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2010年10月25日

生理研研究会ハイライト

生理研研究会ぶじ終了しました。
アンケートページオープンしてます。参加者の方ぜひ感想送ってください。記憶が薄れぬうちにぜひ。
こちらから:生理研研究会webサイト

そう言ってる私の記憶がどんどん薄れてきているのですけど、研究会のディスカッションでナイスなやりとりがあったので記録しておきます。物議を醸しているようですが、私はあそこで起こったこと全部に満足です。それぞれのやりとりでそれぞれがどう考えたかも重要ですが、あのやりとりを見たオーディエンスに対してインパクトを与えることに成功したと思うんです。そこが大事。

記憶を頼りにして書いているんで、間違いがある場合はご指摘いただければ幸いです。つーかやっぱustreamとか使えるようにして、俺じゃなくて誰か若い人が文面書き起こしてアップしてくれる、みたいなそんな展開でいけるようにしたいなあ。

それでかいつまんで書きますと、磯田さんの講演のあとで池上さんが指定討論者として質問を始めたところでナイスなバトルが展開したんですが、ざっくり言うと、磯田さんと池上さんでやりとりしていて、池上さんから、ここで見ているものは自己なのか? 静的な状況を見ていて自己がわかるのか? 条件の引き算だけでほんとうにわかったことになるのか? といった疑問が提示されて、磯田さんから、これだけで答えが出るとは思っていないけれども、自己・他者の処理の一部を捉えていることは間違いない、という応答をしてさらに話が止まらなくなっているところへ筒井さんが加わって、磯田さんの仕事は神経生理としてたいへんきれいなデータで素晴らしい仕事なのにそこがわかってない、という擁護があって、池上さんから、磯田さんの仕事自体を否定するつもりはない、しかしこのような神経生理学的方法だけで先に行けるのか疑問だ、という話があって、そこへ國吉さんが、池上さんの話をパラフレーズして池上さんはどうしたら自己・他者のシステムを作れるのかという構築主義的立場からものを言っているということを理解してほしい、という話があって、そこへ吉田が池上さんの話はneural correlate批判と自己の定義の二つの論点があって、自己の定義の方は神経生理学内で対処可能な問題だって話をして、藤井さんが今のようなやりとりで神経生理学者が自分の正当性の中に閉じこもるようなやり方はとても良くない(あとは藤井さんのブログ参照)という話をして、ところでなんで俺は説教してるんだっけ、池上さんが悪いんだな、と藤井さんが笑いを取って険悪な空気は払拭しつつ終了した、 というのが顛末です。

私は全体としていい議論だったと思うし、名前隠す必要ないと思うんでイニシャルトークにはしてません。嫌な人はもちろん言ってもらえれば消しますので。

それでこの話、いろんな方向から読み解けるのだけれど、ひとつコンテキストを付けておくと、まさにこういうバトルを展開したくて村田さんと吉田とで磯田さんのトークに池上さんが指定討論者をしてもらう、という組み合わせにしたんです。(池上さん呼んだのは村田さんの発案。) ツイッターでのやりとりですけど、

alltbl @pooneil #ascone 横やりですいません。意識の問題だと、どうしても、マッピング問題でいいのか、ということと、システムは自動ロボットだ、ということを避けて通れないと思うのですが、どうなんでしょう。こないだAndy とも議論になったけど。
alltbl #ascone  僕が学生なら、脳の物理的な状態や回路と、意識のある状態を結びつけても、それは説明になるのか、ということ。それがマッピング問題ですよね。
alltbl #ascone  自動ロボット問題は、そもそもシステムがいろいろ時分で決定していくような状況を考えないなら、意識なんて問題にならない。そういう人工システムはまだつくられていない
pooneil まったく同意します。今日こんなこと書きました:http://bit.ly/b23Bjf RT @alltbl: #ascone 意識の問題だと、どうしても、マッピング問題でいいのか、ということと、システムは自動ロボットだ、ということを避けて通れない
pooneil .@alltbl: さきほどのMarrの話に関しても、マッピング問題でやってることと、Marrの工学的アプローチとの関係を明確にしたいと思ってのことなのです。ただ問題は二段階あると私は思っていて、マッピング問題は意識だけにかかわらず、他の概念、自己と他者であっても問題になる…
pooneil .@alltbl: つまり、表象を捉えるだけで終わっていて、その表象を操作する「プロセス」(=統語論)じたいがぜんぜんなされていない、というのが現段階での第一の問題であると考えております。そのうえで記号接地問題で問題とされるような意識特有の第二の問題が出てくる、と考えています。
pooneil .@alltbl: ですので、生理研研究会で私が池上さんに神経生理の磯田さんの指定討論者になっていただくことで期待していたことの一つは、こういったマッピング問題の指摘でした。ゆえに、それはきっと神経生理学者全般に突き刺さると書いたのです。http://bit.ly/bxOdTL
alltbl @pooneil ありがとうございます。ご期待に添えるよう頑張ります。しかし、問題は脳の内部で解決できる問題ではないですよ。ぼくは、maximalismを宣言します。

とこんなかんじだったわけです。そういうわけで池上さんがマッピング問題(neural correlate問題)と自動ロボット問題を出してくださってこういう展開になったときは私は座長をしながらガッツポーズを取ったんです。ただ一つ予想外だったのはじつは会場にあまり神経生理学者がいなかった! あの場には居合わせておくべきだったと思いますよ。

以下私の解釈だけど、磯田さんの受け答えは神経生理学者としてはまっとうな答えだったと思うけど、ちょっとプロテクティブだったと思う。だからあそこで筒井さんが、磯田さんの仕事がいい仕事であることを強調してくれたことは良かった。そうでないとオーディエンスにあの仕事の価値がわからずじまいだったと思し、池上さんから磯田さんの仕事自体が悪いと言いたいわけではない、といった言明を引き出してくれたのもよかった。そのうえで國吉さんが池上さんのめちゃ独特な表現をパラフレーズして説明してくれて、これは神経生理学的パラダイムと構築主義的パラダイムとの衝突なんだってことを説明してくれた。わたしが言おうとしていたことは自動ロボット問題に対応させて、もっと不確定性の生まれる状況を作ってテストができるという可能性を示唆した。時間的に藤井さんのコメントで最後ってことにしたので、あの喧嘩を買う人がいなかったってのはちょっと残念だけど、たぶんどっかでまた続くはず。

