2016年3月UK出張メモ

“The Visual Brain: Order and Disorder” at. 8th Annual meeting of The UK. Neuro-Ophthalmology Special Interest Groupに参加したときのメモ。

そしてそのあといろいろあって5時40分発の空港バスでもうすぐ出発。今から寝たらぜったい寝飛ばすので、スライドの仕上げとしゃべり原稿作りをしながら、まんじりともせずに夜を過ごす(<-誤用)ことを決意した。

しゃべり原稿完成した。いつもどおり say -f talk1.txt -v Alex -o talk1.aiff で音声ファイル作ってみると14分。実際に喋ると20分くらいになるだろう。30分の割り当てだから、もうすこしサリエンシーについて詳しく喋ってもよいか。まだ元気。

ホテルの部屋に入ってネットに繋けて、やっと「心理的安全性」を確保したところ。予定通り15時くらいに着陸して、入国審査の行列を通過するのに45分かかって、そこからピカデリー線で50分かけてラッセルスクエアへ、コンビニで買い物して、チェックインして17時。けっきょく2時間かかった。

地下鉄で行くと6ポンドで、ヒースロー・エクスプレス使うと17ポンド+乗り換えなので、ケチるとこうなる。毎度ながら思うけど地下鉄は若者とか学生ばかりだ。

昨日は19時に仮眠し始めて、でも目覚めたのは2時で、こりゃもう眠れないかと思いつつもむりやり寝たら3時から9時まで眠ることができて、そりゃ寝過ぎじゃあねえのかと思いつつもまあよかった。出発前から頭が痛くてこりゃ熱上がるかと思っていたが、なんとかギリギリ凌いだっぽい。

トーク終了した!午前中押してるところでのラストのトークで、30分のところを23分代で終わらせて、質問込みで26分で終了。そのあと合う人ごとに良いトークだったとお褒めの言葉をもらって、これまででいちばんよい反応を貰ったように思う。

前半のヒトでの「なにかあるかんじ」の話から、それをnhpで調べてSDTとサリエンシーで一貫性のある話をするよって方向で。神経活動の話は無しだったが、SDTと色(DKL)の話を詳しめにきっちりやったのは今回の聴衆(視覚科学および眼科臨床)に対しては正解だったようだ。

シンポジウム後の立食パーティーでColin Blakemoreとサシで語る機会があったので意識談義へ。Surのrewiringの話題が出たので、いつもの知覚運動連関が大事って話をしたら、それだけで足りると思う?と問われたので、期待とか予想とかは必要かもしれない、でも、といつものカエルの意識談義へ展開させてみた。Morlandとも話をする機会があったのであなたの1996論文で方位サリエンシーについての着想(moving barはmotionを見ているのではなくてpositionの変化を見ている)を得たのですとお礼を言っておいた。

Holly Bridgeとも話をしたかったのだが、ぜんぜんそのチャンスがなかった。というわけで今回の訪問の目的はだいたい達成した。Colin Blakemoreにワインを注がれてしまったので、ひさびさにアルコールを摂取した。さっさと寝るか。(ただいま19:54)

今回も3時間前に到着、チェックインはすでに開始してた。JALのカウンターは小さいので並ばなくて済むのでありがたい。隣のBAとか大行列になってる。安全保安区域も混んでなかったが再検査に引っかかって15分で通過。トータルで離陸の2時間半前、搭乗開始の2時間前に中に入れたのでまあ充分。

羽田に到着!メールがどっさりと貯まっている。気温18度とか言ってて驚く。でもロンドンもこの時期にしては暖かったし、なにより晴れ空が出てて快適だった。

行き帰りの待ち時間用に「光車よ、まわれ!」天沢 退二郎を持って行ってたけど、帰りの飛行機で読了。これは良かった。わかりにくい所も多いけど、昭和の東京郊外を舞台にしたファンタジーで、なんかすげーさまざまな水のイメージに晒された。

なんか時代背景的に、あさま山荘事件とかあのあたりの立て籠もりとかを想起したので調べてみたら、この本の執筆は1972年の8月から12月にかけてとあとがきに書いてあった。あさま山荘事件は1972年の2月。

Holborn駅のエスカレーターでテストしたら二列で立って乗るほうが効率よいってニュース。Leicester squareとかLondon bridgeとかで長いエスカレーター乗ったけど、東京と同じく片側はだいたい歩いてた。

