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■ Ehud Ahissarの閉ループ知覚仮説がほとんどSMC説だった
このツイートにあるCOSYNE19のレポートを見て知ったけど、ワイツマン科学研究所の神経科学者Ehud Ahissar(ラットのヒゲ触覚、アクティブタッチの研究で有名)による知覚理論がすごくSMC的なことを言っている(SMC: Alva Noeのsensorimotor contingency説)。この理論についてeLife 2016を読みながらまとめてみることにしよう。
彼の問題意識は「外界からの刺激から脳活動までに時間遅れがあること」と(ギブソンやNoeの)「直接知覚」をどう整合的に説明するかというもの。
彼の仮説「閉ループ知覚(CLP)仮説」によると、アクティブな知覚では、感覚、運動、身体、外界を含んだ閉ループが形成されて、そのループに属する外界の対象と脳の活動と身体は同じ知覚的時間(not物理的時間)として捉えられる。(Webサイトに短い説明あり。)
外界のある刺激が知覚されるかどうかは、外界の刺激そのものでは決まらない。それを動きのあるセンサ(ヒゲだったり、眼球運動だったり)が探り当てたときのみ、このループの中に取り込まれて、定常状態へと向かうことで知覚として成立する(eLife 2016のFig.4C)。
この閉ループを言い換えるなら「外界と身体も含めたセルアセンブリ」と言えそうだ(と私は理解した)。そしてそれが状態空間の中である定常状態(アトラクタ)に近づいてゆくのだけど、その定常状態の軌道がどういう形をしているか(固定点、リミットサイクル、カオスアトラクタ)がどういう知覚なのかを決める。
つまりCLP仮説では脳内表象を想定してない(eLife 2016のFig.1)。閉ループそのものが知覚であるとしている。見つけた動画ではループの穴が知覚者だと表現している。ドーナツの穴はドーナツそのものではないけど、ドーナツがなければ存在し得ない。それと同じようなことだと理解した。(ちなみにこの動画は録音状況がひどく悪くて時折音が割れるので耳を傷めないようにご注意。)
CLP仮説によれば、知覚される対象はループの一部に属しているので、知覚の原因でも無ければ、推測の結果でもない。そのような意味で、この知覚は直接知覚だ。(無意識的推論のような)感覚入力から推測される間接的知覚ではない。
この閉ループをぐるぐる回して定常状態に達するまでの過程で、外界の対象も自分の身体も閉ループに取り込まれてゆく。この取り込まれるまでの時間の違いで外界と身体とを区別する。(ゆえに本質的違いはなく、この境界は拡張しうる。)
CLP仮説によれば、そもそも知覚というのは普通の状況ではアクティブなものであって、(実験で使われる)パッシブな刺激はその特別な状態として取り扱われる。つまり、アクティブな知覚においては、刺激はループに取り込まれて定常状態へと向かうが、(ガボールパッチのフラッシュのような)パッシブな刺激では、ループの中に短時間取り込まれて定常状態までたどり着かないものとして説明する(eLife 2016のFig.5)。
このループでの知覚の強度(というか論文内ではperceptual confidence)が何で決まるかはまだ確定してないけど、ひとつの可能性として「内部モデル」であると言っている。よってCLP仮説でのループと言っているものの実体が予測符号化の回路であってもよいということになる。(このことはこれまでに私が書いてきた、FEPをenactiveにする(無意識的推論ではなくて)という問題にとって重要。)
こうしてまとめてみると、ほとんどAlva Noeのsensorimotor contingency (SMC)説と同じようなことを言っているなと思う。ただし、SMC説においては脳のことがほとんど語られない(ゆえに神経科学者からはほとんど相手にされてない)のに対して、CLP仮説は脳と身体と環境を含んだ力学系という、実験による計測と操作を用いた検証が可能なもので構成されている。あと、SMC説の「知覚とは探索である」が過激さを狙った傾いた表現で誤解を生みがち(例:「夢では行動はないけど知覚はあるよ」)であることを考えると、CLP仮説での「知覚とはループ(or アトラクタ or 拡張されたセルアセンブリ)である」は神経相関という考えに慣れた神経科学者からは反発を受けにくいだろう。そういうわけで、CLP仮説は神経科学者がシリアスに受け取ることが可能なSMC説として機能していると思った。
また、基本的な道具立ては力学系で、時間の話も入っていて、これはいいと思った。ここしばらくFEPをエナクティブにするということを考えているのだけど、この「閉ループ知覚仮説」はそういう意味で非常に参考になるのではないかと思った。
弱点はいろいろありそう。この閉ループ仮説の論敵として出てくる開ループシステム(つまり、外界の入力から脳が活動して表象を作る)では知覚の動的特性を捉えられないと議論するけど、それでは予測符号化で無意識的推論をするシステム(ただし行動は入ってない)を否定することはできない。つまり、論敵の矮小化をしている。あと、複数の刺激や時間をどう統合するかの理論がないので、あと付け的に相関によるbinding問題の解決、みたいなことを言ってる。このあたりはいまいち。
なお、「閉ループ知覚仮説」はあくまでも(アクティブな)知覚の理論であって、意識の理論ではない。じゃあ両者はどのように異なりうるのか、というのが次の問題なのだけど、長くなったのでまた別の機会に。
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2019年03月17日
■ FEPからシュレディンガー経由でMEPへ?