そのあと懇親会で池上さんと磯田さんとけっこう長く話をした。池上さんの発言はいろいろ印象深かったんで書いておくと、なんでもneural correlateで捉えてしまうminimalismは謙虚なようであってじつは傲慢なのであって、だからこそmaximalismなのだ、out-and-out constructingなのだ、とまた独特なフレーズで言われたんだけど同じフレーズをツイッタでも使ってたからこんどはついていけた(これはいわば構築主義のマニフェストなのだ)。僕がその話でインスパイヤされて、なるほど、じつはほぼあらゆることにneural correlateは見つけられてしまうし、そういう作業仮説(これこそクリックのastounishing hypothesisそのもの)でやってきたんだけど、その万能さ自体が首を絞めてるのかもしれない、なんて話をした。

それから、池上さんは熱力学の話をもってきて、熱の概念が個々の分子というレベルではなくてその統計的性質というのにたどり着くまでに熱素の概念を考えるといった回り道があったことを例えとして、説明の階層のレベルがほんとうにニューロンの活動で正しいのかどうかは自明でないこと、そして、そういった説明ができなくなるようなところでサイエンスをやるべきだと主張した。これはつまりクーンのパラダイム論の通常科学と革命的科学の後者の話だ。それを受けてわたしが言ったのは、なるほどそういうsingularityを探せということならば、たとえばSUAでの限界はどこか考えるといいのかもしれない(ここでさっきのneural correlateの万能性の問題と繋がる)、たとえば意識、それからエピソード記憶のような一回性の現象にneural correlateという概念はそぐわない、こういうところがsingularityと言えるんではないか、なんて話をした。「エピソード記憶にneural correlateはない」ってフレーズは池上さん気に入ってくれたようだ。

alltbl エピソディック・メモリーにもNCCはない。だったら、どこにCがみられるのか。いやいや、Cはみるのはやめて、デザインしましょうということ。

まあとにかくいろいろあったんだけれど、この議論はまだこれからも続くと思うんで、だんだん考えを育ててゆきたい。あと、今回の研究会は生理研という神経生理学がホームで構築主義がアウェイの場所だったはずなんだけど、逆にしても面白かったはず。

まあそんなわけ。繰り返し言うけど、これは私の方から見た解釈。補足が必要だと思った方はコメント欄に書いてください。今週末ASCONEがあって準備が必要なんでしばらくここは放置しておく予定です。ではまた。


2010年10月23日

生理研研究会ぶじ終了しました。

生理研研究会ぶじ終了しました。
アンケートページオープンしてます。参加者の方ぜひ感想送ってください。
こちらから:生理研研究会webサイト

追記:コメント欄伸びてるんでそちらもどうぞ。

コメントする (9)
# 池上高志

楽しかったです。
 できれば、スピーカーは半分で、みんなが議論できると良いと思いました。特に、ポスターの内容についてとか。
ポスターは2日にして、A/Bにわけて、ポスターする人が他のポスターも観られるようにするのがいいと思います。

あと、会場がちょっと大きすぎて、暗いしwifi がないのが、残念。

# pooneil

池上さん、指定討論者どうもありがとうございました。
ポスターの件、会場の件、参考とさせていただきます。
実際、これまではもっと小さい会場でもっと途中質問しやすい雰囲気でやってきたのですけど、参加人数が増えてきたので今年は広い会場で行いました。ちょっと空気が変わりつつあることが気になってます。質問者も一部に限られてましたし。
ともあれご意見どうもありがとうございました。

# ふじー

MC研究会では、全員ポスターみたいな縛りにしましたけど、とりあえずそこそこ集まりましたよね。でも、それも賛否両論で、じっくり話すのにどういう形式が良いのかはよく分からないですね。

参加者を増やす方向を目指すよりも、リアルな参加者は人数を絞って、USTなんかでつぶやきを不特定多数のヒトに入れてもらって、そのつぶやきを拾うというのも良いのかもしれません。

もしくはUnconference形式を試すのも面白いかもね。

#

講演者 指定討論者 参加者の皆様
お疲れ様でした。
おかげ様でいい会になったのではないかと思います。今後ともこの研究会を宜しくお願いいたします。


吉田さん
お疲れ様でした。
いろいろ細かいところまで、きっちりアレンジしていただきありがとうございます。 殆ど吉田さんにおんぶにだっこで申し訳ありませんでした。
これまで毎年この会を引っ張ってただき、本当に心から感謝しています。大変だとは思いますが、これからもこの会が続きますように期待しています。MC研究会のように、運営も吉田さんに近しいコアメンバーで、分担していくのも一つやり方かも。運営のアイデアやこれからのテーマなど、コアメンバーにゆだねるのも手かもしれません。
細かいところは、これまでのように二人でやるのも決定が早いのでいい点もありますね。

# 村田 哲

追伸
この前の投稿は村田 哲です。すみません。

# pooneil

藤井さん、ありがとうございます。
人数絞ってustreamとか、Unconference方式(こっちは知りませんでした)とか興味あります。
以前からわたしは「合宿したい」みたいなこと書いてましたけど、その方向の発展系である気がします。生理研研究会とはちがった枠組みで考えた方がいいかもしれません。