ロンドンで連れて行ってもらったデンマーク・中近東料理店でローストビーフを頼んだら、付いてきたソースが緑色で謎な青臭い味でいったいこれはなんですかと聞いてみたら「コリアンダー」という返事がきた。その謎なクオリアが一挙にコリアンダーのフレーバーとして再解釈されるという経験をした。


ブラディー疲れた、訳ありさくらんぼ(さうして、このごろ2016年5-6月版)

帰り道に守衛所の前を車で通ったら、丸っこいフォルムの動物が草むらに隠れた。たぶんあれはタヌキだ。昔はよく見たけど、今回は久々だ。まあ3時に帰ること自体が久々なのだが。

そして車で下り坂に差し掛かると、夜景が開けて、90%くらいの満月が西に傾き、びっくりするくらい空を明るく照らしていた。その左には惑星とおぼしくものが赤っぽく光っていて、まるで世界が終わる前触れのやうだった

本日の仕事はこれで全部終了!もう寝る!ブラディー疲れた!(<-インチキ・ブリティッシュ・イングリッシュ = IBE)


今日は次男とこどもの日企画に参加。バドミントン15分*2 + 卓球20分*4って書くとたいしたことがないように見えるが全力出して戦ったので疲れた。バドミントンは2勝1敗、卓球は4勝2敗くらい。これで家でビール飲んでだらっとしていられれば最高の一日なのだが、仮眠後ふたたび解析へ。

以前次男といっしょにバドミントンをやりまくったのはいつだったかかなと思って調べてみたらついったに書いてあった。私生活つつぬけじゃん!

これで今日は終了かと思ったら、次男がシャトルバッティングをしたいというので100球くらい付き合った。なるほどただ素振りをするよりも有効。シャトルを追って姿勢が崩れないように、ちゃんと呼びこんで振りぬくことを意識するように指導した。

ヌゥ…すでに前腕に筋肉痛が出てきている。これは今日バドミントンのラケットを握って振った影響だな。(<-なぜか嬉しそう)


次男がテレビの動物番組を見ながら「鮫って居ていいことある?」って喋ってたので、「パパって居ていいことある?」って聞いてみたくなったが、あまりに卑屈かと思い直して、代わりにツイッタに書き込んでみた。(<-代わりにすんな)


今日は次男のソフトボールクラブチームでナイター練習のお手伝い。コーチがバッティングのときの腰の回し方について説明してて、すごく勉強になった。こんど試したい。

つまり、上半身を回す前に左右の下肢の内転筋を締めるように腰を回す。上半身が回るのはその後。これによって上半身が開かずに球を呼び込んでどのコースでもバットが出すことができるようになる。

って自分のことは別として、帰りの車では次男とともにキャッチングの時の右手の場所について議論したりしてた。我が家はなぜか父も長男も次男もキャッチャーなのだった。(体がでかくて声がでかくて視野が広くて肩が強い系)


家に帰って、全力バタンキューして、目覚めたら22時。コンビニまで歩いてみたら、とても気持ちの良い温度で、先日空に見た禍々しい惑星も今日はただの明るい星で、なんだか多幸感あふれる散歩だった。つか今からひと仕事するにも遅すぎるし、どうやって眠ればいいのだろう?

高校生ぐらいに考えたネタで、「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます、ってのがあるけど、針一本飲ます、にするとマジで飲ませる気が伝わってきて怖いよね」ってのがあるんだけど、念のためネットで調べてみたら同じ話が見つからなかったので、著作権を主張しておきたい。

なるほど「誤解を恐れずに言うと」「失礼を承知で言うと」「自戒を込めて」って使ったこと無いな。そういう言い訳入れたくなるときはすでに論法が間違っているのでだいたい書きなおしてる。「不躾ですが」は使う。というかメールでの頼みごとはすべて「不躾」。誤解を恐れずに言うならばね。


今日は宿題を早く終わらせた次男の相手をして、日が沈む前にトスシャトルを使ったバッティング練習に付き合う。シャトル6個で30回=180球。投げたこっちも疲れた。素振り180回よりはずっと良いが、フォームを見ておかないと悪い癖がつくのが注意点。