神谷さんのツイートでシュレディンガーが予測符号化的なことを言っているのを知った。
“Erwin Schrödinger’s in “Mind and Matter” proposes a “psychophysical linking hypothesis” that connects the functional tones to meanings and qualities: if an expectation is falsified in perception, you “meet nature” - it is a moment of learning: “it discharges a spark of awareness””(Jan Koenderinkのスライド "World, Environment, Umwelt and Innerworld"のp.55 PDF)
昔翻訳(「精神と物質―意識と科学的世界像をめぐる考察」エルヴィン シュレーディンガー 工作舎)は読んだことがあるけど記憶がない。調べてみた。まずこのスライドの作者のJan Koenderinkが書いているものを探すと、Jan Koenderinkのスライド "Awareness (PDF)"で言及してた。
“Consciousness is associated with the learning of the living substance; its knowing how is unconscious.” (p.14-15)
この文章を"Mind and Matter"の原文から探し出す。原文はInternet archiveにある。第1章のp.98だった。 そうとなれば"Mind and Matter"の第1章を読んでみよう。超訳でまとめてみる。
われわれは繰り返しがあるものについて、初めのうちはそれを意識経験として持つけれども、繰り返すうちに興味を失い、意識からも消え去る。例えば、見慣れた研究室までの道がある日行き止まりになっていて回り道をすると、道のことは意識に浮かんでくるけれど、また慣れてしまえば意識の閾値下に落ちる。
発達においても同じことが見られる。われわれは環境と交互作用して、その状況への変化に適応する、この機能に意識は関連している。
Koenderinkはここを引いて、micro-enlightenmentsという表現をしている。この表現はいいな。我々は日々小さな気づきを積み重ねていて、それこそが意識に上ってきているものなのだと。
FEPで考えれば、感覚入力sとその原因xとの間の同時確率=生成モデルp(x,s)の分布自体を学習によって変化させること(<->active inferenceでのサンプルする感覚入力sを変えることとは別)に対応していると言える。
意識の強度としてFの変化量や変化の向きを使う議論がある(乾先生の本やスライドで引用されるPLoS Comp Biol 2013)けれども、それよりは生成モデル自体の変化の大きさとかそれにいかに自己の行動による介入が寄与したかのほうを意識に引き寄せて考えてみたいと思っている。(Practicalには、多くの場合でFと生成モデルは同じような挙動を示すだろうけど。)
KoenderinkのPDF自体は面白そうなのでまた追っておくとして、さらにシュレディンガー方面を追っていくことにする。というのもFristonの論文で「FEPの立場からシュレディンガーの「生命とは何か」という問いに答える」(“Answering Schrödinger’s question: A free-energy formulation”)という論文 Physics of Life Reviews 2018があるからだ。
この論文はTinbergenの4つの問いにつなげる議論とか、FEPの脳のあるシステムだけでなくもっと広い視点で当てはめてみようとするところが面白いのだけれど、じつのところ、タイトルから期待されることが書かれてなくて期待はずれ。つまり、シュレディンガーの負のエントロピー(「生命とは何か」の本文の注でこれは正確には物理的な自由エネルギーのことであることが書かれている)とFEPで扱われる情報理論的自由エネルギーの関係についてどう書いてあるか知りたかったのだけど、そういう話ではなかった。
でもこの論文に対するコメンタリで重要なものを見つけた。Leonid M.Martyushevによる"Living systems do not minimize free energy"。この人のコメントのうち1)が強力で、これを見て、わたしはFEPでの情報理論的(変分)自由エネルギーと熱力学での自由エネルギーのアナロジーは無理筋そうだという結論でほぼ説得された。(まあ、津田一郎先生や甘利俊一先生の前でFEPについて話したときの反応はもとからそんな感じだったけど。) たった2ページなんでまとめるまでもないのだけどこんなかんじ(超訳で):
