駒場講義もあるし、前倒しでやっておかないと時間が取れない。機内では4時間くらいは眠れただろうか。いまのところけっこう元気。


2014年12月17日

eye tribeで試行錯誤中(2014年4月版)

なかなかeye tribeのMac用APIがリリースされないので、パラレルズ上のWindows 8.1から動かしてみた。仮想OSからUSB3を認識して動作した。ハードウェアはけっこう熱くなるので、ラップトップの上に置くには気になる。画面キャプチャー動画も上げておいた。

マウス・カーサー・コントロールもちゃんと効いた。Tobii X2-60も使っているけど、そちらと比べると頭の動きの許容範囲は半分くらいだろうか。

あとはアイトラッキングのデータをprocessingから読めるかどうかなのだが、残念ながらまだだれもそういうライブラリーは作ってないみたい。Leap Motionとかだとすでにあるのだけれど。

SDKのドキュメントを読んでみたら「TCP Socketsを開けることができて、JSONをパースすることができるプログラム言語だったら、理論的には接続可能」と書いてある。つまりprocessing.netとJSONObjectを使えばよいのだな。

The Eye TribeでのアイトラッキングデータをJSONで出力したものをProcessingで描画してみた。

850319772.png

あとはこれをリアルタイムでdataIn = myClient.read(); とかやればよい。


2014年12月11日

さうして、このごろ 20140430

いぬのおまわりさんが「困ってしまってわんわんわわーん、わんわんわわーん」ってもう少しなんとかしろよ、使えないにも程があるだろこいつ、とか思った。

走りながらセバドーの「磁石のコイル」を聴いていたら、"soon our little brain is gonna boil"って歌詞が出てきたので、これって「頭がフットーしそうだよおっっ」じゃんとか思ってフイた。

ジョギングからの帰り道、ローソンの向こうにギリギリの三日月が見えて、月の暗い部分が薄暗く見えて、光っている部分が本当に端っこだけで、まるで月食が始まる直前で時が止まったかのようだった。

ことわざを日本式に直しておいた;「米のとぎ汁を捨てるときに米粒まで流すな」…つか本当にある気がしてきた。

「チャーリー・ブラウン・イズ・デッド」っていう痺れるタイトルを思いついたが、どう見ても「ジェイムス・ブラウン・イズ・デッド」のパクリだった。


今日は新年会兼送別会。なんというか、自分の身に引き寄せて考えてみた。どの道だって、「幸せ」になれるかどうかはわからないけれども、その道を「正しく」歩くことはできるんではないだろうか、事実かどうかというより祈りのような気持ちだった。

シロツメクサで花冠を作るんだ。たくさん作って、無造作に並べて、雲も風もなくて、空は平坦に絵の具で塗られていて、遠近感は失われて、それでも生命の感覚は残り、灰色は世界から追放されてゆくんだ。熱と鼓動が中から外から、いくらでも押し寄せてくるんだ。


ポプラ通りを統合バイオセンターに向かって車を走らせていると、T字路の手前で「この先通り抜け出来ません」の看板があるのだが、後半が生け垣に隠れているために「この先通り抜け出来」という東スポ技法がなされているのがすごく気になる。

「溯源」とかそんな言葉しらネーヨ!とか思って調べてたら知恵袋の記事を見つけて興味を惹いた。「逆上る/遡る」「爪突く/躓く」「紐解く/繙く」「色取る/彩る」「散り嵌める/鏤める」「片寄る/偏る」「型取る/象る」なんか、カッケー! 後者は中二病感あるぞ。

研究所のエレベーターホールにポスター掲示用のパネルが設置されて、マグネット類が貼り付けられているのだけれども、誰かは知らないがそのマグネットを使ってさまざまな絵が描かれている。しかも日替わり。各フロアで違った作品が掲示されていて、私は密かに「せいりけんギャラリー」と命名した。

「ドグマ」って言葉の語感の力強さはなかなかに素晴らしいと思う。今気づいたけど、もしかしてsulpirideの商品名の「ドグマチール」って「ドグマ」+「散る」ってことか?

Precuneus (プレクネウス)には、ヘラクレス的な、ロゴセティス的な、ギリシア感を強く感じる。(<-ドヤ顔)


2014年11月28日

さうして、このごろ 20140316

なるほど、「勝利の方程式」という言葉をよくよくみると、方程式解いてないじゃんって思う。逐語的に考えるならば、複数の拘束条件から(ナッシュ均衡的な)最適解を得るみたいなイメージが湧く。

しかし(たとえば)名監督の名采配ということであれば、毎回違う状況から流れに合わせて最適な手を打つことが必要になる。それならば「勝利の微分方程式」でどうだろう? もしくは、いつもの必勝パターンに持ち込むということだから、アトラクターに落とし込むということであって(<-かぶれすぎ)


無謬性なんかどうでもいいだろ。敗北主義で良いじゃんか。ぼやぼやと歩いて信号赤で警笛鳴らされたりしながら、泥と雪と魚の臭いと、騒音の向こうから聞こえる鐘の音と、そういうものでできたトンネルの中を、ポケットに手を突っ込んでかすかな熱を探りながら、正しくない選択をとり続けるんだ。

暗い寝室に戻って、黄色い防寒着を探してみたら、暗い部屋の中でその黄色は暗い灰色のようになっていて、なるほど黄色は白に近いから暗ければ灰色だななどと理屈に合わないことを考えた。そんな考えが、切れ味の悪い刃物のように、滑った鋼の棒のように、私の腹の中へと差し込まれるのを想像した。


オカザえもんが生理研に来訪。一挙に非日常モードへ。私は見逃したが。もしオカザえもんに質問できる日が来たら、Stereolabのジャケとかこの辺りのデザインからの影響の有無について聞いてみたい。


.@okazakiemon 「トマトケチャップ皇帝」いいですよね!


「虐殺器官」の4章を読んでたら、CEEP(Child Enemy Encount Possibility)という造語が出てきた。戦場で武器を持つ子どもたちというモチーフが、最近読んでた「虐殺器官」「スローターハウス5」「カタルーニャ賛歌」ついでに「カラマーゾフ」も入れてもいいかもしれないけど、なんだか連続して出てきたので、なんだか驚いた。

平行してkindleで再読していた「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」でも、語り手のなぎさは「実弾」を手に入れるために中卒で自衛隊に入ろうとする。いろいろあって結果としてそれは断念されることになるのだけれども、もしかしたらそこにも「子ども十字軍」のイメージはあったのかもしれない。


空へと続く階段? 「ブーツストラップ」? カモメとビスケット? なにもかもが明白すぎて、でもなにもかもおろそかにすることはできなかった。それでも疑問が浮かんでしまう。ぶら下がっている紐? 紙飛行機? 懐中電灯とスコップとセメントの袋? ぜんぶ引き寄せてフレームの中に押し込んだ。

世界が回る、地球が回る。血が巡り、水が回る。なんという偶然だろう? ほんとうに、水が回り、血が巡った。歌は終わり、火は止められた。ほんとうに、水が回り、血が巡った。


2014年10月08日

tonnetz(三和音のトーラス構造)についていろいろやってみた(2)

前回の続き。以前考えたように、tonnetzをちょっといじるとダイアトニックコードは図のように並べることが出来る。

つまり、赤の部分を繋ぐとメビウスの輪になる。じゃあっていうんで、ほんとうにメビウスの輪の上に乗っけてみた。

2周(4pi)を7等分してやるとたしかにそれぞれの音が置くことができるのだけれども、点の間の距離がばらばらになってしまう。

正三角形の形は崩さずにメビウスの輪のように繋げないのだろうか。折り紙で自作していたのだけれども、どうにもうまくいかない。ふと家にジオマグがあることに気がついた。やってみた。

するとどうやっても繋がらないことが判明。右端のD音と左上のD音が繋がれば完成なのだが、どうやってもうまくいかない。そもそもうまくいく保証はなかったのだけれど。

ここまできたら無理矢理繋げばいいんではないかと思い立った。B-Fだけ音幅が違うので、そこだけ長い。

なんか対称性が出てきて良くなったんではないだろうか。でもそこまで考えるんだったら、そもそもC-E-Gを半音の数で3-4-5の直角三角形と捉えた方がいいかもと思った。

隣接している三角形で出来ている菱形はmaj7コードを構成する(e.g., C-E-G-B)のだけど、閉じられていない菱形が気になる。E-A-B-DとかC-D-F-Gとか。でもいいかげん飽きた。

でもってそのまま次男とジオマグで遊んだり、ジェンガで遊んだりというそういう一日となった。長女とiPod Touch買いに行って設定してやったりとか。


2014年10月02日

tonnetz(三和音のトーラス構造)についていろいろやってみた(1)

以前tonnetz(三和音のトーラス構造)についていろいろ考えてブログに書いたことがあるんだけど、ふと思い立って、三和音を三次元の一点で表現するようにして24個の和音を並べたらなんか構造でも見えてくるのだろうかと思って図を作ってみた。

24和音を低い方から並べて、たとえばCmajorだったらc,e,g音をc=0を基準に半音の数を数えるとc=0,e=4,g=7となるので、3次元空間の(0,4,7)にplotする。この調子でぜんぶplotするとx軸は0-4, y軸は3-8, z軸は7-11に全てのコードが並ぶ。

んで眺めてみたけれども、たとえば高さ9のところにはa音を含むコードが集まるので、xy平面上でD-Dm-A-Am-F-F#mという六角形が見える。縦方向に見てやると、Dmの縦線(黄色)の流れが上に進むとマゼンダの縦線の流れに繋がる。こっこにはなんか構造が見える。色で言うとmajのg-c-rとminのm-b-yの二つの系列。

とはいえ、c音から積み上げていくというところが無意味なので、もっと幅広くplotしてみたらなんか違ったものが見えただろうか?

けっきょくcircularであることを無視するとよくないので、Cmajorだったら輪っかでc-e-gに印をつけて、あとはおなじように24個作って、二音共有しているコード、一音共有しているコードって感じで近接度からグラフ構造を作る。そうすると…ってそれがtonnetsじゃん。ギャフン。


今度の10月の一般公開の出しものについて考えていたのだけれど、せっかくアイトラッカーがあるのだからそれを活用したい。とりあえずはサッカードの反応時間を測ってランキングをつければ小中学生はめちゃ頑張るはず。これまでも伊佐研では「マッスルセンサー」(簡易筋電計測装置)を活用してたし。

それはそれとして、もうすこしなんかインタラクティブなことしたい。今考えているのは、アイトラッカーから視点計測して、視線の位置を使ってsupercolliderでなんか音を出させる。tonnetz上での視線の位置によって出る音を決める。

位置によって出る和音がカテゴリカルに変わるだけだとつまんないので、Chordataで見た図みたいに、使う音に重みをかけてやる。たとえばc-g-eの三角形のど真ん中だとCメジャーコードだけど、c-g-eとc-a-eの三角形の間だとAm7になる。

画面描画はprocessingにやらせる。そうするとeye tribeからマウス代わりの入力を取って、それをprocessingで描画して、oscで通信してスパコラで音鳴らす。手間はかかるがプログラミングを覚えれば可能だろう。

じゃあc-e-gとc-ds-gの間だとどうなるのだろう?CメジャーとCマイナーがなると不協和音なのでそれを避けるとしたら、tonnetzを斜めに切り取ってCメジャーダイアトニックコードだけにしたバージョン、つまりこれのfig2cか。

C-Amの中間系だけでは面白くなくって、C-Fの中間系(=Cmaj7)とかAm-Dmの中間系(=Dm9)とかも作れると面白い。ではそのときはどのようにこの三角形を貼りあわせたらよいのだろう?3次元にすればいいのか。

だからそっち方面から詰めてゆくと、アイトラッカーよりはKinectかLeapMotion使ったほうがよいということになってしまう。じゃあアイトラッキングだったらなにが効果的な出力かという方向から考えたほうがよさそうだ。使える情報は位置だけではなくてサッカードの向き、速度もある。

課題の最初の画面の中心では7音全部が鳴ってるんだけれど、音のフィードバックだけを頼りにして探索していくといい和音のところが出てくる。これをウォーリーを探せ課題をやっているときに重ねてやって、音で強化して視覚探索をコントロールしてやる。(<-もはや一般公開と関係ないし)

サッカードの特徴から考える。じっと留まるのではなくて、アチラコチラに動くのがサッカード。そしていつ目が動いているかはほとんど意識しない。動いている瞬間はサッカード抑制で視覚が使われない。だからサッカードのタイミングで画像を変えるとchange blindnessが誘導できる。

そういうわけで、Processing + SuperColliderでTonnetz上の平面をクリックしたら音が鳴る、というのをじっさいに作ってみた。

ここまでならSCなくてもできるが、もうちょっと音を工夫してみようと思う。

あとはEye TribeがMacに対応するのを待って、アイトラッカーからの入力で音を出せるようにする。今日はここまで。


2014年09月26日

さうして、このごろ 20140216

今日は次男と一緒に将棋して、それから次男と一緒に凧あげした。すごく寒い、風の強い日で、凧はよく上がったが、風に持ってかれて凧はぶっ壊れた。長男が小さい頃からずっと使ってきたポケモン凧。来年になっても次男は凧揚げなんてしたがるだろうか?新しい凧を買うべきだろうか?そういう一日。


アパマンショップの歌を舞の海が歌うCMで、「アッパマン ショップでえ?」みたいにイントネーションが上がる部分、あそこが好き。とここまで書いてからぐぐってみたら自分のブログが出てきたので、どんだけアパマンショップの歌が好きよ俺と思った。

「思ってた? 恐れてた? だけど あれ? なんか 違うかも」ってくだりを聴くと「ガッデームって俺って何も言ってねーっ」をなぜか思い出す。


ひとつも 含みを持たないように 腕時計はずすように 道端に紙を敷いた / それから 腕まくりの洗面器 氷水とキュウリ 振り向くとなにか消えた / だれもが 角のとれた電池 花粉症の薬 ハサミムシ逃げ出した

無責任な野次飛ばしてみたり、ポリカーボネートの棒磨いてみたり、途切れそうな会話をむりやり繋いでみたり、毛布の毛玉を全部もぎ取ってみたり、私は宇宙の法則を探るために、あらゆる方法で世界に働きかけた。鶏をかたどった錆びた風車が軋み、コーヒーカップが電子レンジの中で泡を溢れさせた。

「行くも地獄、引くも地獄、だったら俺は引くぜ」…って引くな。

crossingって語は、鉄道用語だと交差する部分であってけっして乗り換えができない。だからこの語は、いっとき交差するのだけれども、それはけっして互いに影響を与えないような偶然の邂逅である、みたいな醒めた視点を含意している。もちろんこれは深読みです。深読み大好き。

「いいからそこの学食の端っこの方で石鹸でもかじってろよ」#今日の罵詈雑言

恐竜なんて、滅びればいいのに。#すでに起きている事象をまるで自分の願望が成し遂げたことのように言うためのレトリック


寒すぎて足首攣った。ベンチに座って伸ばして凌ぐ。(<-ライム?)

ひと仕事終了した! 札幌駅のホームに降り立って「のんのんびより」のOPを爆音で聴きながらホームの時計を見上げたら、「どうあれ俺は俺であり、変わりようがない」という当たり前なのにずいぶん大げさな啓示がやってきて、なんだかそれはカラマーゾフのミーチャの改心の瞬間のようだった。

「どうあれ俺は俺であり、変わりようがない」と昨日は思ったが「時が来たなら終わるもいいさ / それが俺の最後の運命だったら」とも思った。


節分。今日は俺が鬼の役だったので「不動の心、不動会」とか言いながら居間の片隅でポーズを取ってみたら、子どもたちが「無言で」落花生を「勢いつけて」俺に投げつけるというわけのわからないことに。途中で奥さんが指摘して「鬼は外、福は内」がコールされるようになったので節分らしくなった。そんな日。


「夜は短し歩けよ乙女」をkindleで再読してた。前回読んでたのは2008年4月。思えば遠くへ来たもんだ、と言いたいところだがそうでもない。あのときは「太陽の塔」を読む前だったのでうまく出来たエンターテイメントとして読んだのだけど、「太陽の塔」を読んだあとでこれを再読すると、なんだかすべてが悲しい願望から再構築されたもののように読めて、それはそれですごく良かった。


人間ならだれだって、夜中に「ハンター!!!」と叫んで家族を全員起こしてみたいものだろうと思うのだが、わざわざそのようなことをけっしてすることはない。この、「わざわざそのようなことをけっしてすることはない」という感覚って催眠的だよなあと思う。

術者の言うことに反抗することもできるけどでもわざわざ抗しようという気も起こらずに従ってしまう。われわれはつねに、社会やらなんやらに条件づけられて行動していることに後付けで理由をつけて、催眠的に生きてるんだな。(<-凡庸の極み)


2014年08月06日

さうして、このごろ 20131231

「さむわんすぺっしょ(すぺっしょ)」(<-長女が隣でクリスマス用CD聴きだした)

「テコ入れ」ってファニーで、なんか好きな詩語の一つだけど、「シワ寄せ」ってのもかなりイケてるんではないかと思ってる。

次男が食パンを自分で切ると言うので、「出来るの?」って聞いたら出来るって言う。「じゃあ、やったことあるの?」って聞いたらあるって言う。じゃあって見てるところでやってもらったら上手に出来てた。我ながら「悪しき前例主義」に陥っているな、とか思った。


大学院生の方が来て、インタビューというかアンケートというかそういうのに答えて、生まれ変わったら高等遊民になりたいとか、一番行きたいところは心のなかでもなければ宇宙でもなく、士林市場でマンゴーかき氷食べたいとか、バカ丸出しの発言してきた。

お薦めの本は?という質問事項があって、とくにひねりもなく「スローターハウス5」と答えておいたが、「くものすおやぶん とりものちょう」と答えた方が正しかったのではないかという気がしてきた。なにをもって「正しい」とするかはまったくわからないが。

(2014/5) インタビュー企画公開されました:生理研には総合研究大学院大学というのが併設されていて、私もそちらの教員を兼任しているのだけど、その総合研究大学院大学の企画として「研究者時計」(元ネタは「美人時計」)というのをやってる。(主に)オッサンがにっこり笑って時間をお知らせする。「研究者時計」の私のページ


MêléeのBuilt to Last、古風な曲だが大好きで今でもよく歌うのだけれども、歌詞がド直球のラブソングで、なんかイッケメ〜ンが女子口説いているシーンがイメージされて、俄然萎えた。だって「あの花火とろうそくの灯火の夜」っすよ。それでも大好き。(<-どっちだYO!)

家の中からドリアン臭、家の中からドリアン臭、きっとだれかがふざけて、ドリアンチップスを水に浸したまま放置しているだけなんだろ (<-「氷の世界」のメロディーで)

ずっと昔にテレビで見た映画で、防波堤の先?途中?にある公衆電話から誰かが電話をかけるシーンがあって、なんかそのありえなさ、異様さがトラウマ的に記憶に残っていたのだけれども、調べてみたら寺山修司監督、清水健太郎主演の「ボクサー」だったらしい。


この記事の最後のあたりに"politically correct"の語源というか元の意味が書いてあって、恥ずかしながら全く知らなかった。「もともとは左翼の人々が…自分たちのドグマ的態度を自嘲するために使っていた言葉」つかwikipediaにも書いてあるな。"Political correctness"


我が家の大掃除で行き場所がなくなった地球儀が、なぜか私の衣装ケース兼本棚兼DTM関連の棚のうえに鎮座することになった。地球儀って、いいよね。(<-FMラジオのDJっぽく)

ラボからの帰りの車で上機嫌で、「オナラ ブッブッブー ブッブッブブー ブッブッブー ブッブー」とスモーク・オン・ザ・ウォーターのリフで歌っていた。そのバックでは、ロバート・ワイアットっぽい手数の多いドラムを叩きながら。

図書館で「おかざえもん展」のチラシを見つけたが、開催は今日までだった。じゃあ行きたかったのかと言われれば、とくに行きたかったわけでもないと答えざるをえないのが多いに不本意だ。(<-ガストロンジャー)


今年のクリスマスイブは、家族でケーキを回し食べして、クリスマスソング歌おうということになって、なぜか「赤鼻のトナカイ」をみんなで歌うことに。そこは「きよしこの夜」ではないだろうか。ともあれ、冬空の明治通りを自転車こいだ年やヒピ男君と語った年と比べれば総じて良かったと言える。

人生の何処かのタイミングで「止まった時計でも一日に二回は正しい時刻を刻むんだぜ」というフレーズを使ってみたいと考えているのだが、どこで使えばいいかはよくわからない。

「クレヨンのロザリオをきつく握った手に」ってところは好き。


2014年05月05日

さうして、このごろ 20131131

起きたが眠い。昨晩は近くで酔っぱらいの若者がなんかによじ登ったかなんかで警察に「危ないから降りなさい」とかマイクで注意されてた。サンセットブルヴァードかっていう。

長女が「薔薇がいっぱい入った風呂に入りたい」とか言ってたので「セレブか!」と突っ込んでおいた。

「よし!ロペス!」野球見てる次男の反応と@ichipoohmtさんのツイートがシンクロしてる。


子供の頃は私は父親のことを「とーちゃん」と呼んでいた。大人になったどっかのタイミングで「おやじ」と呼ぶようにクラスチェンジするというのが正しいあり方だったと思うのだけれども、大学院生活、ポスドク生活が続いてタイミングを逸してしまった。一方で弟は大学に入ったあたりで「おやじ」と呼ぶようになった。

ともあれ自分の方はタイミングを逸していたのだけれども、私の子どもが生まれ、彼らが父親のことを「じーちゃん」と呼ぶようになってからは自然と私も父親のことを「じーちゃん」と呼ぶようになった。たとえ孫がいなくても。

私にとっての父親は、子どもたちにとってのじーちゃんなんだなとなんか合点がいった感じがした。そんなわけでなんだか変な方法で、この問題は解決した。


朝から機構のソフトボール大会だった。結果は準優勝。とはいっても全部で6チームだが。以前は16チームくらいあったものだが。

ともあれ、私は2試合分くらい出場して、4打数3安打。レフト越え三塁打、レフト越え二塁打、三塁強襲ヒット。スイートスポットはひとつしかないが当たればよく飛ぶ。

そんなわけで個人成績としてはこれまで最高ではなかろうか。満足した。

打ち上げには不参加。そのあと長女をミュージカル教室に迎えに行って、長女を新体操に送って、渋滞に超ハマって、長女を迎えに行って、長男を図書館に迎えに行って、車のガソリン入れて、次男を野外教室からのバスの迎えに行って、それでやっと帰ってきた。長い一日だった。まだ終わってないけど。


次男を空手に迎えに行って、上機嫌で「家に帰ったら何が起こっているかな? カニが千匹生まれてるかな? カニが百匹生まれてるかな? カニが千匹? カニが百匹? カニが千匹? カニが百匹?」と歌っていたらいつの間にかメロディーがユニコーンの「大迷惑」になっていたという驚きを伝えたくて。

僕らは砂であり、山であるけれども、砂山ではない。僕らはロバであり、藁であるけれども、その境界に背骨はない。僕らの上空には今にも零れ落ちそうな蜜があり、森であるけれども、木箱には仕掛けもなく、運転手もいない。地層が割れて現れた眼が、全てを一つの光景にまとめ、丸呑みする。


今日はラボからの帰りの車の中で歌い出してみたら、それは「およげたいやきくん」だった。これあらためていい曲だな。こう、横ノリでシンプルなリズム隊をイメージしつつ、ちょっと裏に食い気味な感じでソウルフルに歌うの。あと、子門真人の声が太いから気づかなかったけど、けっこう音が高い。

しばらくカラオケ行ってないので行こうと思う。ひとりカラオケ、以前はよく行ってた。上地(うえぢ)のシダックス。ラボでのひとりすき焼きも済ませたし、三八でひとり焼き肉は当たり前だし、サンディエゴではひとり動物園も済ませた。残るはひとりディズニーランドくらいではないだろうか。

ウインドブレーカーのポケットに豆腐入れたままロッカーに放置してしまった! (<-ブルースマンの歌う素朴な歌詞風)


ふと気づいたが、明日(2013年11月29日)でブログ書き出してから10年目だ。niftyでやってたホームページから、はてなダイアリーへと移ったのが2003年11月29日だった。10周年だからと特になにかするつもりもないが、とにかく思い出せてよかった。

はじめて書いたエントリがこれ:「Eight miles highのイントロではベースの音でドラムがビリついているのが聞こえる。それだけ。」なんか今書いてるツイートと変わってネーわ!


2014年04月06日

Python関連で試行錯誤 (2013年11月バージョン)

Mac上で動かしているPsychoPyがスタンダローンバージョンだといろいろプラグインを使うときに不便。(TobiiやらEyeLinkやらNIのUSBやら。)そこでこの機会にEnthought canopy入れてpython環境整えてみる。

もともとはMacPortかHomebrewで環境を構築しようと思っていたけど、プラグインとかで、もともと入っているPythonとの関係がなんだか不安だ。Enthought canopy入れればscipyとか各種全部入るようだし、もう少し調べてみる。

ちなみにすでにScipy Superpackを入れてあるので、Macに入っているPythonでscipyとかを使うことはできる。PsychoPyではEnthoughtを使うのを推奨してる。

そういえばScipy Superpackを入れてあったのだ、と思い出したのでiPython動くかどうか調べてみたら、動かなくなっている。そういえばMavericksにしてからいじってなかった。Superpackのアップデートをしておく。

Scipy Superpackのコード見たところ、easy installコマンドを使っているわけで、まずはライブラリと本体のpythonとの関係とかそのへんを理解しておこうと思う。いままでこのへんずっと回避してきた。

PsychoPyはいまだに64bit対応していない。これはかつてはpygletが32bitだったのが理由だが、pygletは1.2で64bit化された。しかしPsychoPyがpyglet1.2に対応していないため、今年4月段階ではまだ64bit対応がなされていない。つまりMacでは使えないということ。

Python(x,y)とSpyderを知った。なるほどこりゃほとんど見た目Matlabだ。Enthought canopyとかと競合するようだが。

Scipy Superpackよくよく読んでみたら、64-bit buildsをインストールする、って書いてあった。ということはここでpsychopyをインストールしても動かない。やっぱenthought canopyか。

Scipy Superpack入れるとStatsmodels, Scikit-Learn, PyMCが入るので、Rの代わりにもなるし、機械学習もできるし、MCMCもできる。素人なりにtutorialとかいじっていると楽しいのだが時間がどんどん飛ぶので、我慢している。

Pythonにはggplot2みたいなものもあるのか:Bokeh しかもネーミングは日本語語源だった。"Photographers use the Japanese word “bokeh” to describe the blurring ..."とのこと。


追記:PsychoPyの設定の件、けっきょくこれまでの実験系をぶっ壊さないように、外付けSSDにMarvericksインストールして、そこにcanopy 32bit入れて、easy_install psychopyにて動作確認した。参考: psychopy-users

あとはここから、standaloneバージョンには入っていないようなplug-inを入れてってちゃんと動作するかどうかとか検証してゆく。


追記2:PsychoPyで刺激を出して、フォトダイオードで提示時間測って、ばらつきがどのくらいあるかを評価。最終的には、刺激の提示と、Labjack U3での計測とTTL出力と、EyeLinkのデータを同期させるのをMacで正しく行う。

LabJackPythonを使うためには、USBのドライバ(Exodriver)をインストールする必要があるが、Marvericks上でインストールしたら "import u3”でモジュールを読み込めない。エラーをよく見たらこれはパーミッションの問題で、chmodしたら解決した。

とさらっと書いたが、じつは土曜日に解決できなくて週末越えて月曜になって解決。遅々として進まず。ちなみにMountain Lionのときにはパーミッションの問題には遭遇しなかった。なんか変わったんだろう。

LabJackはStream Modeにしないとイカンかと思っていたが、ふつうにports.readRegister(FIO4)を繰り返すだけで0.8msecごとに読めることが判明したので、これで充分だった。


2014年03月23日

さうして、このごろ 20131031

今日も長女の新体操のお迎え。今日は車内で長女が「冬の寒い時期におしゃれを取るか暖かさを取るか」という話題を持ち出しつつ、小学校の校舎がいかに寒いかという話へ展開した。

"grit your teeth"(歯ぎしりする)の「グリット」ってホント歯ぎしり感高くて、擬音語としてかなりいい線いっていると思う。

「百万遍」とか地名にしては中二病すぎるだろ、常識的に考えて、とか思ってウィキペ調べてみたら、知恩寺の通称が百万遍で、その名の謂れは念仏を百万遍唱えて疫病を収めたからというこれまたまさに中二病的エピソードがあることを知った。

「借金」の話かと思ったら「しゃきっとしてない」ってだけの話だった。すっかり手持ち無沙汰になった私は、「爪楊枝」のポーズをとった。

目隠しをし、片手に剣、片手に天秤。


激しい雨の降る中を傘を差して家まで帰った。竜美ヶ丘の三菱社宅の緩やかな坂を下りながら、日没後の暗い空と雲を眺めながら帰った。心のなかで長時間露光をして、空の光を蓄積してみた。すると、暗い空のように見えたのはじつは真っ黒な雨雲であり、それが欠けた部分に白い雲があることに気づいた。そのとき図と地が逆転し、灰色の雨雲が雨を降らせるために一面を覆っていることは、はじめからそうであったように、当然のことだったように見えてきた。私の表象は変わり、私の知覚経験は変わった。


家で布団に寝っ転がってだらだらとしている。Dark room problemってあるじゃん? 自由エネルギー最小が脳の原理だったらみんな暗い部屋でじっとしてるだろよwwwってやつ。でもオレ今暗い部屋でずっとじっとしていたいわ。なんでみんなこんな大雨の中、わざわざ外で出てゆくんだ?

だが腹が減ってきたので雨の中豆腐とモヤシを書いにコンビニまで行く。暗い部屋問題、完全解決!


