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2004年05月31日

本サイト

のトップページのカウンタが1万人を超えました。見にきてくれた方、どうもありがとうございます。更新ははてなばっかりで、niftyの方はまったく更新していないので恐縮であります。しかし、ここまで来るのに6年、4-5人/dayというペースでした。のろいがしょうがない。ついでに自分の名前でググって見たら、ついにトップページが一番上に来た! 今までは北海道で写真撮ってる人と共立女子大学名誉教授のほうが上にいたのだけれど。
本サイトの方ももうちょっとなんとかしようと考えているのですが、いま計画しているのは、はてなの記事をテーマ別にまとめてリファレンスとして閲覧しやすくする、とかそんな活用の仕方です*1。項目は、ミラーニューロン、アフォーダンス、内部モデル、運動野、エピソード記憶、注意、decision、意識、初期視覚処理、形態視、知覚運動連関、眼球運動、ニューロンのコーディング、サイバネティクス、オートポイエーシス、これじゃ細かすぎるか。もっとおおざっぱに:神経回路、感覚、運動、高次脳機能、現象的意識、あたりでなら今までのエントリーでいろいろ分けて整理できるかも。
うぬっ、こういう口調の方が書きやすいなあ(いまだに模索中)。


*1:と言いつつもはてなに慣れてしまうと、たかがftp転送ソフトを立ち上げるのさえ億劫になってしまうのだけど。

ブラッドベリ

のペイパバックの真新しいやつが図書館のリサイクルコーナーにあったのでごっそり持って帰る。Dandelion Wineすでに持ってるのになんで持ってきたんだろ。


2004年05月30日

Goodale and Milner

昨日からの続き。

また、"The visual brain in action"において著者は

"Visual phenomenology ... can arise only from processing in the ventral stream ..." "We have assumed ... that visual-processing modules in the dorsal stream ... are not normally available to awareness." ("The visual brain in action" p.200)

と書き、「意識に上る・上らない」というのとほとんど同じことを言っていますが、さらには哲学的に厳密な意味ではそのようにも言いきれないと書きます。

"Although D.F. in particular seems to have lost conscious perception of shape, it is perhaps debatable whether or not the dissociation between what she can and cannot do is best captured as 'conscious' versus 'unconscious'. ... In a strict philosophical sense, we are doubtless treading on thin ice in proposing that stimulus processing in the ventral stream is a necessary condition for visual awareness, though we are comfortable with defending the proposal that such processing is a necessary condition for visual perception and recognition. Likewise, we suspect that the visual processing that goes in the dorsal stream operates in the absence of awareness, all we can really defend is the contention that one is normally unable to report verbally on the contents of that processing and that it proceeds largely independently of processes of perception and recognition." ("The visual brain in action" p.200-201)

かなり気をつけて書いている様子が見えます。

というわけでmdsさんが言う通りではありますが、かなり近い線を行っていることをわかってもらえるかと思います。また、上の厳密な意味で膝状体視覚経路と膝状体外視覚経路に関しても吟味する必要はありそうです。

なお、Goodale and Milerの説に対する反論はいろいろあるようですが、とりあえず私が知っているのはJ. Kevin O’ReganとAlva NoëのBEHAVIORAL AND BRAIN SCIENCES '01 "A sensorimotor account of vision and visual consciousness."です。これのp.969において

The work of Milner and Goodale suggests that damage to the ventral stream disrupts non-visuo-motor aspects of seeing. This is an important finding. But it would be a mistake to infer from this that the ventral stream is therefore the place where visual awareness happens.

と書いていたりします。

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# Correggio

最近,dorsalとventralは,解剖学的な仕事から,crosstalkがかなりあるということになって,話しがそうそう単純ではなくなってきましたね。

# pooneil

どうもご無沙汰しております。解剖学的にも機能的にもいろんなinteractionがあって、これを明らかにするというのは、脳の機能を明らかにするためにはここのニューロンや領野を調べるだけでなくてそれらの相互作用を明らかにする必要がある、という意味においてもこれからもっと重要になるかと考えております。続きは6/2に書きました。

# mds

ご丁寧に返答くださってありがとうございます。書きっぱなしになってしまって、申し訳ありません・・・。こんな完璧な回答を頂いて、自分の知識のなさに愕然とするばかりです。けれど、同時に知的な興奮も覚えたので、ありがたく思っております。もっと多くの論文を読みながら、体を動して実験せねばいけませんね・・・精進いたします。簡単に自己紹介させていただきますと、関西の大学院で心理学を専攻しております、M1のひよっ子です。これからも勉強がてらちょくちょく覗かせていただきますので、よろしくお願いいたします。   ...ちなみに某トレーニングコース(脳機能画像解析)に参加いたします。

# pooneil

おお、ではSPM使いですね。私もSPM使えるようになりたいんですよ。潜っちゃおうかな>>某トレーニングコース。といいつつ膨大な参加人数なんですよね(昨年の写真を参照)。


2004年05月29日

Goodale and Milner

去年の12/29に書いたGoodaleの論文への記載についてmdsさんより書き込みがあったのでここで返答します。


mdsさん>>上記の意識に上る上らないに該当する経路は、膝状体視覚経路と膝状体外視覚経路のことではないのですか? 膝状体視覚経路が損傷した患者は、運動刺激が見えていないと主観的には報告するんだけれども、あたかも見えているかのような行動反応を示す、というものです。確かに背側経路には膝状体外視覚経路からの投射が入ってきますが、背側経路・腹側経路自体は、意識に上る・上らないという二項に単純に対応するものではないと記憶しております。

mdsさん、書き込みありがとうございます。膝状体視覚経路と膝状体外視覚経路についてのもちろんそのようなことが考えられていますが、Goodaleが書いているのは背側経路と腹側経路についてです。Goodaleが言っているのは正確には、背側経路がvisual control of actionであり、腹側経路がvisual recognition/perception、というものです。
"The visual brain in action" のprecisがPSYCHEのweb siteにありますのでそれを参照してみますが、fig.2にあるように、腹側経路の損傷を持つ患者DFさんはスロットの向きはわからない(perception能力の低下)けれどもスロットにカードを差し込むことは出来る(sensorimotor controlは保持)、という例をGoodaleは示しています。また、fig.3にあるように、DFさんは石ころのようないびつな物体の形を見分けることは出来ませんが(perception能力の低下)、掴むときにはうまく重心を外さないように掴みます(sensorimotor controlは保持)。一方、背側経路の損傷を持つ患者RVさんはまったく逆で、その物体の形を認識することは出来ますが、それをバランスよく掴むことは出来ません。このことからGoodaleは背側経路と腹側経路とでvisual control of actionとvisual perceptionとに機能が分かれていることを示しています。
もちろん、この二つの経路が全く独立であるなどとはGoodaleは言ってませんし、両者がどのように交互作用しているかがこれからの課題であるとしています。
長いので次の日に続きます。


2004年05月28日

Tirin Moore

Mooreはこれで全部かというと、まだそうではない。PNAS '01はCharles Gross (側頭葉での顔ニューロンの第一発見者)によってcommunicateされている。また、シンポジウムではacknowledgementに入れてた。なるほど、Princetonつながりか、などと思っていたのだが、シンポジウム帰ってきて調べてみたら、共著があった。なんとTirin MooreはGross門下だったのだ。(Grazianoとの共著があることから考えればそれは当然予測できることだった。)
それで見つかってきたのが