著者らが「自由エネルギーの最小化」という定式化にこだわるのはどうやら、著者らのアプローチが統計熱力学に基礎をおいており、それゆえに普遍性があるといいたいからのようだ。しかしこのことこそが(とくに)物理学者にとっては誤解を生む点であり、物理学者がFEPのことを否定するもしくは無視する結果となっている。著者らが意図した物理とのアナロジーには、根本的に不整合な点が二つある。
- 物理においては(ヘルムホルツの)自由エネルギー最小化は等温、定積での系が平衡状態に向かうことを指す。いっぽうで著者が考えるような生物システムは根本的に非平衡系であり、平衡状態を追い求めることもしない(定積のシステムでもない)。生物システムにおける平衡状態とは死のことだから、FEPによれば生命の目的とは死であることを意味してしまう。生物システムの過程を取り扱うためには、平衡系での熱力学ではなく、非平衡系での熱力学を用いるべきだ。具体的には(ギブスの)自由エネルギーやエントロピー生成の時間的変化を考えるべきだ。ここでエントロピー生成最大化原理 maximum entropy production principleが役立つかもしれない。
- (省略: エントロピーの扱いの問題、第二法則との関連)
この著者自体が「エントロピー生成最大化原理」をやっている人なので割り引いて考えたほうがよいかもしれないけど、たしかに、生物がエントロピー増大の法則に抗して存在し続けることができるのはなぜかという問題についての、シュレディンガーの負のエントロピーからプリゴジンの散逸構造へという流れを考えると、FEPってぜんぜんそこを踏まえてないなと思った。
さっそくエントロピー生成最大化原理について調べてみた。概念自体はE.T. Jaynesとかから始まっているらしいが、いろいろな分野で進められてきて、知見が散らばっている状態だったのをまとめたのがこのMartyushevによる総説(“Maximum entropy production principle in physics, chemistry and biology”)ということらしい。これを読むのは無理なので、島崎さんに教わることにしよう。
もうちょっと簡単な説明を探していたら、応用分野での解説論文を見つけた。
- 理論と方法 (2011)「エントロピー生成率最大化(MEP)の原理 社会分析への適用可能性」
「エントロピーに関しては,その増減を支配する2つの重要な法則がある.外界から隔絶された閉鎖系で成り立つ熱力学の第2法則と物質やエネルギーが絶えず出入りする開放系で成り立つエントロピー生成率最大化(MEP)の原理である.前者はエントロピー増大の法則として以前よりよく知られているが,後者は近年の非平衡熱力学,複雑系研究の成果として得られた新たな知見で,社会科学の研究者の間で,その存在を知っている人はそれほど多くない.」 「本論文で扱うMEP原理とは「散逸構造はエントロピー生成率が最大になる状態で実現する」という熱力学的な最適原理である。熱平衡から遠く離れた開放系において、自由度が大きい、境界条件が固定されないなどの条件が満たされると、MEP原理に従って散逸構造が形成される。散逸構造の特徴は低エントロピー性にある。散逸構造はエントロピー生成率を最大化し、生成されたエントロピーをシステム外に放出することによって、自らの低エントロピー状態を維持しているのである。」
- マリンエンジニアリング (2017) エクセルギー・エントロピー過程から考える海洋ゴミの再資源化 - 分散エネルギーで駆動する “資源循環エンジン” の提案
「クレイドンら(Kleidon and Lorenz 2004)により提案されているエントロピー生成率最大化(Maximum Entropy Production)理論は,地球大気の自由エネルギーの流れの過程から導きだされたもので,平衡から大きく離れた開放系において,境界が固定されないなどの自由度が高い場合,散逸構造が生まれ,この散逸構造内で生じる秩序構造によりエントロピーは低くなる(低エントロピー領域が生まれる)が,散逸系と取り巻く全体の系では,エントロピーの生成率が最大化されるというものである.生態系もこのエントロピー生成率を最大化させるように,様々な生物種の連携により生態系の活動を最大化させようとしていると理解できる.」
うん、やっぱりこっちなんではないかな! 以前enactivismの本質としてEvan Thompsonがadaptivityとautopoiesisということを言っていて、FEPはadaptivityの部分を担当しているのだろうと考えたのだけど、adaptivity + autopoiesisってまさに非平衡系における自己組織化で考えるべきだよな。やっぱ津田先生が正しかった!
