« 上丘についていろいろ(2) motion selectivity | 最新のページに戻る | 「脳の生物学的理論」からの話の展開 »
■ 寂しい場所を通り抜けて
立食パーティーでそれぞれの皿から順番に料理を取るために長蛇の列を作るってのが納得できないっていうか、端的に嫌なんだ。しかもこれ世界共通だ。それぞれの皿に並べばいいんじゃんか。ぜんぶ盛る必要なんか無いから、なんか一品食わせてくれ。
でもそういうことが気にならないときがあって、それは誰かと一緒におしゃべりしながら並んでいるときだということに気づいた。つまり、そういうことが気になるというのは、立食パーティーでボッチになってとりあえず食うだけ食ったらさっさと辞去したいという気持ちになっているからなんだな。
「よける」と「さける」が同じ漢字なのってどうやって処理したらいいんだ? これは困った。日本語バグってるぞ。
「ゆがむ」と「ひずむ」ってどっちも「歪む」って同じ漢字使うのか。「とめる」と「やめる」と同じ現象だな。日本語バグってんじゃん。
ASSC17のほうの議論は収拾つかないし、査読した論文の著者はrevisionで俺を目の敵にしてるし、次男は味噌汁をこぼすし、ダイエットする気は起きないし、前髪が伸びてきて気になるし、雨は降り止まない。俺の世界は混迷を極めている。(<-ってほどのことか?)
248号線を走りながら、「風の辿り着く場所」とかひさびさに聴いてたら、なんだか岡崎に来たばっかりのころのことを思い出した。夕食後にまたラボに行くのがなんだか億劫で、地図も見ずに248号線を北上したら、寂しい場所を通り抜けて豊田市街に入って、本屋で立ち読みをして帰った。
新幹線で東京に向かうと神奈川県あたりのどっか左側の車窓から、坂というか小山の切り立ったところに家がびっしり立ち並んでいるところがあって、なんだか記憶に残っているのだけれども、いざあそこがどこかと言われると答えられない。もう数え切れないほど通ったのに。
私のために飲みニュケーションしてくれた先輩方には感謝している。説教食らうのに反発したこともあったけど、それでも時間とお金と労力をかけてくれたことに感謝している。その恩を何らかの形で返したいとは思いつづけてきたけれど、それを果たせずにいることにずっと焦っている。
わたしのなかには体育会系マッチョ思考の私と、貧弱モヤシメガネ君の私とがあって、政治的正しさを守るためにマッチョ君の方を隠蔽するのでかえっていろいろこじれたりする。