NCC(意識の神経相関)ってそもそもなんだったっけ?

先日担当した総研大の大学院講義(生理科学専門科目「認知と運動の脳科学」の「意識」の回)で、両眼視野闘争の研究の例などを上げながら、NCC(意識の神経相関)についての説明を行った。

その際にさいきん話題になった、神経科学におけるnecessityとsufficiencyという言葉の誤用を指摘したコメンタリ論文Journal of Neurogenetics 2018を読んで、KochのNCCの定義について整理してみた。

講義では時間が足りなくてかなり簡単に済ませてしまったので、ブログ記事としてちゃんとまとめておくことにしよう。(そして、うまくいけば次回の池上さんの駒場オムニバス講義でフルに展開してみよう。)


NCCの定義としてよく出てくるのはKoch C (2004)注1にある

  • The NCC constitute the minimal set of neuronal events and mechanisms sufficient for a specific conscious percept.
  • 意識に相関があるニューロン活動、NCCとは、「特定の現象としての意識状態を生じさせるのに充分な最小限の神経活動」である

というものだ注2

ここで大事なのは「充分sufficient」と「最小限minimal」であるということだ。ここでNCCの意味を理解するために、もっと基本的に、神経科学における神経活動と機能の関連について議論する、command neuronの概念について説明しておきたい。


たとえば、ザリガニの腹部の介在ニューロンを刺激すると逃避行動を引き起こすことができる(TINS1999の図1がわかりやすい)。これは介在ニューロンなので、筋肉を支配している運動ニューロンではなくてそれの上流にあるんだけど、このようなニューロンを見つけたWiersma and Ikeda 1964はこの介在ニューロンをその行動のコマンド・ニューロンと呼んだ(正確には神経細胞ではなく神経線維なので、コマンド線維と呼んでいる)。

コマンド・ニューロンの概念をさらに厳密に定義しようとしたのがBhavioural Brain Science論文(しかも第1巻、第1号の最初の記事!)に掲載されたKupfermann and Weiss 1978注3なんだけど、ここでは「必要条件」と「十分条件」がより明示的に書かれている。

... a command neuron be defined as a neuron that is both necessary and sufficient for the initiation of a given behavior. These criteria can by tested by:
  1. establishing the response pattern of the putative command neuron during presentation of a given stimulus and execution of a well specified behavior
  2. firing the neuron in its normal pattern and showing that the complete behavioral response occurs (sufficient condition)
  3. removing the neuron and showing that the response is no longer elicited by the stimulus (necessary condition)

(説明の都合上、元の文の2と3をひっくり返してあるので注意。)

ではこれをザリガニの例をとって図示してみる。


まず1)「相関correlation」として、そのコマンド・ニューロンの候補は、ある特定の機能と相関を持っている。つまり、ザリガニの尻尾に触れると、このputative command neuron(赤枠の丸)が活動して(オレンジ色)、逃避行動が起こる。ザリガニの尻尾に触れていないときは、このニューロンは活動していない(濃灰色)ので、逃避行動は起こらない。

(ほんとうはこの例では、このニューロンがtailへの触覚刺激(感覚入力)と相関しているのか、それとも逃避行動(行動としての出力)と相関しているのかを分ける必要がある。このため、tailへの刺激があったのに逃避行動が起こらなかったとき(信号検出理論での"miss")にこのコマンド・ニューロンが活動をしていないことを確認する手続きが必要になる。)

つぎに2)「充分sufficient」の条件として、局所的な電気刺激することでこのコマンド・ニューロンを活性化(赤枠、中オレンジの丸)してやれば、tailへの触覚刺激が無くても逃避行動が起きるかを検証する。

さらに3)「必要necessary」の条件として、局所的な抑制をすることでこのコマンド・ニューロンを抑制(赤枠、中濃灰色の丸)してやれば、tailへの触覚刺激があっても逃避行動が起こらないことを検証する。

このようにして、(原理的には)コマンド・ニューロンを同定することが可能だろうというものだ。実際にはこのような定義は厳密すぎる、実際的でない、といった議論がいろいろあったようだが、ともあれ定義としては明確だ。これを元にして、最初に上げたNCCに定義に戻ってみよう。


  • The NCC constitute the minimal set of neuronal events and mechanisms sufficient for a specific conscious percept.
  • 意識に相関があるニューロン活動、NCCとは、「特定の現象としての意識状態を生じさせるのに充分な最小限の神経活動」である

改めて見直してみると、ここには「充分sufficient」条件はあるけど、「必要necessary」条件がない。そして「充分sufficient」条件には「最小限minimal」という条件が加えられている。ではこれを同様に図示してみることにしよう。