ザッカーバーグの“Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity”ってのはある種の革命を目指している。たとえば教育者が公では理解と和解を口にしながら家族に対しては暴君である、みたいな"lack of integrity"をぶっ壊すことを目指している。

それじたいは良いことのように聞こえる。しかしこの理屈ですべてを塗り込めてしまってよいのだろうか? すべてについて裏表無くできる人間なんているだろうか? できたとしてもそれは強者の論理じゃあないだろうか? なんて風にこの言葉を聞いたときは思った。

この理念(Only one identitiy)をどう扱うかという問題はこれまでは技術的に不可能だったので考えることが不要だった。しかし、FBが遅かれ速かれ衰退するとしても、今後は繰り返し出てくる論点なのではないだろうか。


SF的発想で間主観性の問題を私的な内面を完全に共有することで一つの主観にしちゃうようなのってあるけど、そもそも自分に私的な内面がなければ、行動がすべてであり、行動ですべてが伝わっているのであって、行動から意図を忖度する必要はないのであって、問題は解決しているようにも思える。

つまりそもそも、行動から相手の意図を忖度しなければいけないという事実自体が、内面を持っていることの証拠になるんではないだろうかってこと。じゃあ、忖度しない場合は内面を持っていないのか? こっちはよくわからん。


当事者研究関係の本を借りるために豊田市中央図書館まで行ってきた。豊田市中央図書館に行くのは久しぶりだ。いまは岡崎市中央図書館が改装して大きくなったので当分行ってなかった。5年ぶりくらいだろうか。かつては専門書は豊田に行かないとなかったので月2ペースで行ってた。

以前と比べるとすごく静かになっていた。以前は試験勉強とかしている高校生がずっとおしゃべりしていて、図書館側が放置しているのでひどいありさまだった。館長が変わったか方針が変わったか。以前これは環境のせいではないかということを考察したことがある。

岡崎の方では図書館のすぐ外にオープンスペースがあって、そこでおしゃべりできるようになっているので、館内はとても静かになっている。これがいわゆる環境的管理(マクドナルドの椅子が硬い理由、とか)かあとかわかったような口をきいたものだが、豊田でも静かに出来ていたということは普通に対策取ればできることだったのだな。

以前豊田図書館に来ていた頃は、長男がまだ小学校低学年くらいのころで、このエスカレーターを降りるときに長男は階段を先に降りてたっけとか、この階段でお昼代わりにミスド食ってたっけとか(ミスド閉店してた)、なんかものすごく場所ごとに記憶が埋め込まれていることに気がついてなんか泣けた。

いや、泣いてないけど。


次男が、クリスマスツリー買って家にたくさん友達を呼んでパーティーしたい、とリア充な発言をするのでなんかスゲー笑った。ぜひこのまま大きく育ってほしいと思った。


2014年03月02日

さうして、このごろ 20130831

「ハンドルネームはひらがなにしろ!」 気持ち分かるわー。だれも「プーニールさん」って呼んでくれないからブログのfaviconにわざわざ「ぷーにーる」って入れた。といいつついざ初対面でプーニールさんって呼ばれたら引くな。(<-自分勝手)

なるほど、生理研には社会脳研究用に2つ並んだMR装置があるけど、じつはあれは転送装置だったんだな。(おれがあいつであいつがおれで、的なあれ。)

朝っぱらからこんだけたくさん蝉が鳴いているわけだが、まさか30年後には食料としての利用というイノベーションによってこれ全部が絶滅するなんてことにはお釈迦様でも気がつくめえ、なのであった。(<-50億羽のリョコウバト絶滅ネタ)

次男の足し算問題100問が一分を切るようになってきて、滑舌がよくなったことを自慢していたので、「人間発電所」のライム(「寺のボーズのようスネアードラムス木魚 お経のBUDDHA STYLE ライムフロー」)を一発決めて、真似できるか?と聞いたら、「無理」とさっくり流された。

"Slow in, fast out"は好き。"first in, first out"はとくにどうという気持ちもない。"garbage in, garbage out"はなんか嫌い。

A:「ちょっと待て!」 B:「ちょっと待った!」 A:「ありがとう」っていう吉本新喜劇っぽいシーケンスが頭をよぎったが、実生活で使うことはありそうもない。


研究所の耐震改修工事が済んで、エレベーターも新しくなったのだけど、そうしたらエレベーターが閉まるまでの時間が長いし、ドアの近くにいると赤外線かなんかで感知して閉まらないようになっている。研究所なんて急いでいる人しかいないのだからもっとさっさと閉まってほしいと思っていた。

でもあるとき気づいたのだけれども、これって「バリアフリー」の一環なのだろうか? 車椅子の人でも、パーキンソン病などで歩行が機敏でない人でも、この研究所では受け入れることができますよというメッセージなのだろうか? 考え過ぎかもしれないがバリアフリーという意図なら文句は言うまい。


20130815

「アンドレアス・グルスキー展」 行ってきた。すごい良かった。緻密化で圧倒的で不思議な遠近感に圧倒された。自分で持ってきた音楽聴きながら2時間以上かけてじっくり見た。MBVとかSeaside Voice Guitarとかかけて見てた。

不思議とザッパが合う。アンクル・ミート辺り。まあまさに、緻密で圧倒的で不思議なかんじだから納得がいく。ドブ川に写った光と影を写した「バンコク」とか衛星写真を貼りあわせて作った「オーシャン」とかすごく良かったけど、写真の面がテカっていて、観客とかライトとかが反射してしまう。

だから、でのせっかくの川面の深い色(「バンコク」)とか、衛星写真の海の深い色(「オーシャン」)とかがちゃんと見えない。これはけっして今回の会場だけの問題ではないのだけれども、なんとかならないものだろうか。暗い部屋に作品だけ光を当てて影を作らないようにするとかそんなかんじで。

学会でも顕微鏡写真のスライドの時とか会場の照明を暗くしたりするけど、あれみたいな感じで。


新宿までブックオフ巡りをしてきた。新宿駅西口と東口の両方に大型店がある。そこで真説ザ・ワールド・イズ・マイン(新井 英樹)をコンプリートしようという算段。西口から東口に移動する際にAflacのデカい壁宣伝ポスターがあるのを見かけた。

それは、将来に対して投げやりで雑な黒いアヒルが「病気なんて起きてから考えればいいだろ」みたいに言うやつで、ブラックスワンじゃなくてブラックダックか、ツイッターのネタになるかもとか考えながら通り過ぎた。

そして東口店には真説ザ・ワールド・イズ・マインの3,4巻がないのを見届けると、西口店にまた戻ることにした。タレブの「ブラック・スワン」の上巻が200円だったので買った。でもそのとき、Aflacの看板のことは完全に失念していた。

そしてまたさっきのaflacの看板を通るところで看板のことを思い出して、「ブラック・スワン」の上巻を買ったことがこの看板に影響されたっぽいことに気づいた。さらに看板をよく見ると、この黒い奴はアヒルではなくて本当にブラック・スワンだった!

西口店で真説ザ・ワールド・イズ・マインの3,4巻を買って、なんかの縁を感じて「ブラック・スワン」の下巻も1000円だったが買った。そして家に帰り、ネットを探し、aflacのは最近始まった宣伝であることを知った。テレビはほとんど見てないのでTV CMもあることは知らなかった。そんな一日。


2014年02月21日

さうして、このごろ 20130930

水曜に理研BSIに行ったときになんかデカイ塔みたいなのを見つけて写真撮ってたら、鳥の群れがやってきた。

そのあとで「群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序」 郡司ぺギオ幸夫 を買ったのはプライミング効果だったのかもしれない。

***

予定どおり刈谷市の児童館「はばたき」に行ってきた。「貴様も羽ばたきたいか!」(仮面ライダーの解説の声で)

卓球の勝負の方は30分3回のあいだに11点先取で勝利として7勝4敗。けっこう負けが込んできた。余裕こいてスマッシュとかしてたらあっという間に点差が縮まった。

次男はかなり勝負にこだわっていて、練習のときは無謀なこともやりつつ、試合では確実かつコーナーを突いたプレーを選択。普段なら4試合ほどすれば満足していたところを、どうしても勝ち越したいらしくラストは練習なしでずっと試合。こっちは汗だく。いい運動になった。

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飲み屋で隣の席の人が、「俺なんかね、こう、鉄球で、やっちゃうわけですよ、バーーンっと」と言いながら手のひらに反対の手で拳作ってバーーンとかやりながら、古い店構えで、田舎の親戚のうちに行ったときのような匂いで、煙草臭くて、そんな風景をでっち上げて妄想してみた。

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研究所のトイレに向かう廊下から夕日が差し込んでいるのに気づいた。廊下は東西に走っているので春分、秋分の日には真っ直ぐ夕日が差し込んでくる。こうしていつものあの季節が来たなと思うのだった。

耐震工事後に残念なことのひとつなのだが、いたるところにドアが付いて廊下が分断されているので、長い廊下の先にある夕日を見ることはできなくなった。

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「夏休みは終わらない」って、歌本でギター弾き語りで把握していたので、ひさびさに原曲聴いてみたらけっこう予想を裏切られた。私のイメージでは「海を抱きしめた西向きの部屋」から始まるところがワウワウを効かせたギターで浮遊感出す感じなのだけど、もちろん原曲は80年代アレンジなのであった。

80年代シリーズつづき。ユニコーン「大迷惑」聴いてた。もう歌詞が他人事に思えなかった。ラストの「お金なんかはちょっとでいいのさ」ってところで感涙した。この歌詞を、こんなふうに感じる日が来るなんて予想だにしなかった。

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セントレアまでやってきた。今日もいろいろあったがなぜか悲しい気持ちに。空港に向かって西へ走るバスの中で、沈む夕日を見ながらMBV聴いてた。もう全てのことは成就しているのであり悔いはないなとか、森も向こうから見えては隠れる夕日を見ながらぼんやり思った。

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「自分の背骨をしっかり持ってないからいけない」なぜか武道家に腕組みで説教されるイメージで。


2014年02月05日

「シューゲ感」

"vapour trail"というタイトルにはシューゲ感があるが、「ひこうき雲」というタイトルにはシューゲ感がない。"seagull"というタイトルにはシューゲ感があるが、「かもめ」というタイトルにはシューゲ感がない。つかカタカナでないとシューゲ感って出てこない。「スロウ」とかシューゲだけど、「ゆっくり」だとダメ。

シューゲってのはたんに音の鳴らし方の形態の一つでしかないのだけど、歌詞にもどこか共通したものを感じていたのだが、よくよく"Vapour Trail"の歌詞とか読んでみるとシンプルなラブソングだったりする。マイブラもそうだ。

どちらかというと、シンプルな言葉づかいで、なんか届かないかんじとかを伝えるというのが特色なのかも。ブローティガンの詩とかにはシューゲを感じたことがある。

ヘルダーリン詩集のアマゾンレビューを見てたら「天上的なハーモニーと至福の美、そしてその中に潜む歪み、それはまさにmy bloody valentineの音楽に通じるものがある。」なんて記述を見つけた。チュービンゲンがらみだし、読んでおこうかと思う。

あと、音と同じように、歌詞ももごもごしている。あんま明確かつエモーショナルな歌詞はシューゲ的でない。これをシューゲの定義とするならば、音がシューゲでも歌詞がJ-Pop的だったらそれはシューゲではない。含羞がなければシューゲではない。80年代的スタジアム・ロックみたいなもののアンチ。

とここまで書いたうえで言わずもがなの断り書きを入れるならば、シューゲとはこうあるべきだとかそういう考え自体がクソ。(<-ちゃぶ台返し)


2014年01月27日

ヴォネガット関連雑記


ヴォネガットのCat's cradleのkindle版を買って、日本語訳と原文の対応とか見てる。いくつかの点でわかりにくいところがあったので、たぶんそれは翻訳のためだろうと推測して。

102章の「自由の敵」のところで、ハリボテの標的にスターリンやヒトラーと並べて「それからなんとかいう日本人」とあるが、これは東条英機か昭和天皇あたりを訳で回避したのかと思ったが、原文も"some old Jap"だった。

116章の最後「空では、何匹もの虫がのたうっていた。虫は竜巻だった。」後ろのほうまで読むと竜巻のことを「虫」と読んでいることはわかるのだが、「虫」と言われてハチの大群みたいなものを想像していた。でも原文はworm。つまり、一本一本の竜巻をイモムシ(やミミズ)に喩えているのだった。

あと116章の印象的なシーン、「つかのま、わたしは夢を見た…ツバメ式飛び込み」ここは"swan dive"、つまりこんなん: SwanDiveActive.jpeg 一瞬時が止まって、スローモーションでの光景が浮かぶ。

正直なところ、ギャツビーのあれを思い出した。たったひとり、owl-eyed眼鏡の男だけが遅れて現れてこう言う、"the poor son-of-a-bitch"と。


「人生なんて、そんなものさ―カート・ヴォネガットの生涯」を図書館で見つけたので借りてきた。真ん中へん、つまり売れない作家時代からスローターハウス5でブレークするあたりを読んでて、すごく面白い。

無名時代にアイオワ大学でライティングの講師をしているときに再評価がなされ、旧作が再販され、スローターハウス5と続く2作分の前払金を受け取ったとき、ヴォネガットは45歳になっていた。すっげー沁みる。

村上春樹の「35歳問題」ってのがあるけど、そしてその意義とかすごく考えたことがあるのだけれど、でほんとのところ身に沁みたことがなかった。私のヒーローは夭折した早熟の才能者(ランボウとか中原中也)だったし、太宰や芥川が死んだ歳に自分は一体何をしたというのだろうという感覚だった。

つまりわたしは35歳問題に真摯に向き合おうとせず、いまだに人生に奇跡と一発逆転はあるんじゃあないかというさもしい妄想を捨てきれず、フワフワとフラフラとしている。馬鹿馬鹿しい表現をしてしまえば、私は今からでもロックンロールスターになれると内心思っているのだ。ほんとだよ。


2014年01月07日

さうして、このごろ 20130731

「あなたの脳を3Dプリントする方法」 段ボールを切り抜いて貼り合わせれば小学校の夏休みの課題にぴったりだ。次男の課題に「お父さんの脳みそ」という題での提出を勧めてみることにしよう。


「醤油差しと馬刺しどちらを選ぶ? 俺なら両方だ!」そう言ってわたしは自分の胸に西洋風の剣を刺し当てた。

「コーンフレークでいい?」コーンフレークにオレンジジュースかけたやつ出してきやがった!

「馬好き?」聞かれて思った。はたして私は馬と牛どちらが好きなのだろうか? そもそも質問は競馬好きかという意味だったのだろうか? じつのところ、そのような自問自答に至る前に私には「う・ま・す・き」という四文字が怪しく脳髄に響き、その意味に届く前にサイケデリックな気持ちになっていた。

「ヌー!」(<-両手で天に向けてサムズアップ)

双六でサイコロを振ったら、幻の番号9999が出たので、9999歩進めるのに時間がかかって他のことが何もできない。

戦いの幕は切って落とされた! …のはずなのだが遅刻したので戦場がどこだかわからない。誰もいない一階の教室をくまなく探して回ったあと、私は階段を登ったり降りたりしながら、無駄な時間を過ごしていた。


井上陽水の「ロンドン急行」をギターを弾きながら歌っていて、そういえばロンドン発ブライトン行きってまさに「ロンドン急行」だなということに気がついたが、一年遅かった。

研究所の一階の廊下にでっかい蜘蛛がいた。タランチュラか! よくよく見たら、足が長いだけでそんなに大物でもない。どうしても水を買いたかったので、失礼ながら脇を走りぬけさせてもらった。

AICS出張から帰ってきた。AICSは近隣の芸大とコラボして廊下がギャラリーみたいになっていてとても素敵だった。絵柄がオタク系というかpixiv系なのがけっこうあった。私は違和感ないけど、普通の人が見たら面食らうのではないだろうか? オタクとサブカル(芸大系含む)の垣根が消失していることを実感した。


鰻、絶滅しちゃうね… わたしがはじめて食べた鰻は、中学受験の後のお祝いで父が連れて行ってくれた亀戸の駅ビルでの鰻重だった。(中略) そんなこんなで、もし来年鰻重が消滅していたとしても構わないし、もし来年世界が消滅していたとしても構わない。

子どもたちにはぜひ、昔は鰻というとてもうまい食べ物があったんだということを語り継いでほしい。そういえば絶滅したリョコウバトは旨かったらしい。食えなかったのが残念。

Last dinosaurの替え歌でthe last eelって曲を作ってほしい。

"The last pigeon / swan song" とかスラッシュ入れて雰囲気出してみたり。最後の一匹となったハトが、死の間際になっていきなり人間語を使って喋り出す。「もうあんな空を飛びたくない」と。(<-井上陽水と混ざってる)

朝っぱらからこんだけたくさん蝉が鳴いているわけだが、まさか30年後には食料としての利用というイノベーションによってこれ全部が絶滅するなんてことにはお釈迦様でも気がつくめえ、なのであった。(<-50億羽のリョコウバト絶滅ネタ)


もしいつか遠い将来の万が一に私の送別会が開かれるような日が来たとしたら、大岡越前のテーマ (山下 毅雄)をアレンジして家族で演奏してみたい。きっとお別れのテーマにうってつけだと思うのだ。


「ステークホルダー」って腰のところでカラビナかなんかで財布とかナイフとか連結する道具っぽい音感。

「カムチャッカ」ってどう考えても、ギターでカッティングしながらワウペダルを操作して、しかも深めにリヴァーブかけてるかんじだよなあ。


今日は次男とプール(吉良のホワイトウェーブ21)へ。半屋外式でそんなに日焼けもせずにすんで気持ちよく泳いできた。滞在時間4時間で正味3時間で、次男は滑り台が怖いのでほとんど流れるプールにいた。拳銃で打たれるごっことか背中に乗せて潜水で運んであげるとか水の噴出口の勢いに対抗とか。

次男がなんでホワイトウェーブ21て名前なのか?、なんで21なのか、って聞いてきたので、今が21世紀であること、「世紀」という概念の説明、二十世紀梨についてまでこってりと講釈しておいた。

そしたら、22世紀になったらホワイトウェーブ22になるね、とか、22世紀になったら96歳だね、みたいな話になったので、そのころになったらまたホワイトウェーブ行くかな?みたいな話をした。俺はホワイトウェーブは無理であるにしても、次の関東の皆既日食は見届けたい。

もちろん、見届けられなくても構わない。


送り迎えの合間に「Boy's Surface 円城塔」を買う。つか図書館にあるのを知っていたのだけど、立ち読みしてて急激に今読みたくなった。最初の短編を読み終えたところ。盲視についての言及があるのはなんかで聞いてたので読もう読もうとは思っていたのだけど、それとはべつに面白かった。

こことか好き「ここにつけこむ余地があり、実際につけこまれており、つけこむことが可能である。」あと、なんかするするっとしてる。ドルトンの話から二人の会話へ移行するところとか。なんか自在なかんじ。

思ったより波長が合う気がした。独特な読書経験だった。「屍者の帝国」読むかどうか思案してたけど、これなら行けそうだなと思った。


2013年12月25日

さうして、このごろ 20130430

今日は奥さん医者に連れてって、子守して、ラボの花見に参加して、夕食作って、みたいな日。花見会場の伊賀川で水切りに耽る次男の後ろ姿。

乙川沿いは花見の客がいっぱいで、雨もなんとか持ちこたえてよい日だったのだろう。午後から強い雨が降り、花びらが落ちだした。夜は強烈に味噌の香りがした。この臭いを懐かしく思い出す日が来るのだろうか?

奥さんが帰郷した際に、実家にあった「生徒諸君!」庄司陽子を持ち帰って、我が家では「生徒諸君!」ブームに。読んだの大昔だからストーリーは覚えてないけど、けっこうショッキングな展開があったように思うんだが、小学二年生がそんなの読んで平気か。

「もしキミが鳥で、空高いところにいるとしたら、キミはやってくる風に身を任せることだろう、キミを連れ去る風に向かってキミはこう言うんだ、『今日はそっちに行きたかったんだなあ』(<-前田馬之介っぽい口調で)」

「ウィー アー ザ トーチャンズ マイ フレンズ」と歌っていると、胸の奥に熱いものが迸ってきて、涙が流れそうになる。

「スナップえんどうとスナックえんどうってなにが違うんだろう?」って思ってググってみたら、そのまんまの疑問と答えがあったので、なぜかがっかりした。


"I Am The Resurrection"はなんらかウザい奴をディスる曲なんだろうと思っていたのだが、songmeaningsのとあるコメントを見て、もっとまっすぐアンチクライストな意味に読めるということを知って、愕然とした。

つまり「喋りすぎるお前」「死んだ方がよいお前」と悪し様にイエスのことを罵るヴァースがあって、コーラスの「わたしは復活であり、命である」(ヨハネによる福音書からの引用)の部分だけがイエスの言葉だというのだ。すべて比喩だと理解していた私は、虚を突かれたような気持ちになった。


英語の論文での表現で、"One could argue that …"って言い方があるけど、これって「著者自身が主張するわけじゃないけど、こういう言い方も出来るよね」って使い方であって、いわゆる「東大話法」だよね。あちらにも東大あったんだね。知らんかったわー

"accidental XX"って表現があるけど("Accidental Technologist", "Accidental CIO", …)、「なんかの間違いでXXに」みたいなかんじでどうでしょう。

次男がお菓子の入ってた箱に輪ゴムを張って、ギターみたいにして弾いている。けっこういい音がする。眠くてしかたない。シーツを洗濯して干した。隣の部屋からホルンを練習している音が聞こえる。ラップトップがうなりを上げている。そして、ここに書いたことの時系列順はすべて完全に間違っている。

復讐は断念させられ、犯行計画は暴露され、なにもかもが中途半端で、雨の日に埋葬され、石が目印として置かれ、世界の因果を逆行させるための秘術を探り、化学薬品を買いあさり、自動車にはさまざまな荷物が積み込まれた。

「ひょっとこ」を「ひょっとっこ」と読んでみれば、「トッポッギ」みたいでエキゾチック。

今度の土曜日はアパートの草刈りの日。だがその日は南山大学に行くことにしたので草刈りには参加できない。くさかりまさお!


2013年12月16日

さうして、このごろ 20130630

時にはアリスのセイウチのように、自己嫌悪と自己憐憫に浸りながら、牡蠣を一つ残らず食べ尽くしてしまいたい。

カンタベリー派な研究者になりたい。でも研究にとってのカンタベリー派ってのがどういうものかは見当が付かない。

トニー谷、いいな。ウィキペのこの辺りとかとてもいい:「無礼な芸風の芸人については「しかし舞台裏では礼儀正しかった」というようなエピソードが語られることが多いが、トニーは舞台裏でも一貫して無礼だった。」

「伝えなきゃ……みんなデネットに騙されてる!」っていうネタスライドのアイデアが浮かんだが、オタクネタは強く自分に戒めているので、ボツにした。


今年初のGとの遭遇。いわゆるencountering。なんかバタバタした奴が来たので蛾でもキタかと思ったらあれだった。いったんなにか分からない状態から戦闘モードに入る時間があったので、ビビる暇もなく適切かつ冷静に処理することが出来た。またもや成功体験を積み重ねてしまったwww

だがそうやって押さえ込んだ恐怖はじわりと私の行動に影響を与え、たとえばこれから私は機構図書館に仕事しに行こうと思うけど、もう窓を開けることは出来ないだろう。

そして風呂場を開けると排水口の黒い楕円を見てぎょっとする。意識はしていなかったけれども、Gフィーチャーに対するサリエンシーディテクターがenhanceしていたのだということに気付かされる。


朝ゴミを捨てに行くと、ゴミ捨て場には地域のご老人が持ちまわりで見張りをしているんだけど、ひとり気難しいかんじのおじいさんがいて、こちらが挨拶をしても返事もしてくれないので感じが悪いなあと思っていた。

あるときこのご老人に対してどこかの奥さんが挨拶したら快活に返事をしているのを見て、なんて露骨な人なんだ、歳取るとこうなっちゃうもんかねとか思ってた。

でもふと気づいて、ある朝このご老人の「耳元で」挨拶してみたら、快活に返事をしてくれた。そうだった、まったくもって私が間違っていた。なにもないところに悪意を見出すなっていうあれだった。(<-新聞の投書風)


吉田ヘンドリックス、帰宅!(<-夜更かしhigh)

プリザベーション、ナンバー5千万!

「つか、でっかいオデキ!」と発声した時の志向的態度。

ホテルのパソコンデスクの前が大きな鏡なので全然集中できない。しかたないのでキメ顔してみたりする。

bluetoothヘッドホンの方は、東京行った時にイヤーパッド買ってみたのだけど、けっきょくどれも現状のものよりはよくない。しかたないのでテニス用品売り場でヘアバンド買ってそれで耳を押さえることにした。フーwwwカックイーwwww


2013年11月28日

さうして、このごろ 20130531

「ハンターー!」 レコード屋さんがテレビCM出してたってあらためてすごいことだったような気がする。

自転車での帰り道、「キャンプだホイ」を白ふんどし姿の屈強な男たちが歌うという設定でねばっこく歌いながら坂を下った。

「矩形波!矩形波!矩形波!」(<-鳥の物真似をしながら)

「才気走る」ってフレーズいいなあ。なにがいいって、音的に"psyche"が読み込まれているあたり。「再帰」が入っているところもいい。

今日のグループミーティングではしゃっくりネタを披露してみたが、トンチャイにイグノーベル賞目指してがんばれ、と励まされた。

ライジング・サンとセッティング・サン、どっちが好き? おれはどうでもいいや。


血中温度、血中速度、血中騒動、血中疑獄。

水中結露、水中高度、水中騒音、水中硬度。

間違った占い、迷信に基づいた治療法、「祟り」という因果律。

証拠のない裁判、観客のいない決勝戦、反証された思考実験。


「レッチリ「アンダー・ザ・ブリッジ」はどこの橋か?」 以前LAに滞在してた頃にそういうこと書いた:

~~~

今は恨詰めてるところなので遠出したりとかしないのだけど、自転車であちこち行ってる。で、気付いたのが、川がないのな。いや、井上陽水じゃないんだけど。Culver cityの方に行ったときにBallona Creekというのがあった。川じゃなくて運河なのだろうけど。

護岸工事がされていて、完全にコンクリートで固められていて、厳重に立ち入り禁止になっている。たぶん、ジュリアーニ流の市内浄化政策みたいなもんなんだろう。

そうしてみたら思い出したのが、レッチリのアンダーザブリッジな。あれはLAについての歌("the city of angel")なんだけど、"under the bridge downtown is where I drew some bood"って歌詞がある。

でも、僕ら日本人がイメージするような「橋の下」つまりドブ川にかかる橋の堤防の内側みたいなところはここにはないんだな。

ってここまで書いたところでLos Angeles Riverがあることを思い出した。……えー……すべての論理が破綻しましたので、以上の発表についてはwithdrawさせていただきたいと思います……

~~~

ただ、今にして思えば、「橋の下」とはけっして川ということではないな。ハイウェイの下とか、道路の立体橋の下とか、ホームレスがたむろしてそうな場所、それこそが「橋の下」だったんじゃないだろうかって思う。


(茨木への出張にて)

朝早めに起きて太陽の塔を見に行けばよかったんじゃ?ということに気づいたが後の祭りなのである。(<-である、じゃねえ)

このささやかな人生において、太陽の塔を見に行くチャンスはこれが最後だったのかもしれないのだが後の祭りなのである。(<-である、じゃねえ)

じゃあ、そんなに太陽の塔を見に行きたかったのか?と問われると、べつにそんなことないということも事実なのである(<-である、じゃねえ)

けっきょく太陽の塔行ってきた!(<-そんなに行きたかったんだ…)


まさか入場料取るとは思わなかったぜ…



2013年11月16日

さうして、このごろ 20130331

「太陽風って、厨二病っぽいよね」僕はキメ顔でそう言った。

3月3日じゃん。ひなまつりじゃん。ボン・ボリーニ!

「花粉症とか甘えだよね〜wwww」ってフレーズを見て、さすがにネタだろと思ったが、ちょっと冷や汗出てしまったことは認めざるを得ない。

アンカーリング? 鎖(くさり)? 錨(いかり)? 坑(あな)を塞(ふさ)ぎ? 腕を預け、地中海風に。刻んだ、3万2千種類の色彩が、強制的に集められ、そしてそのまま流され、それでも


リンゴ・スターほんとは叩いてない伝説ってのが昔あった。ストロベリー・フィールズは複雑すぎて叩けないってのを読んだことがあって、んなもんドコドコいってるフロアタムはオーバーダブしてるにきまってんだろと思ったもんだけど、I feel fineだけはどうしたら叩けるか分からなかった。

そしたら、回転下げてドラムだけ別に録音しているという記載を見つけて、試しにスピード下げて再生してみたらまったくその通りで、自分の愚かさを笑った。元の音聴くとドラムのピッチが高いもんな。この頃にはすでに4トラック使っているのだった。


「ハンマー・ビート」って概念が正直よく分からない。クラウトロックはAmon duul IIとかCanとかは好きだけどNeu!とかクラフトワークとかはあんま聴いてない。後者をハンマー・ビートと呼ぶなら分かるが、Canが該当するというのが分からない。独特なのだが、けっこうハネてるし


日本の郊外新興住宅街について「サヴァービア」という言葉を使うのは違和感がある。「ファスト風土」ならまあわかる。たとえば岡崎市はイオンモールが街の中心になるようなファスト風土化した街だが、サヴァービア的風景は以前の上地だったり北斗台だったりと限定的で規模も小さいように思う。


ダイナソー・ジュニアのJ-マスシスはグランジでルーザーでドラッグやり過ぎで不健康みたいなイメージだが、ふつうに金持ちでゴルフ好きで生活をエンジョイしているのをインタビュー記事で知ってずっこけたが、ニール・ヤングと同じで金持ちであることを隠さないという意味で自然体なんだなと思った。


自分のブログをあらためて見てみると、告知とツイッターの編集というかんじで、なんだかぜんぜん「銀河通信」じゃないな。特別なにか変えるつもりもないけど、もうちょっと遠くまで届くように投げよう。

less social and more reflectiveに。エレベーターホール前の乾きたてのコンクリートを踏んでしまったときの触感とか、今日の大粒の雨の生暖かさとか、今日重ねた敗北の記憶とか、そういうのを綴ることにしよう。


ピッグデータ! (<-Twitterクライアントでは文字が小さくて見逃すであろうことを見越した犯行)


ニール・ヤングの「サザーン・マン」を聴きながら車で竜美ヶ丘公園に向かう坂道を登っていたら、カーブを回りきったところで桜並木の間から三日月が正面に現れたので、「運命の刻は満ちた」というような鮮烈かつ厨二病な啓示を受けたのだが、自分で言ってていったいなんの運命だかさっぱり分からない。


XTCの"Skylarking"の"Summer's Cauldron"、蒸し暑い夏の美しい時間の曲だが、もしかしたら日本の夏の感覚を安易に投影しすぎた理解かもと思って、Cauldron(釜)について画像検索してみたら、魔女が毒薬作るような大釜ばかり出てきてなんか吹いた。


「おのれ何奴?」(<-懐の刀を抜きながら障子の向こうの影に)

「そうだ、メッセージなど何一つ残さずに」

「リリシズムと凛々しいってなんか似てるよね」そのまんまだと思ったが、野暮なことは言わずにテーブルの上にある煎餅に手を伸ばした

「モ、」 「モ?」 「モンドリアーン!」 「感服しました!」


さいきんのコンビニのスパゲッティーカルボナーラとかおにぎりとかで見かける業務用温泉タマゴ(外も中もペースト状のもの)を見るとなんだか怒りが、悲しみが、苦しみが、憤りが沸いてきて、その日丸一日が、もう役立たずになる。(<-なこたぁない)

つかあれの商品名いったいなんなんだろう? "卵 黄身 ペースト 業務用 コンビニ"くらいでググってみたが不明。ある時期からどっと出てきたから、なんか製法が確立したか、もしくは法律が変わって使いやすくなったか、なんらかのことが起こったらしい。

判明した。これか: 「ロングエッグ」 いやいやいやいや、ロングエッグはゆで卵なので、あの半熟タマゴとは違う。


昔私は旅行に行ってもカメラで写真を撮ることはなかった。きっと俺はこの光景を忘れるまいと、そういう光景だけを心に刻めばいいのだと思っていた。だが時は経ち、歳を取り、すべては忘れ去られ、記憶は歪み、過去の自分との連続性さえおぼつかない。そしていまはバカみたいに写真を撮るようになった。


「夢見すぎ」このフレーズイイネ! 神経科学に夢見すぎ。意識研究に夢見すぎ。現象学に夢見すぎ。大学教員に夢見すぎ。研究計画に夢見すぎ。あらゆるものに冷や水をかけ、すべての情熱を静めて、フラットな心で冷静に正しく物事を取り扱うことにしよう。実のところブッダの悟りとはそういうものなのだ「来世に夢見すぎ」

弱くありつづけるタフさ、みたいなことをずっと考えてる。追求しているとまでは言えないが。太宰を読んだ中学生のときから、私の芯のようなものになっていて、自分を見つめ直すとき常にそこに、立ち戻る。


キンクスのアルバム「アーサー」に入っている"Mr. Churchill Says"では、WWII中のイベントをいろいろ織り込んでいるんだけど、そのなかで"Vera LynnがWe'll meet again somedayと歌う"という歌詞が出てくる。

この曲がキューブリックの「博士の異常な愛情」で流れるのを見て、何となくその再会するところとは天国だか死後の世界を指しているのだろうと思っていたのだけれども、それは日本での「靖国で会おう」に影響を受けた理解であることに気づいた。ウィキペで知ったけど、元はミュージカルの曲だったんだ。


「シューゲイザー名盤 TOP100」このリストのうち12/30は聴いてた。でもいちばん好きなのはライド。その時代を共に生きたという感覚がある。SlowdiveとかSwervedriverはじつはちゃんと聴いてない。なんか違うんだわ。

Magnetic Putty Time Lapse これはヤヴァかった。サイケデリック。


2013年09月01日

ダイエット試行錯誤(2013年9月版)

