「時間は存在しない」、エントロピー、ギブスのパラドックス(3/3)

前回からのつづき。

「エントロピーが観察者に依存している、もっと正確にはどういう熱力学的状態を問題とするかに依存するという話はJaynesとかいろいろある。」と書いたけど、その部分についてまとめる。

E. T. Jayesは"Gibbs vs Boltzmann Entropies (1964)"においてこう書いてる。

thermodynamics knows of no such notion as the “entropy of a physical system.” Thermodynamics does have the concept of the entropy of a thermodynamic system; but a given physical system corresponds to many different thermodynamic systems.

From this we see that entropy is an anthropomorphic concept, not only in the well-known statistical sense that it measures the extent of human ignorance as to the microstate. Even at the purely phenomenological level, entropy is an anthropomorphic concept. For it is a property, not of the physical system, but of the particular experiments you or I choose to perform on it.

エントロピーは「ある物理系」について決まるものではなくて、「熱力学的システム」ごとに決まる。

たとえば「ロッシェル塩(酒石酸カリウムナトリウム)の結晶」について実験を行うとき、実験1では温度と圧力が興味の対象なので、エントロピーは となる。実験2ではひずみと分極が興味の対象なので、エントロピーは となる。

つまり、「ロッシェル塩の結晶固有のエントロピー」というものがあるのではなくて、熱力学的状態を定義するパラメーターを規定するとエントロピーも規定される。

For example, I have been asked several times whether, in my opinion, a biological system, say a cat, which converts inanimate food into a highly organized structure and behavior, represents a violation of the second law. The answer I always give is that, until we specify the set of parameters which define the thermodynamic state of the cat, no definite question has been asked!

生物(たとえばネコ)は第二法則をviolateするか?というよくある質問に対しても、「そのネコについての熱力学的状態を定義するパラメーターを規定しないかぎり、それは(意味のある)質問になってない」というのが答えだ。

さきほどの粗視化の問題についてWikipediaで調べてみると、MaxEnt thermodynamicsの項目で出てくる。E. T. JayesはMaxEnt thermodynamicsの創始者だ。あとどうやらこのラインの考え方は、QBism(量子ベイズ)にも繋がるらしい。

QBism批判でも人間原理的な主観確率が問題になっているようだけど、上記のロヴェッリが書いたような、あくまでもローカルな相互作用ごとにエントロピーが決まるということならば、人間原理にならないのではないかと思うのだけど、素人なのでまた勉強しながら考える。


こういう話題でよく出てくるのが、「ギブスのパラドックス」というものだ。これもまとめておく。

(状況1) 気体Aの入った箱と気体Bの入った箱とをくっつけて繋げるとAとBが混ざる。当然エントロピーも増大する。(状況2) 気体Aの入った箱と同じ気体Aの入った別の箱をくっつけて繋げる。状況2ではおなじAとAなのでエントロピーは増大しないはず。でも計算上は状況1と同じだからエントロピーが増大してしまう。

このスライド(PDF)がわかりやすかった。

この問題の解決法としては、量子力学においては同種粒子が互いに区別できないから、配置数 を多く数えすぎているために起こる、と考える。よって分配関数 で割って補正する。

量子力学的説明に訴えなくても、統計力学的なエントロピーに示量性をもたせるように補正することで解決できる。つまり、熱力学的なエントロピー と統計力学的なエントロピー があって、両者の差を決めるambiguity function がある。

を統計力学的なエントロピーに示量性がなりたつように決めてやると、

この の項が、量子力学的説明で粒子を区別できないときに で割る補正をすることと同じ役割を果たしている。(Sterlingのapproximationより )

「熱力学―現代的な視点から」の田崎晴明氏のサイトにギブスのパラドックスについての記載がある。6/15/2000(木) ここでリンクされている「模範解答」の部分。さらに6/19/2000(月)の記事では、上記のJaynes 1965での「異なる熱力学的状態」と同様なことを書いてる:

熱力学の構造というのは、 マクロな視点を指定したときにはじめて「現れて」くるものなのだ。 マクロな視点として、
  • パチンコ玉をいっさい区別しない
  • 「○×会館」の玉か「パチンコランド××」の玉かだけは区別する
  • すべての玉に番号を振ってきっちり区別する

といった幾通りもの視点が可能であり、 それに応じてもっとも便利な熱力学的な構造を選ぶのがよい。


Janyesに加えて、ギブスのパラドックスにおけるエントロピーの意義についてなんどか引用されているのを見かけたのがvan Kampen (1984)で、原文にあたるとこう書いてる。

Thus the paradox is resolved by replacing the Platonic idea of entropy with an operational definition. Quantum mechanics has no bearing on the question.

