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■ 「頭の良さ」談義
飲み会の時とかにわたしが振る話題で「頭の良さ」談義ってのがあります。あなたの知っている「頭のいい人」の頭の良さというのはどういうものだったか教えてください、っていうお題で議論をするんです。なかなかうまくいかないのだけれど。
で、具体例になってしまうのでここでは書かないのだけれど(エー)、もっと抽象的な言い方をすると「ややこしいものをものすごくシンプルにしてみせる頭の良さ」ってのがあります。じつはわたしは「見切りの良さ」みたいな頭の良さは信じてない。このへんはいつものわたしの話同様、入り組んでいるのでもうすこしきっちり書きます。
見切りの良さと手際の良さで頭がよく見える人はいる。大学に入ったころはそういうのに憧れてた。だけど今は、そういうのって自分の得意分野に引き込んだ上での巧緻性なので、よりメタな問題に対処するために自分を拡張しなくちゃいけないときにときとして邪魔するんじゃないか、なんてエラそうに考えてる。
わたしが科学者にありがちな極端な還元主義的思考になじめないのはじつはそれと同根であるものを感じているからだ。ウサンくさい複雑系かぶれだと思われないようにさっさと付け加えると、還元主義がいけないわけでもなくて、ものごとをシンプルに保つこともいけないことじゃない。見切りの良さとものごとをシンプルに保つことが重要なのは、もっと複雑な問題(たとえば「意識の問題」とかね)を考えるためにその手前のことをさっさと片付けるため、そしてそのときだけだと思うんだ。
だから、上記のことをもっと正確に言うと、「『物事をシンプルに保つ』という思想をじっさいに扱っている問題自体をシンプルにすることにまで使ってしまう不用意さ」をわたしは問題としてる。
わたしがデビッド・アレンの「Get things done」の本で好きな点は、「頭の中にたまっているToDoを全部書き出してしまう」ということを人生の目標を矮小化する(「書き出されたことだけが人生で可能なことだ」)ためにやるのではなくて、頭のもやもやを取り除いて、もっと創造的なことに頭を使うべきである、という風に考えている点だ。(正確な表現を探しておく必要あり。)
そして、そういった創造的なことをするには頭はもやもやさせなければならないし、わたしが以前書いた「わたしの中のカオティックな部分」ていう表現はまさにこれについてだった。
Simplicityを薦める本がもし真っ当であるならば、それはcomplexityを雑に扱っていないはずだ。
この文章を書き始めたのは「シンプリシティの法則」(ジョン・マエダ)の書評をいくつか読んだからでした。極東ブログでの表現で、
シンプリシティ(簡素さ)とはけしてシンプルなことではないからだ。そしてなぜそれがシンプルではないかというと、シンプリシティを求める人間の知性や美意識のなかに、生命の本質が関わる複雑性の要素をそぎ落とすことができないからだ。
なんて書いてあったので、これはいけるんではないかと思ったのです。ちなみに5番めの法則はこう:Simplicity and complexity need each other.
ちなみにジョン・マエダはMITメディアラボ教授。わたしは「ビジュアライジング・データ」の前書きでその名を知りました。
ジョン・マエダのブログのこのコメントなんかは科学者的発想でしょうね。
Simplicity can live by its own. complexity need to be simplified.
それにたいしてJohn Maedaはこう答えてる。
That’s a neat idea — to ask whether one can cancel out the other, and whether that relationship is reciprocal.