運動だけでは体重減少が2ヶ月止まってしまったので(体脂肪率は低下してたけど)、90キロ台で停滞するわけにはいかないと、食事の方も対策しだして一ヶ月経った。そしたら停滞していた体重減少がまた始まって、先週計測した時点で88.1kg。いきなり3キロ近く落ちた。やっぱ食い過ぎだったか。

お昼だけカロリー減らさずにローカーボ気味に。普段はラボでレンジでシリコンスチーマーでいろいろやってれば楽しいのだが(他称ヨシダズキッチン)、いざ学会などで外食を利用しなければならないとなるとなかなかこれを維持するのは難しい。

まず気づいたのが、外食で売っているようなものというのはほとんどが炭水化物だということだ。パン、うどん、パスタ、ドーナツ、それからあらゆるスイーツ類。けっきょく学会中は隣のスーパーで時間差で安くなったお惣菜三点500円セットで持ちこたえた。

それからあと、炭水化物は中毒の対象なんだなとも思った。いったん量を減らしたら、あまり飢餓感を感じなくなった。自分の血中のグルコース濃度とかインシュリン濃度とか時間変動を計測してみたいと思った。(開示:糖尿病の気はありません)

ただし、コンビニやスーパーのお惣菜類を多用するのは塩分多いからよろしくない。ちなみに自分は高血圧もない。糖尿もなければ痛風もないし、中性脂肪なども異常値が出たことがない。だから太ってていいってわけでもないんだろうけど、どういうことなんあろうかと思う。

だから自分の場合、ダイエットをする動機は健康のためとかではなくて、他人からの「なんだこのキモデブ」という意識的無意識的な処遇を受けて社会的生活において不利に働かないようにという点が大きい。

自分の体に興味があるけど、けっきょくのところ、宮川さんのトークにもあったように、我々個人は皆たくさんのSNPsを持っていて、「正常」なんてものが実のところありえないくらいにばらつき、不完全なのだろう。

ローカーボ関係はいろいろ調べて読んでいるけど、進化的に云々とかあのへんは眉唾だと思う。けっきょく体はホメオスタティックに働いている。そのなかで一つポイントとなるのは、血中グルコースはインスリンで脂肪として取り込まれるけど、ケトン体は回収できない、ここだろうか。

あと、アメリカのそれ系の本は炭水化物お悪者にする代わりに脂肪を許容するので、肉とかチーズとかたくさん食べたいアメリカ人の欲望に併合しているようにも見える。だからそこは信じない。ということで比較的タンパク質多めにしてる。鳥のささ身とか豆腐とか納豆とか。

ともあれ発見だったのは、炭水化物は中毒の対象だということで、これまでは、頭脳労働だしこまめに摘んだりして脳内グルコース濃度下げないようにしているつもりだったのだけど、もしかしたらかえってインスリン反応性の低血糖とかになってしまっていたのかもしれない。やっぱ計測してみたい。

一時期調べたことがあって、「血糖自己測定器」ってのは糖尿病の人用に一万位かとかでオムロンとかにプロとかのがamazonで買えるようになっている。でも、毎回針で血出すあの作業が怖いのでそこまでしたくない。赤外とかでモニターできないもんかね。もしくはMRでBOLD(<-大げさすぎ)。

「お弁当におすすめ! 20分以内にできるストックレシピ集」 そっか、鶏そぼろとか作って冷凍して常備しておけばよいのか。

お盆に東京に行ったときに「野郎ラーメン」の前を通ったがガラガラだった。以前通ったときはすごい並んでたので諦めたのだが、そのときはあまりにガラガラすぎてなんかあったのかと思ってやっぱりスルーした。そして今は当分食べたくない感じ。80キロ切るくらいまでは。さらば「野郎ラーメン」。


2013年08月12日

さうして、このごろ 20130228

中の橋珠算教室の先生をやっていた老夫婦の二人のことを急に思い出した。怒ると「バカスケ!」って言うの。あと、昔の人だから、トイレのことを「ご不浄」て呼ぶ。生徒の子どもたちはみんな意味が分からないから「牧場? へんなの」とか言ってた。そういう記憶が走馬燈のように俺の脳髄を駆け巡った。

走馬燈のように、フラッシュバックのように、電撃的に、俺の脳髄を駆け巡り、嵐を引き起こし、そしてまた遠くへと去ってゆくのを、私は失禁し、座り込んで、または這いつくばって、ただただやりすごそうと眺めながら、でも時間は全然経過しないままで、太い縄がほどけるように、ゆっくり弛緩していた。

「雲母を剥がすか 生爪剥がすか」「ローリーポーリー ローリーポーリー」「薬局坂道 いつもの流れ」「ローリーポーリー ローリーポーリー」「ハトを生き埋め ボクは深爪」「ローリーポーリー ローリーポーリー」「赤血球の流れに逆らい 遅配誤配要求撤回」「ローリーポーリー ローリーポーリー


延滞していた岡崎図書館の本を返しに行って、空を見てみたらまだ8時なのにオリオン座が西の空にあって、冬ももう後半なんだということに気づかされた。

"closer" (クローザー)だとシューゲっぽいが、"closer" (クローサー)だとR&Bっぽい。異論は受け付ける。


原発ってお湯沸かしてるだけなわけで、ぜんぜん原子力うまく使えてないよね(現状いちばん効率がよいことは知ってる)。なんかもっと、直接電力として利用するとかそういうんでないと「原子の力」を制御してる気がしない。工学的解決は別にして、科学にはもうちょっとがんばってほしいって雑談をした。


たまに東京の実家で車運転すると感覚が全然違うのでびびる。狭い路地で車の近くギリギリを自転車が通り抜けてきたりとか。いっぽうで岡崎では制限時速30km/hのところでみんな50キロギリギリで走ってる。

それが日本的建前の世界であることをチュービンゲンに行って知った。あそこでは市内の30キロの道はガチで制限が30キロで、25キロぐらいで走ってた。でもって、アウトバーンで、制限のないところでは160キロとか出してる。あいつらメリハリありすぎ。

私は安全運転してるけど。車は人間の制御能力を超えた凶器であり、運転者はだれもが不慮の事故で人を殺す可能性というキモいクジを毎日引いている。自転車で車の接触事故の被害者になったことがある。あのときどうして道に飛び出したのか分からない。だからいま意識の研究をしている。(<-後付け)


今日は次男と刈谷の児童館まで行ってきて、卓球をしてきた。前回は11/25で、その前は8/4。twilog見るといつ行ったかが分かって便利。次男はなかなか鋭角で鋭い球を返してくるので勝負が成り立って楽しい。私はテーブルに貼りついて足を動かさないという隠れたハンデ付きで、4勝2敗。

あとで聞いてみたら、パパのフォアサイドに玉を集めておいて、決め球ではバックハンド側の深いところを狙っていたという。なかなか戦術的で素晴らしい。

自分は守備的でスマッシュとかは打たないが、ライジングで鋭角に返すのが基本戦術。自分はペンホルダー型で、次男はシェークハンド型。

前回は次男はバックハンドの練習とかしていたがかえってそれで攻める形を崩してしまったようなので、今回はバックにはもう玉は回さないで、得意なところでラリーを続かせることを目指した。やっぱ小さいうちは弱点を直すのではなくて、得意なところをどんどん伸ばしてゆく方がよい(<-コーチ気取り)


店でものを買うときに、たとえば値段が576円とかだったときにちょうど小銭が無くて1131円出したときに、店員に違ってますけどとか言われるのがものすごく嫌。

「俺はいま目を閉じたいのであり、目を閉じたことによって眠ってしまったとしてもそれはそれでかまわないという覚悟で目を閉じるのであって、俺の行動は常にそういった覚悟によって一歩ずつ進められるのであって、無意識を制御し、あらゆる意味での責任と自由意志とに殉ずるつもりでこのように行動し」


今日の空手の帰り道に、ストーン・ローゼスの"I am the resurrection"をかけてたら、それを聴いた次男がこの太鼓だったらたたけると豪語したので(次男は「太鼓の達人」が大好きなのだ)、いやよく聴くとバスドラがこう鳴ってんだよとか説明していたのだが、後半のギターソロ部分が始まってリズムが変わると、神妙そうに聴いておったことよ。

というわけで、今後の人生の夢は、家族でバンドを組むことです。


「雨だれと塩だれ、どっちが好き?」わたしは答えを急がずに、そっと空を見やった。

帰り道に月を見たら、月の右上の方に明るい星があって、月の右下にもいっそう明るい星があって、なんだか妖しい気持ちになった。

男は「ずっと、ハノイの塔を作ってたんですねえ」 とさげすむように言った後、「世界の倒し方、知らないでしょ?オレらはもう知ってますよ」と言った。私は尊敬のまなざしで相手を見やった。

コストコ、コストコ (<-口でドラム演奏中)

ジョギングしているときに道に変なデコボコがあって、すっころんだ。無様にカエルのように、しかしiPhoneをかばうように、哀れな老人のように。

「俺のことはレジー・シャックマンって呼んでもらってかまわない」「それにいったいなんの意味が」ってところまで書いて、「さくらの唄」のパクリじゃんってことに気付いた。

俺もポストロックがどうのとか言いつつ、けっきょくはサイケデリックロックとシューゲイザーで時が止まってしまっているわけだが、せいぜい「これが大人の音楽」とか「良質な音楽が消えてしまった」とか自分を正当化するような無様なことは言うまいと堅く心に誓った。相対性の檻に居続ける覚悟が云々。

Milky Wayをドイツ語にしたらMelkweg (アムスの有名なライブハウス)になるんだろうと思って答え合わせのつもりでwikipedia見たら、Milchstrasseって書いてあった。なんか嫌。


2013年08月01日

チュービンゲン大学訪問記

1月27日

プレゼンで使う同名半盲の視野の図には、岡崎なら岡崎城、犬山なら犬山城、名古屋なら名古屋城、ソウルなら昌徳宮、とご当地の建造物の写真を使ってきたのだが、チュービンゲンだったらなんだろうか? ホーエンツォレルン城?

ヘルマン・ヘッセとチュービンゲンの関わりというのもいま知った。ヘッセは神学校からドロップアウトしなければチュービンゲン大学に進むはずだったが、けっきょくチュービンゲンで本屋のバイトをしながら詩を書いていた。「チュービンゲン時代のヘルマン・ヘッセ」

ケプラー、シェリング、ヘーゲルが居たということは知ってる。

よしよし、こんな感じで気分を出してゆくことにしよう。とりあえずiPhoneアプリで英独辞書入れといた。


1月28日

いま中部国際空港で、これからフランクフルトへ出発。ラップトップ持ってたら税関申告する必要あるかどうか聞いてみたが、先方にも、ルフトハンザの人にも、そんな必要ないが心配なら税関で聞けば?で言われた。たしかに、2009年にASSCでベルリン行ったが、とくになんも言われなかった。

ルフトハンザ LH737 名古屋->フランクフルトはネットが繋がる(20euro/24hr)。こりゃいいわ。これからはラップトップ用のバッテリーが必須だ。

無事フランクフルトに到着。いま16時54分。ラップトップは申告要らんかった。S-bahnは改札ないわ切符券売機わかりにくいわでちと難儀した(調べたとおりだったけど)。S-bahnはふつうに満員電車だったが自転車持ち込み可。ここで寝たら夜中に起きるので無理してなんか食いに行く。

中心街まで歩いてきた。ユーロの形のモニュメント経由で。ゲーテ広場とその奥あたりまで行ってきたが、けっきょく食事自体はその手前あたりのトルコ、パキスタン人街(床屋が多い)のところでチキン半分食って満腹にした。ユーロは金銭感覚ずれる。


1月29日

これからチュービンゲンへ出発。雨。Webから調べると列車は10分遅れとか出てる。まあこういうことは予想されるわな。


1月30日

だいぶ慣れてきた。今朝は自力でバス乗って大学まで来ることができたし。昨日の夜はMax Plank Instituteのゲストハウスまで誰もいない暗い道を帰ろうとして、曲がり角を見逃してかなり無駄足歩いた。遭難するかと思ったが、バスマップを印刷していたのでなんとかなった。

ホストが用事があるので今日は自力でダウンタウンで夕食食べてくれって話で了解した -> 建物出たら強風と雨 -> 予定変更してゲストハウスへ直帰することに -> 誰もいない道を傘を差してMax-Plank Instituteへ -> ゲストハウスに自販機があったはずと見てみたら専用カードが必要 -> 隣の部屋に専用カードが売ってた! -> 5ユーロで買う -> 自販機にかざしてみたら'Keine Kredit' なぜか金が足りないという -> 諦めて部屋に戻って冷蔵庫にあったミネラルウォーターを飲む(<-イマココ)

つくづく500mおきにコンビニがある日本は素晴らしいと思った。つか今度来るときはレンタカーでも借りればよいのだろうか。学生ばかりでみんなバス通学だし、ダウンタウンは狭くて車停めにくそう。とりあえず毎年来ることになりそうだし、なんかましな方法を考えないとダメだ。夏なら自転車でもいいかも。坂だらけなのが難点だが。

いまのところ予想外に暖かいし、雪がほとんど無いので助かってる。調べてみたら+7~+13度だった。先週は-10~-4度だったのだから大違い。もしこれでバス停(Horemer)から雪道を1km歩いてゲストハウスとかだったら軽く死ねた。

つか天気予報見たら今週は日曜以外毎日雨だ。まあ暖かいから良い。(<-ヤケクソ)

歩けば3kmだってことが判明した。 つまり、我が家から南公園くらいまで。つまり、ウォーキングしてた頃のコースとおなじだ。


1月31日

今日は台湾出身の院生を含めて3人で夕食。ドイツまで来て「中二病」について話題に出るとは思わなかったが。たのしくノンアルコールで。アップルジュースばかり飲んでる。ホストも飲まない人なので、ちょうどよい。

昼は旧市街を案内してもらった。「ゲーテがここでゲロした」の写真を撮った。

あと、この建物で有名な詩人が死んだんだよって説明してもらったんで、だれだろ、ヘルダーリン? とか返答してみたんだけど、いま戻って調べてみたら正解だった。天才じゃね?とか一瞬思ったが、実のところチュービンゲンについて調べているときに、無意識に目に入っていたのだろう。


2月1日

サリエンシーマップのいじり方講義も終了!以前のASCONE2010のときの準備が役に立った。あのときはvirtualboxだったのでセッティングがけっこう難しくて難儀したけど、今回はVMware fusionにして、前回作った資料を英語化して、それで準備終了。

今日は論文のレフェリー談義やら津波談義やら英語教育談義やらデータ駆動型研究やらあらゆる話題を駆使しまくって喋り通した。こうやって価値観とかいろいろすりあわせてゆくことが今後にも役に立つであろうことを期待しつつだが、けっこう波長が合うので親しくなれそう。

歩いてチュービンゲンの市内まで向かう。Max Plank InstituteとかTuebingen Univとかは丘の上にあって、そこから見下ろすとダウンタウンが見えてくる。

だいたい40-50分で到着。iPhoneのGPSは役に立たず。


2月2日

午後はシュツットガルトまで連れて行ってもらった。駅前は大都会だった。規模としては、栄くらいの感じ。

行く途中でチュービンゲンの外れの村にあるKloster und Schloss Bebenhausenに連れて行ってもらったんだけど、ここがすごく良かった。Wikipedia独

1200年とかそういう時代からのもので、中の装飾とかも中世感があってすごくいい。

かつてはmonastery (修道院) だったんだけど、いまは博物館になってる。二階は寝室になっていて、いや、これはいまでも使えるんじゃない? Wifiさえあれば、ガッハッハ、みたいなバカ話してた。

チュービンゲンの中心からここまでが3kmというから、岡崎城から大樹寺までってかんじ。(すべてを岡崎座標系で評価する)


2月3日

起きた。土日はMax-Plank-Hausは食事が出ない。食堂も受付も週末は全部閉鎖している。訪問者にとってはいまいちな環境だが、労働者にとっては非常によい環境。日本のブラックな労働事情とは真逆なのだが、結局良いことと悪いこととは表裏一体なのだなと思ってしまう。

ホストは工学畑出身なので、ホビー関係で話が盛り上がった。「タミヤ」知ってるか?とか聞かれた。これはもう、今度は秋葉原に案内するしかない。このあたりで:ラジコン専門店 ~ RCアドバイザー チャンプ 秋葉原店 あと、フタバ産業ツクモロボット王国十字屋 ホビーショップは閉店してた!

ホーエンツォレルン城行ってきた。雪にけぶっていてすごくいいかんじだった。 ホストに拠れば、ノイシュヴァンシュタイン城よりも観光地化してないとのことで、じっさい静かで良かった。

よし、書類書きが終わった。もうすこしで、すべてが、すべてが終わる。(<-中二病っぽく)

そしていまから寝る。あしたはチュービンゲンの最終日。


2月4日

Peter Theirと会って話をしてきた。これからオペに入るということで、たいへん忙しそうなところを時間取ってもらって恐縮した。

あと、Nature Neuroscience 7, 56 - 64 (2003) (上丘でpre-cueの応答)のファーストのAlla Ignashchenkovaがいまはジアドのところでポスドクをしていて、こちらともこってり議論してきた。背景の知識が豊富なので話が楽しい。

「俺、無事帰国できたら矢場とんのわらじとんかつを食べに行くんだ」(<-死亡フラグ)


2月6日

自宅へ帰ってきた! 毎度ながら飛行機ではぜんぜん眠れてない! そういうわけでいまから寝る!


2013年07月27日

さうして、このごろ 20130131

めざましが遠くから呼びかけるせかいのせかいのせかい。

「吉田サンクチュアリ」を見つけに行くことにしよう。

「フィロポディア」ってなんか、いいよね。(<-フシギちゃんを気取って)

「顕(あらわ)せ 壁画の中」「張り巡らせ 檜の火」「かき乱せ 星の土」「トルコキキョウの水のように」


イントレピッド・トラベラー!

マジカルな感じでありたい、と願うことは地に足が付いていない証拠だろうか? それでも、マジカルな感じでありたいと思うんだ。


「かがみよ かがみよ かがみさん ブーツストラップで そらまでのぼるには どうすればよいのでしょうか」

おれヨシダ。だから友達はあいうえお順的にワタナベとかヤマダとかが多い。これホント。フシギ!

浮遊感を出していきたい。送別会でもらったメッセージで、後輩から、吉田さんはいつまでも浮世離れしていてください(意訳)と書かれていて超苦笑いした覚えがある。俺もそうしたいわ。

"OOO in the sky with diamond"でOOOに何入れればしっくりくるか考えていたんだけど、「ハリガネムシ」かな。

Flipping outを出したばかりのGigolo Auntsがテレビ番組でニールヤングの"Cinnamon Girl"を弾き語りで歌ってるんだけど、後ろで座っているチアリーダーが全員つまんなっさそーな顔して聴いていて誰も一緒に歌わないという、ひどい映像を堪能した。


大学院講義まであと一日になったヤヴァい。だがここからが面白い。かもしれない。なんか思ってもみなかったもの(だがたしかに自分の中になったもの)がうまいこと言葉になって出てきてくれて、その興奮の元で情熱的に語ることが出来たならうまくいくだろう。情熱大事。俺、獅子座だから。(<-牡牛座です)


丸ノ内線の階段を歩いているときに、サラリーマンで俺よか若いようなのが同僚に向かって「あんな、女の腐ったようなやつが…」とか言いながら歩いているのを聞いて、なんだか昭和にタイムスリップしたような気がした。そりゃ、体罰なんか無くなるわけがないよね。(<-こじつけ)


「ばねぢから☆さいばねてぃくす」

「づぼらや」の「づ」はあざとすぎる。


「じつはこの世界は、幻なんかじゃなくって、本当なのかもしれない」って表現は形を変えいろんなところに出てくるのだけれども、大好き。たとえば「私も生きているんだってことに気付いた」みたいな。子どもにとっては幼年期の終わりを意味する言葉が、大人にとっては一周回って逆説的な言葉となる。

「悩む」って言葉を「どちらを選択するか決めかねている」くらいの意味で使われるとなんか面食らう。言葉が軽すぎるわ。「悩む」って言葉は苦しみを伴うときだけにとっておいてほしい。

世界のすべてのカレーにもれなく納豆が入る日が来ますように。(祈願)


水色の厚紙に 前島密の切手を10枚貼って 六階の窓から 紙飛行機にしてしまおう

運が良ければそれは リッチ徳川園グリーンホテルを越えて

電車通りの市電まで 所内便を届けてくれることだろう

錆び付いた市電のシートからは ルミノール反応が出ることだろう


このエマルジョンが、俺をすっかり真白にしてくれる…(<-コックピットに座って、空と海の境を見据えて)

家に帰って、「明日は人間ドック。わんわんわん」と宣言してみたが、家族に完全にスルーされた。だれひとり「犬はドッグだろ」と突っ込んでくれません。


2013年05月09日

さうして、このごろ 20121212

あるアイデアが原理的に実現可能であることを示すためにトイモデルでfeasibilityを実証する、って概念になんか言葉があったよなと浅い眠りの中でずっと唸っていたのだが、proof-of-conceptだ!と今回は思い出せたのですっきり。

今日は東公園までリース作り教室へ参加しに長女と次男と一緒に行ってきた。帰りに象のふじこちゃんを見てきたが、ふと見ると生まれた日は1968年4月と書いてある。俺より一ヶ月年長だった。これからは「ふじこさん」とさん付けで呼ぶことにしたい。

それは色を変え、形を変え、動いたり傾いたり点滅したりしながら己の存在証明を更新し続けていた。

「浮遊感」を出してゆきたい。

キャプテンビーフハートのタロットプレーン (「ミラーマン」に収録)を聴いてて、ドン・ヴァン・ヴリートがブルージーにシャウト混じりで歌うんだけど、ふとこの歌唱法はアイドル歌謡で語尾を「しゃくって」歌うのと同じだなと気づいたらなんだか可笑しくなってきた。

今日は研究所の官舎(正確には独法化したので宿舎)の植木刈りの日。夏は草刈りで冬は伐採。ハシゴに乗って、植木ばさみで伸びてきた枝を刈る。没頭しているといつの間にか一時間が経過する。なぜか頭の中には遊佐未森の「ふたりの記憶」が流れていた。似つかわしいような、そうでもないような。


今日は大掃除の日。長男の部屋にある私の蔵書が埃をかぶっているのでそれを全部取り出して、埃をぬぐってまた戻す。

現象学入門本がたくさん出てきた。新田義弘、木田元、竹田青嗣、リオタール、それから清水書院「人と思想」のフッサール、メロポン。がんばって線とか引いて読んだ様子。オリジナル読まないからいつまで経ってもワナビにしか成れん。といいつつこのへんから読み直してみることにしよう。

メロポンの「行動の構造」も出てきた。ぜんぜん読んでなかったつもりだったが、本を開いてみたら第二章のあたりは線引いたり書き込みをしてたりする。これも読むことにしよう。ぜんぶ自分の手の届くところに移動した。

図書館に車で行ってきた。国道の温度計は摂氏3度を示していた。ドイツのガイドブックとユリイカ増刊号 魔法少女まどかマギカ を借りた。帰りに地下駐車場から地上に出てきたら、雪が舞っていた。雪はじきに止んだけど、家に帰って、ベランダに干していた敷き布団カバーを生乾きのままに取り込んだ。



本棚の片付けをしていたらいろいろ懐かしいものが出てきた。1995年のエレカシの野音のチケット。 ただよく分からないのは、半券がもぎられてない。このライブの記憶もない。そのあとの渋谷クアトロはよく覚えているのだが。


オーム社の「マンガでわかる」シリーズには注目していたけど、「マンガでわかるコンクリート」 にはひさびさに頭にコンクリートをぶつけたような衝撃を受けた。

帰りに自転車漕ぎながら、ニールヤングのI am a childを歌っていたら、サビの"the sky is blue"まで来たところで、'bl'の子音が重なっているところって気持ちいいなあって思った。Out of the blue, into the black.

"meridian"ってなんかいいな。"zenith"もかなりいい。前者はラテン語起源で、後者はアラビア語起源だそうな。zenithの逆向きがnadir。日本語訳の「天頂」「天底」もいい。


2013年04月25日

さうして、このごろ 20121129

長女は夜更かしして手芸かなんかやってる。わたしは布団に入ってスライド作ってる。次男は寝相が悪いのでそっと押しやる。こうやって夜が更けてゆく。

ラップトップのACアダプタを家に忘れてきてしまった。なんど同じ過ちを繰り返すというのだろう。そう、これは習慣を変えるためにはどうすればよいかという、太古の昔よりわれわれ人間につきまとう構造的問題なのだ。(<-さっさと家とラボ両方にACアダプタを買って設置しておけ)

「止(と)める」「止(や)める」問題シリーズ、「床(ゆか)」か「床(とこ)」かってのもあったか。「川床料理」とか。こういうのが気になる。(<-人生もっと大事なことがあるからそういうことを気にするべき)

「涙は心の汗というがの、あれは逆での、体を動かすと体が悲しみ、涙をたくさん流すというわけでの」 (<-いんちき聞き取り調査風)

総武線の車内広告で「gabaだけは許す つかかなり認めてる」みたいな文面があって、みんないろいろたいへんなんだな、と世界に向けてなんだか優しい気持ちになった。


次男と城西高校まで「ふれ愛ときめきフェスティバル」に行ってきた。グレート家康公「葵」武将隊が来ていて、チャンバラが好きな次男は見入っていた。曲調が仮面ライダー/スーパー戦隊だったんで、なんか通底するものがあるんだなと面白かった。じっさい次男は「侍戦隊シンケンジャー」が好きだった。

木工ミニカー競争で惨敗したのが悔しかったらしく、帰りの車でずっと敗因を探していた。タイヤとシャフトの大きさが合わなくて直進性が悪かったんだよと教えてやった。案外細かく理知的であった。


図書館に本を返しに行く車で、iTunesの選曲からエレカシの「歴史」が流れてきた。これまでに幾度となく聴きながら歌ってきた曲だが、今日初めて歌詞の意味を実感して、涙が止まらなくなった。

「栄達がのぞめなくなる」「肩の荷が降りたのだろうか」「死に様こそが生き様だ」こういった歌詞をまあ、意味は分かったつもりいたし、「死に場所を見つけるんだ」という言葉には共感していた。それでも、ちょっと他人事みたいに聴いていて、森鴎外を出してくるところにはファニーささえ感じていた。

でも、まあそういうんじゃないんだなってことは分かったし、なんというか浄化された思いだった。


「世界を火の海にする」なんて言われても、心に響かない。ならば「世界を火の海にする」とはどんなことか、時間をかけて想像してみることにしよう。そこは「悲しみで涙が涸れた」り「三十年来の復讐を果た」したりということのない世界だ。

「どこ吹く風」ってあらためていいフレーズだな。自然に日常会話の中に忍び込ませてみたい。

「この窓から見える矢作川へと沈む夕日を見ることが出来さえすれば、僕は楽園にいるのとおなじなんだ。」

「ちくしょー、おれはまだやれるぞー」(<-不可視境界線のむこうに引きずり込まれる様子)


次男とだらだら遊んでる。「うらにわにはにわ、にわにはにわ、にわとりがいる」を理解させることに成功した。つぎは「わたしたわしわたしたわ」をどのくらい速い喋られるか特訓。

次男がごっこ遊びで「これがにくであるとします」と仮定を持ちだしたのでなんだか面白くなった。

次男がずっと「わたしたわしわたしたわ」で替え歌作ってる。プーさんみたいで楽しいので静観している。


次男を連れて、刈谷市中央児童館「はばたき」まで車で40分かけて行ってきた。卓球とバスケットボール。

次男はフォアはなかなか鋭いのを返すのでけっこう試合が成り立つ(10対5とか)のだが、バックハンドを攻略したいらしく、今日はなるたけバックに玉を集めるようにと要求。向上心のあるやつだ。


いつの日か、いろいろ回り道はしたがやってきたことは間違ってはいなかったと言えるような日が来たらよいと思うのだが、どちらにしろそれを認めるのも認めさせるのも俺自身だ。いまはまだ人生を語らず、ただ生き延びていることを根拠に、まだすべてが終わったわけではないと言いきかせるしかない。


2013年04月15日

ひとりツール・ド・三河湖・チャレンジコース行ってきた

そんなこんなでまた自転車再開してるんだけど、1時間から1時間半くらいかけて20-30kmくらい走ってる。次の日が期限の論文も無事提出できたので 今日はまるまる一日空いた。そんなわけでひさびさに遠出することにした。

一つの可能性は、浜名湖一周コースで80kmくらい。これは以前にやったことがある。あともうひとつは、くらがり渓谷経由でつくで手作り村までの往復のコース。これはツールド三河湖のチャレンジコースと同じ。けっきょく後者にした。

行ってきた。トータルの走行距離 68.25km、経過時間202分。平均速度 20.23km/h。(runkeeperへのリンク)

行きは緩やかな上り坂で、26kmで250mの高さを進み、くらがり渓谷まで辿りつく。

IMG_2493s.jpg

くらがり渓谷から、これから登る道を写したところ。峠を攻め終わったオートバイが通りかかっている。

くらがり渓谷からつくで手作り村までは6kmで300m登るきっついコース。こういうのは三河湖スカイライン以来。ギアをいちばん軽いのにして、なんとか一度も足を付かずに登り切った。いちばん遅いときは時速7キロ切ってた。ロードバイク及びオートバイの人がたくさんいて、さんざん追い抜かされた。


IMG_2519s.jpg

目的地である、つくで手作り村に到着。 五平餅食った。鹿カレーは食ってない。クリーム大福も買ったが、凍っていたので背中に入れて溶かして食べた。 いまにして思えば、開封せずにポケットに入れておいて、帰りに補給用に食べればよかった。


帰り道は下り。これが最高だった。そんなにスピード好きではないのだけれども、クネクネ道を時速30キロオーバーで飛ばすのは最高だった。位置エネルギーってすごい!これのためにまたこのルート行こうと心に誓った。ブレーキワイヤがゆるみぎみだったので出発前に調整しておいたのだが、大正解。

帰りは楽に漕いでくるつもりだったのだけど、くらがり渓谷まで降りてきた時点で全行程での平均時速が18km/hであることに気づいた。これはつまり、帰りを24km/hくらいでキープできれば平均時速が20km/hを越えることを意味している。新しい目標が出来たのでちゃんと漕ぐことにした。

根詰めていたら、いつの間にか心拍数が165bpmくらいになっていた。これはまずい。行きの登り道でさえも155bpmくらいだったのに。信号で停まった2カ所で10分ずつくらい休んで、心拍が<120bpmになるのを待ってから再スタート。

ゆったりとした下りが続くのでスピードが出るはずだが、逆風で思ったほどスピードが出ない。思えば行きのゆっくりとした登りのときは追い風だったのだろう。まったく気づかなかった。追い風のときは気づかないけど向かい風のときは気づくものだ。まるで人生のように。(<-なんかうまいこと言った風)

けっきょく田舎道を降りきって、国1まで出たあたりで平均時速20キロ越えを達成。だいたい満足した。朝10時に出発して、午後4時前にはすべてが終了。妥当な線。もっと先の三河湖あたりまで遠出するとしたら、二時間早く出発することが必要そうだ。


2013年03月30日

さうして、このごろ 20121030

2012/10/3

今日見たアマゾンのレビュー。「ドライブ感というかグルーヴ感というか、著者自身が自分の語りにワクワクしている雰囲気」ここいいな。ドライブ感大事。

ついったに書いたものを再構成してブログの記事にすると、労力が減っていいのだけれども、まさにこのドライブ感を失ってしまうなあと思ってた。思い入れを断ち切って、冷めた目で扱うことが出来ていると言えなくもないが。

2012/10/5

"tranquility"って単語は語感がゴージャスすぎて、「静謐さ」といった語義とミスマッチが起こっているように思う。もちろん私は英語の語感など分かっちゃあいないが。"Selene"は清廉な感じが出ててとても良い。(<-日本語そのままじゃん)

2012/10/6

今日は研究所のソフトボール大会。7チームあって、うちは3位。かつてはもっとチーム数があって、うちも準優勝とかあったのだが、時は流れ、いろいろあったが、ともあれ久々の賞状! わたしも第一試合ではランニングホームラン出た。レフトライナー性のあたりにドライブがかかって野手越えた。

あとの打席はいまいち。ひとつ気持ちよくセンター返しが出せたので、あれが確実に出せるとよいのだけれども。みんなで祝った。酒は飲まなかったが、楽しい会だった。

次男はあいかわらず「コロッケぱらだいす ごきげん歌謡笑劇団」が大好き。コロッケの物まねネタとかわからんだろうと思うんだけど、次男によると「劇」が好きなんだそうな。気付いたけど、こういう「チャンバラ」の出てくるものって今時ほかにないからかも。次男は新聞紙で剣作ったりするの大好き。

さかなクンのコーナーも好きだってw

2012/10/10

食堂の前のアスファルトの道を目の醒めるように明るく綺麗な黄緑色のカマキリが歩いていた、というか立ち往生していた。その色の美しさに感激したが、茂みに返してやることはしなかった。

2012/10/14

「グングニル」がなんだかは知らないが、語感から北欧神話だということは分かるようになってしまった。機械学習で北欧神話っぽい言葉を生成させるとかできそうだ。(<-ドイツ語っぽいものジェネレータみたいなのだったら普通にあるか。)

ChromeのGoogleで「一晩で」まで入力したところで「一晩で法隆寺建てられちゃうよ」を補完したので感心した。

2012/10/17

竹田製菓のお菓子の城には家族で何度か行ったことがある。ほんとにお菓子で城作ってたりして楽しいのだが、あそこで有名なのはたまごボーロ工場で子どもの声で「ありがとう」を聞かせるということ。これはいかん。録音テープではなくてほんとうに子どもに言わせなくては効き目がない。(<-目がマジ)

うちの奥さんが捕まえてきた毛虫が順調にサナギになって、そして無事羽化した。ほかのサナギはすでに羽化して空っぽになっている。(写真へのリンク) 下に付いている染みは奥さんによると、羽化するときになんか汁が出るらしい。生まれ出ずる悩み? 人生と重ね合わせてみた。

オクラが英語Okraであるということに静かな感動を覚える。(<-遠回しなニューオリーンズネタ) でもロック好き的には、オクラと言えばCANのEge Bamyasiですよね!

