「どんぐりカレー・西瓜糖の日々・アリザリン クリムゾン」(さうして、このごろ2021年2月版)

「ストレイン・ゲージ」ってなんかバンド名っぽくない? なんかメンバー全員入れ墨入れてそう。

声に出して読みたい日本語といえば、今の気分としては「宝石の八神」かな…

「沸騰するやかん」「どんぐりカレー」「市松模様と螺旋形」「白黒の集合写真」「雑草に埋もれたマンホール」「街路樹からの落雪」「消える境界線」「七色の鍵盤ハーモニカ」「グリッサンド」「ポルタメント」「パンダ色のマスクカバー」「毛糸の靴下」「地震の前兆」「自走する草刈り機」「黒い日傘」


ブローティガンの「西瓜糖の日々」を原書で読もうと、kindle paperwhiteに入れて寝る前とかにちょっとずつ読んでいたのだけど、2ヶ月くらいかけてやっと読み終わった。翻訳で読んだのは20年以上前だろうから内容は忘れていたけど、ともあれぜんぜん入り込めなくてショックを受けた。

以前読んだときは「えいえんのせかい」のような寓話的な儚い世界だと思って読んだのだけど、再読してみたら、街から離れたところにヒッピーがコミューンを作って、そこで何かひどい犯罪が行われたであろうことを寓話的にぼかして表現しているようにしか読めなかった。

しかも主人公はものすごく傍観者的なのにモテて、主人公にとって都合の良いことだけが起こる。(嫌いな奴らが勝手にどんどん死んでゆく。) これは再読したことによって私にとっての物語の解像度が上がったせいか、それとも藤本和子の翻訳が原書よりも良かったからなのか。

今回はこの世界の描写についてちょっと気をつけて読んでいたけど、電気とか機械とかは一切出てこなくて、照明はランタンだし、人力だったり、馬だったりする。ただし「街」の存在があって、そこは1960年代のアメリカであるようで、ポストアポカリプス的な舞台設定だという前提が元々誤解だったのかも。


「せいりけん」って入力して変換したら「整理券」になった。他の人にとってはまったく驚きではないことだけど、私にとってはこんなこと数十年ぶりのことだ。

髪が長くなってきたけど、床屋に行く回数は減らしたい。ヘアバンドがどっかにあったはずだが見つからない。そういうわけで、持ってた赤いバンダナを巻いて、ヒッピーおじさんもしくはカントリー歌手(ウイリーネルソン的な)みたいな風貌で中央キャンパス総合研究棟2号館の4Fを行き来してる。


夜に誰もいなくなったところを見計らってギターかき鳴らして歌いたい。いい場所がないので、夜遅くに平成ポプラ並木の放牧場の横まで行くのがいいのかもしれない。人と出くわすとむちゃくちゃ気まずいけど。もしくは電子研の北の原野みたいなところとか?とにかく誰もいないところを見つけたい。

「電子研の北の原野みたいなところ」って今書いたけど、Google map見てみたら、なんかすげー整地してる。なんかの車が地面ならしてる。なんだこれは?いま行けばここは雪の平原?


ドノバンの"Wear Your Love Like Heaven"の歌詞にはいろんな色が出てくるので意味もなく並べてみる。Carmine, Carthamus Rose, Alizarin crimson. こうやって並べておいてなんだけど、ディスプレイの色って別もんだよな。

ウィキペの色リストのページ。

こういうのって永久に見てられる…といいつつ30秒で飽きた。


Logic Proでピッチ調整使ってみた

趣味でDAWソフト使って声を重ねてハモリ作ったりとかしてる。たとえばこんなかんじ:

pooneil68 · John Barleycorn (sung by pooneil68)

でも素人のやることなので、どうしても音程(ピッチ)のブレが出る。ちゃんと練習してから録音するべきなのだけど、たいがいたまの休みにちょっとDAWいじってたら休みが終了、みたいなことが多いのでいつまでたっても上手にならない。

そういうわけでピッチ調整ソフトを使ってみたいと思ってた。いちばん有名なやつでMelodyneというのがあるのだけど、これが5万円くらいするので、お金かけてまでやろうというつもりもなかった。

でもsleepfreaksの動画を観ていたら、私が持っているDAW (Logic Pro X)がピッチ調整機能(Flex Pitch)を持っていることを知った。ちょっと!聞いてないよ!