The question is not whether the particles are identical in eyes of God, but merely in the eyes of the beholder.

N. G. van Kampen, (1984) “The Gibbs paradox,” in Essays in Theoretical Physics, edited by W. E. Parry (Pergamon, Oxford), page 303-312 Google Booksのプレビュー: https://books.google.co.jp/books?id=75Y3BQAAQBAJ&pg=PA303

こちらでも、エントロピーがエネルギーのような物質の特性ではないということが強調されてる。


あともうひとつ、今回調べていて面白かったのが、非平衡統計力学とギブスのパラドックスとの関係について。「微小熱力学系におけるGibbsのパラドックス」 この内容についてはPhys. Rev. Lett. 118, 060601に出版されている。arXiv版もあり。

ギブスのパラドックスのうち、熱力学と統計力学との間での整合性の問題(GP-III)の解決法(示量性に訴える)が微小熱力学系では成り立たないのをどうするか、というのがこの論文の問題。示量性の代わりに非平衡統計力学でのゆらぎの定理と絶対不可逆性から前述の補正項 を決めることができて、

となる、とのこと。情報熱力学を勉強したいと思っていたので、ひとつとっかかりができてよかった。

そういうわけで、最初の疑問からずいぶん遠くまで来たが、途中のギャップを埋めるためには、熱力学、統計力学、情報理論を勉強する必要がある。先は遠いが、まあ永遠に生きるつもりで勉強はしてゆくことにしよう。


「時間は存在しない」、エントロピー、ギブスのパラドックス(2/3)

前回からの続き。

このあたりでいい加減熱力学とかボルツマンの原理とか勉強しないといけないなと悟った。とはいえ教科書でじっくり勉強している時間もないので、ブルーバックスとか入門書を読んで最小限まとめておく。あくまでこれはわたし用のノート。こんなの学部生以来だから30年ぶりかも。


「高校数学でわかるボルツマンの原理」を元にしてまとめておく。

[Maxwell-Boltzmann分布(p.156)]

基本セッティング:

  • 個々の気体分子のとりうるエネルギー状態:
  • ぞれぞれのエネルギー状態の気体分子の数:
  • 分子の総数
  • 総エネルギー

例: 分子の数が4, 取りうるエネルギー状態が4 (等間隔)

  • 総エネルギー の場合に可能な気体分子の数の組み合わせ:
  • それぞれの組み合わせで取りうる場合の数
  • 同様にしてすべての組み合わせで
  • この 通りが同じ確率で分布する(等確率の原理)
  • よって一番起こりやすい分布は

[ が大きいときの一般化(p.166)]

  • で微分してmaxとなる を決める
  • の代わりに をそれぞれの で偏微分して になる を見つける。
  • スターリングの公式 より
  • 偏微分して とおくと
  • 分子の総数 は一定なので による偏微分はゼロ
  • エネルギーの総数 は一定なので による偏微分はゼロ
  • 以上の3つの式(1), (2), (3)を使った連立方程式を、ラグランジュの未定乗数法を使って解く。
  • (4)が に依存せずに成立する条件は
  • よって各エネルギー状態の分子の分布は を入れると、
  • を消すために、分子数の総和 を入れて
  • 式(5), (6)より を消すと
  • この分母の が分配関数。 に依存しない。
  • つまり、エネルギー総和 のときに、エネルギーが高い状態 になるほど、存在確率 は低くなる。
  • 同様に総エネルギーの式も表現できる。

[ボルツマンの原理の導出(p.196)]