今日も今日とてソフトボールチームのお手伝い(球ひろい)。コーチの指導を聞いててわかったけど、選手たちはボールを呼び込んで打つように徹底されてる。それはいいのだけど、後ろ側の足に体重乗ったままで腰回さないで手打ちするので、速球をきっちり打ち返せてない。だから「ボールを呼び込んで打つ」ことと「軸足(後ろ側)のお尻を前に出すように腰を回す」こととを両立させないといけないということのようなのだ。


帰りに寄ったコンビニに「訳ありさくらんぼ」ってのが売ってたので、「聞かないよ〽その理由(わけ)は〽」みたいな演歌だかムード歌謡だかのフレーズが頭に浮かんだ。

コンビニ帰りの駐車場で西の空に火星が赤く光っているのを見て、ぼんやりと「そういえば高校のときの同期に赤星くんっていたなあ」とか考えてた(<-マインドワンダリング)

Google Chromeの検索欄に「ここが」と打ち込んだら「ここがあの女のハウスね」と補完されたのでまったくどうかしていると思った。…まあ、それを探そうとしていたんだけど。

いやまじで、ホワイトボードのペンのかすれを解消する方法を見つけたら、革命的イノベーションと呼びたい。マヂ困ってる。

スマホに付けていたキュゥべえストラップが色が剥げて謎生物となっていたので、なんか新しい物をと思って秋葉原に寄った際に探してみた。アウトでないものを探していて、けっきょく羊のショーンを選択した。牧場主のオッサンのがあればそれ買いたかったのだけど、そんなものは無いらしい。有れよ。

アウトでない選択として考えていたのは、十四松がユニフォーム姿で「ハッスルハッスル! マッスルマッスル! 」って言ってそうなのがあったとすれば即買いだったのだけど、そういうものも無かった。有れよ。


昼にうたた寝していたらなんかの夢を見て、しかもそれは朝見たものの続きだな!と思ったことは憶えているが、内容はまったく思い出せない。たぶんそれはimageryというよりはthoughtだったように思うのだけど。

今回は「さっきの続きだ!」という特別な思考が働いたから夢を見た、というメタ認知が働いたのだけど、ふだんもたぶんこういう意味での夢は見ているということなのだろう。


ブルースギターといえば、高校生のころ小川町のカワセ楽器に出入りしていて、そこでカントリーブルースギターの教則本を買ってオープンDチューニングでボトルネック奏法とか練習したものだった。それはクリームとかから遡りたかったからなのだけど、けっきょくブルースを理解することは出来なかった。

ネットで探してみたけどこれとかだな:「ステファン・グロスマンのカウントリー・ブルース・ギター」昔だからCDとか付いてない。仕方なく楽譜だけ見て演奏してた。それだとブルースギターのタイム感とか音程感とかさっぱりわからないのだった。


宮廷薬剤師、ポンチ絵、バルーン投光機(さうして、このごろ2016年3-4月版)

俺も宮廷薬剤師になるか!(<-なんかテレビ見てるところ)

イヤホンをストーブ前に放置したら熱くなってしまった。やむを得ずそのまま耳に入れてみたら温くて気持ちいい。これはビジネスチャンスか?(<-チガウ)

帰り道のコンビニの前で、電線がたくさん走っているのってなんか風情があるなあと思って写真に撮ってみたら、ひこうき雲が写ってた。



@ksk_S さん経由で知った「夢の中に出てきた奇妙な単語達」「ヘビとショウガを抜いたケーキ」とか「リドプチチャン穿孔」とか「この新しい原子は左に回すと緑色に変化します」とかサイケデリックで痺れる。

以前書いたブログ記事の「ボン・ボリーニ!」「幸せはスペードの43」「暖かいところに集まる習性を持っている「つるにはまるまるむし」」とかと近いけど、「夢の単語」の方がホンモノ。俺のは狙いすぎのニセモノ。


年度末になると夜間の道路工事が増えて、車を運転しているとあの明るいボンボリみたいな照明がいきなり現れてギョッとするのだけれど、あれの名称は「バルーン投光機」というということを知った。つか知ってどうする。

新学術の班会議の予定をカレンダーに書き込んだら、2017年にも私が存在していることが確かになったような気がして、不思議な心持ちになった。

ハーゲンダッツの華もちシリーズが出て一瞬で手に入らなくなって、非主題的に(<-現象学ジョーク)欠乏感を感じていたのだけど、井村屋のやわもちアイスを見つけた。ラクトアイスなので満足感は低いけど、それでも私のQOLが256倍になった。


