« 私とブッディズム | 最新のページに戻る | 「喜久屋書店、三和音の表記、ONE」(さうして、このごろ2023年8-9月) »
■ 「シーン、濁川くん、華倫変」(さうして、このごろ2023年6-7月)
「私なんかが地方でよく聞く、そして聞くたびにウンザリするのが、「ココは田舎だし、面白いものなんか何もないですよ」みたいな云い草である。」「 そりゃ東京や京都にでも出りゃ“面白い”人やモノにいくらでも出会えるでしょうよ。しかしそれはオマエが生み出した“面白さ”じゃないだろう。どこでもいいが、とりあえず自分がいるところを“面白く”できないような奴はしょせん消費者なのだ。」
そうだよなあ。「シーン」は世界中いたるところで生まれ、消える。そのどれが大きく育つかはわからない。「シーン」は消費するものではなくて、コミットするもの。コミットできなかったとき、お客様となり、あとから消費することしかできない。(ケン・キージーの「マジック・バス」をイメージしながら書いてる)
「東京に住んでいない俺がどこで文化を享受しているか」 これはよかった。
昨日書いた「シーン」の話の続きだけど、「文化に触れているつもりで消費しているだけ」から逃れるためには、べつに文化を生み出す制作者にならなくても、こうやって道を這いずるカニとガルシア=マルケスをつなげることができればいいんだよな。それを増田に書くとか、mastodonにこうやって書くのも生産的な行動だ。それがバズる必要なんかなくって、銀河通信でいいんだ。
「若者の『動画に比べて漫画はタイパが悪い』という感覚が分からない→情報処理の方法が違うのでは?」
これは納得いった。自分は動画って時間の無駄すぎると思っていたが、「新しいことの概要を学ぶ」みたいなときには入門書を流し読みするのではわからないものが動画にはあるということを実感した。
そのうちYoutubeで講義をアップしようという計画があるのだけど、それはやっぱひたすら「入門」に特化すべきだなと思った。
『皆、本当に他人を『好き』になった事あるの?』 ブコメ
この感覚は非常によく分かる。ドパミン出まくっている感じで、世界が変わって見える。私も短い期間だったがそういう経験をしたことをよく覚えている。
Jimi Hendrix / West Coast Seattle Boy: The Jimi Hendrix Anthology での"Little one" 初めて知ったけど、聞いてすぐにこのシタールはデイブ・メイスンだなと気づいた。これはとてもいい。そうそう、こんなふうにシタールを弾いてみたかった。spotify Noel Reddingが歌ってるバージョンもあるが、一挙にしょうもなくなるので、歌無しがよい。
僕ヤバの濁川くん(イマジナリー京太郎)の声が福山潤なの、最高だな。解釈一致とはこのことかっていう。
「華倫変 没後20年追悼原画展」 これ見逃してた。いつのまにかkindleで再販しているし、すげえなあ。
ちくさ正文館書店が閉店というニュース。自転車や車で名古屋に行ったときに必ず通るコースで、ペヨトル工房の「夜想」とか、サブカル系の書籍や雑誌を立ち読みしたものだった。お世話になりました。
「指摘を批判と捉えない」 これをみて、いつぞやの「批判なき政治」じゃんって思った。
わたしが好きなのは"WILDERNESS COOKING" おっさんが一人で黙々とでかい羊を瓶で焼いたりする途中で、4Kでの美しい自然画像とか鶏がバタバタ走るのとかを映すの。すごくよい。スーペル!
ツイッターからサルベージ:
-
沈むタイタニックで、他人を押しのけずに、静かに死んでゆきたい。(2022年8月27日)
-
コミックを読む能力が衰えてきているのを実感する。このあいだ一念発起して(<-?)、積んでたごちうさ4巻を読んだら、読み終えるのに2時間弱かかったのにはびっくりした。(2022年7月11日)