エントロピー (熱力学)と場合の数 (統計力学)を繋ぐ。

Step 1: ヘルムホルツの自由エネルギー を統計力学的な で表現する

  • を温度 で微分(体積 は一定)
  • 式(9)を用いて、 を温度 で微分してから、式(7)の を代入

Step 2: 微分方程式(10)を解く

Step 3: 式(9)の に式(11)を代入する


[ボルツマンの原理の右辺と左辺の関係]

Arieh Ben-Naim (2007) Entropy Demystified, the Second Law of Thermodynamics Reduced to Plain Common Sense, World Scientific, Singapore こちらのページに1章と8章のプレビュー用PDFあり。

この本の8章でボルツマンの原理の右辺と左辺の関係について言及してた。

左辺の は熱力学的エントロピーだから単位は で、右辺の は場合の数だから無次元。両者を合わせるためにボルツマン定数 を掛けてある。だから、熱力学的エントロピーと場合の数の対数(=情報)は別物であるわけだけど、

Recall that temperature was defined earlier than entropy and earlier than the kinetic theory of heat (…) Once the identification of temperature as a measure of the average kinetic energy of the atoms had been confirmed and accepted, there was no reason to keep the old units of K. (p.204-205)

そもそも温度 は歴史的経緯から単位 がつけられたけど、 となるように温度を再定義してやれば、そのような温度 で計算された熱力学的エントロピー は無次元となる。

よってボルツマンの原理の左辺も右辺も無次元でどちらも情報を表しているのだ、と書いてる。

同じ問題について「エントロピーを巡る冒険」(鈴木炎)の3章にも言及があった。ボルツマンの原理の式の が場合の数であるけれども、熱力学の公式でのエントロピーの式(5)のほうが難解だ。

問題はエントロピーよりも温度の方だと。

<温度>について考えを巡らせ、その本質について思い悩んでみると、一つわかることがある。「熱い」「冷たい」という感覚につきまとうのは、常に「触ってみる」という行為なのだ(…)触れることで、手に熱絵エネルギーが流れ込んできた時、「熱い」と感じる。熱エネルギーが流れ出すと「冷たい」。かたや0度の水と0度の氷は、くっつけたときに熱がどちらの方向へも流れない。だからこそ、われわれは両者の温度が等しいことを知るのである。(…)だが、これは、熱力学第二法則、エントロピーの法則そのものではないか!(p.125-126)

だから、あなたがいま、式(5)を理解したいと叫ぶとき、そこで問われているのは<エントロピー>の意味ではない。<温度>の真の意味が問われているのである。すなわち式(5)が語るものは、<温度>とは何か、という疑問への最終解答ー温度の<定義>なのである。(p.127)

なるほど!式(5)の をよくみる書き方 に変えておくと、

これって温度の定義式みたいだなって思った。

次回に続く。


「時間は存在しない」、エントロピー、ギブスのパラドックス(1/3)

「時間は存在しない」カルロ・ロヴェッリ、読了した。すげー面白かった。まさにこれが今知りたいことだった。エントロピーは相対的な概念(速度が観察者と対象との間の相対的な速度であるのと同じ)ではあるが、あくまで相互作用する系の間で規定されるものであり、心的過程を前提とする必要はない、とスッキリと納得できた。

時間の矢とエントロピー増大の法則を関連付ける、という話は何度か聞いたことはあるけれど、それを時間と空間のない「永遠主義」的な立場から、宇宙の中でたまたまエントロピーの低い系に我々がいて、エントロピーの増大を時の流れとして経験する、というストーリーは、批判的に読まなければならないだろうけど、いままででいちばん意味がある考え方だと思った。

あと別のラインでエントロピーのことがずっと気になってた。FEPやIITについて考えるにあたってずっと気になっていたのは、情報自由エネルギー原理FEPや情報統合理論IITについて考えるにあたってずっと気になっていたのは、情報やエントロピーが環境に実在するように扱われているけれども、観察者に依存しているものではないの?ということだった。