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2019年03月10日
■ エナクティビズム入門準備中(2): エナクティビズムとFEP
Tom FroeseがMichael D. Kirchhoffといっしょに書いたFEPとenactivismの合体についての論文 Entropy 2017 "Where There is Life There is Mind: In Support of a Strong Life-Mind Continuity Thesis"を読んでた。細部はまだだが議論の構造はだいたいわかったのでここでまとめてみる。
この論文の中で著者は[FEPからLife-mind continuityをどう捉えるか]についての4つの立場を紹介する。
連続的ではないとする立場がふたつ:
- Hohwyの認知主義
- Fristonの"Life as we know it"での考え
連続的であるという立場がふたつ:
- Andy Clarkのradical enactivism
- Kirchhoffのautopoietic enactivism
ざっくりとしすぎではあるがそれぞれの立場をまとめると、
- Jakov Hohwyの立場では、生成モデルを持ってinferenceできればmindなので、機械でもmindを持つことができる。つまりlife-mindの連続性は不要。渡邉正峰さんの「脳の意識 機械の意識」とか金井良太さんはこの立場だろう。
- Karl Fristonは"Life as we know it"論文では、生命がなくても複数の時計の針の同期のようなものさえもある種のinferenceをしているのだと唱えるので、汎心論的な考えになっている。これもlifeがなくてもmindがありうる。ただし、1)とちがって認知主義的ではない。
- Andy Clarkはlifeのあるところにmindが遅れてやってくるという意味ではlife-mindの連続性を考慮するが、1)の認知主義を排除しない。
- Michael Kirchhoffはlifeのあるところつねにmindの元となるようなものがあるという意味でのlife-mindの連続性を3)よりももっと強く主張する。
だいたいこんなかんじになるだろう。あとはもっと読みこむ必要がある。
(注:じつのところFristonの立場は論文によって振れ幅がある。Michael KirchhoffやJelle Bruinebergとの共著では4)の立場に近づくし、Anil Sethの考えに準拠しているときは3)の立場に近づくし(意識とtemporal thicknessの論文)、Alan Hobsonとの夢の論文やHohwyとの共著では1)の立場に近づく。日和見主義者だな!と正直なところ私は思うのだが、Friston本人は自身を物理学者だと自認しているようなので、本質は2)のようなFEPをエントロピーと関連させて捉える考えにあるのだろうと推察する。)
この論文での4つの立場は、私のスライドp.96-99での、FEPから意識を持つ条件を分類した3つの立場(Perceptual inference / Active inference / Counterfactuals)と関連づけられそうだ。つまり、
- [意識 = Perceptual inferece派]はHohwyの立場と重なる。
- [意識 = Active inference派]はKirchhoffの立場と重なる。
- [意識 = Counterfactuals派]はClarkの立場と重なる。
ということ。かなりざっくりだが。
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2019年03月09日
■ エナクティビズム入門準備中(1): Evan Thompsonによるエナクティビズムの特徴
エナクティビズムをどう説明したらいいか、資料を探していたが、基本的な文献の一つはEvan Thompsonの"Mind in Life"だろう。この本のp.13-14ではエナクティブ・アプローチを以下の5つの項目にまとめている。(同じ文章が"Precis of Mind in Life"(PDF)の中にあり。)
「エナクティブ・アプローチ」はいくつかの関連する考え方を一つにまとめたものだ:
- 自律性(autonomy): 「生きている存在」は自分自身を生成し維持する、そしてそれによって自分の「認知的ドメイン」を産出(エナクト)する。
- 「生きている存在」のもつ神経システムは自律性を持った動的システムである。つまり、その神経系は他のニューロンへ作用を及ぼすニューロンによって作られるcircularおよび再入力するネットワークの操作によって、それ自身のcoherentかつ意味を持った活動パターンを生成し、維持する。その神経系は計算主義者が言う意味での「情報の処理」をしているのではなくて、「意味の創出」を行っているのだ。
- 認知cognitionとは環境の中に埋め込まれsituated身体化されたembodied行動による技能化されたノウハウの実行のことだ。認知的な構造とプロセスは知覚と行動からなる再帰的な感覚運動パターンから創発してくる。有機体と環境からなる感覚運動カップリングはその神経系の活動の(内因的な)動的パターンを決定づけるのではなくて、あくまでもそれをmodifyするのに留まる。そしてこの神経系の活動が今度は感覚運動カップリングにinformする役割を持つ。
- 認知する存在の世界は、(脳によって内的に表象されている)予め決められた[外的な領域]ではない。認知する存在の世界とは、[その存在の自律的な主体性]と[その存在が環境とカップリングする様式]によって産出(エナクト)される[関係的なドメイン]である。
- 「経験experience」とは付帯現象的な副作用ではなく、その存在が持つ精神mindを理解するのに当たって中心的なものであり、現象学的方法によって注意深く明らかにされる必要がある。
これらの理由から、人間の経験についての[認知科学]および[現象学的探求]は。相補的かつ互いに知見を与え合う形で追求される必要がある、このように「エナクティブ・アプローチ」は主張する。
この説明を見ると、2)3)のあたりに神経ダイナミクスについての項目がある。北海道サマーインスティチュートでの私の担当部分の講義では、そのあたりの説明に注力することになるだろう。
あと、enactivismを説明するためにはそれらの近隣の概念として4E cognition (embodied, embedded, enactive, and extended)の違いの説明も必要だろう。
参加者はさまざまな背景の方になるので、神経科学の基本のうち、エナクティヴィズムの説明に必須な部分を抽出する必要がある。神経ダイナミクスの説明のうち、「脳には身体が必要」「脳は環境と相互作用してループで動作する」ということは基本中の基本ではあるけれども、それだけでは4E cognitionのうちembodied / extendedまでの話にしかならない。
Enactiveな神経ダイナミクスの説明では、[自律性(or 操作的閉包)]と[意味生成]の概念について実例をあげることが必須となるだろう。
前者について説明するためには、神経ネットワークが自発的活動を持って時々刻々活動を変化させているのであって、外部入力に受動的に応答するものではないということを伝える必要があるだろう。このことはそもそもの素子である神経細胞についてもそうであって、神経活動の発火というのは状態空間の中でぐるぐる回ることだ。
後者については、いつも使っているHurley and Noeの可塑性からの回復の議論(脳が表象をつくるとするinternalist viewと外界との相互作用によって作られるexternalist view)のトピックなどを採り上げるだろう。
もうひとつ、Evan Thompsonのトークの動画とスライドというのも見つけた。こちらではエナクティビズムについて多少違った表現をしている。スライドにあるenactive propositionsというのを抜き出してみよう。
- Autopoiesis (self-production) and adaptivity (self-regulation with respect to the system’s viability conditions) are necessary and sufficient for life.
