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■ 「泣ける感じ」

愛する妻が子供用に科学手品18種セットみたいなおもちゃを生協から買ってきたんだけど、それが開ける前からなんか軽くてちゃちな感じがして、なんかひさびさにあの「泣ける感じ」がきたな、と思ったんですよ。開けてみたら予想どおりあんま中身が詰まってない感じで、もやはダメかと思ったんです。でも子供がそれで喜んで遊んでくれて、なんかいろいろ説明して一緒にあれこれやっていたらなんか感極まりまして、僕はこの感じを決して忘れないよ、だからさようなら、なんてパステルズバッチですよ、もう。いや、吉野家コピペではないんです、けっしてこれは。
で、その「泣ける感じ」というやつを説明しておきたいと思うのですが、「かわいそ犬」というのがかつて私の近所に二匹いたんです。一号と二号。どちらも年老いていて毛並みが悪いみすぼらしい犬だったんですが、一号は道路沿いの民家で飼われていて、コンクリート塀の向こうから「ボッ」って弱々しげに泣くんです。番犬としての役割を果たそうとがんばっているんだけれども、もう力がなくて、こちらの目を見ようともせずに弱々しげに吠える。それが不憫で不憫で仕方なかったんだけれども、あるときから見なくなりました。
二号は駅前にいて、ぼさぼさの毛で駅前の雑踏をうろうろしていたのをよく見たものです。あるときなんかの都合で私がそいつの近くを自転車で通ったときに、二号がキャンキャンいいながらものすごい勢いで追いかけてきたことがあります。これはそれでなんかやりきれない悲しさがにじんだものです。こいつもここ二、三年見てません。
で、このかわいそ犬だけではなくて、小学生のころ、コカコーラのおまけのヨーヨーが大流行したことがあってねだったんですが、親が買ってきたのがよりによってパチモンのヨーヨーのなんかちゃんと空回りしないやつだったりして、同じような感覚を抱いたものです。
なんかそういうチャチで惨めだけど罪のないものに出会ったときに私の自己憐憫回路が働き、私はなんか妙にやさしげな気持ちになっていく。この感覚が私が言うところの「泣ける感じ」というやつです。ある意味、「もののあはれ」とも言えるかもしれないが、もっとなんかかっこ悪い感じが付随する点に違いを感じます。
(追記)子供は早くも飽きてきている模様。ブルーバックスの科学手品の本でも読み直してみようか。


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