さっそく試してみよう。アメリカの「名前のない馬」のサビの部分をアカペラで歌ってみた。まず3声をそれぞれ2回録音した(所要時間30分)。そのあとpanをhighを左チャンネル寄り、middleを中心、lowを右チャンネル寄りに調整して、マスタリング用のコンプを掛けてある。

こちらが調整後。


それに対してこちらが調整前。


とくにlowの音程がヘッタクソだったのだけど、歌ってるときは本人はそれなりに歌えてるつもりだった。こうして比較してみると調整前は音が濁ってるのがよく分かる。それに対して調整後はだいぶ聴けるようになった。

ピッチ調整機能を使ってみて、その威力がよくわかった。でもピッチ調整のメリットはそれだけではなかった。繰り返し同じ声を聴きながらピッチを調整してゆくことで、どのくらいピッチが揃っているか、耳を鍛えるトレーニングにもなっている。つまり、(合唱コンクールの指揮者みたいに)自分にダメ出しができるようになってきた。もう一度歌い直したら、たぶんもっとうまく歌えるんではないかと思った。


なお、「歌ってみた」的なものをアップロードするのは初めてなので、著作権についても確認しておいた。JASRACのページの「動画投稿(共有)サービスでの音楽利用」によれば、youtubeなら外国曲の演奏を個人がアップロードするときは、配信および埋め込みでの利用が可能になってる。あと、J-WIDで調べると、「名前のない馬」はJASRAC管理作品(作品コード 0H0-2785-4)で配信可能になっている。なるほどこれがUGCというものか(<-15年遅れてる)


研究関連ツイートまとめ(2021年1月)

The New York TimesによるJohn Conwayのライフゲームの記事。 初出を知らなかったけど、Scientific Americanのマーチン・ガードナーのコラム(1970)でJohn Conwayが送ったレターが紹介されたのが初出とのこと。(セルラ・オートマタ自体はフォン・ノイマンだから1940年代。)

なるほど!Varelaらによるオートポイエーシスの2次元セルラ・オートマタの論文が出版されたのは1974年で、たった5つの文献しか引用してないのだけど、そのひとつはこのGardnerのSci Am 1970の記事だった。1974論文内ではライフゲームの発展型とは決して言ってないのだけど。


病院で待っている間に「0と1から意識は生まれるか――意識・時間・実在をめぐるハッシー式思考実験」を読了したけど、思ったよりも面白かった。意識は情報処理ではなくて、それに付随する物質が必要」「時間と空間は実在しない」「エントロピーは時間対称」(渡辺慧)とか、ニコラス・ハンフリーの「内なる目」を参照した意識の社会説(他者の推定する必要から、自分を内的にモニタする能力が進化した)とか。細部はいろいろ納得いかないところもあったが、自分が面白うと思っている方向にいいかんじに当てはまっていた。

これをとっかかりに、いろいろ手を広げることができそう。あと、「時間とエントロピーと重力」とかあのへんを読みたくなってきた。

ここでの「エントロピーは時間対称」というのは時間tで水の中にインクの一滴が固まっている状態があったとして、t+Tでもt-Tでもどちらもエントロピーは高くなっているという話。つまり、スポイトでインクを落とすというような人為的なことをしないならば、たまたまtでインクの一滴が集まった瞬間を見たということを想定しているようだ。

それで連想したのが、カウフマンの本にあった「束縛条件」だった。火薬の爆発を砲弾の移動という仕事に変えるためには、大砲の筒が必要というやつ。同様に、インクを垂らすとか、二重スリットを用意するといった人為的な操作がかならず関わっていて、そうでない場合、「たまたま時間tでインクの一滴が集まった瞬間を観測した」というようなものすごい偶然に身を任せないといけなくなる。まだ言語化できてないけど、「人為的な操作」というのが入ることで、因果とかややこしい話になるのではないかと思った。