しかもこれはFEPで扱われているような生物の認識の問題で使われる情報理論的なエントロピーの話だけではなくて、物理的な意味でのエントロピーでも関わってくるらしい。

エントロピーはわたしたちが何を識別しないかによって変わってくる。なぜならそれは、私達には区別できない配置の数で決まるからだ。まったく同じミクロな配置のエントロピーが、あるレベルのぼやけでは高くなり、別のレベルのぼやけでは低くなる。だからといって、このぼやけは人間の精神が生み出したものではなく、あくまで実際に存在する物理的な相互作用によって決まる。エントロピーは恣意的でもなければ主観的な量でもなく、速度のような相対的な量なのだ。p.144

速度とは、何かほかのものに対する性質、すなわち相対的な量なのである。エントロピーについても同じことがいえて、BにとってのAのエントロピーとは、AとBの間の物理的な相互作用では区別されないAの状態の数なのだ。p.144-145

ここで言っている配置の数というのは、ボルツマンの原理の話をしている。ボルツマンの原理では

熱力学的なエントロピー と統計力学的な可能な状態での配置の数 とを結びつけているわけだけど、この のこと。

エントロピーが観察者に依存している、もっと正確にはどういう熱力学的状態を問題とするかに依存するという話はJaynesとかいろいろある。これについては今回調べてまとめたのであとで書く。でもそれを「物理的な相互作用」に依存するという言い方をしているのは初めて見た。そしてそれはすごく納得いった。

たとえば、気体Aと気体Bがピストンを押しあうという相互作用においては、圧力と温度というマクロなパラメーターしか効いてこないからこそ個々の分子の位置やエネルギー情報が無視されている。いっぽうで、気体Aと気体Bが半透膜で仕切られていて、分子Aだけが通り抜けられるという状況では、気体Aと気体Bの違いは無視できない。そしてここには観察者は必要がない。

あとここでの「ぼやけ」というのは粗視化のことを言ってる。Wikipediaの粗視化の項にこの件について書かれている。つまり、エントロピー増大の法則というのは、粗視化が必要なときだけ起きる。粗視化とエントロピー増大の法則の関係については、stack exchangeの回答にあったこの図がイメージしやすかった。(ところで「無知であること」と「粗視化」の違いが私にはまだ明確でないのだけど、あくまでもリウヴィル方程式が出てくるような場面でのみ粗視化の概念が必要となると理解している。)

過去と未来の違いはすべて、かつてこの世界のエントロピーが低かったという事実に起因しているらしい。(p.142)

小さな系Sにとっては、熱時間の流れ全体から見たエントロピーは一般に高いまま推移し、せいぜい上下に揺らぐくらいである…ところが、わたしたちがたまたま暮らしている途方も無く広大なこの宇宙にある無数の小さな系Sのなかにはいくつか特別な系があって、そこではエントロピーの変動によって、たまたま熱時間の流れの2つある端の片方におけるエントロピーが低くなっている。これらの系Sにとっては、エントロピーの変動は対象でなく、増大する。そしてわたしたちは、この増大は時の流れとして経験する。つまり特別なのは初期の宇宙の状態ではなく、わたしたちが属している小さな系Sなのだ。(p.154-155)

これめちゃ面白いんだけど、「我々にとって」エントロピーが低いということがどういうことなのかに依存している。上記のように、エントロピーを考えるのに、われわれ主観的な観察者を考える人間原理は不要で、あくまで相互作用の問題なので。

わたしたちとこの世界の残りの部分が特殊な相互作用をしているからこそ宇宙が始まったときのエントロピーが低かった、というのはどういうことなのだろう?(p.146)

ここの説明でトランプの例が紹介されている(p.147)。つまり、12枚のトランプがあって、6枚の赤の束に6枚の黒の束を重ねてシャッフルするとだんだんバラバラになってゆく。つまりエントロピーの低い状態からエントロピーの高い状態になった。一方で、12枚のトランプをすべてガン牌(麻雀用語)できる場合は、はじめの段階でスペード6とかハートAとか12枚すべてを知っているから、シャッフルしても「バラバラ」にならない。つまりエントロピーは変わらない。

この例は「宇宙が始まったときのエントロピーが低かった」ことの説明のところに来ているけど、むしろ上記の、エントロピーとは我々が区別できない配置の数に依存する、の説明の方が向いているように思ったけど。