まず1)「相関correlation」としてそのニューロン活動(NCC candidateと呼ぼう)は、ある特定の意識(内容)に相関を持っている。つまり、このNCC candidate(赤枠の丸)が活動するとき(オレンジ色)に特定の誰かの顔の経験が起こり、活動していないとき(濃灰色)にはこの特定の誰かの顔の経験が起こらない。経験と神経活動をつなぐ部分では因果関係は前提としていなくて、あくまで相関関係なので、点線で示しておく。

このようなニューロンを見つけるためには、その顔の提示(“presentation of a face”)だけでは足りない。あくまでも視覚刺激の提示そのものではなく、その顔が見えたという経験があったかどうか、に相関しているものを探す必要がある。これが両眼視野闘争のようなbistable perceptionが使われる理由だ。(この点でさきほどのコマンド・ニューロンの例と比べると、NCCでは、hit-missを比較するという考え方は必須のものとして捉えられている点に大きな違いがあるだろう。)

(ところで1の相関の条件は上の定義に入ってないじゃないかと言いたいところだが、Neural correlates of consciousnessという言葉がそれを前提としている。そういう意味ではNCCの定義としてこの文章だけがあるのは変だ。じつはNCCにはもっといろんな付帯条件があるのだが、それは後述する。)

つぎに2)「充分sufficient」ということで、局所的な(電気または磁気)刺激を想定している。顔を見せていない状況でも、このNCC candidateを活性化(赤枠、中オレンジの丸)してやれば、「ある人の顔を見る経験」を引き起こすことができるだろうということだ。しかしこのような刺激は空間的な広がり(オレンジの楕円)を持つため、NCC candidateではないニューロン(黒枠の丸)も刺激してしまい、「ある人の顔を見る経験」以外の別の効果(“other effects”)を起こす可能性がある。

そこで出てくる条件が3)「最小限minimal」ということで、NCC candidateだけを選択的に刺激することによってそれを実証することができるというわけだ。また、NCC candidateの上流や下流のニューロンを刺激しただけという可能性を排除することも必要となるだろう。

この3のような実験は昔は仮想的なものとしてしか考えられなかったが、現在は光遺伝学によって、(細胞種特異的なプロモーターを使うことで)特定のクラスのニューロンを選択的に刺激したり、抑制したりすることができるようになったことで、かなり現実的な話になってきている。


以上がKoch 2004によるNCCの定義のエッセンスだが、「充分sufficient」の条件はあるのに、「必要necessary」の条件がないのは変だと思わなかっただろうか? NCCについても、コマンド・ニューロンと同様に必要条件について考えるのが筋が通っているように思える。さらに「必要なミニマルなセット」も考えるとこのような図になる。


今度は先程の図の2)2’)とは逆に、ある特定の顔を提示していても、NCCを抑制することによって、その顔の経験が生じなくなる、という実験をすることになる。

じつはKoch 2004では「エッセンシャル・ノード」という表現で必要条件についての議論がある。これまでに上げたNCCの定義は簡潔版であって、より詳しいリストがKoch 2004の6章の表6.1注4にある。これを見てみよう。

[あるニューロン活動がある意識の側面や特徴をコードするNCC意識の側面や特徴をコードするであるとみなされるのに必要ないくつかの条件]
  1. 明示的な表現
    • コラム構造によって特徴を明示的に表現していなければならない
  2. エッセンシャル・ノード
    • NCCを含む脳部位が破壊されたり、不活性化されると、その意識の側面が意識されなくなる。
  3. 人工的な刺激
    • 適当な電気・磁気刺激をNCCに与えると、意識感覚が生じる。
  4. ニューロン活動と知覚の間の強い相関
    • 候補となっているニューロン活動は、その「活動」の開始時間、持続時間、そして強さにおいて、これらが「1試行ごと」の「感覚」の開始、持続時間や強さのバラつきとできるだけ一致し、相関していなければならない。
  5. 知覚の安定性
    • まばたきや眼球運動などには、普段我々は気づかないが、感覚入力としては重大な影響を与える。NCCはこれらの出来事に影響を受けてはならない。
  6. 計画を立てる脳部位への直接的なアクセス
    • NCCは、計画を立て、それを実行する部位に直接のシナプス投射を送っていなければならない。

相関、充分条件、必要条件、の3つはそれぞれこのリストの4,3,2に対応している。5は4の延長上にあると言えるだろう。1と6は新しい論点だが、ここではその話はしない。

