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■ 上丘についていろいろ(4) motion selectivityつづき(+LGN)
生理研研究会初日、無事終了。だがそれとはまったく関係なく、書き溜めたエントリを公開モードにするのであった。
Neuron 2006 "The Parvocellular LGN Provides a Robust Disynaptic Input to the Visual Motion Area MT"これ見逃してた。
Callawayのrabies virusの仕事だけど、ふつうMTへの入力はmagno/konioだけだと思われているけれども、LGN(P) -> V1 layer 6 (Meynert cells) -> MTってのがあるそうだ。Schmidみたいな灰白質除去だと残るかも。
目的はそっちではなくて、LGNがどのくらいdirection selectivityを持っているのか、だった。つまり、motion energy modelの文献を読んだ限り、spatiotemporally separableな受容屋を持ったニューロンはどの方向にも応答する。
そうすると、たとえばon-centerのRFを持ち、posi-negaのinpulse応答を持つニューロンは白-黒のエッジがどっちに動いても応答する。ただし極性が反転すると応答が変わるが。あと、ST-orientedでないのだから、staticなものが最適刺激にはなる。
いっぽうで、経験上、SGSのニューロンはほとんどがon-off両方にtransientに応答する。つまり、on-centerとoff-center両方からの入力を受けている。だから、どんな方向の刺激でも同じように強く反応すること自体は説明できる。ただし、staticなものとの違いはわからない。このへんはSGSよりLGNのほうが研究が進んでいるはずなので、LGNのdirection selectivityを調べることにしよう。
catだけど、LGNでsecond-order motionに応答するってのがあった。"Temporal response properties to second-order visual stimuli in the LGN of cats" ただし、前述の通り、catとmonkeyではこのへんはずいぶん違うので留保が必要。spatiotemporally orientedであることは、spatial frequencyへのselectivityとconfoundするので、話がややこしい。
Vis Neurosci 2002 "Are primate LGN cells really sensitive to orientation or direction?" 20%で方向選択性あり。SGSとはずいぶん違う。
そんなにSGSとも違わないか。古いのに当たる。EBR 1979 "The responses of magno- and parvocellular cells of the monkey's lateral geniculate body to moving stimuli" 方向選択性はあまりない。Magno系はsharpなvelocity tuningがある。
@ichipoohmt direction(方向)は向きがあるから、もし0degを右向きに定義したら、180degは左向き。orientation(方位)は傾きだけだから、0degと180degの区別は無しで、横棒。
@ichipoohmt 神経生理学の場面だと、縦棒を右に動かしたとき(0deg)と左に動かしたとき(180deg)で反応に差があれば方向選択性がある。向きによらず縦棒に反応するけど、横棒には反応しなかったら方位選択性だけがある、という説明でどうでしょうか。
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- / 投稿日: 2012年10月26日
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2012年10月22日
■ 赤ちゃんであるとはどのようなかんじか?
(20120901)「哲学する赤ちゃん」(アリソン ゴプニック)を図書館行って借りてきた。因果推論の話はいちばん初めの章「子どもはなぜ「ごっこ遊び」をするか?」のところで、子どもが反実仮想をすることに重点を置いているようだ。
あと、第4章のタイトル「赤ちゃんであるとはどのようなことか?」は"What it is like to be a baby"の訳だと思うけど、毎度ながらわかりにくい。「どんなかんじか?」とかにしてくれないと意識経験という一人称的な話であることが伝わらないと思う。
Alison Gopnikは、Ned BlockのBBSの記事へのコメントで、「赤ちゃんは我々大人よりももっとconsciousである」なんて言ってる。
つまり、赤ちゃんはボトムアップ注意はあるけどトップダウンはないのでサーチライトのような注意を使わずに全方位の(たとえば視覚の)刺激を経験している、だから「よりconsciousなのだ」という議論。ほんとか?と思う。全体的に薄められる、周辺視みたいな経験になるんじゃん?と思う。
あと、ボトムアップでもサーチライト的に注意は向く。というかそれがサリエンシー・マップだから。というわけでいろいろつっこみたいところはあるが、ともあれ赤ちゃんでわかったことと動物でわかったことを並べて考えるというのは基本なので読みながらいろいろ考えてみることにする。
眼球運動を使って、解像度の高いfoveaの部分を動かしながら統一性のある視覚像を造るという過程があって、それを赤ちゃんがどうやっているのかというのには興味があるが、そういうことをやろうとしている人はいくらでも居るだろうから、なんか自分の強みで出来ることはないかと考える。
そもそも眼球運動によって別々の網膜像を「統合する」ってなんだろう? 統合して一つの絵を作るって考え方自体はカルテジアン劇場のヴァリエーションなので、そんなことしてないって話になるかもしれない。計算論的には眼球の位置の情報を持って解像度の良いところだけ貼り合わせるとかは可能だろう。でも、貼り合わせないで、とにかく行動に使えれる分だけread-outしていると考えた方が尤もらしいのではないだろうか。ともあれこれはempiricalな問題だ。
2012年10月17日
■ 「外側である」ってどんなかんじかな?