そんなわけで、もうすこし深掘りしてみることにしよう。ループ量子重力理論じたいを学ぶつもりはないけど、ロヴェッリの論考についてはarXivにプレプリントがあるとのことなので、そのあたりを読んでみようと思う。

まずEdgeの文章"Relative information"が短いので読んでみた。でもこれはあまりに一般的に情報のことしか書いてないので面食らう。

じつのところRelative informationというのはなんのことか、"Meaning = Information + Evolution"を読んでみた。ここでRelative informationを定義しているのだけど、系Aと系Bがあったとして、 それぞれのエントロピーを計算して差をとったものって書いてあるけど、いやそれってふつうに総合情報量の定義 そのものなんじゃないのか?ここでいっきょにわからなくなった。積分はLiouville Measureでとるって書いてあるから、ここに粗視化が出てくるのだろうとは思うのだけど。

今日はここまで。明日に続く

P.S. ちなみに"Meaning = Information + Evolution"の後半に出てくるKolchinsky-Wolpertによるsemantic informationの定義というのは面白い。最終的に出版されたのはInterface Focus. 2018

ここに動画あり:"Observers as Systems that Acquire Information to Stay out of Equilibrium by David Wolpert" スライド(PDF) もあり。スライドの最後のページを見てもらえばわかる。FEPよりもこっちのほうを最大化していると考えたほうがよいかも。こっちもいま読んでいるので、そのうちまとめたい。

P.P.S. David Wolpertってサンタフェ研究所の「ノーフリーランチ定理」の人。この動画はFoundational Questions InstituteのFQXi2016のトークというもので、ジュリオ・トノーニや大泉さんもトークしている。


「オクラホマ・ミキサーってプロレスの技っぽい名前だよね(<-イケメン声で)」(さうして、このごろ2017年7-9月版)

サリエンスの定義として「そこに行けば どんな夢も かなうというよというcounterfactual expectationを持たせる場所」というのを考えた。(<-それパクリ)

「ブタにゃん」ってのを考案した。ブタなの。ネコじゃない。(<-論理的)

皆既日食の映像を幾つか見たけど、みんなわかってねえっつうか、そんな拡大した映像でフレアとか見てもしょうがないだろ。端的に、昼間だったのが暗闇になってしまうっていうこの世ならぬ異様さを露出の自動補正なしに記録するってのが見たいんですけど。(<-なにもしてないくせにエラソー)

明け方まで散々飲んで語って、始発電車に乗って帰り道、もう喋ることもなくて、なんか手持ち無沙汰で、なんてことがあったような気もするし、無かった気もする。あっても無くてももはやどちらでもよいのだし、そのとき雨さえ降っていなければ、万事問題なしなのだ。


先日5年ぶりくらいでカラオケに行ったのだけど、選曲に遠慮があって不完全燃焼だった。次回のために候補曲をリストしておく:“Lay Your Hands On Me”,“人間発電所”,“The Nights”,“New York City Boy”,“Built To Last”,“Snowdome”,“スターライトパレード”,“なないろびより”,“コネクト”,“アルクアラウンド”,“Birthday song, Requiem” だいたいJoysoundにしか入ってないということも判明した(<-検索してるし)。

(Kフォーラムでの講演の終了後)そのあとカラオケへ。今回は「ダンシング・クイーン」「招待状のないショー」「New York City Boys」「ロビンソン」で。「コネクト」「The nights」「アルクアラウンド」はなかったので断念。「さよなら」と「12月の雨の日」は時間切れで歌えず。楽しかった。

「ぼくのフレンド」と「ようこそジャパリパークへ」も歌えるようにしておかないと。


「40歳になるころには 単著の一つも出して ひとりで地下室のある家を買い 週末はギターを弾いたり、 メロン、 メロンはどうでもいいや。」http://twilog.org/pooneil/date-080909

ストーン・ローゼズの再結成にも来日にもさっぱり興味はなかったが、このグラスゴーのスタジアムでのライブで、観客がリフから歌まで全部大合唱しはじめちゃうこの現場には居合わせてみたいと思った。I Wanna Be Adored https://www.youtube.com/watch?v=YthoNkDAWkw