# pooneil

村田さん、お疲れさまでした。
コアメンバー方式は取り入れたいですね。ちょっとそのへん考えてることがあるんで続きに書きます。

# pooneil

こういう研究会には二つの機能が必要で、programming committeeとlocal organizing committeeとがあって、local organizing committeeの部分はなんとか私の手を離れてもうまくいくようにしたい。Student committeeを組織して当日の運営だけではなくて前日までの企画とかも進めてもらうとかそのへんできると良いかも。Webサイトの運営とかustreamのセットアップとかそのへんをまかせるとか。
Programming committeeの部分はコアメンバー方式がよいと思う。講演者の人選とかトークの数とかポスターの形式とかも含めていろんな人のアイデアを集める方がよい。けど、MC研究会と違って毎年顔ぶれが変わるのがコアメンバーの結成にとって難点。(これまでの4回で皆勤しているのはたぶん松元さんと村田さんだけ。) たとえばいったんテーマを決めてから、年ごとにコアメンバーを結成するってのはありかもしれない。
私としてはちょっとこれまで抱え込みすぎたなと思ってる。もっと人を巻き込んでいって、みんなのものにしていかないと愛想尽かされる。
あと、指定討論者とかいままでお願いしてきた方たちが忙しくなりすぎてる。たぶんもうすこし若い人たち(<-エラそーだぞ!)に入ってもらった方がよい。これはすぐにでもやったほうがよい。
とかなんとか、そんなこと考えてます。

# 村田哲

固定のコアメンバー決めてもいいのでは?
その中でテーマを選ぶということでもいいと思います。
吉田さんやこれまで関わった人間がしてもいいし、手を挙げてもらってもいいのでは。
若い人にも入ってもらって。



2010年10月20日

ASCONE2010の準備してます(3)predictive codingと身体性と自由エネルギー

ASCONE2010 『意識の実体に迫る』 で「注意の計算理論で盲視を調べる」ってタイトルで講義をします。

それに関連していろいろツイッターでつぶやいてきました。それのまとめの第三弾は、自由エネルギーとかpredictive codingとかembodiementと意識とかdecodingとかたくさんしゃべっているあたり。正直わかってないままに書いてる。でも、こういうのを暖めておいて、再び見直してみたら、いつかそれなりに一つの線につながるんじゃないか、ってそんな確信を持って書いてる。

意識を研究する神経生理学者としてやってこうと思ってきたんだけど、それなりに独特なことを言っているらしい。このあいだの「おちゅーしゃの時間デスよ!」みたいなもんで、あーまた吉田がオートポイエーシスとか言ってるよ、とか思ってくれればそれで充分かな、とか思ってるんです。それではここから:


もう頭が働かないのでFristonのレビューをぱらぱら見ていたら(<-ええカッコしすぎ)、Maturana-Varelaの Autopoiesis and Cognitionがreferされているのを見つけて、すべての回り道がふたたび収束してくるような高揚感を抱いた。


一回性の事象の機能イメージングとかやんないんですか? ライフログを再生して見せて、脳活動デコードしてイベントをいくつかのクラスに分類とか。RT @ykamit: ライフログカメラ入手しますので何かの機会に付けて行きますね。こういうの使うと記憶のエンコードをしない習慣が加速しそう。

イイ!!! 実のところ一回性を強調するのも極論で、単一の事象をなぜあるクラスに分類できるのかといった、特殊性と一般性とのループを考える方が全体を捉えている気がする。 @ykamit: 経験の驚くべき反復性(「永劫回帰性」)

でもってしかもそういう相反する側面がニューロンの情報表現のselectivityとinvarianceという相反する側面と対応している。だからこのレビューで http://bit.ly/9o6EMo encoding/decodingと関連づけるのを見て興味がわいた。

だがそもそも一回性の事象をデコードする必要なんてあるのだろうか。デコードは繰り返しを前提としている。こうやってけっきょく一回性の事象というのは経験/意識のドメインにあって、視覚情報処理のドメインでは扱えないことになる。って毎度の話になってしまった。

たぶんこういう話の持っていきかたをしてハードプロブレムにしてしまう必要はないのだろう。ニューロンの表象の中でデコードする情報のクラスを広げたり狭めたりするような操作のことを考える、くらいのほうが意味があるのかもしれない。


これこそwhat-it-is-likeだけど、prediction errorが出まくる我々は一人称的観点からアクセスできてないのだな RT @ykamit: こんなのを見てても鷲の脳はスパースにしか発火しないんだろうな http://t.co/a5vC9m4

Umweltを共有している人間の他者であっても、内部からのアクセスができない限り一人称的観点には立てないってのが問題だったわけだけど、… RT @ykamit: そこがデコーディング(脳から対応する刺激やラベルを出力)による「マインドリーディング」の原理的限界でもある。

predictive codingの文脈で、umweltの共有=[環境とagentとの関係の記述]とdecoding=[予測誤差の記述]を元にして、内部的に生成しているtop-down prediction=[内部モデル=efference copy]を推定できたとしたら、かなり良い線いってる気はする。そこまでいけば、それでも説明できないような残余があるか、って議論に辿りつけるんではないだろうかとか考える。じつのところこれは[表象の解読]から[プロセスの記述]へ、という操作脳科学のスローガンと同じことだったりするのだけれど。


以前はprediction errorとして上がっていくのがsurprise=ボトムアップの注意の要素で、top-downでおりてくるpredictionが conscious percept、という図式を考えていたけど(Lammeっぽく)、さいきんの ポジオの注意モデル、それからその元となったRaoのモデルとかを読み直して、active inferenceをするという計算論的問題を解くと自然にattentiional modulation様のものが見えてくる、という図式を考えると、注意と意識を機能的に別れたモジュールとして考えること自体が不要なことのように思えてきた。あと、このスキームだとtop-down attentionとawarenessが明示的に分けられない。

Fristonによるbinocular rivalryのモデルもあるけど、これもおなじことで、perceptはselective attention (top down)だろうがconscious perceptだろうがかまわない。

この段階においては、以前書いたattentionはselectionというprocessで、conscious perceptはそのcontent、という分け方の方が明快なように思える。