ここはとても素敵だ。考え続けてるかんじがある。かんたんな答えじゃないよね。
わたし自身はどうかというと、自分で自分の限界はわかっているから、とにかくできるところからやってる。図式化とかしたがる。なんかほかの例につなげてみようとか。パラフレーズして自分の表現にしてみようとか。私と会話していると、なんかこの人の言ってることは繰り返しばかりだな、と思われるかもしれない。仕方ない。その通り。コジツケとか、思い込みでの即断とかもけっこうあるけど、要はわたしなりに見通しを良くするところにそれなりに労力をかけているんだ。 (続き書くべし)
論文コメントブログってのをやってるのもそういう意義がある。べつにわたしは流行りものに飛びつきたくってこんなことやってるんじゃない。メタパターンを学習したいとか、いろんな言い方ができるけど、そう「見通しをよくして、重要な問題を見つけたい」、それだけなんだ。始まりは素人的な素朴なアイデア、それのimplementationのためにはきっちりとしたサーベイ、この二つのプロセスの両方に、違った意味で効いてくると思うんだ。
(KISS (keep it simple and stupid)に対する複雑な思い、について書くべし)
話を戻すと、だから今はわたしは、粘り強く物事の本質を見出すところまで辿りつく能力に頭の良さの価値を見出していて、じぶんでもそこへなんとか辿りつけないかなと思いながらいろいろやってます。
じつはこのエントリは「頭の良さ談義」の話と「Simplicityの書評」とかに分けることができて、読み物として楽しむためにはもっと整然と書く必要がある。だがこれは俺のブログだ。わたしがどういう思考過程を経ていたのかを記録するためにこのような構成が使われているというわけ。とはいえ、これでもかなり構成をいじり、書き直しを経ているのだけれど。
なんて言って、唐突に終わる。なんかエラそうな物言いなので、このエントリに漂っているヴァイブwが気に入らない。けど出す。いやあねえ(キンドーさんっぽくシナを作りながら)。
2009年08月26日
■ Twitterに脳内がだだ漏れる20090622
お元気ですか!!! NIPS-SSCのほうはどんどん参加者増えてますよ!!! ポスターのほうもおかげさまで35枚来ました!!! もうすぐ要旨集もできます!!! Webサイトの方もチェックしてみてください!!! (なんか雑なしゃべり方で。)
いつもの、twitterでたまってるやつをまとめ直してみたんだけど、ちょっと前の精神状態がわかっておもしろい。なんというか、セラピー効果があるね。
4/16 どこででも可能なんだ。// 広くて笑っちゃうくらいだ。
4/17 「到着」が「ちゃーちゃく」になるの。// キュートでしょ。
4/18 このあいだ大府の晴レル屋に行ってつけ麺食べてがっかりしたので // 岡崎にできた「つけめん舎 一輝」もとりあえず敬遠していた // たまたま近くを通ったので入ってみたら、 // なんと二郎インスパイア系のS0-二郎というメニューがある。 // 俄然頼む。残念ながら肉増量分は売り切れ。 // どうせ三河の趣味に合わせてあっさり味で出てくると思ってたら、 // スッゲー背脂乗っかって出てきて大感激。 // これが食べたかった! // 「アブラ多め」とか言わなくてよかった。 // ちょっとタレが強すぎる傾向はある。 // カネシ醤油とも違ったかんじ。 // けど、この三河の地でこれだけ「ガッツリ」食せるやつにははじめて出会った // 健康のために1ヶ月に一回までと決めることにする。 // とか思いながらwebあさってみたら、限定メニューじゃんかこれ。 // ヤバい、また明日行く(人生オワタ\(^o^)/) // ちなみに半角仮名は使わないようにしているので。 // 三河の人はスガキヤの味で育っているので、とんこつラーメン屋とかもみなあっさりめが多い。 // 背脂系なんて皆無。 // だから期待していなかったのだけれど、 // どこから集まってきたのかってくらいに3桁台の漢たちが集まって、 // みな無言で携帯いじってる。 // 俺が痩せてる部類に入ってるwww // 参考URL1: http://tinyurl.com/dbrf74 // 参考URL2: http://tinyurl.com/dffr34 // 参考URL3: http://tinyurl.com/dhau43
4/28 一輝再訪。SO-二郎を肉増しで注文。ぜんぜん背脂が入ってない。 // 途中で油増しをリクエスト。 // なんか三河の味覚に合わせたのだろうか。納得いかねー。
4/29 子連れの潮干狩りはたいへん。ヘトヘト。// たくさん取れたんで楽しかったけどね。// あと、逃げ遅れたアメフラシが点在。スゲーでかい。// こいつのことを「ウミウシ」って呼ぶ方がよくね?