- Autopoiesis is the paradigm case of autonomy—the best understood and minimal case of an autonomous organization.
- Autonomy and adaptivity are necessary and sufficient for agency and sense-making.
- Living is sense-making in precarious conditions.
- Cognition—being directed toward objects as unities-in-manifolds of appearance with spatial (foreground-background) and temporal (past-present-future) horizons—is a kind of sense-making linked to movement and the nervous system.
この定義で説明するためには、そもそもオートポイエーシスとはなにかという説明が必要になる。これはなかなか鬼門。田口さんがサジェストしたように、
@ShigeruTaguchi もっと一般的で簡潔な仕方で導入し、後の方で「この考えを突き詰めていくとオートポイエティックな見方にも言及する必要が出てくる」として、簡単に紹介する程度にとどめるのがよいかもしれません。
こういう感じのほうがよいように思う。
ただ、この特徴づけには考えさせるものがある。Enactiveであるとはつまるところ、life-mind continuityそのものであるのだけど、それを二つのキーワードで表せば、autopoiesisとadaptivityなのだ。FEPはadaptivityの部分の定式化であって、autopoiesisの部分の定式化にはなっていない。やっぱりそこが必要なんだと思う。
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- / 投稿日: 2019年03月09日
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2019年03月07日
■ 「エナクティビズム入門一週間コース」をやります/エナクティビズムっていったいなに?
今度の8月に北海道大学で「エナクティビズム入門一週間コース」をやります。ぜひ来てください。
コースの詳細についてはこちら:Philosophy: Introduction to Enactivism: Moving to Know, Knowing to Move
これは北海道サマーインスティチュートという北大で何回か行われているイベントの一部です。このなかで北大文学部の田口茂さんはこれまで現象学をテーマにした講義を行ってきましたが、今年は田口さんに声をかけてもらって吉田も講師をさせていただくことになりました。講師は私(神経科学者)とTom Froese(複雑系研究者)と田口茂さん(現象学者)の三人で異なる分野をカバーしつつ、エナクティビズムについて講義と実習を行おうというものです。
日程は8/5(月)-9(金)で朝10:30から夕方16:15まで、まるまる一週間使ったものになります。参加者は国内、国外両方含んで英語での講義、実習となります。参加申し込みの資格、手続きなどについてはApplicationsをごらんください。参加募集のほうは一次募集が2/1-2/28で一旦クローズしたところです。こんど4/26-5/8に二次募集がオープンします。それに向けてこのブログでも宣伝活動をしてゆきます。
さてさて、ところでエナクティビズムっていったいなんでしょうか? この言葉を最初に使ったのはヴァレラ、トンプソン、ロッシュの「身体化された心」ですので、そこから引いてみましょう。
まずエナクティビズムの定義の前に、認知主義的アプローチ(脳を計算機として捉える立場)について質問形式で表現しています。
- 問1: 認知とは何か?
- 答え: シンボルによる計算(ルールベースでのシンボルの処理)としての情報処理
- 問2: 認知はどのようにして働くのか?
- 答え: シンボルの維持と操作が可能であるデバイスを通して働く。このシステムはシンボルの形式(およびその物理的属性)と相互作用するが、シンボルの意味とは相互作用しない。
- 問3: ある認知システムが適切に機能しているかどうかはどうやったらわかるのか?
- 答え: そのシンボルが実世界のある側面を適切に表象したうえで、情報処理によってそのシステムが与えられた問題をうまく解決できたとき。 (訳本p.73-74 吉田による原文からの超訳)
これに対してエナクティブ・アプローチではどのように答えるか、同じ質問形式で表現しています。
- 問1: 認知とは何か?
