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2004年11月30日

episodic memory and semantic memory

さんざん言及したわりにはTulvingについてまだ書いてなかった。Tulvingによるepisodic memoryの最新の定義(annual review of psychology '02)を書いておきましょう。
Annual Review of Psychology '02 "EPISODIC MEMORY: From Mind to Brain."


Episodic memory is a ... past-oriented memory system, ..., and probably unique to humans. It makes possible mental time travel through subjective time, from the present to the past, thus allowing one to re-experience, through autonoetic awareness, one's own previous experiences. ... Retrieving information from episodic memory (remembering or conscious recollection) is contingent on the establishment of a special mental set, dubbed spisodic "retrieval mode". ... The essence of episodic memory lies in the conjunction of three concepts --- self, autonoetic awareness and subjectively sensed time.

簡潔でないし。なんかだらだらと言葉を使うので定義がぜんぜん操作的でないんですよね。
1983年の"elements of episodic memory"(手元に邦訳の「タルヴィングの記憶理論」1985年あり)、1972年の"Episodic and semantic memory." Endel Tulving. In E.Tulving & W. Donaldson (Eds.), Organization of memory.についての差分も必要でしょう。
しかし、「タルヴィングの記憶理論」を読んでも1972年の定義には問題があったと繰り返すばかりで、では1983年の定義はどうなのか、というのがかっちりと書かれていないんです(私が見逃しているだけかもしれないけど)。
なお、1972年の定義は明確です。

"Episodic memory receives and stores information about temporally dated episodes or events, and temporal-spatial relations among these events."
"Semantic memory ... is a mental thesaurus, organized knowledge a person possesses about words and other verbal symbols, their meaning and referents ..."

Annual ReviewでのK.C.さんについての症例報告についても抜き書きしてまとめます。Kapurのやつと重なるけどこっちのほうが詳しいし。

K.C.は1951年に生まれ、30歳のときにオートバイ事故でclosed head inuryにみまわれ(損傷部位はさまざまで、内側側頭葉を含む)重篤な健忘症となる。K.C.の認知能力は正常(そもそもこれは健忘症の定義からしてそうなのだが)で、健常人と見分けがつくことはなかった。K.C.の知能と言語能力も正常で、読み書きにはまったく問題がなかった。集中力と注意を保つ能力も正常だった。思考プロセスも明確だった。オルガンを弾いたり、チェスをしたり、いろんなカードゲームをすることができる。視覚的にものを思い浮かべる能力も正常だった。
自分の人生に関する客観的な事実についてたくさん知っていた。たとえば誕生日、9歳まで済んでいた家の住所、通っていた学校の名前、所有していた車の型と色、両親が別荘を所有していたこと、今も所有していること、どこにその別荘があるかを知っていて、オンタリオの地図のどこかを示すことができる。トロントの彼の家から別荘までどのくらいの距離あるかも知っていて、週末にそこまで行くにはどのくらい時間がかかるかも知っていた。彼自身がそこに何度も行ったことも知っていた。
他の典型的な健忘症患者と同様、K.C.は自分の生活世界から新規の一般的な情報を拾い上げることができなかったし、今過ぎ去りつつある経験を想起することもできなかった。私的経験と意味的情報の両方について重篤な前向性健忘があった。しかし逆向性健忘についてはとても非対象的であり、「私的に経験した出来事」について想起することがまったくできなかった(その出来事が一回きりのものでも、繰り返されたものでも)一方で、世界に関する一般的知識は他の同じくらいの教育レベルの人たちとはそんなに変わってはいなかった。
……
彼のエピソード記憶の健忘は人生の全て、生まれてから現在までにわたっていて、ただの例外は今から1、2分までの出来事だけだった。
……
彼は…以前の出来事に関してfamiliarityを感じるということすら認めなかった。
……
彼の記憶欠損は過去だけではなくて、未来にもわたっていた。彼は質問者に対して今日これから何をするかをいうことができなかったし、明日何するか、これからの人生何をするか、についても言うことができなかった。彼は自分の過去について想起できないのと同じくらいに自分の将来について想像することもできなかったのだ。
彼が示したこの症候はautonoetic consciousnessが機能する時間感覚は過去だけでなく未来にもわたっているのだということを示唆している。
(p.13-14)

このあと、K.C.が疾患の発生後にsemantic knowledgeを獲得することを示したあとで、同様な例を二つ挙げています。どちらも前述。

episodic memory and semantic memory

Cogn Affect Behav Neurosci. '01 "Focal retrograde amnesia and the episodic-semantic distinction."Wheeler MA, McMillan CT.
症例報告のレビュー、というかメタアナリシス。こちらのほうがKapur '99より整然としててよいのだけれど、重複しているので、スキップ。
一つだけ:AMIに関してコメントしているところがあるのだけれど、いくつかのAMIでの質問はpersonal semanticであるので、episodicとpersonal semanticの両方を調べることで両者間の乖離を見れる可能性がある、ということについて言及してます(このへんを前述のPiolinoがちゃんと扱った、というふうに言うことができるでしょう。)。

宣言的記憶と症例H.M.

残るはこのへん。
Scoville WB, Milner B (1957) Loss of recent memory after bilateral hippocampal lesions. J Neurol Neurosurg Psychiatr 20:11-21
でのH.M.さんの症例報告の記述はじつはそんなに多くないのでそれはまとめてしまう。
Milner et al '68は入手できなかったのでせめてCorkin '02(Nature Review Neuroscience '02 "What's new with the amnesic patient H.M.?")は読んでおく。
あとは11/26の"Patient H.M., patient R.B. and patient E.P."のところを膨らませるかどうか。

自分にコメント

本番は木曜日なので、そろそろ今日あたりで症例報告については締めとしましょう。

はてな

で書きはじめて一周年が過ぎてました。ばたばたして忘れてました(こうやって結婚記念日を忘れたりするのだけれど)。この一年間いろいろありましたが、何とか無事にというかなんというか(ゴニョってる)。読んでくださっている方、どうもありがとうございます。


2004年11月29日

episodic memoryとsemantic memory

Brain '03 "Autobiographical memory and autonoetic consciousness: triple dissociation in neurodegenerative diseases." Pascale Piolino, Béatrice Desgranges, Serge Belliard, Vanessa Matuszewski, Catherine Lalevée, Vincent De La Sayette and Francis Eustache
読んできました。内側側頭葉の障害による健忘では最近のエピソードは覚えていなくて、昔のことは覚えている(Ribot's law 1881)、Semantic dementiaの初期症状では最近のエピソードは覚えていて、昔のエピソードは覚えている、という傾向について検証。AMIをやるんだけれども、エピソードの想起の詳細の詳しさの検討と、R/Kジャッジメントを使って報告してもらうことで、過去のエピソードの想起にTulvingが言うようなmental time travelをしているかどうか、つまりpersonal semantic knowledgeの成分を極力少なくした、episodic memoryの最新バージョンの定義での定量化を目指します。
実際には内側側頭葉の障害の患者さんとしてアルツハイマー病の患者さんと、Semantic dementiaには初期症状の患者さん(言語障害が比較的少ない)とに参加してもらってエピソードの想起をしてもらいます。
AMIのやり方はオリジナルのKopelman et.al. '88をmodifyしてます(Journal of clinical and experimental neuropsychologyが手元にないので正確なことはよくわからないのだけれど、問題の数やスコアの付けかたなどがいろいろ変えてある様子)。年齢で大きく分けて0-17歳、18-30歳、30歳以降、最近5年間、最近1年間についてのエピソードを想起してもらいます。項目は4種類

  • a meeting or an event linked to a person
  • a school and then a professional event
  • a trip or journey
  • a familial event
で、たとえば'give details of a particular event which took place during your family life'という感じで聞きます。もし想起できないときには具体的な手掛かりを与えます('on a day with a teacher or friend', 'in primary or secondary school', 'in the school playground' or 'during an exam')。もし想起したイベントがあまり具体的でないときにはもっと具体的なエピソードを言ってもらうようにお願いします('do you remember a particular day?')。
こうして得られた報告にスコアをつけます。
4点:繰り返しでない特定のイベントで、どんなことを感じたかまでありありと想い起こせて、いつどこであったかを説明できている(例by筆者:「夏休み最後の日大雨の中を傘をさして海へ行ったときのびしょぬれの服や雨の匂いまでありありと思い出す」)
3点:繰り返しでない特定のイベントで、どんなことを感じたかまでの詳細はないけど、いつどこであったかを説明できている(例by筆者:「夏休み最後の日海へ行ったことを憶えている」)
2点:繰り返しされていたイベントで、いつどこであったかを説明できている(例by筆者:「5年生の夏休みに何度かXXプールへ行ったことを憶えている」)
1点:繰り返しされていたイベントで、いつどこであったか憶えていない(例by筆者:「何度かプールへ行ったけどどこだったか覚えてない」)
0点:何があったかまったく憶えていない(例by筆者:「小学生のとき家族とどこ行ったか知らない」)
これでスコアをつけたのがoverall autobiographical memory (KopelmanのAMI scoreに相当)で、strictly episodic memoryのスコアとしては、上のスコアの4点以外はみんな0点として計算します。これはイベントの想起に付随する詳細(どんな気持ちだったか、どんな感じだったか)こそがepisodic memoryをepisodic memoryたらしめている(想起したイベントのときと場所に自分を置いて、その経験を再経験すること)ものであるとするからです。
また、これらの質問の答えに関してR/Kジャッジメントをしてもらいます。つまり、質問で聞かれて答えたことに付随する詳細が伴っていたときはrememberを、ただその事実を覚えているというときにはknowを、わからないので推測で答えているときはguessを選びます。ここでいうrememberがautonoetic consciousnessがある状態のことで、純粋なepisodic memoryの要素を見ていることになり、knowで答えているときにはpersonal semantic knowledgeを答えているだけ、ということになります。ここでのrememberと答えられた回数remember response(さらにインタビューで詳細を説明することに成功しているものをjustified remember responseとしてますが)がもうひとつのpureなepisodic memoryの指標となります。
結果としてoverall autobiographical memory scoreとstrictly episodic memory scoreとjustified remember responseとが得られます。
Overall autobiographical memory scoreではこれまでと同様な時期による効果があります(アルツハイマーでは昔の出来事の方が成績がよい、semantic dementiaでは最近のことのほうが成績がよい)。
一方で、よりpureなepisodic memoryの成績に特化したstrictly episodic memory scoreとjustified remember responseでは、アルツハイマー病で見られた昔の出来事の方が成績がよい、という傾向がなくなります。つまり、これまでのAMIで見られた昔の出来事の想起の効果は昔の出来事に関するpersonal semantic memoryが残っていた効果であって、昔の出来事についてのepisodic memoryの想起自体はやはり障害されている、ということになるようなのです。
このことは過去の出来事の記憶がどこに貯蔵されているか、というモデルに対して一つ予言をします。つまり、記憶が保存されてからある一定の時期(ある人は数年と言うし、ある人は10年以上と言う)のあいだだけ内側側頭葉が寄与している、とするスタンダードな理論に対する対立仮説としてMTT(multiple trace theory by Lynn Nadel and Moscovitch)というのがあるのだけれど、それでは内側側頭葉はepisodic memoryの貯蔵と想起に一生関わっているとするのですが、今回の結果はこちらを支持する、というわけです。
それはそれとして、Tulving式のepisodic memoryの成分をpurifyする、というのは正しい方向だと思います。たとえそれがdeclarative memoryのような記憶されたものの情報で定義されたところからはみ出るところがあったとしても、これこそが私達が一般的にいう「記憶」のことだと思うのです。酒を飲んで記憶を失ってしまった、とか、この記憶を私は大切にしまっておきたい、と考えるときとかの記憶とはまさにTulvingがいうepisodic memoryのことだと思うのです。それを情報の面から還元してしまうと失われてしまうものがあるということに敏感でありたいと思うのです。ここを一時的に離れるのはよい、研究者なら必ずするべき作業です(いつも離れずにいたいとするドリーマーなわけではない)。けれどもここから離れて一人歩きするようになってしまったらそれは人間を研究していることにはならないだろうと思うのです。このへんをいかに怪しい人と思われずに語れるかというのが今回の講義の裏テーマでもあったりするわけですが。

episodic memory and semantic memory

Kapur N. Syndromes of retrograde amnesia: a conceptual and empirical synthesis. Psychol Bull. 1999 Nov;125(6):800-25.
この論文はretrograde amnesiaのさまざまな例についてたくさん書いてある重要な文献ですが、どうにも羅列的なのでどう捉えたらいいかはなかなか難しいです。まあ、ここ数日間私がやってること自体も羅列的で、これはいわば公開ブレインストーミング状態なわけなのですが。
この文献のいいところは、personal semantic knowledgeについての障害の例を記載し、それを分類しているところです。それらをもとにして作ったfigure 2の分類図は重要です(同じものがphilosophical transactionのKopelman and Kapurにあるけれどこちらでは全然説明がない)。
Retrograde amnesiaの中で、semantic memoryについてだけ障害があって、episodic memoryについては障害のない例:

  • De Renzi et al '87の症例の患者さんは単純ヘルペス脳炎によるもの。General semantic memoryの障害としてnamingやsemantic categorizationに障害があるだけでなく、public eventの記憶も失われています。一方でautobiographical memory(明記されていないけれどもこの場合は純粋なepisoddic memoryだけでなくpersonal semantic knowledgeも入ることでしょう)は保持されています。損傷部位は左の側頭葉のanterior inferior partで、medialとlateralの両方を含んでいます。
  • Gross et al '88での患者さんはgeneric semantic memoryとpublic eventやpublic personalityについての記憶が失われている一方でepisodic memoryは保持されています。
  • Yasuda et al '97ではpublic eventやhistorical figure, cultural itemやvocabularyの一部が失われているのに対して、autobiographical memoryに関しては比較的保持されています。損傷部位は側頭葉のanterior/inferior structureで、De Renziの場合と似てます。
  • Kapur et al '94ではpublic knowledgeが失われているのに対して、autobiographical memoryは存在し、その失われ方のパターンはsemantic dementiaと同様、新しいことの方をよく憶えているというgradientがあります。
  • 左のtemporal lobe epilepsyではautobiographical memoryよりもpublic knowledgeのほうがより失われるという傾向が知られています。
Retrograde amnesiaの中で、episodic memoryについてだけ障害があって、semantic memoryについては障害のない例:
  • O'Connor et al '92 での単純ヘルペス脳炎の患者さんでは脳炎になる前5年のpublic eventの記憶がやや失われていて、それ以前のpublic eventの記憶は保たれています。一方でepisodic memoryは顕著に障害されていて、古いpersonal eventについてはまったく失われています。
  • Hodges and Gurd '94 ピック病の患者さんでautobigraphical memoryの想起は障害されているけれども、famous faceのnamingやfamous (public) eventの再認記憶は標準的でした。
ほかにepisodic memory + public eventのmemoryを失っていて、famous peopleの知識は失っていない例
  • Hodges and McCarthy '93
  • Ross and Hodges '97
Episodic memory (personal event)は保持しているけどpersonal semantic memoryは失っている例
  • Kopelman et al '90などの多くの健忘症の症例
Episodic memory (personal event)は失われているけどpersonal semantic memoryは失っていない例
  • Damasio et al '85の単純ヘルペス脳炎患者(Boswellと呼ばれる。仮名?)。両側のmedial and lateralの側頭葉の損傷あり。自分の職業や家族についての基礎的知識(personal semantic knowledge)について想起することはできるけど、それを自分の過去の時間的コンテキストに位置付けることができません。
  • Tulving et al '88での患者K.C.さん(head injury)。自分の過去のpersonal episodeをなにひとつ想起することができません(anterogradeにもretrogradeにも)。かつて自分の兄弟が溺れかけたことや、近所で毒物を運搬していた列車が脱線して何千人もが避難したこと、のような重要な事件に関しても。事故前は熱心なバイカーであったにも関わらず、かつて友人と行ったツーリングについてもまったく憶えていません。一方で、personal semantic factについての記憶は保持されています。自分が行った学校の名前をいえるし、集合写真のクラスメートの名前を言うこともできるし、学校の先生の名前も何人か挙げることができます。事故前の三年間向上に勤めていたことも知っているし、2台のバイクと1台の車を保有していることも知っていますし、バイクと車のサイズ、モデル、色について説明することをできます。彼の家族が別荘を持っていてそこで何度も週末を過ごしたということも知っているけれども具体的にそこに行ったという記憶はまったく持っていないし、そこで何があったかを想起することもできません。タイヤをフラットタイヤに交換するような技能も保持されているし、事故前に働いていた工場の写真を同定することもできます。チェスのやり方、ルールも覚えているけれども、実際に(誰と)どういう対戦があったかを想い起こすことはできません。
  • Wilson et al '95での患者C.W.さん(単純ヘルペス脳炎)も自分の過去のpersonal episodeをなにひとつ想起することができません。しかしpersonal factual knowledgeはある程度保持していて、自分の学校や在籍していたラグビーチームや父親の車の番号について言うことはできました。一方で、自分の出た学校の写真を見てもそれと気付きませんでしたし、有名人についての記憶も失っていました(たとえばJF KennedyやMargaret Thatcherなどが生きているか、死んでいるか、という質問の成績は悪かった)。
  • Schnider et al '94 両側の海馬での血管閉塞の患者さん。anterogradeのamnesiaもretrogradeのamnesiaもあって、自分の妻子のことは見分けがつくけれども、子供時代に遡るまでのepisodicなeventを持っていません。また、長い付き合いの親友が会いに来てもそれと気付けませんでした。public eventに関しては第二次世界大戦はどこの国が戦ったのかということを知りませんでした。
  • Graham and Hodges '97でのsemantic dementiaの患者さんで、ここ最近のpersonalなeventについて想起することはできるけれど、同じ時期のpersonal semantic informationについての情報を思い出すことができない(11/28に言及したHodges and GrahamのレビューPhilosophical Transactions '01のネタとなる原著なので、たぶん同じ患者さん)。
  • Kitchener et al '98 両側の海馬損傷の患者さんでpersonal eventの想起のほうがsemantic knowledgeの障害よりも重かった。個人的に知っていた人の名前を再認してfamiliarityがあるということはできたけれども、その人と過去にどういうエピソードがあったのかをまったく想起することができませんでした。
ひとつstrikingな例で、personal semantic knowledgeについて詳しく調べた報告:
  • Butters '84 著名な心理学者であったP.Z.さんはウェルニッケ―コルサコフ症候群となりましたが、その3年後に自叙伝を書いていました。この自叙伝を元にしてP.Z.さんのpersonal semantic knowledgeについて彼自身の分野で有名な科学者の記憶を調べると、障害が出る10年前のpersonal semantic knowledgeのほうが50年前のpersonal semantic knowledgeよりもより障害されていることが確認されました。(episodic memory自体でも同様な傾向が見られたそうです。)