4/30 今日はこれがいちばん納得いった://「成功したと思っている人間は、深く検討したわけでもないのに、自身と同じ経験を他人に勧める傾向がある」という仮説が浮かんだ。// URL: http://tinyurl.com/d43ew5
5/2 ワロタ>>「え?一気に全部ダウンロードしたい?わんぱくだなー。」
5/9 思わぬところで「とらドラ」のひどいネタバレを見た。// 告訴したい。// ということで、// 自宅から安城のbookoffまで往復。// とらドラの4巻を買いに行くがないので10巻を買っとく。
5/7 ひさびさのカラオケ。というか今年初。// Perfume 「Dream fighter」を熱唱。// そのあと井上陽水「帰れない二人」。// 忌野清志郎関連ということで。
5/13 Amazon Web サービスでRESTでデータ取得したりとかいじってたのだけど、// なんか仕様変わるって。// わたしのはたんなるXMLプログラミングのお稽古だからいいけど、// そんな面倒にする必要ないのにね。// わたしがしたいのはたんに、// http://tinyurl.com/pcp6dv // とかRESTでレビューを取得したいだけなんですけど。
5/14 1000人がぜんぶ消える。// なにも言い訳はできない。// だれも笑っていない。// 遠くでモーターのうなり声が聞こえる // 強い風が吹いている。// かすかに焦げたにおいがする // やけに涼しい。// 人間だけが止まっている。// 生き物はせわしなく動く。// 僕らは、終わってしまった。// そしてそれによって何も変わらない。// ある種の、廃墟。// だが主体はそこにない。// ...人間味というものが失われている。// 人影、気配、そういったものに欠けている。
5/16 BLUE BIRD by Unconscious // をタグ付けしてて気づいたけど、// これってwhite-lipsですね。// いま気づいた。
5/18 「スラムドッグ$ミリオネア」見た。// よかったよ。// 地元のシネコンでレイトショー、1000円。// 客10人くらいしかいなくて、いいんかってかんじだったけど。
5/22 中田ヤスタカと田中ユタカってなんか字面が似てる。 // オタクなんで、後者の方が好き。
5/24 HT-03Aってぜんぜん詰められてないんだけど、 // 出る前から終わってないか? // プッシュ不可、flash不可でしょ。 // なんで後発なのにその点でiPhoneからのアドバンテージがないの? // あとは料金プランだけ見とけばもうよさそう。
5/29 金沢来た。 // チャンピオンカレー行った。 // レンタルサイクルこいで5キロくらい。 // カツも作りおきでないっぽい。 // ルーも濃いくて、なかなかよかった。 // 帰りに手前の別のカレー屋でリトバスの痛車発見。 // 痛車って実物はじめて見たよ。 // さすが金沢工大前(決めつけとく)。 // でもそのとき俺は片霧烈火のorange girlを聞いてた。(イェイ!)
5/29 音楽を聴いていると意外なところでホロリとさせられることがある。 // まえに「ももいろのうた」が「百色」であることを知って泣いたことがある。 // でも、「あたしが虹で道しるべ作ってあげる」で泣いたのは // さすがに心が弱っているとしか思えない。 // (いい曲だけどね。)
5/31 Gigolo Auntsの"Gun"って曲があって、大好きなんだけど、 // 歌詞は「38口径かCOMBAT 45があれば、生きてるって素晴らしいって思うんだ」ってやつ。 // 当時は銃社会への皮肉みたいなもんだと思って聴いてたのだけれど、 // 歌詞的には銃全肯定なんで、もしかしたらまんまの意味だったのかも。 // Nirvanaの"rape me"とかはそこを明示的にグチャグチャにしていると思うのだけれど、 // Gigolo Auntsみたいなバンドがどういうattitudeを持っているのか理解してなかったかも。 // 歌詞的には誇張的に露悪的な表現があるから // (「ママにもひとつ買ってあげた」) // 俺の読みで正しいと思うのだけれど。 // ボストンのバンドでカレッジチャートとかで人気が出たりするわけだし。
6/16 ICAで有名なAapo Hyvarinenの単行本"Natural Image Statistics"がダウンロード可能。 // http://www.naturalimagestatistics.net/ より。
6/18 ブログのエントリ上書きししまった。 // けどGoogleのキャッシュで復活。 // Googleさんありがとう。 // phpAdminでデータベースのバックアップ取っとかないとね。
2009年08月23日
■ でっかいキュウリがとれた!