今ケーキ屋さんの前を通ったら、ケーキの名前のひとつが「シフォン主義」って書いてあって、通り過ぎた2秒後くらいになってから意味を理解して軽く吹いた。

ためしに「シフォン主義」でググってみたら、「相対性理論」のファーストアルバムのタイトルであることが判明した。己の不明を恥じた。


人生の中で厳しい時期をなんとかやり過ごすためには「弱くあり続けられる強さを持ち続けたい」と頭のなかで唱えたりすることもあるものなのである。(<-である、じゃねえ)

なんというか「人生は続く」ということをひしひしと実感させられる。それにはポジティブな意味合いもあるけど、絶望でもある。24時間寝ても寝足りない。ドアは鍵がかけられたままで錆びついてしまった。でも雨は降りつづけ、安物のビニール傘では雨を凌ぐことができない。(<-雨降ってません)


簡潔なチルウェイブの作り方。“Find an 80s sample. Slow it down. Put a beat behind it. Put a droning synth behind it. Turn on Ableton’s Beat Repeat effect.”

Kraftwerkの1970年ライブというのを聴いてみたら、すげークラウトロックというかカンタベリー・ロックしていてよかった。

Khun Narin’s Electric Phin Band タイの伝統音楽とアシッド・マザーズ・テンプルみたいなサイケなジャムの合体という感じでスゲーいい。


わたしがはじめて「ポンチ絵」という概念を知ったとき、「ポンチ」という言葉は太宰治の前期作品でしか見たことがなかった。おそらくは戦前生まれで軍人メタファーを駆使しちゃうような大先輩方が作った言葉なのだろうと戦慄したものだった。

別件だけど、数十年前の話で、戦前生まれの大先輩に「敵前逃亡は銃殺刑だぞ」と軍人メタファー使って説教されたことを今でも覚えている。というかその人のことはそのことしかもう覚えていない。

甲子園と戦争メタファーって話はどこかで書かれてなかったろうか? 私は試合開始のサイレンにそれを感じる。夏の甲子園で終戦の日の正午に黙祷するのとか。


FEP入門 afterthoughts

FEP入門を書いたあとにいろいろ考えたことメモ。


FEP入門は「知覚と行動の統一」に絞ったけど、本当は「学習」の話を入れないと、まだ桶の中の脳から脱出できてない。知覚と行動は外界を推定しているだけなので、外界不要の間接知覚に見えてしまう。でもそんなことはなくて、生成モデルを作る段階(学習)で、外界の生成過程の結果が必須になってる。

学習を入れると、推測されるstateと学習されるパラメーターが厳密に分かれたものではなくて、速く変わるかゆっくり変わるかの違いであることもわかる。以前入れてもらっていた新学術での「スローダイナミクスがベイズ推定の事前分布になっている」はこの意味で重要。

ハーケンの秩序パラメーターも事前分布として捉えている記述があるだろうと思って調べてみた。Entropy 2016 "Information and Selforganization"が関係ありそうだがそうは書いてなかった。ハーケンらのアプローチが(フリストンのFEPを含む)ベイズ的なアプローチのalternativeであるという言い方だった。(htmlページがLeTeXレンダリングが凶悪に遅いので、PDFのほうをリンク)

そうして考えてみると、Alva Noeの感覚運動随伴性SMCが得意とするテーマが可塑性(逆さ眼鏡や開眼手術)だったことの意味もよく分かる。つまり生成モデルが完成した状態での脳の働きを見ようとすると、間接知覚的なもので充分にみえてしまうからだ。これが来歴が必須であるということの実体だと思う。

これでJakov HohwyによるFEPの間接知覚的解釈に対しては、学習を議論するべしという方針が立った。でもこれではまだAndy Clark的な隠れ認知主義者(notエナクティビスト)なので、そもそもその確率的な扱いをする際にどのようにして世界を分節してきたかという観点が必要。

Comment By @hiraiyasushi1 これって間接知覚ではそもそも学習を説明できないってことではなくて、間接知覚だと説明できない学習があるってことです?上ツイートの遅速の話は、論文で強調されてた因果的介入の話とまた別の根拠のように見えるんで、ちょっと混乱してます