episodic memory and semantic memory

んで、さんざんやってきましたが、記憶の分類に関する難点について:そもそも分類というのは「ある条件とそれ以外」という形でしかmutually exclusiveかつ洩れのない分類になりえないわけですが、いったん分類をしてしまうとそれぞれの概念が自立性を持ってきて、「それ以外」という立場に甘んずることは決してないがゆえに分類の整然さ(mutually exclusiveかつ洩れのない)が失われてややこしくなる、ということが起こるというわけです。
具体的に言えば、Squireがやるようにdeclarative memoryのsugdivisionとしてepisodic memoryとsemantic memoryを置くときにはそれぞれをeventのmemoryとfactのmemoryというふうに分けるしかありません。これではpublic eventがepisodic memoryに入ることになってしまいます(実際にはJNS '98 "Retrograde Amnesia for Facts and Events: Findings from Four New Cases."ではAMIでpersonal semantic memoryを定量化しているわけですが)。
一方でTulvingのオリジナルのepisodic memoryの定義('72)に戻ってみて、episodic memoryがpersonally experienced eventであるとするならば、semantic memoryはそれ以外、ということになるわけです。Tulvingの分類はepisodic memoryの方が主役で、personalか否かとeventか否(fact)かという二つの次元を持ってしまっていることになります。よって、semantic memoryの中はpersonal semantic knowledgeやpublic event knowledgeやgeneral semantic factのようにヘテロ名集団とするしかありません(このへんを整理しているのがKapur '99のfig.2なわけです)。
そうこうしているうちにsemantic dementiaのような症例について明らかになってくると、episodic memoryとpersonal semantic knowledgeとをまとめたほうがかえってわかりやすいようにも見えてしまう、という現象が起こるわけです。
とだいたいこんな感じに見通せるのではないかと。
しかしこのような問題は記憶の分類以外の認知心理学のいろんなドメインで起こっていることなのでしょうけど。


2004年11月28日

Neuron 10/14 Glimcher論文追記

11/23 での議論に関する追記。
今回の論文とコメントはゲーム理論に詳しい方が読んでいただくにしてはあまりに細かいところに入り込みすぎたし、元の論文へのアクセスも制限されていて(総合大学のようなところでないかぎり)話の筋を追ってもらうのは難しいと思うので、もうすこし論点のエッセンスを抽出してみるとこうなります:
Payoff matrixが一定な状態で混合戦略でナッシュ均衡にするために非協力ゲームをしている者が変えられるのは自分の行動選択率だけのはずで、自分の効用関数を変えるなんてことはありえないでしょう。しかし今回のinspection gameのようにゲームの途中でinspection costが変化する場合、つまりこれはpayoff matrixが変わるということなので、それを調整してあらたなナッシュ均衡になるときに、自分の行動選択率ではなくて自分の効用を変えて対応するということがありうるかどうか。
これをもしご存知のかたがいらっしゃったらぜひ書き込んでいただけたら幸いです。
このような状況というのはリアルでの経済活動でもあることのはずです。たとえば、二つ競合している販売店があって、ビールと発泡酒のどちらにより売り場を割くかどうかをそれぞれ考えてナッシュ均衡にあります。ビールにかかる税金が法改正で変わってpayoff matrixが変化しました。このときこの競合する販売店が新たなナッシュ均衡になるときに変化するのは売り場面積の比率(行動選択率)だけなのか、それとも売上げにたいする効用関数まで変わるという可能性も考慮しないといけないのでしょうか。と言い換えることもできるでしょう。

semantic dementia

まだまだいきます。episodic memoryとsemantic memoryとを分ける、という話になると、episodic memoryだけが障害された例とは逆にsemantic memoryだけが障害された例を考える必要があります。そこでsemantic dementia(意味性痴呆)について読みましょう。

semantic dementiaとは言葉の意味を選択的に障害された病気です。側頭葉前方部の萎縮によって引き起こされます。海馬はだいたい影響を受けていません。
追記:"Disorders of memory." Michael D. Kopelmanのレビュー Brain '02のsemantic dementiaの定義と解説が適度にコンパクトなので貼っておきましょう。

Semantic dementia is really a 'temporal lobe' variant of fronto-temporal dementia or degeneration. It is characterized by a progressive disorder of semantic knowledge: this involves a profound loss of meaning, encompassing verbal and non-verbal material and resulting in severe impairments in naming and word comprehension. Speech becomes increasingly empty and lacking in substantives, but output is fluent, effortless, grammatically correct and free from phonemic paraphasias. Perceptual and reasoning abilities are intact, and episodic memory is relatively preserved.

Philosophical Transactions '01にまとめてあるA.M.さんのcase reportをまとめます。
1930年生まれのA.M.さんは1994年になって普段あまり使わない言葉を理解できなくなってゆきます。日々あったことに関する記憶(エピソード記憶)はよく保持されているし、今度いつゴルフに行くかとかもよくわかっています。しかししゃべり言葉に内容がなくなっていきます。こんな感じ:

質問者:Can you tell me about a last time you were in hospital?
A.M.: That was January,Februaru,March,April, yes April last year, that was the first time, and oh, on the Monday, for example, they were checking all my whatsit, and that was the first time when my brain was, eh, shown, you know, you know that bit of the brain (indicates left), not that one, the other one was okay, but that was lousy, so they did that, and then like this (indicates scanning by moving his hands over his head) and probably I was a bit better than I am just now.

また、絵を見て何か答えるテストの成績が悪くなります。それから、category fluency test(ネコの種類をいろいろ挙げてもらうとか)の成績も悪くなります。また、surface dyslexiaが出てきます(普通の単語を発声することはできるけれど、スペルがイレギュラーなもの、たとえばislandとかを間違って読んでしまう)。
一方で、Rey-Osterreith figureをコピーした上に45分後にそれを想起して書くことはできるわけですし、絵を使った再認記憶課題もできますのでanterograde amnesiaはありません。
病状が悪化してゆくと、semantic knowledgeの低下が日常生活に影響を及ぼすようになります。物の使い方を間違えるようになります。傘を開かずに頭に上に横にして乗せて雨の中を行ったり、はしごの代わりに芝刈り機を持ってきたり、ワインに砂糖を入れて飲んだり、ということが起こります。しかし一方で毎週ゴルフはしているし、いつ友人が迎えに来てくれるかもわかっています。
ではこのような患者さんのautobiographical memoryはどうか、ということでまたAMI(autobiographical memory interview)をしてみると、昔のことはけっこう忘れているのですが(対照群と比べて、昔のエピソードを想起できていない)、ここ5年くらいのこと(semantic dementiaが出だす前)のエピソードは比較的よく想起できているのです(それでも対照群よりは悪いけど)。これはアルツハイマー病やSquire論文でのE.P.さんのような内側側頭葉の障害がある患者さんとは逆のパターンです(最近のエピソードは忘れているが、子供の頃のエピソードはよく想起できている)。つまりエピソード記憶のretrograde amnesiaはあるわけです。
というわけでsemantic dementiaの症例はepisodic memoryとsemantic memoryをまったく独立に障害することを示すわけではありません(そういう症例にはDe Renzi '87がある)。Graham and Hodgesはautobiographical memoryはsemantic memoryにある程度依存する、と考えています。つまり、episodic memoryとsemantic memoryとの間に階層的な関係があるというよりは相互に影響を及ぼしあうものとして考えているようなのです。
また、重要なことに、AMIなのでautobiographical memoryの想起だけではなくてpersonal semantic knowledge(昔行ってた学校の名前は?とか)もautobiographical memoryの想起と同様なパターンを示すということです。かなり分けわからんけれども、これはsemantic memoryのうちでfact knowledgeのレベルと語義やカテゴリーのレベルとは別物であって、fact knowledgeのレベルはepisodic memoryの障害と同程度に障害されるということを示しているのではないでしょうか。
これまでsemantic memoryのことをfactの記憶、factの知識、と言ってきたわけですが、実際のsemantic dementiaの病態では言葉の意味、カテゴリー、という部分の障害として出てくるわけです。このへんの概念の整理が(episodic memoryの場合と同様に)必要なのでしょう。なんにしろ、semantic memoryはこのように言語と対象とのカテゴリー化のような意味論的な部分を含んでいるため、言葉を持っているかどうかわからない動物でsemantic memoryがあると言えるかどうかは予断を許さないのです。よって、episodic-like memoryの場合と同様に、semantic-like memoryという扱いをすることが必要になります。
おもにperirhinal cortexで見られる連合関係をコードするニューロンは意味ネットワークを支える基本的な要素であるであろうと言えますが、上記の理由によってこれをsemantic memoryのneural correlateである、とまで断言するわけにはいかないわけです。そこで、declarative memoryでの命題的な構造を支える基本的な要素である、として扱うことになります。このへんについてはSquireが1980年初頭にdeclarative memoryとprocedural memoryという言い方で長期記憶を分けたその時点に戻って考える必要があります。ここも書いてみましょう(現在遡れるのは1980年のScienceと1982年のannual reviewですが、これで何とか凌ぎましょう)。
追記:EJN '04について。これはsemantic dementiaの患者さんに側頭葉前方部の萎縮があるとは言うけれど、実際にはどこなのかをMRIの構造画像から調べて、この萎縮が主にperirhinal cortexにあった、とするものです。この話とYonelinasの話をくっつけてしまえばepisodic memoryは海馬に、semantic memoryはperirhinal cortexに、entorhinal cortexは両方に寄与している、ということになりむちゃくちゃ整然としているのですが、そう簡単に決着はつかないことでしょう。傍証として憶えておきます。perirhinal cortex + temporoplolar cortexが左で体積が対照群の30%、右で50%。一方で海馬の体積は70%くらいでアルツハイマー病の患者さんの場合とそんなに変わらない。

episodic memoryとsemantic memory

宣言的記憶と手続き的記憶

宣言的記憶と手続き的記憶に関してSquireがなにを言っているかを原著に基づいてまとめたいのだけれど、手元にはとりあえず「記憶と脳」とannualn review of neuroscience '82しかないのでそのあたりから。


宣言的記憶は、意識的想起が可能な記憶であり、内容について述べることができる。学習によって獲得された事実やデータに関する記憶で、健忘症によって障害される。
手続き的記憶は、特定の事実やデータ、特定の時間に特定の場所で生じた出来事とは関係がなく、学習された技能や認知的操作の変容にあたる記憶で、健忘症でも障害されずに残る。
(「記憶と脳」p.154)

というわけで、基本的にはH.M.さんのような内側側頭葉の障害によって起こった健忘症amnesiaでできることとできないことというやり方で分けたという面が強いわけです。じっさいSquireのキャリアを見ると最初は記憶の薬理学的なところ(1968-, Nature '73)から始まって、健忘を前向性健忘と逆向性健忘とに分ける仕事(1974-, Neuropsychologia '78)があって、その次がこの宣言的記憶と手続き的記憶の区分を確立する仕事をする(1980-, Science '80)、という感じであるようですし。
H.M.さんが知覚―運動技能の修得と保持ができること自体はCorkin '68とかですでにわかっていたのだけれど、Cohen and Squire '80で鏡に映った左右逆さの文字を読む技能をH.M.さんが持っていることを示したわけです。これによってH.M.さんが保持している能力の"knowing how"(手続き記憶)と傷害されている"knowing that"(宣言的記憶)とが別々の記憶システムであることを確立したのがこのCohen and Squire '80であったということのようです。
さらにいくつか抜き書き。

健忘患者で傷害されている学習と記憶は、命題やイメージとして心に浮かぶ明確な情報に関係しているので、宣言的と呼ばれている。
健忘症患者でも障害を受けずに残っている学習と記憶は、獲得される情報が課題の手続きに関係するものであったり、すでに獲得している認知的操作を実行する手段の変化として現れたりするところから手続き的と呼ばれている。
宣言的記憶は、日常生活で記憶されるさまざまな事実や伝統的な記憶実験で用いられる各種の項目、データなどを含んでおり
手続き的記憶では、知識の内容への明確なアクセスなしに記憶システム(または複数の記憶システム)が作動することによって、特定の技能の進歩やプライミング効果が出現している。手続き的記憶は学習成績の上昇によってのみ表現され、健忘症患者が記憶内容を言語によって記述したり、既知判断課題の成績として非言語的に表現されることはない。
(「記憶と脳」p.160 順番入れ替えなどあり。強調は引用者による)

いちばんcriticalなところは命題的であるか否かと意識によってアクセスされるかどうかの点でしょう。

ほとんどの知識が、宣言的、手続き的双方の形を取って表象されうることを示している。
……
「あなたの家には窓がいくつありますか」という質問に対してどのような答えがあるだろうか?
一つには、答えがすでに記憶されており、この宣言的知識表象の貯蔵庫から情報を直接引き出して答えることができる。
自分の家を思い出して一部屋一部屋窓を数えていくという手続きを用いても、同じ答えを出すことができる。
しかし宣言的知識と手続き的知識とを区別することが有効かつ妥当なものであるのかどうかは、こうした議論によって演繹的な方法のみで決定することはできない。
……
宣言的記憶は意識にアクセスできる点に特徴があるとされ、
また手続き的記憶は別個の脳の機構を通じて獲得される、と見られている。
二種類の記憶は、相互に交替し得ない別個の表象を反映するとされているのである。
(「記憶と脳」p.162-163)

前半はGoodaleのvision for perceptionとvision for actionみたいで面白いんだけれど、それは否定したいらしい。
ここでは記憶されるもののコンテント自体が違うことを強調しているけれども、実際の区分には使われている脳の部位が違うということを大いに援用しています。

宣言的記憶は、より認知的で、早く強固に成立し、一思考学習にも適しており、情報を特定の時間と場所に生じた単一の事象として貯蔵する、と見られている。こうした種類の表象は、以前に体験したことがあるという親近感、気置換を生むことができる。その点に関しては、モダリティーの制限はなく、表象が形成されたときとは異なる情報処理システムを通じてでも、表象にアクセスすることができる。
手続き記憶は、より自動的でゆっくりと成立し、試行の反復によって少しずつ進歩する学習に適しており、記憶が形成されたときに関与した情報処理システム以外のモダリティーを通じてのアクセスは必ずしもつねに可能なわけではなく、記憶の有効性がモダリティー間の境界によって制約されている。
(「記憶と脳」p.165)

ここではモダリティーによる特異性の違いを強調しています。これも命題的なものとして表象されるか否かを反映したものであるといえるでしょう。
こうやって読んでいくと、Squireが宣言的記憶という概念に入れ込もうとしたものとTulvingのepisodic memoryがmental time travelであるという概念とは意識によるアクセス、という点からみればそんなにも違っていないようにも思えるし、命題的であるか、という点に関して考えればやはり外れてしまっているとも思えるし。
こうやって抜き書きしてみるのも良いもんです。なんか写経しているような落ち着いた気持ちになってきてたりして。
追記:Science '80でどんなこと書いてあるか。Cohen NJ, Squire LR. "Preserved learning and retention of pattern-analyzing skill in amnesia: dissociation of knowing how and knowing that." Science. 1980 Oct 10;210(4466):207-10.
鏡映文字を書いてもらう課題で患者N.A.さん(視床の背内側核に損傷。コルサコフ症候群に類似)が被験者。使用する単語には半分はセッションごとに別の単語を使用し、半分は同じ単語を使用する。セッションごとにユニークな単語を使っても練習効果があって、それは対照群と変わらない。一方で、同じ単語を使用したほうの結果では対照群ではfamiliarityの効果による促進効果があるのにN.A.さんではそれが見られない。対照群では同じ単語が使われていることに自発的に気付くけれども、N.A.さんは同じ単語が使われているということ自体に気付いていない。つまり再認記憶自体が失われていることも示されている。
論文のディスカッション部分では、学習されたのはその技能のencoding ruleまたは手続き(手続き記憶)であり、その結果得られた情報(宣言的記憶)ではないこと、つまり、健忘症で保持されているのは(これまで明らかにされてきたような)知覚運動技能だけではなくて、パターン解析の技能、あわせて「ルールおよび手続きによる操作」であり、このような手続き的、rule-basedな情報(knowing how: 手続き記憶)と宣言的、data-basedな情報(knowing that: 宣言的記憶)との区別が脳によって担われている(実際の表現は"such a distinction is honoured by the nervous system"で、このフレーズは要旨とディカッションの最後とで繰り返されています)、としています。
追記:Annu Rev Neurosci. '82でどんなこと書いてあるか。'82 Squire LR. "The neuropsychology of human memory." Annu Rev Neurosci. 1982;5:241-73.
基本的には「記憶と脳」で足りている感じだけど、宣言的記憶と手続き的記憶という対比について"knowing that"と"knowing how"(これはRyle 1949によるものだったらしい)が対応しているだけでなく、ベルクソンのpure memoryとhabit memoryやBrunerのmemory with recordとmemory without recordなどに対応している、というあたりが目を引いたくらいで。
あと、episodicとsemanticの分類についても言及があるけれど(有名の記憶の分類図はこの時点ではまだ出てきていない、あれは「記憶と脳」で出来たものらしい)扱いは小さいし、健忘症の患者さんはepisodicもsemanticも同じくらい障害されていて、片方だけということはありそうにない、と早くも主張しています。


