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■ サマー オブ ラブとコムニタス
サマー オブ ラブ(1967)、セカンド サマー オブ ラブ(1988-1989)に加えて、ニコ動、初音ミクの2007年をサード サマー オブ ラブと捉える史観があるというのを知った(『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』柴那典)。
でも、サードが来るのはむしろこれからだと思う。「インターサブジェクティビティー!」という幻想の同時発生がSummer of Loveの本質であり、次に来るサード サマー オブ ラブでもそのような幻想と幻滅とがなにかのテクノロジーとともに再来するだろう。
「インターサブジェクティビティー!」というのはサマー オブ ラブの元となったケン・キージーらのアシッドテストのムーブメントで使われたキーワードで、このムーブメントの興没はトム・ウルフの"Electric Kool-aid acid test"にて描写されている。詳細については以前のエントリを参照してほしい。
(ところでニコ動と初音ミクのムーブメントは、サマー オブ ラブに連なるものというよりは、イギリスのパンクムーブメントや日本のイカ天バンドブームとかの系譜ではないだろうか?)
サマーオブラブにおける「インターサブジェクティビテイー!」という感覚について調べていたら(<-そんなもん調べるな)、文化人類学者のヴィクター・ターナーによるコムニタスという概念を知った。まさにこれだ!元論文はこれ:"Liminal to Liminoid, in Play, Flow, and Ritual: An Essay in Comparative Symbology"
Spontaneous communitas is "a direct, immediate and total confrontation of human identities … It has something 'magical' about it.”
"this moment when compatible people - friends, congeners - obtain a flash of lucid mutual understanding on the existential level"
"… if only the group which is felt (in the first person) as "essentially us" could sustain its intersubjective illumination."
これだわ。自発的にほんのいっとき繋がるかんじ。昔書いたこれとかまさにそんなかんじ:「部室でジャムった日のこと。」
じっさいに、カトリックの巡礼、ヒッピーのムーブメントやレイヴカルチャーとかの場面でこのコムニタスという概念は援用されているようだ。ケン・キージーが「東方への旅」に言及したのも当然のことで、自分のやっていることを分かっていたのだ。
さらに調べてみたら、「インターネットとコムニタス」という記事も見つけて、面白いなあと思ったら風野春樹氏の記事だった。