次男の冷えた、やらかい二の腕をなでながら眠る。

2012/10/18

研究所のエレベーターが新しくなってから、合成音声で「2階でございます」とかいちいちアナウンスしてくるので、「そうでございますか!」とおばちゃん声で慇懃に返答してみたい欲望が高まっている。

次男と「おさるのジョージ」を見ているときに、電撃的に”furious George“というフレーズが浮かんだ。映画化決定。当然復讐もの。

2012/10/22

次男がテレビにかじりついて「よーし、ナイスナイス、ブランコ」とか言ってる。

あちこちに爆竹を投げ散らし 煙は強い風に流され 石畳は磨かれ 鈍く日の光を跳ね返し 街と街の境界の門のあちらとこちらで 問いかけが無駄になったり たまにうまくいったりする

2012/10/23

デッキブラシでこすったところで、取れてくるのは2億年前の苔だけだ。小さい竜巻があらゆるところで発生しているのだけれど、無色透明なのでさっぱり分からない。

雨の中歩いてラボへ行くのは嫌なものだ。中1の雨の日に、放課後のクラスで雨って嫌だよねーとか話している中でわたしは、そうかな、この雰囲気が好きだけど、なんて反論して、それを当時新任だった担任が擁護してくれたのを憶えている。たぶんその頃は服が濡れるのなんて気にならなかったのだろう。

なんかスッゲー味わい深い:「大量発生した蛾の幼虫にウキクサの葉が食べ尽くされたためで、幼虫もその後、自らの足場のウキクサをなくして水中に沈み、魚の餌食になった」 (リンク消失: http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20121023-OYT1T00662.htm) イイ話なのかどうかは分からん。

今日は「にゃんチュウ線」という言葉を知った。また新たなる高みに上り詰めてしまった。

2012/10/24

ゴミを捨てに行ったら、もう冬であるかのように寒かった。さすがにもう今年は短パンは終了か。もう少し粘れるかと思ったんだけど、みたいな話をしたら同僚に「いったい何と戦ってるんですか」とたしなめられた。

2012/10/25

車での帰り道に、「俺はごまかしだと言われても、地球を四角く切り取るぜ」っていうのと「俺は理にかなってないと言われても、地球を丸く切り取るぜ」っていう対比を考えた。「俺はXXX」の部分は改良が必要。

意を決して私は言った「ミートボールください」と。店員を顔色も変えずに厨房から出て行った。帰ってきた店員がタッパーに詰めてきたのは、たしかに、あの幻のミートボールだった。

今日の防災訓練では放送システムがダメダメで、連絡事項を伝えるたびにハウリングが起こってやむことがなかったのだが、よくよく聴いてみるとそのノイズは多彩な音色を持っており、なかなかサイケデリックでいい音だったので、このサウンドシステムで俺にギター弾かせろ、とか思ってしまったのでした。

教習所に行って実技でえらく苦労した憶えがあるんだけど、地元の同級生たちは河原とか駐車場とかで練習してから教習場に行くのが常識なんだと聞いたときには、やっぱ俺ってガリ勉ヒョロメガネ君の世間知らずなんだなって思った。

2012/10/26

「私のことは、エル・ニーニョと呼んでくれてかまわない」そう言われてもどう返したらよいのか分からなかったので、愛想笑いした。自分が愚鈍に見えたとしても、それ以外の方法はなかった。

ウルトラQのオープニングみたいにサイケデリックなマーブル模様が逆回転して、すべてのものが、あるべきところに収まり、因果律とか、漏電している水中モーターとか、水底に沈んだ無数の小豆の粒とか、そういったものが救済され、仲裁され、仲介される。

2012/10/27

ひさびさにたくさん喋ったからか、声が嗄れているということに気づいた。延滞している図書館の本を返すために車を運転しながら音速ラインとか歌っていたら、声が出ない。こんな弱い喉じゃあ、いつかスタジアムで歌うときに保たないな。(<-現実と空想の区別が付かなくなっている)

2012/10/28

犬山から帰ってきた。家に入ったらママが次男のことをなんか叱っている途中だったので、次男の耳元で「ユッフォー」と囁いたら、いま叱っているところなんだからやめてよね、とママに叱られた。そんな一日。

“fluffy”を日本語訳するなら「もっふもふ」だろうか。以前だったら「ふわふわ」だったんだろうけど。

2012/10/29

ザ・フーの”I Can See For Miles”の日本語タイトルは「恋のマジック・アイ」と絶妙にダサいが、それだったらいっそのこと「恋の千里眼」とかにしたほうがむしろダサかっこよくなったのではなかろうか。(<-キメ顔で)

2012/10/30

まいにち まいにち ぼくらは てっぱんの うえでやかれて それでもそこそこ おれたちは せいかつしてんだから わけわかんねえよなあ おい

「まriがとさーん」って粘っこく言うへんなガイジンさんってキャラを創造/想像したことがあるのだけど、ぶっちゃけペリーさんじゃん、と気づいたら俄然萎えた。


2013年03月06日

さうして、このごろ 20120930


0908

「クリンビュー」の「クリン」の部分はかなりいい、もちろん「バスクリン」もいいかんじ、「ミミクリン」もニューウェーブだが悪くない、でも「アイスクリン」では狙いすぎ。

「アサヒクリン」は知らなかったが、「アサヒペン」の「ペン」のところは間違いなくいいかんじ。

Wikipediaのアサヒペンの項目より:「銀座中央通りの ... ビルの屋上には ... ペール缶と刷毛をかたどった巨大な回転立体看板が存在したが ... 2009年に撤去された。かつては千代田区岩本町の昭和通り沿いのビル屋上にも同様の立体看板が存在したが、こちらも撤去されて現存しない。」大ショック。


今日の午前中は次男とポケット人生ゲーム極辛をして遊んだ。なんか悪いイベントごとにストレスカードとかあって、それ持ってると生命保険に入れない。あと、職業選択でフリーターを選択すると退職金がもらえない。なんかいろいろ過酷で、人生ゲームも世相を反映しているのだった。

けっきょく次男は教師でスタートして途中でプロスポーツ選手として成功し、退職後も悠々自適の生活を営み一位でゴールした。わたしはと言えば、ストレス多めなコースを続けて、退職直前で借金をしたため、退職時に利子分を払って、老後もカツカツな状態でゴールすることになった。なんか身に沁みる。


2012/9/20

このあいだひさびさに名鉄に乗ったら、後ろで二人の女性が「大学のレポート出さないといけないけど、最近夜の仕事を始めたから時間がない」みたいな話をしていた。やっぱ研究所に籠もっていると世間に疎くなるなあとか思った。


2012/9/21

今日は17:50に長女をダンス教室に送って、帰ってきたら次男に空手の胴衣を着せて18:40に道場まで送って、その脚でダンス教室が終了した長女を迎えに行ったら待たされてけっきょく19:30で、帰ってきて夕食食べて、これから次男の空手のお迎え。まごう事なきリア充と言うほかない。


2012/9/22

次男が「おばあさんのシワは何本あるでしょう?」という昨日と同じ謎々を出すので、4*8=32で32本!と答えたら、そういえば昨日出したか、と笑っている。「エズミに捧ぐ-愛と汚辱のうちに」のCharleyのように拗ねたりはしない。いいやつだ。

wikipediaのサルトルの項目より: 「想像力についての実験のため、…メスカリン注射を受ける。この際に全身をカニやタコが這いまわる幻覚に襲われ、以降も幻覚を伴う鬱症状に半年以上悩まされることになる。甲殻類に対する恐怖は生涯続いた。」 味わい深い。

「窯変」って概念は格好いいなあ。「ケミストリー」と同じっちゃあ同じだが、前者を選んでおきたい。陶芸に興味を示しだしたにわかのオッサン、みたいな雰囲気さえ払拭されれば。こっちもよかった: http://www.shift-inc.co.jp/weblog/2008/03/post_29.html

奥ゆかしさを極めるのは、たいへん難しいことだなあ。

車の中で歌いながら「イー」と音を引き延ばしていると、なんだかホーミーみたいな高音が出ていることに気づく。いつかホーミーをマスターして、飲み会とかで芸として披露してみたい。


2012/9/26

"Quicksand"(流砂)ってかなりイケてる単語だ。シューゲイザーっぽい。

デイリーポータルZ「雨が降ると現れるまぼろしの大河」 これよかった。視覚の倍率を変えてみると、世界が違って見える。地面に寝っ転がってみるとか、脳内でモーションブラーかけてみるとか、自分もいくつか技法を持っているのだけれども、こんなやり方もあるんだな。


2012/9/29

数年前の話だけど、岐阜の叔父さんが畑で取れた野菜をゆうパックで送ってくれたんだけど、不在だったらしくて郵便局に放置されて、再び届いたときには萎びていたということがあった。叔父さんには電話で謝った。唐突に思い出した。

今日も今日とて長女のお迎え。道が混んでたので無駄話してたんだけど、ちょうどザッパのアブソリュートリー・フリーの"Invocation & Ritual Dance of the Young Pumpkin"(ザッパのギターとバンクガードナーの木管のインプロビゼーション)がかかってたんで、クラリネットやっている長女にここで聞こえる木管はなに?って聴いたら、わからないけどたぶんオーボエかなって答えだった。ちなみに"The Duke of Prunes"のほうはビブラートがかかっているのでクラリネットはあり得なくて、たぶんフルートとのこと。感服した。


2012/9/30

「エステー化学」はかなりいけてる、「テー」はもちろんのこと、「化学」もいいスパイスになっている。たとえて言うなら「大名古屋ビルヂング」くらい。

はじめから間違っていたんだと、そしてなにも始まっていなかったんだと、予言の自己成就を望み、(略)

「デッカ・レコード」の「デッカ」もいいかんじ。目移りしちゃう。

ビートルズの「ヘルプ!」に入っている、"Tell Me What You See"、どうってことない曲だけど、間奏のエレピとドラムだけのあそこがかわいくて好き。(ベースも入ってるか)

流しで洗い物の音がしているから奥さんかと思ったら長女だった。この時間は当然ママは寝ているので一発で分かるはずなのだが、なんというか、不思議な感覚だった。

月が見えてきたので、ちょとコンビニまで散歩がてら月見。ちょうど満月で、雲がすごい勢いで動いていくのだけれども、私には月がものすごい勢いで動いているようにしか見えなかった。道の真ん中でしばし立ち止まり、雲に隠れてはまた出てくる月を眼で追って、なんだか妖しい気持ちになった。

なんでそのように見えるのかといえば、それは今晩が満月で、月が高いところにあって、フレームオブリファレンスとなるような地上のものが視野に入らないからなのだけれども、それをしたところで妖しい気持ちは消えなかった。奈良井公園ではなにやら若者がはしゃぐ声、台風で興奮した様子。

わたしはといえば、禁を破ってカルピスチューハイを買って、コンビニの駐車場で月見。それ、ふつーにDQNです。気温とか、湿度とかを感じながら、こころのゲインを上げてゆく。遠くで聞こえるであろう列車の音に耳を澄ませようとしたのだけれども、虫の声と近くを走るバイクの音でかき消された。

今日の昼ごはんには、サークルKでモヤシが一パック20円で売っていたので、それをサッポロ一番味噌ラーメンに突っ込んで食べる。炒めるのと違って煮るのだとそんなに体積が減らないので、一パック投入は無茶だった。だがそれがよい。


2013年01月31日

「ハーモニー」読了した

2012/10/28

「ハーモニー」読了した。よかった。いろいろ突っ込みたいところはあったし、いろいろ説明もしくは書き込みが足りないんじゃあないかとも思ったのだけれども、よかった。

あの理屈では「意識」は生まれないし、あの理屈では「ヒトだけに意識が出来た」というふうにできないだろうとかは思った。でも、「意識なんかなくなってしまえばいいのに」っていう強いメッセージを受け取れて、それがすごくよかった。本当はもっと外堀を埋めてこそ伝わる気はするのだけれども。

正直、これまで聞いていたヒントと、冒頭でetmlってのが出てくるところで予想できてしまったところはあるのだが、わたしの問題意識として重なるからすごく惹きつけられた。はたしてほかの人にとってはどうなんだろう、って気になった。これからネットで感想漁ることにする。

たとえばとあるアマゾンのレビュー「この話の最も重要なSF的モチーフの一つである「意識のない人間」というものがどうも腑に落ちない。人々から「意識」が失われる、といって何事か問題のあるように思えない。」

この人は逆転クオリアを意味のある問題だとは捉えなさそうだ。

あと、ここで指している「意識」とは「自意識」のことなんだろうなあと思わせるところがあったが、性急すぎてかつ舌っ足らずだとか思った。

ただし、意識がなくなると、(エピソード)記憶もなくなっていた。ここは評価できる。そしてそこにおぼろげな幸福感もあったと言っていて、これもいい。

ちょうど松沢先生の話を聞きに行って(本読んだのと合わせてこれで三回目だが)、「チンパンジーは今ここを生きているから絶望しない、人は絶望するから自殺もするが、希望を持つことも出来る」っていうのがメッセージで、驚くくらい同じことを言っていたような気がする。


2013年01月24日

さうして、このごろ 20120831


0802

自転車で見知らぬ道へと進めていくと(マーカー1)、田んぼの中の新しく整備されたきれいな道に出て、国道1号線のようにトラックに脅かされることもなく、かといって珍走団に囲まれたりすることもなく、肥料の強烈な臭いをかぎながら、半月が雲に隠されるのを見ながら、ずっと進んでゆく。

安城市に入り折れ曲がると(マーカー2)、古い街道(県道44号線)に出て大失敗。車道は狭く、その横にある歩道はデコボコでガードレールもない。歩くのなら素敵なんだろうが、自転車で走るには最悪の選択だ。中島町-福岡町あたりの県道43号線も同じ。

こういう道は自転車のものでないどころか、そもそも自動車のものですらない。江戸時代とかに人や馬が通った場所なのだろう。歴史との繋がりを感じる。

古地図見つけた。大正13年の岡崎市中心部。「三島尋常」とあるあたりが今の生理研で、たぶんこの「三島尋常」が今の三島小学校の前身。 (参照:岡崎って日本のどこにあるんすか?)


0811

A.A. ミルンの"Spring Morning"の一節だけど、「もしキミは雲で、空を漂っているとしたら、キミは空と同じくらい青い水の上を漂いながら、野原にいるボクを見下ろしてこう言うんだ、『今日の空は緑色じゃあないかい?』」ここの、"the sky looks green"がよく分からない。なんか意味、というか慣用句でもあるんだろうか?

探してみると、竜巻の現れる前兆なんてのがあるが、なんかそれってアメリカであって、イギリスっぽくないし、これじゃあないと思う。

しかし、床屋談義であることとDIYであることの距離はけっこう近いし、DIYするためには床屋談義であることを恐れてはいけないという側面もある。Consistentな倫理を作るというのはなかなか難しい。


0812

町内会の夏祭りの二日目。長女は友達と一緒に盆踊りの輪に加わってた。長女によれば盆踊りは踊りのパターンが簡単とのこと。そりゃ新体操よりは簡単だろう。わたしもホームラン音頭と炭坑節だけは分かったので踊った。次男は恥ずかしくて踊らなかった。そして終了。なにかすべきことがあったような。

「その透明な嵐に混じらず、見つけ出すんだ。」もう、このフレーズだけで失禁できる。ちなみに本体の方はまだ見てない。TSUTAYAで100円になるまで待つ。


0813

「それとも、これは、転調の」「colorized / polarized / victimized / vectorized / 」「送風機とあさがおと避雷針」「(未定)」「それともこう言うべきか、はじめからずっと居たのだと、」

駐車場に出てみると、雨上がりの蒸し暑い夜で、草の臭いだか樹液の臭いだかが立ちこめて、カブトムシだらけになったような気がした。 / 廃墟の吹き抜け、病院の階段 / 避難経路の案内図、公園の溜め池 / ホームレス、ヘルプレス / 誘蛾灯に集まる甲虫の脚の棘の産毛まではっきりと見える。


0815

高校野球の途中で12時に黙祷。次男に今日は日本が戦争に負けた日なんだよと教えたら、あ、わかる、徳川家康は日本で勝ったんでしょ、といわれて、まだまだ説明が難しそうだが、ともあれ岡崎の子どもになっておった。

昨日は実家の居間に隣接する仕事場(木の床にミシンが並んでる)でごろごろしていたらそのまま寝てしまった。12時間くらいそのままですっきり目覚めた。背中も痛くならない。なんだかよく分からないが、晴れがましいかんじ。

思えば小学生の頃は、仕事場にしかクーラーがないもんだから、夏休みにはこうやってごろごろしては親に邪魔がられていたのだ。


0816

「ピラルクとラマルクどっちが好き?」ボクは答えに窮した。

磁石を貼りつけ/昼寝をする/便りは来ない/腕を上へ伸ばす/洗濯ばさみが/立ち並び唸る/マイナスイオンの粒が/光り飛び散る/古いタンスが/それを跳ね返す/蛍光灯の紐の/かすかな振動/天井のしみは/古代の意匠/遠くの街灯は/錆びたまま上昇し/すべての行動を/無かったものにしてしまう。


0817

「バッファロー牛乳、ピッチャーでお願いします」隣の客が俺のことを不審そうな顔で見た。


0826

昼寝から目覚めてみると、ママが次男にピアノを教えているほほえましい風景なのだけれども、わたしはと言えば、宮崎吐夢のピアノレッスンネタを思い出して吹いてた。「Oh、違うでしょ。違うでしょ。何も違うでしょ」


0828 チクシュルーブ・クレーターとか読んで、マグニチュード11という記述を見て、もう笑うしかない。こんなの来ちゃったらいつでも人類絶滅するわけで、自然の斉一性なんていつでも終わらせられるよね。(<-まさに中二病)


0831

いま次男にどのくらい古いエピソード記憶を持っているか聞いてみたら、ひよこ2組(3歳)のときにみどりいろのところ(保育園の昇降口)からそら組(の教室の方向)を見てたことだけ憶えているとのこと。しかし、なぜか聞いてみると、後で自分がそら組になったので憶えてたと、これがたぶんポイント。


2013年01月14日

さうして、このごろ 20120731


0706

?「ねこパンチを受ける覚悟は出来ましたか?」 私「はい」 そしてわたしは拳を堅くして、そのときが来るのを待っていた。

「俺六角形だけど」って自慢したら、「俺八角形だけど」って自慢し返されてピンチ! もう12角形を使うことも出来ない。どうするか、どうするか、剣の刃の上に乗っかって真っ二つになる前に、今言え、今言え(<-禅の公案ぽく入道感出しながら)


0713

空の星を見るのも、海水浴場で遠くの深い冷たい水に触れるのも、なんだか世界の端っこに触れるようで、なんだかあらためて恐ろしく、宙に放り出されたような感覚を抱く。常にそれに触れ続けているんだってことも分かっているはずなのだけれども。

「日の当たる坂道」空虚だ。「世界が揺らいだ」それめまいです。……身も蓋もない言葉で世界を塗りつぶして、すべてが合理的で、実務的で、最適化されている。そんな世界には一瞬だっていたくない。でもその反対がうわさ話と迷信で作り上げられた非合理で、感情的で、無駄ばかりの世界であるとしたら。


0715

僕らは太陽を直視しない。僕らが外に出て歩くときの目の動きを計測したら、視線は太陽から逃げるように動いているだろうか? それとも端的に空を見上げていないだけだろうか?

ふと空を見上げたときに偶然太陽は目に入るだろうか? なんとなく避けていないだろうか? 僕らは無意識に太陽の位置を把握て行動していないだろうか?

同じことだろうけど、ふと人混みを見渡したときに目と目が合う確率は偶然以上に高いだろうか? 偶然以上に低いだろうか?

ニール・ヤングのLotta Loveでこういう歌詞がある。"So if you look in my direction And we don't see eye to eye, My heart needs protection And so do I."

目と目が合う実験。5人くらいで全員グラス型のアイトラッカー付けてもらって、お互いに必ず誰かを見なくてはいけないいっぽうで、目があったら逸らすように指示しておく。(これをしないとずっと見つめ合ってしまう平衡状態が生まれるw) これで創発してくる状態をモデル化。すでにあるか。

じゃあ、さらに操作を入れて、まずセッション1で順番になにかを読み上げてもらってその間の視線を記録する。セッション2(ここがさっき書いたやつ)でなんかルールを入れてお互いを見続ける。そのあとのセッション3で1と同じことをして、なにが変わったか調べる。なにを言ってるんだろう俺は。


「数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ」 図書館行って借りてきた。前にも借りたけどけっきょく挫折した。今から変分法学ぶためにはサバティカルが必要(<-このネタはもうよい)なので、せめて文系的に理解しておきたい。

ネットの資料的には「最小作用の原理はどこからくるか?」がいちばん分かりよかった。だがこういうことは教科書写経してごりごり練習問題解かないと身につかない。

数物系で、教科書写経して、練習問題ごりごり解いてやっと身につくのと同じような意味で、神経科学で「練習問題」を解くことは出来るだろうか。それは計算をするとかいうことではなくて、「実際に実験をやってみる」ということになるのだろうか? (たぶん前にも同じこと書いた)

プログラミング言語を覚えるためのいちばん手っ取り早い方法は、実際にそれを使って自分の問題を解いてみる、というところらしい。それと同じような話だろうか? なんかズレたような気はしているのだけれども。


0727

ついった落ちてたね。スペイン戦の影響か。そしてわたしも落ちてた。飯食って目覚めたら1時過ぎ。どうやって今から寝ればいいんだ?

しょうがないのでコンビニまで散歩。夏の真夜中は気持ちがいい。1号館からの帰り道の蔵前橋通り、午前2時くらい、自転車を飛ばしながら、今日この日と同じような空気を感じていたような気がする。過去は未来の私を規定し、未来は過去の私の意味を確定する。

ホテルで心置きなく冷房をつけっぱなしに出来る幸せ。29度では熱いので、28度にて。

次男はラップトップが充電できてインジケーターが緑になると外してくれる。しかも私がいないときには勝手に外したりしないのでのでえらい。

空が白みかけているヤヴァイ。

帰りは歩きながら仙台駅まで向かう。文化横町は前に通ったことあるからパスして、もう一段南に行ったら、すっげー戦後のバラックみたいなところを発見して(こういうの大好き)、一定の間隔でトイレとかあったり、かなり異次元だった。帰ってから調べてみたら「日本DEEP案内」で採りあげられてた。

壱弐参横丁 http://japandeep.info/2010/05/08/214051.html

ちなみに東岡崎駅の安城方面北側線路沿いにあった古い飲み屋街は完全に撤去されてしまっている。歴史的成り立ち的にはたぶん同様のものだったのだろう。


0728

象ラーメン、象ビール、象サラダ、象寿司、象雨、象石、象亀、象像、象潰瘍、象浮腫、象解像、象汁、象雨、象地獄、象天国、象蟻。表象できるものは、認識することが可能となり、存在することが可能となった。雨が砂山の小さな谷を流れてさらに谷を削るように、表象は偶像となり、磔とされた。

"Sleep inertia"ってフレーズ、いいな! なんかシューゲイザーっぽい。 http://en.wikipedia.org/wiki/Sleep_inertia


0730

自然史博物館のお土産に次男に買ってきた「化石掘りセット」(粘土で固められたブロックの中からプラスチックのトリケラトプスを掘り出す。3ポンド) を次男がやるのにつきあう。どうやればうまく粘土を削れるか、彫刻刀の要領で教えてやる。2時間かけてやっと1/3で今日は終了。先は長い。


0731

小学生の頃、夏休みの自由研究で段ボールを切って重ねて作る立体地図を作ったことがあった(こんなやつ )。 でもってふと今思うに、MRのデータがあるんだから自分の脳で同じもの作れるじゃん、って気付いた。実物大で。作ってみたい。


2012年12月30日

さうして、このごろ 20120629

20120601

「また逢う日まで」を歌いたい。こればっかりはギター弾いて歌うより、マイクを通して絶唱したい。変態っぽく、粘っこく。

よく替え歌にして、「そのとき心は何かを放つだろう」(エクトプラズムかなんかが口からスポーンと飛び出してくるイメージ)、とか車の中で独りで歌っては噴いてたのですが、それもこれからは出来ないかと思うと、寂しいものです。

20120603

車ってのは、殺人兵器であり、人間の能力を超えていて、それでも乗るのをやめることが出来ない、悪魔の文明の利器だと思うのだけれど、それでも、ハチクロでデザイン事務所のイケメンが、山田にそば食いに行こうってまるで近所のそば屋にでも行くような言い方で誘いつつ、東京から蓼科まで中央道を飛ばして行った、という逸話を読んだときは、なんかその爽快感にやられちまった。

スピードに惹かれないのだな。MTB寄りの安物クロスバイクに乗っているけど、ロードとか乗りかえたいとは思わない。岡崎で時速30キロ出したら死ぬ。それよか、なんらかの方法で負荷かけて、時速15キロでいいから心拍140bpmで2hrキープできるほうが望ましい。山道登れってか。


20120604

なんか名残惜しかったので、ちと外へ歩きに行ったら、空気が気持ちよかった。コンビニでカルピスサワーとおにぎり買って、奈良井公園のあずまやで暗闇の中BB2Cでも見ながらゆっくりとするつもりだったのだけれども、2,3人のインド系の方々があずまやには先客としていた。

ブラジル系の人はけっこういるのだけれども、インド系の人は珍しい。研究所の人がここまで来るだろうか? ともあれ、異国の地で、でもものすごく安全で(車運転して珍走団にでも巻き込まれない限り)、誰もいない真っ暗な公園で楽しそうに話をしているのをわたしはちょっと離れたベンチで聞きながら、カルピスサワー飲み干して、ちと気分を高揚させて、空気が気持ちよくて、見上げたら月がほとんど満月で、そういえば明日は部分月食だったのを思い出して、そうしてうちに帰ってきた。俺のことをダメ人間だと思うやつがどれだけいたとしても、俺は生き延びてやるんだ。


先日子どもたちの運動会を見にきたお婆ちゃんズが回転寿司屋に連れて行ってくれたんだけど、そこで店員が注文を受けるたび「ガッテン承知」と返事するのを次男が気に入ったらしく、日常生活で活用している。ママが風呂に来なさい、と言えば「ガッテン承知」。ネタに走る精神がたいへん素晴らしい。

「ネコまっしぐら」の代わりに「ベコまっしぐら」っていう、東北弁に基づいた切れ味の鋭いフレーズを考えたんだけど、前にも同じこと書いた気がする。そしてそれを検索して確認する元気がない。元気重要。眠りたい。


20120607

ブラッドベリは「たんぽぽのお酒」と短編いくつかしか読んだことがなかった。西尾図書館で廃棄処分になっていた洋書をゲットして「華氏451度」「火星年代記」といくつかの短編集を積んでいたのだが、ちょうど先週捨ててしまったところだ。なんというタイミングだろう!

いまは、オーウェルの「カタロニア賛歌」を読んでいる。いまはバルセロナでバリケード作っているところ。飢えと退屈と寒さとがきつい、みたいにでさらっと書いてあるが、なにげに周りで人は死にまくっていて、死線を乗り越えてきているというのがじんわりと読み取れる。


20120615

Magic Trip (DVD) これのレビューで、"what really surprised me is how crew-cut all the Merry Pranksters were!" ここ笑った。1964年だもんな。


20120618

次男に「お父さんスイッチ」で操られた。なるたけキモめな反応を出すことに心を砕く。「あ」「開いた口がふさがらない。え?え”----------?」「い」「イカれてる、イっちゃってる、異ノーマル」「う」「歌いつづける、24時間。もぐってもぐってもぐってランランラン…」「え」「えずく。う、う、うぼぇーーーーー」「お」「おがくずだらけの海に飛び込む。どっぽぉーーーーーん」たいへん体力が必要。しかも6周する必要があるとか言われる。わけがわからないよ。


20120622

「高等遊民」になりたい。親から膨大な遺産を受け取って(<-そんなものはありません)、都会から1時間くらい離れた静かだがそれなりに便利な街で(昔の鎌倉のイメージ)、早朝に起きて書き物をして、昼から外に出て人間観察して、5時にはそば屋で日本酒を飲んで、そんなかんじで朽ち果てたい。


昨日はけっきょく3D and VR展に行くには時間がもう少なかったので、渋谷の街をちょっと歩いて、まっすぐ帰ってきた。ひさびさに歩く渋谷の街は何も変わっちゃあいないといえば変わっていない。いや、レコード屋が無くなった。べつに俺の体は渋谷を欲していないなと確認できたので収穫だった。

豊橋ではいつも通り精文館書店をぶらついて新刊チェック。いつも通りその手前に通りにはアフリカ系っぽい人が待機している。いつもいる。ファミマでは「まどかマギカ Half Age Characters」というのが新発売されていて、出来はよさそうだがラボの机以外置き場がない。あきらめた。

知らない街まで車で行ってみたい。昼はジャスコの駐車場で車中で寝て、夜になったらツタヤとかで涼んで、だらだらとサブカル本とか無駄に読んで時間を浪費して、夜はひたすら次の県へと車を飛ばして、10時にジャスコが開店したらまた駐車場で仮眠するんだ。ヴィレヴァンとか人工的なものに囲まれて。

美しい田んぼの風景とか美しい山並みとか河川敷とかには目もくれず、ファスト風土のまっただ中だけを縫いながら、日本を縦断してみたい。風景とか歴史名勝とかそういうものをまったく目的に入れずに、機械的に日本を縦断することだけを目的として行動してみたいんだ。


20120624

今日のフットベースの練習はキック練習担当だったので、投げまくって疲れた。お子さんらは5回に一回だが、こっちは全部投げる。腰に来た。

奥さんがソフトボールの練習の後にコクワガタを見つけて家に持ってきて、メープルシロップをしみこませたのに乗せておいたのだが元気がなかった。しょうがないのでどっかに掴まらせておいたようなのだが、消灯すると俄然元気になって天井をブーンブーンと飛び回っている。それを私は横になって見てる。

100円ショップでレエン・コオト(芥川風)を見つけたので買ってきた。イギリス人傘差さないっていうし、イギリスの雨は土砂降りじゃなくて小雨らしいし、ASSC16はこれで対処してみようと思う。折りたたみ傘は持って行くが持ち歩かない方針で。


0629

今日も次男を連れて空手教室へ。7時だけどまだ日が落ちていなくて、ちょうどいいかんじの夕焼けがビルの谷間に落ちていくところで、車を降りると次男がそっと手を繋ぎに来た。

長男や長女のときを思い出して、こんなことももうすぐになくなるのかと思うと感慨深い。この気持ちを忘れまいと思うのだけれども、じつのところいろんな記憶で上書きされてしまって誰のエピソードだったかごちゃごちゃになっているのだ。「納豆ご飯」のことを「なっとぐわん」と言ったのは誰だったか?