2004年11月27日

episodic memoryとsemantic memory

今週は土日もいろいろ書きながらまとめてます。
というわけで、いろいろややこしいのだけれど、まずは題材はSquireの論文。
JNS '98 "Retrograde Amnesia for Facts and Events: Findings from Four New Cases." Jonathan M. Reed and Larry R. Squire
SquireはH.M.さんの健忘症の研究を元にして宣言的記憶と手続き的記憶、という区分を非常に重視しています。Episodic memoryとsemantic memoryという区分については、episodicは海馬でsemanticはrhinal cortexである、というような機能局在はないとしています。じっさい、 H.M.さん(両側のhippocampus+rhinal cortex)、R.B.さん(両側のCA1のみ)などの結果ではepisodicもsemanticも同程度に傷害されると結論付けています。
Zola-Morgan JNS '86での患者R.B.
Rempel-Clower N, Zola SM, Squire LR, Amaral DG (1996) Three cases of enduring memory impairment following bilateral damage limited to the hippocampal formation. J Neurosci 16:5233-5255での患者G.D. W.H. L.M.
それで海馬とrhinal cortexとがどのくらい傷害されるかで影響を受けるのはretrograde amnesiaの障害の厳しさ自体だというわけです(海馬CA1だけの障害のR.B.の記憶障害の程度はH.M.さんと比べて軽かった)。
JNS '98 "Retrograde Amnesia for Facts and Events: Findings from Four New Cases."
では新たに四人の患者さんの結果でこの問題を扱っています。

  • 両ヘミのhippocampusに限られている例:A.B., L.J.(A.B.さんは酸欠、L.J.さんは原因不明)
  • 両ヘミのmedial temporal lobeにlesion(hippocampus含む):E.P., G.T.(二人とも単純ヘルペス脳炎によって側頭葉を障害)
Retrograde amnesiaなので、事故や病気の起こった時期より前のことを思い出せなくなるわけです。
Retrograde amnesiaの記憶試験はコントロールが難しいので、方法論的な難点を持っています(anterograde amnesiaだったら実験者がランダム性を考慮した課題を記銘してもらえばよいのに対して)。NS '98論文で使った記憶試験は以下の通り。
Fact knowledgeについての試験:
(1) New vocabulary: 新しく使われるようになった(1955-1989)語彙("zilch"=zeroの意味)を答えさせる(recall)、できなかったら四択(to destroy;a stain;a filmy residue;zero)の中から答えてもらう(recognition)
(2) public events: 1940-1995のあいだの事件。"Who killed John Lennon?"(recall)で答えられなかったら四択から選ぶ(recognition)。
(3) famous faces: 1940-1995のあいだの有名人の顔。マリリンモンローの写真を見せて、誰か答えてもらう(recall)、出来なければ、これはマリリンモンローですかと聞くか(chance level 50%)、三択で聞く(recognition)。
(4) famous name completion: Alfred Hitch____から"Hitchcock"と言えるかどうか。
(5) famous names recognition: 三択でJoseph Silva, Jimmy Hoffa, Willie Turmanの誰が有名人か答えてもらう(ジミー・ホッファ = 全米トラック運転手組合委員長 (1957-71)で陪審員買収と公金横領で有罪になり、出所 (1971) 後に失踪)。
Autobiographical memoryについての試験:
(6) Autobiographical memory interview (AMI):以下の質問に答えてもらう。
  • Describe an incident from the period before you attended school.
  • Describe an incident that occurred during the period in which you attended elementary school.
  • Describe an incident that occurred during the period in which you attended high school.
(7) Word association test of autobiographical memory: あるお題(dog,water,school)を元にして連想した昔の出来事を話してもらう。なるたけ具体的に、そしていつのことだったかも答えてもらう。
Personal semantic knowledgeについての試験:
(8) AMIと同時に、personal semantic knowledgeについての質問もする: what was your home address while attending high school?
結果:fact knowledgeのテストの結果は海馬のみ損傷の患者さんでマイルド、側頭葉損傷の患者さんではかなりきびしい。両者ともにanterograde amnesiaは明確にあり、これもfact knowledgeのretrograde amnesiaの成績と同様に海馬のみ損傷の患者さんのほうがマイルド。Autobiographical memoryおよびPersonal semantic knowledgeは海馬のみ損傷の患者さんではほとんど見られない一方で、側頭葉損傷の患者さんでは非常に傷害されている。E.P.さんの場合は昔のことになればなるほどよく憶えている傾向がある。
というわけでepisodic memory(autobiographical memory)もfact knowledge(semantic memory)も同様に傷害されている、としています。とくに言及はされていないけれども、この論文では"Personal semantic knowledge"をautobiographical memoryとは別の項目でテストしているわけです(結果に差はなかったわけですが)。これは名前の通りsemantic memory(=factのmemory)です。つまり同じテスト(AMI)の中でepisodicに相当するものとsemanticに相当するものの効果を見ることができて、それらへの効果は同様なパターンを示した(障害のtime periodのパターンはE.P.さん、G.T.さんとで違っているけれども、同じパターンがautobiographical memoryとPersonal semantic knowledgeとで見られる)ことが著者の主張を裏付けている、ということになるわけです。
しかしこのAMIというやつがepisodic memoryが保持されているかどうかのテストとしてどのくらい妥当なのか、というあたりがいつも気になります。彼らにとってはsemantic memoryもepisodic memoryもdeclarative memory(言語を使った言明で表すことのできる記憶)のうちでその記憶のコンテント(情報)によってそれがfactであるか、それともeventであるかによってsemanticかepisodicかと分けているわけです。そういうわけで、ここではTulvingがいうようなmental time travel的な概念は強調されません(逆にいえば、Tulvingによるepisodic memoryの最新の定義は宣言的記憶という範疇からはみ出している)。このへんの問題はepisodic-like memoryを動物モデルでやる者にとってはかなり切実なわけですが、ヒトでのneurologyではAutobiographical memory interviewをやれば十分である、ということになっているようなのです(というかこれがretrograde amnesiaをやるがゆえに方法論的な難点というやつです)。Weisskrantzがnonhuman primateでの行動実験のパラダイムを人間に当てはめることによってblindsightを見出したのと同様に、episodic-like memoryを明らかにする過程で使われた実験パラダイムをヒトの患者さんで応用すると言うことには意味があるのではないかと考えるわけですが、そういうのはないのだろうか。
同様なフラストレーションはMishkin陣営の方のVargha-Khadem F, Gadian DG, Watkins KE, Connelly A, Van Paesschen W, Mishkin M. Differential effects of early hippocampal pathology on episodic and semantic memory. Science. 1997 Jul 18;277(5324):376-80 にも感じます。こちらはanterograde amnesiaだから、もうすこし工夫できる余地がある気がするのだけれど。
Tulving側の主張についても耳を傾けるべきでしょう。患者K.C.さんについての知見をまとめてみる予定です。つづいてKapur N. Syndromes of retrograde amnesia: a conceptual and empirical synthesis. Psychol Bull. 1999 Nov;125(6):800-25.およびWheeler MA, McMillan CT. Focal retrograde amnesia and the episodic-semantic distinction. Cogn Affect Behav Neurosci. 2001 Mar;1(1):22-36あたりの知見もまとめてみるつもりです。

episodic memoryとsemantic memory

やるべきことメモ:とりあえず三つの大きな陣営がある、という感じでまとめる。Mishkin:nonhuman primateでのlesion studyから出発。Squire:H.M.らの患者での神経心理学的研究を踏まえている。Tulving:認知心理学寄り。YonelinasはTulvingと共著あり。

episodic memoryとsemantic memory

anterograde amnesiaの患者のうち、Episodic Memoryが障害を受けているにもかかわらず、新しいfactual knowledgeを獲得した例。
一般的には、一回一回のイベントの記憶(episodic memory)が一般化してゆく過程でfactual knowledge(semantic memory)となってゆくと考えられているわけだけれども、これらの例ではそのようなイベントの記憶がないのにsemantic memoryとして蓄積されることになるのが驚くところです。

  • "Differential Effects of Early Hippocampal Pathology on Episodic and Semantic Memory." Science '97 Vargha-Khadem et.al. (M Mishkinら) 10/7ですこし言及しました。これはdevelopmental amnesia、つまり生まれてかなり早い時期に健忘になった例なので、基本的に獲得した知識(semantic fact)はすべて障害が起こってから獲得したものになるわけです。しかし非常にきびしいepisodic memoryのanterograde amnesiaがあるため、WMS(のsubset)のrecallができない、つまり、さっき聞いた話を憶えていることができません。それにもかかわらず言葉を憶えてしゃべることができて、学校に通って授業を受けて平均より下か平均ぐらいの成績だった、という驚くべき報告です。この報告に関しては論争が巻き起こってSquireらが反応しています。
  • "Acquisition of novel semantic information in amnesia: effects of lesion location." Neuropsychologia '00 M. Verfaellie
  • "Acquisition of post-morbid vocabulary and semantic facts in the absence of episodic memory." Brain '98 EG Kitchener, JR Hodges and R McCarthy Kitchener 98での患者さんR.S.はAMI(autobiographical memory interview)でepisodeの想起はまったくできない(スコア0/27)のにPersonal semantic knowledgeは成績が悪いながらもある程度できている(スコア24/63)。有名人の写真を見て答えるような問題もできてしまう。KopelmanのBrain '02のレビューにもあるようにこれはおどろきで、この患者さんは1983年にクモ膜下出血で健忘になったにも関わらず、写真からジョージ・ブッシュとミハイル・ゴルバチョフ(1985年に書記長就任)の名前を言うこともできて(1983年の時点でR.S.は彼らを知らなかった)、ゴルバチョフが何者であるかを答えることができる(‘Political. Russia. Moving forwards’と答えたそうです、微妙?)。しかし一方で、自分が何歳であるかもわからなかったし、自分の娘(クモ膜下出血のときに12歳)がどこに行ったか毎朝奥さんに聞いていた(娘さんはすでに25歳になっていて家を出ていた)。自分の娘のことはわからないのにゴルバチョフのことがわかっていいものなのか非常に気になるわけですが。なお、この患者さんは両側性の側頭葉のの障害(海馬、entorhinal cortex、perirhinal cortex、parahippocampal cortex)だけれども右側の損傷は軽かったらしく、semantic knowledgeが残っているのはこれによる可能性もあります。

大学院講義のアウトラインの構想

  • 記憶の分類
    • ヒトの臨床例の神経心理学に基づいて分類を見直す
      • 患者H.M.による宣言的記憶と手続き記憶
      • 患者K.C.によるエピソード記憶と意味記憶
      • 前向性健忘と逆向性健忘
      • 再認記憶課題のrememberとknow
  • 宣言的記憶の動物モデル
    • nonhuman primateを使った対連合記憶課題での単一ニューロン活動記録
      • 宣言的記憶を支える連合関係をコードするニューロン
      • 視覚連合野と内側側頭葉記憶システムとの相互作用(encodingとautomatic recall)
      • 視覚連合野と前頭前野との相互作用(volitionalなrecall)
  • エピソード記憶の動物モデル
    • 行動に基づいた操作的な定義
      • Episodic-like memory: ハトが「いつ、どこで、なにを」の情報を保持する
    • ヒトでの知見との平行関係
      • Recollection-like component: ラットが再認課題でfamiliarityではなくてrecollectionを使っている?
  • ヒトでの知見と動物での知見との相互規定
といいつつも「あれもこれも伝えたい欲求」を抑えつつ。http://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/tips/basics/design/column.html

2004年11月26日

Medial Temporal Lobe (MLT) and Amnesia

ここはなによりもLarry R. Squireのreviewに当たりましょう。

Patient H.M., patient R.B. and patient E.P.
Episodic and Semantic Memory(この件あとで大きく膨らませます。)
Hippocampal lesionとsemantic knowledge。


2004年11月25日

テストの進行状況

サブカテゴリーに論文の名前を入れたら半角100文字のところで切れた。なんでだろ。まえにBarcley DBで作ったときはこうはならなかったので、MySQLのデータベースのどっかを設定してやらないといけないのだろうか?

Googleのページ翻訳

via http://www.hyuki.com/tf/20041122141745.html
http://translate.google.com/translate?hl=en&sl=ja&u=
の後ろにURLを入れて使います。ためしにうちの11/22のエントリーを入れてやってみたところ、ひどい翻訳ではあるけれど、このUngerleider論文とShadlen and the Newsomeに対して怒っていることだけは伝わってしまいそう。もはや、日本語で書いてもhalf-closedでなくなってしまうのなら、もうちっと違った態度で臨まなければならないのかもしれない。


2004年11月24日

以上

でGlimcher論文へのコメントおしまいです。あれこれあって、なんだかんだとこれだけかかってしまいました。mmrlさんには力になっていただきましてどうもありがとうございました。はじめの頃のかなり雑な読みをしていたところよりは核心に近いところまでは行けたのではないでしょうか。
かつてはジャーナルクラブ直前に根を詰める過程で前には読み込めなかったものがやっと浮上してくる、という経験をよくしたものです。これはもちろん研究のための練習なのです。どのくらい考え抜いて、どのくらい本質に近づいたか、そのためにこうやって手を動かして具体的に計算してみたりして、それでやっとイメージが湧いてきて、なにが行われているのかがやっとわかってくるわけです。今回はすこしはそんな感じが出せたのではないかと、なんというか論文を読んでて発見があったと、そんな感じを持ってます。
そうこうしているまに大学院講義まであと一週間を切ってしまいました。来週までそちらについての下調べ関連でこのページが埋まると思います。
追記:たたみにかかってますが、べつにこれで終わりにしたいわけではないので、この論文とコメントへの書き込みを歓迎しております。とくに、いろいろ数式こねくり回しましたが、まだ誤解もいろいろあるはずです。

Neuron 10/14 Glimcher論文つづき

"Activity in Posterior Parietal Cortex Is Correlated with the Relative Subjective Desirability of Action." Michael C. Dorris and Paul W. Glimcher

最終回です。電気生理データに関してまとめます。落穂拾いというか、すでに先取りして議論してしまったわけですが。

この論文は基本的にはred(=risky)のchoiceがreceptive fieldに入っていて、そこへsaccadeしたときのデータだけを解析しています(Figure.5とFigure.8を除く)。そうすることによって、現れる視覚刺激と行っている運動とがまったく同じ条件のあいだでinspectionのcost=Iを変えたブロック間でのニューロンの発火パターンの違いを見ようとしているわけです。

この論文のメインのデータはFigure.6です。いま書いたように、視覚刺激も運動もまったく変わらない条件でIをブロックごとに変えると、ナッシュ均衡にあるのでブロック間でのexpected utilityは変わらないけれど、expected value(=reward probability * reward magnitude)やchoice probability(=p(risky))はブロック間で変化している(Figure.3Bのプロットを見ていただければわかる通り)、これが彼らの主張です。それで、LIPニューロンの活動はどうだったか:ブロック間で変化しなかった(Figure.6A,D,E)、だからexpected valueやchoice probabilityをコードしているのではなくてかexpected utilityをコードしているのだ、これがこの論文の最大の知見です。

さて、この論理は正しいかどうか。まず、前回あたりで書いたようにややこしい話なわけです。certainとrislyを比べるのではなくて別々のIでriskyを比べるのは妥当かどうかについてもすでに書きました。そして、expected utilityはブロック間で一定だというけれど、expected valueに関してもブロック間でそんなに違っているわけではないことについても前回示唆しました(だいたい、それならFig.6Aとかにはp(risky)をスーパーインポーズするのではなくて、relative expected value=(1-p(inspect))/(1.5-p(inspect))をスーパーインポーズすべきなのですし、それはFig.3Bにもあるように全データを足し合わせると0.35-0.60あたりの比較的小さいレンジに散らばるけど、個々のニューロンでのtrial中のinstantaneousなものとしてはそんなにきれいなものではないでしょう)。

また、この時点ではまだもしかしたらこのニューロンはじつは単なるサッケードニューロンで、運動以外の情報はまったく持っていない可能性もあります。この可能性を排除するために彼らはコントロールの課題としてinstructed trialというのをやっていて、Platt and Glimcher論文のデータの再現をしていて、red targetがgreen targetよりもジュースが多いと固定されているときにはジュースが多い方のtargetで発火頻度が高いことをpopulationデータで示していますが、figure.6Eの全てのニューロンがそういうものなわけではありません(figure.7Bのinstructed trialのデータにあるように、有意な細胞はせいぜい半分くらい。そういうニューロンだけ集めてきて解析する、というのが本当はもっとフェアでしょう)。

彼らが自分の主張を通すためには、expected utilityを変えて、expected valueが一定な条件を設定してやって、そのときはLIPニューロンがexpected utilityに相関していることを示さなければならないのです。なんといっても、タイトルは「PPCはsubjective desirabilityと相関している」なのですから。

