「人間は視覚から83%の情報を得ている」の元ネタってどこにある?

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』見えないことから見えるもの「「見える人」の中には平面イメージが無意識のうちに刷り込まれている」「「見えない人」にはそもそも「視点」がない」なんかすごく重要なことが書いてあるようなので買う。

@kohske 別件なんですけど、高橋さんはmulti-sensoryに関わってましたよね。よくある「人間は視覚から83%の情報を得ている(音が11%、匂いが3%、触覚が2%、味が1%)」って話の元ネタってご存じですか?ちょっと調べてたらあれってmythかもって気づきました。

@kohske 似たような話で「われわれはどのsensory modalityを記憶しているか」というのがあるけれど、これもどうやらEdgar Daleの図式をあたかも実験事実のように引用した結果らしいのです。

なんでそんなことが気になったかというと、さっき「目の見えない人は世界をどう見ているのか」を買ってきたのだけれど、いきなり冒頭の文章が「人が得る情報の八割から九割は視覚に由来すると言われています」で、これってどのくらい実験事実に支えられたことなんだろうかと思ったから。

ちょうど自分がやってきたサリエンシーの解析で視覚のfeature (輝度、色、方位、動き)のなかでどれがフリービューイングに影響するかの寄与率を計算してた(正確ではないけど)ので、もしかしたらそれを感覚モダリティーに拡張して寄与率を計算できるのではないかとか考えてた。

(訂正) @kohske たとえば、WikipediaのNonverbal communicationの項目にこの数字は出てくるけど、ここで引用されているのは一般書。

この数字はいろんなところで出てくるけど、たとえば古めの本を探すとこの本のp.321のFig,14-2から14-4までとか。Paul Trattnerって出てくるけど、これの元ネタは見つからず。

教育関係の本に多い印象。これのp.3にあるFig.1-1, 1-2とか。

この本の189ページを見ると、運転中のデータとしてMichael SivakのPerception 1996が引用されてる。これはいっけん有望に見えるかもしれない。

あいにくうちの機関はこの雑誌取ってないのだけど、要旨を読むかぎり、この論文は実験をしたわけではなくてコメンタリ的なもので、「これまでにそのようなデータはないし、そもそもそのような比率を計測する方法もない」という議論をしているようだ。


Tycho@名古屋クラブクアトロ 行ってきた!(20150130)

Tychoの”Dive”ってのを聴いてる。これはいい。エレクトロニカでドリーミー。しかも調べてみたら、ちょうど今度来日して、名古屋クアトロでの公演(1/30)もある。これは行くしかないのではないだろうか。

TychoはDaydreamが一番好きなんだけど、コンプレッサー効かせたギターの「クパーン」ってかんじの単音が夕焼けの向こうから聞こえてくるような、なんだっけこの懐かしい感じはって記憶を辿ってみたら、PSY・Sの”Wondering up and down”のギターの音だった。


Tycho来日公演、前売りで6000円とかするんで行かねえだろうそんなのとか思っていたら、東京公演はsold outとのアナウンスが。うーむ、名古屋クラブクアトロ行くべきか。どっかにお金落ちてねえかな。

明日のTycho名古屋公演はいまだ決めかねている。tychoタグで検索してみたら、今日のShibuya O-Eastはいまオープニングアクト終了して、いまからとのこと。ついでに「タイコ」と発音することも知った。20時開始だから一時間後か。じゃあ明日は20時に栄到着でよさそうだ。

Tycho東京公演の評判がすごいいい感じだったので、ぎりぎりのタイミングで明日の名古屋のチケット買った。買ったからには楽しんでこようと思う。今日のツイートを見た限りオープニングが60min、Tychoが100minくらいでドラムも映像も良しと。DiveとAwake聴きこんでおく。


