駒場講義2018「意識の神経科学と自由エネルギー原理」準備中

東大駒場の池上高志さん(大学院総合文化研究科 広域システム科学系)から依頼を受けて、例年6月あたりに大学院のオムニバス講義を一回担当しているのだけど、今年度も日程が決まった。

  • 人間情報学VI
  • 6/20(水) 13:00-16:40
  • 駒場15号館1階104講義室
  • 吉田正俊「意識の神経科学と自由エネルギー原理」

例年通り準備状況をブログにアップロードしてゆく予定。これまではこんなかんじ:

さて今年度はどんな構成で行こうか。これまで数年の構成は、前半が「視覚失認、盲視、サリエンシー」で、後半が「自由エネルギー原理、統合失調症」だった。

でも自由エネルギー原理パートも統合失調症パートも、二倍の時間をかけてじっくり丁寧に説明するほうが参加者にとって有益なんではないかと考えてる。盲視を外すのは不安だけど。

そういうわけで今年度の講義では、話す内容を統合失調症と自由エネルギー原理に絞ってみようと思う。

前半に統合失調症の前駆期の意識経験(中井久夫)、異常サリエンス仮説(Kapur)、自己の障害、随伴発射、コンパレーター仮説(Frith)まで説明して、後半に自由エネルギー原理について昨年12月に國吉研で行ったオムニバス講義で使った題材を元に説明した上で、統合失調症のベイズ的説明(Adams)で閉じる、という方針で考えてる。

いま書いている総説でsensorimotor contingencyについてはもっと丁寧な説明を作ることができそう。導入部分に関してはいつも逆転スペクトルとaccess / phenomenal consciousnessなので、これは刷新したい。先日の新川拓哉さんの話を参考にして、意識の理論のおおまかな地図作成を作ってみるというのがいいかも。でもこれは時間がかかるから(もしあるなら)来年度以降で。

アウトラインとしては以下のかんじ。

[Part 1]

1-1. 意識を科学的に研究するってどういうこと?

  • 「意識は定義できないから科学の対象にならない」というのは正しくないよ!
  • 「意識」という言葉で指している対象が共有できていれば充分。
  • 「意識のハードプロブレム」という問題群があるよ!
  • 意識を科学的に解明するためには「意識を科学的に理解する仕方」そのものを拡張してゆく必要があるよ!
  • そのようなアプローチとして意識経験自体の構造とか変容に注目する神経現象学があるよ!
  • そこで今日は意識経験自体の構造とか変容に注目して、統合失調症とその理論について紹介するよ!

1-2. 統合失調症(1)

  • 統合失調症は発達の段階から前駆期を経て発症に至る過程をたどることがわかってるよ!
  • 統合失調症では自己、世界に対する意識経験の変容が起きているよ!
  • 統合失調症での妄想、幻覚はサリエンスの経験の変容で説明できるよ!
  • 統合失調症での視線の変容は視覚サリエンスの変容で説明できるよ!
  • 統合失調症での自己の変容は予測誤差に基づいて説明することができるよ!
  • ところで予測誤差の概念は随伴発射という概念で昔から提唱されてきたよ!
  • 統合失調症で予測誤差がうまく計算できていないというデータがいろいろあるよ!
  • 統合失調症では世界と自己の関係が変容しているという説があるよ!
  • 世界と自己の関係は主体性と現実感の予測誤差モデルで説明できるよ!
  • 統合失調症での世界と自己の関係の変容はサリエンスネットワークの変容で説明できるよ!

[Part 2]

2-1. アクティブビジョンと自由エネルギー原理

  • 意識は受け身の反応ではなくて環境への働きかけで成立するという考え方があるよ!
  • 同じ考え方はフッサール現象学にもあるよ!
  • 脳が仮説を作ってそれを検証することで知覚を構成するという説(無意識的推論)があるよ!
  • 無意識的推論は「予想コーディング」としてモデル化できるよ!
  • 予測コーディングを脳でやるならトップダウンとボトムアップの相互作用になるよ!
  • 予測コーディングを知覚だけでなく行動に拡張したものがactive inferenceだよ!
  • 知覚、行動、注意、価値、みんな自由エネルギー最小化で説明できるって!
  • 自由エネルギー原理 (or予測処理)で意識も説明できるって!