こうやってTLを眺めていると、活動時間が重なってやりとりが生まれるときもあるし、なんとなくズレるときもある。ついったはインターフェース的に「亀レス」がしにくいので、同期しないとやりとりが生まれにくい。同期しててもやりとりがないときもある。(<-神経発火の同期になぞらえたいらしい)

わたしのTLとほかの人のTLは異なっていて、その局所性があるためについったでの話題は比較的コンテキストの共有を前提としない、独特なものとなる。

つげったとかで全体を見渡すようにまとめを作ることはできるが、それはいったん文脈を作った上でオフライン的にしかなされない。(<-脳の表象のメタ性とつなげたいらしい;全体を見渡すホムンクルスはないのではなくて、いったん文脈が形成された上で後付けで生成するのだ。オンラインではなくて。)

自由意志あたりの問題になるけど、私たちはある条件が来ればそれに機械的に応答しているだけの自動人形だ。でもそれは「オンライン」ではそうなだけであって、「オフライン」でそれに意味づけをして、学習をして、行動のバイアスを変えて、未来の計画を作る。

たぶん意識はそこに関わっているから、あるひとは意識はメタ認知であると言うし、あるひとは意識はexecutive controlをするための機能であるという言い方をする。私としてはオフラインで内部モデルをリモデルすることそのものが意識なんだろうと思ってるけど、たぶんこれらは同根だ。

そういう意味でサプライズを考えるとちょっとパラドキシカルな状況になる。つまり、priorからposteriorへの時々刻々の変化分の大きさがサプライズであって、これがほぼボトムアップの注意と同一視できて、しかもそれは意識とは別ものなのだから。

「オフラインで内部モデルをリモデルすること」とサプライズとは明らかに別のことなのだけれど、どう表現したらよいのだろうか。意識に上るものにはサプライズが必須で、あとののっぺりとした時間・空間はすべてそういったエッジからfilling-inされている、というイメージを持っている。でもサプライズのあるものすべてが意識に上るわけではない。

つまりfilling-inによる説明は、サプライズが低いところは我々は意識しているのではなくて、inferしているだけなのだとする。もちろんこれは極論だ。エッジのあいだの平面だってもっと周りから見ればspatial surpriseがあるので、たんにfilling-inされるだけの空虚ではない。

オンライン・オフラインの話はジャンヌローのリーチングの話とか、 saccadic adaptationの話とかそういうものを含めてちゃんと事例をまとめた上で議論しないといけないので、今は雑すぎる。盲視でサッカード軌道の補償ができないっていう自分の仕事に固執しすぎている。


ちょっと前提が飛んでたけど、つまり自由エネルギー仮説で(興味あるもん全部つっこんでしゃべってます)、脳が周辺尤度最大化をしているのかって問いと繋がる。

ちなみにさいきんの脳プロ関係で佐藤雅昭先生がいらしたときにニューロンは変分ベイズできますか?ってまっすぐ聞いてみたけど、ムリでしょうって言ってましたね。なんらか脳のネットワークとして近いものをやっているということはあるかもしれないけど。


「複雑性とパラドックス」で「自然システムを構成する意味論」と「形式システムを構成する統語論」とがあってそれがencode,decodeされるという絵があった。http://bit.ly/aQd0zo 意味論と統語論がそういう風に対応することに興味がわいたので図書館から借りてきた。

そうしてみると、Marrの三段階 [計算論 - アルゴリズム - implemantation (=neurobiological model) ]はあくまで形式システムの中の話であって、それに自然システムが対置されていて、違った抽象レベルでdecode/encodeすると考えた方がよいように思えてきた。

いっぽうで、神経生理学側から見ると、計算論もアルゴリズムも実装のレベルも、表象とプロセスの形式システムであり、それと対応する神経活動を様々な抽象度でencode/decodeしている、というふうに考えられないだろうか。

「非線形な世界」も買ってきた。第4章「モデル化-現象の記載と理解」を読みたかったので。神経生理学でneural correlate(=表象)以外のアプローチを取るにはどうすればよいずっと考えてる。お題目だけならシステムバイオロジー的にとか言えるけど、もっとややこしくなくいきたい。

あ、ニューロンの活動を現象側に持ってくるのはへんだって気がしてきた。スパイク列になった時点でそれは表象なんで。

ニューロン間での信号のやりとりでprediction errorの計算から前段のニューロンの活動をinferする、それを遡っていって外界の物理的原因をinferする、といったベイズ的脳観において、前半は形式システム内での統語論的な操作になぞらえて考えるけど、後半は形式システムと意味システムとのあいだでのやりとりになっていないだろうか。となると、前半から後半に話が飛ぶところでズルというかカテゴリーミステイクみたいなことをしているんではないだろうか。

読み進めてみたけど、計算論には計算論の、アルゴリズムにはアルゴリズムの、形式システムと意味システムがあって、形式システムを回す表象とプロセス(=統語論)がある、となるとそれで話が済んでしまう。元の動機は実装のレベルは神経生物学的モデルで置き換えられるんでは?だったのだけど。


私にとって「アクティブな視覚と意識」って考え方は記号接地問題から来ていて、行動による働きかけがなければ意味も生成しないし、「意味」ってのが出てくるから意識の話になるって思ってた。たぶんこれを神経生物学的観点から来る問題にすることができればもっと意味のある議論になるのだろう。

ちなみにAlva Noeはたぶんギブソンの直接知覚からきていて、sensorimotor dependencyも、なんかものを操作してたとえばものの向こうにも別のものがあるとか、向きによって違って見えるとか、そういう知識があること、を指している。

これはアフォーダンスをpick-upする、ということの言い換えではないかと思う。そしてここには計算論的な発想はない。計算論自体を知らないのかもしれないし、計算論が基本的に前提としている表象主義に反対する立場だからかもしれない。