ネットを彷徨っていたらウィキペで「ダダイズム」の項目で「萩原恭次郎」なんて懐かしい名前を見つけた。こんなものまでネットにはあるのか。 https://ja.wikisource.org/wiki/ラスコーリニコフ

中学生の頃に中原中也経由でダダイズム・シュルレアリスムに目覚めて(<-まさに厨二病)、それからアンドレ・ブルトンの「溶ける魚」(当時は全集にしか入ってなかった)とか探して読んだものだった。

それはサイケデリック音楽を知るのと同じくらいの時期で、私はアルチュール・ランボーの「詩人は長期間の、破壊的で計算された錯乱によって見者になる」を本気で受け止めて、そういう表現を追い求めていたのだった。そういった「反自然主義的」なものへの志向(嗜好?)は現在に至るまで変わらず続いているようだ。

その頃マン・レイの展覧会に行った記憶がある。http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000135536 横浜美術館美術情報センター https://yma.opac.jp/opac/top (追記:2019年現在サービス利用不可能)の情報を参考にして調べてみたところ、1986年、高1の夏の小田急グランドギャラリーと判明。水泳部の練習の合間に行ったらしい。元気だ。


今週のYAで三月のライオン読んだら、幸田香子のモノローグ回だった。形式としては幸田母のモノローグ回(Chapter 97)を踏襲している。あの回は幸田母の贖罪意識が表現された神回でラストのページ読むと毎回泣けるんだけど、それはそれとして、今回の幸田香子のモノローグ回はどうだろう?

香子が贖罪意識を持ってました、で終わりでは済まないと思うんだな。そうするとあれは壮大な前フリなんじゃないかと思う。香子がそのように「わかって」いたとしても、いざ桐山零と対峙したときに再びコンフリクトが起きるのを避けられない、そういう業がないと香子らしくないだろう。

そこを零と香子が乗り越える過程で、ひなたもいまのオコチャマ状態から自分の手で掴み取る行動を起こすところまで行かなければきっとこの話は閉じないだろう。作者がそこまでごまかしなしに書いてくれるのを期待してる。


今日は岡崎の花火大会なんだけど、次男はママと泊りがけでソフトボールの大会、長女は友達と遊びに、というわけで独りの夜を迎えている。この20年くらいで初めてだろうか。家で肉でも焼くかと買い物に行ってみたら大渋滞。しかたなくチャーハン山盛り作って全部食ってうたた寝して目覚めたところ。

夜中に車を運転していて、道路標識とかが人の顔にパレイドったりすることはまああることだけど、一昨日遭遇した事案では、大きな黒い牛が見えたと思ったら、暗い道に駐車してあるワンボックスカーだった。流石にそれはねーよ!と思った。


休暇二日目。奈良美智展@豊田市美術館。 http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2017/special/narayoshitomo.html 実物を見るのはこれがはじめてだったけど、とても良かった。ついでに、入り口のレコードジャケットのニール・ヤングのセレクションがソロのファーストとオン・ザ・ビーチだったのが気が利いてると思った。

長女の文化祭の手伝いとやらで、あちらこちらに買い物連れて行ったり、写真の印刷手伝ったりとか、なぜか俺まで忙しい。(<-うれしそう)


伊賀に行ってすき焼き食べたい。10年ぶりの「金谷」で、あれ?こんなもんだったっけ?とかがっかりするもよし、やっぱりうまかったと感激するもよし、どちらでも後悔はしないだろう。いざ生きめやも。

太陽からの熱線も、紫外線も、大粒の雨も、雹も、煉瓦も、蛙も、すべてのものが、すべて同じ強度で降り注げばいい。手を上げて受け止めることすらできず、全てが平等に破滅させられ、全てが平等に生き残る機会を与えられ、海の深いところまで、浸透され、貫通され、透徹され、埋葬される。

リハビって理蔓延る。

俺は根本敬作品で言うところの村田藤吉で、吉田佐吉みたいなのに見つかっては喰いものにされる人生を繰り返してきた。自分なりに工夫はしているけれども、事態は好転せず、いつぶん殴られるかと怯えながら日々を暮らしている。ホントだよ。