エッセンシャル・ノードについては2章2節で言及されている。この言葉はSemir Zekiによるもので、脳損傷患者を対象にした研究から出てきたものだ。たとえば、紡錘状回の一部の損傷によって顔の知覚だけが選択的に(色や動きなどの知覚は影響を受けずに)失われる。これを「紡錘状回の一部は、顔の知覚にとってのエッセンシャル・ノードを含んでいる」と表現する。

そしてこのような研究からは損傷部位のニューロンのすべてが重要なのか、それとも興奮性ニューロンだけが重要なのか、といったことはわからない、とも書いている。「特定の意識に必要なminimal setの神経集団」(図3の3’)という概念に近いところまで来ているが、明示的にはそのような表現はしていないようだ。

あと、V1の損傷では特定の知覚(動き、色など)が失われるのではなく、すべての正常な視知覚が失われるので、V1は動きや色のエッセンシャル・ノードではない、と議論している。NCCの定義が意識の内容contentについてのものであることを考えると、この議論は正しい。しかし個人的な意見を言えば、「すべての正常な視知覚が失われる」んだったら、意識経験を成立させるのに重要なのってむしろV1の方なんじゃないの?って思うのだけど。


さて、NCCの定義についてもう一段階掘り下げて考えてみたい。


じつのところ、NCCとは「ある特定の顔の経験」に選択的な活動なので、そのとき顔を提示しているかどうかには依存しない。つまり眼の前にその顔があるのに見逃したとき(miss)のときはまったく活動しないのと同時に、なにもないのにその顔があるという経験をしたとき(false alarm)、つまり幻視ではつよく活動しなければならない。

これは2x2マトリクスで表現すれば右のような図になるだろう(NC = neural correlates)。この図を見るとわかるが、視覚提示は視覚経験の必要条件ではない。形式論理学における「必要条件」とは2x2のマトリクスで言えば包括関係にあるかどうかによって決まるので。この問題には後で戻ってくる。

さてこうして考えてみると、2)3)についても同じ条件を当てはめる必要があることに気がつく。つまり、局所刺激、局所抑制どちらにしても、それが視覚提示に対する効果ではなくて、視覚経験に対する効果であることを保証する必要がある。すると、こんなややこしいことになる:


ここでは3’)の必要かつ最小限、の条件について考えてみる。特定の顔の視覚提示があるかないかにかかわらず、その顔の経験があるときに、それに関わるニューロンだけを選択的に抑制してやる必要がある。このため、この図にあるような、視覚経験を元にしたフィードバック制御が必要になる。

さっきまでの話では視覚提示をしたときに抑制することを考えていたわけだけど、それでは抑制効果が視覚経験ではなくて、視覚提示を抑制した可能性が排除しきれない。よって、顔を提示してないのに顔を見た経験を持った(幻視 = false alarm)のときにすかさずそれをブロックしてやる、これがもっとも強力な証拠になるはずだ。

厳しい基準を設けすぎだろうか?では2’)の充分かつ最小限、の条件について考えてみよう。


こんどは顔を提示しているのに顔の経験がない(miss)のときにすかさずそれを活性化してやる、これがもっとも強力な証拠になる。こちらは両眼視野闘争だったら可能だろう。顔と家をそれぞれの眼に提示して、「いま家が見えている」と報告したタイミングで顔領域を刺激して顔経験を引き起こしてやればいいのだから。

そういうわけで、ややこしいことを考えてみたよってのがこの話の結論。ややこしすぎて講義のネタに使うには難しそうだが。

つづけてさらに話がややこしくなる。それは、そもそも「必要条件、充分条件」という考え方、言い方は形式論理の言葉を使っているけどそれは誤用だという問題があるからだ。これについては次回の記事でまとめることにする。


補足1: 上記のNCCの定義の文章にはじつは続きがあって、

「意識に相関があるニューロン活動、NCCとは、「特定の現象としての意識状態を生じさせるのに充分な最小限の神経活動」である(ただし、可能要因 enabling factor が満たされてなければならない。5章1節を参照)」(クリストフ・コッホ 『意識の探求―神経科学からのアプローチ』 土谷尚嗣、金井良太訳 岩波書店, 2006年, 19章 p.557)

と書かれている。では5章1節にはなにが書いてあるかというと、ある特有の意識経験に対応するNCCとは別に、意識を可能とする要因をNCCeと呼ぶ、としている。それはある特有の意識経験そのものには対応していない、覚醒状態を支えるものだ。たとえばノルアドレナリンはNCCeではないが、アセチルコリンはNCCeのひとつであるとしている。つまり、表6.1とはべつに条件が足されていて、なんだかとっちらかってるなあという印象を受ける。