「〈こころ〉はどこから来て,どこへ行くのか」 下條さんの章を読むつもりが、中沢新一の章が予想外に面白かった。ハイエクの「感覚秩序」を引いて脳と心の関係を「直接的な因果関係ではなく、構造に関する情報を運ぶ作用をするものを媒介にしながら、つながりあっている」とあり、ホモロジーや圏論にも言及している。中沢新一は読んだことがなかったが、ポスト構造主義から来てる人だから、こういうことは言うかも。ハイエクについても経済での「自生的秩序」に連なる精神の理論を持っていたことに興味を持ったので、次は「ハイエクの経済思想」を借りてくる。


The world is not a theorem スチュアート・カウフマンの新しい論文。生物の進化における多様性を作る方向は(数式などによる)形式化はできない、というこれまでの主張を、アフォーダンスの定式化という側面から議論したものっぽい。


「生命と自由」渡辺慧を読んでいたら「人間の眼は、一つ二つの光子も感じることが知られている」(p.186)というくだりがあって、昔勉強会でこれについての章を読んだ覚えがある(たぶんこれの51章)と思ったが、ソースが見つからなかったのでググってみた。

そしたら、二択で正答率55%くらいで弁別できるって論文が見つかった(Nature Communications 2016)。そこで引用しているもので、この世界の古典的な仕事として、Hecht et al 1942では光子5-8個が閾値、とある。

さらに調べてみたら、乾先生の「光覚の生理学的基礎」 (1981)というのを見つけた。今日はここまで。


つか、二重スリット実験を人の目をセンサーにしてやれば、同じ人の両目に分けて入れるのと、別々の人の片目ずつに入れたときとの違いを考えたらなんか意味があるのでは?とか思って調べ始めたのだけど、自分で言ってて、どういう意味があるかよくわからない。


「生命と自由」渡辺慧読了した。最終章、なんかすごいこと書いてある。熱力学第二法則が当てはまる世界でエントロピーは増える方向に行くので、ある時間よりもあとの時間のほうがよりマクロ的に見て同じ状態に収束するという意味で決定論的であり、因果的である=生命を後ろから後押しする。

いっぽうで、生物の一部はエントロピーを下げる方向に進むが、こちらはある時間よりもあとの時間でどのマクロな状態に進むかがわからないという意味で非決定論的である。ぎゃくにある時間からさかのぼってどういうマクロな状態から現在が帰結したかは予測できる。これを逆因果的過程と呼んでる。

そして人間における価値、目的論というのは(因果律が生命を後ろから後押しするのとは逆に)生命を前から引っ張る(p.196)。だから、生命というのは「自由という価値の追求」なのだと(p.198)。

これはさっき書いたカウフマンの「生物の進化における多様性を作る方向は形式化はできない」に対する答えになっている。つまり、時間を進める方向への予測をしようとするなら、それは不可能。でもその時点を引き起こした原因、価値を見つける逆因果律の方向は形式化しうる。

もちろんこれを読みながら、ずっとエントロピーのところを自由エネルギーに置き換えながら考えてた。自由エネルギー最小化の元で、同じ状態に収束していくわけではなくて、多様化してゆく(進化でも、個体でも、社会でも)ことを、渡辺慧の言う逆因果的過程、もしくは「目的論の部分的復権」ということで考えられないか?というふうに読んでいたというわけ。

「逆因果的過程」と言われると面食らうけど、期待自由エネルギーの計算で、(不確定な)将来の観察から遡って現在する行動選択を確定させるというのは、逆因果的過程でいう原因帰属的な操作をしているようにも読める。

そうしてみると、将来の観察(それはすべて列挙することが不可能な隣接可能領域)から遡って、現在の観察と行動の「尤度」が決まることのほうが本質であるように思う。


「アムール今出川・クラゲ茶・大仏廻国」(さうして、このごろ2021年1月版)