それをしようとしたのがFigure.9です。しかしこの論文が明確に避けていることの一つとして、著者はrelative expected valueとニューロンの発火とを関連付けていないのです。彼らがするべきは、ここで算出したようなtrial-baseでのestimate of subjetive desirabilityとLIPニューロンとの相関がtrial-baseでのestimate of expected valueとLIPニューロンとの相関を差っ引いてもあるかどうかなのです。それをしないかぎりFig.9にはなんの意味もありません。

なんにしろ、彼らがここでなにをやっているか:かれらは"subjective desirability"のtrial-by-trialでのばらつきの指標として対戦相手がそのつど強化学習アルゴリズムを使って計算しているものを利用します。

対戦相手(コンピュータ)が次inspectするかnot inspectかのdecisionルールは

対戦相手はtrialごとにp(risky)を強化学習で推定して、これを使って
EU(inspect)=EV(inspect)=p(risky)*(1-I)+(1-p(inspect))*(2-I)
EU(not inspect)=EV(not inspect)=p(risky)*0+(1-p(inspect))*2
を計算して
EU(inspect)とEU(not inspect)のどっちが大きいか計算することで
p(inspect)を変化させています。

こんなものでした。mmrlさんご指摘の通り、対戦相手はコンピュータなのでEU=EVです。 そこでFig,9では、この計算で出てきたtrial-baseでのp(inspect)を使って、

EV(risky) = 1-p(inspect)
EV(certain) = 0.5
を計算してrelative subjective desirability
= EV(risky)/(EV(risky)+EV(certain))
= (1-p(inspect))/(1.5-p(inspect))

をtrial-baseで計算させたのです。(ここのアルゴリズムに関する私の理解が間違っていないかぎり。上記のステップの次に強化学習ルールでαを再最適化したというステップがあるのがナゾなのではあるけれど、この過程でpayoffとしてutility functionを推定している、とは考えにくいし)。この時点でsubjective desirabilityと彼らが書いているものはじつはobjective desirabilityになってしまっています。というのもmethodの式(1)-(3)はutility functionが入ってないかぎりexpected valueの式であって、expected utilityの式ではないのですから(いままで書いてきたように、0.5や1ではなくてu(0.5)やu(1)を使う必要がある)。よって、いま私が言った文句は違ったふうに書けます。ここで算出したsubjective desirabilityとは独立なexpected value=objective desirabilityも同様にtrial-baseで計算できますか、と。できっこないわけです。ここで彼らが計算しているのはobjective desirabilityなのですから。

この論文"Activity in Posterior Parietal Cortex Is Correlated with the Relative Subjective Desirability of Action"はどこにもsubjective desirabilityとLIPニューロンの活動の相関(correlation)を見ているところはないので題名は間違っていると私は考えます。最小限の修正でタイトルを直しましょう:タイトルはこうすべきです:"Activity in Posterior Parietal Cortex Is Correlated with the Relative Objective Desirability of Action"。なあんだ、Sugrue and Newsome論文と結論は同じではないですか。

まとめましょう。この論文はゲーム理論でのナッシュ均衡になるような興味深い状況においてその行動がゲーム理論から予想されるものであることを示し(しかしより静的な選択理論でも充分説明できる)、LIPニューロンが選択する行動の価値をコードしていることを確認したという点でほぼSugrue and Newsome論文の後追い論文であり、ゲーム理論を応用した本当におもしろい部分の探求には成功しなかった、そういう論文であると考えます。本当におもしろい部分に向かう価値はあると思いますが、おそらくGlimcherはもう懲りたことでしょう。Human fMRIでのデータを蓄積して再びチャレンジする日が来たらすばらしいと思いますが、おそらくそれはLIPの機能を明らかにする、という文脈には置かれないことでしょう。

キング・クリムゾン「太陽と戦慄」

キング・クリムゾン「太陽と戦慄」 太陽と戦慄 (紙ジャケット仕様)
原題は"Lark's Tongues in Aspic"。
ネタ元:http://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20041124#houdai
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%d6%a5%ae%c9%e2%a4%ad%a5%a4%a5%ab%a4%b9%cb%ae%c2%ea100%c1%aa
http://d.hatena.ne.jp/hibiky/19730301
そういえばどうだったっけかと興奮気味にググってみたところ、Elephant Talk(http://www.elephant-talk.com)のFAQを発見。
http://www.elephant-talk.com/faq/faq4.htm#q77
これを元に直訳するならば、ヒバリの舌の煮こごり、もしくはヒバリの舌入りの煮こごり、というところでしょうか。さまざまな含意を取り除いたとして。
せっかくなので追記:煮こごり、って言ってしまうのはちょっと違いますね。レシピを探してみると、

  • Tomato Aspic 写真入り。トマトソースをゼラチンに溶かして調味料入れて固めたものらしい。
  • Carp in Aspic
  • Salmon in Aspic魚を煮て出た煮汁にゼラチンを融かしたものを煮魚の上にかけて固めたものらしい。
ここにすこし記載があります。
とりあえずLarks Tongues "In Aspic" recipe -Crimsonでググって見てもこれくらいしか引っかかってこないんで、さっぱりイメージ湧きませんでした。


2004年11月23日

Neuron 10/14 Glimcher論文つづき

"Activity in Posterior Parietal Cortex Is Correlated with the Relative Subjective Desirability of Action." Michael C. Dorris and Paul W. Glimcher

いろいろ復旧してませんが休み終了です。再開します。

今回はいちおうオチ、というか話に収拾がつけてあると思いますが、そこまでの道はかなりぐちゃぐちゃです。

前回の行動データについてさらに続けます。この論文で問題なのは、mmrlさんもコメントでご指摘の通り(11/15および以前の8/31)、expected utility=subjective desirabilityの定量化が明示的には(ぼやかした形でFig.9で扱われているが)まったくなされていないことです。Figure.3を見ながらもう一度考えてみましょう。 Expected valueの比(riskyとcertain間の比)はFigure 3bで明示的に現れています。Expected valueの比を明示的に計算してみましょう。ここではブロック内での平均値に関して。

10/1に書いたように、expected valueを計算するためには別々のoutcome(今回の場合だったらinspectされたときとされないとき)での割合で重み付けをしてvalue(今回の場合だったらジュースの量)を足し合わせます。これをrisky, certainそれぞれでやってみましょう。なお、ここではまだナッシュ均衡のことは考えてません。

riskyのexpected value
 = sum(reward probability(risky) * reward magnitude(risky))
 = reward probability(risky,inspect) * reward magnitude(risky,inspect)
 + reward probability(risky,not inspect) * reward magnitude(risky,not inspect)
 = p(inspect)*0 + (1-p(inspect))*1
 = 1-p(inspect)
certainのexpected value
 = sum(reward probability(certain) * reward magnitude(certain))
 = reward probability(certain,inspect) * reward magnitude(certain,inspect)
 + reward probability(certain,not inspect) * reward magnitude(certain,not inspect)
 = p(inspect)*0.5 + (1-p(inspect))*0.5
 = 0.5
よってExpected valueの比(riskyとcertain間の比)
 = expected value(risky) / (expected value(risky)+expected value(certain))
 = (1-p(inspect))/(1.5-p(inspect))
なお、Table 1についてさらっと書かれているけれども、
被験者のreward probability for risky choiceというのは
対戦相手がinspectするか否か、p(inspect)で決まっているわけです。
p(inspect)はIのブロック内では被験者がriskyとcertainと選ぶときとで共通です。
よって以下のように書けます。
reward probability(risky,inspect) = p(inspect)
reward magnitude(risky,inspect) = 0
reward probability(risky,not inspect) = 1-p(inspect)
reward magnitude(risky,not inspect) = 1
reward probability(certain,inspect) = p(inspect)
reward magnitude(certain,inspect) = 0.5
reward probability(certain,not inspect) = 1-p(inspect)
reward magnitude(certain,not inspect) = 0.5

この(1-p(inspect))/(1.5-p(inspect))がFigure.3Bの横軸で表されているものです。一方で同様な比をexpected utilityでも計算してやることができます。ただし、被験者のジュース量に対するutility functionはここでは未知ですからu()と表記します。フォンノイマン-モルゲンシュテルンのutility functionであるとするならば式変換も多少できます。あと、u(0)=0と見なしておいてよいでしょう。そうすると、

riskyのexpected utility
 = sum(reward probability(risky) * reward utility(risky))
 = reward probability(risky,inspect) * reward utility(risky,inspect)
 + reward probability(risky,not inspect) * reward utility(risky,not inspect)
 = p(inspect)*u(0) + (1-p(inspect))*u(1)
 = (1-p(inspect))*u(1)
certainのexpected utility
 = sum(reward probability(certain) * reward utility(certain))
 = reward probability(certain,inspect) * reward utility(certain,inspect)
 + reward probability(certain,not inspect) * reward utility(certain,not inspect)
 = p(inspect)*u(0.5) + (1-p(inspect))*u(0.5)
 = u(0.5)
よってExpected utilityの比(riskyとcertain間の比)
 = expected value(risky) / (expected value(risky)+expected value(certain))
 = (1-p(inspect))*u(1) /((1-p(inspect))*u(1) + u(0.5))
 = (1-p(inspect))/ ((1-p(inspect))+ u(0.5)/*u(1))
最後は分子と分母をu(1)で割ってます。

つまり、Expected valueの比とExpected utilityの比とはu(0.5)/*u(1)=0.5のときは等価で、それ以外のときにずれてくるという微妙な差でしかありません。Glimcherが差を出そうとしていたことはこんなにも微妙な差なのです。

とりあえずp(inspect)=0.5のときにu(0.5)/*u(1)を振ってシミュレーションしてみましょう。Expected valueの比は1/2で固定です。Glimcherは今回のSFNでhaman fMRIでutility functionとしてutility = (value^(1-r))/(1-r)を使ってました。r>0でrisk aversive、r<0でrisk seekingです。Indifference curveを作ってrを計算するとrは-0.2-0.4あたりのレンジです。このレンジでu(x)/u(2*x)をだいたいで計算すると、0.40-0.65のレンジ、これを今回の論文のu(0.5)/u(1)に入れてやるとexpected utilityの比は0.43-0.55のレンジに散る、かなり適当な計算ですが、レンジはだいたいあってるでしょう。

さて、いままでの話はp(inspect)が固定している場合で、まだナッシュ均衡は出てきてませんでした。この状況ではexpected valueの方が一定になってしまうわけです、この意味で8/31にmmrlさんが書いてた、expected valueのほうが一定になるのでは?という疑問は正しいわけです。

しかし実際にナッシュ均衡が起こってもp(inspect)=0.5にはならなくてよいし(個体ごとのrisk averseの程度によってずれててよい)、もしtable 1のようにp(inspect)がブロック間で違っているときには(これがナッシュ均衡で起こりうるかどうかは疑問だけど)、expected valueとexpected utilityは今回の実験パラダイムで乖離しうる、しかしブロック間でp(inspect)が共通の時にはexpected valueとexpected utilityは今回の実験パラダイムでは乖離しえない、これがいまから私が書くことのまとめです。

Methodの式(4)-(6)に関しては、対戦相手がコンピュータであり、expected utility=expected valueであるため、ナッシュ均衡にあるときに対戦相手がinspectするときとnot inspectするときとでexpected utilityが等しいことから、p(risky)=Iとなる、これは正しいわけです。しかしいっぽうで、(1)-(3)の方は間違っているのではないでしょうか。もう一回上で使った式を使います。

ナッシュ均衡において、被験者がriskyを選ぶときとcertainを選ぶときとで
被験者のexpected utilityは等しい。よって、
riskyのexpected utility
 = sum(reward probability(risky) * reward utility(risky))
 = reward probability(risky,inspect) * reward utility(risky,inspect)
 + reward probability(risky,not inspect) * reward utility(risky,not inspect)
 = p(inspect)*u(0) + (1-p(inspect))*u(1)
 = (1-p(inspect))*u(1)
certainのexpected utility
 = sum(reward probability(certain) * reward utility(certain))
 = reward probability(certain,inspect) * reward utility(certain,inspect)
 + reward probability(certain,not inspect) * reward utility(certain,not inspect)
 = p(inspect)*u(0.5) + (1-p(inspect))*u(0.5)
 = u(0.5)
両者が等しいとき、
(1-p(inspect))*u(1) = u(0.5)
 p(inspect) = 1- u(0.5)/u(1)

こうなるわけで、p(inspect)は0.5で一定になるというよりは、被験者のutility functionによって0.35-0.60あたりのレンジにあるのではないかと。問題はutility functionがI:inspection costのブロック間で変化しないかどうかです。もし変わってしまえはtable1にあるようにp(inspect)がinspection costによって変化してもおかしくはありません。

だんだんこんがらがってきました。もう少しこのへんの話に材料を与えるために、いままで言ってこなかった話を出しましょう。

この論文のメインの結果はGlimcherの近著のFigure 12.5にもあるように、ナッシュ均衡では別々のinspection costのときのrisky choiceのexpected utilityは等しい、LIPニューロンの活動も一定だった、というものです。しかしこれはそんなにまっすぐな論理ではありません。だって、これまでも書いてきたように、あくまでナッシュ均衡にあるときはそのブロックでのriskyとcertainの選択のexpected utilityが等しいということだけなのですから。もう一つ以上のロジックのステップが必要です。

たとえばI=0.2のときのrisky, certainそれぞれのexpected utilityを
EU(risky,0.2)、EU(certain,0.2)などと書くとしますと、
ナッシュ均衡において、
EU(risky,0.2)=EU(certain,0.2)
EU(risky,0.5)=EU(certain,0.5)
EU(risky,0.8)=EU(certain,0.8)
などが成り立ちます。ここで
EU(certain,0.2)=u(0.5,0.2)
EU(certain,0.5)=u(0.5,0.5)
EU(certain,0.8)=u(0.5,0.8)
でこれはp(inspect)に依存しません。
あとはutility function uがI:inspection costに依存しないこと
が保証されていれば(***)、
EU(certain,0.2)=EU(certain,0.5)=EU(certain,0.8)
が成り立ち、
EU(risky,0.2)=EU(risky,0.5)=EU(risky,0.8)
が成り立つ。

こういうことのはずです。

いっぽうでexpected valueに関してはFig.3BにあるようにI=inspection costに依存します。

たとえばI=0.2のときのrisky, certainそれぞれのexpected valueを
EV(risky,0.2)、EV(certain,0.2)などと書くとしますと、
ナッシュ均衡において、
EV(certain,0.2)=EV(risky,0.2)
となるのはutility function u(x)=xのときだけで、
それ以外では必ずしも成り立っていません。
しかし、
EV(risky,0.2)=1-p(inspect,0.2)
EV(risky,0.5)=1-p(inspect,0.5)
EV(risky,0.8)=1-p(inspect,0.8)
です。もしナッシュ均衡において
p(inspect,0.2) = 1- u(0.5,0.2)/u(1,0.2)
p(inspect,0.5) = 1- u(0.5,0.5)/u(1,0.5)
p(inspect,0.8) = 1- u(0.5,0.8)/u(1,0.8)
が一定ならば(****)、expected valueにおいても
EV(risky,0.2)=EV(risky,0.5)=EV(risky,0.8)
が成り立ってしまいます。実際には
Table 1にあるように、p(inspect)がinspection costに依存するため、
EV(risky,0.2)=EV(risky,0.5)=EV(risky,0.8)
は成り立ちません。

しかし、(***)と(****)とはほとんど等価ではないでしょうか。余計にこんがらがってきた。収拾不可能です。

しかしこれだけは言えます、Glimcherが差を出そうとしていたことはこんなにも微妙な差なのです、ともういちど。

ちょっと絡みすぎました。仮定に仮定を重ねているし(フォンノイマン-モルゲンシュテルンのutility functionが実際の行動から乖離していることについては10/2にやりましたし)。こんなふうに書かなくても、mmrlさんが11/15に書くように、ナッシュ均衡に充分達していない状態で実験しているからtable 1のようにp(inspect)がinspection costに依存してしまっている、これで充分なのでしょう。

ただ、このぐらい書いてみてだんだんわかってきたのは、ナッシュ均衡に充分近づいたとしても、 p(inspect)=0.5にはならずに p(inspect)=u(0.5)/u(1)であると考えた方がよさそうだし、もしp(inspect)がinspection costに依存しないのであったら、riskyのexpected utilityだけではなくて、riskyのexpected valueもブロック間で一定になってしまうのではないか、ということです。つまりこうなると、現在扱ったようなかなり細かいところ(ナッシュ均衡における理論と実際のデータの乖離の理由)まで詰めたうえで考えないとGlimcherのやっていることはexpected utilityとexpected valueとを分けるにあたってまったく検証能力のないテストをやっているのではないか、という疑いがあります。(じつはセミナーでプレゼンしたときにも同様な質問があって、それへの答えをずっと考えていたのです。たぶんこれが答えです。)

もしかしたらGlimcherもすでに論文を作ってゆく過程でこのへんに気付いてしまったのかもしれません。そして、expected valueとexpected utilityを直接比較検証する形を力ずくで避け、expected valueとexpected utilityとが充分分けられていない状況でLIPニューロンがただのchoice probabilityやreward probabilityやreward magnitudeではなくて、expected valueとexpected utilityとが共有しているものをコードしている、という形に落とした、そんなところなのかもしれません。そうなればexpected utilityでなくてsubjective desirabilityにしたところで間違った結論を主張していることになると思いますが。