補足2: じつのところ、いままでの話はKoch 2004でのNCCについての話であって、その後でKochはTononiと組んで、情報統合理論の立場からNCCを見直すということをやっている。でもこれをよんでみたところ、NCCの定義自体には変更がない。

p.253の"the idea that the NCC of a given conscious experience are given by active neurons bound by synchrony discounts the importance of inactive ones"ここはいいことを言っていると思う。おばあさんニューロンが活動するときに非おばあさんニューロンが活動していないことこそが、選択性を作り、情報を作っていることがここでは明確になっていて、IIT的であると言える。


注、参考文献など

  • 注1: Koch C (2004) The Quest for Consciousness: A Neurobiological Approach. Roberts, Denver, CO. p.304
  • 注2: NCCという言葉自体の初出はおそらく Crick F. and Koch C. (1990) Towards a neurobiological theory of consciousness. Seminars in Neuroscience Vol. 2, 263–275.
  • 注3: Kupfermann, I., & Weiss, K.R. (1978). The command neuron concept. Behavioral and Brain Sciences, 1, 3–39.
  • 注4: クリストフ・コッホ 『意識の探求―神経科学からのアプローチ』 土谷尚嗣、金井良太訳 岩波書店, 2006年, 6章 p.218

さうしてこのごろ201602

冬の自転車での帰り道は、ライトを灯けなければならない。持ってるライトは点滅することで電池の保ちを良くしている。暗い時間は長いはずなのだが、明るいときの残像で長時間道を照らしているように錯覚するのだ。ではなぜ暗闇の残像は持続しないのだろうか?暗闇の速さはどれくらい?(<-チガウ)

次男が代休の日用にコナンのDVDをツタヤに借りに行ったら、暗殺教室の映画版のポスターが貼ってあって、それを見ながら次男が「この黄色いのが悪者でしょ」と言うので、いやそのように見えるけど実はこいつはと微ネタバレかましつつ擁護しておいたが、ぶっちゃけ次男はどうでもよさそうだった。

暗いところからいきなり明るいところに出たときの「眩しい」って感覚、あれってなんなんだろう?痛み?苦しみ?気持ちの良いことではないのは確かだけど、痛覚を刺激されてるとかそういうのではない。杆体中心の活動から錐体の活動に移行することがなぜつらい?

我々は空を見ていても無意識的に太陽を直視するのを避けていると思うので、それとも関係してるかも。先天性無痛症の人が舌をかんだり骨折をしたりすることを考えると、そういう無意識の体の位置の誘導というのは見えてないけどかなりあるのだろう。


「シンギュラリティ 人工知能から超知能へ」訳者あとがき「抽象化の能力は反省(reflection)という、事象を再帰的に検証する行為を通して論理的な手続きを構築することを可能にしている。これは人間のような複雑な神経ネットワークを持たない前・反省的(pre-reflective)な生物にはない特徴である。」URL

  • ここで参照しているJCSの記事のPDF

  • さらに(スワンプマンの)デビッドソンによる"Rational animals"のPDF

Z会を「ツェット会」と読むと秘密結社度が上がってたいへん良い。ベルク・カッツェ(Bergkatze)くらい良い。

ミニオンズのCM見てて「これってスポンジボブ?」って聞いたら次男にめちゃバカにされた。

「茶の間の超能力者たち…野口選手がラストスパートをかけた頃からどんどん跳ね上がって、ゴール時点での瞬間視聴率は29.2%に達したそうです。これって不思議だと思いませんか?」これは進化の説明に使えるナイスな事例。メモっておく。

「カニは食ってもガニ食うな」の「ガニ」って音が好き。ローラン・ガルニエの「ガルニエ」よりも好きなくらい。


「ダダイズム100周年 全てを疑問視した芸術運動」ダダイズムなんて言葉久しぶりに聞いた。私がこの言葉を知ったのは多くの人と同様、中原中也からで、「タバコとマントの恋」とかの作風には強烈な影響を受けた。

それは中学生の頃で、そこからシュルレアリスムを発見し、「溶ける魚」を愛読し、そのあとでサイケデリック・ミュージックに触れ、そしてザッパを知ったのであった。(<-なぜかである調に)


私の父親は75歳を越えてから経営していた町工場(「(株)ヨシダニット」)の規模も縮小して仕事を減らしているのだけど、それでも年末には仕事がたくさん入って、休み前に終わらせるのが大変だったと言う。この歳でまだ仕事を持ってくるクライアントがい続けるってすげえことだなとあらためて思う。


「王様・軍人・学者・職人」って区分の話が好きなんだけど、あれは占いみたいに使うものではなくって、誰もが持っている欲求を明確にして、どうそれを割り振るかということを考えるのに役立つ。