でもそこで言っているsensorimotor dependencyは内部モデルで置き換え可能だと思うし、それは強い表象主義(<=>弱い表象主義)の前提をおかずに扱えばいいんじゃないかと思う。

そうしないと、sensorimotor dependencyの「知識を持つこと」なんて弱すぎる拘束条件じゃなくて、もっと内部モデルという計算論的概念から厳密科学としてアプローチできるはずだ、と考える。ちなみにBBSのノエandオリーガンは極端行動主義なのであれには同意できない。

「強い表象主義」「弱い表象主義」に関しては昔ブログにまとめたことがある:http://bit.ly/bblnJM 10年前であることにびっくり。

あと忘れてたけど「知恵の樹」ではこう書かれている:[表象とは、入力が引き起こす結果ではない。神経システムは、システムの作動への擾乱を特定することによってひとつの世界(=表象)を生起させている] これはpredictive codingで言うpredictionとよく対応している。


saliencyやbayesian surpriseはpredictive codingの文脈で言うならば、prediction errorの方になる。いっぽうでtop-downのpredictionによってprediction errorをゼロにしようとする。

つまりprediction(P)がawarenessで、prediction error(PE)がbottom-up attention。だからほとんどの場合両者は一致する。両眼視野闘争ではPEが大きい方とPが大きい方のミスマッチが起こっていると説明できる。これはFristionの論文にあったことの受け売り。

Predictionはあくまでそれまでの経験によって形成されたpriorが必要なので、刺激そのものによってボトムアップ的にできたものよりも間接的だ。そして行動によってverifyされることによって内部モデルはアップデートされ、維持される。

夢もMCSでの意識も、それまでに行動によって現実の手触りを持って内部モデルが形成されたからこそ可能なのであって、生まれてからずっと夢を見続けることはできないだろう。ただしこの仮想実験は、顔ニューロンなどの選択性の形成が(ある程度は)経験を必要とする事実と交絡する。

こうして考えてみると、内部モデルの形成とニューロンの選択性とは不可分のものなのか、独立して操作できるのか、という風に問題を捉え直すことができるかもしれない。もちろんこれは内部モデルの実態が何なのかがわからないと意味のある問いではない。

つまり、prediction errorもpredictionもニューロンの活動でしかなくて、たとえばlayerによる違いとかそういうことをいろんな人が考えている。つまり、この問題を解決するために必要な実験的事実がまだ足りない。

あと面白いのは、ニューロンの発火自体はsurpriseとよく合致している(ものもある)ということだ。ニューロンがKL divergence計算しているとは思えないからここはprediction errorのほうでよいと思うんだけど、

そうするとtop-down predictionは発火を打ち消すような抑制として効いているということになる。Interneuron介してやれば上位の領野からの入力が抑制として効くの自体は可能だけど。


以上です。ASCONE自体の募集はすでに終了していますが、ツイッタでの議論は誰に対してもオープンです。まだ現在進行で内容が増えてます。ぜひそちも見ていただければ。それでは仙台にて。


2010年10月18日

ASCONE2010の準備してます(2)ベイジアン・サプライズについて

ASCONE2010 『意識の実体に迫る』 で「注意の計算理論で盲視を調べる」ってタイトルで講義をします。

それに関連していろいろツイッターでつぶやいてきました。それのまとめの第ニ弾は、bayesian surpriseに関連して。ここから:


モデルM、データDがあったときに、prior=P(M)で posterior=P(M|D)としてこのKL距離がベイジアンサプライズ。でもpriorとposteriorの相互情報量 I(M,D)=H(M)-H(M|D)を計算してもよさそうだ。いったいなにが本質的に違うというのだろう? 数学的に違うものを見ているのはわかる。

たぶんこれは、visual search中にinformation maximizationをしているのか、surpriseのminimizationをしているのか、の問いと関わっているんだろう。試しに簡単な例で計算してみればよいのか。

そうだ、このばあいの相互情報量をKL距離で表現すれば、MI=KL(P(M,D), P(M)*P(D))となるわけだから、やっぱ独立性の検定みたいなことしてるわけで、bayesian surpriseとはぜんぜんべつもんだよなあ。

とか書いてたら、おお!! 期待値とったらMIになるということはかなり近い概念ではあるわけですね。ちなみにこの値が注意の指標になるって話です。http://bit.ly/bAF9ni RT @statneuro: 文脈把握してませんが,この定義だと期待値とったら相互情報量ですよね

思い出した、期待値とったらって話はそういえば続報の論文にありました。http://bit.ly/d2wgkz

MI=E[KL(P(M|D),P(M)] これはなるほど! あとここはベイズ更新の文脈なので、時々刻々変わる入力Dに対してsurpriseを計算するのとその期待値であるMIを計算する(すべてのDでP(D)をかけて足してやる)のとは等価ではないはず。

元論文読んでみたら、エントロピーはDに関して積分していて、ベイジアンサプライズはMに関して積分している。だからそれぞれMまたはDに関して積分してやると同じMIになる。だから、ベイジアンサプライズ-MIの関係はエントロピー-MIの関係に相当するらしい。


ベイジアンサプライズの一つ曖昧な点は、KL(prior|posterior)とKL(posterior|prior)のどちらに意味があるか決まらない点。足して2で割るとか書いてあって、それはないだろと思う。

オッズ比の期待値をとったものとしての解釈からは、D,Mごとの surpriseとして対数オッズ比 log(P(M)/P(M|D))が選ばれて、これをすべてのMの期待値で足し合わせたものΣ(P(M)*log(P(M)/P(M|D)))がベイジアンサプライズとなる。

さらにこれをすべてのDの期待値で足し合わせるとDとMとのあいだのMIになる、ということでさっきの話に繋がる。

とりあえずシンメトリックにする技だと思うんですが、そもそもシンメトリックであるべきとする理由がない、みたいなことがNeural Network 2010の方に書いてあります。RT @_akisato: これ、KLを距離関数にするための方法としてよく使われますね。