- 答え: エナクション(=行為からの産出)。これは世界を創出する、構造的カップリングの来歴のこと。
- 問2: 認知はどのようにして働くのか?
- 答え: 相互に結合した感覚運動ネットワークからなる、様々なレベルを持つネットワークによって働く。
- 問3: ある認知システムが適切に機能しているかどうかはどうやったらわかるのか?
- 答え: その認知システムがいまここで存在している世界の一部となっているとき(これはどの種の子孫においても見られる)、またはその認知システムが新しい世界を形作るとき(これは進化の来歴の中で起きる)。 (訳本p.292-293 吉田による原文からの超訳)
まあわかりにくいですね。エナクションenactionとはある認知システムが身体を通して環境に働きかけて意味と世界を作り上げるということです。 説明的翻訳だと「エナクション=行為からの産出」となります。「構造的カップリング」とはなにか、これは後で出てきます。
ではエナクティビズムの定義について、べつの例を見てみましょう。Shaun Gallagherが最近出した本 "Enactivist Interventions"についての特集号でprecis(要約)を書いてます。ここにエナクティビズムの中心的考え7つをリストしてありました。網羅的なものではないという断りはあったけど、これをまとめてみましょう。
- 「認知」は脳内のみのイベントではなく脳-身体-環境に広がっている。
- 「世界」は認知と行動によってエナクトされる。
- 認知プロセスはこの世界における意味の獲得であり、表象のマッピングではない。
- エナクティビズムはダイナミカルシステム理論と強い結びつきを持つ。
- 認知システムは(自己から)拡張されているが、機能主義的な「拡張された心」のことではない。
- 高次認知機能も技能的なノウハウの実践である。
- このような高次認知機能は感覚運動的協調のみならず身体の情動的な側面にも根ざしている。
それではもうひとつ、Karl FristonがEmbodied Cognitionについて語った動画があるのですが、それに聞き取りが書かれています。それを読んでみましょう。(ちなみに聞き取りもYouTubeの自動字幕もenactivismをinactivismと書いてる。「不活動主義」じゃないよ!暗い部屋大好き主義みたいじゃん!<-案外的を射ている)
弱いエナクティビズムでは、たんに我々の行動は我々の認知にとって重要だというものだ。…たとえば空港内で危険人物を見つけるロボットを作らないといけなかったとする。このときロボットはその人物が何をしているのかについての不確定性を下げるために情報をサンプルする。これがアクティブ・サンプリングというもので、ほぼ常識になっているような考えとしてのエナクティビズムだ。 しかしもっと徹底的なエナクティビズムもある。その考えでは脳と表象主義を無しで済ませようとする。有名な例としては(脳または制御ユニットなしに)二足歩行で坂を下るロボットがある。(訳注: たとえばこれみたいなのだと思う youtube ) つまり、認知は身体にあるわけだ。これが徹底的なエナクティビズムだ。ロボットの身体の構造自体が環境にチューンされている。すべてはそのような身体と環境のカップリングのなかにあるというわけだ。
ここでの「弱いエナクティビズム」はギャラガーはエナクティビズムにいれないだろう。「二足歩行で坂を下るロボット」の話で出てくる「身体と環境のカップリング」、これがヴァレラの定義で出てきた構造的カップリングのことです。
エナクティビズムについて知りたい方への参考図書としては、コースのシラバス(PDF)に記載した以下の3冊がよいかと思います。
- 「知恵の樹―生きている世界はどのようにして生まれるのか」 ウンベルト マトゥラーナ, フランシスコ バレーラ
- 「身体化された心―仏教思想からのエナクティブ・アプローチ」 フランシスコ ヴァレラ, エレノア ロッシュ, エヴァン トンプソン
- 「知覚のなかの行為 (現代哲学への招待 Great Works)」 アルヴァ ノエ
それではぜひ応募してください。次の募集期間は4/26-5/8です。実習があるので人数にかぎりがあります。よろしくお願いします。参加申し込みの資格、手続きなどについてはApplicationsをごらんください。
次回のブログ内容の予告:どういう内容の講義をするかの構想案。Tom FroeseがMichael D. Kirchhoffといっしょに書いたFEP(およびpredictive processing)とenactivismの合体についての論文Entropy 2017 "Where There is Life There is Mind: In Support of a Strong Life-Mind Continuity Thesis"の解説、などなど。
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- / 投稿日: 2019年03月07日
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2019年03月06日
■ FEPでないと説明できないような現象はあるのか?