次回こそ電気生理データを片付けて終わりにします。もうほとんど決着はついた気もするのですが。


2004年11月22日

Nature 10/14

"A general mechanism for perceptual decision-making in the human brain." L. G. UNGERLEIDER
これひどい論文だと思うんですけど、なんでこれがNatureなんでしょう。
これまでShadlenとNewsomeがやってきたperceptual decisionの実験系では左右に動くランダムドットがあって、左に動くドットと右に動くドットの二つのevidenceを比較してどっかで右か左かdecisionする、というフレームワークを使ってきています(たとえば12/20で採りあげたやつ)。
んで今回Ungerleiderはこれをhuman fMRIで顔および建物の二種類の画像にノイズを加えて、顔か建物かを判別させるような課題での脳の活動を調べたというわけです。これは例の顔領域(fusiform face area)と場所、建物領域(parahippocampal area)とで顔や建物に対する反応がsegregateしていることを活用したということです。
同一の刺激に対して顔であると判断したか建物であると判断したかでこれらの領域の反応が変わったとしたら面白いと思うのですが、そういうことはなくて、単にノイズを加えた量によってactivationの大きさが変わることを示してます(Fig.2)。それはあたりまえだし。
一番重要なデータはFig.4です。顔領域での顔応答(Face(t))と建物領域での建物応答(House(t))とを比較してperceptual decisionをしているところがどこか、ということを調べたら、posterior DLPFCだったと。つまり、posterior DLPFCのBOLDシグナルは知覚応答の差分Face(t) - House(t)と相関していたと。でもそれではたんなる刺激応答と分離できてないでしょう。Near-thresholdのambiguousな刺激があるときは顔に見え、あるときは家に見えたとして、そういう入力がまったく同じ状態でのperceptual decisionの結果とBOLDシグナルとが相関しているのでないかぎり、perceptual decisionのneural correlateとはとても言えません。しかもその場合にはmotorの要素を揃えなければいけないし。
いったいShadlenとNewsomeはなにをやってたのでしょうか。彼らのどちらもがレフェリーに入ってないなんてありえません。Glimcherのような同業者は落としたくせに、human fMRIだと自分たちの陣営の援護射撃になると思って結果がヌルくても通してやる、そんな政治判断が透けて見えますけどね(まったくの推測だから信用しないように。でも本当っぽいでしょ)。
あと、Fig.4のデータの点をよく見てもらうと、これに一本のregression lineを引くことのイカサマさが見えてきます。明らかに二つのクラスターがありますよね。正答率0.7あたりのものと正答率0.95あたりのもの。なんか気付いてないパラメータがあって、じつはslope=0の二つの直線(y=0.7とy=0.95)でANCOVAでregressionするようなデータだと思うんです(刺激の種類が少なすぎて、簡単な条件と難しい条件の二つぐらいしか実際には条件を振れてないのでしょう、だったらそんなのでパラメトリックにやるべきではないし)。
いちおうこの論文の意義としては、Shadlen and Newsomeのランダムドット(MTあたりの視覚野が使われていると思われる)での実験パラダイムがventral pathwayの高次視覚野を使っているであろうperceptual decisionにも一般化可能であること、そのようなdecisionのevidenceをじっさいに比較しているところの候補としてposterior DLPFCを見出したということです。この場所はGold and ShadlenのNatureでのDLPFCに対応するから尤もらしい、と言えます。しかし以上に挙げた理由から私はまったくこの論文を評価できません。
とはいえ私はこの論文を精読したわけではないので、読み込んだ方、事情をご存知の方のコメントをお待ちしております。とくにイメージングをやってる方の参入を超encourageします。


2004年11月21日

テストの進行状況つづき

サブカテゴリを活用できたので満足。後は論文が増えていっても(ORこれまでの論文を加えていっても)今のやり方で対応できるかどうか。


2004年11月20日

テストの進行状況つづき

HINAGATAテンプレート消してもう一回defaultテンプレートから作り始める。tDiary1のレイアウトを模するにはGPLライセンスにする必要があるだろうか?さくらインターネットのライトコースではphpが使えないので試用期間が終わる前にスタンダードプランに変えるつもり。その際にデータベースもBarkeley SQLからmySQLに変えとこうと思う。


2004年11月19日

Nature Neuroscience 11月号

  • "Messing about in memory." Richard G M Morris & Michael D Rugg。このあいだのEichenbarmのROC analysis論文の解説。やっぱり通したのはRGM Morrisだったらしい。ヒトで海馬損傷でrecollectionの成分が障害を受けてROCカーブが対照的になる。ラットでも海馬損傷でROCカーブが対照的になる。だからってこの変化がrecollectionによるものなのかどうかは充分な証拠があるわけではない、というようなことを以前私は書きましたが、ここではもっと明確に書いてあります。つまり、「(1)recollectionがある人ではROCカーブは非対称的になる、(2)ラットではROCカーブは非対称的になる、ゆえに(3)ラットにはrecollectionがある」、こういう三段論法は間違っていると。それはモグラが四本足でラットも四本足だからモグラとはラットのことである、という論理と同じくらい間違っていると。そりゃそうだ。しかしそれでも彼はこの論文を評価しているわけです。 私はこの論文はヒトでの現象学的報告をラットでの行動実験にフィードバックさせ、それをまたヒトでの実験に適用してゆく、という研究パラダイムの現れとして評価しようと思っているし、そのようなやり方はClaytonのepisodic-like memoryのような純粋に行動的なcriteriaを立ててやるやる方とは相補的なものである、という感じに考えているのですが(このへんをこんどの大学院講義での結論として持ってくる予定)、Morrisはべつにそういうことを考えているわけではなさそうです。

2004年11月18日

テストの進行状況つづき

tDiary1をまねてbodyとentryの色とリンクを変える。
禁則処理できるようになった。ベーススタイルシートの

word-break: break-all ;
word-wrap: break-word ;

をコメントアウト。


2004年11月17日

Neuron 10/14 Glimcher論文つづき

"Activity in Posterior Parietal Cortex Is Correlated with the Relative Subjective Desirability of Action." Michael C. Dorris and Paul W. Glimcher
は今日はお休みということで。mmrlさんの11/15のコメントがとてもヒントになったのでもう少し構成を見直してみるつもりです。

Current Biology 11/9

PNAS 11/9

テストの進行状況つづき

テストの進行状況:コメントの時系列がバラバラ、ははてなからexportした段階で時間が全て23:45となっているせいらしい。なんかうまいやり方を見つけないといけないようです。また、preのタグのところの改行がなくなってしまっています。それから、6/31のデータが6月の月別アーカイブからなくなって6月から7月へ行けなくなるバグを引き起こしております。これはおとなしくデータの方を7/1に直すことで対処すればよさそう。本文中のリンクの挙動や色はtDiary1.cssを参考にするつもり。
英語とかが途中で改行してる。禁則処理してない。CSSのどっかで設定すればいいのだろうか。
さくらインターネットはtDiaryも使えるし、Xoopsも使えるのだけど、movable typeにした私は中途半端だったのだろうか。インターフェースはtDiaryで、機能はCMSって無理な相談か。しかしめげずにCSSを勉強中。


2004年11月16日

脳科学メモ

Henschさん@理研の部門セミナーがあるので自転車こいで聞きに行く予定。話としてはおそらくは

を中心としたものとなることでしょう。
今年はさらにannual review of neuroscienceも出てます。
追記:行けなくなりました。

Neuron 10/14 Glimcher論文つづき

"Activity in Posterior Parietal Cortex Is Correlated with the Relative Subjective Desirability of Action." Michael C. Dorris and Paul W. Glimcher
実験データに戻ります。今日は行動データに関してまとめます。
前回書いたようにナッシュ均衡にあるときに被験者がriskyの選択をする比率はIによってほぼ決まり、対戦相手の行動自体では決まりません(均衡状態なので対戦相手の行動選択率も均衡にあって、inspectを選ぶ率が計算上p(inspect)=0.5になることがわかっているのですが、実際にはなってません:Figure.2のthin line参照)。これは被験者も対戦相手もヒトであるときですが、被験者がヒト、対戦相手がコンピューターのときおよび被験者がnonhuman primate、対戦相手がコンピューターのときも成り立ちます(figure.3A)。なお、コンピュータが対戦相手のときの行動選択のアルゴリズムにはシンプルな強化学習のルールを使ってます。つまり、被験者がriskyを選択する率p(risky)を推測するのにこれまでのp(risky)から現在の試行の結果がずれた分をp(risky)を変化させてやるわけです。
Expected utilityとexpected valueとの比較、もしくはナッシュ均衡とmatching lawとの比較、といった明示的な形での議論はじつは行動データにしかありません。Figure.3Bでp(risky)がたんにexpected value(reward probability*reward magnitude)による線形的な関数ではないことを示しています。それから、Figure.4Aで[choice probabilityのriskyとcertainとでの比]と[expected value(reward probability*reward magnitude)のriskyとcertainとでの比]をプロットするとslopeが1.32で1より大きい、ということを示しています(統計なし)。Figure.3BとFigure.4Aとは本質的に同じものを違ったやり方でプロットしているだけですので*1Figure.4Aだけを見てもらえば、これは両軸ともlogでプロットしていますので、このslopeが1より大きいということは単にreward valueに対して過剰に適応をしていることを示しており、6/29のコメント欄で私が書いたgeneralized matching lawでのovermatchingをしていることになることを示しているだけです。じっさいここでGlimcherはこの結果がmatching lawでも説明できてしまうことをほとんど認めつつも("It can be true that, in aggregate, behavior during these games appears similar to behavior in nonstrategic envoronments, but ...")、Figure.4Bの結果から被験者のtrial-by-trialのばらつきが対戦相手のローカルなばらつきによって影響を受けることを示して、matching lawで説明されるような静的な過程ではないと言い張ります("The observation that there was overmatching in the aggregate behavioral strategy, however, should not be read to suggest that the subjects necessarily used a stationary matching-type strategy during this dynamic conflict.")。しかしSugrue and Newsomeの論文はまさにそういったローカルなtrial-by-trialのばらつきもmatching lawで説明できるとしたものでした。このへんは読者が判断することですが、この勝負、Glimcherはまったく歯が立たなかったと思います。Glimcher論文はSugrue and Newsimeが出てなければどれもこれも新しかったけど、スピード競争に負けたがゆえにどんどんneuesがなくなって敗北した、と私は読みます(逆にもしGlimcher論文の方が早ければ、Sugrue and Newsome論文はかなり苦戦したことでしょう。この勝負はそういった命の取り合いであり、私はシュートであると見ています。ちなみにSugrue and Newsome論文はReceived 16 December 2003; accepted 22 April 2004でGlimcher論文はReceived 2 February 2004; accepted 2 September 2004。もちろんGlimcher論文はおそらくその前にNatureかScienceで一、二戦しているわけです)。
では電気生理データはどうか、それは明日つづきます。あと二回くらいで終了する予定。
*1:追記:Figure.3Bの方が真のexpected valueで、Figure.4Aのほうはさらにexpected valueにchoice probabilityを掛け算しているので、等価ではありませんでした。

スネオヘアー "a watercolor"

スネオヘアー "a watercolor" a watercolor
よかった。なんでいままで聞かなかったんだろう。もう一曲目のイントロから合格判定ってかんじ。視聴するだけで購入確定してたな、こりゃ。CD屋にぜんぜん行ってないんで見逃した。いかんいかん。というわけでスネスタイルも聞かなくては。

こちらのテストの進行状況

現在HINAGATA 2columnを入れたところ。はてなからexportしたデータは書き込みの時間順序がめちゃくちゃになっています。あと、エントリーが日単位になっていて、一日の中の別のエントリーが分離できておりません。このへんは早急になんとかするつもり。


2004年11月15日

Neuron 10/14 Glimcher論文つづき

"Activity in Posterior Parietal Cortex Is Correlated with the Relative Subjective Desirability of Action." Michael C. Dorris and Paul W. Glimcher
Expected utilityとexpected valueの関係、およびなんでナッシュ均衡がそこに出てくるか、というあたりを説明しましょう。Glimcher"Decisions, Uncertainty, and the Brain: The Science of Neuroeconomics."のp.282-288あたりにちょうどいい説明があるからこれを元にしましょう。(Glimcher本ではチキンランの例を使ってますが、それを今回のinspection gameに読み替えて以下の説明をしています。)
もういちど、どうやってexpected utility(=subjective desirability)の均衡状態を計算しているか繰り返しましょう。

  • もし被験者がriskyを選ぶとき、対戦相手がinspectする利得=P(risky)*(1-I)
  • もし被験者がcertainを選ぶとき、対戦相手がinspectする利得=(1-P(risky))*(2-I)
  • よって対戦相手がinspectするときの全体としての利得=P(risky)*(1-I)+(1-P(risky))*(2-I)
  • 同様にして、対戦相手がnot inspectするときの全体としての利得=P(risky)*0+(1-P(risky))*2
対戦相手にとって、inspectするのもnot inspectするのも同じutilityを持っているとき、つまりindifferentであるとき(10/1あたり参照)、対戦相手は均衡点(equilibrium point)にある、と言えます。前回の通り、inspectのときの利得とnot sinspectのときの利得とを等式で結んで、
  • p(risly)*(1-I)+(1-p(risky))*(2-I)=p(risly)*0+(1-p(risky))*2
これを解くと
  • p(risky)=I
となります(追記:mmrlさんの指摘に基づいて式の誤りを直しました。 mmrlさんありがとうございます)。このことは、被験者のp(risky)がIに等しいとき、対戦相手にとってinspectするのもnot inspectするのも等しいexpected utilityを持っている(indifferentである)ということです。言い換えれば、被験者のp(risk)がIに等しいかぎり、対戦相手はinspectするかnot inspectするか気にする動機がないし、inspectするかnot inspectするかは同じくらいよい(もしくは悪い)といえます。逆に言えば、仮にもし被験者があらかじめp(risky)>Iで行動する、と宣言したなら対戦相手はinspectするかnot inspectするかにはindifferentではいられなくて、積極的にinspectするように行動を変化させるべきなわけです。
ここで重要なのは被験者も同様なやり方で均衡点を持つということです*1。被験者と対戦相手のどちらかが最適でないような行動を取ったときには相方は標準的な経済学的最適化問題を解くことになるわけですが、両者が最適解を得ようとするかぎり、両者それぞれは均衡点にたどり着きます。このようにして計算された均衡点は(被験者にとって)riskyかcertainか、(対戦相手にとって)inspectかnot inspectか、がそれぞれにとってindifferentである(等しいexpected utilityを持つ)行動選択パターンを決定します。このようなindifferent pointこそが被験者と対戦相手とがたどり着く均衡状態(ナッシュ均衡)のことなわけです。("Decisions, Uncertainty, and the Brain: The Science of Neuroeconomics." p.285-286をinspection game用に置き換えて超訳、ですのでこれは引用ではなくて改変しているので<blockquote>に入れてません。)
んで、とくに明示されていないので注意すべきだと思うのですが、問題なのはここでの利得と言っているやつはただのジュースの量なので、utilityそのものではないのです(たんなるexpected valueですよね)。じっさい、0.30mlのジュースをもらうのが0.15mlのジュースをもらうのの2倍うれしいのかどうかはそういうutility functionを作って検証しなければならないわけです*2。だから、ここでの話をきっちりutilityに変換するためにはinspection gameでのpayoffマトリックスの被験者の利得の0、0.5、1というやつをu(0)、u(0.5)、u(1)というutility function uを通したものに変換してやらないといけないわけです。また、そういうわけですから、じっさいのデータでもp(riskt)=Iにまったく等しくならなくてもよいわけです。ただし、それでもこのinspection gameで均衡状態にあるときにriskyを選ぶexpected utilityとcertainを選ぶexpected utilityが等しい、というのは妥当です(どこまでいったら均衡状態なのかの基準はさておき)。もっとも、そのときのexpected utilityを上記の利得(たとえばP(risky)*(2-I)とか)そのものとして計算するのはやはり間違っているといえます。このように、実際のutility functionを計算していない今回の実験では、expected utilityそのものを計算することはできません。ナッシュ均衡では等しい、ということしか言えません。これがたぶん11/12のコメント欄でmmmmさんがお書きになったことでないでしょうか(「utility functionが既知であると言えない場合、economistsは"expected utility"という用語を使うことを認めない」、これなら意味は通る気がします)。
よって、expected valueとexpected utilityとの差はじつはかなり微妙なものであるはずだし、明示的にこの問題を解こうとしたら被験者ごとのutility functionを作成する方向へ行くのが筋だと思うのです(今年のSFNではhuman fMRIでそういう結果を出していましたが、もちろんこれはヒトでのstudyだからできることであるわけです)。また、Glimcher本では数学的に言うときにはexpected utilityという言葉を使っているけれども、場所によっては"value"という言葉を安易に使っているところもあり、おそらくexpected valueとexpected utilityとの違いにそんなに敏感ではなかった節がありますし、もともとPlatt and Glimcherで扱ったようなdecision variable(reward magnitude, reward probability, choice probability)を包括して説明できるものを探してナッシュ均衡に行ったはずです。Sugrue and Newsome論文が通っていなければそれでも話は通っていたのかもしれませんが。
ああ終わらない。


*1:もし対戦相手がinspectするとき、被験者がriskyを選ぶ利得=P(inspect)*0
もし対戦相手がnot inspectするとき、被験者がriskyを選ぶ利得=(1-P(inspect))*1
よって被験者がriskyを選ぶときの全体としての利得=P(inspect)*0+(1-P(inspect))*1
同様にして、被験者がcertainを選ぶときの全体としての利得=P(inspect)*0.5+(1-P(inspect))*0.5
んで、被験者がriskyを選ぶのもcertainを選ぶのもindifferentなときは
P(inspect)*0+(1-P(inspect))*1=P(inspect)*0.5+(1-P(inspect))*0.5
これを解くとP(inspect)=0.5となり、じつは定数になります。じっさいのデータはそうなっていないので、被験者の選択はナッシュ均衡の周りでふらふらと揺れていると考えた方がたぶんよいのでしょう。これは私の意見。