Reply to @hiraiyasushi1 まず一般的な意味での「学習」は「繰り返し刺激への順応」のように生成モデルのアップデートを必要としないものもあるから、逆転させて「生成モデルのアップデート」のあるものを学習と呼ぶとして、生成モデルの一部だけをアップデートするのに外界との照合は必ずしも必要ない、しかし生成モデルとはそのような生成モデルのパーツ全ての掛け算のことを指すので、履歴として外界との照合がまったくない生成モデルはない。個別の学習が必ず外界の生成過程の結果との照合をしているわけではない。あとこれは憶測なのですが、外界との照合自体は知覚を通して行われるので、agentはそれが生成過程の結果なのか生成モデルの結果なのかは区別できないはず。これくらいが想像できるのですが、正確なところはちゃんと式を作って確認する必要があるだろうというのが今すぐに返答できるところです。

Comment By @hiraiyasushi1 ありがとうございます、まだ全部理解できてないかもしれませんが、ともかく哲学的な間接知覚説は学習できないとは考えもしないと思うので、この辺もし見えてきたら面白いと思います。もちろん生成モデルを介するのではない間接知覚説(純粋に受動的な表象説?)は別としても。


自由エネルギー原理入門(7/7): 「Sec.0 自由エネルギー原理を数式無しで説明する」を追加

今年の生理研研究会は「認知神経科学の先端 脳の理論から身体・世界へ」と題して、自由エネルギー原理(Free-energy principle, FEP)をテーマに9/2に開催。これに先立つ8/31-9/1には「脳の自由エネルギー原理チュートリアル・ワークショップ」というタイトルでFEP入門のためのレクチャーとハンズオン。参加募集開始は連休明けの予定。もう少々お待ちください。

これらに向けてFEP入門の資料を作りました。今回が最終回です。「Sec. 0. 自由エネルギー原理を数式無しで説明する」を追加しました。

これまでの内容を全部PDFファイルにまとめたものを作ってリンクしておきました。全68ページ:EFE_secALL0517.pdf あとmatlabコードは別に分けておきました。matlabコード

今後も随時アップデートはするかと思いますが、このPDFファイルを最新版としますので、これから読む方にはPDFファイルでの閲覧をオススメします。(5/17最新版にアップデート)


Sec.0 自由エネルギー原理を数式無しで説明する

[0-1. 自由エネルギー原理の定義]

この文書では自由エネルギー原理とはなにか、について概念的な説明からスタートして、最終的には数式を用いた詳細な理解と批判が可能になるところまでたどり着くことを目的としている。

まず自由エネルギー原理(Free energy principle,以下FEPと呼ぶ)とはなにか。脳イメージングの解析ソフトSPMの作者として著名な、University College Londonの研究者Karl Fristonが提案している、知覚と行動と学習の統一原理だ。2005年のPhilos Trans R Soc Lond B Biol Sci.論文で最初に提案されてから、現在まで理論的にも進歩を続けている。

Friston自身の定義を見よう。自由エネルギー原理とは「いかなる自己組織化されたシステムでも、環境内で平衡状態でありつづけるためには、そのシステムの(情報的)自由エネルギーを最小化しなくてはならない」というものだ。また別の表現では「適応的なシステムが無秩序へ向かう自然的な傾向に抗して持続的に存在しつづけるために必要な条件」とある。Friston, K. (2010). The free-energy principle: a unified brain theory? Nature Reviews Neuroscience, 11(2), 127–138.

順番に言葉を追っていこう。まず「原理」というだけあって、「もしxxであるなら、yyでなければならない」という形式になっていることがわかる。ベイズ脳仮説のような「仮説」でもなければ、予測符号化理論のような「理論」とも区別した表現になっている。

「いかなる自己組織化されたシステム」とあるけれど、われわれ人間にかぎらず、様々な生物に当てはまることが想定されている。「システム」とあるので、生物でなくても成り立つけれども、たとえば氷の結晶には当てはまらないだろう。氷の結晶はシステムとして安定する境界を持っていないから。