アノラックからパステルズバッヂを外して、引き出しにしまって、そして僕らは誓うんだ、この気持ちを忘れないと、だからさよなら」というわけだけど、この気持ちは忘れてしまう。いや、気持ちは覚えているけど、それと結びついていたエピソードが抜け落ちてしまう。

これってオートノエティックかつコンテントのないエピソード記憶?

次男が「2000年前の0年のときって太陽にものすごく近かったんでしょ?」って聞くんで違うって言ったら、「じゃあ無量大数くらい?」(無量大数は最近の次男のマイブーム)と聞くので、46億年前だよ、と答えたのだけれども、無量大数と比べたら46億年前なんてすぐ近くだな、と思った。

ネットで探して、原始的生命の始まりが39億年前、魚がいるのが5億年前、と説明しだしたら異様に興味を持った。年表にはさらに続きがあって、10億年後には太陽が膨大して地球が滅びるとある。パパたちはせいぜい100年しか生きられないから関係ないよと教えたのだけれども、また100年後になったらなにか変わっているかもしれないので教えてほしいと言われた。逆にこっちが教えてほしい。


2012年12月17日

クール・ビッズ!

クール・ビッズ!


うちの高校では柔道の授業があった。体育の先生が柔道の人だったのでみっちり指導してもらえてよかった。それでも怪我をした奴はいたし、私も水泳部の大事な試合の前だったから、乱取りで小林の体落としに無理な体勢になるまで粘らずに倒れたら、サメさんに「本気でやってないだろ」とスゲー怒られた。


浪人時代や大学生時代、なんかいいことあるんじゃないかみたいな根拠のない冒険心で、夜になると自転車でどっか遠くに向かうのだけれども、当然なにもあるわけがない。でもそんな気持ちだけで水戸街道を松戸の方まで延々漕いで、夜中の2時で周りは暗闇で、畑の肥料の香りがして、いったいなんだったんだろう、と思いつつまた家まで帰ったことがあった。そのときのひんやりした空気のことを憶えているような気がする。


井上陽水のセカンドアルバムのA面の最後の曲「夜のバス」、深町純のシンセとストリングスの編曲が印象的な曲だけど、よく聴いてた中学生の頃はこの「バス」をローカルバスだと思ってた。でもこれは長距離夜行バスだ。「どこにも停まらないで」「矢のように走る」わけだし。博多ー東京とかだろうか。


「ブラックボックスの内部では、政党や政治家、省庁、自治体、マスコミなど、あらゆる利害関係が複雑に絡み合い、限られた予算を巡って要求がせめぎ合っていた。しかも、それぞれがそれぞれの立場で正当性を持ち、必死に働きかけている。」(毎日JPリンク切れ) この感じはよく分かるし、これこそがcomplexityだよなあ。それをsimplifyせずにsimplicityを見抜くことなんて本当に可能なのかと途方に暮れる。


クール・ビッズ! (<-作務衣を着て硯に向かい墨をすりながら心を静めていくようなイメージで)


小林がかけた技は正確には、体落としで崩しておいて、そこでいったん私が持ちこたえようとしたのだけど、そこを膝車みたいなかんじで膝に来たので、これは危ないと思って飛んだのだった。なんでこんな26年前のことを覚えているかは分からないが、とにかく思い出したので、お詫びして訂正いたします。


ラノベを図書館から借りてきたので読みたいと思ったが、わざわざスタバに行くのもばからしいし、車でエンジン駆けっぱなしというのもよくないので、けっきょくちょっとは寒くなさそうな、ジャスコの4階駐車場で羅針盤とか聴きながら読んでた。

そうしたらいつのまにか閉店時間が過ぎていて、周りに車が一台もいなくなっていて、それでも読み続けたら、駐車場が完全消灯して、閉じ込められそうな恐怖感を感じて、あわてて逃げ出した。逃げ場所などどこにもなかった。


こんな強風と雨の中をカサぶっ壊しながら自転車でラボに行く意味なんてあるのかね(<-自虐的修辞疑問文)

説明するまでもないが「自虐的修辞疑問文」というのは、「XXXであろうか。いやそうではない。だがやるのだ。やれやれ」という意味の造語。


クール・ビッズ! (<-意味がないフレーズを繰り返していると、なんとなくアートっぽい雰囲気が出るものだという信念を胸に)


2012年11月17日

今日のエミスタ川柳

エミスタとは: Ina Researchホームページの説明


(7/13)今日のエミスタ川柳:休日の動物実験施設に行って、誰もいない施設でエミスタの中に閉じ込められて消毒液を噴霧されるときの今大地震が起こったらどうなるんだろう感は格別。


(7/15)今日のエミスタ川柳:暑い夏の日に動物実験施設に行って、誰もいない施設でエミスタの中に閉じ込められて、エアシャワーを浴びたときの汗の飛び具合と快適感は格別。

今日のエミスタ川柳2:動物実験施設に行って、誰もいない施設でエミスタの中に閉じ込められて、エアシャワーを浴びながらこんなときに地震が起こったらどうするんだろう、と考えていたら目の前に「非常ボタン」があることを発見したときの安堵感は格別。

今日のエミスタ川柳3:動物実験施設に行って、誰もいない施設でエミスタの中に閉じ込められて、エアミストを浴びるときにちょっと背伸びしてミストを頭に直撃させて楽しんでいるときの、人に見られたくない感は格別。

世界でひとりの「エミスタ川柳家」を目指します。それによってグリーン・イノベーションに貢献します。(<-なぜかグラント公募申請書風)


(8/10)帰ってきた今日のエミスタ川柳。夏の暑い日にエミスタに入ってミストを浴びている時に、ふとここで歌ったらよく響いていいんじゃね?とか思って歌っている最中に、面識はあるが話したことのない微妙な距離の研究者と鉢合わせた時の気まずさはプライスレス。


(8/12)帰ってきた本日のエミスタ川柳:夏の暑い日の日曜日に誰もいない動物施設で処置をしていたらビクタス持ってくるのを忘れたことに気づいて、それだけのためにもう一度エミスタ往復しなければならないはめになったときのやるせなさは無限大。

帰ってきた本日のエミスタ川柳:夏の暑い日の日曜日に誰もいない動物施設で処置をしたら忘れ物に気づいて、エミスタ通って出てから忘れ物取ってきて戻ってみたら、まだエミスタが人が出た後の洗浄作業をしていたのを発見したときの達成感はプライスレス。

ちなみにエミスタとビクタスで韻を踏んでいる。(<-踏んでない)


(8/19)帰ってきた今日のエミスタ川柳:と言いたいところだが、とくになにもない。夏休みの宿題の絵日記で「今日は何もなかった」と書きたくなるようなそんなかんじ。白紙のページ、先の丸まった鉛筆。


(8/24)帰ってきた今日のエミスタ川柳:夏の暑い日に今日も今日とてエミスタ通過とか考えながらファルセットで歌ってみたら、それがザッパの「セクシュアリティ・ガスマスク序曲」であることに気付いて、まさにこの消毒用エアミストを浴びながら歌うにはこれしかないであろうことに気付いて我ながら感激した。


飽きたので終了。


2012年11月07日

2012年のカブトくん脱出の観察日記

今年の夏のツイッターからカブトくんについて書いたものを集めてみた。


(7/24)今日は蒸し暑い夜なので、カブトムシが虫かご(フタ無し)から脱出して、ごそごそとやっているのが聞こえる。どうか俺に踏まれないようにしてほしい。

カブトくんは端的に道に迷っていたようだ。虫かごから脱出して、買い物袋を登ろうと難儀してごそごそしていたのだった。虫かごに返してあったら。なんだか静かにしている。とりあえず私が寝るまではしばらく静かにしていてほしい。


(7/30)カブトムシが脱出して、寝室を縦横無尽に飛び回っております……(<-三点リーダは偶数個で使わないといけないんだって)


(7/31)カブトくん今日も元気に脱走中。まだ21時前なのに。でもしょうがない。フタが新聞紙なのだからw 奴が羽ばたくと、部屋にカブト臭(樹液っぽい)が立ちこめる。

カブトくん、絶好調。うるさくてかなわないのでとっつかまえてお家に返した。

カブトくんたちが元気すぎて、ケンカしている。マジでツノで突き合いしてらっしゃる。


(8/3)カブトくんが脱走する気満々では音をばたばた言わせているのだが、今日はフタの新聞紙が二枚重ねで、しかもそれがずれていたのを直してあるのだ。(<-ドヤ顔)


(8/11)近いうちに(<-今年の流行語大賞)、カブトくんを知らずに踏んづけてしまう事故が起こってしまうのではないかと危惧している。そっと歩くしか対策はない。


(8/29)なんとか23時前にやるべきこと終了した(自慢げ) -> 駐車場に戻ってくると昨日とは打って変わって蒸し暑い夜 -> カブトくん活発化 -> 布団で寝モバ -> 耳元で羽音 ->超びびる -> 家族は全員爆睡 -> ふんづかまえて巣に戻す -> 手を洗って横になる -> イマココ


(9/6)9月になったというのに我が家のカブトくんはまだ羽音を鳴らして元気だ。さいきんはコクワガタがどんどん脱走するのだけれども、羽音をさせないのでみんな気付かない。いつの間にか脱走して、寝る前になって誰かに見つけられてお家へ強制送還させられる。

いやいや、脳天気すぎたか。羽音も元気がない。もう秋なのだから、カブトくんとはお別れの時期なのだ。


(9/7)今日は暑い夜なので、カブトくんの元気が回復してまた荒々しい羽音を立てている。「キミは、明日まで飛びたいのか?」と問いかけた。(<-「紙飛行機」と「ゼンマイじかけのカブト虫」が混ざったようす)


(9/12)カブトくんが脱出するたびについったに記録しているので、あとでみるといつ脱出したのが分かるというナイスな記録。


(9/18)「伝道者ILL!」とか「フリー・サトパル・ラム!」とか叫んでみたいが、横では次男が爆睡しているし、カブトくんはまだまだ元気でフタをかぶしてやんないといけない。「そして天まで飛ばそう」


ここまででツイッタへの言及はなくなっている。しばらくして今年はカブトくん全員亡くなっていることを奥さんから聞いた。

それでもコクワはもうしばらく元気でいた。ある日のこと、私が前日脱いだ靴下を再利用(<-ヤメれ)しようと履いたら、中に異物があってびっくりして確認してみたら、それは靴下に紛れ込んだコクワだった。びっくりしたなあモウ。


2012年09月22日

エズミに捧ぐ-愛と汚辱のうちに

サリンジャーのナイン・ストーリーズに入っている「エズミに捧ぐ -愛と汚辱のうちに」("For Esmé - with Love and Squalor")の原文を読んでた。

このSqualor(汚辱)をどう訳すか、なんだけど、英語のニュアンスなんてわかりゃしないんだけど、試しにsqualorで画像検索(セーフサーチオフで)してみたらゴミ屋敷系の画像がたくさん出てきたので、なんか分かった気がしてきた。

それにしても、まだ分からないのだけど、Esmeはなんで"I prefer stories about squalor"と言ったのだろうか?

"I'd be extremely flattered if you'd write a story exclusively for me sometime. I'm an avid reader."

I told her I certainly would, if I could. I said that I wasn't terribly prolific.

"It doesn't have to be terribly prolific! Just so that it isn't childish and silly." She reflected. "I prefer stories about squalor."

"About what?" I said, leaning forward. "Squalor. I'm extremely interested in squalor."

I was about to press her for more details, but I felt Charles pinching me, hard, on my arm.

私はずっと、Esmeは背伸びをして間違った言葉を使ったのではないかと思っていた。"Make it extremely squalid and moving”とあるように、movingに近い、なんかの言葉と取り違えているのではないかということだ。

でも、解説とか探したんだけど、そういうことではないようだ。 ネット上で一つ見つけたのがこれ:

どうやら、Esmeはsqualor / squalidという言葉の意味を知ってはいるけれど、実のところ世の中のsqualorとはどんなものなのかを知らずにそう言ったという理解のようだ。その直前では、”childish and silly”ではないものを書いてほしい、と言ってるし。(とはいえ、彼女は以前戦争で父親を失っているのだが。)

"About what?" I said, leaning forward. ここを見ると、やっぱそうとうあり得ない単語が出てきたと考えるべきだ。英語のニュアンスはわからないが、主人公はギョッとしてように見える。

英会話すらおぼつかないくせに英語文学読もうなんてのがそもそも的外れなのである。でもやる。

"I told her I certainly would, if I could" ここの"if I could"は泣ける。なぜなら主人公はこのときノルマンディー上陸作戦へ出発する前日で、死を覚悟しているわけなのだから。


いちばんはじめのこの部分も味わい深い。

I thought it might just be possible for me to make the trip abroad, by plane, expenses be hanged. However, I've since discussed the matter rather extensively with my wife, a breathtakingly levelheaded girl, and we've decided against it--for one thing, I'd completely forgotten that my mother-in-law is looking forward to spending the last two weeks in April with us. I really don't get to see Mother Grencher terribly often ...

この文章の”rather extensively”という表現で、奥さんに「ちょっとぉ、うちのお母さんが来るの忘れたの? お母さんもう歳なんだからそうそう一緒にすごす機会無いんだからね?」とかこんこんと説教されて、泣く泣くEsmeの結婚式へ出席するのを断念したところまで想像できた。

それは、"breathtakingly levelheaded girl"のbreathtakinglyという大げさな表現で書くことでもそういう皮肉のニュアンスが出ているはず。少なくとも私はそういう毒電波を受信wできた。

All the same, though, wherever I happen to be I don't think I'm the type that doesn't even lift a finger to prevent a wedding from flatting.

持って回った表現すぎてどっちなんだか混乱する。よくなくなくなくなくなくない、みたいな。

そのまま読めば「俺盛り上げられずにはいられないよん?」みたいなかんじだけど、キャラ的にあり得ないからこれも皮肉的表現としかいいようがない。

つか著者病んでるから、書いてあることの意味は全部いつでも、いくらでも反転するよな。主人公がEsmeに好感を持ったかどうかすら確定してない。

というか著者は確定させないようにバランス考えて書いているんだと思うので(つか自分が著者だったらそうする<-投影しすぎ)、「Esmeはsqualorでcharleyはlove」みたいな図式的な説を見ると、ホントどうかしてると思う。

国語の問題とかで、「主人公がEsmeに好意を抱いていることを示唆している部分を書き出しなさい」なんてのが出題されるんだろうか? そんなのわたしが許さない。


次男が「おばあさんのシワは何本あるでしょう?」という昨日と同じ謎々を出すので、4*8=32で32本!と答えたら、そういえば昨日出したか、と笑っている。Charleyのように拗ねたりはしない。いいやつだ。


知らず知らずのうちに、サリンジャーとかヴォネガットとか自分の観測範囲内での「戦争」文学に目が向くところに、時代とのcoincidenceを感じる。(<-非科学的な物言い) 今夜はEve of Destructionなんだろうか?


2012年07月24日

「野暮」でない方法なんてあんのかな?

フェンスを外す人 これ、いろんな広がりがあって面白い文章だ。「なんにでも理由があると思うと動けなくなる」という文句も付けられる。でもそれよりは「どうやってその理由を伝えつづけてゆくか」ということを考えるために使う方がよいと思う。

この話で出てくるチェスタトンのフェンスの話のソースを探してみた。"Don't ever take a fence down until you know the reason it was put up" というのが流通しているフレーズだ。

これはHeretics (1905)というのににあるらしい。 ということでグーテンベルグで原本見てみるとこのフレーズはない。

さらに探してやると、The Thing (1929)というのにもっと小話ふうに書かれていることがわかる。「フェンスを壊すな」はパラフレーズされて一人歩きしたフレーズであるらしい。リンクしたところではJFKだと書いてる。

内容を読むと、"In the matter of reforming things ..."というかんじで、 明確にreformersとtraditionalistとの間の話だってことが分かる。グーテンベルグだとThe Thingsの4章"THE DRIFT FROM DOMESTICITY"でアクセスできる。


JFKによるパラフレーズだということについてはWikiquoteにもあった。というかここを最初に見つけるべきだった。回り道をした。ソースははてブ

もひとつこの文のポイントは「粋」ってところで、つまり無粋な奴には分からないって言ってる。マニュアルでがちがちに固める「野暮」な方法はだれででもできると言う。

心情的には前者を応援するけど、実務的には後者じゃないと回らないってのも分かってる。でも、前者が成り立つ楽園を作りたいんだ。これが心の奥底に隠した、コミューンの夢、革命の夢。気の合うものと夜を徹して語ったりしながら思いついた、名前の付いていないことを、ガレージから始めるんだ。

いっぽうで、教育とは「誰にでも出来るようにする」ことを前提とした、本質的に野暮なものだ。 (教育は無粋なもの参照。)

じゃあ、逆に言えばさ、「誰にでも出来るようにする」ことを考えなければ、それは可能だろうか? 研究は「粋」であり続けられるだろうか? それとも科学そのものが本質的に野暮なものなのだろうか?


2012年07月11日

人生の伏線を回収しに行こうぜ

家に帰るなり次男に向かって「ごんぶと!」とCMっぽくダミ声で呼びかけてみたが、完全にスルーされた。そんな春の夕暮れ。

ポジティブフィードバックが効き過ぎて、焼き切れてしまったり、すり切れてしまったりしないようにするための、自然が僕の心と体に埋め込んだ安全装置としての物理的界面。

「健康な成年男子ならだれしも口まねでシンセサイザーの音作ったりするよね、ビニョーーーン、みたいなかんじで」ってツイートしようとして見返したら、「健康な」も「成年」も「男子」も迂闊な名詞だと思ったので消そうと思ったが、どっちにしろすべてどうでもよいことなのだ。(<-語尾が気になる)

機嫌がよいときは、夜中に県道を車で運転しながら、舞の海がアパマンショップCMで歌うときを真似て、低く太い声で「ぼんっちあっらっれ」って歌ったりする。

「断捨離」ってどういう意味だかまったく知らないのだが、なぜだか、団塊の世代が作務衣とか着て蕎麦打ってドヤ顔みたいなイメージが湧いてくる。これは共感覚だな。

次男が、中古車屋でもらったお菓子セットの中で、クッピーラムネはいらないのでくれるという。俺もいらねえ。


amPlug Cabinetが1900円で売ってたので買ってきた。amPlug専用かと思っていたら、マルチエフェクターとかでも使えるという情報があったので、pocket PODとつなげてみたら、ちゃんと動くことを確認した。これで花見にエレキを持って行けるぞ! ってかさばるので、エレクトリックウクレレ用に使う。(<-これ貼り付けただけ)

これで格段に自由度が上がったので、家にあるセミアコに繋いでやって、長男のアコギと一緒にスピッツを弾き語りして楽しむ。とりあえず長男が今ギター教室で教わっているチェリーと空も飛べるはずあたりから。


サリンジャーの"For Esmé – with Love and Squalor"のSqualor(汚辱)をどう訳すかという問題で、英語のニュアンスなんてわかりゃしないんだけど、試しにsqualorで画像検索してみたらゴミ屋敷系の画像がたくさん出てきたので、なんか分かった気がしてきた。

小説内でEsméは13歳、弟は5歳、ちょうど我が家の長男と次男の年齢に相当することに気づく。


長女がポテトスナックがあまりおいしくないのでくれるという。俺もいらねえと思ったが、ラボに持って行ったらけっきょく一日で食いきってしまった。

The Ballad of peter Pumpkinheadを聴いていたら、サビのところでColin Mouldingが優しいかんじで下にコーラス重ねているのに気づいて、なんだか泣きたくなった。

次男の耳元で「ごんぶと!」とか「カール・フランゾーニ!」とかダミ声で囁いてやったが、完全にスルーされた。しかたないので「だめよ!デイビッド!」と裏声で女装したオッサンっぽく唱えたら、その本あるよ、と教えてくれた。知ってる。なぜなら目の前の本棚にあったのを読んだだけだから。


人生の伏線を回収しに行こうぜ(<-なんかかっこいいこと言ったつもり)


2012年06月27日

「科学手品セット」などもうないし、なくてよかったんだ。

流水の中に白熱電球をそっと沈めて、ただ祈る。亀裂が入ったところで、時が止まり、空気が留まり、心臓が停まる。

水浸しのコンクリートの床にピアノが置いてあって、長靴とツナギで入り込んで、デッキブラシで床を掃除しなければならない。最悪なことに、床は傾いていて、ピアノのストッパーが壊れていて、ピアノがぐらぐら動くのを止めることが出来ない。塩素の臭い、水の臭い。ホワイトノイズが流されている。なんのために?

無謬性の誤謬が云々かんぬん。

押し寄せるのは、竜巻? 嵐? 雪崩? それともXXX? 言葉は失われたが、またあらためて分節し直されて別なところに生まれ落ちるだけなんだ。


思い立って、レイモンド・カーヴァーの「大聖堂」を借りてきた。表題作だけ読んだ。なんてことはない話だけど、そして主人公はまったく普通に、嫌なところもある人だけど、それゆえになんかいいかんじで終わるのが気に入った。原文でまた読んでみることにしよう。

ついでにカポーティの「クリスマスの思い出」も読む。これはなんども読んだが、今回は村上春樹訳のやつだ。「そして僕らは思い出すのだ、すべての鳥たちが南に渡ってしまったわけではないのだということを」 キタワー

原文では、"Here, there, a flash, a flutter, an ecstasy of shrillings remind us that not all the birds have flown south."というくだり。

Here, there, a flash, a flutter, an ecstasy of shrillings" ここの圧縮の具合ったらないわな。感涙する。「そこかしこで、何かがさっと前をよぎり、ぱたぱたっという音が聞こえ、感極まったような鋭い啼き声が響く。」

"As for me, I could leave the world with today in my eyes."


そういえばこのあいだの出張のとき、かわいそ犬3号と名付けたくなるようにのを見つけた。年老いて毛並みがぼさぼさになってしまうだけではない何かがあるんだろうと思うのだけど、何かは分からない。とにかくそれは私の自己憐憫回路を揺さぶるんだ。

そのような「何か」の正体など私の中にしかないのだろう。「世界を再魔術化する」ってのが俺の中での「脳内革命」でしかないのなら、そんなものは要らない、いや要るか。要ります、要ります。「科学手品セット」などもうないし、なくてよかったんだ。


ここまでエントリ書いてしばらく放置していた。そしたらあとで気付いたのだけど、まだ我が家には「科学手品セット」は捨てられずにとってあった。なんだろう? 砂浜から潮が引いてゆく感じだ。自分が9年前の自分と繋がっているのを感じる。こんど次男に「科学手品セット」を使って見せてやることにしよう。


2012年06月14日

Why Am I So Short?

「行列の出来ない大学生」か。でも自分のこと考えてみると、固有値とか未だに意味が分かってないな。Cはポインタから先はわからない。Rはいつまでたってもワナビ。変分法を学んでいないから、変分ベイズも分からない。Marrの本読んでない。プリゴジンの本読んでない。ハーケンの本読んでない。医学教育受けてないから解剖実習も出来ない。でもそんなことぜんぶ吹き飛ばすくらいだめなんだ。

逆上がりができたことがいちどもない。木登りできたことがいちどもない。徒競走はいつもビリ。英語聞き取れない。英語で世間話できない。論文は未だに印刷して書き込まないと読むことが出来ない。経済のこと分からない。株のこと分からない。土地のこと、相続のこと、法律のこと、税金のこと、なにも分からない。でもそんなことぜんぶ吹き飛ばすくらいだめなんだ。

世の中のことを世間話するほどには何も知らない。震災のこと、原発のこと、捕鯨のこと、基地のこと、領土問題のこと、欧州経済のこと、北アフリカのこと、ハイチのこと、なにも語れない。ブログではそういうことは語るまいと誓ったことが徒になって、そもそもなにも語れない。でもそんなことぜんぶ吹き飛ばすくらいだめなんだ。

下級生をうまい店に連れて行っておごってやったこととかない。親身になって相談に乗って感謝された記憶がない。そういえば俺告白されたことがないな。(今書き出して愕然とした。) 恫喝が怖くて仕方がない。暴力が怖くて仕方がない。自分で吐いた暴言を夜な夜な思い出しては苦しむ。でもそんなことぜんぶ吹き飛ばすくらいだめなんだ。

本当に重要なことは全部迂回して、なんだか深刻そうに、あれもない、これもないとあげつらってみる。でも本当に重要なことを全部迂回しているかぎり、こんなことぜんぶ吹き飛ばすくらいだめなんだ。


“You may laugh at me / say I don’t deserve all the things I’ve had”

"Whenever you feel like criticizing any one," he told me, "just remember that all the people in this world haven't had the advantages that you've had."


こういう書き方でしか伝わらないことをただしく伝えたいのだけれども、伏線とかコンテキストとかそういうものが足りない。だから今は、見つけるべき公式を求めて、なんどでも書き直しを自分に命じる。


2012年06月07日

タフグリップ

「タフグリップ」ってフレーズなかなかいいな。チャールズブロンソン的かつがっちりグリップ。タフでマッチョ。わずかにに開いたドアから入ってくるドブネズミなど気にもしないんだ。空は快晴、壁掛け式の黒電話。ヘリコプターの着陸する音。なにかの始まる兆し。タフグリップ。


「疾走感と喪失感。」大事なのは、音だけ聞いてもその意味が取れるかどうかなんだけど、そういう意味では悪くないか。でも手垢にまみれたフレーズか。ロキオン的な。やーめた。

「焦燥」も好きな言葉だがロキノンすぎて使えねえ。


もっと突拍子ないかんじで、ちょっとプレコックス感出てるかんじで、話聞いてる方が焦燥感煽られちゃうようなかんじで、「そこに置いてあるのは塩ですか?」「本末転倒ですね」「なんでこんなところにエスカレータがあるのですか?」「ハトに糞をかけられました」「奥歯がずきずきと痛みます」「白魚の踊り食いははじめてです」「布団が足りないんでこたつで寝てもらえる?」「急転直下の展開だったね」「鉛筆削るの上手ですね」「これから私がやることをよーく見ておいてください」「よく聴かないと倍音が聞き取れないな」「お湯が沸かしっぱなしだ、火をとめないと」「辞書に載ってないよ」

ターヘルアナトミアの翻訳の挿話で出てくる「フルヘッヘンド」とはオランダ語のverheffenだそうだが、「なんであそこに鉄球がぶら下がってるの?」「掃除が全部終わるまで帰れないよ」「オブラートって口の中で残るよねえ」「雨乞いについて世界大百科事典で調べてみよう」「急ブレーキかけると危ないよ、鼻が前のシートにぶつかる」「フルヘッヘンド」


「オッティ」が南風に乗って、川をさかのぼってやってくる。浅瀬なのに大挙してやってきて、乙川は大変なことになる。

「オッティ」はたいへん貪欲で、川底の石を全部ひっくり返して、それでも足ることを知らない。雨が降り続けていて、このままだと水かさが増して、また予想できないことが起こる。


オグデン、オグデン。”Ogdens' Nut Gone Flake”のオグデンって地名だったのだな。

Bの音をVに置き換えてしゃべってみる。イヴォイノシシ、とか。


以前、「プライベート・ジェット」って言葉がすごくいけてると書いたことがある。なんツーか、ゴージャスかつ70年代っぽいっていうか。

それで、今日思ったけど、「トップ・ブリーダー」ってのもかなりいいんではないかと思っている。犬がたくさんいるデカい家に住んでて、トロフィーに囲まれてて、しかもすっげー金歯たくさん入ってんの。


終電で寝過ごしたら高尾駅で駅員に「お客さん、耳からハミルトンシリンジが出てますよ」と言われて、はっと目覚めた。


2012年05月11日

寂しい場所を通り抜けて

立食パーティーでそれぞれの皿から順番に料理を取るために長蛇の列を作るってのが納得できないっていうか、端的に嫌なんだ。しかもこれ世界共通だ。それぞれの皿に並べばいいんじゃんか。ぜんぶ盛る必要なんか無いから、なんか一品食わせてくれ。

でもそういうことが気にならないときがあって、それは誰かと一緒におしゃべりしながら並んでいるときだということに気づいた。つまり、そういうことが気になるというのは、立食パーティーでボッチになってとりあえず食うだけ食ったらさっさと辞去したいという気持ちになっているからなんだな。


「よける」と「さける」が同じ漢字なのってどうやって処理したらいいんだ? これは困った。日本語バグってるぞ。

「ゆがむ」と「ひずむ」ってどっちも「歪む」って同じ漢字使うのか。「とめる」と「やめる」と同じ現象だな。日本語バグってんじゃん。


ASSC17のほうの議論は収拾つかないし、査読した論文の著者はrevisionで俺を目の敵にしてるし、次男は味噌汁をこぼすし、ダイエットする気は起きないし、前髪が伸びてきて気になるし、雨は降り止まない。俺の世界は混迷を極めている。(<-ってほどのことか?)


248号線を走りながら、「風の辿り着く場所」とかひさびさに聴いてたら、なんだか岡崎に来たばっかりのころのことを思い出した。夕食後にまたラボに行くのがなんだか億劫で、地図も見ずに248号線を北上したら、寂しい場所を通り抜けて豊田市街に入って、本屋で立ち読みをして帰った。


新幹線で東京に向かうと神奈川県あたりのどっか左側の車窓から、坂というか小山の切り立ったところに家がびっしり立ち並んでいるところがあって、なんだか記憶に残っているのだけれども、いざあそこがどこかと言われると答えられない。もう数え切れないほど通ったのに。


私のために飲みニュケーションしてくれた先輩方には感謝している。説教食らうのに反発したこともあったけど、それでも時間とお金と労力をかけてくれたことに感謝している。その恩を何らかの形で返したいとは思いつづけてきたけれど、それを果たせずにいることにずっと焦っている。

わたしのなかには体育会系マッチョ思考の私と、貧弱モヤシメガネ君の私とがあって、政治的正しさを守るためにマッチョ君の方を隠蔽するのでかえっていろいろこじれたりする。


2012年05月02日

ボン・ボリーニ!