いつも使ってる絵だけど、盲視、というか同名半盲では、見えない右側の部分は暗黒(下)なのではなくて、端的に視野が狭くなっている(上)。自分の視野のなかで指先を動かして、視野の外に追いやってみてほしい。そこは暗黒ではなくて、端的に何もない、無であるということが分かるだろう。
視野の外がけっして「暗黒」ではなくて端的に「無」であるのと同様に、生の外は天国でもなければ地獄でもなって、端的に「無」だろう。その底のない無のなんにもなさを徹底的に思いを至らせるのもよい。そこに「なにかある感じ」を抱くのも生き物の特性だろうが、それはillusoryだろう。
視界の外に広がり(面積)はない。右の視界の切れたところから始まる無は左の視界の切れたところまで繋がっているとしても、その無の広がりを「経験」することは出来ない。360度から視野を差し引いて、みたいなのは推測であり、経験ではない。
広がりもなければ奥行きもない。つまり視野の外の無は「視覚的空間」ではない。視野の右端と左端とは無によって繋がっていない。これは当たり前のことではない。色の空間では、単一スペクトル光の青と赤とは視野の右端と左端のようなものだが、色では、紫を介して空間は閉じるように繋がっている。
これは何でかというと、色が三つの錐体を通して3次元空間を作っているのに、色環という二次元平面を考えているから。視野の空間は三次元を照らすサーチライトとしての円錐という、不完全な構造を持っている。
視覚ではふつう「無」は周りで埋められてしまう。それは盲点しかり、saccadic suppressionしかりで、我々の視野の「中」に穴が開くことは決してない。しかし我々の視野の「外」の無に対する対処法はどうやら違うらしい。それは埋められず、端的にないまま放っておかれる。
デネットは視野の中の穴は「埋められている」のではなくて、端的に放っておかれているのだというのだけれども、それは視野の中でも外でも同じルールに従っているという意味では納得いくかんじはある。視野の外が真っ黒にならないのと同様、盲点の中身はけっして真っ暗にはならない。
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- / 投稿日: 2012年10月17日
- / カテゴリー: [視覚的意識 (visual awareness)]
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# kohske
不可視光とか、非可聴域音とか、なんかいろんなものはもないままほっとかれますね。
立場を換えて、これをセンシング出来る奴らにとっては、ヒトはそこに何を感じてるのか、って問えるんだろうけど、その問は明らかにナンセンスだろう、とか、イーグルマンが意識は傍観者〜で書いてました。その通りと思います。
視野外の場合だけ決定的に違うのが、視野外に何かあることを我々が明らかに知っている、ということですかね。これは不思議なことです。
視野の縁を我々が自覚できる、という在り方も有りなのかと思うんですが、そうじゃない方が生きて行く上で何かと好都合なのかな。
2012年10月13日
■ 次回の駒場の大学院集中講義 90min * 5 「意識の神経科学」の構想を練る
前回、前々回と6月20日の駒場広域システム学部講義 90min * 2 「意識と注意の脳内メカニズム」のレジメを作ってアップしてみました。
今度は冬学期に大学院の集中講義 90min * 5をやることになりました。広域システム科学特殊講義Ⅴ 「意識の神経科学」 1/10の3,4,5限 (13:00-18:00)、1/11の3,4限(13:00-16:20)です。 というわけで、構想をツイッターに書いたのをここにまとめてみる。(20120712バージョン)
教科書的に体系的に行くのにしてはそういうものもなかなか無いし(「意識の探求」から何章か選ぶとかはあり)、あんま不得意な部分をやるよりかは、自分の問題圏に沿って体系化するのにこの準備を使う方がよいだろう。
Anil Sethの「意識の神経科学」コースのアウトラインというのがあって、これは参考になる。
とりあえず前回まるまるはしょったのは、「意識と意志決定」の部分。つまり、信号検出理論をまったく出さないことにしたので、subjective thresholdとobjective thresholdとかそのへんの議論をまったくしていないし、ゆえにメタ認知とかの話もしてない。これとevidence accumulation的なアイデアとを合わせて、これで90min一コマまるまる必要。
Noe and Hurleyの議論(consciousness and gpasticity)の議論もけっきょくはしょって、次の日のラボトークに廻した。これは逆さ眼鏡、点字、TVSS、Surのフェレット、Ingleのカエル、それぞれ丁寧に説明したら90min一コマまるまる必要。
あと、Goodale and Milnerのdorsal-ventral説を、進化的側面から説明する。このためにはカエルでのvisionの話とかハトでの新しい経路と古い経路とか、比較解剖学的な説明を加えた上で、Goodale and Milnerにつなげる。G&Mだけでは浅い。