オープニングアクト終了。もうすぐTycho。

名古屋公演終了。8時半開始、10時終了くらい。すごく良かった。ドラマー、打ち込みパターンを人力でほぼ再現、観客を踊らせまくってた(俺を含む)。

さきほど終了したTycho名古屋公演のセトリ。昨日の渋谷公演のセトリを写したツイートと比べてみると、どうやら同じだったようだ。

アンコール一曲目は、スコット・ハンセンだけが出てきて、「他のメンバーが休みを取っているあいだにリミックスをかけるよ」とAwakeのリミックスバージョンを流しているところにメンバーが帰ってきて、イントロのギターカッティング始めたところとか、あそこは熱かった。


昨日の栄のクラブクアトロでのTychoライブの客の入りはほぼ満員。収容人数550人とのことだけど、そのくらい入ってたかも。私は前から10人目くらいで左右はど真ん中辺りに陣取ってた。ベースの音が割れるっていうか木の床が変に響く感じで音の環境はあまり良くなかった。

名古屋のメリットのひとつは小さい会場で見ることができるということだな。Rovoのときも東京は日比谷野音(キャパ3000人)だけど、名古屋はTokuzo (キャパ100人)だったわけで。


ゲッチンゲン・チュービンゲン滞在記

(2015年3月、ゲッチンゲン、チュービンゲンに滞在したときのメモ)


今日は共同研究がいろいろ進んだ。19時過ぎたところで夕食行く?って聞くからスーパーでなんか買ってくよって答えて別れて、Kunsthalleにあるスーパー(Penny Markt)で鱒のスライスとかハムとか棒アイスとか買い込んで最終バス待ってたら、10分たってもバスが来ない。

ついに案内板から17番バスの案内が消えてしまって、同じくバス停で待ってた人たちもみんな諦めて歩き出した。だれも文句言わないのでよくあることなのだろう。しかたなく昨日車で案内してもらった道を記憶をたどりながら、誰一人歩いていない静かな道をバス停を一つ一つたどりながら下っていった。

誰も歩いていないのをいいことに吉田式ディナー(歩きながら鱒のスライスを手を汚さずに食べる技法)を実践しながら道を下ってゆくと、Max Planckからの道と合流するSpemannstraßeまで来て、やっと歩いている人も出てきてホッとしたが、今度はゲストハウスの場所がわからない。

バス停で待っていた学生さんがウロウロしている私を見かねてスマホで地図を調べてくれて(偶然日本語を理解できる人でスマホの画面が日本人イケメン俳優だった)、お陰でなんとかゲストハウスまでたどり着いた。けっきょく戻るまで30分かかった。まったくえらい目にあったが暖かい夜で助かった。

食い物があったので悲壮感が出なくてよかった。空腹で寒くて異国の地をさまよい歩いたりとかそういうことにならないで、ほんとうによかった。生きてるって、素晴らしい!(<-おおげさ)


(ソース不明のブログの記事より:)「もうわかっているかと思いますが(もしくはすぐに気づくことになりますが)、チュービンゲンで真夜中に食欲を満たすのは至難の業です。」 知ってた。20時過ぎたら店は閉まってる。水が無いことに気づいて、しかたなく駅構内まで買いに行ってきた。

解析が終わらん。ネッカー川の向こう側では酒飲んで騒いでいる若者たちがウェイウェイ言ってる。(<-言ってない)

REWEというスーパーマーケットが土曜でも夜10時までやっていることを発見した。これでなんとかサヴァイヴしていけそう。

仮眠してた。18時の鐘が鳴り響きだした。いろんな鐘の音が重ね合わされて、いい感じに不協和音がドローンのように響くのに重ねて、まだ足りないかと鐘が打ち鳴らされて、なんだかサイケデリックだった。寝起きの頭で音の行方を追い続けたら、街のアンビエンスノイズにかき消される瞬間を見とどけた。


現象学関係(2015年04月30日(木)まで

ここさいきんの現象学関連を勉強しながらとったメモをまとめておいた。


ZahaviのHusserl’s Phenomenologyの1章を繰り返し読む。訳本があまりにわけわからんので英語版で読んだほうがよくわかる。けっきょくのところ「超越論的」とか「現象学的還元」とか言われても、そういう概念を導入してくる動機がわからないと理解できないので、「論研」の部分のintend-act-object-intuitionあたりの概念を充分理解することに務めたほうが良さそうだ。