たとえば研究者は「学者」的欲求だけでやっているかというとそうでもない。「日々の発見でのアハ体験や、研究をまとめ上げbig pictureを組み立てる喜び」みたいな「学者」的欲求は研究者の生活においてはほんの一部であって、「論文通すために査読というバトルパートで完勝するとか、大きいグラントを取ってくる」といった「軍人」的欲求も不可欠だし、そのためには「揺るぎないデータを得るための実験手法の開発のためのこだわりとプライド」といった「職人」的欲求に支えられる必要があるし、「PI/ラボマネとして個々のメンバーが幸せでアクティブなラボを作りたい」といった「王様」的欲求がなければ研究はスケールしないだろう。

翻って自分はどうかというと、いまここで晒すわけにはいかないのだが、だれもがそれぞれに違ったバランスでこの人生というゲームに取り組んでいるんだろう、とかそういうことを考えたり、考えなかったりする。


ウィキペってみたら、ジョージ・オーウェルはイートン校卒で、30代は「パリ・ロンドン放浪記」「カタロニア讃歌」とかのルポライターで、42歳で「動物農場」でブレークして、結核を患いながら45歳で「1989」を書いて、46歳で死去とのこと。


「意識研究ネットワーク」の年会(CoRN2019)を1月に岡崎で開催します

こんど1月に岡崎で意識研究に関する国際シンポジウムを開催します。参加申し込み、ポスター発表申し込みを受付中です。ぜひご参加ください。情報は以下の通り。各分野のMLに流しているのと同じ文章です。このブログではもう少しシンポジウムの狙いなどについて書いてみましょう。

Consciousness Research Networkは、意識研究のアジア・パシフィック地域での共同研究推進のネットワークづくりをめざして活動をはじめました。WebサイトでAdvisory Boardのメンバーを見てもらうとわかりますが、だいたい国際意識学会(Association for Scientific Study of Consciousness, ASSC)に関わっている人が多いです。しかし、ASSCおよびツーソンとは異なる第3の極となることを目指して、まずはアジア・パシフィック地域でのネットワークづくりをしているという状態です。

昨年第一回の年会を台北にある国立陽明大学で行いましたが、講演者19人、参加者100名以上という盛況な会となりました。第二回の年会はこの日本で、このわたし吉田がlocal organizerを行うということになりまして、アラヤの金井良太さんと相談しながら、そして途中からは名古屋外大の佐藤亮司さんにも加わっていただいてプログラムを作成してきました。

本年会の特色は「討論セッションとそれに先立つチュートリアルセッション」の時間を設けた点です。昨年の神経科学大会後のサテライトシンポジウムでBeyond NCCで4つのお題について議論する、というものだったのですが大変盛り上がりました。盛り上がりすぎてけっきょく3つしか終わらなかったっていう。これの発展形を今回加えたいと思ったというわけです。

テーマに関してですが、私のこだわりで、科学者と哲学者がもっと会話できるようにしたいということから討論セッション#1のテーマは「意識研究のために哲学者と科学者はどのように協力すればよいのだろうか?」、討論セッション#2のテーマは「意識研究において理論的なアプローチは必要だろうか?」というものにしました。

討論セッションのテーマを考えるにあたって、はじめに持っていたイメージは「科学を語るとはどういうことか —科学者、哲学者にモノ申す」だったんだけど、そんでもって討論セッション#1のテーマは「意識研究のためには哲学なんて要らないんじゃないの?」「意識研究のためには科学なんて要らないんじゃないの?」みたいな荒れそうな感じを考えてました。でも荒れるだけだと相互理解が深まらない。そこで議論をする人には前提知識を共有しておいてもらいたい、そう考えて、チュートリアルセッション#1では「心の哲学と意識のハードプロブレム」について哲学者(東大のJohn O’Deaさん)にレクチャーしてもらって、参加者はそれを同じ日の午前に聞いておく、というふうにしたというわけです。

討論セッションではパネリストの方に5-10分程度話題提供をしてもらって、そこから議論を始めるということにしています。討論セッション#1のパネリストの一人は東海大学の田中彰吾さんが確定してます。田中彰吾さんはリハビリテーションの現場などで哲学者として関わってきた方ですので、どのように哲学側から寄与できるかお話いただけることでしょう。もうひとりのパネリストを探しているところなのですが、科学者側から語れる人がいいですね。自分がやりたいという人は吉田まで連絡ください。