いやー、私すべて読んでました。なんつーか、世界は狭い!
なお、Tirin Mooreは独立して現在はStanfordにいるらしい。Webサイト。というわけでWilliam Newsomeとここで繋がってしまうわけだった。なるほどこうやって人脈が出来てゆくのか。


2004年05月27日

Tirin Moore

で、このへんを読んだ上で話を聞きに行ったし、この辺についての話を聞いてきたのだが、この人にはまだまだ重要な仕事があった。
まず、5/8のところで言及した
Neuron '02 "Complex Movements Evoked by Microstimulation of Precentral Cortex."
なんと、Mooreが入っていた。恥ずかしながら全く知らなかった。この論文は、第一次運動野を微小電気刺激することによって複雑な運動(たとえば肩と肘を回転して手を口に持っていく動作とか)を引き起こせることから、第一次運動野は筋肉の張力や運動の方向といったKakei and Strickがまとめたようなパラメータではなく、もっと複雑なもの(「体の周りの空間的位置のどこに運動が向けられているか」)をコードしている可能性を示している。んで、前にも書いたけれど、微小電気刺激は単一のカラムを刺激するというよりは、その周りへの抑制もあわせた複雑な空間パターンでの影響を及ぼすので、そのことで説明できるのではないだろうか、と私はコメントした。
調べてみると、Strickがこの論文に文句をつけている。それはStrickの立場からしたら当然であろう。
Nature Neuroscience '02 "Stimulating research on motor cortex."
ここでのMoore論文に対するStrickの議論は、まず、M1刺激による複雑な動きの駆動は以前にも報告されていること、微小電気刺激の電流がそれまでの研究者が使っているものより高く、刺激電流が局在せず、白質などを刺激している可能性を指摘している。また、これまでの研究者は微小電気刺激によって引き起こされる運動がどのくらい小さい電流でも起こるかといった閾値を調べてきたのに対して、Moore論文ではそうしていない、などだ。また、そもそも微小電気刺激によって機能を解明するということについての疑念も表明している。終わりの方はこうだ。"Perhaps the authors have discovered the stimulation parameters that unlock the function of the motor cortex." Unlockという言葉のニュアンスがわからないのでこれがどのくらいポジティブな評価なのかわからないが、そんな感じでまとめている。
そしてこれに対するMooreたちの反論:
"Probing cortical function with electrical stimulation."
ここでなにを言っているかというと、かつての研究者たちは微小電気刺激で第一次運動野のlayer 5の錐体ニューロンあたり(錐体路を通って直接脊髄に投射している)を刺激することで、脊髄または第一次運動野内のinterneuronを介した伝達の影響を取り除くと考えていたわけだが、実際には十分取り除けていないことがのちに明らかになった、と言う。つまり、いままでのどんな刺激実験だってStrickの言う批判には耐え切れない、と言いたいのだろう。また、白質を刺激してしまっている可能性についても、第一次運動野のニューロンが結合しあっていれば驚くべきことではなく、本当に部分的に微小電気刺激をすることがそもそも不可能であることを強調する。
つまり、ぶっちゃけ開き直っているといってよいでしょう。こうなるともはや、Moore論文がある機能的最小単位(おそらくはカラム)に限局して微小電気刺激しているものと捉えることは全く不可能であるといえる。ここが微小電気刺激を使ったパラダイムの最大の欠点であり、William NewsomeがMTで微小電気刺激を使って大成功したことなどの結果によって支えられている、という側面がこの方法論にはある。
なお、このMoore論文についてはNetScience Interview Mailでの北澤茂先生@順天堂へのインタビューで北澤先生が言及している。


サルの大脳皮質の一次運動野を0.5秒電気刺激すると、なんと、サルが手を伸ばした。しかも速度波形はベル型の滑らかな運動だった、ということです。(中略)刺激場所を変えると、行く先も変わったというからもっと驚きです。手を伸ばすための「コントローラ」にスイッチが入ったようにも見えます。が、手を伸ばすコントローラがあるのかないのか、それは定かではありません。([19: 随意運動の信号はどこで作り出されているのか、まだ分からない]

ここでは、Moore論文での刺激が作り出すパターンがいろんな随意運動のパターンを模倣している可能性を見出しているようだ。
この辺についてのreviewに
Neuron '02 Review "The Cortical Control of Movement Revisited."
がある。
Mooreはこれで全部かというと、まだそうではない。つづく。
追記:話の流れ的にTirin Mooreが入っていることを強調しましたけど、Grazianoの仕事として捉えるべき仕事です。


2004年05月26日

Tirin Moore

ヤバイ。超重要。
玉川のシンポジウムに来るってんで、Tirin Moore @ Princeton の論文をいくつか読んでいった。
Mooreのいちばん有名な論文は
Nature '03 "Selective gating of visual signals by microstimulation of frontal cortex."
であろう。FEFを微小電気刺激することで、刺激部位とretinotopicallyに対応したV4のニューロンの視覚応答が増大する。つまり、FEFでのsaccadeの指令シグナルが遠心性コピーとして視覚野に戻ってきて視覚処理をコントロールしていると考えられるのだ。また、これと関連するものとして、
PNAS '01 "Control of eye movements and spatial attention."およびそのfull paper versionの
JNP '04 "Microstimulation of the Frontal Eye Field and Its Effects on Covert Spatial Attention."
において、FEFを微小電気刺激することでサッケードに影響を及ぼすだけでなく、covert shift of attentionにも影響を及ぼすことを示した。これはRizzolattiらのいわゆるpremotor hypothesisというやつのsupportとしての役割を果たしている。つまり、サッケード(眼球を動かすことによる注意の移動:overt attention)と目を動かさずに注意だけを移動するcovert attentionとが共通のニューロンメカニズムを使っているというもので、これは進化上でサッケードがどのようにしてOKRなどから独立したか、さらに眼球の動きとは独立に注意を向けられるようになったか、ということを考察するに当たって非常に面白い。
話をMooreの方に戻すと、つまりFERFの段階でサッケードの指令を出していると思われる領域がcovert shift of attentionの制御にも関わっていることを示して、両者が共通のニューロン群を使って行われていることを示唆している。このへんのreviewはこちら:
Neuron '03 review "Visuomotor Origins of Covert Spatial Attention."
さらにその前にMooreは
Science '99 "Shape Representations and Visual Guidance of Saccadic Eye Movements."
においてV4でpresaccadic activityがあることを示している。つまり、このScienceと上記のFEF微小電気刺激とを組み合わせてNature '03を出したということを考えるといかに理路整然と、狙ったとおりにパーツがはまっていくかのように仕事が進められていることに感動を覚える。
で、このへんを読んだ上で話を聞きに行ったし、この辺についての話を聞いてきたのだが、この人にはまだまだ重要な仕事があった。つづく(あと二日分の原稿完成)。

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# antares

それはもしかして、この間も話題にのぼっていた、Neuron 2002のMicrostimulationのことでしょうか?それとももっとNewなもの?Mooreのプレゼンでどのような質疑応答があったか、ぜひ知りたいです。楽しみにしてます。

# pooneil

そう、それです。でも、M1の話はシンポジウムではしゃべりませんでした。シンポジウムでは微小電気刺激のパラダイムに付いての質問があったと思いますが、聞き逃しました。シンポジウムの内容はいままでのまとめという感じで上記のNeuronのレビューの通りにFEF microstimulation関連の話をしていたので、新しい結果はなかったように思います。
んで、明日はM1についての話を書きます。StrickがNature NeuroscienceでMooreのM1論文を批判したことはキャッチしております。このバトルはStrickの勝ちではないかというのが私の印象ですが、どうでしょう?