そうすると、D,Mごとのsurpriseとして対数オッズ比 log(P(M)/P(M|D))をすべてのDの期待値P(D)(=周辺尤度)ごとに足し合わせたものというのも考えられるのか。

なるほど、そっちのほうが基本的には使われているようです。どちらかというとP(M)のほうが計算しやすいという理由だったりするようですけど。RT @_akisato: PとQの情報量の差をPで期待値を取るKL(P||Q)の意味から考えるとKL(事前||事後)が自然ですかねぇ。


以前書いたことだけど、時々刻々の変化を評価している surpriseはあるモデルm1とあるデータd1があるときのオッズ比を全モデル空間M={m1,...}で期待値を取ったものだった。これをさらに全データ空間D={d1,...}で期待値を取るとMとDとの相互情報量となるのだった。だから、サプライズがDの空間で期待値を取ると相互情報量になるというのは、サプライズが時々刻々のデータd1ごとに規定される値で、相互情報量はその検出器にいろんなデータを入れた上で評価される、検出器の性能みたいなもの、ということで別ものであるとは言える。


bayesian surpriseはtemporalなものとspatialなものとを別々に計算できる。temporalなほうは自明だと思うけど、spatialなほうは「detectorの周りは均一な灰色」みたいなpriorからどのくらいずれるかで評価する。だからほとんどsaliencyと等価なものになる。とかいったことをASCONEで説明することになる。ややこしい方へ行きすぎだろうか。

でこのへんからマッドになってくるんだけれど(<-いままでは違うと言いたいらしい)、さいきんやっとquantum families読み出したので、反実仮想と周辺尤度の計算を繋げるとかそんなことが頭を廻ってる。かなり厨房的アイデアなので同じこと昔考えた人は笑ってほしい。

つまり、量子脳とか考えなくても、ニューロンでMとDとを周辺化できれば、まさに実際あったこととなかったこととこれからあることと不可能なこととのアンサンブルを持っていることにならないか? ちなみにこの空間から外れるものがブラックスワン。

さらにもひとつ厨房的アイデアでは、「ガウス曲率は第1基本形式だけで定まる」ってのを読んだときに、localなニューロンの関係性から自分の空間の曲がり具合を知って、情報幾何的な位置関係(つまり KL divergence)とかがわかるんじゃないの?とか考えたけど。トンデモだって笑って。


あとちなみにサプライズとかサリエンシーは計算モデルでしかないから、認知的なサリエンシー検出器とかボトムアップ注意と同一視はできない。よって実験によるevaluationが必要。実際私が今蹴られまくってる論文はそのへんのモデルと実証の往復あたりがポイント。


以上です。ASCONE自体の募集はすでに終了していますが、ツイッタでの議論は誰に対してもオープンです。まだ現在進行で内容が増えてます。ぜひそちも見ていただければ。それでは仙台にて。


2010年10月16日

ASCONE2010の準備してます(1)実習内容に関連して

オータムスクール「脳科学への数理的アプローチ」ASCONE2010 『意識の実体に迫る』 2010年10月30日(土)〜 2010年11月2日(火) で「注意の計算理論で盲視を調べる」ってタイトルで講義をします。

講義内容の説明については生理研のサイトにページを作りました。あと、ASCONEの特徴は実習と討論なのですが、私の講義ではLaurent Ittiのsaleincy toolkitをvirtualbox上のlinuxから走らせて体験してもらう、という実習を行う予定です。こちらについての説明を書きました。ぜひご覧になって試してみてください。

それに関連していろいろツイッターでつぶやいてました。ほかにも講師の土谷さんや金井さんがつぶやいてます。ツイッターをお使いの方はハッシュタグ#asconeで探すと出てきます。おなじものを私がtogetterを使ってまとめたものがありますんで、ツイッター使ったことのない方は「ASCONE2010関連 」にアクセスすると話の流れを追うことができます。

それで、私の部分だけでもけっこうな量になったのでこちらでまとめておくことにします。第一弾としては、ASCONEの実習内容に関連して。話がわかりやすいように、元のツイッタの文章から多少加筆、修正および順番入れ替えとかしている。ここから:


有名なinattentional blindnessのテストはそもそも刺激がsalientでないっていう話。元の話を知らない人は元映像から見た方が楽しめる。元映像もyoutubeにあり。そのあとで、こっちを見てほしい。Youtubeより。映像のsaliency (目立つ部分)を計算して黄色い丸で表示している。じつは見逃したのは視覚的にそもそもsalientじゃないからじゃん?というのがここで言いたいこと。Itti labで世話になったFarhanがアップしロードしてる。

そうそう。似てる話で、Autismでの注視位置について以前ブログに書きました。http://bit.ly/daiNBV RT @NaoTsuchiya: 同じアイデアで、change blindness, attentional blink もどこまで bottom up model でpredict できるか試せますね。

いま思ったけど、このネタはASCONEでなんかうまく使えるかも。

つうか、ASCONE関係で調べ物してたのだった。本末転倒www


以前inattentional blindnessのターゲットがじつはsalientでない、という例に言及した。Change blindnessも同様に考えることができて(ここは土谷さんのsuggestionなのでacknowledge)、spatialなsurprise (=saliency)はあいだに入れられるgap映像とかによるtemporalなsurpriseによってoverrideされるので、じつは計算論的にもそんなにsalientじゃないんじゃないか、と言える。同様にCFSもフリッカーによるtemporal surpriseが反対の目からの入力のsaliencyをoverrideしている例と言えるだろう。

つまり、このような目で見てあらためて、サプライズが高いのに意識に上らないものはあるだろうか?と問い直す。2x2のマトリックスで考えてみる。もちろん、blindsightがその答えになるだろう、と言いたいわけ。


ASCONE関係進めないといけないな。気になっているのが、どうしたらグループディカッションをうまく活用できるかということ。以前の@kazuhi_s_ さんのツイート(http://bit.ly/d3i4Iv)にもあったけど「アイデア議論」と「実験デザイン/遂行」の2種類がある。