愛する奥さんがせっせと家庭菜園で野菜を育てているんだけど、今年はプチトマトとか茄子とかいろいろ収穫があって、おいしくいただいてます。
今日はキュウリを食べようと、娘が下のほうで葉っぱに埋もれているところを探してみたら、お化けキュウリがとれた!
比較のために次男に持たせて写真を撮ってみた。手前のやつは普通のやつ、っていってもかなりデカいやつで長さが25cmあるんだけれど、奥のやつは長さにして43cmある。重さも(量ってるしwww)手前のやつが200gで、奥のやつが730g。
つーかデカくなりすぎなんでこれは食べるのには適してない。どうしようかね、みたいな話をしてる。
昨日は奥さんと長男は鮎のつかみ取りに行ってて、そのあいだに私と娘は「パパのための料理教室」でピザ作り(粉をこねるところから)。まあ、そんな日々。
2009年08月20日
■ これからどんどん、もっと変わるよね。
「12/25 マック行列、バイト千人// 昔からそういうもんだったんだろうけど、// それが見逃されなくなった、ということでしょうね。// なんか、時代が変わったってかんじがした。// これからどんどん、もっと変わるよね。// そのとき、俺はどっちにいるんだろうか。」
ってまえに書いた。これじたいがどうという話ではないのだけれど、これまでの「本音/建て前」の世界が崩れて、かえってみんな杓子定規にルールで動かなければならなくなった。お上の出したルールを「建前のもの」として無力化して、「自分で責任を取る」と言って行動できた時代が終わった。それが英雄的行為として褒め称えられた時代は終わり、プロジェクトX的な馬力はもう評価されない。ルールは建前ではなく、ほんとうにルールになった。
これに俺は対応しなければならなくなった。(いろいろと中略)
もいちど反転:というような思いを奥歯でかみしめて、すべての人が「それ」ではなくて「あなた」であることをかみしめて(ここブーバーね)、人に対してものを伝えるようにしてゆくしかないのだけれど、しばしば人にシステムを投影してしまうんだ(村上春樹の「卵」と「壁」な)。
さいごに反転:まあ、こうは書いたけれど、「俺」なんてものはないし、「自由意思」なんてものもないので、「俺」なんかはどこかに雲散霧消してしまえばよいと思うんだ。
2009年08月15日
■ あじさいの鉢植え
母の日のために、愛する奥さんの名前のついたあじさいの苗を買って育て始めた。ちょっと気が利いているかなと思って、まったくの思いつきで通販で買ってみたのだけれど、植物を育てたことがない私は全然うまくできなかった。
届いた5月あたまの段階ではまだ花(というか萼だけど)はつぼみ、というかまだ緑色で開花してない状態だった。とりあえずベランダにあった直径15cmの植木鉢に植え付けたのだけれど、窮屈そうだった。
直射日光を避けた方がよいとネットで見たもんだからベランダで育ててたら、茎が徒長して、花を支えられなくなって倒れてしまった。花がだんだん開いてきて白くなってきたのだけれど、元気がない。さらに長期出張のあいだ娘に水やりを頼んだのだけれど、一日一回では水も足りなかったらしく、葉っぱもしおれてきてかなり危機的状態になっていた。
6月あたまの出張から帰ってきた私は抜本的な立て直しを図るために、バケツに鉢ごと入れて水揚げをしてから、朝晩一日二度水やりをすることにした。(あじさいは水がたくさん必要なんだ。ヒドランジアっていうくらいで。) それから、娘の朝顔用の支柱を貸してもらって、倒れてた茎をくくりつけて、花をなんとか立たせた。でもって、ベランダから、もっと日当たりの良い場所に移した。
これでやっといろいろ好転してきた。花はまず白くなり、その縁がピンク色になってゆき、それがだんだん全体へと広がる。写真は7月あたまの段階。ことしは梅雨が長かったから、それからは水にも不自由せず、さらに一ヶ月近く花を咲かせ続けた。
8月あたまにしおれた花をカットして、来年の芽が出るところより上で茎もカットして(といいつつどれが花芽かわかんないんだけど)、直径25cmの植木鉢に移し替えた。ここからは葉と茎の状態でずっと維持していく。また来年にうまく咲かせることができると良いのだけれど。
すべてが隠喩を帯びてしまうことを承知のうえでこうして書いているという点が「夏休みのあさがお観察日記」との違いなんだけどね。そういうときもある。
追記:「なんて名前の花ですか?」って聞かれたら、「知らぬが花」って答えるに決まってる ... 木霊する緑の中で。(<-なに言っちゃってんの、このひと。)
2009年08月07日
■ おすすめ本:「『意識』を語る」