# antares

私も同感です。的を得た指摘だなと思います。いずれにせよ、やはりずいぶん注目を集めた論文で、関係者の関心は高かったと思われます。


2004年05月25日

ゴスロリ

シンポジウムで東京へ行った際に、実家へ帰った。1/2の日記でも書いたが、私の実家はニット製作業を営んでいる。消費が下がっている一方でユニクロのように中国への生産拠点の移動などもあって、わが実家のようなテクはあるが工賃が高いところは苦戦していた。そこで実家の父親は、単価が充分高くても買ってくれる人がいてしかも海外での生産が出来るほど大きくない取引先を探していた。父親が以前見いだしたのはコスプレ用の衣装だった。なるほどこれはうまいことを考えたものだと思う。それぞれのショップは小さいものばかりで、商品はかなりオーダーメイドに近いところもあり、少ない資料から型紙を起こしてリアルに作り上げる技術は取引先に重宝された。我が実家はメイド服やらいろんなキャラの服で埋まった、というのが正月に実家に帰ったときまでの経緯だ。
んでもって今回実家に帰ってみると父親はまたも新しいニッチを発見していた。ゴスロリだ。父親は日暮里でそういう情報をキャッチして成長中のブランド(大企業系でないもの)とコンタクトを取り、取引をはじめた。というわけでわが実家は黒と白のなんかゴテゴテ付いている服で埋め尽くされるようになった。ゴスロリ系の服の製作もかなりテクが必要となるので我が実家のようなところにとってアドバンテージがある。ゴスロリ特集の雑誌を買ってきて、ブランドに電話をかけて社長と話をつけてきたらしい。すばらしい。
んでもって今回の出張で後輩たちと飲みにいってさっそくその話をしたのだが、次はなにだろうかと聞いてみたところ、次は「着ぐるみ」が来る、というのだ。絶対冗談だと思って流したのだが、なんかネット見てると局所でそういう記述を見かけるんです。本当なんでしょうか?

ほんとであったとしても、あんまり新しすぎるものはリスクも高いだろう。コスプレだってゴスロリだって少なくとも五年以上は続いている。というわけでアイデア募集してます。


2004年05月24日

Neuron 5/13

"Representation of Well-Learned Information in the Monkey Hippocampus." Wendy A. Suzuki @ NYU。海馬ではnovelty(いままで見たことないもの)をコードしているのではなくて、非常にfamiliarになったものの方によく反応するらしい。これどうなんだろ。 Bristol大学のMalcolm Brownはずっと海馬、entorhinal,perirhinal,inferotemporalでfamiliarity,noveltyおよびfamiliarityのneural correlateを探しつづけているのだが、Neuropharmacology 1998 "Differential neuronal encoding of novelty, familiarity and recency in regions of the anterior temporal lobe."によると、海馬では視覚応答する40個のニューロンのうちで1個しかfamiliarityやrecencyの情報をもっているものはなかったと書いている。Novelなものの方がfamiliarityなものよりもTEやperirhinalでは強く反応することがわかっており、noveltyやrecencyはここらでコードされていると彼は考えているのだ。たぶんそれは正しい。で、このことと今回の論文のconistencyは取れているか。 Wendy A. SuzukiのScience '03 "Single Neurons in the Monkey Hippocampus and Learning of New Associations."とのconsistencyは取れているだろうか。 うーむ、続かない。

2004年05月23日

はてなアンテナ

を使っているのだけれど、最初に作るときにガンガン人のアンテナをインポートして使っていたんです。そしたらもちろんいらないページも出てくるんで「表示しない」のオプションを入れておいたのです。本当は編集していらないのをサイトごとに消していきたいのだけれど、編集がアンテナのインポート解除しかしてくれないんです。しかもしばらくしていたら私のアンテナの内容がどんどん変わってくるのです。
つまり、どうやらアンテナのインポートは定期的にか呼び出すごとにか、インポートした元のアンテナの現在のラインナップにアップデートしていくようなのです。そんなこと、いったいだれが望んでいるのだろう? 私はたんにそのときの人のアンテナをインポートした方が自分で一個一個登録するよか早いからインポートしたのです。ほかの人のアンテナを丸々、しかも日々アップデートさせながら使いたいなどという人はいるのでしょうか。
というかもっとうまい方法があったんだろうか。よくわからなかったので、しょうがなく手で全部貼り付けた。もう、超せつない。


2004年05月22日

Science

"The Involvement of the Orbitofrontal Cortex in the Experience of Regret." Duhamel and Sirigu @ CNRS。
Parietalと自己意識をやっているSiriguと、LIPでconvert attentionを出したDuhamelとがhuman fMRIをやってる。Regretのneural correlateだそうな。とりいそぎ、これがexpected rewardやexpected errorのズレなどすでに確立している概念で説明できないかどうかが押さえるべきところとなるであろう。


2004年05月21日

Nature

"Steady-state misbinding of colour and motion." 下條先生 @ Caltech。
シンポジウムに来てたが、話したネタはこれとは別もんだった。
視覚野は視覚の特徴、たとえば色、形、動き(たとえば赤、花、揺れる動き)などをそれぞれ別の領野で処理していると考えられている。では、そのようにしてばらばらに抽出された特徴をどうやって一つの視覚像に統合するか(たとえば、赤い花が揺れている)、これがbinding problemというものだ。今回の論文はそのようなbindingが崩れる例を提示している。
下へ動く赤の点と上へ動く緑の点がランダムに混ざった状態で動くランダムドットを見ていると、ある条件で、下へ動いているのは緑の点で上へ動いているのは赤の点であるというように逆転してしまう。つまり色と動きとの結びつき(binding)が崩れているのだ。
このようなbindingの崩れという例は今までにも見出されてきたが、今回の例はそのようなbindingの崩れが一時的に起こるようなもの(つまりそれゆえに注意がちゃんと向いていないことで説明される可能性がある)ではなく、安定して起こるという点が重要であって、たとえば今後、この実験パラダイムを使った神経メカニズムの解明などに活用できる可能性がある。

シンポジウム、

とりあえずの目的は達した。Peter Thierに会って、valid cue - no cueの使用の是非についてあたり聞いてみた。

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# Gould

HAPPY BIRTHDAY !!