昨日の長女との会話:父「(iPhoneに)アングリー・バード入れておいたから」娘「あれおもしろいよねー」父「面白すぎないところがいいよね」娘「あー、わかるー」そうかわかるのか。


昨日豆まきできなかったから今日豆まき。次男が鬼になりたいって言うからみんなで次男に豆を投げる。なんだかいたたまれなかったので鬼を守った。我が家から鬼は出て行かなかった。


夜9時過ぎだというのに次男が寝もせずに「ひな祭り」の歌(灯りをつけましょぼんぼりに)を歌っているので、横からイタリア人っぽく「ボン・ボリーニ!」と合いの手を入れて邪魔をしてやった。

車の中でフランス映画のナレーションみたいに、むちゃくちゃセクシーに「イヴォーンヌ」とか囁いてみたりする。(<-けっこうある)

「うどん」をフランス人っぽく「ウドォーンヌ」と発音できるように練習を繰り返す。(<-ネタの使い回し)


そこには「つるにはまるまるむし」が集まってくるので夜は離れた方がいいよ。(<-無駄な忠告)

窓の外ではキュウリ売り、窓の外ではキュウリ売り、きっと誰かがふざけて、語感だけでキュウリ売りに歌詞変えてご満悦しているだけなんだろ?(<-字余り)

幸せはスペードの43。200枚トランプで、各スートは50枚。Jack-Queen-Kingのあとには見たことのないキャラが並び、43は読むことの出来ないカタカナ四文字で呼ばれる。

暖かいところに集まる習性を持っている「つるにはまるまるむし」をゴザごと全部焼き払いました。これでやっと新年を迎えることが出来そうです。


神田明神から秋葉原へと下る坂で、車にはねられたとおぼしき猫の死体が置きっぱなしになっていた。私がついったに書いていることのほとんどはシュールレアリスティックかつマジックリアリズム的な嘘ばかりだが、これだけは本当のことなんだ。


2012年04月16日

あの、なんだか宙に放り出された感じ。

高校3年になっていきなり受験モードになった教室になじめなかった野郎ども(運動部引退直後)はすることがなくて、でも意地でもその空気になじみたくなくて、毎日夕方ギリギリまで中庭でサッカーというか今でいうフットサルみたいなのやってた。

けっきょくわたしは眼底出血で入院とかもあって、高3の共通一次は補欠試験を受けて、千葉大の足切りで落ちて、2月頭には受験は終了してしまった。そんな顛末からほぼ自動的に卒業旅行の幹事に。あれはひどい仕切りだった。春の軽井沢とか行っても何もねえ。スケートできてやっと何とかなったかんじ。

急にそんなことを思い出した。あの、なんだか宙に放り出された感じ。自分が原点に戻るというなら、どこまでさかのぼるかというと、あの場所かなとか思う。あそこからもう一度やり直すとしたら、自分はいったい何をやっただろう。というか、そこからもがき続け、なんにも変わってないなとも思う。

けっきょく功利的に合理的にやってくことなんてぜんぜんできなかった。想像力に欠けたロマンティシズム(<-最悪の組み合わせ)で重要な選択をなんども無駄にした。あのとき寝飛ばさずに電話を取れたらなんか変わったんだろうか? いや、なにも変わらないだろう。

あのときあの失言をしなかったらなんか変わったんだろうか? いや、なにも変わらなかったろう。なんども吐き、なんども倒れ、救急車を呼ばれたり、なんかぶっ壊したり、いろいろと自滅しながら、なんであんなにも自分が許せなかったのだろうか。なんであんなにしぶとかったんだろうか。

自分では屈託があり、含羞もある小物だと思っていたけど、自分から見たものなんて当てにはならない。あとから答え合わせで、じつはこんな風に考えていたんだと明かされて、世界が崩壊するような恐怖を覚えて、そして自分の脳天気さに呆れて、でもピンピンしている。

あのときあの失言をしなかったらなんか変わったんだろうか? よかれと思っていったことが全部お節介で、何もしなかったことがぜんぶ事なかれ主義で、俺はもう何をしたらいいかも分からなくなっていた。だからそんなところからさっさとおさらばできるということにちょっとほっとしていた。

罪は消えない。恥も消えない。苦しみの記憶とともに、心の底の方になんだかいやあなかんじで沈殿してきて、見て見ぬふりをしないと日常生活さえこなせない。それでもたまにはそれに復讐されたりする。

「だがこれは過ぎたことだ、いまではわたしは美に敬礼するすべを知っている」とか言って終わったことにするのってかっこつけすぎだよなあ。だが人生は続く。


2012年03月03日

そういうみっともなさを愛する。

空を飛びたいなんて思ったことないな。海水浴をしていて、ずいぶん離れたところまできて、深いところの冷たい水を感じたりすると、ぞっとする。深夜に丸の内のオフィス街あたり自転車で通って、誰もいないってことに気が付いてぞっとしたり、深夜のLAの街を自転車で徘徊しながら、自分を知っている人間はどこにもいないんだということに気づいてぞっとしたり。


いやいや、それはある、ふつうにある。大雨が降って、買った水が全部無駄になって、花火工場が爆発して、いつまでもあれが消えないままに、いやそれはどうでもよい、頭がはっきりしているあいだにたいせつなことに取りかかることにしよう。バカバカしいくらいに積み上げられた蛍光灯の束。

農道を走る自転車と遠くのたき火の臭い。顕微鏡の下でそっとネジを回しながら、船底で海水が流入してくるのをそっと待つ。腕がしびれて、前を向いた瞬間に、どっちが上だかわからなくなった。外巻きの渦と内巻きの渦がぶつかり合い、無限大を表象する。

いやいや、それはそうではない、と持ち替えた手がそもそも左右が間違っている。牛乳パックが日本刀で手品のように切られ、中の液体がスローモーションで落ちてゆく。眼球の毛細血管がゆっくりと膨張してゆく。バスケットボールが後ろ回転をしながら放物線を描いて、ガラス窓を直撃する。

蜘蛛の巣には誰もいなくて、近くで落ちた実がひからびている。その周りは住宅街で、蛇やら狸やらが追い出されては車に轢かれる。手のひらの皺から三十通りの単語を拾い出す。緊急用の赤いランプが点灯しっぱなしで、もはや意味を失っている。


オーバーロード、オーバードーズ、ウーバーメンシュ。鉄球と魂とペンドラムの歌。練乳をかけた植木鉢に集められた30個の錆びた缶バッチ。独学で至った境地。血に染まった川。顔に修正の加えられた白黒写真とステッキと山高帽。皮ははち切れそうになっているし、枝からは千切れそうになっている。

一斉に押されるスイッチ達。夕日の中を飛ぶ航空機。道ばたに置かれたままになっている白いペンキ。すべては止まっていて、ここから遠く離れていて、私が別れを告げるためだけに存在している。

「黒の二枚刃」「すぐのお出かけ」「ハッシュタグ、ハッシュタグ」


寒い道を康生町から東岡崎の駅まで歩いて行った。東岡崎の駅前は忘年会終了後の客でごった返していて、岡崎の夜とは思えないくらいの様子だった。ちょっと離れると静かさが際だって、なんだかスキー合宿で雪道を買い出しに出かけたような気分がしてきた。

iPhoneの光を頼りにして、足下のあやしい暗い道をたどって向かう。街を縦横に駆け巡るコミュニケーションの束。落ち葉とともに掃き集められた昆虫の死骸。鋭角に割れた窓ガラスが下腹部に突き刺さっているイメージ。路上に敷かれた鉄板から立ち上る冷気。


プルーフロックの"I do not think that they will sing to me" …なんて、なんという自己憐憫の固まりだろうか。ぜんぜんかっこよくないぞ。ダサダサだ。「キリッ」とか付けちゃうぞ。「私のために歌ってくれるとは思わないけど(キリッ)」そういうみっともなさを愛する。


2012年02月14日

人生の簡素性(simplicity)と単純化(simplification)

俺の泣きの琴線的には、ベム達は人間を助けようという崇高な目標を持ち続けていることで既に人間であるってことがわかるって展開。人間であるということは汚い心を持つということであり、それゆえに彼らは裏切られつづける、とかなんとか。

あとあれ、なにかを得るためにはなにかを捨てないといけないというジレンマにおける「捨てる喜び」。ベタなのでいけば、子どもの命を救うためには自分の命を投げ出さなくてはいけない、みたいな。そういうのに心を振るわされる。

そういう意味では、人生とはシンプルであって、俺の心を振るわせることはほんの一握りしかないのだろう。これが人生の簡素性(シンプリシティ)。

行動をシンプリファイしようとするタイプのライフハックは俺の敵だと思うけど、欲望と動機のシンプリシティについては深く確信している。

ちょっと分かった気がする。このふたつを混同していたような気がするんだ。複雑なものを簡単なものと見なすsimplifyではなくて、複雑なものの中にある簡素なものを見つけるsimplicity。この二つを混同せずにありつづける知恵をどうかお恵みください。

なにかうまいこと本質を抽出したときはsimplicityであっても、それがレッテル付けとして一人歩きしたときはsimplificationとなりうる。そんなふうに両者は繋がりあっている。


2012年02月02日

"Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity"

それでも、ザッカーバーグの"Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity"ってのはなんか違うと思う。でも頭に来るくらいには切れ味のあるフレーズだ。

自分は"facebook/mixi"と"blog/twitter"の二分法だったら後者の人間なのだということは身に沁みてよく分かった。

いじめを受けていてマリリン・マンソンとか聴きながら世界への呪詛を書き連ねるようなやつがわざわざ身元を明かしてfacebookに名前を載せて、web上ですらジョックスどもの笑いものになったりするなんてあり得ないだろ?

だから俺には、前述のザッカーバーグの発言が、リア充がリア充の価値観で世界を塗り込めてしまおうとするものにしか思えないんだ。ザッカーバーグってIT業界の人間だけどナードじゃない。

Facebook上の俺は社会性を意識した外ヅラ用の俺。Twitter上の俺はもうちょっと内面に近いけど、それでもいろんな検閲を通して作ったある種の芸風の俺。もし本当の俺ってのがあるとしたら、飲み会が三次会ぐらいまでいって人も減って夜中にしんみりと語っているときぐらいだ。

でもだれだってそんなの同じだろう?

いや、その書き方は言いたいことを正しく言い当ててない。同意を求めているのではなくて、「これが自分だけのことである」なんて勘違いしているわけではないよ、って言いたかっただけ。

"All the jocks stand up!" "Anybody with a white hat or a shirt with a sports emblem on it is dead."

Wikipediaより: "teachers commonly looked the other way when confronted with bullying" 「見て見ぬふり」って英語だとこう言うのか。

Marilyn Manson is asked ... what he would say if he could talk to the shooters of Columbine. He responded, "I wouldn't say a single word to them. I would listen to what they had to say, and that's what nobody did."

…ちとDVD借りてくるわ。(F-15のAA略)


2012年01月13日

そうして、このごろ1209

人生へのアティテュードというかなんというか、屈託がない方がよいとは思う。でも含羞はあった方がよいと思うんだ。マトリックス作ってみた:屈託-/含羞+=>サイコー、屈託-/含羞-=>恥知らず、屈託+/含羞+=>小物、屈託+/含羞-=>ダメ人間

夕食のときに国体のハンマー投げの部を見ていたら、次男が「いもむしとはちがうね」と言うのでワケわからなかったが、長男がすぐに「室伏のことね」と即理解したので、笑うとともに感心した。

長女といちばん好きな季節は秋、ということで意気投合した。ワビサビがわかっとる。(<-ドヤ顔)

「俺には俺の唄がある」には野島という謎の男が出てきて、質素な暮らしをしながら、高等遊民をやっている。高等遊民いいな! 俺も「先生」のように、野島のように、高等遊民をやりながら(ry ... ry)したい

ものすごく近くで秋の虫が鳴いている音がする。まるで部屋の中にいるかのようだ。しかも音源の位置が複数あることまでわかる。子どもたちはよく寝ている。寝息が聞こえる。歯ぎしりが聞こえる。よく耳を澄ませると、金魚のためにバブリングをしている音が聞こえる。

ほのめかしメソッドをやると、違う人が釣られちゃうので絶対やってはダメ。これ先生との約束な。

いちばん好きなギターコードはFmaj7 add9thだろうか。でもただひたすらにEmだけを弾きつづけたいときもあるものだ。EよりはEm、これだけはまちがいない。

なるたけ実生活で感情の上げ下げをしないようにしておいて、そのぶん小説とか読む。ふだん運動しないでおいてそのぶんジムで運動するのと似ているような似ていないような。

「みどりのそうげん はだしになろう」ここ泣くポイント。

「あー僕らの人生って、せんみつのセイ!ヤングみたいだね(みたいだね)」ってフレーズを考えたが、あんまり泣けない。オールナイトニッポンの方がよかったか。

夜に自転車で走っていると、道路工事用の移動型光源(あのなんか丸いやつ)が煌々と光っているのを見つけて、まるでビルの谷間に半月を見つけたときのようにギョッとする。やっぱり夜はいろんなものを空目するのでギョッとする機会が多い。

長女の新体操のお迎えに、車に乗ってセバドー聴きながら到着したら、音が漏れて恥ずかしいからやめて、と怒られた。長女にとって私はDQNなおっさんなのであった。がーん。

長男から「ピロカルピン」とか「andymori」とかを教わる。そんな俺の存在証明。


2011年12月31日

トラルファマドール星人と永劫回帰

「スローターハウス5」は2/3くらいまで来たが、意図せずカラマーゾフの兄弟と繋がってきたので、この偶然の一致に感激したが必然だとは思わない。(スローターハウス5のテーマとからむネタ。) トラルファマドール星人が「あなたの人生の物語」と繋がるのはあらかじめ知ってた。

"He said that everything there was to know about life was in the Brother Karamazov ... "But that isn't ENOUGH any more", said Rosewater."

さらにまどマギやエンドレスエイトと絡めているのを見つけた。なるほど、ループものと自由意志とトラルファマドール星人的視点(すべてを永遠の相の元に眺める)で三題噺ぐらい作れそうだ。

わかったような顔をして「永遠の相の元」とか書いたがスピノザとか読んでいるわけがない。


「来世に託す」という考え方を完璧に打ち砕くために、「来世はあるけれども、今生とまったく同じものが繰り返されるだけである」というふうに認識したらどうだろう? この人生を生きるしかないなって気がしてこないだろうか? ていうかそれ永井均経由で俺が受容した永劫回帰をさらに転倒させたものか。

もしくは、記憶の持続とかそういうメカニズムがまったくないループもの。ゆえに、やり直ししてもうまくはならない。カタルシス無し、神の視点無し。

たとえ輪廻転生があったとしても、ふたたび1968年の公害と騒音と地盤沈下の町まで引き戻されるのだ。校内暴力とツッパリハイスクールロックンロールの時代を生き延びて、バブルを横目で見て、ふたたび入院したり、交通事故にあったり、耳を七針縫ったりするのだ。


トラルファマドール星人にはすべての時間の事象が一挙に見渡せるので、つらい事象に対してはただ無視するだけだ。つまり、空間的注意と同じような意味で「時間的注意」とでも言ったものを備えているということになる。

こういう眼で見直すと、arousalレベルの上げ下げというのは不完全ながら時間的注意の一種であるといえる。focal attention (空間/featureへの注意)とsustained attention (arousal)という注意の分類は空間と時間の違いであると言える。

"I was still alive somewhere and always would be."

あるとき俺は1000分の1、あるとき俺は1分の1、統計的な俺と実存的な俺。


スローターハウス5読了した。よかった。トラルファマドール星人的描写に慣らされて、静かな心でイベントが描写されるのを眺めてゆくところで、ついにドレスデン空襲が描写される。ちょっと他にはない感覚だ。そして、そのような状況になったら、そのように世界を眺めるような気もしてくる。

ヴォネガットの「乾いたユーモア」みたいなものは正直好みではなかった。ブローティガンの「アメリカの鱒釣り」も同じくだめだった。でも「西瓜糖の日々」が大好きだったように、「スローターハウス5」の静謐な世界は好きだ。たぶん「乾いたユーモア」ってのはそれを引き立てる効果があるのだろう。

つーか、スローターハウスとかギャツビーとかライ麦畑とか、向こうの高校生の課題図書みたいなのばっか読んでる俺ってのはバカみたいに見えるのだろうか? まあいいや。


2011年12月10日

そうして、このごろ1001

ついったから転載。

自分はどのタイミングで全脳感を失ったんだろうか? ひとつ覚えているのは、小学校六年のときに生徒会長だったんだけど(正確には代表委員会委員長)、それが教師の傀儡として操られる存在であるという醒めた認識を持ったときだろうか? (小6で中2病ってかんじ。)

そういう状況事態をひっくり返すようなメタな発想と行動力を小学6年生に求めなくてもいいと思うけど、ともあれあそこが私の原点だったことを思い出す。徒競走が遅くたって、泣き虫だったって、投手として使い物にならなくてコンバートしたって、そういうことで自分の自尊心は揺るがなかったけど、「優等生」をやらなくちゃいけなくなった屈辱は忘れない。

そんなことを考える今日は次男の運動会の日で、両親がはるばる応援にやってきて、ビデオを撮影して、ステーキをごちそうになって、その店は今月で閉店となっていて、すっかり寒くなっていて、けっきょく私は帰るなり2時間ほど昼寝していた。そんな日のこと。

俺はこれだな:(15)の改変 何者かになりたいという欲望はあり、何者かになる強烈な快感をまだ味わってない自分をみじめだと思っていたが、仕事が忙しいのでどたばたしてたら年を取ってしまって、もはや何者かになれる人間ではなくなっていた。

だがここからが人生だ。俺の情熱はけっして消えないし、消えそうに思ったこともない。その時々の状況の中で、自分の疑問を磨き続けて、先鋭化させていく俺の旅はまだ終わっていないし、終わらせる必要もない。どんな状況にいようとも、だれも私のことを何者と認めなくても、それを続けていく力がある。

こういう抽象的な議論は好きではないのだが(<-おまえが言うな)、「何者かである」ということは「何者かであることによる強烈な快感」によってのみ定義される純粋に内的な価値であって、直接的には外的に決まらない。もちろん内的なものは外的なものによって影響を受け、規定されさえするが。

あーあ、でもさあ、率直に言って、世界が俺の思うとおりにならないなんて理不尽すぎる。ぷんすかぷーん。(<-キモッ)


2011年12月01日

Amazonのカスタマーレビューの「有用性の高い順」ってどうやって決めてる?

Amazonで本を探したりするときにはレビューの文章をけっこう読んだりするのだけれども、あれは「このレビューが参考になった」の数に基づいた「有用性の高い順」でソートすることができる。そうするとしょうもないレビューを読まなくてすむ。まさにwisdom of clouds。

ところであの「有用性の高い順」ってどうやって決めてるんだろう? たとえばUSアマゾンのSlaughterhouse 5のレビューで、Most Helpful Firstでソートしてみると、一位が257/286 (全投票数286のうち、helpfulが257)で、次が212/236、67/75, 16/16, 28/31, という順番になっている。

一番のものから順番に、「helpfulに投票された比率」をプロットしてゆくと図のいちばん上のようになる。もしこの比率だけで並べられているならこんなにはデコボコにならない。

sh5plot3.png

どうやら、「helpfulに投票された比率」だけではなくて、投票数も加味して順位を決めているっぽい。そりゃそうだよね。16/16と1/1ではデータの信頼度がぜんぜん違う。

そこで以前のエントリ(20090319)で作ったように、最尤法で95% credible intervalを計算してやって、エラーバーを付けてやったのが真ん中の図。それっぽくなってきた。ちなみにエラーバーが0-1になっているデータは0/0のもの。

「helpfulに投票された比率」は二項分布での最尤推定値だけど、そのかわりに尤度の分布で重み付き平均を計算して表示したのが下の図。(これをnon-informative priorでのベイズと捉えれば、前者がMAP推定に相当して、後者がベイズ推定に相当する。)

完全には同じでないのでなんかまだ違うことやっているようだけど、だいたい近づいたので満足した。

データ入りのmatlabスクリプトあり:sh5plot3.m ご自由にどうぞ。

…とここまで書いて、Amazonランキングの謎を解くという本があることを思い出した。関係あるんだろうか。まあいいや。(あとで図書館で見つけたが、売り上げランキングの話で、今回の話題とは関係なかった。)

余談だけど、順位が下のレビュー(helpfulの比率が10%以下)ってのはたいがいは読んでなくても書けるような文章、たとえば「退屈で難解、読む価値無し」みたいなやつだったりして、0/10とか付いても当然ってかんじでつまらん。でもたまにトラルファマドール星人に拉致られたとしか思えないようなものが見つかる。しかもレビューへのコメント欄が煽り合戦。まさに「いったい何と戦っているんだ」状態。


2011年11月25日

この厳然たる事実を祝福しよう

このあいだ農協の企画で次男と稲刈りに行ってきた。三十家族ぐらいが田んぼに入って横並びで鎌を使って稲穂の根元をじょりっと切ってやる。次男は30分で飽きて田んぼのカエルを探してる。ちょうど稲の花が咲いていた。終了して新米と豚汁を食べる。うまい。隣の大家族はお父さんがひとり大声でしゃべっている。「これうめえなあ、おまえももっと食べろ」「稲の花見たか?」いろんな家族があるなと思った。

稲の花はすっごくかすかな白い花で、二時間ぐらいしか咲かない貴重なものだそうだ。これから俺の中では「白い花」とは稲の花を指すことにした。

(ある者は医者になり、ある者は役人になり、ある者は裁判官になり、ある者は大学教員になった。ある者はサラリーマンになり、ある者は会社役員になり、ある者はニートになった。でも驚くべきことに、ほとんどみんな生きている。ほとんど統計的に当たり前なくらいに。)

(これは当たり前なんだろうか? では小学生のときの同級生はどうだろう? 大学生のときの同級生はどうだろう? これは当たり前なんだろうか? 驚いたことに驚いてもいいけど、けっこう驚くべきことなんではないかと思っている。)

(吉田、オメー変わんねーなー、と言われるとなんだか誉められたような気恥ずかしいかんじがしたりする。けっして誉められたわけでもないのに。女性に同じようなこと言われてうまく返せなかったことがある。正しい答えは「XXさんはきれいになりましたね」だ。でもこれがとっさに出てこないんだな。)

(ほとんどみんな、生きている。この厳然たる事実を祝福しよう。)

ぼくらの時間にはほとんど決定的な瞬間など含まれていない。それでも決定的な瞬間はあるし、それはあまりにもさらっと過ぎていってしまう。気にするまいと、目をふさいでしまえばなんどでも過ぎていってしまう。やり直しはきかない。やり直しのつもりでもそれは言い訳してるだけだから。

気心しれた人とあんまりお金かけないで、酒飲みながら語って、あんま人生の厳しい面とか思い起こしたりとかせずに、なんか楽しいことだけ話したり、頭空っぽにしてUNOとか大貧民とかやったりしたい。蚊のいない涼しい森でキャンプファイヤーしたい。

みんなが語っているうちに、知らぬ間に居眠りをしていて、また普通に話に参加したりして、それでもぜんぜん話に着いていくことができて、山盛りのハッピーターンとカントリーマアムつまみながら、あんま人生の厳しい面とか思い起こしたりとかせずに、たのしく酒盛りをしたい。

いつも通り単独行動していたら、みんなもう撤収してしまっていた。次に行くところが置き手紙してあって、俺はそれを頼りにして蒸し暑い夜の街を歩く。(イメージは池袋ロサ会館前)


2011年11月06日

ショービズ臭と自尊心問題。

高一の夏に買ったIn-A-Gadda-Da-Vida、思い起こすに、はじめて聴いたときにはちょっと失笑した。ボーカルがなんつーか、今持っている語彙で言うなら、すごいショーヴィズ臭かったから。どうやら自分はそういったショーヴィズ臭になじめないのだな。

だから[80年代スタジアムロック] vs. [グランジ/シューゲイザー/ローファイ]でわたしは後者に入り込んだのだろう。シューゲイザーの自尊心問題というのもそういう点から考えると「ショーヴィズを否定しつつ自己表出を肯定する」と捉えることが出来る。これこそが「ベッドから革命を始める」という意味。

もちろんこれは自己矛盾から逃れられない。

Jefferson Airplaneでいうならば、Marty Balinだけあきらかにショーヴィズな人なので、バンド内の立ち位置として後期はどんどん浮いてくる。コマーシャルに成功したバンドであるにもかかわらず。

なんてことは高校生のときにはけっして言語化できなかったが、言語化できたところでどうにも陳腐だった。でもそのころのまだうっすらと消えずに残っていた万能感を思い出して(さよならボクのパステルズバッヂ)、恥じ入りながら、こんなはずじゃなかったと思いながら、焦燥感持って表出し続ける。

全部この二分法でいける。カンタベリー系はショーヴィズ臭くないが、メジャーなプログレはスタジアムロック的なショーヴィズ臭がする。アシッドなサイケデリック音楽と流行に併合したファッションサイケの違いはショービズ臭の有無でわかる。

そういえば「ミスター・ソウル」「クレイム・トゥー・フェイム」「ブロークン・アロー」で一貫して歌われているテーマでもあった。


あとで見直してみたら、これはまったくもって、中森明夫が「オミズ、オェッ」(正確な表現は忘れた)って書いたのと同じではないか。


じゃあここからオフレコね。

王様の耳はロバの耳! 王様の耳はロバの耳! 王様の耳はロバの耳! 王様の耳はロバの耳! 王様の耳はロバの耳!

オフレコ終了しました。


どうか、オレのことを単純化しないでくれ、オレもあんたのことを単純化しないから、とかカマをかけたりするような会話を全くしなくなるぐらいにはオレはオレ自身を単純化してしまっていて、自分の欲望をそれっぽい物語に落とし込んで語るようになったのだが、そんなのは嫌なんだ。それが出来るためには、それが伝わると思えるくらいの自信と目の輝きと無知とが必要だったんだ。


2011年10月27日

Electric Kool-aid acid testを読みながら年表を作成しているんだけど

いつもどおり、ついったからまとめ。


"Magic Trip" ついにケンキージーによるあのバス(The Electric Kool-Aid Acid Test)で撮影されたビデオが編集されて映画に。酷評されてる。メリープランクスターズが作った音楽と同様クソなんだろう。それでもいいから、俺は見ておくべきだと思った。

Gus Van SantがThe Electric Kool-Aid Acid Testの映画化を進めているという話があったけど、完成したという話を聞かない。どうなってんだ。


「あなたが選ぶWIRED大学 新・教養学部必読書50」をテーマごとに見ていったらそんなに読んでる本がなかったのだけれど、カウンターカルチャーHだけ10冊中6冊を読んでたんで、俺ってそういう人なのねとかスゲー笑った。

残りの本も全部読みたいやつばかり。Whole earth catalogを探すつもりはないが。いまKool-aid acid testを原書で読み直しているけど、Stewart Brandがプランクスターズの一員として出てくる。Stay hungry, stay foolish!


Neal Cassadyはオン・ザ・ロードの主人公として、そしてクールエイドアシッドテストの準主人公として生きて、ビートの時代とヒッピーの時代とを生きて、42歳の誕生日の直前に死んだ。

マジックバスを運転して山からの下りの道をブレーキを使わずに降りきった。ハンマーでジャグリングしながらずっとしゃべりつづけた。アシッドテストで瞑想してる参加者にアクションを起こせよと悪態をついた。


Electric Kool-aid acid testを読みながら年表を作成しているんだけど、何もかもが早くて驚く。いわゆるサマーオブラブは1967年夏のサンフランシスコのこと。1966年10月にLSDは非合法になっている。キージーがバストリップをしたのは1964年。グレートフルデッドを大フィーチャーしてアシッドテストを行っていたのは1965年の末。有名なトリップフェスティバルが1966年の1月。そのあとケン・キージーは9月までメキシコに逃亡していて、1967年には服役しているから、ほとんどすべてのことは1965年までに終わってる。

つまるところ、サンフランシスコのサイケデリックシーンなんてものが有名になってたときには、すべてはもう終わってた。むりやり一般化しなくてもいいんだけど、シーンなんてものができたときにはすべてはもう終わってる。だから、未だ名前のついていないなにかをやるしかないんだと思うんだよ。

年表についてさらに言うと、1,2章はメキシコから帰ってきて拘置所に勾留中のキージーにトム・ウルフが面会するところから始まる。3章ではそこからいったん1962年までさかのぼり、そこからは時系列順に描写が進む。ラホンダでプランクスターズ結成、バストリップ、アシッドテスト、メキシコ逃亡帰国して拘留、ここまできて第1章の記述まで戻る。そして保釈、アシッドテスト卒業式となり、エピローグでキージーの服役とカサディの死去とが触れられる。きわめてオーソドックスな描写であって、訳者が書いているような、時系列を気にせずにコラージュのように書き連ねたようなものではない。

また、ハンター・トンプソンのゴンゾジャーナリズムみたいなことをしているわけでもない。つまり、トム・ウルフはプランクスターズの一員として混ざり込んで活動していたわけではない。アシッドテスト卒業式の直前の<ウェアハウス>にしばらく滞在はしていたようだが、バストリップとかアシッドテストとかそういうものはトム・ウルフが取材を始めたときにはすべて終わっていた。なにしろトム・ウルフははじめは「あの「カッコーの巣の上で」を出した作家が没落してメキシコに逃亡中」みたいなストーリーで取材を始めたのだから。

たぶんそこから、宗教活動の一種の始まりと終わりとを捉える(「インターサブジェクティビティー!」からマジックを失ったプランクスターズのライブまで)を描くという方向で、関係者にインタビューをして、様々な資料を合わせて完成させたもの、というのが本質らしい。その名残ゆえか、メキシコ逃亡時の記載に4章分も費やしているのだが、正直つまんない。一章分にまとめてほしい。

それはさておき、この本のgradesaverとか出ているので笑った。それってつまり、大学だか高校だかわからないけど、この本が読本となって意味とか解釈してるってことでしょ? 「バストリップしているときのキージーの気持ちを答えなさい」とかw まあある種の古典となってるのでしょうね。

トム・ウルフのインタビュー:「私が...書くだけの意義があると思ったのは、それが宗教だったからなんだ。キージーのグループは、原始的な宗教集団だった。... 初期のキリスト教が形成されていった時期に、レポーターになったような感じだったよ。」

amazon調べてみたら、訳書って絶版になってないのな。


東海岸ではティモシー・リアリーが瞑想を助けるものとして使った。白い服を着て、30年後のあれを思い起こさせる格好で。まあ元ハーバード大教授だしな。一方で西海岸ではケン・キージーがもっと雑に使った。つまりパーティー会場でジュース(Kool-aidな)に混ぜて振る舞ったw バカすぎる。


クールエイドの最終章、誰もいなくなったギグでキージーとバッブは掛け合いをしながら、いつしか"We blew it!"に収斂してゆく。イージーライダーでもこれががキーワードだ。どんな訳がよいだろう。「俺ら、台無しにしちゃったな」とか? ドリフっぽく「だめだコリャ」っての考えた。


2011年10月16日

テキストジェネレーターで遊んでみた

テキストジェネレーターというのを知ったので、さっそく自分のついったの文章を入れて自動生成させてみる。なんとなく意味がつながったものをピックアップしてみることにする。

CORDUROYSMOODってユーザー名を使って背伸びしすぎの科研費の話題がつながって、そしてそれなりの地位を築いた人はみんなハカセくんもしくは火曜サスペンス劇場的なものが内部モデルのような理念のもとで研究の議論するのだろう。

空を飛びたいなことができるかとビビるが、そりゃわかる。ありがとうございます。転載させてしまった。まあ、他人の人生気にする前に、自分のことを考えて買い物に行かせてもらえませんか? 日時とか情報教えてください。

短期間の制御と予測というイメージで、後者が現象には必要とする。ん?これはニューロン集団での確率的表現という概念自体が重要なのではなくて、量が質に転換しただけではないでしょうか。

ここまで書いてある貼り紙全部はがしてみた。はがない。なんにしろすごい。これの論点は、コンテキストがない。Ubuntuをスリープさせてしまった。友達を探す: 自分やお友達の結婚式の二次会の司会をしたこれみたいなんてまとめ方はどうでもいい。

そっかあ、明日はサンマにしようと思う一方で、退場せずにワナビくんでもよかったでござるの巻(<-ぶっちゃけすぎ) リア充よか相当高いレベルで別なのだという意味ならば納得がいきます。

これがいちばん好き。バランス的に言えば、維持されるかぎりは新たに生み出された。人生が二度あればまた、耳を7針縫ったり、油滴実験したことはちと長い。もっと考えてます。なんと「やすらぎ」だ。これから自己はないです。

…意外と平常運転って感じもある。「これから自己はないです」とか気に入った。「転載させてしまった」とか、させんなよw こんな勢いで自然とジェネレータと役割交代してみるなんて人生も面白いかもしれない。それではひきつづき、メタレベルとかぶっ壊していこう…

単回のイベントが発生すんの? やっぱり表象だ。表象以前に現象はある。だから酒(発泡酒)買って帰った。二層までは可能。

でも、そのぶんが内臓脂肪かなんか対策出るまでこのまま放置。スナップショットは取ってあるのだろうか。ぜんぜんかっこよくなかったのと同じように思う。ちとインテリ臭が強すぎてぱっとはわかりませんか? それとも生きていかなければならなさそうに思う。