こんなに「敗北主義者」をやっていても、予想外の悪意にぶつかれば、胸は痛むし、眼は廻る。だから、自虐と自己弁護で、固く固く自分の身を守りながら、終わりのない退却戦をつづけるのだ。


ハシビロコウの嘴焼きが食べたい。身は要らない。

カリフォルニア・ロールはもう飽きた。シカゴ・ロールが食べたい。シカゴ・ロールには◯◯◯ウナギが入ってる。まで書いてから念のためググってみたら、シカゴ・ロールって本当にあんのかよ。https://www.tripadvisor.co.uk/LocationPhotoDirectLink-g39588-d405790-i89077491-Malone_s-Lexington_Kentucky.html https://www.yelp.com/biz_photos/annas-asian-grill-and-sushi-bar-chicago?select=DWKf-tIweKcoR6_zqYggDA

念のため「嘴焼き」もググってみたら、「あひるのクチバシ揚げ」ってのがあることを知った。http://blog.livedoor.jp/ma888tsu/archives/51711852.html 世界は、俺の想像力よりも、ずっと広い。


「オクラホマ・ミキサーってプロレスの技っぽい名前だよね(<-イケメン声で)」ってツイートをしようとしたが、念のためググってみたら「オクラホマ・スタンピート」と混同していることがわかった。スッキリした(<-スッキリすんな!)。

「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」ってタイトルには、なんで俺人間代表として責められなきゃならないの?って涙目になる。「意識はいつ生まれるのか」ってのもいつになったら生まれるんだと責められて動揺した。「森田はいつになったら一流になるんだ?」とか言われながら杖で殴られる感じ。

「会計680円で1180円出すのが気持ち悪い?」ってのをみて、なるほどそういう人もいるのかという「気づき」を得ることができた。なんなら、私は会計688円で1243円出したりするけど。


「圏論の道案内」のはじめの方を読みながら考えたこと(つづき)

「「圏論の道案内」のはじめの方を読みながら考えたこと」のつづき。

圏論の初学者としてひとつ面食らったのが、恒等射のときに同じ対象が2回出てくること。私はベイズの因果グラフの表現に慣れているから、同じものが2ヶ所に出てくるのは違和感なのだけど、圏論では対象はあくまでも射の性質を規定するものだから、同じ対象が別のところに出てきてもよい。これは初学者にとっては自明でない前提だ。


つまり、ベイズの因果グラフというのは、あくまでも対象のほうが先にあって、それらのあいだの因果関係として有向グラフの矢印が付加されるものなので、こちらでは同じ対象が別の場所に2度出てきてはおかしい。当たり前だと思うかもしれないけど、こうやって言語化してみて、初めて納得がいく。

こうやって書いてみると、圏論で同じ対象が複数出てきてもよいのは、あくまでも射が主役であって、それの性質を規定するものとして域と余域があるからで、恒等射では A=dom(f) かつ A=cod(f) という表現も、そこまで考えると(私にとってはやっと)納得いく。

なるほど!これは素晴らしい。因果グラフが実体論を引きずっているのに対して、圏論はあくまで射・矢印がすべてなので、object は二の次。矢印の方からdomain とcodomainが引き出されてくる。表面的にはわかっていたが、吉田式の噛み砕き方で理解が深まった。 https://t.co/LtdCZJy1ty— @ShigeruTaguchi September 8, 2019

そうです、さらにいえば、その下のf1とf2が同じかどうかは可換であるかどうかで決まるので、射の方すら、空間的に同じところを占めているかでは同一性を決めてない。この意味でも実体論から離れてる。たぶん。

うん、なるほど、射の実体論さえ抑止するという点で、圏論は本当に徹底してますね。西郷・田口本でも、数学は「固定」したら終わりで、むしろ徹底して「自由」でなければならない、という話をしています。「この特定の三角形」から離れられなければ、幾何学もありえない。こうした方向性の権化が圏論— @ShigeruTaguchi September 8, 2019


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

月別過去ログ