# pooneil

早! どうもありがとうございます。


2004年05月20日

はてなアンテナ

を使っているのだけれど、最初に作るときにガンガン人のアンテナをインポートして使っていたんです。そしたらもちろんいらないページも出てくるんで「表示しない」のオプションを入れておいたのです。本当は編集していらないのをサイトごとに消していきたいのだけれど、編集がアンテナのインポート解除しかしてくれないんです。しかもしばらくしていたら私のアンテナの内容がどんどん変わってくるのです。
つまり、どうやらこの人のアンテナのインポートは定期的にか呼び出すごとにか、インポートした元のアンテナの現在のラインナップにアップデートしていくようなのです。そんなこと、いったいだれが望んでいるのだろう? 私はたんにそのときの人のアンテナをインポートした方が自分で一個一個登録するよか早いからインポートしたのです。ほかの人のアンテナを丸々、しかも日々アップデートさせながら使いたいなどという人はいるのでしょうか。というかもっとうまい方法があったとか? というわけで結局一個一個編集で貼り付けた。オーノー、おれはそんなの信じない。


2004年05月19日

JNP 六月号

JNP 六月号


2004年05月18日

A parieto-frontal network for visual numerical information

"A parieto-frontal network for visual numerical information in the monkey." Earl K. Miller @ MIT。
東北大の丹治先生がNature '02 Feb "Numerical representation for action in the parietal cortex of the monkey."を出して、parietal cortexで数がrepresentされていることを示した。その後追いと言ったほうがよいと思うんだけれど、つづいてEK MillerはScience '02 Sep "Representation of the Quantity of Visual Items in the Primate Prefrontal Cortex."でPrefrontal Cortexで数がpresentされていることを示した。Millerは丹治論文をテキストの最後の最後になってやっと引く、というやらしいことをしている。そういうもんだが、そういうことするやつだということでもある。
で、今回のMiller論文は彼らのパラダイムでprefrontal cortexとparietal cortexとから記録しました、というもの。今回は丹治論文をイントロでちゃんとreferしているけれど、parietal cortexでのneural correlateの論文として丹治論文だけでなく、1970年のScienceでのcatの論文("Number coding in association cortex of the cat.")なんて古いものを持ってきて並べてる。いますぐこのScience '70読めないからわからないけど、おそらく現在要求されているレベルの主張が出来ていることは決してないだろう。ようするにそういうものを引っ張り出してきて、丹治論文は最初じゃないよ、とMillerは印象付けたいわけだ。こういうの見るだけでもう読む気なくなる。

PNAS

のwebサイトのデザインがなんかblogみたいなスカしたのになった。ていうか私のモニタでは字が小さすぎるんだよなあ。Neuronもそうなんだけど。たぶんモニタの解像度の違いを考えないでデザインしているんだと思うんだけど、ほんと止めてほしい。こっちは1600x1200pixelで小さくしてみているのだが、文字の大きさの設定をいじっても変化がない。Pixelかpointで指定しているのだろう。


2004年05月17日

Reality Monitoring

NHKさん、ありがとうございます。今回のScale errorの方についてか、子供の意識の発生についてかちょっとわかりませんでしたが、後者の方かなと推測して書きます。
以前NeuroReport '02 "The role of the parahippocampal gyrus in source memory for external and internal events."これが出る前あたりにちょっとreality monitoringを調べた憶えがありますが、改めて見てみると、childhood amnesiaとepisodic memory(またはautobiographical memory)およびreality monitoring(またはsource memory)の関係というあたり面白そうです。"ヒトの意識が生まれるとき""赤ちゃんは知っている―認知科学のフロンティア"あたり引っぱり出してみようと思う。
検索かけてみた。

ついでにsource memory/monitoring。


2004年05月16日

Science

"Scale Errors Offer Evidence for a Perception-Action Dissociation Early in Life."
つづき。
実験としては、まず子供をプレイルームに連れてきて本物の滑り台や椅子や足漕ぎ車(中で漕いで進めるやつ)で遊ばせる。いったんプレイルームから子供を外に出して、また入ってきたときにはそれぞれのミニチュアと取り替えておく。それで子供がそのミニチュアを本物のように扱って遊ぶ回数をカウントする。結果、二歳ぐらいでこの数は最大となり、一歳半や二歳半では低くなるという、発達時によく見られる逆U字のパターンが見られた。(よく見られるのはU字パターンの方だったか。)
反論として、単に子供は遊びでまねっこでミニチュアの椅子に座る振りをしただけではないのか、という可能性があるが、この点について著者は押さえをしている。著者は子供たちが本気でその椅子に座ろうとしたのだという証拠として、(1) 遊びで振りをしている時には違った行動を取ること、たとえばミニチュアの滑り台だったらまねっこの時は手や人形を滑らせるのであって自分が滑ったりはしない、(2) 本物で遊ぶときと同じような手順を踏んでいること、たとえばおもちゃの車だったら、ちゃんとドアを開けてから足を入れようとするのであって、窓から足を突っ込んだりするようなことはせず、本物の足漕ぎ車のように扱っている、など説明している。
この逆U字型をどのくらい本物として捉えてよいか。著者は本物の(たとえば)椅子に触れている時間とミニチュアの椅子を本物のようにして遊ぶ回数とには相関がない(データは示されていないが)と書いている。しかし、子供の活動性、特にまんべんなくどのおもちゃにも触れているかどうか、などが影響すると思われるが、そのへんのデータはないようだ。(本物で遊ぶ時間に関しては条件を定めている。)
行動のplannningと行動のcontrolをventral pathwayとdorsal pathwayとに振り分けるというのははたしてどうだろうか。もちろん行動のplannningにはobjectのidentificationは要るだろうが、行動のplannningはpoesterior parietal cortexで、行動のcontrolはpremotor-motor-cerebellumでやっている、ぐらいでもいい気はする。ちょっと型に嵌めようと無理をしたという印象がある。
ところでこういう方向で私が興味あるのは毎度のことながら、はたして子供にはいつからconsciousnessが発生するのだろうか、という問題だ。もし、著者が言うようにventral pathwayとdorsal pathwayの協調がこのころうまく行ってないのであれば、視覚に基づいた行動には視覚的意識は伴っていないのかもしれないのだ。私たちには生まれたばかりの頃の記憶がない。このことはそのころエピソード記憶システムがなかったせいというのももちろんあるが、もしかしたらまだその頃エピソードとして蓄えられるような意識を持っていなかったのかもしれないのだ。これは昨日やった話みたいなもんで、どうやって記憶と意識とを分離するか、という問題だったりする。そしてconsolidationとretrievalとの違いとは別の分けがたさというのがhard problemへの道……

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# NHK

直観でしかないのですがreality monitoringの発達とも関係があるのでは

# pooneil

NHKさん、ありがとうございます。今回のScale errorの方についてか、子供の意識の発生についてかちょっとわかりませんでしたが、後者の方かなと推測して書いてみました。前者なら、本物のおもちゃを遊んだという記憶に付随するcharacteristicsが充分保持できていない、というようなことになるのかもしれません。