「アムール今出川」っていう芸名を考案した。アパートの名前でもいい。…とここまで書いてから、念のためググってみたら、「アムール賀茂川」が実在することを知った。

「スーパーでよく聞くポポーポポポポ」 あれの名前が「呼び込み君」であるということを知ってしまった。

今日はオンライン飲み会だったので、いつもどおりウクレレいじりながら喋ってた。そういえば「ウクレレで緊急地震速報」をやるチャンスだったのに、忘れてた。

今どきのネットで人気の曲をいくつか聴いてみたら、歌がボカロっぽくて、映像がヴァイパーウェイヴ感あって、なるほどと思った。


「おかゆ作品」 わかる。先日日常系30分アニメ観たら、Bパートまでたどり着けなかった。いまの俺の胃にはモルカーしか受け付けないようだ。

子供向けでも、たとえば「おさるのジョージ」はけっこう「やらかし」のシーンがあるので、共感的羞恥がキツくて案外観るのがつらい。モルカーも、銀行強盗に乗っ取られたシーンがもし5分続いたら、たぶん観つづけることができなかったと思う。えいえんのせかいに旅立ちたい。


「クラゲ茶」ってのを考案した。ものすごく語呂が悪い。

「クラウド・ファンディング」ってのを考えた、まで書いて、念のためtwilogで検索してみたら、まさかのネタかぶり、しかも3回目。いったいなにがそんなに私の琴線に触れるのか、私が知りたい。

「大仏廻国」では東海市の聚楽園大仏が開眼して犬山城まで行き、さらに戻って三河までやってきて西尾の常福寺大仏に会いに来る。そんな存在とはつゆ知らず、自転車で通りがかったので常福寺大仏の写真を撮っていた。大仏にはとくに興味があるわけでもないが。


Korg Gadgetではスケールに合わせてキーボードを切り替えることができるので、Dドリアンにしてアンビエントなパッドをいじっていたら「君が代」が演奏できることに気づいた。要は雅楽の壱越調がDドリアンに対応しているということのよう。

興味が湧いたので更に調べてみたら、雅楽のスケールにエッカートが西洋風の伴奏を付けた。でもむりやりな当てはめのため、最初と終わりはユニゾン(N.C.)だし、基本C/Am調の和音だけど途中でD-G (ドッペルドミナント)が入る、ニール・ヤングみたいなコード進行になった、ということらしい。ソース


なんだろう?コンビニの駐車場があって、その前を走る細い道の向こうには、線路がある。なんだか懐かしい気もするし、すごくありふれすぎているだけにも思えるし。

髪が伸びてきたが、あまり床屋に行きたくない。前髪がじゃまになってきたので、JR東海の牧瀬里穂のCMの彼氏みたいに、赤いバンダナを巻いて、論文書きをする。とここまで書いて、Youtubeで確認してみたら、青いバンダナだった。(<-ファクトチェック)


急に思い出したんだけど、高校生の頃に栗本慎一郎の本(「パンツを捨てるサル」「意味と生命」あたり)を一生懸命読んでいた時期がある。(大木幸介経由での)ドパミンA10細胞(VTA)とか、ウイルス進化説とかいろんなもののごった煮で、たぶん無意識レベルで私にすごく影響を与えている。

中3のときに聴いた「リボルバー」からサイケデリックとか変性意識状態とか神経伝達物質とか、そういう本を読み漁って、私は薬理学の道に進もうと考えた。それからいろいろあって(雑)、なぜか今ここにいる。33年前のちょうど今頃、眼底出血で入院していた高3の自分には想像もできないことだった。


研究関連ツイートまとめ(2020年後半)

受動的綜合についてZahaviが何を言ってるか調べてた。「現象学的な心」3章p.148では、ものの動きとか雑音とか、知覚的にsalientなものが触発affectionして、そのような先行的な触発に受動的に応答するreceptivityという言い方をしている。ここで引いているのはZahaviの「自己意識と他性」で