今回は全体のテーマが意識なので、みんなして議論・アイデア系の課題を出すと毎回似たり寄ったりの課題になってしまう。だから実験操作寄りのことを考えている。

今年はIttiのツールキットをいじってもらって、画像やムービーをsaliency mapに変換してもらう。いろんなパラメータがあるのでそれいじってもらって、主観的に目立って感じられるものと計算されるsaliencyがどのくらい一致/乖離するか報告してもらう。

たぶん主観的に目立つかどうかはもっとトップダウンの影響を受けていることとか学んでもらえるはず。ではどうやったらあるムービーのトップダウンの注意を定量化できるだろうか、なんて議論になってもいい。

あとほんとうは、こっちから画像データを渡すんじゃなくってその場でwebとか探してもらって、一番意外かつ面白い映像を見つけた人が勝ち、みたいなコンテスト方式を考えた。このネタがこのあいだのinattentional blindnessとかchange blindnessとかに繋がる。この話はこのあいだ書いた。

ほかにもmotion-induced blindnessの映像を変換したらどうなるだろうかとか。Localな動きの変動によるsaliency/surpriseの変化と点が見えなくなるタイミングは一致しているだろうか?

そんなわけで、とりあえず錯覚系のサイトに行って片っ端から映像を変換してもらうだけでそれなりに楽しめるはず。ほんとうはYouTubeとかその場で漁ってくれるとめちゃ楽しいけど、ストリーミングだけだからなあ。少なくとも公式には。ちょっとこれは推奨できないか。


以上です。ASCONE自体の募集はすでに終了していますが、ツイッタでの議論は誰に対してもオープンです。まだ現在進行で内容が増えてます。ぜひそちも見ていただければ。それでは仙台にて。


2010年10月14日

「クォンタム・ファミリーズ」読んだ!

ネタバレになるかどうか知らんけどそういうのが嫌な人はスルーで。

面白かったですよ。人間原理とか量子脳情報理論とかそういうキーワード見るとそれだけでもう期待が胸にあふれてきちゃうんで、買ってきて、だが即積んでましたけど、やっと読み終わりました。

「万物理論」とか「あなたの人生の物語」と「紫色のクオリア」(さらに元ネタは「虎よ!虎よ!虎よ!」なの?)と「クラナド」とか今まで読んでたものをいろいろ思い起こした。あとやっぱ「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」読みたいなって思った。「One」の元ネタでもあるしね。

なんてことはどうでもよいのであって、言いたいことは、最後の方であれを思い出したんです。どこで読んだんだっけか、「もし911を事前に察知してそれを阻止した人がいたとする。その世界ではそもそも911が起こらなかったのだから、その人は決してヒーローとして祭り上げられることもなく、市井の人として一生を終える。」この話自体がどういう文脈だったかはおぼえがないのだけれど。

私にとって世界というものは、そういう人たちによって崩壊から支えられていて、私自身もいろんな場面でそれに少しずつ寄与していて、自由意志とはなんぞやとか運命に翻弄されるちっぽけな私とかそういうものを越えて、選択肢の中から結果としてこれしかあり得ないような道を通ってきたと思わせるものがある。人間原理みたいに。

なるほど、いま書いててわかったけど、人間原理ってそういうカタルシスがあるんだな。

そういうわけで、読んでよかったってことです。


2010年10月12日

予習しよう!!!

いよいよ生理研研究会「身体性の脳内メカニズム」近づいてきました。でもって、その場で講演聞けばそれでいいって言えばそれでいいんだけれど、せっかくなんでいろいろ予習しておくとよいと思うんですよ。それで講演者やポスター発表者の方のところへ行って質問したりとかしてみるだけでずいぶんと身になるもんです。

すくなくとも私自身は講演のその場で気の利いた質問などひねり出すことはできなかったから、とりあえず付け焼き刃でいいから知識付けて、背伸びしながらやってきました。このブログでも以前の研究会でこんなかんじで関連する本とか論文とか読んできました:

だんだん手抜きになっているところが見えるのがあはれをさそうわけですが、ともあれ。

以前も書きましたが、「ソーシャルブレインズ 自己と他者を認知する脳」(東大出版)はよかったですよ。

平田さん、宮崎さんそれぞれ担当されている章がありますので、これ読んでいけば、そこからの差分として話が聞けるはずです。この本を見るとほかにも村田さん、友永さん、明和さん、と今回参加される方の名前が出てきてきます。ある種の学派を形成していると言えるかもしれません。

國吉さんの仕事に関して資料を探してみましたけど、トークのPDFがいくつか見つかりました。

住谷さんの仕事に関してですが、「幻肢痛を鏡を使って直す」の話はラマチャンドランの「脳のなかの幽霊」の2,3章にその話があります。でもやっぱ、じっさい患者さんはどんなかんじなのかいろいろ知りたいですね。ほかにweb探してみましたが、以下で言及されてます。

内藤さんの仕事は多岐にわたるのでなにを読めばいいか、要旨からするとこれらの論文の話

とかが出てきそうです。あと、要旨にあった「運動と感覚の双対性」これに激惹かれる。これは川人先生の感覚運動統合の双方向性理論の関係でしょうか?