2004年05月15日

はてな

って落ちやすいよな。

Science

"Scale Errors Offer Evidence for a Perception-Action Dissociation Early in Life."
これはおもしろい。二歳ぐらいの子供が、人形用の小さい椅子に座ろうとしたり、ミニチュアの滑り台を滑ろうとする。つまり、このぐらいの年齢の子供はそのミニチュアが椅子や滑り台であることがわかった上(identification)で、本物の椅子や滑り台のときに行う行動(action)を選択し、しかもそのミニチュアの椅子や滑り台の大きさに合わせて行動しようとしている(motor control)、ということだ。論より証拠、supplementary materialにビデオのファイルがあるので、それを見たほうが早い。子供がブロックを小さい穴に入れようと延々やってるのと同じっちゃあ同じだが、道具の使用というニュアンスがもっと強い。
私には五歳と三歳の子供がいるのだが、この現象には気付かなかった。愛する妻に聞いてみたところ、このあいだ下の子がまさに小さいおもちゃの椅子に座ろうと一生懸命だったのを見たらしい。この現象でScienceに論文が載っていることを知らせると、知っていたのにー、と残念がった。(私たち夫婦は「伊藤家の食卓」に出せるネタはないものかと探しては、これ知ってたのにー、と繰り返していた。) そう、こういうちょっとしたところに重大な発見がある。私の今までの子育て経験を振り返ればなんかヒントがあるのかもしれないのだ。ひねり出してみよう、たとえば:子供が父親と母親を混同して呼びかけるのはよくあることだが、あれってなんだろう。小学生になっても先生のことをお母さん、とか呼んで恥をかいたりするわけだが。で、子供がそうなるのはよくあるのだが、そうしてるとなぜか、親の方も上の子と下の子を混同して呼んだりする。目の前には上の子がいるのに、下の子の名で呼んだりする。これってなんだろ。
なんにしろ子育ては、だんだん視力が上がってくることや、記憶力が上がってくること、片言が出るようになること、会話に文法構造が出てくることなど、いちいちおもしろい。いま下の子はどんな前のことも「きのう鈴鹿サーキット行ったよね」とすべて昨日だったりする。彼女にとって過去の出来事は時系列順に並んでいない(recency judgementができない)のかもしれないし、時系列に並んでいるのだけれどもそれを区別して指し示すことが出来ないだけ(言語の問題)なのかもしれないが。
でもって元の論文に戻ると、このことのどういう点が重要か:そこで以前にもとりあげたGoodaleの説が出てくる。Goodaleは視覚野のV1->V2->V4->ITといった視覚のventral pathwayが視覚認知(および視覚意識)に専門化されていて、V1->V2->MT->posterior parietal cortexといった視覚のdorsal pathwayが視覚に基づいて行動に専門化されており、この両者はある程度独立して処理されているという説を提出し、脳の局所障害のある患者さんについての研究(neurology)でこの二つが独立して障害されることを根拠とした。この考えをさらに展開させたScott GloverはTrends in Cognitive Sciences '02 "Visual illusions affect planning but not control."においてさらに行動のplannningと実際の行動のcontrolとの乖離について解説している。で、今回の著者はこの二つの考えを合わせて、今回の論文で見られた現象は、ventral pathwayでの行動のplannningとdorsal pathwayでの行動のcontrolとがうまく協調していないことによって起こる、と説明している。この点が今回のたった一つの発見に意義をもたせる重要な点だ。
5/16へつづく。

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# ガヤ

解説ありがとうございます。こういうのを見ると「(科学的)発見とは何か」を純粋に考えてしまいますね。スンクスが吐くのだってもっと以前から知られていたわけで(汗)失礼。。。まあ、ようは「問題意識」があるかないかなんでしょうね。だってパッチやったことがある人だったらsEPSPの出方には特定のパターンがありそうだというのは誰でも感づいていますから。でも、それの「重要性」に気づかないだけなんですね。

# pooneil

うん、その点語るに足るネタですね。セレンディピティは準備したもののところにだけ来るわけですが、特に今回の論文はその素朴さにおいて際立ってます。そういうのって心理学の面白いところな気がする。ラマチャンドランの平面なのに出っ張って見えるillusion(Nature ’88 ”Perception of shape from shading” 参考webサイト:http://www.psycho.hes.kyushu-u.ac.jp/~mitsudo/shading/shading.html)があったけど、たったあれだけで[人間はdefaultの条件で上から光が当たっているように見なすおよび一つの光源のみから影が出来ていると見なすことで認知を作り上げている]ということを示してしまうわけで、素朴であればあるほどすごい気がする。


2004年05月14日

Consolidation and retrieval

5/9の「モスバーガー」さんの質問からつづき。質問ありがとうございます。
質問1:「retrievalなしのconsolidationを調べるテストってあるんですか?」
答え1:私だってべつに専門家じゃありません(<-学問の分業化の弊害)が、どんなtaskでも単一のcognitiveな成分を見ているということはありえないわけで、(1) あるタスクの中でretrievalとconsolidationとそれぞれの成分を独立に操作できるようになんか条件を振ってperformanceを見る、(2)薬理、lesion study、neurology、geneticな方法を(1)に組み合わせる、(3) 電気生理やimagingなら時間の軸を使って分けられる、あたりの方策が一般的には取られていると思います。(1)のほうは心理学研究のほとんどで行われていることだと思うので、Experimental psychologyあたりの論文を探してみるとよいのではないでしょうか。もし分離できないようなときはそれらをまとめた対応物を操作的に定義してやるということになるでしょう。そのへんの操作的概念の扱い方が、episodic memoryやrecognition memoryや、familiarityとrecollection(RK judgement)などの概念を生んできたものであると考えております。(3)についてはもちろんご存知でしょう。
Encoding, consolidation, retrievalといったステージについてはCurrent Opinion in Neurobiology '01 "Molecular mechanisms of memory acquisition, consolidation and retrieval."あたりが取っ掛かりになるのではないでしょうか。ほかに今見つけたのは、Behavioural Brain Research "Intracranial self-stimulation facilitates memory consolidation, but not retrieval: its effects are more effective than increased training."がありました。この辺でなにやってるかわかったら是非知りたいのでまた投稿してください(強制しないっす)。
質問2:「学生の時に,研究者として将来自立するためにあったらよかった機関とか機会とかってありましたか」
答え2:べつにまだ自立していないですよ。自立というのは、自分のアイデアを、自分でお金を集めてやることが出来るところまで行かないといけないわけで。
で、あったらよかったものですが、やっぱり横のつながりによる情報というものが前から、今でもあった方がよかったと思います。移動の時にはそれなりに情報を集めてから新しい環境へ入っていったものですが、それでもやっぱり足りなかったし、もっといろいろわかっておくとよかったと今でも思います。私は研究者の流動性は高くあるべきであると考えて、恐れず新しい環境へ行こうと心がけておりますが、そのためにはもっといろんなことがわかってないとハマる、とけっこう切実に思います。

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# モスバーガー

お返事ありがとうございます。質問が悪くてすみません。Current Opinion in Neurobiology ’01を知らなくて質問したわけではなかったんですが,JNS 5/19のSilva&Kidoで疑問がちょびっと解けそうな気がするので読んでみます。日本語ってむづかしい。

# pooneil

”Memory Reconsolidation and Extinction Have Distinct Temporal and Biochemical Signatures” http://www.jneurosci.org/cgi/content/full/24/20/4787 これですね。なんかわかったらぜひ書き込んでください。私が見たところ、reconsolidationやextinctionというような概念は主にratやmouseの研究で使われるようですので、この概念がhumanなどではどのように使われているのか、というあたりが取っ掛かりになる気がします。


2004年05月13日

J Physiol

ガヤ日記で知った。JPってもう定期的にはチェックしなくなってる。
CLASSICAL PERSPECTIVES "Thirty years of a very special visual area, Area V5." S. Zeki
もとの1974論文もpdf化されてダウンロードできるようになっている。
視覚野のうち、運動の方向が専門的にコードされていると思われているMTは最初にZekiがmacaqueでidentifyしてV5と呼ぶようになった。(他の初期視覚野やextra striate cortexがV1,V2,V3,V4と分類されたのに従ってのこと。) のちにJohn Kaasが使ったMTの方が一般的には使われている。MTについての記念碑的業績は以前も紹介したNewsomeのperceptual decisionのneural correlateがMTにあるというものであろう。で、一般的にはMTと呼ばれていたのだが、humanのimagingの研究が進むようになると、humanではV5の名称が復活して使われるようになった。
ZekiのMT研究への最近の寄与は"The Riddoch syndrome: insights into the neurobiology of conscious vision."というやつで、hemianopiaのpatient GYでのmovementの処理とそのimagingを行っている。