それから、implicit perceptionの話も完全にすっ飛ばしてる。Dehaeneのprimingとかあのあたり。でもこれはdirect measure/indirect measureって話と、exhaustive/exclusiveであるかみたいなMerikleの話とつなげて話した方がよいことでもあって、さっき書いたdecision/metacognitionの回とどう切り分けるか、ということを考える必要がある。
Predictive codingの話はほんのさわりだけだったから、もっと膨らます。Feature detector批判と、RGCとかいくつかの場所でのpredictive codingのempiricalな話をして、HohwyのBRの説明を持ってくるという感じ。
睡眠とかあのあたりはちと無理か。でも概論として、state of consciousness (VS, MCSを含む)くらいについては説明すべきか。でも概論を第一回に持ってゆくというのは退屈なものだから、焦点絞ってストーリー作る方がたぶん後に残るはず。
半側空間無視の話はほんとうは身体性とかagencyとか自由意志とかLibetの仕事とかあのへんとつなげてひとかたまりの話になるだろうけど、そこまで辿りつくかどうか心許ない。でもあんまりvisionに寄りすぎるのも本意ではない。そのへんはミルナー・グッデール回でやるべきか。
ということで、90min * 5が余裕で埋まってしまうことは想像が付いて、どう取捨選択して、どう弱い穴を埋めてゆくか、みたいなことを考えればよさそうだ。時期は1月なので、たまに思い出したときにでも少しずつ形にしていくことにする。
信号検出理論の説明というのはなかなか鬼門なので、それなりに準備してゆく必要がある。以前村上郁也さんが生理研に大学院講義に来たときに覗いたんだけど、なんかでGUIのスクリプト書いて、その場でd'が変わったらROC曲線はどう変わるか、閾値を動かしたらROC曲線のどこを動くか、ってのを実演していて、あれはいいと思った。
あと、ASCONE2007での私のレクチャーのときに現ブラウンの柴田さんがチューターとして、機械学習的な説明(これまでの経験から分布を作った上で、単回の刺激を分類する判別問題)をしてくれて、あれもいいと思った。
というわけで、このへんはパワポ書いておしまいってんではなくて、いろいろ仕掛けを作るべき。
Accumulator model系の話も、いつも論文にあるような図(ノイジーなdecisionシグナルが閾値に達して、分布が出来る)を書いておしまいだけど、あれもランダムウォークする過程を例示して繰り返しながらだんだんSRTの分布が出来るのとか実演したらけっこう印象深いはず。
まあ、だいたいこれまでの経験からすると、こうやって構想描いたことの半分も実現されないんだけど(もっと基本的な説明が必要であることが判明したりとかなんとか)、今回はそれでも直前にちょちょいと準備して終わりって分量ではないので、こうやってネタ帳つけておくこと自体は悪くないだろう。
GUIで実演ってMatlabでやるのがいちばん手っ取りばやいか。GUIDってじつはまったく使ったことがない。
TVSSをanimal modelでやって、plasticityの起こってる場所を追う、みたいなことを考えたことはあるけれど、触覚がどうも気に食わん、というより、Lomoが論文で出してくるニューロン活動が異常すぎて(視覚ニューロンの応答と違いすぎて)、なんか鬼門っぽい気がしてる。
Goodale and MilnerのDFさんの現象をanimal modelで再現する、というアイデアも前から温めているものの一つだけど、bilateral lesionする必要があるというところで躊躇している。二重感染法とかそのへんの方法論にうまく嵌るといいのだけれども。
そんなわけで、いままとめるとこんな感じだろうか(この予定は絶対変更あり):
- 意識とは何か、注意とは何か、概論、デモンストレーション。心の哲学、心理学による定義。気づきのneural correlate。
- 知覚と気づきを測る -- 信号検出理論、メタ認知、evidence accumulator model
- 注意の神経ネットワーク、半側空間無視、サリエンシーモデル、ベイジアンサプライズ、予想コード
- Implicit perception。二つの視覚システム仮説。
- 盲視。Enactive view of consciousness。可塑性と意識。
うーむ、ここまで全部しゃべれたら最高だが、それにこだわるよりは、かみ砕いてしゃべって、誰一人眠らせない、ということを目指したいと思う。あと三ヶ月か…
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- / 投稿日: 2012年10月13日
- / カテゴリー: [大学院講義「意識の神経科学」] [視覚的意識 (visual awareness)]
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2012年10月11日
■ 駒場講義レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(2) 意識
前回の続きで、6月20日の学部講義 (教養学部広域科学科、生命・認知科学科「システム科学特別講義II」) のレジメの後半です。
意識と注意の脳内メカニズム(2) 意識
[What is consciousness?]
Let's start from a common-sense definition, not from an analytic definition. (John Searle)