*2:確認のため、risk averseな例について書いておきましょう。(A)ジュース量0.5で100%出るときと、(B)ジュース量1で50%、ジュース量0で50%のときとどっちがいいですか? (A)のexpected utilityはu(0.5)で、(B)のexpected utilityはu(0)*0.5+u(1)*0.5です。Utility function uがu(x)=log(x+1)で定義されるとします(この関数は上に凸だからrisk averseな例のモデルによく使われます)。すると両者のexpected utilityは(A)>(B)となります(log(3/2)>log(2)*0.5)。もし、(B)でジュース量1の比率がlog(3/2)/log(2)だと(A)と(B)とはindifferentなわけです。

コメントする (3)
# mmrl

おひさしぶりmmrlです。いつもすばらしい解説をありがとうございます。細かいことですが、間違いを発見しましたのでお知らせ。 * もし被験者がriskyを選ぶとき、対戦相手がinspectする利得=P(risky)*(1-I) * もし被験者がcertainを選ぶとき、対戦相手がinspectする利得=(1-P(risky))*(2-I) * よって対戦相手がinspectするときの全体としての利得=P(risky)*(1-I)+(1-P(risky))*(2-I) * 同様にして、対戦相手がnot inspectするときの全体としての利得=P(risky)*0+(1-P(risky))*2よってナッシュ均衡はp(risky)*(1-I)+(1-p(risky))*(2-I)=p(risly)*0+(1-p(risky))*2を解いてp(risky) = I です。また、上の議論で被験者のutility function はわからないのでp(risky)=Iにはかならずしもならなくてよいということを言われていますが、被験者のutility functionは相手のナッシュ均衡解にのみ影響を与え、被験者の混合戦略は相手のutility functionにのみ影響されることになります。ここでは対戦相手は単純な強化学習アルゴリズムですからutility functionは単なる線形関数となるのでやはり均衡解はp(risky) = I が正解ということになります。ただ、相手が人間の場合にはこの限りでないことはご指摘の通りであると思います。

# pooneil

mmrlさん、式の誤りなおしました。ありがとうございます。後半部分のご指摘に関してですが、これもまったくそのとおりですね>>対戦相手はコンピュータだからexpected value=expected utility、だから被験者のp(risky)=I。ということで重要なパズルのピースが埋まった感じがします。これはもう、expected utilityとexpected valueを分けようとしている、という私の読み込みがほぼ瓦解したということでもあります。つまり、この時点でGlimcherがやっていることはもはやexpected utilityとexpected valueとを分けて扱えるようなものではなくて、subjective desirability = expected valuieとほぼならざるを得ません。残った作業はFig.6DEおよびFig.9の読み込み、ということになりそうです。とくに、Fig.6DEではIのブロック間で固定されているはずのrelative subjective desirability(=SD(risky)/(SD(risky)+SD(certain)))とFig.3Bでrelative expected value of risky choiceがIによって0.4-0.6あたりの範囲でばらついていることとの関係について。このへんは明日ぐらいに書きます。

# mmrl

そうなんですよ、私もここが引っかかってて、本当にsubjecte desirability=expected utility とobjective desirablity = expected valueを分けれているのかどうか。 ナッシュ均衡ってのは相手も均衡に達したときに始めて均衡であって、自分の混合戦略が落ち着いたからといって均衡に達しているわけではないはずです。そこで、Figure 2に示しているように、人間同士だってこの程度の試行数だと相手は均衡に達しない(相手の均衡解はp(inspect)=0.5でした)。これを見ると、相手が一時的にinpection ratio を減らしているんで、えーい見てないうちにrisky えらんどけ、ってわけでこの間はexpected valueもexpected utilityもあがっている。相手が0.5の均衡解に到達した時点で始めてどんなinspection costを採ってもexpected utility がconstantになるはずなんですね。さらにtable 1でexpected valueを計算するとブロック間で違うって言っているじゃないですか!、これって完全に均衡に達していないときの話をしている証拠を出しているようなもんでしょ。まあ、それにも関わらずLIPの反応がconstantってところは面白いのかもしれないけれど、こんな均衡にも達していないのにexpected utilityって言うのもどうかと思うし、expected utilityがコストをダイナミックに変化させたときにどう動くべきなのかに関してなんにも言っていないにも関わらず、単に均衡がconstantだからconstantだとするのは合点がいかない。p368の最後から369のパラグラフに書いてある論理は崩壊していると私は感じています。reviewerには本当に経済学者はいってたんだろうか?。Scienceに出したときの経済学者のコメントを参考になんとか逃げたつもりでNeuronにだしたら、経済学者がわかるreviewerにまわらなくてこんなことになったなんて落ちじゃないだろうが...といっても私もプロではないので、間違ってたら指摘してください..(経済学者でこの論文読んでいるひとはどれだけいるだろう..)明日の続きを楽しみにしております。


2004年11月13日

Neuron 10/14 Glimcher論文つづき

"Activity in Posterior Parietal Cortex Is Correlated with the Relative Subjective Desirability of Action." Michael C. Dorris and Paul W. Glimcher
今回の論文紹介は長いですが、それはこのあいだ私が行ったジャーナルクラブでの説明をほとんどそのまま転載しているからです。論文読んだほうが早いかもしれません。
まず、最小限必要なゲーム理論の初歩について書きましょう。ナッシュ均衡、純粋戦略、混合戦略、のキーワードの内容を知っていれば読む必要はありません。
「囚人のジレンマ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。泥棒の共犯AとBが捕まって別々の部屋で尋問を受けてます。AとBとは通信の手段がありません。AとBとはそれぞれ黙秘するか自白するかの選択を迫られています。もしAが黙秘してBも黙秘したら二人とも懲役2年、もしAが自白してBも自白したら二人とも懲役10年、もしAが自白してBが黙秘したらAは釈放、Bは懲役15年、もしAが黙秘してBが自白したらAは懲役15年、Bは釈放です。(追記:説明文がpayoffマトリックスと合致していませんでしたので直しました。Tさんご指摘ありがとうございます。)
以上をpayoffマトリックスにまとめるとこんなテーブルになります。行はAが黙秘するか自白するかの選択、列はBが黙秘するか自白するかの選択で、各マスにはそれぞれの選択での損得勘定(各マス内の左下がAの損得、右上がBの損得)が入ってます。釈放が0で懲役15年は-15、という調子です。

   
泥棒B
   
黙秘
自白
泥棒A
黙秘

     -2

-2

       0

-15

自白

    -15

0

    -10

-10


では、AとBがお互いに連絡を取れないとして、それぞれが合理的に考えるとしたらどういう選択をするでしょうか。泥棒Bが黙秘したときには、泥棒Aとしては黙秘(-2)よりも自白(0)の方がよい選択ですし、泥棒Bが自白したときには、泥棒Aとしては黙秘(-15)よりも自白(-10)の方がよい選択です(泥棒Aにとってよい選択を赤で表記)。どちらにしろ泥棒Aが合理的に考えると自白する方が得策であるという結論になるでしょう。同様にして、泥棒Bも自白した方が得策という結論になります(泥棒Bにとってよい選択を青で表記)。すると、この赤文字と青文字の重なったマスの部分、つまり互いに自白した場合(-10,-10)が「お互いが合理的な策を取った(ので悔いがないはずの)とする安定状態」で、こういうのをナッシュ均衡の状態にある、といいます。
じゃあなんで囚人の「ジレンマ」と言うかといったら、それはAとBとが通信可能ならお互いに黙秘する(二人とも懲役2年)という戦略がとれたはずだからです(こういうのはパレート平衡という別の概念です)。ま、それはそれとして、お互いに手の内を明かさない対戦型のゲームではお互いが合理的に選択した、と言い得る状態がナッシュ均衡なわけです。
今のたとえ話はたった一回きりの選択(黙秘するか自白するか)なわけですが、普通ゲームだったら繰り返し選択をします。わかりやすいのがジャンケンで、こんどは二人の対戦相手AとBとは三種類の行動の選択肢があります。Payoffマトリックスはこんな感じです。勝ったら+1、引き分けが0、負けたら-1です。
  
B
  
グー
チョキ
パー
Aグー

        0

0

        -1

        1

        1

-1

チョキ

        1

-1

        0

0

        -1

1

パー

        -1

1

        1

-1

        0

0


んで、こんどはたった一回の勝負に関してはナッシュ均衡はありません。ジャンケンに必勝の手などありませんから。しかし、何度もこのゲームを繰り返すのであれば、いちばん良い手はグーとチョキとパーそれぞれを確率1/3ずつで出すのが一番よい手であることは予想がつくと思います。これは対戦相手AとBそれぞれで成り立ちます。よってある一回の勝負でその選択が一番良いか(純粋戦略)、ではなくて繰り返しの勝負でどういう比率で選択をするのが一番よいか(混合戦略)という形に拡張したときのナッシュ均衡はジャンケンの場合お互いがグーとチョキとパーそれぞれを確率1/3ずつで出す、というものです。このような混合戦略ではナッシュ均衡となるような解が必ずあることが知られています(これが以前言及した、NashがPNASに書いたたった1ページの論文の内容です)*1。今回の論文で使っているinspection gameもこういう混合戦略でのナッシュ均衡を扱っています。
んでやっと今回使っているinspection gameについての説明ですが、ま、「ダウト」みたいなもんです。被験者はcertainとriskyの二つの選択肢を選ぶことができて、certainは100%確実に0.15mlジュースがもらえるのにたいして、riskyではその二倍(0.30ml)かもしくはまったくなし(0ml)です。riskyの結果は対戦相手の行動が握っていて、対戦相手がinspectしたときに被験者がriskyを選んだときはまったくジュースがもらえなくて、対戦相手がinspectしなかったときに被験者がriskyを選んだときは二倍のジュース(0.30ml)がもらえるわけです。いってみればinspectを選択するのが「ダウト」を発することです。もちろん「ダウト」するにはそれだけのコストがかかります(そうでなければいつでもダウトしてればいいわけだから)。Payoffマトリックスにすると以下の通り。
 
対戦相手
inspect not inspect
被験者certain

        2-I

0.5

        2

0.5

risky

        1-I

0

        0

1


Iは150trialくらいのブロックごとに実験者によって0.1-0.9の範囲で変えられます。たとえばI=0.1だと対戦相手はinspectするコストが低いのでどんどんinspectします。すると、riskyの選択をしてもたいがいダウトされてしまって損なので被験者がriskyを選択する確率は減ります。一方でI=0.9だと対戦相手はinspectするコストが高いのでほとんどinspectしません。このときはriskyの選択をしたらもらい放題ですから、被験者がriskyを選択する確率は上がります*2
ナッシュ均衡では対戦相手がinspectするときとnot inspectするときとでexpected utilityが等しくなります。これは被験者がriskyを選ぶ確率をp(risky)として、p(risly)*(2-I)+(1-p(risky))*(1-I)=p(risly)*2+(1-p(risky))*0と書けて、これを整理すると
p(risky)=I
となります。つまり、被験者と対戦相手が非協力的に自分の利益を最大化するように行動するとナッシュ均衡になって、そのとき被験者がriskyを選択する比率はIのみによって決まる(対戦相手の行動によらない)わけです。


それで行動データ(figure 2、3A)を見ると、たしかにだいたいそうなっています。
ここらで続きは次回。
(追記:Nash equilibriumの訳を「ナッシュ平衡」ではなくて「ナッシュ均衡」に直しました。)


*1:なお、このNash論文での角谷の不動点定理を用いた証明に関する詳しい解説がhttp://www16.ocn.ne.jp/~hsasaki/genkou.htmlの「初歩からのゲーム理論」のところにあります。
*2:なお、このpayoffマトリックスのIに0.1から0.9までを代入してみれば、純粋戦略でナッシュ均衡となるような解はないことがわかります。つまり、対戦相手がinspectするときには被験者はcertainのほうがよいし、対戦相手がnot inspectのときには被験者はriskyのほうがよい。一方で、被験者がcentainのときには対戦相手はnot inspectのほうがよいし、被験者がriskyのときには対戦相手はinspectのほうがよい。お互いが得する手はないわけです。

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# T

通りがかりの者です。冒頭の囚人のジレンマの説明内容が逆になっています。AもBも黙秘してしまいます。

# pooneil

ご指摘どうもありがとうございます。たしかに間違ってましたので直しました(取り消し線で直すとごちゃごちゃするので、訂正してから追記をつけました)。読んでくださってどうもありがとうございます。よければこれからも読みにきてなにか書き込んでいただけると幸いです。

# T

揚足取りで失礼いたしました。ときどき拝見しておりますが、とても充実したサイトだといつも思っております。Molecular系をやっているので内容を理解するだけで精一杯ですが、何かありましたら書き込みいたします。


2004年11月12日

Neuron 10/14 Glimcher論文

というわけでやっとこさGlimcher論文にコメントです。
"Activity in Posterior Parietal Cortex Is Correlated with the Relative Subjective Desirability of Action." Michael C. Dorris and Paul W. Glimcher
Glimcherは何度も出てきましたが、Platt and GlimcherでLIPがそれまでattention(ME Goldberg)かintention(Andersen)か、という論争をしていたところにDecisionである、という話をはじめて持ち込んで成功させた人、と言えるでしょう。LIPがdecisionに関わっているか、という話自体は1996 PNASでShadlen and Newsomeが最初に言い出したことではありますが、のちのrandom dotによるperceptual decisionの結果が出てくるまでは大きな進展はなかったはずです。Glimcherはその前はDavid Sparksのところで上丘のニューロンが眼球運動を開始する以前から活動を開始するのを見つけていて(Nature '92; Schallより前にselectionと言った論文)、知覚でも運動でもない、自由意志に近いものを見よう、というポリシーははっきりとしています。
そういえば、Glimcherの近著、"Decisions, Uncertainty, and the Brain: The Science of Neuroeconomics." Decisions, Uncertainty, and the Brain: The Science of Neuroeconomics (Bradford Books (Hardcover)) の前半はまさにシェリントンの反射学説からそのような自由意志を見つけ出そうとする流れについて概説する、という内容です。ちなみにこの本の後半は上述のLIPがattentionなのかintentionなのかという論争をGlimcherがdecisionである、として仲裁、解決したかのような都合のよい史観とゲーム理論の初歩、そして今回の論文のエッセンス(Figure 12.5)までで終わります。題名にneuroeconomics(神経経済学)とありますが、体系的な本ではありませんし、あくまで今回の論文までのpreludeがこの本である、と考えるのがよいのではないかと。(ですので、私は正直言ってこの本の訳書を出版する意義はあまりないように感じます。Human fMRIの結果、とくに以前話題になったペプシチャレンジのようなneuromarketing的なアプローチあたりこそが世で「神経経済学」という言葉に期待するものではないでしょうか。そういうことがまったく書かれていないことを知ったら読者はさぞがっかりするかと。) あ、飛ばし読みで言っているので以上のことは信じないでください(人生は短いのでそんな時間はない)。
1st authorのMike DorrisはカナダのQueen's UniversityのDoug Munozのところで上丘での電気生理でいい論文を出してきました。そのあとにGlimcherのところ(new York University)へ行ってやった仕事がこれです(SFNでの発表自体はすでに2002年に出ています*1)。
んで、この論文のエッセンスは上記のとおり、Glimcherの近著のFigure 12.5です。つまり、被験者とコンピュータがあるゲームを対戦します。このゲームは繰り返すうちに被験者とコンピュータとのあいだでナッシュ均衡になります。実験者が決めた条件によって違った均衡状態になります(ある行動の選択率が変わる)がナッシュ均衡なのでexpected utilityはその条件間で不変です。一方で、その行動の選択率が変わっているので条件間でexpected valueは変わっています。さて、このゲーム中のLIPニューロンの活動はexpected utilityとexpected valueのどちらと相関していたか:expected utilityでした、つまり、違った条件間でもナッシュ均衡にある限りLIPニューロンの発火頻度は不変だったのです。以上。
たぶんそう言いたかったのですが、じつはかなりその辺はあいまいにしてあって、要旨での主張は、LIPの活動はsubjective desirabilityと相関していて、reward magnitideやreward probabilityやresponse probabilityのcombinationにはよらない、というところまでなのです。このへん微妙なラインでして、慎重にものを言う必要がありますが、大胆に行きましょう。
では、順を追ってもう少し説明しつつ(ナッシュ均衡についても説明しつつ)、彼らの主張が本当に正しいかを検討してみましょう。とくにこの論文を読むには、以前採りあげたSugrue and NewsomeによるScienceでの「LIPニューロンがexpected value(!)と相関している」という主張とあわせて批判的に読む必要があります。というかGlimcher論文がNature,Scienceを落ちたのは恐らくはこの批判を充分跳ね返すことができなかったからであり、このため今回のGlimcher論文では"expected utility"という言葉を一回も用いていません(検索して確認しました)。全部"subjective desirability"という言葉に差し替えることで両者の比較をあいまいにしたのです。そしてそれは明らかにレフェリー(Newsome or Shadlenが入っている確率は150%でしょう)による指示 and/or かGlimcherによる妥協案だったはずです。
うーむ、前置きが長い、つづきは次回(エー)。


*1:ところでこれの題名は"expected value"なんです。D. LeeおよびNewsomeそれぞれの論文が'04で出てしまい、それを追っかける形でなんとか'04で出版に漕ぎ付けたDorris and Glimcherの苦労と後悔と怒りが忍ばれます。

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# mmmm

私の聞き違いでなければ、「probabilityが既知であると言えない場合、economistsは”expected utility”という用語を使うことを認めないから、desirabilityを使った」とGlimcher本人は言っていたように記憶しています。