2004年05月12日

PLoS Biology 五月号

PLoS Biology 五月号
システム神経科学系の論文がまったくない。そういう方向へ行ってしまうのだろうか。

Trends in Cognitive Sciences 五月号

"The brain circuitry of attention."
Stewart ShippはZekiとずっとやってきた視覚野の研究者。いちばん有名なのはV2からV4へ行く経路(ventral pathway)とV2からMTへ行く経路(dorsal pathway)とがV2の中ですでにsegregateしていることを示したNature '85 "Segregation of pathways leading from area V2 to areas V4 and V5 of macaque monkey visual cortex."であろう。
で、ShippはZekiから離れたあとにV2,V3,MTなどのextrastriate cortexとpulvinarとの間の投射の解剖学的論文を出した。(The Journal of Comparative Neurology '01 "Corticopulvinar connections of areas V5, V4, and V3 in the macaque monkey: A dual model of retinal and cortical topographies."
今回のレビューはこのデータをもとにして、pulvinarを中心としたattentionシステムのモデルを作っている。かつてCrickが視床(とくにreticular nucleus)が大脳皮質の各領野と相互に結合を持ち、それらの情報を監視、統合できる可能性に注目して、視床がattentionのスポットライト的な役目を果たしているとする仮説をPNAS '84に出したことがあるのだが、今回のレビューはCrickのやつのアップデートバージョンであると言える。
で、いろいろあるのだが、けっきょくventral pulvinarがV1/V2/V4/TEO/TEといったventral pathwayへsaliency mapの情報を供給している。また、dorsal pulvinarやand mediodorsal nucleusからLIPやFEFへは情報が行っている。というわけで基本的にはextrageniculateのpathwayだけで話がつくようになっている。
大脳皮質の研究者は私を含めてどうしても大脳皮質だけで情報処理を考えすぎなのだが、response latencyなどのことを考えると、そんなに単純にfeedforwardでserialに情報が伝達されていると考えるだけでは、間違った方向へ進んでしまっているのかもしれないのだ。


2004年05月11日

4_7_氏逮捕

あんま時事問題扱いたくないので記事へのコメントのみかつキーワードリンクを回避してみる*1。スパマーっぽく。(ところでそういうキーワード、セカ_イ系とかイラ_ク戦争、とかを自動的にdetectして_で切ってくれるようなスクリプトはないものだろうか。)

(現在で半分くらいリンク切れてます。5/24)
これらを見て比べてみると、wi_nn_y自体が目新しくてその説明でいっぱいいっぱいで、「違法コ_ピーの温床」とかで締めて終っている。毎日の解説および朝日の解説だけが、「包丁を作ったら違法か」問題と、ネットワークによってコピーが簡単になった時代のコ_ピーライトの問題を解説している。というわけで新聞間での温度差がよくわかるのであった。


*1:記事へのリンクを見つけてリストにするいわゆるトラッ_クバックス_パムは防げてないが、リンクはすぐ切れるのでそしたらリンクも消してしまう予定。<-チョー過敏。


2004年05月10日

JNS 2/25

Episodic memoryのanimal model(Episodic-like memory)に関する重要論文を見逃していたのを5/7の友人が教えてくれた。
"Integrated Memory for Object, Place, and Context in Rats: A Possible Model of Episodic-Like Memory?" Madeline J. Eacott @ University of Durham Science Laboratories。
EacottはOxford UniversityのDavid Gaffanといっしょにlesion studyをやってきたが、現在はそこから離れてratでのlesion studyで海馬とその周辺の機能について研究している。Oxford時代の重要論文としては、Eur J Neurosci. '92 "Inferotemporal-frontal Disconnection: The Uncinate Fascicle and Visual Associative Learning in Monkeys."(これがfrontalとtemporal cortexとの結合が対連合記憶に重要であることを示した最初の論文であり、のちのScience '98とNature '99へとpreludeとなった)、Eur J Neurosci. '94 "Preserved recognition memory for small sets, and impaired stimulus identification for large sets, following rhinal cortex ablations in monkeys."などがある。
さて、以前(12/28)に吠えたことがあるけど、げっ歯類でepisodic memoryをやろうとする人はしばしば心理学のバックグラウンドが弱い。Tulvingが最初にepisodic memoryの概念を導入したときはrecognition testが評価法だったこともあって、その辺を引きずっているのではないかと私は疑っている。せっかくClaytonがepisodic-like memoryとしてはwhat-when-whereのすべての情報が必須であるような課題が解けることがcriteriaであることを確立したのだからそんなのではいけない、ratがepisodic-like memoryを持っていることをそもそも証明しなければならない、と私は言った。Ratにepisodic-like memoryがあるわけがない、と言っているわけではないことに注意。
でもって、今回の論文はwhat-where-context、という三条件を与えたtaskをratにさせて、それがfornix transectionによって阻害されることを示した。だから問題はこの"what-where-context"がじゅうぶんなcriteriaであるかどうかになる。もちろん、Claytonの論文が満たしたcriteriaだけが唯一の条件ではないし、概念はもっと拡張されて、より人の認知をうまく抽出したものへと進化するべきだ。Tulvingも、what-whre-whenだけではなく、そういう情報をflexibleに活用できることをも条件に挙げてよいというようなことを言っている。そういう拘束条件がより増えてゆくことは認知モデルとして望ましい。
つづく。

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# uw

げっ歯類を使ったepisodic memoryの話、興味深く読ませてもらいました。続きを期待しています。

# pooneil

ありがとうございます。続きというか本題やります。ちょっとすぐには出来そうにないですが。

Pooneil Tyme

"Baxters"の歌詞で私が一番いいと思うのは、「私たちがしていることにはまだ名前がついてない」というやつだな。そういう領域へ行ってみたいものだ。スピードが落ちれば名前が付けられてしまう。それがサイバネティクスとかオートポイエーシスという名で呼ばれるようになる。それ以前の、つねに立ち返らなければならない場。私の現象学はそういうロマンティシズムとごっちゃになっている。
「名前をつけてやる」という儀式と「名前のない馬」への立ち戻り、とか言ってみる。


2004年05月09日

Science 5/7

"Independent Cellular Processes for Hippocampal Memory Consolidation and Reconsolidation."
Fear conditioningのタスクを使ってラットの海馬へのアンチセンスの効果を見た。Consolidation (短期記憶から長期記憶へ変換する過程)にはBDNFが関わっているし、そのような長期記憶が呼び出されることによってさらに強く固定されてゆくreconsolidationの過程にはZif268が関わっている。しかもこれはdouble dissociationであると。BDNFが宣言的記憶の長期記憶の形成に関わっていることはすでにわかっていたわけで(Nature Neuroscience '00 "BDNF upregulation during declarative memory formation in monkey inferior temporal cortex.")、重要なのはたぶん"reconsolidation"の方だろう。これってどんなもんなんだろう。たんなる時間差の問題である可能性を消しているかどうか、読んだ人教えてください。

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# モスバーガー

初心者の質問1.consolidationでもreconsolidationでもいいんですけど,保持していることを確認するテストってretrievalが常に伴っちゃうんじゃないかって思うんですけど(conditioningでいうextinction phase),retrievalなしのconsolidationを調べるテストってあるんですか? 質問2. 学生の時に,研究者として将来自立するためにあったらよかった機関とか機会とかってありましたか(あるいは今でもある)?

