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■ ランダムドット刺激のcoherenceってどのくらい保証されてるの?

どもども。前から気になってたことをざっくり書いてみます。勘違いしてたら指摘してください。どなたか名指ししているつもりはございませんので、もしよろしければということで。
Bill Newsome以降のランダムドット刺激を使ったperceptual decisionの仕事がうまくできていたのは、near-thresholdの刺激をランダムドットのcoherenceという形で連続的に操作できる点にありました。だから、coherence 50%という同一の刺激に対して、右向きだと判断したときと左向きだと判断したときとでニューロンの反応が違っていたら、それは刺激の物理的特性によるのではなくて、どう判断したかに関連している、だからこれはperceptual decisionのneural correlateなのだ、という論理が成り立っていたのです。
しかし、coherence 50%の刺激って試行ごとに同一であると保証されているのでしょうか。これがわたしの疑問です。常に画面上に出ているドットの左右の向きの個数が一定になっていない限り、時間的には細かく変動しているはずです。(つまり、ランダムとpseudorandomの問題です。もしくは、わざわざm-sequenceを使うことによってすべての周波数帯域がフラットであることを保証するような話と関連させて考えてます。)
もとのNewsomeの実験のように1秒間とか一定の時間の刺激の後で判断をするときなどはその提示時間の中で左右方向のドットの数を同じにするように出来るかもしれませんが、それ以降のShadlenがやっているようなreactin time versionのタスク(刺激提示中でもdecision出来たら応答してよいため、刺激提示時間は一定でない)などでは、それが保証されるように思えません。
また、上記のレベル(時間的にローカルな変動)で問題がなかったとしても、もう一つ気になることがあります(こちらは空間的にローカルな変動とでも呼べるでしょう)。我々の目というのはランダムな中にもパターンを見出すものでして、50%のcoherenceの刺激でも、たまたま近接したドットがcoherentに動くとそれが非常にsalientな刺激となります。たとえば、そういうlocalなcoherent motionに反応するような時間的空間的フィルタを作ってやって(local saliency detectorとでも呼ぶことが出来るでしょう)、それで積分してやった値をもとにしてdecisionしたとしたら、なんのことはない、同一の刺激に対してべつの反応をしていたのではなくて、coherence 50%とはいえ、試行ごとに刺激そのものが違っていて、ニューロンはそれに反応していただけ、そういうオチになったりはしないものなのでしょうか。
というのも、同一刺激に対する行動選択の影響をニューロンで見る実験パラダイムでは、刺激が試行ごとに一定であることを保証する必要があって、そのためには必ずしもランダムドットがよい刺激とは言えないのではないか、なんてことを考えていたのです。このあいだのRomoのNature Neuroscienceみたいな、刺激の強度を下げてnear-thresholdにした刺激を使った行動選択の影響の仕事のほうが、刺激の試行ごとの同一性に関しては問題が少ないのではないか、という問題意識です。
わたしはまだランダムドット刺激のポイントをつかめていないのかもしれないのだけれど。
追記:なんか前ラボの人たちと議論したことの受け売りである気がしてきたので(もはや記憶が定かでない)、その旨記載しておきます。

コメントする (6)
# mmmm

10年くらい前、完全に同じランダムドットを呈示すると、MTの細胞の発火の時間系列が驚くほど一貫している、という図を、M木さんに見せて貰ったことがあります。確か、Newsomeのところのデータだったと思うんですけど。そのときはへぇー(アハ!じゃなくて)と思っただけだったのですが、Perceptual decisionの考えと矛盾しそうですね。何せ図1枚だったのと、10年も前のことなので、情報の信頼性は高いわけではありませんが、思い出したので久しぶりにコメントしてみました。

# pooneil

レスポンスどうもありがとうございます。
>> 10年くらい前、完全に同じランダムドットを呈示すると、MTの細胞の発火の時間系列が驚くほど一貫している
そっか、それの話を忘れてました。それはWyeth Bair and Christof KochのNeural Computation 1996 "Temporal Precision of Spike Trains in Extrastriate Cortex of the Behaving Macaque Monkey"でしょう。Wyeth Bairのサイトからpdfが落とせます。
わたしのサイトでも以前さらっと言及してました。20040824のエントリにて。
以前このへん関連の論文(Neuron 1998)をジャーナルクラブで採りあげて議論したことがありました。でもそうしてみると、今回書いたことは自分で考えたことのつもりでいたけど、そのころ議論したことだった気もしてきました。にわかに自信を失ってきたので、その旨を本文の方に追記しておきました。
Neuron 1998と絡めて議論したときの文脈は、ニューロンの応答というのは刺激のonset(directionの変化など)をよくコードしているのだ、ということでした。当時の私はいつも通りベイトソンを思い起こしながら、情報とは差異をコードすることだからとか考えてましたが、いまだったら「ニューロンはベイジアンsurpriseをコードしている」みたいな言い方をすれば多くの人に通じるかな、と思います。これがneural correlate的発想の一部にある、ニューロンの活動はなにかの実体contentを表すと考えるような発想を見直して、content間の差異を表すもの(カッコつければintentionalなもの)として取り扱うべきという考えの補強になるのではないか、なんてことを考えてました。
つまり、neural correlateの問題です。赤のneural correlateというものはない。あるのは赤と黄色、赤と紫との区別を生み出す情報をニューロンの活動からdecodeできるという事実だけだ、というわけです。つまり、科学的にきっちりやろうとして構造主義的発想を徹底させる方向に行くと、クオリアが差異からなる情報ではなくてそのcontentであることに思い至る。すると情報的な取り扱いは不可能である。逆にクオリアが差異からなる情報として捉える方向に行くと、それはhard problemではなくなるというわけです。ま、以前も話をしたような気はしますが。
話がずれてきて、しかもこっちのほうが面白いことだったりするのですが、このへんにて。

# potasiumch

差異の方が重要だ、という話だと最近こういうのが出てましたね。

Search Goal Tunes Visual Features Optimally
Vidhya Navalpakkam and Laurent Itti
Neuron, Vol 53, 605-617, 15 February 2007

彼らの言っていることが実際にあるとしたら、少なくとも差異を強調するべく調整が出来るようなメカニズムがあるのかな、とか思いました。

# pooneil

どうもこんにちは。いいかんじに話題がつながりました。それにしてもtop-downの話というのは難しいなあと思うので、2/16の
>>どのニューロンにトップダウンで影響を与えるべきかを知る(observer's beliefを形成する)のは結構大変なのでは
これには同感です。
じつはpotasiumchさんが教えてくださるまでこの論文に気付いてませんでした。ちょうどLaurentにメールする用事があったので、ギリギリセーフでメールに盛り込めて助かりました。

# にんちにいちに

どなたか詳しい方がコメントされるかと思ってましたが反応がないようなので一言。ここで提起されている問題は、運動弁別に関しては、Britten et al. (1996)Visual Neurosci. のp93右側とFig.8で検討されています。また、奥行き弁別の実験では、Uka & DeAngelis (2003)JNSのFig.5と同じ著者のNeuron(2004)のFig.8で検討されています。結論は、トライアルごとに異なったランダムドットを使った実験で得られた結果は、トライアルごとに同じランダムドットを使った実験においても基本的には維持されるというものです。刺激のバリエーションがチョイスプロバビリティーが0.5からずれることを説明するのではないということで、ご心配の点は大丈夫かと思います。

# pooneil

どうもありがとうございます。そんなに的はずれなことを言っていたわけでもなかったようで安心しました。まずは宇賀さんの論文から読んでみようと思います。また来週お会いできるかと思います。それではまた。
重複分は削除しておきました。


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