Example: Water
- A common-sense definition: water is a clear, colourless, tasteless liquid, it falls from the sky in the form of rain, and it is the liquid which is found in rivers and seas.
- An analytic definition: H20
A common-sense definition of consciousness:
consciousness refers to those states of sentience or awareness that typically begin when we wake from a dreamless sleep and continue through the day until we fall asleep again, die, go into a coma …
[Two kinds of consciousness]
- Access-consciousness (= awareness)
- functional, psychological aspect
- availability for use in reasoning and rationally guiding speech and action
- Phenomenal consciousness (= qualia)
- experience;
- the phenomenally conscious aspect of a state
- what it is like to be in that state
このふたつが独立したものであるということを前提しているわけではない。(「同じものの二つの側面」でよい)
「Qualia」という言葉は両者が独立していることを含意している。だから私はこの言葉はなるたけ使わない。
[What is awareness?]
David Chalmers (1996)による定義
- 「われわれがなんらかの情報にアクセスできて、その情報を行動のコントロールに利用できる状態」
- 「心理学的な意味での意識」
[Neural correlates of awareness]
An experimental manipulation is required by which a visual input is constant but perception of that visual stimulus varies.
- Bistalble stimuli + Discrimination
- Near-threshold stimuli + Detection
[Neural correlates of awareness (1): bistable percept]
デモ:両眼視野闘争
両眼視野闘争では、視覚刺激は同一であるにもかかわらず、「なにが見えたかの報告」=「気づき」(awareness)だけが変化する。
「気づき」の違いに対応したニューロン活動を見つければ、それは”neural correlates of awareness”であると言える。
Activity of IT neurons reflect the monkeys’ perceptual report. This is a strong evidence that IT neurons represents content of subjective experience.
Does it reflect visual awareness?
- It can reflect a process of selective attention of competing objects.
- Sheinberg and Logothetis wrote:
the phenomenon of binocular rivalry is also a form of visual selection this selection occurs … even in the absence of explicit instructions to attend to one stimulus or the other.
Attention can be manipulated externally.
- Visual search – stimulus configuration
- Posner cueing task – precue
(より正確に言うと、「precueによって応答潜時が早くなったりしたときに、precueにattentionの効果があった」と言うべきで、「precueがattentionを引き起こす」といった言い方はattentionを実体化しているので正しくない。)
On the other hand, Awareness can be modulated as a random variation.
- Bi-stable stimuli – temporal variation
- Operationally, they are different entities.