さあさて、生理研国際研究集会「認知神経科学の先端 意識の脳内メカニズム」NIPS-SSCが近づいてきたので今年も「予習シリーズ」(この言い方は四谷大塚なのだそうです)を始めようかと言いたいところなのですが、その余裕がないんで、参考図書を紹介:
「意識」を語る スーザン・ブラックモア (著)
「ミームマシンとしての私」で有名なスーザン・ブラックモアがツーソン会議やASSCに参加するような科学者や哲学者にインタビューをしたものです。各章が短いのでどこからでも気軽に読めるのでおすすめです。この問題でみんなもういろんなこと言ってるってのがわかります。今回の生理研国際研究集会「認知神経科学の先端 意識の脳内メカニズム」NIPS-SSCではこの中でインタビューされている3人がトークしに来ます。ここがポイント。まずNed Block。それからChristof Koch。それからPetra Stoerig (原書には入っているが、訳書ではページ数の都合上、webからのダウンロードのみとなっている)。この本を読んでも今回のトークでしゃべることがわかるかっていうとわからないと思うけど、もっと雑談レベルでそのような考えの根っこがどんなものなのかってのを読んでおくときっと岡崎でのワークショップも楽しめるはずです。
というわけで訳書の中からおもしろかった部分をピックアップしてみます。(原書を元に多少訳をいじっているところあり。) まずNed Block。
わたしが心の哲学について講義をするとき、いつもは「逆転スペクトル」の話をします。「あなたには緑に見えるものが私には赤に見えて、その逆も成り立って」という形で話をする人もいますが、
(中略)
で、これについて入門編のコースで説明すると、普通は三分の二くらいの生徒が「ああなるほど、言っていることはわかりますよ」と言うし、中には「ああ、そういえば、子どものときからずっと不思議に思っていたんですよ」とさえ言う生徒もいます
(中略)
でも、三分の一くらいの人々は「いったい何の話やらさっぱりわかりません」と言うんです。そしてこの三分の一というのは、デネットやオリーガンみたいに、何らかの形で機能主義者か行動主義者なんだと思うんです。つまり、こういう人たちはどういうわけか、現象性や、それがもたらす難しい問題を理解できないのです。
ここでの、ある人にとって問題となり、ある人にとっては問題でない、というかんじが面白いですよね。こういうanecdoteをもとに議論しちゃいけないんだろうけど、けっこうここが本質なような気もしてる。つまり、「どの段階で納得がいくかの問題なんじゃん?」っていう。
しばしば誤解される気がするのだけれど、「機能では説明できないような意識があるかもしれない」ということ自体をだれかがなんか積極的に証明したいと思っていると考える必要はないように思うのです。少なくとも意識の「科学的解明」においては。ある種のオカルト的考えと結びつきやすいので、科学者はそういう気配に対して反発するんだと思うのですけどね。わたしは「意識の機能的側面を説明したら現象的側面を説明したことになる、というのは自明ではないでしょ?」って言い方の方が科学者には伝わるんではないかと思う。
このあいだのASSCで金井さんと高橋さんと会ったときにこんな主張をしたんですけど、ASSCとかでいろんな人が議論してるときのモティベーションはなにかというと、科学的に話を詰めていけば意見の相違はそんなにはあり得ないんで、けっきょくそれぞれが譲れない点というのがあって、それが各論者の個性を作ってるんじゃないか、なんて思うんです。その意味ではネッドとかは「機能的に説明できれば十分である」という必ずしも自明ではない立場を取る人に対してものをしゃべっているように思うんです。(クリックの"astounishing hypothesis"での「およそすべて人間が体験することはニューロンに表現されている」というのは、べつにこれとは抵触しない。)
つぎはChristof Koch。
(注:脳が免疫系などには「意識的アクセス」を持っていないことについての説明を求められて、)
クリストフ 脳内や体内にはそれを神経的に表現するものがなく、明白なやり方でこの情報を表現している「脳の計画段階」にアクセス可能にできないということ。
ブラックモア ではここで重要なのは「脳の計画段階」なのですね。
クリストフ そう。フランシスとわたしはそれこそが意識の機能だと考えてる。つまり、意識の機能とは「現在自分の周りで関連していることすべての要約を作成すること、そしてこれから自分がなにをするかについての意思決定を行うために、その要約を「計画段階」に送ること」だ。
(中略)
ブラックモア ではあなたの見解では、意識そのものに機能があると?