もうひとつの討論セッション#2としては、Beyond NCCのときに盛り上がった(紛糾した)情報統合理論IITについてもう一度、海外の人も含めた上で議論したいと考えました。ただし、あのときの議論を考えると、情報統合理論IIT自体の理論構成の細部に立ち入って議論するよりは、より一般性の高い問題、つまり「意識の理論というものはありうるのか、あるとしたらどういう形になりうるのか」ということこそが議論するべきところではないかと思いました。パネリストとしては科学者側がアラヤの金井良太さん、哲学者側が広島大学の宮園健吾さんに話題提供と問題提起をしていただけることになってます。討論セッション#2に先立つチュートリアルセッション#2では、そのような理論的アプローチのひとつとして、大泉匡史さんに意識の統合情報理論についてレクチャーを行っていただきます。

今回のシンポジウムの裏テーマは科学者と哲学者の対話となっています。ひとつの理由はConsciousness Research Networkの前回参加者が日本はほとんどが科学者で、台湾、中国はほとんど哲学者だったということがあって、国際共同研究を促進する際には科学者と哲学者との対話がそもそも必要だろうと考えたというのがあります。

もう一つの理由としては、私がASSC15(2011年に京都で開催、代表は松沢哲郎先生)でプログラム委員をやっていたときの印象ですが、私自身が科学者ということもあって、日本国内の哲学者に十分リーチできていない、十分議論できる機会を持てていないというものがありました。今回はそこをなんとかしたい、ということでそれ以降にできた繋がり、とくに北海道大学の田口茂さん、名古屋外大の佐藤亮司さんを通して意識研究に関連性のある哲学者に声をかけていった次第です。

さあどうでしょう?討論セッションもチュートリアルも面白くなるんではないでしょうか?討論セッションが盛り上がるかどうかは参加者しだいですので、ぜひナイスなツッコミができる方の参加をお待ちしております。岡崎でお会いしましょう!

ポスターセッションもやります。ぜひ演題出してください。意識研究そのものでなくても大丈夫。将来意識研究をしたい人が自己紹介するつもりでいまやってることを持ってきてくれればよいです。こちらもぜひよろしく。


  • 日時: 平成31年1月23日(水)13時 ~ 25日(金)18時
  • 会場: 岡崎コンファレンスセンター(名鉄東岡崎駅より徒歩10分)
  • 参加費:無料
  • 研究会webサイト:https://www.conresnet.org/
  • 基調講演:
    • 北澤 茂 (大阪大学)
  • 一般講演:
    • Qiufang Fu (Chinese Academy of Science, China)
    • 本城 咲季子 (筑波大学)
    • Po-Jang (Brown) Hsieh (Duke-NUS Medical School, Singapore)
    • Hakwan Lau (UCLA, USA, University of Hong Kong, HK)
    • Ying-Tung Lin (National Yang-Ming University, Taiwan)
    • 田口 茂 (北海道大学)
    • Lu Teng (NYU Shanghai, China)
    • 渡辺 正峰 (東京大学、マックスプランク研究所)
  • 討論セッション
    • #1 “How to collaborate philosophy and science for consciousness research?”
      • パネリスト: 田中 彰吾 (東海大学) + TBA
    • #2 “Theoretical approaches to consciousness research: Is it necessary? Is it possible?”
      • パネリスト: 金井 良太 (株式会社アラヤ) + 宮園 健吾 (広島大学)
  • チュートリアルセッション
    • #1 “Introduction to philosophy of mind and the hard problem of consciousness” by John O’Dea (Univ Tokyo)
    • #2 “Introduction to integrated information theory (IIT)” by 大泉 匡史 (株式会社アラヤ)
  • オーガナイザー:
    • 金井 良太 (株式会社アラヤ)
    • Ying-Tung Lin (National Yang-Ming University, Taiwan)
    • 南部 篤 (生理学研究所)
    • 佐藤 亮司 (名古屋外国語大学)
    • 吉田 正俊 (生理学研究所)

参加費無料。参加登録、ポスター申し込み受付中。

くわしくは研究会webサイトから:https://www.conresnet.org/


さうしてこのごろ201601

今日は昼から実家に弟一家も集結して11人で乾杯。近くの公園でサッカーボールで遊んだり、8人でババ抜きしたり。あと初めて「4人制スピード」をやってみた。試行錯誤の結果、参加者は4人で場のカードは2枚でやるのがちょうどよいことが判明。場のカードが4枚だと一発で終わってしまう。

あと、参加者が5人だと接触プレーが多すぎて危険。

あと、場にプレーヤーの手札が重なりまくって正しく手札が置けてないという問題が発生するので、レフェリーをひとり置いて訂正をさせると、プレイを止めなくて済むので良いということもわかった。横で見ている方が面白いってのもあるので。

あともう一つのポイントはトランプは2セット使って、ジョーカーは除いておくとよい。(<-マニュアルみたいになってきた)