[Neural correlates of awareness (2): Near-threshold stimuli]
In the detection task, subjects are required to answer whether the sensory stimulus is present or absent.
Key comparison is Hit vs. Miss.
Strong modulation between Hit and Miss in early visual cortex (V1, V2, V3). (Ress D and Heeger DJ. 2001)
[Attention and awareness]
- Bi-stable stimuli + discrimination
- Always accompany selection of multiple objects
- Confounded with selective attention
- Near-threshold stimuli + detection
- Always accompany trial-by-trial variation
- Confounded with sustained attention (= arousal)
[What is consciousness?]
Awareness (=「気づき」) ではなくてconsciousness (意識経験)のことを明らかにしたいのだったら、少なくとも視覚情報処理と意識経験とを分離して扱うべき。
- Implicit perception (閾下知覚) (今回省略)
- Visual agnosia (視覚失認)
- Blindsight (盲視)
[Two visual system hypothesis]
視覚の腹側経路と背側経路
Optic ataxia (視覚性運動失調)
- Bilateral damage in dorsal visual pathway (Balint's syndrome)
Visual form agnosia (視覚失認)
- Bilateral damage in ventral visual pathway (LO)
スリットの角度がどう見えるかの報告 (=「気づき」)と
スリットの向きにカードを入れる行動 (=「視覚運動変換」)
は脳のべつのところで担われている。
Case report: subject D.F.
- Hypoxia from CO poisoning at 34 yrs old in 1988
- Bilateral cortical damage in the ventrolateral occipital region, sparing V1
- Most salient symptom was visual form agnosia
Perception & visual experience of D.F.
- Degraded contour perception
- Retained memory for form
- She has difficulty describing her visual experience, only saying that objects tend to appear 'blurred' and that separate elements 'run into each other'.
[Blindsight (盲視)]
「盲視」とはなにか?
- 第一次視覚野(V1)の損傷によって、視覚的意識が失われているにもかかわらず、随意的な視覚誘導性の自発的行動の機能が残存している現象。
進化的に古い脳が機能回復に関与する
- 盲視は大脳皮質損傷によって原始的な脳(「カエル脳」)が甦える現象なのだ。
「盲視」からわかること
- 「赤い点が見えるという経験」(「視覚意識」「赤の赤らしさ」「クオリア」)と「赤い点がどこにあるか当てる」(視覚情報を元に行動する)は別物であり、前者には視覚野が関わっている。
心の哲学での「盲視」
- 「哲学的ゾンビ」の可能性
- すべての知覚・運動の情報処理の機能はふつうの人間とまったく同じであるにもかかわらず、現象的意識はまったくない
では、本当の盲視とはどんなものだろうか?
Case report: GY
- G.Y.は22歳の男性(1980年現在)で、8歳のときに交通事故で左半球を損傷して右半視野がblindになった。
- 事故直後の診断でほとんど完全のhomonymous hemianopiaと診断。
- 事故後14ヶ月経っても視野にはほぼ変化がなかった。
- 事故の後は左視野にある物体を検出、認識することができず右視野がまったく見えないと自分では思っていた。
患者G.Y.さんの視覚能力
- 単純な図形の弁別 (DB)
- 動きの識別
[Blindsight in monkey]
- どうして動物モデルの作成が必要か?
- 限局した損傷を作成することが可能。(<==>ヒト患者)
- 行動や脳活動を詳細に分析することが可能。 (<==>ヒト患者)
- 研究の意義
- 医療への寄与:同名半盲での機能回復の可能性
- 意識の解明:気づきを他の視覚情報処理と分離する。
ニホンザルでの機能回復トレーニング (Yoshida et.al., JNS 2008)
このサルは盲視じゃなくて、視覚が回復して見えるようになっただけじゃないの?
- 強制選択条件での位置弁別(discrimination)は上手。
- 盲視の能力を持っている。
- 刺激の有無を報告するのが下手。=> 検出(detection)能力の低下
- ヒト盲視と同様、やっぱり見えてない!
Saliency in blindsight (Yoshida et.al., Curr. Biol. 2012)
- 生活環境でも盲視は使えるか?
- 外から指示されなくても視覚情報を利用できるか?