しかし未公開設定。そういう意味で観察者ではない。ある意味相補的なのだという概念自体が重要なので聞いたのとつながっていったいどうなってやっと生活に余裕が出来る程度の複雑さが現象的側面が実装可能かどうかはpriorがあるかもしれないし、物事の捉え方が反転していたりするのや止(や)めた。

あんまShadlenの後追いみたいな話と意識の問題をSDT側からいろいろ発表を聞いてきたw 深夜のLAの街を自転車で通って、誰もいない動的な情報処理 のように考えることです。

…「ちとインテリ臭が強すぎてぱっとはわかりませんか?」とかなんだよw 嫌みかよw 俺からはどれが生成させた文章かは自明だけれども、それは自分で書いた文章だからという理由でしかない。これこそがinternal monitoring。俺はこうやって雲散霧消してゆく、それにある種の喜びを感じる。それはこんなに単純で簡単なことだったんだ。…

とりあえずプシュケの涙と小早川さんとのやりとりだけが重要。重みをデータから学習させることは言えない者として使われているのと同じようにその中でのいろんなもんだったので何が起こっていいじゃん、とか会話のネタになってしまうこと。

「信じられるのw じゃあ飲もうぜ!」みたいなそういう展開にはならないことができないかと。「唯識入門」って刺さるフレーズだ。これって日本的な概念なのだとしたらそれは「情報」の概念とかかわりますか?マニラの美しい夕日を見てる。それで、なんらか相互作用を同時に現象が出来る。ちなみにジェファソーンエアプレイン好きですか? そういうところの話。そうだ、そういうところの話。


2011年09月27日

好きなラノベ並べてみた

なんだかふと思い立って。

  • 砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない これすばらしい。死と虐待と虚言と田舎町の陰惨な話なんだけど、ラノベとして書かれる意義(大人でないってのはどういうことか)があって、すごく沁みる。コミック版もよい。
  • 田中ロミオはAURAが最高。中二病ネタで、スクールカーストとかけっこう痛いネタも盛り込みつつ、基本ラインはエンターテイメントで、ラストはドラマチックに盛り上がる。このラインでもっと読みたい、って思ってたら新作出た! 人類は衰退しましたは何冊か読んだけど、この作風、さっぱり分からねえ。
  • 紫色のクオリアはタイムリープしたりとかいろいろめまぐるしくて楽しめるが、最後に出てくるのはなんかすごくシンプルなことで、なんか四畳半神話大系的な読後感だった。
  • 旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。それから作者は別だけど、テルミー これらはそんなに出来はよくないのかもしれないけど、どちらもすごく好き。「喪失感」みたいなのが満ちあふれているのが好物なもんで。
  • 竹宮ゆゆこ作品は全部好き。基調はコメディーなんで、ラノベ的テンプレキャラかと思って読み進めてゆくと、あるところで相手はこちらの思い入れを投影する存在ではなくて、生きている人間なのだと思わせる場面が出てきて、はっとさせられる。リアルな人物像が書き割り的に動くのとは真逆のラノベ的リアリティーがある。とらドラ! わたしたちの田村くん ゴールデンタイム
  • 桜坂洋はゲーム的リアリズムの誕生で紹介されているのを見てAll You Need is Killから読み始めた。これはこれでループものとして楽しめたのだけれど、よくわかる現代魔法が好き。あんま本読みながら笑うことってないんだけれど、こよみの受け答えでけっこう吹いてしまう。なんか波長が合う感じ。
  • 神様のメモ帳は「ニート探偵」という出オチネタにこだわらずに読むと、いいエンターテイメント。ラノベ的な虚構の世界とはちょっと違った肌触り。とある飛空士への追憶もボーイミーツガールできれいに話が閉じたので、満足した。続編は読まないでそっとしておく。
  • 半分の月がのぼる空は難病ものなんだけど、湿っぽくならずに、しかしじんわりとリアルなところに入っていく。肝心なところはかなりさりげなく書いてあるので、読者を信用している感じがして、好き。
  • メジャーどころとして涼宮ハルヒシリーズは「消失」最高。俺の妹がこんなに可愛いわけがないもリアルタイムで最高。いろんなバランスの調整を感じて感心するが、いよいよそれが崩れそう。どうなるか。僕の妹は漢字が読めるは今年最大の驚愕作。タイトルでノックアウト、はじめの10ページでクソ笑った。次巻でちゃんとまとまることを期待。
  • 佐藤友哉をラノベと呼んでいいかどうか分からんけど、鏡家サーガはぜんぶ大好き。無駄にしかも大量に人が死んだり、出てくる人間みんなおかしかったり、やたらと陰惨だけど、なんかここにしかない真実みたいなものが垣間見えるように思う。水没ピアノがいちばん好き。

タイトル通り、好きなラノベを並べてみた。読み返したら、好き、としか書いてない。だがそれがよい。


2011年09月12日

[告知] 9/15にシンポジウムでトークします

今度の神経科学大会で9/15に応用脳科学ネットワークによって開催される「脳科学研究者と企業のマッチングシンポジウム」というのでトークをします。

企業の方に向けてのトークとなりますので、普段とはちょっと違った切り口になるのではないかと思います。ぜひご参加ください。

といいつつスライドは出来ていない。いまのところ、以前南山大学で行った、哲学者の方へのセミナーの内容を元にしてなんとかする予定。


2011年06月02日

机に堆積した荷物を片付ける時間

夜に見る花は色を失っていて、なんか現世っぽくないところがよい。ちなみになんの花なのかは知らない。

世界の秘密。河原で見つけた石を礫岩かと思って喜んだら、たんなるコンクリートに混じった石だった。知識は俺の目を曇らせ、直感がすっかり働かなくなっている。明るいところから室内に入ると、まぶたの裏に残光が残り、それは数分かけて広がり、そして消えてゆく。

小さい荷物とともに、牧場を一人歩き、糞を踏まないように気をつけたり、空気を胸いっぱい吸ったり、/ 点滴とバイタルモニタの部屋、室温は正しく保たれて、空調の音が低く聞こえていて、/ 激しい雨が古い家の木製の雨戸を叩き、壊れた蛍光灯を片付ける

さび付いた看板を爪でひっかき (こうして一心に話をそらそうとしているのだ)、電柱に括りつけられた看板の針金をほどき (ずっと目をそらし続けるわけにもいかないのに)、あらゆるものに形を変え、本質を失い続けて (答えはここにはないのだから)、繰り言を続ける

オセロなんだけど、表が緑で、裏が赤で、黄色い碁盤の上で遠くに打った手によって端から端までひっくり返されてゆく。夜景に写る様々なネオンサインやら不必要な灯りたち。置きっぱなしになっていたコーヒーカップがずっと真っ黒で、ずっと底が知れなくて、いろんな角度から見直しては存在を確認する。

いつか俺も、あれだというなら、そのときは浄化されてあれしたい。すべての罪を浄化してあれするか、逆にすべての罪を抱いてあれしたい。「贖罪」のとき、「断罪」のとき。

海辺のあずまやは砂に埋もれていて、誰かが捨てたとおぼしき菓子だかのビニール袋が吹きだまっていて、わたしはそれが餓死した草食動物の肋骨のように思えたのだが、ともあれ長居をするのはやめて、逆風の中また自転車を漕ぎはじめた。尻の痺れはもうとれていて、太陽は傾きだしていた。

その日が来ないことをずっと願っていた。だがすべては回帰し、再びわたしは修羅場に飛び込み、統一のとれた世界から「荒野のおおかみ」の世界へと不本意ながら進む。

150年、ってのが人生2回分なんだと考えると、そして白黒の写真が彩色し直されて、屋根の低い町並みや、護岸工事の跡や、クリアランスされたスラム街や、不自然なくらいにきれいに整備された公園や、宅地造成に囲まれた墓地や、廃業した書店や、トタン屋根や錆びた看板が、人々の苦悩を残したまま、すべては重なり合い、すべては片付けられ、すべては雨ざらしのまま、主人を失い、故郷を失う。すべてはコンクリートで固められ、すべては箒で掃き清められ、すべてはペンキで塗り直されて、神聖だったものは隠されている。そうだ、隠されたまま、証人も失われ、その由来を失い、埃をかぶって新生する。

「人間失格」で「焼酎特有のピリピリとした酔い」だったかそんな一節があったのを思い出す。そういうのはいやだ、もう二度とそんなものに遭遇したくない。ポロリとこぼれた本音なんか聞きたくないし、こぼしたくはない。俺は思い出す、まさに血の気が引いて、ぶっ倒れたのだ、どうやって起き上がったのかも憶えていないのだけれど、それだけ恐ろしい経験だったんだ。

夕暮れの空き地を利用した駐車場で、草むらをちびいぬが駆け回っていて、飼い主が「マカローン、そっち行っちゃダメ!」と言っているのを聞いた私は自転車を停めて、その声にモーションブラーをかけたり、リバースゲートをかけたりしながら頭の中で反芻してみる。

いつか、また、会う日まで。手を振り、夕焼けを背に、しょぼくれた格好で。空から俯瞰すれば、それは餌を探す蟻の群れのように、無目的と目的とが混ざり合って。地面に耳を当ててみれば、「すべて」が足し算されて、聞こえてくる。

さあさあ行こう、次の季節へ。 / 机に堆積した荷物を片付ける時間とともに。


(ついったに書いたことを元にして編集して作成した)


2011年05月25日

僕らの人生って空飛ぶブタくんサーカスみたいだね?

昨晩次男に読んでやった絵本が心に沁みた。

アザラシが司会の動物サーカスで観客もみんな動物。最後の最後でさるくんが怪我をしたため空中ブランコができないのでこれでサーカスを終わります、と司会が言ったら観客が大ブーイング。

司会が「それでは観客のどなたかにやっていただきましょう」シーン。それではそちらのぶたくんお願いします。「ブ・タ・くん!」「ブ・タ・くん!」大成功しました!みたいなのなんだけど、なんかぶたくんに感情移入した。

たぶん、ブタくんは仕込みだったんだと思うんだけど、そのあたりのフォローもなく終わったので絵本って怖い。

ともあれ、そうやってわけもわからずひっぱり出されて、命がけの飛躍をして、しかもそれにもかかわらずに予定調和的に収束して、なんてむりやり意味を見いだそうとなんてする必要はないんだけれど、「あー、ぼくらのじんせーいーってえー、ねー、そらとぶブタくんサーカスみたーいーだーね?」「みたーいーだーね」とか思った(<-それパクリ)


昨日の絵本で、「ブ・タ・くん!」ネタが我が家で大流行。トイレから出てくるなり次男が「ブ・タ・くん!」、寝っ転がってる子どもたちをどかすために俺が「ブ・タ・くん!」、そのむかし水泳部の頃、ネタに走っていたのとやっていることはまったく変わっていない。

@a_kbysh タイトル失念してたんで補足していただけてどうもありがとうございます。ブタくん仕込み説に関してはこのページで謎が判明しました。 えほんおじさんのぶろぐ:どうぶつサーカス はじまるよ 裏表紙見逃してた。

よろこびいさんで次男に「ブタくんってサーカスの仲間だったんだけど知ってた?」って聞いたら、「いっしょにバスに乗ってたってことでしょ」と言われて、知らないのは俺だけだったということが判明。


次男の空手教室の帰りを車で迎えに行ったら生暖かい夜で、オケラがジージー鳴いていて、窓を開けてどちらから聞こえるかきょろきょろしていた。あとで次男に「何をしていたの?」と聞かれたから「オケラを探していたんだよ」と答えたら「探してどうするの?」と聞かれて、問いの深遠さに笑いこけた。


今日はフットベースのコーチ今年の第一回目。朝6時起きで6時半から8時半まで。お子さんたちに心を開いてもらうのが最初の仕事なんだけど、ぜんぜんこっちの言うこと聞かねえ。とくにうちの娘(<-だめじゃん)

Google Calenderで「6:30 フットベース」って入力したら勝手に6:30pmに設定されたので、温厚な俺様でも「屋上へ行こうぜ…久しぶりに…キレちまったぜ」とか思った。


(ついったに書いたことを元にして編集して作成した)


2011年04月21日

ブログどうやって活用するかいつも通りちょっと考えた

ブログの方はちびちび更新してはいるものの、骨格とかはぜんぜん以前のまんまなのでなんとか更新したいなあと思ってた。でもいまさらmovable type 5にアップデートするのも先がないよなあとも思うし(おわコンとか知ったかぶりして言ってみたり)、wordpressにも惹かれない(テンプレ中にphpコードがばらまかれてるとかなんかヤダ)。そもそもブログという形式がよいのかなとも思う。

自分のブログをさかのぼって読んでいても、自分的には内的な流れをいろいろ思い出して面白いんだけど、これだけ巨大になるとこれを一つ一つ読もうという人もいないだろう。(かつてはアクセスログを見ると、なんか記事を見つけてそこからどんどんさかのぼって読んでくれた様子が見えたものだ。)

カテゴリー分けしてアーカイブしたりはするけれども、それが活用されているかんじもしない。かえってgoogleとかで無駄に検索に引っかかって申し訳ない気もする。

以前はwikiとかにした方がよいかとか考えていたけど、なんかピンと来ない。なんかCMS使うのかなあ。最近ちょっとJoomla!をいじってた。インストールが激カンタンで驚嘆した。こいつからCMS臭さを消去して(「ログインしてください」とか削って)、flowとしてのブログとそれを再構成してまとめたstockとしてのサイトとを作るとかかなあ。twitterとfacebookとに分散したものをまとめたいというのもある。ただいっぽうで、そもそもこういった「俺ポータルサイト」みたいなのってweb2.0じゃないよなあとも思う。

とにかく断片としてソーシャルに使えるようにしておいて、でもそれらの断片がpooneil.sakura.ne.jpにつながるようになってればいいのかなあ。でも"like"ボタンや"tweet"ボタンくっつけたりするだけじゃあしょうがない。どうやらそういう人たちと客層が違うようだし。

わたしのところのお客さんというのはつまり、googleでなんか調べ物してて("Goodale and Milner"とか"遠心性コピー"とか)それで何度かわたしのサイトが引っかかって、これ前にも見たなあって思った結果としてidentifyされるってあたりだろうと思う。

だんだんそういう意味では役に立たなくなっている。ちょっとややこしく書きすぎてる。これは複数の人に指摘された。だからといって、なんか対策しなきゃとおもっているわけでもない。これでアフィリエイト入れて稼ごうとかそういうつもりがあるわけじゃなし。

わたしがどういうことを面白いと思ってるかとかが分かってもらえたら、どういう関係であれそれはメリットなんじゃないかとか思ったりはするけど。その意味では単著を書くよりはアクセシブルだ。(<-「単著もないのに」症候群)

だから…なんなんだろ。まあどうでもよい気がしてきた。どうあれ俺は書き続けるのだろうし、書けば書くほどに書きたいことは増えるし、でもそれがどうにも突き抜けてないというもどかしさは増える一方だ。そういう自分とつきあい続けてゆくのだろう。それ以外に動機なんてはじめっからなかったんだ。

といいつつふと思い立って、ひさびさにpagerank調べてみたら4から3に落ちてたので軽くショックを受けつつ(こんなもん、長く続けてれば上がることはあれど下がることはないと思ってたYO!)、だからどうしたというわけでもない。(<-あんがい気にしてらっしゃる様子)


ひさびさに更新頻度を高めてみた。ついったに書いたことの再編集なのだけれども、こっちはこっちで見てくれる人がいるらしく、アクセスは増えてる。あと、facebook経由でコメントもらえるようになってきたので、facebookのコメントプラグイン使ってみようかと考えてる。


2011年03月14日

Tohoku Area Vision/Neuroscience Researcher Safety Information

Prof. Ohzawa at Osaka university constructed a site for Tohoku Area Vision/Neuroscience Researcher Safety Information.


2011年02月06日

岡崎って日本のどこにあるんすか?

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駐車場の片隅にある謎の門

生理学研究所、通称せいりけんは名鉄東岡崎駅前の丘の上にあって、地名としては明大寺町西郷中となる。研究所が出来たのは1977年、敷地としてはここはもともと愛知教育大学があったところで、敷地の駐車場の脇にはいまでも昔の門とおぼしきコンクリートの残骸がある。

Wikipediaによれば、愛知教育大学はかつては愛知学芸大学の岡崎本部と名古屋分校とに分かれていて、それぞれ元は愛知第二師範学校と愛知第一師範学校だったのだが、両者を合併する際に間を取って(取るなよw)、刈谷に移転することになったのだ。

生理研から西向きに坂を下ると愛知教育大学附属岡崎中があって、ここはかつて岡崎高等師範学校といってまたべつの学校の敷地だったのだが、後述する岡崎空襲で焼けてしまい、またすぐに豊川に移転してしまった。

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「存在の裂け目」2008

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2011

愛知教育大学附属岡崎中に隣接して市立竜海中があって、さらに狭い坂を上りきった敷地は私が岡崎に来た頃からずっと、住宅街の中ここだけ草ぼうぼうの空き地であって、私はそこから夕日を見下ろし、「存在の裂け目」というラカンぽいあだ名を付けて悦に入っていたのだが、ついに最近工事が始まり「存在の裂け目」はあっという間に消え去ってしまった。

そこからまた研究所に戻る道を歩くと今度は岡崎高校の前を通ることになる。そんなわけで、このへんは文教地帯なのだった。もうすこし進むと右手に岡崎コンファレンスセンターがあって、ここで生理研研究会を開催してきた。そこからさらに右に折れると市立三島小学校が見える。

岡崎図書館の資料を見るかぎり、三島小学校はもともと明大寺西郷中、つまりいまの生理研の敷地にあったのだが、戦災で移転して空いたところに愛知学芸大学の岡崎本部が入ったということらしい。

現在の三島小学校を通りすぎると統合バイオサイエンスセンターに到着する。10年ほど前くらいまでは統合バイオの敷地は愛教大のグラウンドという名義で空き地になっていて、そこでわたしはまだ小さかった長男と凧揚げしたものだ。わたしが結婚してすぐに入居したアパートはこのグラウンドに面していて、子どもたちがこのグラウンドで遊んでいるのを部屋から見下ろして確認することができた。ってことで岡崎文教地帯の歴史散歩を終了します。そして寝る。


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…寝ない。そして回想が始まる。生理研に来たばかりにはヘビが道ばたにいるのを見たこともあるし、夜ともなると守衛所のところにタヌキが現れたりしたものだ。どちらもここしばらく見ていないな。守衛所の前ではたまに天気のいい日など、仮眠用だろうか、布団を干していることなどあって微笑ましく通り過ぎたりする。

ただいっさいが通り過ぎ、同じ頃赴任した人がすっかり白髪まじりになったり、我が家でも長男は来年はいよいよ竜海中に入学で、もう岡崎に15年も居るということに気づいて愕然としたりする。

回想は続く。東京から離れてはじめて一人暮らしをするために、近くに墓地とダイエーのある宮下ハイツに入居して、まだ自転車もなくて、ジャスコで買い物してたくさんの荷物を抱えて、流しのタクシーを捕まえようとしたがぜんぜん捕まらず、えらく心細い気持ちになった。東京と違ってタクシーを捕まえるためにはタクシー会社に電話をかけて呼ぶ必要があることをわかっていなかったのだ。

結婚するまで結局車は買わず、つまり、車というものは人間が制御できる能力を超えたものであり、家族のため以外は乗るべきではないというのが当時のわたしの持論だったのだが、そんなわけでいつもママチャリのカゴを満タンにしてふらふらと漕いでいた。

まだおおらかな時代で研究所は館内禁煙とはなっていなくて、ニコチンが切れた俺は実験室から出ると廊下でたばこを吸っていたのだった。非常階段に出て、鳩の糞が降り積もっている場所を避けて階段に座って喫煙していると、上の階から森先生が現れて(というか捕まって)、一緒に連れタバコしながらお話をしたりとか、実験室の前の廊下にはソファーがあってそこで仮眠していて、通りがかった松山先生を驚かせたりとか、なんだかそんなことを思い出しては書き連ねる。

Wikipediaを漁る。東南海地震 1944年12月7日にひきつづき、三河地震 1945年1月13日、こちらは直下型で西尾市あたりを中心にしてたくさんの方が亡くなっているのだけれど、戦時中だから記録が充分残されていない。いまでも三ヶ根駅から形原温泉のアジサイ寺に行く道の途中で断層の場所の標識があって見に行くことが可能だ。

さらにそのあと1945年7月19日未明から20日が岡崎空襲。これによって先述の岡崎高等師範学校は開校前に焼失した。このあとの復興からこのあいだの伊賀川の水害の話まではつながっている。詳細は言うまい。

ともあれあの水害のあとの数年ですっかり移転がすんで、堤防は整備され、ウソみたいにきれいになった伊賀川は親水公園となって、岡崎総合図書館(例の事件の「りぶら」)から見下ろすことができる。親水公園の川はもう水がちょろちょろとしか流れていなくて、飛び石で川を渡れるようになっている。俺はそこを自転車を担いで渡り、凍えながら「あなたの人生の物語」を読み、日が暮れるまでそこにいた。このへんで終了とします。

ということをtwitterに書き連ねたんだけど、そのときはtwitterという今を記録するメディアでなぜか唐突に走馬燈のように昔のことを回想し出すという着想が気に入ってた。そこでなぜか醸し出される哀れなかんじというのを定着させたくてブログにまとめ直してみたのだけれど、調べ物していろいろ書き足していたらなんだかそんなニュアンスが薄れてしまった。なんだか退職した人が半生記書いたみたいだ。そういうつもりじゃあなかったんだけど。いまはまだ、人生を語らず、ですよ(<-なにをいまさら)


2011年01月10日

OpenFrameworksいじってみた

Beyond Interaction ―メディアアートのためのopenFrameworksプログラミング入門 のコード打ち込んでOpenFrameworks動かしてみた。アドオンでBox2d(物理エンジン)とOpenCV(のうち輪郭検出の機能)を組み合わせることで、webカメラから取り込んだ画面上に玉を飛ばしてインタラクションすることができる。

著者の田所氏によるデモ (on Vimeo)。これをわたしも自分の環境でも動かしてみたというわけです。玉の半径を大きめに設定してやると、風船で遊んでいるみたいなことができる。家でやってたらさっそく子どもたちに奪われた。せっかくなので画面をキャプチャーした映像を作ってみた(手の出演:次男)。YouTube貼り付けのテストを兼ねてます。

fpsは12とかしか出てないけど、初めのうちは60くらい行ってた(DebugではなくてReleaseでビルドしてappを作ってある)。これは画面キャプチャーしているうちにどんどん遅くなってきたため。

この本は「メディアアートのための」と銘打っているけれども、私のようにC++の入り口のところでずっとウロウロしてきた人間にとってはちょうどよい難易度のC++入門なのだった。たとえば、多数の円を描画させるということになると、ちゃんと円のクラスを作って、そのインスタンスを作って、あとはbox2d.updateで勝手に落下させたりバウンドさせたりすることができるようになる。クラスを作ったり、vectorでそれを保存しておいたりすることの便利さがわたしにもよく分かった。

「クラスにするとコードの保守性が良くなる」とか言われてもさっぱりありがたみがわからなかったんだけど、「クラスの定義を読んでヘッダだけ取り込んでおけば人の書いたコードを中身に立ち入らずに使えるようになる」と言われると納得する。わたしの場合。

コードはopenframeworks.jpからダウンロードすることができる。解凍してできる"3-4_H"のフォルダの中にある。

ここでやってることはほぼ本の丸写しなのでとくに言うことはないのだけど、Xcode上でコンパイルしてみて引っかかった点としては、UTF-8で書かれたコードをXcodeで開くと文字化けする(<-Xcodeの設定分かってないオレ)。あとBox2dのアドオンがコンパイルエラーを起こす。問題究明のためにincludeすらしない状態でビルドして確認してみた。(<-デバッガ使いこなせてないw <-というかincludeされてないのにどうしてコンパイルされるのか分かってない <- Xcode使いこなせてない)

そうしたら、どうやらofxBox2dBaseShape.hで定義されているaddImpulseForce(ofPoint pt, ofPoint amt=1.0)というのに文句が付いているらしい。"default argument for parameter of type 'ofPoint' has type 'double'"ってエラーが出る。この関数はどこでも呼ばれてないのでamt=1.0をamtとだけしたらコンパイル通った。

ofPointは座標[x,y,z]を格納するためのものなのに1.0が代入されたから文句が出たのかと思ったんだけど、g++だとコンストラクタがオーバーロードされてamt.xに1.0が代入されるからエラーは起こらないとのこと。(Thanks to kohskeさん) というわけでXcodeの動作によるのか、私がなんかアホな設定してるからなのかはよく分からないけど、とりあえず問題解決したのでこれで良しとする。

ところでそもそもなんでこのへんを調べはじめたのかというと、C++で書かれたオープンソースのアイトラッカーのコードを探していて、ALSになったグラフィティライターのためにopenFrameworksで開発されたEyeWriterというのを見つけたのがきっかけだった。

いぜんそっちについても試行錯誤したことがあるのだけれど、未解決なのはカメラからの入力に関して。iSightからの映像をキャプチャするのはデフォのままでできる。Point GreyのFirefly MWを買っておいたのでそいつからの映像を取りたいのだけれど、Point GreyのSDKはMacに対応していない。libdc1394とか汎用のドライバだと不完全な映像(カラーがモノになったり)しか取れない。

今回はとりあえず本の丸写しで動作させてみただけだけど、かなりこれで心理的障壁が下がったので、次にいじるときにはEyeWriterのコードを読んでみることにしよう。アイトラッカーの部分はtrackingManager.hから読み始めればよいってことがわかった。以前コード読んだときはさっぱり手掛かりさえつかめなかったのだからまあ進歩したと言える。

本当にいちばんやりたいのは、saliency mapの計算をアドオン化して利用すること。いまのiNVTはそういう発想はなくて、ぜんぶ自前で用意する(入力系から出力系まで)。このため、コンパイルするためにはぜんぜんどうでもいいライブラリまでインストールする必要があって、現状ではLinuxでないと事実上コンパイルできなくなっている。

かといって自前でsaliency mapをインプリメントするのもいい方法とは思えない。(比較対象としてインプリするのではなくて、実際に活用するつもりならば。) 自己流の解釈ではなくて、いま動いているコードを使った方がよい。というのも、なんか細かいパラメータ部分でチューンされているということが経験上わかったので。

だから、いま動いているコードからどのクラスを使えばいいのか見つけて、そいつをヘッダでincludeして、必要な部分のコードだけaddonで参照できるようにしておけばよい。問題はiNVT部分が巨大すぎてどこが必要なコードなのか分からんこと。なんかツールを使えばよいのだろうけど。(emacsでetags使うのが推奨されているけどよく分からん。IDE使わせてほしい。) ともあれ、もうちょっとやりたいことが絞れてきたらLaurentに聞いてみることにしよう。

たぶん本当はopenCVから呼んでやるというのが正しいのだろうと思う。OpenCVはどんどんバージョンが上がってコンパイルのしかたとかもゴンゴン変わるので追いつけてない。いまはとりあえずofxOpenCVいじってもうすこし慣れてゆくことにする。

そんなこんなでこっちの方向はじりじりと進めているところなんだけど、たぶんどっかで風穴が空いて、もっと生産的にいけるはず。


2010年12月11日

ぼくを取り囲む、心配事のスレッド

「世界はデタラメである」とは最適化されていないものを見たときに感じることだけど、キツキツにチューンされていないものを見ることは救いであったりもする。だが、その最適化されていないというのが、進化と来歴の元でlocalには最適化されているが、globalには最適化されていない、ということを指しているのなら、当たり前すぎてつまらない。

なんかそういうのではなくて、考慮すべきパラメータが多いうえに統計的に取り扱うこともできない、みたいな制御不可能なもののイメージを探してみよう。King Crimsonのredのジャケットの、メータが赤に振りきれているあれ? いやあれはポジティブフィードバックのイメージだ。じゃあさ、仕分け現場とか?

整然としているものを見たら、取り澄ましてないでもっとぐちゃぐちゃに行けよと思う。いっぽうで、雑然としていて手をこまねいているのを見たら、もっと頭使ってクリアーに行こうぜって思う。恐れず混沌に浸って、しかもそこから毎日帰ってくるんだ。

進化と来歴の元で形成された局所最適化をぶっ壊すためには、べつの進化と来歴を持ってきて繋げることが必須だ。だからこそ繋げることに意味があるのだし、正論と原理的物言いで全体的最適化を目指しても状況を動かすのには足りない。

いや、正確でないな。「正論と原理的物言いで全体的最適化を目指す」ってのもひとつの個人的局所的方策なんだよな。そうなるとこれはコンテキストのpoliticsとして捉えることができる。それは戦って勝ち取るものかもしれないし、話し合ってお互いのコンテキストを共有することかもしれない。コンテキストの共有、これが理念の共有が指しているものなんだろう。

なんてことはどうでもいいのであって、今日もぼくは局所的な事業に従事したいと思う。「だけども、問題は、今日の雨、傘がない」ってのは当時、そこをひっくりかえすような挑戦的な物言いだったんだ。

ぼくを取り囲む、心配事のスレッド。切れ目のない、ガントチャート。片付かないメールの束、チェックマークの付かないToDoリスト。ベランダに毛布を干す。サッシを拭いて、レールのゴミを取り除く。窓ガラスに付いた水拭きの跡をから拭きして透明なガラスにする。


2010年10月14日

「クォンタム・ファミリーズ」読んだ!