Tychoが気に入ってこういう音(リヴァーブかけまくり+シンセパッドでもやもやの音像)の作リ方調べていたら、Chillwaveというキーワードを発見した。それでwashed outとかToro Y Moiとかを知った。ジャンル分けもこういうときには役に立つ。

私自身はシューゲでサイケな方が好きなのだけど、いわゆるChillwave、たとえばWashed outはもうちょっと80年代ディスコサウンド的な要素が入るようで、あまり趣味ではないのだけれども、聴いてれば慣れるかもしれない。

60年代サイケからChillwaveへの系譜という意味では、ソフトサイケのGundalfでのヴォーカルにリヴァーブかけまくりの音とかは近いんではないかと思った。そういう見方で聴いてみると昔の音だからスッカスカではあるけど。


正月も終了してしまったけれども、この時期になると想い出すのは「スカスカおせち」と「サンタクロースミュージックFES」だ。なんでこんなに気になるのかはわからないが、いまでもあれはけっきょくどうなったのだろうと気になる。

今日は次男を連れて吉良町の屋内プール(ホワイトウェーブ21)へ。年始だからかガラ空き。流れるプールで前後5mに人がいない!というわけで3時間みっちり次男と遊んできた。家に帰ってすぐに爆睡したけど、これからまたさっさと寝る。レジリエンスを涵養中。(<-テキトー)

昨日ひさびさに(たぶん10年ぶりくらいに)Space OddityをiTunesで聴いたところだったので、訃報には驚いた。この偶然に意味を見出したいところだが、ぶっちゃけ偶然。

やれやれみたいなポーズで「負けそ。」って言いながらドヤ顔でカメラ目線で、お茶の間の笑い声が重ねられる、っていう記憶の断片があって、多分昔の海外のコメディードラマなんだろうけど、わからん。たぶんこのエピソード記憶を支えていた細胞は3個くらいしかなかったんだろう。


以前は東岡崎駅前で夜9時以降営業している飲食店といえばココイチしかなかった。でも昼に行くと家帰ったときに奥さんに外食したのが臭いでバレるので次第に行かなくなった。ここ数年では、カレー欲が高まったときはステーキガストの日替わり定食のカレー食べ放題を利用する。味にこだわりは無い。

そうしたら、学食とかふつうのカレー屋とかであるような、ルーとご飯の比率を考えながら食べる必要がなくなって、ルー2:ご飯1 (通常の比率と比べて) くらいでいけるようになって幸せになった。ルーの味よりも、ルーの比率が低いことのほうが俺を不幸にしていることがわかったので、最近は学食の380円カレーでも、ルー比の高い状態でカレーを食って、余ったご飯は残すという方法を編み出した。これで人生の幸せが二倍になった。

Matthew Sweetの"Girlfriend"のドラムが好きなんで、アウトロのブレーク後のドラムだけのところをDAWで切り出して、ループにして120bpmを100bpmに下げてベースとエレピ入れたら、Fatboy Slimみたいなビッグビートになったのでなるほどと納得した。

「ぶももも」みたいな擬音ってなんだったかと思案していたが、「できんボーイ」(田村信)の「ずもも」のことだったようだ。Kindleで1巻読んで確認してみた。少なくともこの擬音のセンスは私の心の奥底に埋め込まれているのは確かだ。


さうしてこのごろ201512

うちの次男が「安心して下さい、穿いてますよ」をわざわざ実演して説明してくれるのがウザいながらも愛おしい。

「49%の職業が機械や人工知能によって代替することが可能」のニュースを見ながら長男と「ベーシックインカム」とか「蔓延する自己責任論」とかそういうことについて語った。

昨日は長女が英語のリスニングの勉強の仕方を知りたいと言っていたので、ESLPodcastを薦めたがまだ難しそうで、洋楽の歌詞カード読んで歌えるようにすればというのが長男との結論だった。


「藤田嗣治、全所蔵作品展示」に行って戦争画見てきた。これはすげー。玉砕の美化かつ戦争の悲惨さだった。縮小サイズで見てたら折り重なる人々と暗い色調に目が行くのだけど、 実物で見たら日本刀の威力が強くて、敵とともに互いに喉元を押さえあって刀を突き立てるというモチーフがいちばん心に来た。

実際の戦争はこんな肉弾戦ではなくって、兵站の軽視による餓死と病死だったことを知っている我々にとってはこれは見てきたようなウソなのだけれども、でもそういうのを超えたものに圧倒された。そういう何重にも読み取れるものがここには入っていて、これを見て「玉砕の美化、戦争協力、イクナイ!」と言うわけにもいかないし、「戦争の悲惨さを訴えた名作」というのも正しくない、ということを実物を見て感じて帰ってきた。