- 生活環境でも盲視は使える。
- ある意味で盲視は「哲学的ゾンビ」であると言える。
- 盲視ではsaliencyが残っている。=>意識経験とサリエンシーはべつもの
[ハード・プロブレムのハードなところに直面する]
盲視 = カエルの意識? (省略)
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- / 投稿日: 2012年10月11日
- / カテゴリー: [大学院講義「意識の神経科学」] [視覚的意識 (visual awareness)]
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2012年10月10日
■ 駒場講義レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意
東大駒場の池上さんに誘われて、6月20日に教養学部広域科学科の学部講義で90分*2喋ってきました。(教養学部広域科学科、生命・認知科学科「システム科学特別講義II」)
これはいろんな人が毎週喋るオムニバス講義というもので、こんなリスト:
- 5月9日 藤井 直敬 社会的脳機能を考える
- 5月16日 茂木 健一郎 システム認知脳科学
- 5月30日 國吉 康夫 身体性に基づく認知の創発と発達
- 6月6日 多賀 厳太郎 発達脳科学
- 6月13日 三輪 敬之 コミュニカビリティと共創表現
- 6月20日 吉田 正俊 意識と注意の脳内メカニズム
ちょっと私が出てって大丈夫だろうかとビビりつつ、受講生の数は25人くらいということで聞いていたのでまあ気楽に、と行ってみた。そしたら、満員になって40人くらい(<-数えてやがる)となっていて、「意識研究」への興味が高いことをひしひしと感じました。
学部外から潜っている人がけっこういて、薬学部の後輩とか、あとなぜか藤井さんとかいたりして、なにやってんのと思いつつ悪い気はしない。
レジメを使ってブログのエントリを作ろうと思いつつずっと放置していたので、ここで思い立って作成してみました。これだけ読んでもあまり役に立たないかんじだけど、スライドを載せようとするといろんな図を使っているので許可取るのが手間なんでこのへんが労力的に最大限、ということで。まずは前半部から。
意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意
[意識と注意ってなんだろう?]
実例から始めてみよう。
- Motion-induced blindness
- Change blindness
非常に目立つ(salient)ものが消える。=> ちょっと見逃した、とかそういうレベルではない
- 網膜に映っているものすべてを私たちは「見て」いるわけではない。
- それにもかかわらず、私たちの視野には「穴」が開かない。
- Attentionとconsciousnessとは密接に関係している。
[What is attention?]
William Jamesによる定義 (Principles of Psychology (1890))
It is the taking possession by the mind in clear and vivid form, of one out of what seem several simultaneously possible objects... It implies withdrawal from some things in order to deal effectively with others...
[注意の分類]
- Selective attention: ability to focus on positions or objects (空間的)
- Sustained attention: alertness, ability to concentrate (時間的)
- Bottom-up: stimulus-driven (pre-attentive, pop-out)
- Top-down: goal-directed
[Bottom-up vs. top-down attention]
ポズナー課題中の脳活動 (Corbetta)
- Cueによってトップダウン注意を操作すると、視覚背側経路、視覚腹側経路の両方が活動する。
- 脳の機能を理解するためには脳をネットワークとして捉えることが重要。
[半側空間無視]
半側空間無視とは?
- 脳損傷と反対側の空間の感覚刺激(視覚、聴覚、触覚など) に対する反応が欠如・低下。
- 感覚障害 (同名半盲)や運動障害 (片麻痺)によっては説明できない認知的障害。
- 「自分の体とその周りの世界が半分なくなる。」
- 「環境世界の中に位置する自己」の認知の障害。
原因部位はどこ?
- 歴史的経緯: TPJ -> STG -> SLFII
- 半側空間無視は脳内ネットワークの障害
半側空間無視の動物モデル
- どうして動物モデルの作成が必要か?
- SLFIIの損傷によって半側空間無視の症状を再現することができる。
[注意の計算論モデル]
Feature Integration Theory (Ann Triesman)から始まる
What is saliency map?
- An explicit two-dimensional map that encodes the saliency or conspicuity of objects in the visual environment.
- A purely computational hypothesis
サリエンシーマップの活用法
- 視覚探索の成績を再現
- MIBを評価する
- ヒートマップの代替
- サルの眼の動きを予測する
トップダウン注意はどうモデル化する?