# pooneil

どうもありがとうございます。長くなったので返事は5/14に書きました。D’Espositoはぜんぜん読んでないです。

Catcher in the rye

の原文を見つけたので久々に最後の二章分読んでみる。昔読んだときは太宰のようなものとして肩入れして読んだ気がする。いま読んでみると、なんつーか、DQNが一貫しないことを偉そうに言ってる、という感じに訳すのがいいのではないだろうか、ということを思いついた。あんまりリリカルにすべきではなくて、ほんの滲み出すくらいがいいのではないだろうか。Catcherであろうとすること、落書きをを消そうとすること、そういうこともなんか美化すべきことではなくて、たんなる思い付きでしかない、というニュアンスがあるほうがほんとではなかろうか。訳文はどうだったっけ?


2004年05月08日

ギャー

なんか包囲されている。shimaさんの5/6およびガヤ日記の5/6より。うむ、やりますが、今週末は使わないでまたこんど。ただ少しだけ。って少しだけじゃないじゃん俺。

第一次運動野(M1)は何をコードしているか

森山さんの日記で書かれていることはかなり関係しているところで、楽しく読ませてもらってます。日本のミラーニューロン関連の研究の第一人者であるCorreggioさんとCOEシンポジウムで話したときも話題に出た、というか私が出した。というわけで関連したことを書いてみたいのだが、とりあえず「カラム」かどうかの問題はまた今度として、第一次運動野(M1)がやっていることがなんであるかどうか自体について以前(2/4)に少しとりあげたので、そこから続けてみる。
第一次運動野(M1)がやっていることがなんであるかは実はいまだcontrovercyがあるところだ。70年代の研究で、Fetz and Cheneyは[M1のニューロン(脊髄まで軸策を伸ばしている錐体細胞)の活動]と個々の筋肉の張力とが相関していることを示した。M1のニューロンは個々の筋肉、またはその組み合わせへのダイナミックな指令を出していると考えられていた。一方、Georgopoulosは80年代にM1ニューロンの集団での活動が腕などの運動の方向というもっとキネマティックなものをコードしていることを示した。以前とりあげたAndrew SchwartzはGeorgopoulosの弟子なので、大筋はこちらの位置にある。
GeorgopoulosとやっていたKalaskaはJNS '89 "A comparison of movement direction-related versus load direction-related activity in primate motor cortex, using a two-dimensional reaching task."において、二次元運動中の腕に負荷をかけてやると、M1ニューロンは運動の方向だけでなく、負荷をもコードしていることを見つけた。つまりGeorgopoulos系列はM1が運動方向のようなキネマティックなものも、筋肉への負荷のようなダイナミックなものもコードしていると認めたと言える。
川人先生は「脳の仕組み」川人光男 読売新聞社 '92において、このような二種類のM1ニューロンが層で分かれているとしてモデルを作っている。そのモデルでM1は、浅層(layer2/3)では運動の方向や関節角のようなキネマティックな量をコードしていて、それがtranscortical loopを経て小脳に行く。小脳は逆モデルを生成するところであって、キネマティックな情報から筋肉の張力のようなダイナミックな量を計算する。これがM1の深層(layer5の錐体細胞)へ帰ってきて、フィードフォワードな調節として働く。(たぶんM1カラム内でも浅層から深層への伝達でキネマティクスからダイナミクスへの変換があって、それを小脳から帰ってくるのが調節するということらしい。)そういう話らしい。しかしその後のターゲットは主に小脳であって、M1について解明をしていたかどうかは私はよくわからない。
90年代後半ぐらいになってから新しい展開が見られた。現在東北大の筧 慎治さんとPeter L. Strickとが出したScience '99 "Muscle and movement representations in the primary motor cortex."では、棒を回すタスクで持ち方を変えてみることで、筋肉の張力は同じままに間接角だけ変わる条件を作り出した。この条件でM1ニューロンから記録してわかったのは、あるものは筋肉の活動をコードしているし、またあるものは筋肉の活動とは独立に運動の方向をコードしているということだった。というわけで上記の二つの両方が程度受け入れられるような結論を見たのだった。
また、Kalaskaと一緒に仕事をしていたこともあるSTEPHEN H. SCOTT(このあいだシンポジウムに来ていたが、私よか若そうでショック)はNature '01 "Dissociation between hand motion and population vectors from neural activity in motor cortex."で、M1ニューロンの集団での活動は運動の方向よりは、肩と肘の関節のパワー(関節の角速度とトルクから計算される)によってこそ説明できる、ということを示した。
結局のところ、[運動の方向]-[関節のキネマティックな属性]-[筋肉のダイナミックな属性]という逆モデルの過程で、この三つのどれがM1でやられているか、というのが問題になりつづけていた、というわけだった。どうやら現在のところ、後ろの二つあたりと考えるのがよさそうだ。
ガヤが紹介したNeuron '02 "Complex Movements Evoked by Microstimulation of Precentral Cortex."は以上の中では、M1のあるカラムのニューロン集団が複数の筋肉の組み合わせをコードしていることについて扱っていると思われるが、これはよりカラムの概念に関わってくる話と思う。電気刺激は刺激部位の周辺には強烈な抑制を引き起こすので、あるカラムを限局して刺激したというよりはその周りのカラムへの抑制と組み合わせて考えた方がよいようにも思える。
小脳が何をやっているかといえば、川人先生の話ではまさにそういう[筋肉のダイナミックな属性]を学習した逆モデルそのものであって、運動野からの司令から小脳を通ってフィードフォワードコントロールの信号として運動野に帰ってくる、という話だった。さて、これをロボットでたとえればなんだろう? 逆モデルは外界のモデルであるがゆえに、ある種のシンボルかと言えるのかもしれない。というのが川人先生の岩波「科学」の連載での「シンボルの生成」というやつだったんだと思う。ではなぜ、運動野と独立している必要があるか、これはやっぱり、小脳の解剖学的構造が大脳の解剖学的構造とまったく違っているところに説明を求める問題であると思う。小脳での可塑性と大脳での可塑性の質的違い。それらが何を学習するのにそれぞれ適しているか。