補足すると、敵も見方もわからないような入り混じった状態で(顔はどちらも迷彩のため赤茶色に描かれている)、唯一それを知る鍵が日本刀を握っているかになっているということ。西洋画の意匠の借用が多いもの(「神兵の救出…」「ソロモン海域…」とか)よりもただただ暗く塗られたものが良かった。

その一連の作品で一番いいと思ったのは「ブキテマの夜戦」というやつで、これはもはや肉弾戦をしているところは山の端に見える細い赤色で暗示されているだけで、前面は打ち捨てられた野営所か何かで、暗い画面をよく見ると3人くらい死者が横たわっているというもの。これには心が震えた。

これは1944年、最後の最後のあたりの作品なので、どう解釈しても戦争賛美を読み取ることができない。戦争協力側に入りながら、大衆の支持を集めたことで、軍部の怒りを買ってもおかしくないような相当きっついところを攻めている作品のように思えた。


MogwaiのTravel Is Dangerousがロシアの潜水艦クルスクの沈没をテーマにしていると読んで、アウトロの音の意味が理解できてしまった。あと歌詞の聞き取りが英米人でもめちゃめちゃだということが分かって拍子抜けした。

Sing, Singじゃあおかしいもんな。Sink, Sinkだ。「沈む、沈む、母国によって溺れさせられ。この古いマシンは呪われ、忘れられ、二度と浮上することなく。」こうなのだな。


今日の午前は実家で今日の午後のプレゼン資料づくり。両親が仕事をしながらかけているAMラジオから「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が流れてきて、思っていたよりもバッキングがかっこよくてシビレた。

世間ではスター・ウォーズが盛り上がっているけど、告白してしまえば全く見たことがない。つか80年代辺りの洋画を全く見てないことに気がついた。E.T.、バック・トゥ・ザ・フューチャー、トップガン、シュワルツェネッガー出演作、スタローン出演作、ダイ・ハード、エイリアン、ジョーズ、ゴーストバスターズ、ロボコップ、インディ・ジョーンズ、マッドマックス。これは教養に欠けるという意味で恥じるべきなんだけど、なぜか全く興味が無い。ってここまでピックアップしてみて気づいたけど、アクション映画を見るという習慣が(レンタルですら)無いということか。

なんか70年代後半のギャグマンガで「ぶももも」みたいな擬音があったよなと思って調べてみたが見つからない。代わりに「ぶももベーカリー」という名のパン屋を見つけた。香椎神宮駅前だそうな。俺の人生と交錯してまた去っていった。


ついにサンタクロースの正体を知ってしまった次男のために自転車を買いに帰宅ラッシュの国道248号線を行ったり来たり。日、水、木と三回目でやっと買えた。次男も満足、私も満足。よいクリスマスイブとなった。

長女が「サンタクロースは本当はいるんだけどその正体を疑ったがゆえに来てくれなくなったので、代わりにパパとママがプレゼントを買ってくれるんだよ」という論理を展開したが、次男は聞いちゃいねえ。


「けれどもかれらの存在は彼らにとって無限であり、意識の枠がなく、おのが状態に向ける眼をもたないそれはかなたへ注がれているかれらの眼差に等しく純粋なのだ。かれらが未来をみるとき、かれらはいっさいを見る。そしていっさいのうちに自己を、永遠にまったき存在である自己を見ているのだ。」

「けれど動物も、その身はつねに警戒にほてり、かれらのなかには大きい優秀をはらんだ重さと不安がひそんでいる。つまりかれらにも常にまつわりついているものがある、それはわれわれをしばしば圧倒するもの、ーーー思い出だ。」(第八の悲歌)

ここで「思い出」と言っている部分の原語はErinnerungなのでこれはふつうにmemory一般を指していて、recollectionとかそういった含意はないようだ。

ここでいう「開かれ」(das Offene)ってのが「行為的連関のモード」にあり続ける動物であり、反対向きに(内向きに)死の恐れを見るのが表象によってできた「反省的試行のモード」の世界であり、(フッサール)現象学ってのはそういう開かれ(直接的な経験)への志向っていう俗っぽいご利益があるってことなんではないだろうか。

第8悲歌で動物にもErinnerungがある、ということを書いてあって、これはふつうにmemory一般と理解していたが、「経験の構造」を読んでたら「『受動的総合の分析』における『想起(Erinnerung)』の理論」という記述が出てきた。


家族と一緒に食卓を囲む日常を過ごしていて、当たり前のようでいてこれ以上なく幸せなことだなと思う。正直今日は悪いニュースもあったけど、そんなの吹き飛ぶくらい、毎日が幸せだ。(<-涙目)


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  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
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