クリストフ あるいは意識の神経相関に機能があると言ってもいい。ネッド・ブロックの言うP意識とA意識の区別は信じないよ。
ブラックモア 両者は同じものだってこと?
クリストフ ネッド・ブロックはこれらを区別するはっきりした実証方法や操作手段を一度も示していないんだ。概念が異なる可能性はあるが、操作的にこの二つを区別できない限り、気にかけるつもりはない。
「脳の計画段階」ってわかりにくい言葉ですけど、原文でも"planning stages"です。以前このブログでperceptual decisionとの関連について言及したことがありますけど、decisionをするステージそのものというよりはその手前なんですよ。ただし、なんらか抽象化したサマリーであって、感覚データをのものと言及してないところからして、perceptual decisionよりはもっとprefrontalとかを使うような認知的過程のことをイメージしていると言えます。
さっきのネッドの話につなげると、科学者もまっとうだったら「機能的に説明できるところから明らかにしていこう」というあたりに意見が落ちつくと思います(*注)。かならずしも消去主義的な立場を取る必要はないわけで、その意味ではクリストフの言っていることは踏み外してはいないと思います(上で言ってることは、ネッドの分類が操作的にこの二つを区別できるなら、気にかけることにしよう、ということなわけで)。ちなみにさっきの私の主張でいけば、クリストフとか、その他多くの科学者は「科学的な手続きを取らずに確定的にものを言う」ということに激しく反発するのであって、それ以外のところに積極的な立場を取る必要をとくに感じないんじゃないかと思う。その上で科学的な作業仮説を立てる。たとえば、「シングルニューロンレベルからネットワークレベルまでの可能性を踏まえた上でのNCCの存在」とか「脳と環境との相互作用」とか。だから、わたしとかAlva Noeとかは「脳は受動的な計算機で、環境との相互作用を考えなくても意識を含めた認知活動が説明できる」みたいな前提に基づいた考えには反発する。でもこれは科学的アプローチの中での作業仮説のレベルの違いでしかない。
*注: いや、もっとずっと多くのpopulationで「意識のような定義自体が不確かなものを対象とするのは筋が良くない」って考えてる、というのが正しいですね。でも、以前のサールのまとめにあったように、意識のanalytical definitionとcommon-sense definitionはべつに分けるべきだし、科学を始めるには後者があれば充分で、さいごに前者が出来ればよい、というので充分だと思う。
NCC論について言えば、「シングルニューロンレベルであれネットワークレベルであれ、意識の機能的側面を解読・制御できるような脳のサブセットを見つけるところからはじめるのが一番早道でしょう」って言ってるだけなんで、そういうものがあろうがなかろうが、それが科学的に検証できれば問題ない。このくらい一般化してしまえば、わたしもとくに反論はない。たぶんクリストフを含む意識の科学的アプローチの推進者は「意識の問題は難しいから科学的にアプローチするのは無駄だ」みたいな意見にしか反発しないと思う。「ハードプロブレムとイージープロブレムを分けるべきだ」という主張と、「イージープロブレムを解くことはハイドプロブレムを解くことにはまったく役に立たない」という主張は別。