磯田さんの今度のトークはこれまでに発表されている仕事よりはもっと新しいことをお話ししていただけることになってますので、ちょうどよい資料がないですね。私自身はさきがけでの発表を聞いた方の話と、SFN2009のabstを見て講演をお願いしました。去年のSFNのabstはmeeting plannerからアクセスできます。

  • Neuronal basis of socially oriented performance monitoring. I. Design of a behavioral paradigm for monkeys
  • Neuronal basis of socially oriented performance monitoring. II. Agent-related neuronal activity in the medial frontal cortex

あと、今年のSFNでも続編の発表があります。要旨はmeeting plannerからアクセスできます。

  • Learning from other’s error and the role of the medial frontal cortex in monkeys

さてさて、それでは岡崎で会いましょう!!! 今年は懇親会場は20時30分でいったん終了させますが22時まで使用可能です。そこで継続して語るのがいちばん安上がりで落ち着いてしゃべれることでしょう。飲みに行きたい人は東岡崎駅前ですが、よくある展開としては手羽先食うために「世界の山ちゃん」あたりに行くとかですかね。


2010年10月08日

次男に自転車の乗り方を教える

以前のエントリで娘に自転車の乗り方を教える というのがありました。あれから3年たって、今度は次男が補助輪を取って自転車に乗れるように練習をする番となりました。


ポイントは、自転車に乗ってバランスを保ってまっすぐ進むところと、ペダルを漕ぐところとを分離することにあったわけです。だから、まずはペダルを漕がずに自転車にまたがってまっすぐ進めるようにするトレーニングをする。じつはこれさえできてしまえばそこからペダルを漕ぐようにするには難しくない。

「伊東家の食卓」に出てた例ではペダルを自転車から外してしまって、それにまたがって両足を同時にで蹴って進むことを憶える。これは理にかなっていて、ペダルを外さないと、自転車にまたがって進むときにスネにペダルがぶつかって痛い。痛いと庇うから変な癖がついてしまう。

ただ、ペダルを外すための工具が必要なので、思い立ったときにすぐできないと具合が悪い。でもって思い立ったときにすぐ練習することが大事。というわけで、長男と長女の時は、ペダルを付けたままでとりあえず蹴って進む練習をした。右足をペダルに乗せて、左足で何回か地面を蹴って直進する練習をする。(あらかじめシートの高さとかをよく調整しておくことが大事。) 長女の時は脚力があまりないので、左足を蹴るタイミングで右足のペダルも漕ぐようにして推進力を作った。

でも、次男は力が結構あるので、右足はペダルに乗せるだけにしておいて、左足で蹴るのを繰り返してその推進力でまっすぐ進めるようにする。1,2,3と左足で地面を蹴って左足をペダルに乗せてみよう、と教える。そうしたら、左足をペダルに乗せるだけでいいのに、いきなり自転車が漕げるようになってしまった。つまり、次男に必要だったのは充分な助走だけであって、左右のバランスを取る部分はたいした問題ではないということがわかったのだ。

だから、しっかり助走を付けるために、一回、二回、三回と左足で地面を蹴って、充分スピードが乗ったところで自転車をこぎ始めるように教えた。これでその日の家に近所の公園の周回コースを足を付けずに一周できるようになった。するともう止まらない。けっきょく公園を10周して、付き合ってるこっちはヘトヘトになって、でもだいたいマスターしたといってよいところまできた。これが数ヶ月前の話。


でもって最近になってひさびさに次男の自転車の練習に付き合う。1,2,3と左足で地面を蹴って助走を付けてスタートすることを律儀に守っている。じゃあこんどは1,2でスタートしてみよう、と言ったらすぐできた。次男みずから「じゃあこんどは1でスタートしてみる」と言い出したので感心した。

最後に助走なしでスタートできるように、スタート時にはペダルを高い位置にしておくことを教える。実際これは以前にも教えていたのだけれどそのときはまだ身についていなかった。いまはほかのことが習得できているので、よく理解した上でペダルの位置をコントロールしている。教える順番の大切さがわかる。

さらにブレーキのかけ方について教える。もちろん以前にも教えているが、スピードが出せるようになったので、狙った位置でぴたり停めるにはどうすればいいかを教える。自転車の機構に興味を持ちだした。右のブレーキが前輪を挟んで停めること、左のブレーキが後輪を包むように停めることを見せてやる。

チェーンに油を差すと漕ぐときに抵抗が減って音が小さくなることを知ると、油を差してくれとせがむようになる。雨降ったあととかだけでよいことを教えておいた。


三人目ともなるとそれなりに教える側のノウハウが蓄積しているかんじがする。三人とも性格とかいろいろ違うのでそれにどう合わせて教えてゆくかということも。世の中のほとんどのことはこういった単純なノウハウから構成されていて、うまくいかないときはいかなくべくしていかない。(へんな日本語w でも言葉操るのも同じ話だよな。)

一方で、お祭りに行く前にママが揚げたテンプラにラップをかけて家を出ようとしたら、そんなことしたらじっとりしてしまうからダメ、と言われた。そっちのほうのノウハウはぜんぜんないんですー

ってそういうオチ。


2010年10月06日

要旨集作成しました

生理研研究会「身体性の脳内メカニズム」です。

要旨集を作成しました。サイズは3.8MB。こちらからダウンロードできます。

講演者、ポスター発表者の皆様へ:要旨集をご確認いただいて、間違いなどありましたらお早めにご連絡ください。

申し込みも今の時点ですでに50人越えてますんで講演者、運営をプラスするとすでに70人オーバー。最終的には例年のトータル参加人数100人よりも多くなりそうです。

会場は大会議室にして、昨年の国際シンポジウムと同じですんで200人入りますが、後ろの方の椅子を撤去してなるたけ前の方に座ってもらって、議論とかしやすいようにしておく予定です。

それではまた。


2010年10月04日

ポスター締め切りました

生理研研究会「身体性の脳内メカニズム」です。ポスター申し込みは10/1(金)で締めきりました。合計19人の応募をいただきました。どうもありがとうございます。

ポスター発表者の方へ:せっかくの「身体性」がテーマの研究会ですので、いろいろ実演してもらえると楽しいと思います。(ポスターアワードをゲットするためにはこれが一番効果的という話もあり。) 電源やテーブルや空きスペースなどあらかじめ確保したい方は前もって連絡ください。

ポスターのタイトルと発表者のリストを作成しました。要旨集もまもなくアップする予定です。いよいよ始まるなってかんじがしてきました。ではまた。


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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