そうすると「環境内で平衡状態でありつづける」というのは、氷の結晶が氷の結晶であり続ける話ではなくて、生命のあるものが生き続ける条件のことを言っているようだ。

そして「そのシステムの(情報的)自由エネルギー」というものが定義されるものでなければならない。(情報的)自由エネルギーというのがなんなのかはこれから順番に説明をしてゆくとして、いま知っておくべきは、そのシステムと外界との間での情報のやり取りに関わる概念なので、システムと外界との境界が必要なのだ。

ではシンプルな例でもっと具体的に表現してみよう。

[0-2. 知覚=現在の外界の状態の推定]

図0-1の例ではagentが外界に接している状態が表現されている。先程も書いたようにこの「自己組織化されたシステム」は人間や生物に限らない。そのことを示すために以降「agent」という呼び方で統一する。

EFE0_01b.png

図0-1: 知覚の例


いま使う説明では、世界自体はわれわれの現実世界とまったく同じものなのだけど、agentが世界を切り分ける能力が低いので「外界の状態」は2つしか区別できない。「照明オン」と「照明オフ」だ。Agentは照明オンかオフかについて直接アクセスすることはできない。つまり「外界の状態」はagentにとって隠れ値だ。

Agentは「外界の状態」を推測するために「感覚入力」を用いる。ここでは網膜のような光センサーがあって、照明の明るさに従って「明るい」「暗い」という2つのどちらかの値を時々刻々観測している(agentの識別能力が低いので2つの値しか区別できない)。Agentはこの観測データにだけアクセスできる。いま「感覚入力」と書いたが、「感覚sensation」と「知覚perception」を区別するためにこの言葉を使っている。たとえばわれわれが写真を見たとき、網膜の視細胞の活動のようなセンサー値が「感覚入力」だ。そしてその写真になにが写っているか知ることが「知覚」だ。

Agentは「感覚入力」を元にして、「外界の状態」がいまどうなっているかを推定する。これが「知覚」だ。たとえば「感覚入力」が「明るい」を観測したなら、「外界の状態」は「照明オン」である可能性が高いだろう。100%高いとは言えないことはわれわれは経験上知っている。「照明オン」でも「感覚入力」が「暗い」を示すこともありうるだろう(照明とセンサーの間になにか邪魔なものがあるかもしれない)。よってこの設定では、知覚とは、「外界の状態の推定」とは、あくまで確率的に表現される。「外界の状態が照明オンである確率は90%」というように。確率で表すことによって、推定がどのくらい確実かというuncertaintyも表現することができる。

でもそもそもなぜ「感覚入力」から「外界の状態」を推定できるかといえば、agentはこれまでの経験から、「外界の状態」がどのように「感覚入力」に影響を与えるか、その因果関係について学習しているからだ。外界におけるこの関係を「生成過程」と呼び、agentが学習したこの関係を「生成モデル」と呼んで区別する。「生成過程」は外界の物理法則そのものだが、「生成モデル」はそれを写し取ったモデルでしかない。ゆえにモデルは間違っている可能性がある。今の場合も3次元の世界で照明からセンサーに光が届く生成過程があるのだけど、それをひとつの光センサーしかもたないagentは生成過程を1点に投射されたものとして生成モデルを獲得している。

[0-3. 行動選択=未来の外界の状態の推定]

しかしこのような設定ではagentは「桶の中の脳」と同じで、外界の生成過程を正しく生成モデルとして維持する方法がない。ここで行動を考える必要が出てくる。行動を含めた世界設定の図を示す(図0-2)。

EFE0_02.png

図0-2: 感覚運動ループ


ここでは「外界の状態」が「感覚入力」という観測データを生み出し、「外界の状態」を推定するagentの内部状態が「行動選択」という「外界の状態」への介入を行うというループが閉じている。これを感覚運動ループと呼ぶ。

このループを使うことで、agentの「生成モデル」は外界の「生成過程」と整合的であるように維持される。たとえばいまagentは「感覚入力」が「暗い」を観測していて、「外界の状態の推定」(=知覚)として「照明オフ」の確率90%としている。これを確かめるために、「行動選択」を「スイッチオン」にして、「感覚入力」が「明るい」になれば、現在の「外界の状態」が「照明オン」であるという推定(=知覚)の根拠となったagentの「生成モデル」は正しく機能していることが確認されるので、そのまま維持すればよいということがわかる。