# pooneil

そうなんですか、ありがとうございます。ただ著書でも今回のSFN(human fMRI)でもexpected utilityという言葉を使っているところを見ると、後付けの理由っぽい感じもします。もしGlimcherの言うとおりであったら、utilityという言葉を使わなかったのはレフェリーに入っていた経済学者の主張に基づく、ということなのですね。そのへんもう少し邪推も交えて読み込んでみるつもりです(じつは半分ぐらい原稿を作ってあるのですが、そのへんがネックになって止まっているのです)。


2004年11月11日

昨日の件について

id:cogniさんよりレスポンスあり。ありがとうございます。本題ではない「一日6000アクセスぐらいのhomepageを持った経験」というあたりに反応してみたり:あーそれはもしかしたら(略)。
で、英語圏に関してですが、日本人が読者ならどういうリアクションが来ても理解できるし対処しきれると思いますけど、英語圏の読者が対象だったら所属を明かした実名の方だけをtypekeyとかで認証する、ぐらいまでやらないと怖くてできません。そして、これまでの私の経験では、彼らは実名所属つきならぶっちゃけトークなどせずに余所行きの言葉でしか語らないことでしょう。id:ryasudaさんが書いているように、Faculty of 1000とかで論争的なことを書く人はいないわけです(F1000はすこしコメント文を読みましたが、誰が何の論文を選んだか、という情報だけ押さえておけば充分ではないかと思うようになりました)。そういう意味で日本語に限定するというのはhalf closedにするための方法の一つでもあるわけです。(ゆえに平瀬さんのときや今回のOKさんのときはどうすればよいかなかなか難しいのですが、いまのところ私自身は直で関わってない分野:two-photonだったので私自身がconfidential matterの問題に触れずに来れた、というところはあります。このへんに関してはいつも書いていることですが、皆様ご自分で自衛してください。)
いろいろ書いてはみましたが実際問題としては、英語圏の人が入れるようにするとトラックバックやコメント欄を利用したスパムで苦労するのがいちばんいやだろうと思ってます。端的にはてなからmovable typeにするだけでそうなるだろうと危惧し、移転を躊躇しております。メンテしないとこうなるという例はこちら*1。そういう意味で最近いちばんショックだったのは、私がよく読みに行くtDiary上で更新されているサイトですら被害を受けていること(ご迷惑なのでサイト名は出しません)です。はてなはこの点一つだけでもすでに素晴らしすぎると思います。


*1:放置されているのでこういう例としてリンクしても構わないでしょう。

はてなの住所登録問題 pukiwiki

はてなの住所登録問題 pukiwiki
via http://www.hyuki.com/tf/
2ちゃんねるの「石川は…」コピペのスタイルでこうやって分類されどっかに位置付けられてしまうと、オリジナルなことを言おうとするか言った人を見つけてリンクする、というゲーム(http://d.hatena.ne.jp/yskszk/20041108)に参加したものは全員敗北したことをまざまざと思い知らされますな。いや、ここから先が文学の領域だ、なんて知ったかぶりしてみたり。


2004年11月10日

さくらインターネット

の方はテストに使って、更新はこちらで続けます。

論文コメントのデータベース化

昨日のつづきで書くと、私がぼんやりとやりたいと思っていたことは、論文へのリンクと私および皆様のコメントのデータベース化をしたい(リンクだけのリストをジャーナルごとに作る、とかコメントのある論文のリストを作り、私および皆様のコメントが日にまたがっているときはそれを時系列的に並べて一つにできる、とか論文のリストにそれについたコメント人数や行数が書いてあって興味のある論文のリンクを開くとそのコメントが読めるようなものにするとか)ということのようです。そうするとCMS(Content Management System)でやるべきことのようにも思えてきました*1。オープンソースのコンテンツ管理システムにはZopeやらXoopsやらMamboやら(いろんな種類の)Wikiやらがあって、そのへんの活用で考える範疇であるらしい*2
うーむ、私自身がそこまでやるつもりはないけど、どこかでそういうことを考えている方はいないもんでしょうか。たとえば、このサイトのような論文コメントサイトは分野は違えどいくつかあって、そういうのが全部集約されてデータベース化すれば、メジャーな論文に関しては誰かがどっかでコメントしているようになって、(RSS Aggregatorとかで購読できるような)科学者のポータルサイトとしてかなり必須な存在になるのではないかと(faculty of 1000と連動すればさらに言う事なし!)。じっさい、そのようなデータベースの構築はfaculty of 1000が目指しているようなジャーナル単位ではない論文単位での評価システムの構築という役割を草の根レベルで実現しようとするムーブメントともなりえるわけです。また、そのようなポータルサイトができてそこで個々の論文にコメントや評価できるシステム(アマゾンのようなイメージで)ができれば、いちいちサイトを作って毎日更新したりするつもりはないけれど、この論文については何か言っておきたい、という方による寄稿も集積できるわけです。さらにアマゾンを参考にすれば、ある論文やある論文コメントが役に立ったか否かを投票するシステムをつければもっと気軽に参加するシステムが作れます。
コミュニティの役に立って、しかも焦点を絞った広告収入が望めるかも。誰かベンチャーでそういうのやってみませんか? 市場が小さすぎますかね? たんなるジャーナルの目次とリンク配信サービスなら今でも出版社ごとにはそれぞれあるわけで、それをすべて集約して読者の分野ごとに振り分ける、このへんはGoogleニュースを参考にすればすぐにできそうです。さらに論文コメントによって付加価値をつける、というわけです。じっさいにはそういう情報発信サイトがもっと増えること、情報の集積がしやすくなること(xmlとかで?)、読者の分野によってその情報を選別できること、などがあってやっとその付加価値が生きるわけですが。
いま書いたことは以前から書いていること(20040117, 20040330, 20040531, 20040702)の焼き直しというかもっとどういうシステムが必要なのかということを少し考えて具体化させたということです。まだ夢物語ですな。だいいち、日本語でやる意義がないし。
いや、そうでもないか。>>日本語でやる意義がない。やっぱり夢物語なわけですが、それはこういうことなんだと思います:以前書いたようにおそらく英語圏にはこういう論文へのコメントサイトみたいなものがあまりないようなのです。あったとしても一般向けのものであって、科学者向けのものではないようです。これはつまり、あっちの人たちはそんなコメント読むより論文の要旨を読んだ方が早い、あまりcriticalなことを言おうとすると論文の著者とのあいだで問題が起こりそう(事実誤認の可能性、それから論争を惹き起こしそうな部分についてはかなり理論武装してから論争しないと逆に足元をすくわれるし、しかも充分正当性があるのだとしたらNatureでもScienceでも通信欄に投稿した方が実効性も高い)ということがたぶんあるのでしょう。このへんは推測に過ぎないのだけれど、そういうわけで英語圏も含んだ形でやるのはあまり意味がないし、いっぽうで、日本語圏だけでやるには人口が少なすぎる。そしてなによりも、科学の専門化の弊害で、Nature,Scienceに掲載されるような一般性の高い論文以外はほとんどそれぞれの分野の人しか読まないし評価もされないのでそんな論文をいちいち評価して公開しなくても、関係ラボとのあいだでコミュニケーションが取れていれば十分、ということになってしまうのです。もちろん、なんかそういうのに対してなんかしてみたい、というのが今日書いたことの動機の一つであるわけですが。


*1:とはいえ、movable typeもCMS的に使えるらしい:"Movable Typeスタイル&コンテンツデザインガイド―コンテンツ管理システム(CMS)ツールとしてのMovable Type活用術&実践サイトデザイン術" Movable Typeスタイル&コンテンツデザインガイド―コンテンツ管理システム(CMS)ツールとしてのMovable Type活用術&実践サイトデザイン術 これを買いました。タグを駆使してテンプレートをいじるところでいろいろできるということのようです。まあ、スタイルシートのインポート失敗しているやつが言うのもなんですが、このぐらいならできそうです。ぼちぼちやってきます。
*2:で、調べてみたのですが、Zopeはpython上で動くプログラムだけれど、cgiとかではなくて本当にプログラムなので、これを運用するにはレンタルサーバーではなくて自分でサーバー立ててやることのようです。そこまでするつもりはない。

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# kami

こんにちは。はじめまして。kamiと申します。そうですね、pooneilや一時期のガヤさんのようなレビューってとても参考になるんですが、それをもうすこし一般化したシステムってのはあってもいいですよね。一応、私もそのような考えから、以下のサイトを運営しています(このところは、更新が滞っておりますが・・・)PHP-NukeというCMSを使って、オンライン上のジャーナルクラブや論文レビューなどを試験的に行っています。http://study.s48.xrea.com/index.phpぜひ、コメントなどいただければ幸いです。

# ryasuda

kamiさん、よいアイディアですね。私もそのうち茶々をいれようかと思います(まだ書き込み方とかよくわかっていない)。個人的には、科学の議論は、英語のほうがいいのでは、という気はしないでもないのですが。日本語訳の手間が省けますし。

# pooneil

kamiさん、どうもありがとうございます。拝見しました。なるほどこれはもう運営可能ですね。すばらしいです。私自身としては上でも書きましたが、情報発信者のフォーラムにするよりは各地で独立して運営している情報発信者がだんだん増えていってからそれを集約するサイトができて、そこにフォーラムができてくる、という順番の方がよいかと考えております。(実際問題、私はいま自分のはてなで書いていることをこのフォーラムにコピペさせていただいたり、フォーラムでの書き込みに重心を移させていただいたりするかといったらそういうつもりはないわけです。)この点で私はid:cogniさんのhttp://d.hatena.ne.jp/cogni/20041111#p6に賛成です。とはいえ、私自身はgardenerさん(http://www.sgtpepper.net/garden/diary/)やガヤ(http://www.hippocampus.jp/diary/)のサイトを手本にして書き始め、そういうサイトが増えてゆけば自然発生的にそういう流れもできるのではないかと期待してこの一年くらいはてなを続けてきましたが、現状では正直なところそういうサイトはあまり増えてきていないという印象です。そういうやり方では難しいのかもしれませんし、時期尚早なのかもしれません(あきらめてはいません)。というわけでkamiさん、ryoさんのフォーラムが発展していったらいいなあと思います。わずかでもお力になれたらと思います。かなり硬いこと(まるで仕事か義務かのよう!)を書いてしまいましたが、このサイトとしては、自分が楽しめることを第一義として、義務にせず楽しみながら内容を充実させて、このサイトを楽しく読んでくださる人が増えてゆく過程で、情報発信を通じたコミュニケーションが成立するのを期待する、というスタンスでこれからもいくつもりです。

# kami

ryasudaさん、pooneilさんコメントありがとうございます。英語のページは考えたのですが、まずは日本語(日本向け)でいこうかなと思ってます。そうですね。確かに、今の研究者ブログが増えて、気楽な論文紹介や、実験に関しての議論(もちろん、研究機密外ですが)というのは、読んでいてとても参考になります。そして、もっと多くの人たちで、ブログコミュニティーが発展していってほしいと思います。それと同時に、やはりブログを立ち上げるまでもない(時間・手間が取れない)人たち向けの、気楽なコミュニティーサイトというのもあってもいいのでないかと考えました。管理も共同で負担を減らして、個人を前面に押し出さない形でポータルサイトがつくれないものかと。そんな感じで運営していこうかなと思います。ryasudaさんや、pooneilさんのブログが発展しつつ、紹介のサイトも補完的な役割が果たせればと願ってます。

# pooneil

どうもありがとうございます。なんかうまく連動する仕組みが作れるといいのかなと考えました。


2004年11月09日

アナウンス

以前のniftyのサイトの移転(9/3)あたりから、このはてなダイアリーとniftyのサイトとを併合させてmovable typeあたりでサイトを再編成したいと考えていたのですが、この機会にさくらインターネットでmovable type3.11を使ってはてなの移動のテストをしております(http://pooneil.sakura.ne.jp/)。
実際に引越しをするかどうかは未定ですが(まだお試し期間なので一銭も払ってない)、これまでの皆様のコメントもいっしょにそちらに掲載させていただいております。コメントの移転が困るという方はご連絡ください。消去いたします。
いまのところまだCSSのいじり方がわからないのでデフォルトの小さい文字である、とかコメント欄のスパムへの対策がわからないのでコメント書き込みできないようになってたり、コメント内容が本文から隠されていたり、とまだまだmovable typeのデフォルト設定のままで、最終形ではありません。
引越しの条件としては

  • 現在の私のはてなでのページのレイアウトに近いものを実現できる(字が充分大きく固定サイズでない、カラムが固定長でなく印刷時にはみ出ない、コメントがデフォルトで本文といっしょに掲載されてコメント文のフォントが本文と同じ、など)
  • しかも現在のはてなよりもメリット(貼りこむ図の大きさの制限解除や、アーカイブページの作成と整理のしやすさの向上など)があって、
  • それが現在のはてなでのメリット(更新の処理速度、安い経費、リンク先の表示、はてな式トラックバック、そしてはてなのコミュニティの一員であること、そしてそれゆえにコメント書き込みへの心理的障壁が低いことなど)をオーバーライドする
というあたりが必須かと考えております。そういうわけでまだまだ未定なのですが、すでにテストを始めてしまいましたので(どうやったら公開せずにテストできるかわからなかったもんで)読者の皆様にあらかじめアナウンスする必要があるかと考えた次第です。
私がやれたらいいと思うのは、日記で書いていたことを再編成して関連する話題をアーカイブする作業(はてなで書いたことをniftyでまとめなおす、と以前言ってたこと)を自動的に、手作業なしにできるようにしたいということなのですが、そういうことをするのにmovable typeがいいのかよくわかりません。Xoopsとかを使うべきなのかもしれませんが、そこまでするつもりはありません。無理せずいくつもりです。
データの移動にはlog2mt(http://www.log2mt.com/)を利用しました。すごい楽にほとんどのもの(画像まで! mimeTeXはなんか変になってる)がmovable typeにインポートできました。作者の方に感謝します。
ご隠居(id:go-in-kyo)にはmsnからはてなへの移転を勧めたということもありまして心苦しい気持ちもあるのですが、もう少し試行錯誤してみるつもりです。
追記:書いてるさきからtemplateぶっ壊してたりして、俄然やる気なし。こんな私がxoopsとか言ってるところが笑うところ。

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# go-in-kyo

ほう,よのなかいろんなものがあるんですね.とりあえずmsnよりもはてなの方がよかったので感謝していますよ,お気になさらずにどおぞ.

# pooneil

どうもありがとうございます。実験しろ、と怒られないようにボチボチやってくつもりです。

PLoS Biology 11月号

  • "Perception, Action, and Roelofs Effect: A Mere Illusion of Dissociation." Paul Dassonville , Jagdeep Kaur Bala。Goodaleが言うような、ventralとdorsal visual pathwayがそれぞれperceptionとactionの独立な経路になっているという説を支持する証拠の一つとして"Roelofs Effect"というのがあるのですが、これに対する反証を提出しています。
  • "Representation of Attended Versus Remembered Locations in Prefrontal Cortex." Mikhail A. Lebedev, Adam Messinger, Jerald D. Kralik, Steven P. Wise。SFNで見たけどスルーしてました。Prefrontal cortexでのdelay activityがshort-term memoryなのかattentionなのかを分離してみたところ、attentionだった、とのこと。もう少し詳しく読んでみる必要がありそうです。MessingerはSteven Wiseのところに移ったとそういえば言ってました。彼は結構今回のSFNではよく質問してました。あとよく質問してたのがAndersenのところにいたBatista。
  • "Motifs in Brain Networks." Olaf Sporns, Rolf Kötter。脳でsmall-worldとか。

2004年11月08日

検索ワードリスト

この日記の検索でやってくる方がどういう語で検索に来ているか多い順にまとめるとこんな感じです。重複ありで延べ4ヶ月以上で検索されているものを選び、研究に関係なさそうなものは適当に除外してあります。神経経済学/neuroeconomicsの台頭が著しいので、まう少し内容を充実させようと思いました。あと、それぞれの検索ワードがそもそもどのくらい多くの人に検索されているかでnormalizeしてみたい感じ。

検索ワード 検索回数 検索月数
脳/cortex 172 12
論文 121 7
MATLAB 91 10
視覚/visual 83 11
ニューロン/neuron 71 19
頭頂葉/LIP 42 10
サッケード/saccade 41 9
神経経済学/neuroeconomics 35 5
遠心性コピー 33 6
記憶/memory 32 7
脳科学 32 4
nature 31 6
fMRI 30 5
ROC 23 6
カルマンフィルタ 21 4
海馬/hippocampus 17 6
ミラーニューロン 17 4
regression 16 4
fluo-4 15 5
gaussian 14 4
アフォーダンス 14 4
binding 10 4

ソフトボール疲れ

というか三日酔い。しかも今朝はSFN報告会とジャーナルクラブ(例のGlimcherをやりました)。というわけでGlimcher論文に関してはまた明日ぐらいにでも。


2004年11月06日

Science 11/5

"Thinking About the Conscious Mind." Christof Kochによる"Mind: A Brief Introduction."by John R. Searleのレビュー。
via cogniさんのところの11/5
Kochが言っているようなneuronal correlates of consciousness (NCC)的なプログラムに対してSearleは否定的だろうから、どんなこと言ってるのか興味があります*1。326ページあるということなので、"The Mystery of Consciousness"とかの一般向けの小さい本とは違った、"The Rediscovery of the Mind "以来のまとまった本、ということになるでしょう。これは読まなくては。
一方で、Christof Kochも新著 "The Quest for Consciousness: A Neurobiological Approach."を出してます(Kochのサイトからいくつかの章がpdfで読めます)。まだごッツいハードカバーなので、ペーパバックになったら読もうと思います。


