[月別過去ログ] 2012年02月

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2012年02月26日

サルには利き腕ってあるの?

調べものをしてたらいつのまにか「マカクの利き腕」あたりの話題にぶつかったのでまとめておく。というかものすごくたくさんの研究があるので焦点を絞るのが難しい。ニホンザルに関しては幸島のサルで左17、右8、あいまい16という報告("On the handedness of Japanese monkeys" 徳田喜三郎著)がある。

べつの論文("Preferred hand use in the japanese macaque troop, arashiyama-R, during visually guided reaching for food pellets" 久保田競著)でもおなじかんじ。このへんのは、餌をやったときにどっちの手で取るかといったような調べ方をしている。学習効果を見るために、暗くして触覚弁別課題とかやったりすると左優位なのが減る。"Lateral Preferences in Monkeys"

とかやってるときりがないので、Primate laterality - Google ブックス この本の6章を読むと歴史的経緯からいろいろ書いてあるようだ。ただし、これは1993年の本。

そのあとでプログレスと考えられるのは、bimanual taskの使用をしているものがある。これではマカクは右優位だそうだが、同じ著者がinfantでは左優位 と書いてるんでいまいち信用できない。

メタアナリシスしているのもある。 Old world monkeyでは左優位ということになるらしい。

とはいえ、けっきょくのところstandardized testが必要だなと思うわけで、これはbaboonの論文だけど、ヒトのテストを応用して、trunkの向きとかそのへんまで考慮している。

予想以上に込み入った話だった。しかもこれはまだ脳機能イメージングによる脳活動のlateralizationの話を入れていない。

とりあえずメモっとく。


2012年02月22日

invarianceの表象とかそのあたり(承前)

12月の仙台の研究会の時、たしか筒井さんの発表に関連してだったと思うけど、invarianceのコーディングについてコメントをした。つまり、刺激A,B,Cをあるカテゴリーとしてコードしていると言うとき、神経生理だとそれは刺激A,B,Cで同様な応答を示すことを指していたりする。

でもそれって、「刺激選択性がない」「刺激A,B,Cを区別する情報を持ってない」ってことであって、刺激A,B,Cのカテゴリーをコードしているとは言えないんではないだろうか? 同様なことは他のinvarianceについても当てはまる。

これはべつに哲学でもなんでもなくて、計算論的に言っても、(顔のコーディングを例に取れば) 顔A,B,Cを同じように表象することと同時に顔とそれ以外の物体とのあいだで違った刺激応答をすることの両方が必要となるはずだ。まだ計算論的ではないな。

計算論的に言うならば、刺激選択性自体はencodingだから、invarianceをコードするのにencodingの部分でおなじになっている必要はない。行動でも脳内表象でもなんでもいいけど、その情報をread-outするとき、decodeするときに刺激A,B,Cを同じように扱ってさえいればよい。

さらにここまで考えてみると、そもそも反応特性(=tuning curve)というのは純粋にencoding modelだろうか?という疑問もわく。

Attentionを含むtop-downのmodulationというのはけっきょくのところ、read-outする過程をニューロンの活動に見ているのであって、視覚ニューロンのtuning curveのようなencodingからそれを読み出して行動と内部表象に使うdecodingとしてのニューロン活動もあるとすべきではないだろうか?

ただし、知覚-行動で分けるのはヘンな話で、ニューラルネットのhiearchicalな構造の各ステップでpredictive codingをしながらneuronの活動がsurpriseを消すようにtop-downが働くということ自体が、encodingとdecodingの小さなループを作っているということになるのだろう。

つまりなにを考えているかというと、ローカルにはこのようなループしかないのだけど、それを全体としてみると前頭葉が知覚皮質にトップダウンの信号を送っているみたいな図になって、それをトップダウン的注意とか言ったりするのであって、それはモジュール説を前提とした認知心理学的な概念であって、マー的な計算論を徹底すると、predictive codingとトップダウン的注意とは計算論の別のレベルとなる。

しかも計算論ではトップダウン的注意という言い方は不必要で、なんか明示的なパラメータの最適化みたいなものに置き換える必要があるだろう。たとえばspeed-accuracy tradeoffを前提とした上での得られる報酬の最大化みたいな。

話を戻すと、encoding-decodingを脳内でニューラルネットワークが行っていることとして捉えてみると、素朴心理学的概念が雲散霧消したりしないかということで、そう書いてみるとそれはコネクショニストの描いた夢をそのままなぞっただけかもしんない。

コネクショニスト的な概念を元にすることでなんでも消せる希望がわくので、「意識」も消して見せたくなる。これが「消去主義的立場」の動機ではないだろうか? 余計なことを言った。