せっかく二人来てくれたのでネッド vs. クリストフという構図を煽ってみたいとは思うのだけれど、実際にはネッドの論敵はチャーチランドみたいな消去主義者で、クリストフの論敵は哲学的にはいないし、無理矢理入れればコリン・マッギンみたいな懐疑主義者ですかね。クリストフの論敵はNCCの作業仮説に基づいた上でのエビデンスの解釈の相違に基づいたものとなるでしょう。つーかそれが科学だ。デネットは創発の概念を持っているし、けっして消去主義者ではないですよね。デネットは神秘的な要素を入れることに反感があるだけで、そういう部分は創発なり進化なりで説明できるとする部分こそが核なのではないかと思う。あと、意識とはある種のillusionに過ぎない、って議論のバリアントがいくつかあるけど、わたし自身はそういう議論の意義がわからない。Illusionかどうかってのは存在論的問題に過ぎなくて、現象的意識を体験しているというのは認識論的問題なんでべつもんだ、ってのがじっちゃんからの教え(つーかわたしがサールから学んだこと)ですけど。
ってわたしの意見はべつにいいや。いろいろとボロが出るしw ここでクリストフのところからもう一つ引用。
クリストフ もしこれらの小動物がたんなるオートマタではなくて、じつは感覚を持ち、感じることができるとしたら、何の権利があって彼らを殺せるかね?
ブラックモア 肉は食べますか?
クリストフ (ため息) うん。
ブラックモア 難しい問題ですよね?
クリストフ そうです。あまり食べないようにしているけれど、とにかくうまいからなあ。
最後の文がなんか素朴でワラた。原文では"Yes. I try to eat less meat but it just tastes so good."と言ってる。スチャダラパーの"5th Wheel 2 The Coach"でのフレーズを思い出したり。
あとPetra Stoerig。これは盲視の患者さんが能力を獲得するのにはトレーニングが必要だって言っているところ。わたしのJNS論文と関連してます。
学習が早い人もいれば、この能力(盲視)を身につけるのに時間を要する人もいる。ほとんど最初からうまくできる人もいるのです。
(中略)
もっとも長くかかった例では、(弁別テストの成績が)偶然のレベルを超えるのに2年ほどかかり、そこからは普通に伸びていきました。いったん伸びると、続けているうちに、(非常に長い間彼らとつきあっているのですが、)なにかがそこにある感じがすると言い出すことがあります。この感覚が必ずしも正しいわけではありません。間違っているかもしれないし、最初はあまり当てにならない。それでも、だんだん成績がよくなっていくのです。
Type 2 blindsightでの「何かがあるかんじ」というのにも言及してる。でもこのあいだ彼女に会って話をしたときには、type 2という言い方は私は好きでない、って言ってました。
というわけなのですが、残念ながらペトラは参加できなくなっちゃいました。このエントリを書きはじめたのは7月だったのですが、訳文丸写しはまずいので引用になるように間とか埋めるのが遅れてたら予定が変わっちゃった。
ともあれ、岡崎でお会いしましょう! ではまた!