*1:ちなみに、Searleによる「意識を科学的に研究するには」'98を私的に翻訳したことがあるんだけれど、そのときに作った要約が20000215にあります。


2004年11月05日

SFNレポートのつづき

646.2 "TWO-PHOTON CALCIUM IMAGING OF VISUAL CORTEX: ORIENTATION MAPS WITH SINGLE-CELL RESOLUTION" Clay Reidラボ。これは間違いなくすごい。おめでとうございます(1stの方とは同じラボ出身です)。
In vivoでtwo-photonを使うことで、catおよびratでの初期視覚野のorientation mapをイメージングしました。以前からoptical imagingによってintrisic signalやvoltage-sensitive dyeでの膜電位変化測定によって初期視覚野に方位をコードするようなマップがあることが示されています。つまり、たとえば2mm * 2mmの皮質の中で縦棒にいちばん強く反応するニューロンのある領域から斜め45度、そして横棒に反応する領域、というふうになだらかに繋がってまた縦棒に反応する領域まで繋がるような方位地図が初期視覚野にはあります。ほかにも右目からの入力に反応する領域と左眼からの入力に反応する領域とが交互にモザイク状に見える眼優位性マップもありますし、網膜上のどの位置での刺激に反応するかが連続的に表現されているretinotopicマップ、といったいろんな視覚情報の属性が初期視覚野の表面に重ね書きされてマップ(写像)されているわけです。しかしこの2mm * 2mmの領域の中には無数のニューロンがあるわけで、これまでの技術では個々のニューロンの活動ではなくて、それを空間的に平均したような活動としてしか見ることができませんでした。そのような平均的活動と個々のニューロンとを対応付けるためにこれまではoptical imagingをしながらsingle unit recordingをする、とかそういうことをやっていたわけです(たとえば、pinwheel centerでのニューロン活動を記録したScience '97 "Orientation Selectivity in Pinwheel Centers in Cat Striate Cortex" Bonhoeffer)。でも、いちばんいいのは、見たいところの全部のニューロンの活動をモニターすることであるのに決まっているわけです。んで、平瀬さんのセミナー関連でも話題になりましたが、In vivoでtwo-photonを使うことで、生きている個体での脳の情報処理を個々の細胞での活動がわかるような形でモニターする、ということの将来性と可能性に注目していたわけです。私は以前(8/9)こんなふうに書きました、おそらくこれはもう競争であろう、他の方法論で見たものを追試しました、からtwo-photonでなければ見れないものが出てくるまではあと5年はかかるでしょうか、それとも2年で出てくるでしょうか、と。しかしこんなに早く出てきてしまいました。
内容説明を:麻酔下でいろんな方位の視覚刺激を呈示して初期視覚野でのCa動態をtwo photonでイメージングすることで300micron * 300 micron程度の広さの領域の個々のニューロンでのCa動態を調べることで、個々のニューロンの方位選択性を調べたのです。すると、optical imagingで見た方位マップと同様なパターンで個々のニューロンがその位置ごとにある方位をコードしているものから違った方位をコードしているものへと移行してゆくのが見られた、というわけです。
はじめ見たときにはある意味optical imagingの再現だから、もっとこの方法ならではのものを見るためにはと考えていくつか質問(pinwheel centerから記録してないのかとか)したりもしたのですが、ガヤ含む他の皆さんの反応を見て、すでに十分インパクトのある仕事であるのは間違いないと思い直しました。今まで見ていたoptical imagingのマップが個々のニューロンのどういう反応からできているかをみた人などいなかったのですから。けっこう揃っているんだな、というのが印象でした。Interneuronはどのくらいイメージングできているのか、とか個々のtuning width自体はどのくらい違うのだろうか、とか聞きたいことはたくさんありますが、もうこれは論文になってどんどん出てくることでしょう。
それにしてもすごい。このすごさの一端は、in vivoで個々のニューロン測定するには脳の拍動などの動きの問題を解決しなければならないわけですが、optical imagingと違ってtwo photonではニューロン一個分のズレが起こったらもうイメージングのデータは台無しなわけですから、そのへんはかなりシビアなはずで、そこを克服した点にあると思います。それにしても、方位マップを作ることができるということは、眼優位性マップだろうとretinotopic mapだろうと作れてしまうわけです。もうこれはそのへん独走できてしまうのではないでしょうか。Intrinsic signalやVSDによるoptical imagingもこうなると廃業ではないでしょうか。もちろん、optical imagingの全てがすぐのり越えられるわけではないでしょう。Optical imagingでは5mm * 8mmとかかなり広い領域のマップを作れるわけですし、前述のmotion artifactの問題からして、Grinvaldとかがやっているin vivoのawakeのbehaving animalでのoptical imagingの成功というアドバンテージはしばらくは残ることでしょう。また、Caイメージングなので、VSDほどには速い応答を取ることはできません。8/9のryasudaさんのコメントにもあるように、VSD使ってtwo photonというのは難しいようですし。
しかし、時代はここまで来てしまいました。fMRIだってはじめは1Tもないような磁場のマシンをつかっていたのに技術のスタンダード化とマシンの普及とによってどんどん高磁場のマシンができて、より詳細なマッピングが可能になっていきました。同様にしていくつかの点でtwo photonでのスキャニングに関しても進歩が見られることでしょう。来年のSFNではこのへんがどっと出てくるはずです。現在のfMRIによる研究のような盛況になる日が来るかどうかはわかりませんが、behaving animalでの応用、個々の細胞ではなくて細胞内動態を調べる方向性、caged試薬による刺激との組み合わせ、いろんな可能性があります。
ちなみにin vivo two photonで哺乳類で、というあたりで検索すると:

あたり。このうち、functional organizationと結びついていると言えるのはArthur Konnerthでのwhisker stimulationですが、これよりも今回の発表はずっとインパクトがあると思います。(追記:ryasudaさんのコメントにもあるように、このへんはもう少し歴史を遡って確認しておく必要がありそうです。)
追記:というわけでリストを補充しておきます。
ryasudaさんご指摘のKarel Svobodaの一連の仕事:
などなど(Natureのみ選択)。それからkkitaさんによる追加分:
どうもありがとうございます。追記ここまで。
脳機能の解明においての究極は脳(と脊髄と末梢)の全てのニューロンの記録をモニターする、というものですが(この仮想的状態は、そのときに私たちは使えるコーディングとデコーディングのアルゴリズムを持っているだろうか、とかそのときに私たちはその個体を取り巻く環境と環境と個体との相互作用とを全て命題化することができるのであろうか、といった問題とカップルしているのですが)、まだまだそれにはずっと遠いにしても、それへの第一歩であるということは言えると思うのです。

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# ryasuda

こんにちは。In vivo 2-photon Calcium imaging といえば、Svoboda K, Denk W, KleinFeld D, Tan DW 1997, Nature385:161-5を忘れずに! Sharp electrodeで刺しています。今回のSFNではHelmchenのところで、awakeのdendritic calcium をかなり一生懸命みてましたね。2-photonで1このspineでさえ追えるわけで、細胞レベルではpulsationはあまり問題にならないのでは?

# pooneil

あー、なるほど、そういう意味では、私のほうはin vivo two-photonでの機能イメージング(多ニューロンからの同時記録)に気が行っていたけれど、in vivo two-photonで細胞内のCa動態を調べるような研究はすでに長い歴史があるということですね。Ratのbarrelでの応答の機能イメージングという意味でもArthur KonnerthのPNASがいちばん最初なわけでもないですしね。ご指摘ありがとうございます。もう少しそのへん整理して踏まえておく必要がありそうです。

# kkita

はじめまして。Reidグループのやつは、本当にすごいです!特に、最後のFigureのCatのdirection mapには、感動しました。方位カラム(というのかな?)がわずか20ミクロンくらい(すなわち1〜2個の細胞)のオーバーラップだけできっちり分かれているというのが、画像ではっきり見えてましたね!Dendriteのオーバーラップはそれ以上あるだろうに、どうなってるのか境界にある細胞にパッチしてみたい!あそこまで行ってたらあとはやるだけ(!)なのでそのうち面白いことがどんどん出てくるでしょうね。自分でやってみたいくらいです。in vivoのtwo-photonイメージングの仕事としては、Ryoheiさんが挙げておられるSvobodaらの一連の仕事の他に、Margrie et al., Neuron, 39, 911?918 (2003) Waters et al., J Neurosci. 23(24):8558?8567 (2003)Hasan et al., PLoS Biol. 2(6):763 (2004)などがあります。in vivoのtwo-photon imagingは全体として、まだまだ手法の開発だけにとどまってる仕事が多いですが、これから面白いことがたくさん出てくると思います。ではでは、これからもよろしくお願いします。

# ryasuda

kkitaさん、あの絵は私も仰天しました。しかも、あの境界の細胞は2つきれいにdirection sensitivityがあるんですね。

# pooneil

kkitaさん、論文の追加どうもありがとうございます。SFNではお会いできませんでしたね。「Dendriteのオーバーラップはそれ以上あるだろうに」「わずか20ミクロンくらいのオーバーラップ」このへん不思議だしいろいろ興味はありますが、そのへん時間の問題でどんどんアウトプットとして出てくることでしょう。論文として出てくるのがほんとうに楽しみです。ryasudaさん、おもしろいですよね。Orientation(0-180deg)とdirection(0-360deg)のマップとをどう重ね合わせるか考えると、あるorientationをコードする領域がそのorientationとはorthogonalな二方向のdirectionをコードするものに分かれるということで、理にかなってますしね(Cerebral Cortex ’03 ”The Spatial Pattern of Response Magnitude and Selectivity for Orientation and Direction in Cat Visual Cortex”)。ああ、このへんもっと勉強しなければ。

# OK

pooneilさん、お久しぶりです(といってもSan Diego以来)。kkitaさん、ryasudaさん、takashiさんの飲み会ではあまりお話する機会がなくて残念でした。みょうに、2p関係者の多い飲み会でしたね(takashiさんのせいか)。励ましのお言葉ありがとうございます。ちなみに、CreyではなくてClay(粘土)です。

# OK

脳の拍動はやはり問題です。マウス、ラットなどでは、特に何もしなくても拍動は1um以下なのでspineまで見えるのですが、ネコの場合は、普通にやると10um以上動いてしまいます。しかしながらこの問題は、ネコからvivo patchをしているグループの間では解決済みの問題で、気胸および背骨吊り等の処置で、2um以下くらいに抑えられます。Spineも見ることが可能です。

# go-in-kyo

OKさん,大変ご無沙汰しております.なるほど.そうだったのですか.ところでhigh frequency oscillatory ventilationなんてつかっていたりしているひとはいますか?(単に高くて面倒なだけかもしれませんが)

# OK

うちでも購入計画はありますが、まだ予算がついていません。

# pooneil

おお! OKさん、ようこそいらっしゃいました。どうもありがとうございます。SFNではほとんどお話できなくて残念でした。ポスターも大混雑で入り込めなかったので、2nd author(インド系の人)にあれこれ聞いてました。恥ずかしながらずっとCreyだと思ってました(過去の日記でもずっと誤記してたので直しました)。どうも失礼しました。ポスター内容の説明に関しても勘違いなどあるかもしれませんので、必要に応じてご指摘ください。たとえば、自分のコメントを読みなおしてみると、orientation mapとdirection mapとどっちだったかごっちゃにしてるところがありますが、ポスターに出してたデータ自体は8方向のdirectionに対する応答だったということでよろしいですよね?

順天堂の北澤先生

が岡崎でセミナーと大学院講義を。聞きにいってきました。待ち時間にはいろいろお話もうかがって、面白かったです。なんか自分の話とつなげる糸口を考えてみたり。内容自体は手の交差での時間順序の話(セミナー)と小脳のcomplex spikeの話(大学院講義)がメインでした。


2004年11月04日


2004年11月03日

はてな住所登録問題

参考資料:http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041103
via http://d.hatena.ne.jp/smoking186/20041103
私は本名がわかる形でやってますんで、べつに登録しても困らないっちゃあ困らないです。はてなには一月たった180円で恩恵を受けているんで、はてなのためになるならやっても構わないとも思います。
しかし、以前(8/23,8/25,9/23)の公衆送信権のときの騒ぎにもあったように、なんか不用意な感じだし、真意がさっぱりよくわかりません。もう少し様子を見てからにしようと思ってます。
そもそも告知からたった2ヶ月でやるってこと自体に無理があると思います。niftyのメンバーズホームページ廃止ですら告知から半年の猶予期間があったわけですが、それでもたくさんのホームページがそこでなくなりました。niftyもなんでああいう、サイトを作りっぱなしで放置しているだけで月2000円入れてくれる客(私も含めてだけど)を切り捨てようとしたのかいまだわかりませんが。
ちなみに私の登録はもとから本名、メールアドレス、生年月日、郵便番号、性別全て正しいものを入れてあります。


2004年11月02日

SFNレポート

ま、いろいろ見てきましたが、印象を:Neural prosthesis増えてます、fMRIが多くなったどころか、もはやsingle-unit studyを演題数で追い越してしまっている感じ、学会が大きくなりすぎでPosterを見る暇がない、後半バテた。以前は最終日が半日だったのが、初日が半日になるようになってました(去年かららしい)。これで最終日が寂れることを抑制できていたので効果的だったと思います。んで、予想するに、これは将来的に初日も全日にする布石だと思いますよ。たいへんだけど、そのほうがまだゆっくり見ていられるかも。
印象に残ったセッションについて、ラボでの報告会での資料作りを兼ねて作ってみましょう。今回、ああ、これはNatureかScience間違いなくいったな、と私が思った演題は二つありました。

  • 527.2 "RESPONSE OF NEURONS IN MACAQUE AREA LIP DURING A PROBABILISTIC CLASSIFICATION TASK" Shadlenラボ。タイトル見るとどうってことない感じなのだけれど、これは将来的には"neural correlate of arithmetic operation in macaque area LIP"とかそういう形で出てくることでしょう。簡単に言うと、nonhuman primateに足し算、引き算をさせると、その計算途中と計算結果に対応したニューロン活動がLIPから記録された、というもの。ま、数の表象があるんだから、計算の表象があってもおかしくないけど*1、タスクが凝ってて、いろんなimplicationがあって、すごい。
    詳しく言うと、こんな話:被験者は図形を四コ続けて見たあとで、左右のどちらかにサッケードすると報酬がもらえる。図形のレパートリーは12個ぐらいあって、それぞれの図形は左右のサッケードの報酬量の比の情報をもっている。たとえば、正方形が出ると左右の報酬量の比は1:4とか。だから正方形が出たら右にサッケードしたほうが被験者にとってはお得。これだけでもGlimcherがtrialのblock単位で報酬比を変えてたのをtrial単位にできるというだけでかなりナイスアイデアかつ、トレーニングが大変そうなのだけれど、1trialでこういう図形が連続して四種類出る。被験者は四つの図形それぞれで決められている報酬比の情報のlog likelihoodの和を計算してやっと左右どちらにサッケードしたほうがお得か決めることができる。たとえば、図形1が1:4、図形2が8:1、図形3が2:1、図形4が1:16だったとすると、それぞれのlog likelihood(log(左/右))はlog(1/4)、log(8/1)、log(2/1)、log(1/16)で、合計するとlog(1/4)なので、右にサッケードしたほうが1:4で得となる、というわけです。で、実際行動はそうなるし、個々の図形のlikelihood ratioを把握していることを示す行動データもあります。さらに、LIPから記録すると、四個の図形が順番に呈示されるたびに、evidenceが蓄積していって、ニューロンの発火頻度が図形ごとに上下して、最終的にどちらにサッケードするかの最終決定を表す発火頻度になってサッケードする、というわけです。つまり、4つの図形が呈示されているあいだに関しては、完全にdecisionシグナルの蓄積過程(計算の途中経過)を表象していると言えて、その途中過程で左右どちらに行くかのdecisionの結果(右か左か)を二値的に表象しているわけではないことが非常に明確に示されているわけです。*2
    このタスクの徹底的さ加減もすばらしい。二つぐらい足せば充分じゃんとか考えてると足をすくわれるわけで、こういう徹底的さには心当たりがある。
    んでもってしかもいちばん最初に書いたように、これは足し算引き算のneural correlateであるとも言えるわけです。タイトルにもポスターにもそういうことはまったく謳っていなかったけれども(たぶんそう主張するには私が気付かないような障壁がいろいろあるのでしょう)、演者に聞いたらそうだと言ってました。その主張が文句なく通ればNature、文句ありでもScienceは間違いなく通ると見ましたが。
  • 646.2 "TWO-PHOTON CALCIUM IMAGING OF VISUAL CORTEX: ORIENTATION MAPS WITH SINGLE-CELL RESOLUTION" Clay Reidラボ。id:kkitaさんも11/1に書いてますが、これは間違いなくすごい。おめでとうございます。つづきは明日書きます、迷惑にならないように気を付けますので。

*1:しかしposterior parietal cortexは時間もあれば数もあれば計算もあればマッチングの法則もあればナッシュ均衡もあればmental rotationもあるわけで、ここは量:quantityの領野と名付けよう。ちなみにventral pathwayの連合野は質:qualityなわけ。
*2:トレーニングの過程では多分じょじょに図形の数を増やしていったのだから、行動のselectionの結果を表象しててもおかしくはなさそうなのだけれど、そういうのはFEFでやっているのでしょう。


2004年11月01日

SFN

でいろいろ書きたいことはあるけれど、つい、Neuronを見てしまったのでそちらを先に。

Neuron 10/28号

頭頂葉での数的表現関連。

それぞれの内容はまたこんど。SFNにあった関連する発表と絡めて語れるとよいのですが。
Andreas Niederの論文:
澤村・丹治論文はこちら:


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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