Samuel J. Gershmanの"What does the free energy principle tell us about the brain?"という論文がArxivに出ていることを教わった。
読みおえたのでまとめておく。Gershmanが言いたいことはだいたいこんなかんじだった。
- FEPはperceptual inferenceに関しては近似的推測q(x)の形を自由に決めることができるときはベイズ脳仮説(事後分布の直接推定)と等価。
- FEPから予測符号化を導くためには平均場近似やラプラス近似などの仮定が必要なので、両者は等価ではない。
- Active inferenceでは単純な状況ではベイズによる情報量最大化と等価。
- Active inferenceで情報量最大化と価値最大化の両方を考えるときはベイズと等価でなくなる。
- 結論: これらの条件の違いを明確にしよう。
感想としては2段階ある。
- ベイズ脳とFEPを併置して実験検証するみたいな扱い方は、原理としてのFEPがわかってないよなと思う。これについては後述する。
- いっぽうでそういう読み方自体はFEP信奉者以外の研究者なら当然の反応だよなと思う。
2)に関しては私も先日のI-URIC研究会では同様な質問を受けた。つまり「FEPについて理解する意義はあるのか?つまり、FEPでないと説明できないような現象はあるのか?」と。けっきょくのところ、specificな状況ではそれぞれの分野にspecificな(ベイズ脳的)理論があるので、FEPはそれと等価になる。だから、そのspecificな状況を超えるような状況、たとえば探索でrewardとinformation gainの両方が必要なとき、運動制御で運動と知覚の両方が必要なとき、そういったときにはじめてFEPが具体的に役立つ場面が出てくる。そういうふうに答えた。
だから2)についてはGershmanの言うことはもっともで、今後具体的な検証の論文が出るかどうかでFEPの価値は問われるだろう。
さらに具体例を追加しておこう。Philipp Schwartenbeckの"Sci Reps 2015"では、value-based decisionのときに我々は現在と未来から得られるvalueを最大化するだけでなく、(ある課題条件では)将来の選択肢が増えるように行動選択する、ということを示している。これなんかはValue-based decisionの枠を超えた状況のモデリングと言える。
わたしの今後の研究もここに関わってくる。Free-viewingでサリエンシーの高いところを順番に見てゆくというようなモデルに対して、視線の移動によって情報量(または事後分布の推定)を最大化するといった情報理論的、ベイズ的なモデルが提唱されてきている(Najemnik and Geisler. Nature 2005)。ここでFEPは、固視して情報を集める(exploit)とサッカードをして新しい情報を求める(explore)を組み合わせて現在の状態推定をアップデートする、というより包括的なモデルを作ることができるだろう。
でも正直わたしは1)のほうがより重要な論点であると考えている。つまり、ベイズ脳とFEPを併置して実験検証するみたいな扱い方は、[計算論レベルにベイズ脳]があって[アルゴリズムとして変分ベイズ]という図式をとっていると思う。でもそれでは自由エネルギー「原理」にならない。
これはそもそもフリストン自身が書いてある事に混乱があって、「ベイズ脳->(一つの方策としての)Fの最小化->予測符号化による実装」というように読まれてしまう。でも、前回の記事でも書いたように、原理としてのFEPは「(原理としての)Fの最小化->(ひとつの方策としての)予測符号化->(その結果としての)ベイズ脳」を示唆している。(これは「大腸菌はFEPで駆動しているか?」といった問いに繋がる。)
これはあくまで私自身の解釈でしかないのかもしれない。しかし、この方向での考えによれば、まずはじめにFEPのようなある種の統制原理があって、それがあたかも生物に目的と自己があるように方向づけた。もちろんこれは生物の生存可能性をより上げるものなので、進化の過程で強化されるように働くだろう。そのようにして目的と自己を持った生物はさらにVFEを下げるように方向づけられてゆく。
そしてその統制原理というものの実体は、力学系としての脳と情報とを結ぶようななにか(たとえばそれがIITなのかも)なのかもしれない。それが情報熱力学的な研究でわかってきたりしないかな、と思う。
そんなこんなでいろいろ考えが進んだので、ここにメモしておいた。ではまた。
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2019年03月05日
■ 自由エネルギー原理(FEP)関連さらにいろいろ書いたことまとめ
「感情とはそもそも何なのか-現代科学で読み解く感情のしくみと障害-」乾 敏郎 (著)を図書館から借りてきた。四六判200ページで軽い読み物のような見かけをしているが、このページ数で感情障害から自由エネルギー原理までを説明するというけっこう密度が濃い本だ。
自由エネルギー原理が知覚、運動、自己、感情といった広い領域をカバーする統一理論であるということを日本語で読めるのはいまこの本だけなので、たとえば先日の私のスライドの前半を読んでFEPに興味を持った人は次はこの本に行くことをオススメします。
ただし、この本はKL距離など情報科学が概念がバンバン出てくるけどそのあたりについての説明はあまりないので、これだけで数式部分を理解しようとするのは難しいと思う。
後半部分を数式としてきっちり理解することを目指す人には「計算論的精神医学: 情報処理過程から読み解く精神障害」の3章「計算論的精神医学の方法」と7章「ベイズ推論モデル」を読むことをお勧めします。
Agencyの話(させられ体験とか)のようにベイズ脳だけで説明できるものもFEPの話にしているとか、active inferenceを-log p(s)を下げる話としてだけ説明してある(あたかもp(s)を独立して変えられそうに見えてしまう)とか、不満はある。でもこの本の意義からすれば些末なことだ。