2-2. 統合失調症(2)

  • 統合失調症で起きていることが自由エネルギー原理で説明できるよ!
  • サリエンスという概念は自由エネルギー原理での予測誤差とほぼ同じだよ!
  • ということは統合失調症のサリエンス説と自由エネルギー原理説は同じことを言ってるんじゃね?
  • 統合失調症の動物モデルもこのような観点から見直すべきでない?
  • 自由エネルギー原理を用いて脳を理解するためには充分な解像度の脳活動データと介入が必要でしょ!
  • だから行動中の動物での他ニューロンカルシウムイメージングと光遺伝学による介入が必要になるよ!
  • いまうちでそういうこと始めているから大学院生募集してるよ!

口調はウザイがだいたい合ってる。これが講義で話したいことのエッセンス。

ひきつづきハンドアウトとスライドもアップロードしてゆく予定なので、乞うご期待。


マニフェスト20180311

「人生何者にもなれなかった、けど」という記事を見た。この記事自体はどうでもいい。でも恥ずかしながら告白すると、私もいい歳して「何者にもなれなかった」みたいな気持ちを持つことはある。ただその表現では正確でないので、もうすこし言葉を費やしてみる。

私は薬学部に入って研究者としての訓練を始める前から、ベイトソンみたいな、ヴァレラみたいな、領域を自由に動き回る教養人になりたかった。偉い先生になって教え子から尊敬を集めたかったのでもないし、本を書いて文化人として扱われたかったわけでもなかった。

大学院に入った私は、ベイトソンみたいにやるためには、清水博が実践したみたいに(注1)PIになって自分の陣地を作ってから己の道へ進めるという戦略がよいのではないかと考えて、神経生理学者としてPIになることを目指した(注2)。

でも出世ルートから外れて年老いてしまい、どうやら計画は「まずPIになる」という段階で頓挫したようだ。それならば代替策はと、「高等遊民になりたい」と冗談めかして書いてきたのだけれども、それは「なろうと思えばいつでもなれる、仕事と家族を捨てればなorz」っていう苦しい思いを裏に貼り付けた上での発言だったのだ。

だから「高等遊民」になりたい、という表現も正確ではない。私は好事家や「プロのお客さん」(by 大槻ケンヂ)になりたいわけではない。ベイトソンみたいに、生きること、心を持つこと、優美であること、尊いこと、それらを「結びつけるパターン」を見つけ出すような生産的な活動をしたいのだ。私はいまでもこの目標に向かって進んでいるつもりだし、その意味では諦めているわけではない。

生きていることと心を持つことを繋げるような、なんだか分からない枠組みに向かうことは、ひとことで言うならばそれは「意識研究」だと思うので、自分のライフワークは「意識の解明です」と説明してきた。

でもそのように説明すると、心の現象のほんの一部である意識だけを研究したいのかと誤解されることがある。そうではなくて、(現象学的に言えば)心の構造が、「注意を向けられ、意識化されたもの」を氷山の一角に、「非主題的な意識」があり、それをさらにたくさんの「無意識」が取り囲んだ地平としてなりたつ仕組みをこそ知りたい。そもそもわたしは盲視という無意識の知覚を研究してきたのだから。

それをあらためて表現しなおせば、ベイトソンが言った「結びつけるバターン」であり、そういった、なんだか得体の知れないものに取り組みたいというのが私の行動原理になっている。

でもそのために自分が持っている道具はあまりに少なすぎて、道具を揃えているあいだに人生の大半が終わってしまいそうだ。「永遠に生きるように学び、明日死ぬように生きる」これは正しい考え方だと思うけど、「永遠に生きるように学ぶが、明日死んでも悔いはない」というやり方にしか自分にはできないなと思う。

そういうわけで、いまの自分にとって「何者かになる」とかそういうこと自体はどうでもよいことなのだけど、研究の道に進む際にひそかに立てた目標からどんどん遅れていっていることに焦りを感じている、というのが正確なところだろうか。