ネタバレになるかどうか知らんけどそういうのが嫌な人はスルーで。

面白かったですよ。人間原理とか量子脳情報理論とかそういうキーワード見るとそれだけでもう期待が胸にあふれてきちゃうんで、買ってきて、だが即積んでましたけど、やっと読み終わりました。

「万物理論」とか「あなたの人生の物語」と「紫色のクオリア」(さらに元ネタは「虎よ!虎よ!虎よ!」なの?)と「クラナド」とか今まで読んでたものをいろいろ思い起こした。あとやっぱ「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」読みたいなって思った。「One」の元ネタでもあるしね。

なんてことはどうでもよいのであって、言いたいことは、最後の方であれを思い出したんです。どこで読んだんだっけか、「もし911を事前に察知してそれを阻止した人がいたとする。その世界ではそもそも911が起こらなかったのだから、その人は決してヒーローとして祭り上げられることもなく、市井の人として一生を終える。」この話自体がどういう文脈だったかはおぼえがないのだけれど。

私にとって世界というものは、そういう人たちによって崩壊から支えられていて、私自身もいろんな場面でそれに少しずつ寄与していて、自由意志とはなんぞやとか運命に翻弄されるちっぽけな私とかそういうものを越えて、選択肢の中から結果としてこれしかあり得ないような道を通ってきたと思わせるものがある。人間原理みたいに。

なるほど、いま書いててわかったけど、人間原理ってそういうカタルシスがあるんだな。

そういうわけで、読んでよかったってことです。


2010年10月08日

次男に自転車の乗り方を教える

以前のエントリで娘に自転車の乗り方を教える というのがありました。あれから3年たって、今度は次男が補助輪を取って自転車に乗れるように練習をする番となりました。


ポイントは、自転車に乗ってバランスを保ってまっすぐ進むところと、ペダルを漕ぐところとを分離することにあったわけです。だから、まずはペダルを漕がずに自転車にまたがってまっすぐ進めるようにするトレーニングをする。じつはこれさえできてしまえばそこからペダルを漕ぐようにするには難しくない。

「伊東家の食卓」に出てた例ではペダルを自転車から外してしまって、それにまたがって両足を同時にで蹴って進むことを憶える。これは理にかなっていて、ペダルを外さないと、自転車にまたがって進むときにスネにペダルがぶつかって痛い。痛いと庇うから変な癖がついてしまう。

ただ、ペダルを外すための工具が必要なので、思い立ったときにすぐできないと具合が悪い。でもって思い立ったときにすぐ練習することが大事。というわけで、長男と長女の時は、ペダルを付けたままでとりあえず蹴って進む練習をした。右足をペダルに乗せて、左足で何回か地面を蹴って直進する練習をする。(あらかじめシートの高さとかをよく調整しておくことが大事。) 長女の時は脚力があまりないので、左足を蹴るタイミングで右足のペダルも漕ぐようにして推進力を作った。

でも、次男は力が結構あるので、右足はペダルに乗せるだけにしておいて、左足で蹴るのを繰り返してその推進力でまっすぐ進めるようにする。1,2,3と左足で地面を蹴って左足をペダルに乗せてみよう、と教える。そうしたら、左足をペダルに乗せるだけでいいのに、いきなり自転車が漕げるようになってしまった。つまり、次男に必要だったのは充分な助走だけであって、左右のバランスを取る部分はたいした問題ではないということがわかったのだ。

だから、しっかり助走を付けるために、一回、二回、三回と左足で地面を蹴って、充分スピードが乗ったところで自転車をこぎ始めるように教えた。これでその日の家に近所の公園の周回コースを足を付けずに一周できるようになった。するともう止まらない。けっきょく公園を10周して、付き合ってるこっちはヘトヘトになって、でもだいたいマスターしたといってよいところまできた。これが数ヶ月前の話。


でもって最近になってひさびさに次男の自転車の練習に付き合う。1,2,3と左足で地面を蹴って助走を付けてスタートすることを律儀に守っている。じゃあこんどは1,2でスタートしてみよう、と言ったらすぐできた。次男みずから「じゃあこんどは1でスタートしてみる」と言い出したので感心した。

最後に助走なしでスタートできるように、スタート時にはペダルを高い位置にしておくことを教える。実際これは以前にも教えていたのだけれどそのときはまだ身についていなかった。いまはほかのことが習得できているので、よく理解した上でペダルの位置をコントロールしている。教える順番の大切さがわかる。

さらにブレーキのかけ方について教える。もちろん以前にも教えているが、スピードが出せるようになったので、狙った位置でぴたり停めるにはどうすればいいかを教える。自転車の機構に興味を持ちだした。右のブレーキが前輪を挟んで停めること、左のブレーキが後輪を包むように停めることを見せてやる。

チェーンに油を差すと漕ぐときに抵抗が減って音が小さくなることを知ると、油を差してくれとせがむようになる。雨降ったあととかだけでよいことを教えておいた。


三人目ともなるとそれなりに教える側のノウハウが蓄積しているかんじがする。三人とも性格とかいろいろ違うのでそれにどう合わせて教えてゆくかということも。世の中のほとんどのことはこういった単純なノウハウから構成されていて、うまくいかないときはいかなくべくしていかない。(へんな日本語w でも言葉操るのも同じ話だよな。)

一方で、お祭りに行く前にママが揚げたテンプラにラップをかけて家を出ようとしたら、そんなことしたらじっとりしてしまうからダメ、と言われた。そっちのほうのノウハウはぜんぜんないんですー

ってそういうオチ。


2010年09月22日

おちゅーしゃのじかんデスよ!!!

薬学の学生実習のとき、分析化学の回でHPLCを使った実験があった。何分おきかで分析したい薬物をシリンジで注入すると、ペンレコーダーでいくつかに分かれたピークが描画される。
でもって、注入の時間が来ると私は「おちゅーしゃのじかんデスよ!!!」と野太い裏声で、オッサンがコントでナースの扮装をしてるようなシチュエーションを想定しつつ、注入をしていた。
私がなにをやっているのかみんなに伝わっていたのかはよくわからないけれども、あー、また吉田がなんかヘンなことやってるとか思われつつ、なんかそういうキャラとして受容されていたのだった。
でもそのとき違ったのは、同じ実習グループの、おとなしめな女の子が恥ずかしそうに小さな声で「おちゅーしゃっ」と真似して注入してくれたんだ。なんかスゲーガッツポーズを取った。惚れなかったけど。
俺の人生にピークなどなかったが、強いて言うならばあそこがピークだったんじゃないかと思う。(<-大ウソ)
こう書いたことのなにもかもがウソであったように思える。あんなに無邪気に、自分のネタが理解されてウケると信じることができたということがいまでは信じられない。
べつにそういう細い設定が理解されていたわけではなかったのだけれど、俺のそういうキャラ立ちが受容されていた、それで充分だったのだし、幸せだったんだろうと思う。
ところでみんなも、役職に押し込められたりしながら、なんか非人間的な応対をしたりされたりして、そういうものを失っていったりして、あるとき自分が他人の人生の脇役になっていることに気づいたりするんだろうか?
俺自身はいまでも「おちゅーしゃのじかんデスよ」とかやってみたいんだけどね。


2010年05月30日

ある闘いの記録

数週間前の日記:
ああ寝なくては。だがまだ書く。今日はGlendale まで自転車で一時間かけて行ってきた。BOSEショップでquietcomfort15を買うのが目的。ロックンローラーでローファイ系の私としてはオーディオに凝ったりとかって人生的にないのだけれど、これは買いたかった。
こっちで買うと1万円分安いんで、こりゃチャンス、ナイスお買い物とか思って意気込んで店に入ったんだけど、iPhone用に使うって話をしたら、店員にiPhone用のアクセサリも売りつけられた。断ろうと思ってI won't buy it.って言ったら、You want to buy it?とか言われて買わされた。じぶんの英語のへたくそさに苦笑いしつつも、そのときはまあいいかって思った。
あとででもこのアクセサリぜったい使わないなって思った。iPhoneで音楽の途中でも通話できるようにするやつなんだけど、わたしは電話なんてほとんど使わない。なんかこういうバカでナイーブな買い物客になっちゃったことが悲しくなってきた。ちなみに私は基本的に断れない。無理めなこと頼んだりできない。やらなきゃいけないときはものすごく憔悴する。それで一日分の労力を使う。
たとえば小学校の高学年くらいのとき、学習塾の月謝を払う日に、たまたま家に現金が無くて、塾の人に交渉して次回持ってくるからと宣言するようにと親から言われた。そんなことぜったいできない、って泣いた。(よく泣く子どもだったのだ。)
とにかくそんなわけで、せっかくの買い物ウキウキ気分が台無しに。せいぜい40ドルくらいだしまあいいやとか、それでも日本で買うよりは安いんだからとか、自分を納得させる理由を探しながらモールの中をさまよった。釈然としない気持ちのままにフードコートで脂っこいメシを食っているときにふと思いついた。「いまからアクセサリだけ返品すればいいんじゃん?」(この時点までそういう発想にすら至ってないという点に注目)
それで、たいへんな決心をして、すごく緊張しながら、店に行って返品してもらった。店員に「いや、便利だよ?」って言われたから、「いやこれこれこういう理由で使わないんで」ってわざわざあらかじめ文章練っておいてしゃべった。もちろん問題なく返金してもらった。
そんなこんなでなんとか台無しな気分を取り返すことに成功したというわけ。それからまた自転車で一時間かけて夜の道を帰ってきて、クタクタになって、横になって、これを書いている。まったくもって、毎日は戦争だ。こんどこそ寝る。

コメントする (2)
# おつかれさまです。

I don't like it.で返品するのが簡単でいいと思います。鍋使ってから返す人もいるらしいですから。

# pooneil

ですよねー、それだけでいいんだと思います。
あいつらサービス悪いくせに売りつけるときだけはしつこいんで、もうなるたけネットで済ませたいと思ってます。


2010年05月13日

「好きな音楽」はコミュニケーションツール。

「好きな音楽」はコミュニケーションツール。だから、相手がアメリカ人のときは「ニールヤングとかのクラシックロック」って言うし、年長者に対しては「井上陽水とか70年代フォーク」って言うし、ロック好きのヒトには「カンタベリー系」って言うし、ブログでは「シューゲイザー系」って書くし、別アカでギャルゲソングについて語ったりする。
でも本当に好きなのは、というとそういうものはないんであって、結果としてこれを聞いたという統計的事実だけが残る。そこからこの人はこういうのが好きなんだなという形でだけ捉えられるのだ。だから、iTunesの「聴いた回数」みたいな記録が私がこれまで聴いたものすべてについて残っていたら面白かったろうなって思う。
さてさて、これって「自分」って者のあり方一般にあてはまる。「キャラ」「個性」これらはコミュニケーションツールであって、他者にとりあえず使ってもらえるように、自由度を下げてある。「多様で複雑な自分」というものは親しくなってから、お互いにそれをやりとりすればよいのだ。
このとき生まれるのがI-You relationship。生きている人間として他者に対峙して、魂をやりとりするんだ。
では、その他大勢としてでなく、人間として出会うということにはいったい何が不可欠なのか。いや、脳科学の話だけではなくて、実生活での話なのだけれど。たとえば、ぼくのことを心配してくれている人を邪険にするとき。
さっきわたしは、複雑さが質を変えるような書き方をした。「量が質を変えることもある。」自由度を上げることじたいにはたしかに意味はある。複雑なものを単純化せずに扱うってのは人間関係で言うならば、たとえば「君ってこういう人だよね」みたいな決めつけをせずに付き合うってことだ。ここには量から質への転換がある。
I-Youは指し示すことが難しい。I-Itのcounterとしてしか存在しないのかもしれない。
ところでI-Itの代わりにUs-Themを持ってくれば、党派性の構造のできあがりだ。もちろん、社会科学はI-Itの科学なのであって、人文科学の中にしかI-Youは存在しえない。
「聴いてる音楽」の話にまでぐっと引き戻してみれば、たとえば、じゃあそういう音楽聴いている俺が音楽を作ったらどういうもの作るか、っていう切り口で考えてみる。
そこはごまかしのきかない世界だ。そしてはじめのうちはなんか真似っこしたものばかりが出てくる。この時点での俺は「ニセモン」でしかない。「自分」なんて存在しない。そこから他者に届くように魂を込める。論文だって、曲だって、小説だって、ありとあらゆる創作物で。
このブログだって、言葉が少数の誰かに伝わるようにと魂を込めて書いている。わかりやすいストーリーにして自由度を下げないように、錯綜したものを錯綜したままに書いている。この言葉が伝わったとき、私はあなたに向けて書いている。Web的なザッピングによる情報収集から私とのコミュニケーションに移行している。
なんかありきたりのところに着地した気がする。「ありきたりのところ」はわたしにとってまだ、逃れたい故郷のような、親密性を失った観念的な存在(I-It)でしかないのだろう。たぶんね。


2010年05月04日

川のある土地へ行きたいと思っていたのさ

いろいろ煮詰まってきたので久しぶりにジョギングした。
そしたらなんだかくしゃみが止まらない。逆効果。
しかたないので帰る。自転車で30分くらいかかる。
ビルの合間から月が出てきてぎょっとする。
そういえば月を見ていなかった。そのくらい余裕がなかった。
深呼吸をして周りを見渡す。ずっと緊張していたことを思い出す。
緊張と弛緩を繰り返しながら、ベストなパフォーマンスを目指す。
高校時代にクロールがいちばん速かったやつは、
水を掻いてない時の腕がよく脱力できていた。
私はいつも力が入っていて、なんつーか動きが堅かった。
そういう自分となんとか折り合い付けてやってきた。

ぼくはやり遂げられるだろうか。なんだか水平線を遠くに感じる。
自転車をこいで、この町を精査する。
やかましい音楽が流れる。ヘリコプターが飛んでいる。
バスがものすごいスピードで走っている。ガラスの破片が散らばっている。
誰もが違う言葉をしゃべる。ぼくは腹が減り、水を飲む。
小銭で財布をふくらます。段差を気をつけて飛び越す。
突風で帽子が飛ばされる。ぼくはそれを拾うことができない。
信号があっという間に変わる。坂道を上ると行き止まりになっている。
自転車をくくりつける。写真を頼りに食事を注文をする。
誰かの携帯電話が鳴る。おとなが道ばたでトランプをしている。
この目で見たものをモザイク状に切り刻んで並べる。
スーパーのカート。車いす。満員の路面電車。
コインランドリーの蒸気の匂い。路上で設営中の観覧車。
思いを向けるべき面影はどこにもなくて、ただ逃避を繰り返す。
ぼくは暖房をつけっぱなしにした暗い部屋でこれを書き留め、
明日こそは気持ちよく目覚めることができるようにと祈る。


2010年04月29日

Conference management system: update 2010

Last year I made a survey about free conference management system. At that time, I thought that OCS was the best choice.

I set up OCS for NIPS-SSC last year and tested it for a while. But I decided that I did not use it because nobody other than myself cannot handle it. Another, but related, reason is that it is too complicated - it is aimed for multiple conferences. My system should be simpler.

Now I searched the web again and found that most of the systems are now web-service based. It is reasonable. You do not have to take care of it.

But I still like a system that can be maintained on my web server - I can modify it just like my blog.

Aside from OCS, a new version of OpenConf (ver.3.5) can be one of the candidates. I found that OpenConf became more 'open' -- Previously, you have to send email to the author to get the code. But now it is downloadable from the web. You can find here some complains about the older version of OpenConf. Seems like it was an old-fashioned system. But maybe better than before. And it is simpler than OCS. I will test it.

Below is the summary of my survey this time. Largely overlapped with my previous entry.

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OpenConf
* Developed using the PHP scripting language and MySQL database,
* available for installation on your server
* or as a managed hosting service from a state-of-the-art data center.
------------------------------
ConfMaster
* provided as a service
* ask for conditions by email
* Used in ASSC13 and ASSC14
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Continue 2.0
* a free Web application
* a new, AJAX-based architecture
* completely free of cost, including hosting and support
------------------------------
EasyChair
* a free conference management system
* All installations are hosted at the server www.easychair.org
------------------------------
ConfTool
* a Web-based event management system
* For smaller, non-commercial events we offer a free license on request.
------------------------------
Conference Online-Management System (COMS)
* No installation, you only need Internet access and a web browser
* Event with up to 100 participants	200 EUR
* Event with up to 400 participants	340 EUR
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Confious
* as a web service
* NonFree?
------------------------------

2010年03月12日

あるカレー屋の思い出

岡崎に住むようになって10年以上経つんですけど、ものすごく好きなわけではないのだけれど、たまに行きたくなるインド料理屋があります。東岡崎の駅前にあって、正直言って流行ってない。グルメ特集で取り上げられたりすることもない。ただ、特色は、経営者の方針でしょうか、お店をやってる人(インド/パキスタン系)が定期的にどんどん入れ替わってくんです。
初めて行った頃はまだわたしが独身のときで、外食ばかりしていたんで、そのローテーションのひとつだったのですけど、明らかに店員にやる気がない。それでもインド料理屋がほかになかったので、我慢して通ってました。あるときなんか、レジ打ちの女の人がなんかレジ場で私的な電話をしてて、そっちがなんかこじれたらしくて電話相手と激高して話をしてて、こっちがいつまで待ってても会計ができない。こりゃひどいと思って、さすがに通うのを止めました。
なんかそのあとくらいでしばらく店じまいしてた気がする。
でもってもうすっかり店の存在を忘れていたのですが、久しぶりにその前を通ったら店が営業してる。期待せずに店に入ってみたら、あいかわらずおいしくない。でも、こんどは店の人がやたらとフレンドリーで、どんどん話しかけてくる。いつのまにか店の人と身の上話とかしたりしてて、土曜日の午後とかはなんかサロンみたいになって、外国人客が集まってなんか2時間とかだらだら話をするような場所になった。ちょっと日本ぽくないところが気に入ってた。インド料理屋と書いてあるけど、お店の人はネパールの人だって言ってたような。
でもってそのときはけっこう通っていたのだけれど、またなんとなく忘れていて、ひさしぶりに店に入ってみたら、また違う人になってる。こんどの人はまじめでおとなしいかんじの人で、バイトを雇わずにひとりで切り盛りしてる。今度の人は確かバングラディシュの人だったかで、前の人は国に帰ったって言ってた。
でもって前の人のときの緩い空気が店からなくなってたんで、まあ、これはもう行かないかなと最初は思ったんだけど、じつは料理がうまくなってることに気づいた。昼は基本ランチバイキングだけで、3種類のカレーが並べてあって、セルフサービスで好きに取ってよくて750円ってかんじなのだけれど、ローテーションの一つでたまに出てくるバターチキンマサラがすばらしい。クリーミーかつスパイシー。
うまくなったと思ったのは私だけではなかったようで、明らかに客層が変わった。OLとか、レストラン通いが好きそうなおばさんグループとか、そういった人たちが増えた。この店が満席になってるのをはじめて見た。850円に値上げされたけど、それでも充分行く価値があると思った。
そういうわけで私も通っていたのだけれど、やっぱカレーはカロリー高いんで、ダイエット始めてからはちょっと控えるようにしてた。
で、しばらく行かないでいたのだけれど、たまにはいいよね(AA略)とか思って店に入ってみたら、また店の人が変わってたorz これが今日の話。とりあえず今日のところは様子見だ。とりあえずお昼どきなのにお客が私しかいないという時点で危険信号。あとは、バターチキンマサラが出る日を見て判断するしかない。
いまでは岡崎中心部にも「スバカマナ」という良い店ができて、いつもスイーツな人たちで満員なんで、うまいものを食べたかったらそちらに行けばいい。俺もここのチーズナン大好き。だけれども、クソオタの俺にとっては、なんかこっちの、東岡崎駅前の、寂れた店のほうが気持ちが落ち着くんだ。(さいごまで店の名前を書くつもりはない)
さて、君たちはどう生きるか。(<-へんな終わり方。)

コメントする (4)
# viking

ご無沙汰しております・・・ってか、pooneilさんってインド料理(厳密にはインド亜大陸料理)お好きなんですか? エチオピア談義で、もしかしたらそうなのかなと推察しておりましたが・・・。

# pooneil

どうも。

>> pooneilさんってインド料理(厳密にはインド亜大陸料理)お好きなんですか?

いやぜんぜん、ってところが笑いのポイントです。ではまた。

# おやかた

よー元気?久しぶり。
そのインド料理屋のうらぶれ感が好きなのか?
インドじゃないけどさ、下北にシーシャのカフェみたいなのがあるよ。アラビアンなおじさん達が虚ろな表情で座り込んで、シーシャ吸ってる。たぶん君、こういうの好きなんじゃない?

# pooneil

おー! 元気? Facebook更新してないじゃん。
これだね:シーシャ 下北沢一番街店
なるほど、なんちゃって系じゃなくて本物のアラブの人が集まってるんなら興味あるなあ。
タバコは10年以上前に止めたけどね。
ではまた。


2010年03月04日

Google Chart Tools のAPIで数式

Google Chart Tools のAPIで数式
via Okumura's Blog
これまではmimeTeXをレンタルサーバに入れてそこから動かしていたのだけれど、なんかの拍子に動かなくなっていました。GoogleのAPIを呼べば、画像が返ってくる。なるほど、これは簡単。

たしかに成功。


2010年02月21日

Doesn't the sky look green today?

"Doesn't the sky look green today?"って最高にサイケデリックだよね。
このフレーズは、私の名前pooneil(ぷーにーる)の元ネタであるジェファソン・エアプレインの「キミとボクとプーニールのバラッド」の歌詞なんだけど、これにはさらに元ネタがあって、くまのプーさんの作者であるA.A.ミルンの詩「春の朝」から取られている。いや、「取られている」というのは正しくなくって、まんまパックリといってるんですわ。
ポール・カントナが著作権ガン無視でヴァースまるごといただくという無茶なアティテュード、初期のフォーク的三度のハーモニーとかから逸脱した三人のコーラスがつくるカオス、タオイストのプーさんによる「自由」へのメッセージ、そういうものへの賛辞として私は自分にこの名前を付けた。
というのはもちろんウソで、はてなダイアリーにユーザー登録するときにアルファベットでユーザー名を入れなきゃいけないってんで、とっさに決めた名前をずっと使っているだけなんだけど、意外に悪くなかったって思ってる。
(読めない人がいるところが難点。「ぷーにーる?ぽーにーる?」-ポール・カントナがくまのプーさんとフレッド・ニール (彼らは「人生の裏側」をカバーしている)とをくっつけて作ったフレーズだから「ぷーにーる」が正しい。ちなみに「ぷーにーる」はタイトルにだけ現れて、歌詞には現れない。)
そういうわけで、心情的にはOSS応援してるし、最近のarduinoいじりとか、ovenCVだったりRだったりいじるのとかもそういう側につきたいと思う気持ちから来ている、部分もあるのかもしれないけど、たんにとっつきやすくていろいろいじれるのがいいじゃん、って思ってるだけなんだ。
ま、結論としては、はやくミルンの著作権が切れてパブリックドメインになれよ、ってことですよ。(ってそういう話でしたっけ <- このフレーズ使いまわししすぎ)
もしわたしが今の高校生だったら、プログラムばっかしてたんじゃないかな。 Web上の情報使ってRでデータマイニングしたりしてさ。ChucKとか使ってサウンドプログラミングしてるとかさ。
実際の私は、家ではカセットテープに多重録音したり(座布団にマイクくっつけてバスドラ代わりにしたり)、授業中に内職して、おーそういえばまさに「キミとボクとプーニールのバラッド」の歌詞をノートに書き写していたもんだ。昔のレコードの歌詞カードってのは聞き取りがめちゃくちゃでね。さっぱり意味とれないからもうシュールレアリズムとして捉えるしかないから結果サイケデリックになってたっていう。
って昔話になっちゃったからこのへんで止めとくわ。


2010年02月07日

アイロンビーズで遊んだ

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なんかこんなネタが続いて、芸風に偏りが見られますけど、そういうときもあるということで。アクセス数増やそうとかそういう魂胆ではないですよ? (<-なぜ疑問文)

今日は今日とてママがアイロンビーズを買ってきた。ここにギャラリーがあるけどこんなかんじでいろんな模様を作って遊ぶ。だけど、いろんな色がごっちゃになったものが売られているので、まずそれを色分けしてから使う。そうすると模様を作るときとかに便利だから。ということで一家総出で色分け。今日は私も参戦。

下の写真みたいなかんじで色分けしてる。いちばん下にあるのが私の割り当て分。上にあるのが色分けしたやつ。我が家の小さい食器総動員。けっこういろんな色がたくさんあって、たいへん。緑とエメラルド色と黄緑と白っぽい黄緑と透明な黄緑とか近隣色がたくさんあるので、それを混ぜないようにしないといけない。

beads.jpg

それでもやってみるとだんだんコツがわかってきておもしろくなってくる。まずはじめは、微妙な色のあるやつは無視して、はっきりわかる色でかつたくさん数があるやつ(紺色とか)から手がける。そのつぎに、似た系統の色でたくさん数があるやつ(緑とエメラルド色とか)を微妙な色の違いは気にせずにべつの容器にとにかく集めてしまう。そのあとで緑とエメラルド色とをより分ける。こうすると、赤や青の中に混ざっているなかから緑とエメラルド色をより分けるよりももっと簡単になる。

このへんまでやっていると、じつはこれがsaliencyを用いたvisual searchであるということに気づく。(ということで脳科学ネタにつながるのであった!!!) つまり、なるたけポップアウトが使えるように色を選んで探してゆくのがいい方策なのでした。眼球運動を記録してやったらそれなりにおもしろいんじゃないかって気がしてきた。

さらに続けていると、こんどはなんか目が微妙な色の違いに慣れてきてさらに効率が良くなる。Top-down attentionでcolorを頼りにしたsearchに切り替わったと言えばよいのでしょうか、それともperceptual learningとでも言いましょうか、ともあれ、ビーズの向きとか形とかを無視して、色だけを気にしながら、なんか色に対する解像度が上がるのを感じる。つまり、「緑系のグループ」みたいな捉え方から、「緑」「エメラルド色」「黄緑」「白っぽい黄緑」「透明な黄緑」みたいな階調が明確になってくる。しかも被験者(<-ちがう)は人間なので、色の名前を使って、カテゴリカルかつセマンティックに捉えるようになってくる。

というわけでIttiのtoolkit動かしてシミュレーションしてやって、今私が考えたようなアルゴリズムが最適かどうか、もっといい方策はあるかとか調べられるんじゃないだろうかとか、そういうことを考えつつ、無事に色分け終了しました。つーかアイロンビーズこんなにたくさんあって全部使うんだろうか? 色分けしたらなんか満足してしまったような。

そのあとで、庭でとれたでっかいブロッコリーをママがゆでたのをみんなで食べて、娘はヒーリーズしに行って、ママは土いじりを始めて、長男は宿題してて、わたしはこのブログ書きながら、次男がくみくみスロープやってるのを手伝ってる。

そんな日曜のこと。


2010年01月22日

Twitterに脳内がだだ漏れる20091230

今回は高校の同窓会まで。


11/29 ママが西武で不二家のミルキークリームロールというのを買ってきて、これがうまかったのでみんなで皿をなめる勢いで食べた。// ミルキークリームロールってプリキュアの技みたいだよな。// 「ミルキー! クリーム! ロール!」「シュウィーン」「シュワー・シュワー」(悪者がやられるときの音)とか言ってたら、長男がケーキ吹いた。// Sufjan Stevensの"Come On Feel The Illinoise"を聴きながら大掃除。I made a lot of mistakes, I made a lot of mistakes, I made a lot of mistakes, ...

11/30 これすごい:オープンソースでアイトラッキング // 正直いろいろ業者探してたんだけど、これなら自分で作れるかも。

12/1 俺がいなくなっても、だれも気にしないだろ? // なんかがっくりしながら、宿へ戻った。ラーメン屋まで行こうという気すら起こらない。マンサンのlegecyとか聴きながら、ぐったりしてる。"Nobody cares when you're gone. Nobody cares when you're gone..." // 生命保険の見直しとやらが来て説明を聞いたのだけれど、俺の保険って2500万しかないのな。いざとなれば不慮の事故ででも、なんてことを考えたこともあるけど(戯れ言だよ)、これじゃ死ねないな。// やはり天命に従い、この命を捨てる必要ができるときまで、燃やし続けていこうと思う。// さっきジュンク堂で買った「我と汝」をお守りにして、俺はどこまでも、走るんだ。// 覚めない夢。いまごろ「本当の俺」は病室でシーツをかきむしりながら覚めない夢を見続けているのだと思う。// もし、すべてが間違いがなくて、ただしく予定通り過ぎゆくとしても、俺はそれに異議申し立てをして、関節を外すようなやり方でそれをよく見ないとわからないようにぶちこわしてみせる。// 弾丸は俺の胸の文庫本を撃ち抜き、俺の不整脈ごと心臓を止める。// べつにご大層なことを言っているのではなくて、覚悟を見せるために4REALとカッターで切り刻んでしまうような、そんな、(ネタ古!)

12/6 SLRのところで出てきた2次関数の例だけど、 x側でsampling biasがあるような場合にはそこは推定が大きくなるのが正しいのであって、その意味ではGAMとかlowessのような局所回帰を使うというのがあのデータ自体の解としては正しい方向であるように思われる。// ちなみにGAMはただのsplineではなくて正則化をするのでベイズ的な方向でもある。そういえばspline自体が多項式によるfittingなんだから、よりrelevanceは高い。というかGAMとカーネル法の関係ってなんだ? つながっているはずだよね。// Neuronal firingは計数データなので poissonでgeneralized linear modelにするのが正しい方向なように思う。たとえ正確にはpoissonでないとしても。Firing rateではなくてspike countが生により近いデータなのだから。// そっちよりは、time window選択の恣意性を排除するために、 時間方向に広がったデータをどうやって解析するのが良いかということの方が 対処すべきことのように思われる。// そういう意味では、longitudinal dataとして、trial内でのcorrelationの構造を明示的に取り扱いながら解析するのが正しい方向であるように思う。// 説明変数と応答変数の関係からすると、統計モデルの式というのは、左辺に応答変数を、右辺に説明変数を持ってくるというのが正しいと思うが、この辺が整理されてないように思う。// もしくはデータ生成の過程を考えてモデル式というものを考え直すとか。モデル式は単なるcorrelationであって、生成過程を捉えていない。// single-unitも、生態学とかも同じ状況のはずなのだけれど、結局、observationに基づいた実験をFisher発の実験計画に基づいて解析しようとするからおかしなことになっている。

12/8 ギラギラしてたい、ってわけじゃない。うまく言い当てられてない。そう、メラメラしてたいんだな。

12/9 CARMENについて調べていたら、あれ、篠本先生が著者に入っているって思ってよくよく見たら、Simonottoさんという方だった。

12/11 大掃除してますか?!!!!!! 我が家じゃ私は窓掃除担当で、サッシのレールとか隙間とかを歯ブラシでごしごしやってますよ!!!!!!!!!! 気分はとらドラ!の高須竜児ってかんじで。// 死蔵してたCDラックを掘り出して、fishmansのlong seasonとか聴いてみる。やっぱ素晴らしい。そういえば彼はインフルエンザで亡くなったんですよね。// エルマロとかクーラシェイカーとかTokyo No.1 Soulsetとか嶺川貴子とかそういうの聴いちゃうオレ。スチャダラパーのCDが見つかんないんだけど、だれかに貸したっけ?

12/13 「僕は友達が少ない」よさそうだな。買う。

12/13 「ヤルネェ!」ってスゲー泣けるんですが、これは一生続くよ。俺なんか今でもいたたまれない。外国人の中に首突っ込んでみろよ。Facebook見てみろよ。やつらが使う「ヤルネェ!」すらわからないままに苦笑いでコミュニケーションだぜ。// もうやだ。こんなの。// Mixiもfacebookもさ、リア充のものじゃん。俺はずっとlooserの方にいたと思うんだ。

12/13 Google Phone来るか? LA行ったときにはこれ買うか。

12/15 「日経ビジネス オンライン無料会員登録=登録されたメールアドレス宛にメールマガジンを配信する、というルールで運用しています。」だって。いまどきんなことすんなっての。

12/22 「「器」はなんていうか、マジかよと思うデザインだった 」<-これなんか気に入った。//「僕は友達が少ない」1巻、読んだ。楽しめましたけど、ちとデレが早くないすか? もっと辛口の方が好き。GEの影響でしょうか。// ベビステ神回とか騒いでいるに違いない(<-他人事風)

12/27 「都内の新築マンション+高級外車」というフレーズを見てさめざめと泣いた(<-ウソ) // 「そこでたまたまFXでもうけたお金でプーケットなんかに行って」なんか見覚えがあるなあと思ったら、「金魂巻」だった、って俺も古いね。

12/29 いま東京理科大10号館前 // 飯田橋。汗かいてきた。// Just posted a new Hiking trip, "市ヶ谷から", to EveryTrail. Check it out here // 21:40 秋葉原到着。休憩がてらブックオフへ。電撃文庫の「少年テングサのしょっぱい呪文」というのを買う。ジャケ買い。// 22:20 休憩終了。出発。22:35 両国橋。23:10 錦糸町。 23:30 自宅到着。トータルで二時間くらい。// 歩きながらtwitter更新していくつもりだったのだけれど、EveryTrailというGPS機能を利用してトラッキング情報をtwitterに送るiPhoneアプリを入れてたことを思い出して動かしてみたら、あっという間に電池がなくなった。使えねー。// なんか岡崎の地理感覚になじんだせいか、東京都内ってじつはかなり狭いんじゃないかって感じる。 // 「少年テングサのしょっぱい呪文」のほうは一章読んだ。けっこう良さげ。だが寝る。// フォローゼロでやってきたのだけれど、高校の同窓会で友人をフォローしだしたので、この機会に知り合いをフォローしておいた。

12/30 Unconstrainedな状況で高次元のデータを習得するときの空間を埋めることの難しさ。


2010年01月17日

色の立方体のペイパークラフト作った

このあいだ娘と話をしていたら、「色ってじつは赤は赤でもちょっとずつ違っていたりして、無限にあるよね」なんてことを言い出した。無限という概念に目が向いたことに軽く感動しつつ、そうだね、じつは色ってのは色鉛筆の数だけあるんじゃなくって、赤と緑と青の組み合わせでたくさんあるんだよって説明をして、photoshopだかペイントだかの色選択の部分を見せたりしてみた。でもそれだと2次元までなんで、3次元だってのを説明するのがなかなか難しいんですよね。