@akabuchiyk さんからチューリッヒ大学の計算論的精神医学コースについて教えてもらった。資料へのリンクとか講義の動画とかいろいろある。いまPhilipp Schwartenbeckの"A beginner’s guide to Active Inference"という動画を見た。後半端折っているのが残念だけど、MDPバージョンのactive inferenceについての説明がある。
この動画の最後で紹介されていたOleg Solopchukによるmediumの記事。
- 予測符号化のNNおよびFEPについての解説記事 こちらはperceptual inferenceとlearningとを説明するというもので、EMアルゴリズム的に捉えている様子。元ネタはBogacz 2017なので、興味を持ったらそちらへ行くべし。
- Active inferenceについての解説記事 Friston et al 2015以降のMDPバージョンについての説明。この人の図はとても綺麗でわかりやすくてよい。わたしも見習いたい。
ベイズ脳仮説を脳で実現するためには、一つの可能性は(フリストンのFEPが前提としているような)確率分布のパラメーター(meanとvariance)を神経活動がコードするというものだ。しかしこれが唯一の可能な方法というわけでもない。もう一つの方法として、サンプリングによって分布自体をpopulation codingしているとする説もある。こちらの立場についての論文や総説を読んでた。
- NIPS 2002 “Interpreting Neural Response Variability as Monte Carlo Sampling of the Posterior.”(PDF)
- TICS 2010 “Statistically optimal perception and learning: from behavior to neural representations” これのBOX2とかTable Iとかがいいかんじ。説明に使いやすそう。(PDF)
- PNAS 2011 “Bayesian sampling in visual perception”
- Neuron 2016 “Neural Variability and Sampling-Based Probabilistic Representations in the Visual Cortex”
- TICS 2016 “Bayesian Brains without Probabilities”
最後のopinion論文についてのコメントで"Posterior Modes Are Attractor Basins"ってのを読んだら、サンプリングによるベイズ推定がフリストンのFEPとDecoの力学系的モデルを繋ぐものだって話をしている。これは以前私が書いた[Fを下げるという原理]=>[あたかもベイズ脳]と近いと思う。早くこういうことをやりたい!
いまの話を単純化してしまえば、計算論レベルにベイズ脳があって、アルゴリズムとして変分ベイズがあって、実現レベルでアトラクターダイナミクスがある、と見えるかもしれない。でもここには進化による見かけのデザインがあるだけで、トップダウン的な一方向の流れを想定するのは違うと思う。アトラクターダイナミクスが結果として変分ベイズを、ベイズ脳を実現している、というボトムアップの向きがありうると思う。
追記: 神経回路学会誌のFEP特集号の大羽さんの解説論文に関連する記載があったので、以下に短縮版を掲せておく。正確な表現は本文に当たってください。
…このフレームワーク(Edward)はおよそあらゆる確率的推論を変分推定の特別な場合として統一的に考えることで議論を単純化しているのが特徴であり、q(x)をデルタ関数に制約した特別な場合としてMAP推定を、q(x)をランダムサンプルの経験分布に制約した特別な場合としてMCMC法アルゴリズムを、q(x)をNNで生成する場合に制約した特別な場合としてGANを、それぞれ変分推論に含めている
こういうふうに解釈できるなら、FEPとは[ベイズ脳のうち変分ベイズというアルゴリズムを選択したもの]ではなくて、[脳がq(x)を持っていて、それを上記の意味で変分推論するときに定義されるVFEを下げるもの]と捉える見方に私は興味がある。
FEPはもともと脳の説明モデルとして考案されたものだけど、より大きな広がりを想定するようになった。つまり、進化や発達も含めた生物システムが安定に存在する条件といった意味になっている。Friston自身は“Answering Schrödinger’s question: A free-energy formulation”でそういうことに言及している。
この論文の最後に脳のないシステム、例えば大腸菌とかでFEPが成り立つのか、といった課題があると書いている:
“The challenge lies … in testing the current limits of the FEP by applying it to species without a brain, like E. coli, fungi and flora.”
そうしてみると、以前金井さん@kanair_jp が言及していた、大腸菌における環境の予測と学習の話は重要そうだ。論文としてはこちら:
- Science 2008 “Predictive behavior within microbial genetic networks.”
- Annu Rev Cell Dev Biol. 2012 “Beyond Homeostasis: A Predictive-Dynamic Framework for Understanding Cellular Behavior” 同じ著者による総説。
(追記3/6: 長くなったので、後半は別の記事として独立させました。)
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