プログラミング言語の学習のときには、手続き的->構造体およびクラス->オブジェクト指向と必要に応じて導入してゆくとうまくいくと思う。必要性を感じないところで「オブジェクトとはたとえば車をデザインする例で」みたいな喩え話をされてもさっぱり身につかない。それと同じ理屈で、意識の構造を考えるのに、なんで超越論的という概念を導入しなければならないのか、という必要性を感じるところまで行かないと、たぶん現象学も身につかないのだろう。追体験が必要なのだな。

そこまで飲み込んで、超越論的=反自然主義的であるものをどうやって自然化することが可能だろう?ってところまで深く潜る必要を感じる。でも今の段階で、actというprocessじたいはobjectではない、みたいな話を読んでいると、それは現象側から脳とか物理とかを見ているからであって、オートポイエーシス的なカップリングのことを考えるのがまさに自然化への道なのだろうなあとも思うし(これがEvan Thompsonをreferしてまとめた紀要原稿の結論)、かといってそのような考え方は現象学側からすれば二元論に逆戻りじゃんってことになるのもわかる。

脳を見ない、見えないようにすることによって固有の論理みたいなものを追求するって点で、現象学と行動分析とギブソニアンに共通する態度ってものがあることに気づいた。


「現象学という思考」をぴらぴらと読んでいる。ここでの「自明性」というのがまさに非主題的な、前反省的な意識の話であったり、「構成」という概念が「能動的な作用者なしに現象が自ずから自己自身を構成すること」を表す、なんての読むとそれってほとんど「創発」だな!とか楽しんで読んでる。

「フッサールは、たとえば「超越論的」という形容詞を用いて、既存の語に新たな意味を負わせることにより、暫定的に進んでいく方略を選択した」(媒介論的現象学の構想) とりあえず「超越論的」が付いてたら普段使う意味ではないと保留付けるように心がけて読んでる。


「本質直観」とか言われるとなんか禅僧が瞑想して悟らないと到達不可能であるような物々しさにビビるけど、ザハヴィ本の1章読んでから考えると、essence (志向性の対象と様式) + intuitive (表象や思考を介さずに直接的に与えられている)じゃんって思う。「本質直観」(=形相的還元)は中期の概念なんで、1章まででは道具が足りないのは承知だけど。

「現象学という思考」の「本質」の章を読んでたけど、ここでの「(移ろうなかで)変化しないものを直接的につかむ」ってほとんどギブソンの不変項と直接知覚論だな。ギブソンは実在論という形而上学的コミットメントをしている点で現象学とは別なのは確かだけど。あと連合の使い方とかも考慮すべきか。

ギブソンは明確に二元論的なのだから、「(移ろうなかで)変化しないものを直接的につかむ」ってのが「不変項と直接知覚論」で済む話だったら、現象学的還元も超越論的態度も(すくなくとも知覚論に限れば)必要ないって話になってしまう。ではなにが足りないのか。


「フッサール 起源への哲学」斎藤慶典著を読んでる。自然的態度から離れて考えているはずなのに「力」「作用」「(磁石の)極」みたいな物理メタファーが続出するので、これのどこが超越論的なんだろうと正直よくわからなくなった。物理メタファーの排除だったら行動分析のほうが徹底しているんではないだろうか?


駒場学部講義2016 「意識の神経科学:「盲視」と「統合失調症」を手がかりに」レジメアップしました

駒場学部講義2016 「意識の神経科学:「盲視」と「統合失調症」を手がかりに」レジメアップしました。

駒場学部講義2016 人間情報学VI 「意識の神経科学:「盲視」と「統合失調症」を手がかりに」 from Masatoshi Yoshida

今年は神経現象学の話を入れてみた。うまくいくとよいのだけれど。乞うご期待!


お勧めエントリ

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  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
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  • DKL色空間についてまとめ 20090113
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  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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