6章で「もしわれわれにそれを気に留めるように強いるならば、何らかの仕方で、対象、異質性、差異を通して目立っているにちがいない」「触発は布置の一部である何かによってつねになされ、つねに受動的に組織化され構造化された領野の内部からの触発なのである」p.187 これはサリエンシーだ。

「ベイトソンが書いているように、情報は、差異を生む差異である。そして、何かが差異を生むかどうかは、単純にそれ自体の本有的特性の事項ではなく、われわれの現行の関心—大体がわれわれの以前の経験によって影響される関心—との関係の事項である。」p.188 サリエンスも生成モデルの関数で経験依存。

じつは、本当にやりたかったのは、「感覚的なサリエンスと情動的、動機的サリエンスが、同根であるもしくは相互に強化するような関係にある」という私の主張を補強できるような議論がないか探していたのだけど、だいたいが感覚的(視覚または触覚)の例に終始している模様。


nautil.usのウォルター・ピッツに関する記事を再読してた。McCulloch and Pitts 1943での万能チューリングマシンとしての脳モデルから、Lettvin et al 1959での検証でカエルの眼が脳に伝えるのはアナログな生態学的情報だった、と夢が敗れるという書き方。

この夢が破れるシーンは「栄光なき天才たち」でコミック化してほしい。ドラマチックにしすぎだけど、脳を入出力機械として描写すれば事足りるという考えが今でも残っているとしたら、それはウォルター・ピッツの絶望を十分理解できてないからかもしれない。(<-あ、自分で書いてて書き方が気に食わない)

ところでそのような絶望が本当にあったのだろうか? 事実として残っているのは、1959論文でのWalter Pittsによると思しきパラグラフでこういうところがある。

“In short, every point is seen in definite contexts. The character of these contexts, genetically built in, is the physiological synthetic a priori. The operations found in the frog make unlikely later processes in his system of the sort described by two of us earlier…but those were adduced for the sort of form recognition which the frog does not have. This work is an outgrowth of that earlier study which set the question.”

と、カエルはform recognitionの機能を持っていないので、もともと考えていた、低レベル特徴の組み合わせによるform recognitionという考えはrejectされていない、という立場にあるように思える。


「細胞の生物物理学」7章を読んだ。 系と環境の間で熱と粒子の両方とも行き来する状況(例: 蓋のないビーカーでの化学反応)がグランドカノニカル分布(ギブス分布)で、系と環境の間で熱だけが行き来する状況のカノニカル分布(ボルツマン分布)で、両者はルジャンドル変換で繋がっている。

  • グランドカノニカル分布は $p(E,N) = exp(-\beta(E-\mu N)) / 大分配関数\Xi$
  • カノニカル分布は $p(E) = exp(-\beta(E)) / 分配関数Z$

分配関数 $Z$ から自由エネルギー $F$ が計算できるけど、大分配関数 $\Xi$ からグランドポテンシャル $J$ を計算してルジャンドル変換でも $F$ が計算できる。「グランドカノニカル分布とその意味」

両者がexpの中身が $-\beta(E-\mu N)$ か $-\beta(E)$ かの違いだけど、それは「微視的状態の観点からすると、熱・粒子浴の明示的な扱いを省略して化学ポテンシャル $\mu$ にその役割を負わせているということ」(「細胞の生物物理学」p.309) なんかちょっとわかってきたかも。


新型コロナにしろインフルにしろ、ウイルス感染が「見えない」「感知できない」ということが問題なので、いい加減そろそろ人間も進化して、ウイルスを感知できる表現型が現れてきたりしないもんかね?

人間に限定して考えるのは違うか。カンブリア爆発で眼が急速に進化した話を念頭に置いているのだから、ウイルスと免疫系のイタチごっこの現状において、ウイルスの方策を無効化する方法を見つけた生き物が反映して、ウイルスは使いこなせる生物にとっては有用な武器となるとかそういうかんじ。

「ウォンバットよ、お前もか! 体が光る有袋類はまだまだたくさんいることが判明」 蛍光を使って我々の知らない視覚世界を生きているのか。やっぱコロナが見えるように俺らも進化すべきだな。(<-まだ言ってる)


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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