[Bayesian surprise]
「サリエンシー」は二次元画像の中でどこが「目立つか」を「空間的配置」の中で評価する。
では、「時間的変動」の中でどこが「目立つか」を評価するにはどうすればよいだろう? => 「サプライズ」
(Itti and Baldiの説明。レジメでは省略。)
[Bayesian surprise and predictive coding]
ニューロンは特徴検出器(フィルタ,template)であるという考え (H. Barlow / Lettvin / Hubel and Wiesel)
でもニューロンの応答はすぐadaptする。=> サプライズ検出器なんじゃないか?
V1 response can be modeled by surprise (Itti and Baldi)
「予想脳」仮説
- ヘルムホルツ的視覚観
- サプライズ = ボトムアップ注意
- 脳内のモデル = Conscious perception
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- / 投稿日: 2012年10月10日
- / カテゴリー: [Saliencyと眼球運動] [半側空間無視(Spatial hemineglect)] [大学院講義「意識の神経科学」] [視覚的意識 (visual awareness)]
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2012年10月04日
■ 「カエルである」ってどんなかんじかな?
カエルの視覚について調べてる。盲視について「カエル脳の復活」みたいなわかったようなことを言うわりにはカエルの視覚のことほとんど知らないことに気付いたから。
これまで知っていたのはせいぜい
- Lettvin et al 1959 ("What the Frog's Eye Tells the Frog's Brain" bug detector論文)
- David IngleのScience 1973 "Two Visual Systems in the Frog " (Goodaleの二つの視覚システム説の先駆け)
くらいだった。
ところが、カエルの場合の二つのシステムというのはtectum(=上丘->orienting)とpretectum-thalamus(->avoidance)となっている。pretectumといいつつ、こっちはgeniculocortical系の前進なんだろって思ってた。
でもざっと調べてて、JP Ewertの一連の仕事があるってのを知った。Wikipediaだとこのへん:
神経生理学の仕事なんだけど、行動的にはニューロエソロジーなんで、出てくるジャーナルが違ったりして観測範囲から外れてた。
でもって、この図を見て混乱してきた。Pretectumからtectumにpresynaptic inhibitionが来ている。これ自体はIngleのもうひとつのScience 1973で分かっていたことをトランスミッターレベルで明らかにしたということらしいのだが、ともあれ、これでtoadのpretectum-thalamusをprimateのLGNとは同一視できなくなった。PrimateではSC->LGNという結合はあるが、LGN->SCは知られてない。
Goodaleの仕事にあるように、盲視ではobstacle avoidanceは残存している。(ただし、delayを入れるとその能力は消える) PNAS2009 これをIngleのストーリーとつなげようとすると、SC->orientingで、LGN->dorsal pathway またはSC->Pulv->dorsal pathwayでobstacle avoidanceなんて話になる。
Primateだとpretectumは視覚情報処理的にはあんまたいした仕事してないので(accommodationとかblinkとか)比較的無視されがちなのだけれども、盲視における役割として考えてみようと思う。
以前考えたことがあるのだけれども、盲視での「なにかあるかんじ」というのがなんらかの体の応答を(prorioceptiveに)モニタしている可能性というのはずっとあって、もしpretectumが寄与していて、accommodationとかがそのときに変わっているかもしれない。Pupil sizeの応答も知られてる。輝度揃えてもなるかは不明。
EwertのBBS1987ってのがあって、これは読む価値あるだろうけどアクセスできない。驚いたのはDaniel Dennettがこれにコメントしていることで、哲学者なのにすげー実験の知見を勉強している。
デネットのコメント、ざっと読んだが、要はホムンクルス/カルテジアン劇場批判で、カエルは単純な視覚運動変換しか持っていないのでZombieに見える。ヒトと脳はそんなには違っていないのだから、ヒトにホムンクルスがあるように思わせるのは脳ではなくてその行動なのだ、みたいな話か。(正確には、カエルの話だけに終始してる。) なんかカエルとprimateでの脳の可塑性の違いとかいろいろ突っ込みたいところはあるが、また読み返してみることにしてみよう。
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- / 投稿日: 2012年10月04日
- / カテゴリー: [上丘、FEFと眼球運動] [視覚的意識 (visual awareness)]
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お勧めエントリ
- 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
- 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
- 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
- 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
- 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
- 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
- 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
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