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# ガヤ

そう、刺激による側方抑制をどう扱うか。。。

# pooneil

うん、microstimulationはやっぱ解釈が難しいので、ニューロンの記録またはimagingを信頼したいと思う。

# pooneil

追記:5/27のところにGraziano and Moore論文についての記載があります。


2004年05月07日

BBS online

いつだったか忘れたけどMLにBehavioral and Brain Sciencesのtarget articleがアナウンスされていた。Arbibの"From Monkey-like Action Recognition to Human Language: An Evolutionary Framework for Neurolinguistics."(PDFファイル)だ。
というわけでまたもやmirror neuronと言語との関係についてなのだが、さて、どんなものだろうか。なんにしろ、p.45のfigure.6など見ていると楽しくなってくる。TptとPFextendedがWernicke野だそうな。DLPFとSTSaから視覚由来の情報をPFextendedがもらい、Broca野へ入力することで[sign languageの基礎]となり、聴覚情報はTptからBroca野へ入力することで[speechの基礎]となる。視覚情報はSTSa->PF->F5mirrorへ行って[行動の認知]に関わり、また、視覚情報はAIP->F5cannonicalへ行って[行動の選択]に関わる、本当かどうかは別としても、こういうのが回路っぽく書かれること自体が驚きであり、面白いところである。
こういうアプローチについて酒井さんは「言語の脳科学」で批判的に書いているわけだが、ま、この辺についてはもう少し勉強してからコメントする必要がある。

大学院時代の友人(留学中)

からメールが来て、Thomas Struthという写真家の"Thomas Struth 1977-2002"という本の中で、渋谷の町を撮影したページの片隅に太っていた時代の私が写っているのを見つけて知らせてくれた。というわけでせっかくの機会なので探してみる。

あたりで画像を見つけた。よさそう。


2004年05月06日

自転車

5歳になる息子がいつのまにか補助輪なしで自転車に乗れるようになっていて、自転車を買ってもらった。駐車場でぐるぐる回っているのを、日が暮れるまでずっと見ていた。


2004年05月05日

Science

"Synaptic Changes in Layer 2/3 Underlying Map Plasticity of Developing Barrel Cortex." Bert Sakmann @ Max-Planck-Institute。
これは私が前にやった仕事とも関係するし、大脳皮質のカラム構造とは何か、という問題とも関わってくるんで、このへんと合わせてまとめてみるつもり。

1993

体重が90キロ以上あったころの話。
中野のあたりで「ウッドストック」と「ツェペリン熱狂のライブ」を上映してて、自転車をこいで見に行った。まだビデオも出てないころ。ぼろい映画館で、途中でフィルムが止まってかけなおしてたのでみんなブーイングしてた。
自転車を止めて、隅田川の堤防でビールを飲んでタバコを吸って、観光船が行くのをぼおっと見てから桜橋を渡って家に帰った。
まだメジャーになる前のダメ連のミニコミを新宿御苑前の模索舎で買った。ほかにもいろいろミニコミを買って自転車で家に帰った。
渋谷で飲んでから自転車で千駄ヶ谷のホープ軒に行って吐くほど食べて、それからお堀を周って京葉道路に行って家に帰った。自転車の電気が切れていたのでオマワリに三度停められた。以降破らていない最高記録。


2004年05月04日

Vision Research

の最新号はVisual Attentionの特集

しゃっくり

大学以降の私を知っている人は、私が不思議なしゃっくりをするのを知っていると思う。それが、体調が悪いわけでもないのに、でかいしゃっくりが一回だけ出て、しかもそれで止まるのだ。いつもいきなりなものだから、口を閉じて防御することが出来なくて部屋に鳴り響いてしまう。最初のうちは心配されるか酔っ払い扱いされたかしたものだが、そのうちあたりまえのこととして受け止められるようになる。いつだったか、セミナーで鳴り響いてしまうので、どのくらいのペースで出るのか測定したことがある。その結果:一回目から二回目まで約一時間、二回目から三回目まで50分、四回目まで40分、とだんだん短くなることがわかったのだ。ストレスフルだと出やすくなるらしい。
んで、こういう低周波の横隔膜の痙攣が起こるとはいったいどういうことなのだろうか? 人間はサーカディアンリズムやら睡眠の90分リズムやらいろいろ持っているわけだが、なにでこういうことが起こるのだろうか?
なんてことを世間話でしていたものだが、なんと最近、その頻度が減ってきている。毎日聞いていたはずなのだが、ない日がある。こりゃまたさらにどういうことだろうか?
オチとかそういうものはないんだけれど、これが一種の近況報告。


2004年05月03日


2004年05月02日

難波田龍起

を銀座かどっかの画廊で見てからずっと好きで、以前世田谷美術館での個展とかを見に行ったことがあるのだが、そんなことをなんか急に思い出した。調べてみたら、1994年の「難波田龍起展 1954年以後ー抽象の展開・生命の響き」というやつだったらしい。なんツーか抽象画なんだけれど、いろんな青を重ねたテクスチュアを一面にダーンと描いたやつ、たとえばこのリンクのところの"生の記録 3"とか赤い"暁"とか黄土色の"人と自然4"だったりですばらしい。一番好きなのは土色のやつでこれがデカくて圧倒的なのだがwebでは見つからない(たぶん"生の記録"の1か2)。なんか大木を前にしているようで。デカければデカいほどいいって趣きがある。


2004年05月01日

Nature neuroscienceのfull textに図のサムネイル入った。

4/7に書いてた件。ガヤ日記4/28より。ほんとだ。やつら俺様の日記読んでたのか…(<-べつにツッコまなくていいっす)
2/14に書いたほうの検索の件も、対策がなされている様子。やっぱみんな思うことだったんでしょう。

Nature Neuroscience 5月号

Nature Neuroscience 5月号
"The fusiform face area subserves face perception, not generic within-category identification." Nancy Kanwisher。
これは延々Gauthierとやっているface area論争のつづきだ。Humanのfusiform face area(FFA)は顔刺激の呈示によって選択的に活動する領域で、顔の認知に専門化した領域であると考えられていた。しかし、人間にとって顔というのは非常に特殊なカテゴリーであるだけではなくて、非常に微妙なパーツの違いの組み合わせから人間は個々の顔を見分けてしまう(われわれは個々の人間の顔を見分けるようには個々の花や昆虫を見分けられない)。つまり、FFAの選択的活動はそういった「習熟」したobjectを処理していること自体の反映である可能性があった。そこでGauthierはカーディーラー(車を見分ける専門家)やバードウォッチャー(鳥を見分ける専門家)などの場合にはそれらの車や鳥によってこのFFAが活動することを示した(非専門家は車や鳥によってFFAが活動することはない)。ほかにもいくつか論文を出して、FFAが顔の認知のための領域であるというよりは、そういった微妙な見分けが専門化されたwithin-categoryのobject(objects of expertise)に対して活動する領域であることを示唆した。
そこでKanwisherによる反撃。顔のidentification taskを被験者にやってもらって、そのperformanceとFFAのfMRIでの活動のtrial-by-trial varianceを調べると、performanceとFFAの活動とが相関していることがわかった。つまり、FFAの活動は実際の顔認知に関わっていることを示している。*1一方、花や家などを見分ける専門家がそれぞれ花や家などを見分けるときのperformanceとFFAの活動には相関が見られなかった(fig.7)。Performanceと関連していたのはoccipito-temporal sulcus / inferotemporal gyrusだったり、medial fusiform gyrusだったりした。というわけでKanwisherの結論はFFAはそういったwithin-categoryのobjectのidentificationには関わっていない、やはり顔認知と関係ある、とするものだった。
実はFig.7を見ると、鳥の専門家の場合、鳥のindentificationのperformanceはFFAの活動とも相関しているのだけれど、まあ、それよりはmedial fusiform gyrusとの相関のほうが強いから良しとしましょう。鳥にも顔があるし。


*1:つまり、単に活動しているかどうかよりもより機能的意義が高い。


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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