ふたたび話を戻すと、初期視覚野のニューロン応答がencodingであるのはいいとして、そのmodulationはdecodingの過程が混ざっていると捉えることが出来るだろう。(ちょっとこのへん雑すぎ) では、運動情報の表象はencodingか? ちとわからなくなってきた。

なんかこういうことを考えたら、表象じゃなくて、行動側から考えたり出来ないだろうか? あと落ち穂拾いとして、いま書いたことはRizolattiの「注意のpremotor theory」というやつとたぶん関係するのだろう。

トップダウン注意が行動/運動と分かちがたく結びついているのはつまり今書いたようなたくさんのループの連なりをステップごと、もしくは違った空間スケールで、top-down attentionと言ったり、運動準備と言ったりするからなのだろう。


2012年02月14日

人生の簡素性(simplicity)と単純化(simplification)

俺の泣きの琴線的には、ベム達は人間を助けようという崇高な目標を持ち続けていることで既に人間であるってことがわかるって展開。人間であるということは汚い心を持つということであり、それゆえに彼らは裏切られつづける、とかなんとか。

あとあれ、なにかを得るためにはなにかを捨てないといけないというジレンマにおける「捨てる喜び」。ベタなのでいけば、子どもの命を救うためには自分の命を投げ出さなくてはいけない、みたいな。そういうのに心を振るわされる。

そういう意味では、人生とはシンプルであって、俺の心を振るわせることはほんの一握りしかないのだろう。これが人生の簡素性(シンプリシティ)。

行動をシンプリファイしようとするタイプのライフハックは俺の敵だと思うけど、欲望と動機のシンプリシティについては深く確信している。

ちょっと分かった気がする。このふたつを混同していたような気がするんだ。複雑なものを簡単なものと見なすsimplifyではなくて、複雑なものの中にある簡素なものを見つけるsimplicity。この二つを混同せずにありつづける知恵をどうかお恵みください。

なにかうまいこと本質を抽出したときはsimplicityであっても、それがレッテル付けとして一人歩きしたときはsimplificationとなりうる。そんなふうに両者は繋がりあっている。


2012年02月08日

半側空間無視関連いくつかフォローアップ

しばらく半側空間無視の論文をフォローするのをサボってた。Urbanski et al Exp Brain Res. 2011 "DTI-MR tractography of white matter damage in stroke patients with neglect" SLFII離断説のBartolomeoの続報だけど、strokeでは内包前脚とかarcuate fasciculusとかに成績と相関が出る。やっぱ簡単な話ではないのだな。

あと Verdon et al Brain. 2010 "Neuroanatomy of hemispatial neglect and its functional components: a study using voxel-based lesion-symptom mapping" こっちではいろんなテストをやって因子解析して、それぞれの因子が別々の損傷部位によって担われている、みたいな議論をしている。ついでながらfig.6には同名半盲のlesion mapもあっていろいろと捗る。

PLoS ONE 2011: "Testing for Spatial Neglect with Line Bisection and Target Cancellation" これではangular gyrus。

Corbetta and Shulman Annual Review of Neuroscience 2011 "Spatial Neglect and Attention Networks"では、ventral側の損傷によってdorsal側のネットワークが影響を受けるというストーリーになっている。

あれ? 以前のHe et.al. Neuron 2007 "Breakdown of Functional Connectivity in Frontoparietal Networks Underlies Behavioral Deficits in Spatial Neglect"ではdorsal側の損傷によってventral側のネットワークが影響を受ける(functional connectivityが落ちる)っていう主張だったと思ったんだけど。

というわけでなにげにふたたびventral説が優勢になっている模様。


Committeri et. al. Brain 2007 "Neural bases of personal and extrapersonal neglect in humans" personal neglectの原因部位はdorsal側のsomatosensoryとかとの結合が強くて、extrapersonalはもっとventral側。

これとconsistentなデータとして、Rizzolatti et al 1985ではnhpでextrapersonalはFEF、personalは7b(!)というデータを出している。Attention and performance XIなので取り寄せる。

さらにそのあとでF4がperipersonal spaceをcodingって話があるから、F4-PFのミラーニューロンシステムってのがpersonal neglectと関わっているという話になってもよさそうだ。

前述のCommitteri et al. (2007) ではpersonal neglectはsupramarginal gyrusで、extrapersonal neglectはSTG and the inferior frontal gyrus。

これが最新の話か。 Personal neglect(身体無視): Mochi's-Multitasking-Blog そんなにすっぱりいくわけでもないらしい。原因部位はTPJとその下の白質。


半側空間無視の論文を読んでいくと(W. Russell) BrainによるBrain 1941 というダジャレみたいな論文が出てくるのだけれども、この世界での古典的な論文なのであった。

Brain誌の"from the archives"というコーナーでこの論文の位置づけが紹介されている。これ以前にもdisorientationの症状についての報告はあったけれども、ある種のagnosiaとして捉えられていたりして、それをneglect of the left half of external spaceと捉えて、しかもextrapersonalおよびpersonal neglectの両方があることを示した、というところだろうか?