この「行動選択」では、これからする行動(スイッチオン)が「未来の外界の状態」を「照明オン」にして、「未来の感覚入力」が「明るい」になるという推定をしたうえで、別の行動(スイッチオフ)ではなくスイッチオンが選ばれる。つまり「行動選択は未来の外界の状態の推定」に基づいている。

さきほどの知覚の話のときには「知覚とは現在の外界の状態の推定」であると書いた。両者を合わせると、知覚も行動選択も「外界の状態の推定」をいかにうまく行うかが知覚の正確さ、行動選択の正しさを決める。このようにして知覚と行動選択とをまとめて捉えることができる、これが「自由エネルギー原理が知覚と行動選択を統一的に説明できる」ということの内実だ。

ここまで(情報的)自由エネルギーがなにかの説明はしてこなかったが、(情報的)自由エネルギーとは「外界の状態の推定」をするときにagentが(非明示的に)使っている指標だ。Agentが(情報的)自由エネルギーを減らすように(脳や身体といった)内部状態を変化させるとき、知覚は現在の外界の状態を正確に推定できるようになり、行動選択は未来の外界の状態を正確に推定するように選ばれる。

いったんまとめる。

  • 知覚: 現在の外界の状態の推定
  • 行動選択: 未来の外界の状態の推定(の帰結)

[0-4. 学習=外界の状態を推定するモデルの更新]

冒頭にFEPとは「知覚と行動と学習の統一原理」だと書いた。では「学習」はどこに関わってくるか?

さきほどの例を用いれば、いまagentは「感覚入力」が「暗い」を観測していて、「外界の状態の推定」(=知覚)として「照明オフ」の確率90%としている。これを確かめるために、「行動選択」を「スイッチオン」にすれば、「感覚入力」が「明るい」になるだろうという予測を立てて行動選択をする。この予測が正しければ、推定の根拠となったagentの「生成モデル」は正しいのでそのまま維持すればよい。しかしこの予測が裏切られたとき、つまり「スイッチオン」にしたのに「感覚入力」が「暗い」を観測した。このときが「学習」の出番だ。

予想外のことが起きたときのまず最初の対処法は、繰り返しスイッチオン、オフを繰り返して行動選択から予測のサイクルを回す方法だろう。しかしもしこの予想外が続くのであれば、「生成モデル」が間違っている、現在の状況に合わなくなったということなので、生成モデルをアップデートしなければならない。これが学習だ。

発達や老化も同じように捉えることができる。Agentは発達により明るさセンサーの特性が変わると、どういう状況でも「明るい」を観測するようになるかもしれない。このようにして発達においても生成モデルの改変が必要になる。

同じことは進化にもあてはまるだろう。気球規模の変動で新たな環境に対応しなければならなくなったagentは、新たな環境(火山噴火によって照明は常に暗く観測されるかもしれない)に合わせた新しいセンサー特性へのアップデートが必要になるだろう。

このようにしてFEPは「知覚と行動と学習」について「生成モデルを元に外界の状態の推定する」という単一の枠組みで統一的に説明することができる(と主張している)。以上をまとめるとこうなる:

  • 知覚: 現在の外界の状態の推定
  • 行動選択: 未来の外界の状態の推定(の帰結)
  • 学習: 生成モデルのアップデート

[0-6. まとめ、以降の方針]

これでFEPとはなにか、ということについて数式を用いない範囲で言えることをだいたいいうことができた。FEPのような原理が本当にあるのかはわからないけど、まずはこの理論について知ってみよう、そのうえで、知覚と行動選択と学習とを統一的に説明できる理論というものがありうるか考えてみたい、これが私のFEPに対する態度だ。

よって以下の説明でも、FEPのような原理はありうるのかという観点から、実際の神経科学的データを説明するためにFEPを使うテクニック的なところには入り込まないようにして、なるたけFEPの本質的なところだけ抜き出して理解することに注力するという方針を取る。

ところでこのFEPという考えはずいぶんキャラが立ってる。なんせ、知覚も行動も世界のことを知るためにあり、行動することで世界のことを理解できる、というのだから、これは学者的な世界観ではないだろうか? われわれは世界のこと全部わかってなくても不安ではないし、わからないなりにもなんとか生きてるし、わかったからってなんともならんことが多いよなと思うわけで。なんてことはどうでもいい。FEP人生論はここでストップ。


お勧めエントリ

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