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■ さうして、このごろ 20130131
めざましが遠くから呼びかけるせかいのせかいのせかい。
「吉田サンクチュアリ」を見つけに行くことにしよう。
「フィロポディア」ってなんか、いいよね。(<-フシギちゃんを気取って)
「顕(あらわ)せ 壁画の中」「張り巡らせ 檜の火」「かき乱せ 星の土」「トルコキキョウの水のように」
イントレピッド・トラベラー!
マジカルな感じでありたい、と願うことは地に足が付いていない証拠だろうか? それでも、マジカルな感じでありたいと思うんだ。
「かがみよ かがみよ かがみさん ブーツストラップで そらまでのぼるには どうすればよいのでしょうか」
おれヨシダ。だから友達はあいうえお順的にワタナベとかヤマダとかが多い。これホント。フシギ!
浮遊感を出していきたい。送別会でもらったメッセージで、後輩から、吉田さんはいつまでも浮世離れしていてください(意訳)と書かれていて超苦笑いした覚えがある。俺もそうしたいわ。
"OOO in the sky with diamond"でOOOに何入れればしっくりくるか考えていたんだけど、「ハリガネムシ」かな。
Flipping outを出したばかりのGigolo Auntsがテレビ番組でニールヤングの"Cinnamon Girl"を弾き語りで歌ってるんだけど、後ろで座っているチアリーダーが全員つまんなっさそーな顔して聴いていて誰も一緒に歌わないという、ひどい映像を堪能した。
大学院講義まであと一日になったヤヴァい。だがここからが面白い。かもしれない。なんか思ってもみなかったもの(だがたしかに自分の中になったもの)がうまいこと言葉になって出てきてくれて、その興奮の元で情熱的に語ることが出来たならうまくいくだろう。情熱大事。俺、獅子座だから。(<-牡牛座です)
丸ノ内線の階段を歩いているときに、サラリーマンで俺よか若いようなのが同僚に向かって「あんな、女の腐ったようなやつが…」とか言いながら歩いているのを聞いて、なんだか昭和にタイムスリップしたような気がした。そりゃ、体罰なんか無くなるわけがないよね。(<-こじつけ)
「ばねぢから☆さいばねてぃくす」
「づぼらや」の「づ」はあざとすぎる。
「じつはこの世界は、幻なんかじゃなくって、本当なのかもしれない」って表現は形を変えいろんなところに出てくるのだけれども、大好き。たとえば「私も生きているんだってことに気付いた」みたいな。子どもにとっては幼年期の終わりを意味する言葉が、大人にとっては一周回って逆説的な言葉となる。
「悩む」って言葉を「どちらを選択するか決めかねている」くらいの意味で使われるとなんか面食らう。言葉が軽すぎるわ。「悩む」って言葉は苦しみを伴うときだけにとっておいてほしい。
世界のすべてのカレーにもれなく納豆が入る日が来ますように。(祈願)
水色の厚紙に 前島密の切手を10枚貼って 六階の窓から 紙飛行機にしてしまおう
運が良ければそれは リッチ徳川園グリーンホテルを越えて
電車通りの市電まで 所内便を届けてくれることだろう
錆び付いた市電のシートからは ルミノール反応が出ることだろう
このエマルジョンが、俺をすっかり真白にしてくれる…(<-コックピットに座って、空と海の境を見据えて)
家に帰って、「明日は人間ドック。わんわんわん」と宣言してみたが、家族に完全にスルーされた。だれひとり「犬はドッグだろ」と突っ込んでくれません。