もっともBrainはイギリスのジャーナルだし、neurologyの世界はヨーロッパ勢が強いので、これが最初かはよく分からない。以前Anton症候群を調べたときはそんなかんじで、英語圏が遅れて言及しているというかんじだった。

そういえば有名なスタジオ・ミュージシャンでハル・ブレインって人がいたよな(わたしにとってはビーチ・ボーイズの"Pet Sounds"のドラマー)、とか思って綴りを見たら"Hal Blaine"だった。というわけでRとLの区別の付かない日本人、というオチ。


TPJ-VFCを繋ぐ線維のひとつがextreme capsule (EmC)。そういえば以前にCrick/KochがCraustrumが意識に関わるかもみたいな話を書いてたけど、半側空間無視のような意識の「統一性」の場面で考える意義があるかも。

EmCはmacaqueではSTSからvPFCへ投射する線維のあるところ。つまり、shapeの情報が側頭葉から前頭葉の12野辺りに行くところ。そういう意味ではCorbettaの図式にもよく合っていて、背側、腹側視覚路がそれぞれ前頭葉に向かうネットワーク。

ただし、EmCはちょっとventral過ぎる気もする。Arcuate fasciculusとかのほうがもうちょっとTPJっぽいところから出ている雰囲気。(nhpのTPJがどこかなんてわからないけど。) こっちがextrapersonalで、SLFIIがpersonalとかどうよ?

背側側を考えると、SLFIIIがいちばん浅くて、いちばん短い(PF-F5)。SFLIIが一段深くてLIP/V6-FEF/PMdってかんじ。FOFがいちばん深くて、いちばん遠い(V3/V6c-46d)。この3つがRizolattiの言う2つの背側経路の腹側のものか。

とかいうことを"Fiber Pathways of the Brain" Schmahmann and Pandya 2006 読みながら考えた。


Monkey to human comparative anatomy of the frontal lobe association tract(pdf) ヒトとマカクで白質走行の相同をまとめたもの。AFとかSLFIIIとかの妥当性が気になる。

Arcuate fasciculus(AF)は左脳ではウェルニッケとブローカを繋ぐところで、これの損傷で失語症が起こる。右だとこれが半側空間無視のventral networkだとたぶんHO-Karnathとかは考えているんだろう。

The evolution of the arcuate fasciculus revealed with comparative DTI この論文だと、AFはマカクやチンプでは未発達なので、これがヒトの言語発達と関連してるって話になる。


サイエンスミステリー2012 - フジテレビ 家族と家で録画した番組を見ていたら、半側空間無視が取り上げられていたので食い入って見てしまった。子どもたちにいろいろ説明をした。

かなり印象的だったらしくて、あとで次男は「ハンソク・クーカン・ムシ!」とか言いながら寝室に飛び込んできた。なんか俺っぽい。じゃまた来週。


2012年02月02日

"Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity"

それでも、ザッカーバーグの"Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity"ってのはなんか違うと思う。でも頭に来るくらいには切れ味のあるフレーズだ。

自分は"facebook/mixi"と"blog/twitter"の二分法だったら後者の人間なのだということは身に沁みてよく分かった。

いじめを受けていてマリリン・マンソンとか聴きながら世界への呪詛を書き連ねるようなやつがわざわざ身元を明かしてfacebookに名前を載せて、web上ですらジョックスどもの笑いものになったりするなんてあり得ないだろ?

だから俺には、前述のザッカーバーグの発言が、リア充がリア充の価値観で世界を塗り込めてしまおうとするものにしか思えないんだ。ザッカーバーグってIT業界の人間だけどナードじゃない。

Facebook上の俺は社会性を意識した外ヅラ用の俺。Twitter上の俺はもうちょっと内面に近いけど、それでもいろんな検閲を通して作ったある種の芸風の俺。もし本当の俺ってのがあるとしたら、飲み会が三次会ぐらいまでいって人も減って夜中にしんみりと語っているときぐらいだ。

でもだれだってそんなの同じだろう?

いや、その書き方は言いたいことを正しく言い当ててない。同意を求めているのではなくて、「これが自分だけのことである」なんて勘違いしているわけではないよ、って言いたかっただけ。

"All the jocks stand up!" "Anybody with a white hat or a shirt with a sports emblem on it is dead."

Wikipediaより: "teachers commonly looked the other way when confronted with bullying" 「見て見ぬふり」って英語だとこう言うのか。

Marilyn Manson is asked ... what he would say if he could talk to the shooters of Columbine. He responded, "I wouldn't say a single word to them. I would listen to what they had to say, and that's what nobody did."

…ちとDVD借りてくるわ。(F-15のAA略)


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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