ここまで書いてこの原稿は放置していた。公開するにしてはちょっとぶっちゃけ過ぎているかと思ったので。以前信頼できる友人から、ジョブ探しの際にはwebサイトの内容に極力気をつけた方が良い、とアドバイスをもらったことがある。まったくそのとおりだなと思って、精神状態が悪いときに書いたものはほぼ非公開にした。あと自分の文章作成の方針として、原稿(Twitter含む)を見直してみて、自己憐憫や自己欺瞞や自己正当化や愚痴が含まれていることに気づいたら即削除するようにしてきた。

このような自己ルールの帰結として、このブログは研究に関わる告知や報告が大半を占めるようになって、風野春樹氏のウェブ日記にある「銀河通信」の感覚はまったく失われてしまった。

でも昨年末に祖母と叔父と父親がたて続けに亡くなり、親しくしていた研究者たちが若くして亡くなるのに遭遇して、自分の人生について振り返る時間が多くなった。偶然だが今日は3月11日だ。すくなくとも今回は、自分はどう生きるのか、それを語って消さずに残しておこうと思う。この文章には自己憐憫や自己欺瞞や自己正当化や愚痴が明らかに含まれている。それを完全に脱臭できたらよかったのだけど、自分がどう生きるかを書くにはそれは避けられないことなのかもしれないよ。自己正当化だけど。

注1: 清水博氏が1970年に九州大学の教授になったときはあくまで生物物理(自己組織化現象の物理)の枠内での仕事をしていた。「情報の創造」(場とかホロンの概念)を目指してラボの方針を転換したのは1976年に東大薬学部に移って以降の話。この経緯については氏の「生命と場所」のあとがきに書かれている。

注2: いまでもエリック・ホッファー的な「在野の研究者」の可能性についてよく考える。それをおおっぴらにするわけにはいかないのだが。


わたモテが12巻まできて最高潮に面白くなってた

以前コミック「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」(わたモテ)についてブログの記事を書いたことがある。そのときは主人公のぼっち描写と社交不安障害(SAD)についての論考から興味をいだいて5巻まで読んだけど、主人公の空気系ぼっちだが肥大化した自意識でやらかした失敗談をギャグとして読ませるという構造に、読んでる側の共感的羞恥がきつくて中断してた。

でもここ最近になって「尊い」連発の熱い記事を何回か見かけたので、再開して11巻まで読み進めてみたら、すごく面白くなってる。主人公の下品でクズなキャラはそのままに、周りの人間模様が複雑化して話が動いている。

それでいよいよ12巻出たので発売日に購入して読んでみたが、予想以上に素晴らしかった。1-7巻くらいまでの「陰キャぼっちあるあるネタ」から8巻の修学旅行編以降では「青春群像劇」へと展開していたのだけど、12巻ではそれが最高潮に面白くなっている。でもこの変化は路線変更というよりは主人公の成長物語におけるひとつながりの流れであると捉えられる。

作品初期の主人公の目を通したクラスメイトの描写は、見下す対象でありモブキャラにすぎないあっさりとしたもので、名前すらも与えられていなかったのだけど、いまではみなそれぞれに人間味を持ち、それぞれの機微も併せて描かれるようになった。

それは主人公が「クラスのリア充ども」といっしょくたに見ていたところから「あいつらもけっこう大変なんだな」みたいな認識を経て、ひとりひとりを個別の人間として扱い、扱われることで、世界が明確に輪郭を持ってゆく過程を反映しているように読める。

これが1巻から6年かけて計画的に構築されたものなのかといったらたぶんそうではないだろうけど、でも結果として1−7巻が周到な伏線としてはたらいている。たとえば2年生の始業式での自己紹介でウケを取ろうとしてコケたことが伏線となって、2年の終業式の打ち上げで話題となったり、3年生の始業式での自己紹介へのネタ振りになっている。

一方でこのような変化は(主人公の内面の変化に対応しているだけではなく)中学生から高校生に成長していく段階で、いじめが子供じみたものであることが共有されて、学生生活の娯楽としてのいじめがなくなってゆくタイミングとも合致しているだろう。Web版最新の喪128以降でのキバ子はその流れに乗り遅れて、キョロ充としてのカッコ悪さが露呈したところが描写されている。(わたモテの主人公はあくまで空気系ぼっちであり、明確ないじめの対象ではないけど。)