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- / 投稿日: 2009年08月07日
- / カテゴリー: [生理研研究会2009「意識の脳内メカニズム」]
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2009年08月03日
■ ポスター締め切りは8/14に延長です
生理研国際研究集会 「認知神経科学の先端 意識の脳内メカニズム」のほうはポスターが7/31いっぱいが閉めきりでしたが、おかげさまで全部で26名の方からお申し込みいただきました。どうもありがとうございます。
しかし、まだスペースがあります。多くの方に参加していただいて盛会にしていきたいと思いますので、締め切りを8/14(金)に延長して募集を続けます。
Webサイトにも記してありますが、神経科学大会と同じ要旨を使ってくださってもかまいません。より多くの方に研究成果を宣伝するチャンスとしてご利用ください。ポスターの内容の範囲としても、「意識」そのものの研究としてしまいますとスコープが狭まりますので、より広く考えてくださって結構です。たとえば思いつくものを挙げますと、さまざまなillusionを用いた知覚や運動の研究、脳損傷患者での感覚認知の研究、感覚認知や意志決定のニューロンメカニズム、神経情報のデコーディング、脳内のエンコーディング過程に関する計算脳科学的アプローチ、ロボティクスにおけるembodimentの問題などは充分スコープに入っていると考えています。
あと、優秀なポスターを選んでポスターアワードを行う予定です。こちらに関してはポスターの内容に加えて、いかにうまくプレゼンするかが鍵となるかと思います。バンケット会場でたっぷり時間を使って行う予定です。こちらも楽しんでいただけるとありがたいです。
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- / 投稿日: 2009年08月03日
- / カテゴリー: [生理研研究会2009「意識の脳内メカニズム」]
- / Edit(管理者用)
2009年08月02日
■ IUPS2009に行ってきました
IUPS2009に行ってポスター発表してきました。なんかいろんな人にラーメン食ってきたかどうか聞かれたんですが、昼に一乗寺の「ラーメン荘 夢を語れ」に行ってきました。ブタ入りニンニク抜きで麺は少なめ200g (この店の標準は300gで、値段は変わらず400gもあり)。いやーこれですよ、食べたかったのは。豚バラの分厚いのが5枚入っていて、背脂もたっぷり。これをスープ飲みながら食っちゃうんですが(沁む/死む)、初めのうちは脂メインで塩気少なめ、だんだん醤油味が強くなるのがちょうどいいかんじ。昼にこれ食っちゃったんで夜はコンビニで豆腐ハンバーグのお総菜を選んで超軽めにしときました。
今回の出張では金沢出張に引き続いてレンタルサイクルを活用。ホテルからタダで自転車が貸してもらえるので、これを漕いでラーメン屋もIUPS会場も行ってきました。京都出張はいつも移動はバスだったり地下鉄だったり叡山鉄道だったりと微妙に乗り換えが多くて不便だったのですが、京都は平らですし、もともと自転車乗りも多いということで試してみたんですが、これがなかなか正解。ホテルから一乗寺までが7キロくらいで、そこから国際会館までが2キロくらいなんで正味一時間で、負荷的にもちょうどよい。高野川沿いの道をギヤなしママチャリ(シート上げまくり)で乗ると天気的にもよくて、なかなか気持ちよかったです。
Posterのほうは多くの方に見に来ていただけたのでありがたかったのですが、けっきょく同じ時間のポスターをほとんど見ずに終了してしまいました。Sten Grillnerが見に来てくれて、pulvinarはどうなってるんだろうね、みたいな話をしました。
ついでにメモ:先週はPeter Redgraveが来て議論をしたのだけれど、これがなかなか面白かった。彼はSGI->CM/Pfの投射が効いているんではないかと話をしてた。確かにそうすると、私の見ているある種のawarenessとMCSの人のawakeningに関わる経路(Shiff et al)とのつながりが出てくる! Arousalとawarenessとconsciousnessはconceptualに言っても別ものであるのは明白なのだけれど、それらが何らかの形でつながっているところを見ることができたら面白いんじゃないだろうか。
次の日は早起きして龍安寺へ。有名な石庭を見に行きたかったのですね。学会の開催時間を考慮してオープン直後の8時に行ったのですが、これが大正解。団体客が全くいなくて、いるのは私ともうひとりカメラを持った男の二人だけで、石庭を見ながら静かにずっとボンヤリとする(瞑想と呼ぶのはおこがましい)ことができました。
ただ、思ってたより狭いですね。いや、べつにその箱庭感が良いのだけれど、観光用の写真とかだとすごく大きく見えるように写すんで、はじめ眼に入ってきた瞬間、ちょっとあれって思った。
ここを見に来たのは高校の修学旅行以来でしょうか。記憶がありません。それよりかはPTAMを使ったARによる「龍安寺石庭で戦うダース・ベイダー」 (YouTubeに出てるあれ)を見た記憶に上書きされて、本物の石庭を見てもあれを思い出して笑ってしまう。(<-現実と作り物の境界が失われている嘆かわしい現代人)
あとはBMIシンポジウムに参加して、阪大の八木先生とATRの神谷さんのトークに質問してきました。これについてはのちほど。
そんなこんなで楽しんできました。
お勧めエントリ
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- 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
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