そういうわけで、今後も展開から目が離せない。アマゾンのレビューも現在星5が96%と絶賛状態だし、売り上げも上がるんではないだろうか。いっそのことアニメ2期来ないかね!卒業式で完結するとしてコミック出版まであと2年くらいはかかるだろうからタイミングは悪くないと思うんだけど。


「平衡電位になっても細胞内Kイオン濃度は減らない」って話

以前のブログ記事「静止膜電位はどうやってできるの?」で書いたように、(たとえば)Kイオンが平衡電位に達するためにKチャネルを流れるイオンの量は非常に小さいので、細胞内のKイオン濃度には影響しない。デルコミンの「ニューロンの生物学」p.91に実際に計算してあるのを見つけたので引き写しておく。

直径 の細胞があるとして、細胞内のKイオン濃度は , 細胞外は となっている。このとき

細胞内のKイオンの総数 = 細胞体積( ) * Kのモル数( ) * アボガドロ数(

いっぽうで細胞膜の静電容量 なので、細胞内電位がKの平衡電位である に帯電させるために必要な電気量は あたりで となる。

この細胞の表面積は なので、必要な電気量は となる。

これをKイオンの個数に変換するためにはファラデー定数とアボガドロ数をつかって 膜を移動するKイオンの総数 / ファラデー定数( ) * アボガドロ数(

よって[細胞内のKイオンの総数]に対する[膜を移動するKイオンの総数]の比率は となる。つまり100万分の1程度しか細胞内Kイオンは流出しないので、無視できる量であると考えられる。


でもこの話には続きがある。イオンの流入が神経細胞の体積からしたら微々たるものってのは本当だけど、スパイン内の局所領域の は影響受けるかもしれない。また、細胞外間隙は考えられているよりもずっと狭く、 はアストロサイトでの取り込みとかと合わせて調節されているはずだ。

上記の計算をスパイン内の局所領域について考えてみることにしよう。スパインの体積は河西研のサイトより、 くらいで揺らいでいるとのことなので、ざっくり直径 の球で近似してみる。

さっきの計算との相対値だけで済まそう。球の直径は から へと になった。[細胞内のKイオンの総数]には体積で効いてくるから になる。[膜を移動するKイオンの総数]には表面積で効いてくるから になる。

ということは[細胞内のKイオンの総数]に対する[膜を移動するKイオンの総数]の比率 倍になって 程度となる。というわけで細胞体全体よりは影響が大きくなったけど、まだ5千分の1で済んでいると言えそう。


のほうについてはどうだろうか?

ここ最近の進展を調べてみたら、"Potassium diffusive coupling in neural networks"って総説を見つけた。ざっくり要旨から推測するに、 のオシレーションが海馬の近接する神経細胞の活動同期に関わっているという話で、なるほどさもありなん。

神経細胞のネットワークはシナプス伝達や活動電位によってできた正確なデジタルの論理演算機なんかではなくて、こういうアナログな漏れ出しに影響を受け、進化の過程でそれを活用するようなmessyな解法に依存しているんだ、みたいな話は好き。


スライド「感覚運動随伴性、予測符号化、そして自由エネルギー原理」作成しました

京都大学人環セミナー(20171218)および東京大学大学院工学系研究科 國吉研オムニバス講義(20171226; 脳型情報処理機械論)で行ったトークで使ったスライドを(多少編集した上で)アップロードしました。タイトルは「感覚運動随伴性、予測符号化、そして自由エネルギー原理 (Sensory-Motor Contingency, Predictive Coding and Free Energy Principle)」です。

感覚運動随伴性、予測符号化、そして自由エネルギー原理 (Sensory-Motor Contingency, Predictive Coding and Free Energy Principle) from Masatoshi Yoshida

これまでに作成した「よくわかるフリストンの自由エネルギー原理」「アクティブビジョンと フリストン自由エネルギー原理」をアップデートした最新版というか総集編となります。

最後のセクションでは、前回のブログ記事で書いた「「意識の介入理論」に向けて」について書いているのだけど、ここについてはまだ生煮え感があります。よくよくまとめた上でまた別途発表したいと考えております。乞うご期待。


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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