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■ ラボでの論文コメントの例
どもども。けっきょく皆既月食の方は雲が厚かったですが、何度か雲の隙間から見ることが出来て満足しました。いちばん楽しいのは皆既月食が明けて月が光り出す瞬間だと思いますが、そこは雲が厚くて見られず。家族と一緒に見たけどいちばんはしゃいでいたのが私だったとかそういうオチ。それもまたよし。
こないだのエントリで
ウェブを漁るといろんなラボのジャーナルクラブの記録(論文リスト)が出てきます。あれに「要旨見てもわからないようなこと」を3行コメント付けてくれればすごく有益だと思うんですけど。
なんて書いてましたが、富山大の田村先生のところを見てたら「富山大学生理学徒然記」というブログ形式でのセミナー記録を発見。すかさずリンクしておきます。ここは記憶関係メインですが、ラボでやってることを反映してnonhuman primatesだけでなくrodentsもあって、よいです。
そういえば、霊長研の三上先生のラボのサイトにある「脳の世界」、ここもいろいろな論文が採りあげられていて、私もあんちょことして使いました。たとえば、Sommer and Wurtzをセミナーで採りあげたときには「これから行う運動を感覚系に知らせる」のお世話になりました。
2007年08月25日
■ 「皆既月食」から始まって「過去への旅路」まで
こんどの火曜日は皆既月食ですね。月が出てくるときにはもう欠けていて、皆既月食になるのが19時台、というわけでとても見やすいので、子どもたちと一緒に見ようと思ってます。
んで、ふと、むかし子どもの頃にひとりで皆既月食を見たことを思い出したんです。父も母も兄弟も寝静まっていた深夜、ひとりでベランダのガラス戸を透して見ていたんです。部分月食が始まるところから、皆既月食になって赤黒い月を見て、また部分月食になって完全な月に戻るまで。眠かっただろうに。だから時間はけっこう夜中だったし、そんなに寒くはなかったけど、窓を開け放ちたくなるような真夏でもなかった。そんなに夜遅く起きているからには小学校には入ってたろうし、高校生だったらもっと記憶が鮮明なはず。このへんの記憶をもとにしてあの皆既月食がいつだったか探してみようと思い立ちました。ネットがあればこんなことも出来るはず。
まずはwikipediaでList of lunar eclipsesというのを発見しました。予想通り、皆既月食はそんなにはないので絞り込めそう。わたしが6歳(1974)から16歳(1984)までのあいだで世界で見られた皆既月食は9回ありました。
さらにNASAのサイトでJavascript Lunar Eclipse Explorerというところを発見しました。ここに東京での皆既月食、ということで条件を絞ってみると、
Date | 部分月食開始 | 皆既月食開始 | 皆既月食終了 | 部分月食終了 |
1974-Nov-29 | 22:29 | 23:36 | 00:51 | 01:58 |
1978-Mar-24 | 23:33 | 00:37 | 02:08 | 03:12 |
1978-Sep-17 | 02:21 | 03:25 | 04:44 | 05:48 |
1979-Sep-06 | 18:18 | 19:32 | 20:16 | 21:30 |
1982-Jan-10 | 03:14 | 04:17 | 05:35 | 06:38 |
1982-Dec-30 | 18:51 | 19:59 | 20:59 | 22:07 |
こんなかんじになりました。両親や兄弟が寝ていたということからして、夕食時だった1979-Sep-06や1982-Dec-30は除外されます。また、6歳で深夜まで起きていたとは思えないので1974-Nov-29も除外です。そんな寒くなかったはずなので1982-Jan-10も除外です。そうすると残るのは1978-Mar-24かもしくは1978-Sep-17。どっちかはわからないけど1978年というところまでは絞れました。10歳、小学校4年生でそんなことをしてたんだろうか。どうも自信がないのだけれど、4年生、このころは科学が大好きで計算尺を自作したりとか、そろばん塾に通い出したり、深夜ラジオ(といっても11時くらい)をこっそり聞いたりとか、なんか自我の芽生えみたいなのが起こってたころで、なんかもっともらしいようにも思えて、なんか満足しました。
思えば長男ももうそのころのわたしの歳に近づいてきました。その事実にただただびっくりってかんじなんですけど。歳喰うわけだ。わたし主観としては25歳くらいで時が止まったかんじなんですけどね。
タイトルはピンク・フロイドとニール・ヤングでした(ラジオのディスクジョッキー風)。
2007年08月23日
■ ASCONE2007で講師をやります
ASCONE2007で講師をやることになりました。告知が遅れてしまいましたが、今日が参加応募の締め切りの日でした。
ASCONEは日本神経回路学会および統合脳のサポートによるオータムスクールです。若手の研究者が講師になって、参加者には講義を聞いてもらうだけでなく、演習を通してよりふかく積極的に参加していただくというものです。
昨年のASCONE06については統合脳のサイトに概要や参加者の感想などを含んだ開催報告(PDF)がありますので参考になると思います。
今年は『知覚と運動を結ぶ脳機能』というテーマになっています。わたし自身はまだ現在の仕事が論文になってませんし、正直自分で良いんだろうかと思うところはありますが、引き受けたからにはきっちりやりたいと思いますので、参加者の皆さま、よろしくお願いします。
■ 班会議終了
札幌で開催された統合脳の班会議、わたしのスケジュールは無事終了しました。第一領域でポスター発表して、講演を聞いて、第二領域を見に行って、ポスターを見て。
懇親会ではいろんな方がブログを見てくださっていることを知って感激しました。でも、自分の仕事が出ないでブログで有名ってのもかっこわるすぎるので、さっさと論文を出して、そちらで知られるようになりたいと思います。
札幌はなんか涼しくて秋を感じました。なんかもの悲しいです。なんかぐったりしてしまったので、飲み会にも参加せずさっさと寝ます。
2007年08月19日
■ Susan Hurley死去
via "fragments of consciousness" (David Chalmers)
わたしが読んだことがあるのはAlva Nöeとの共著"Neural Plasticity and Consciousness"だけですが、consciousnessをactionとの関係から見るという観点を持ち、しかも表象主義的である(arational agentさんによる寄稿より)ということで、私にとって大変重要な位置にあります。主著 "Consciousness in Action"は読まなければ、でも大著だしなあ、と躊躇しているところでした。arational agentさんの記述によれば、最終章の元となった論文がSynthese 2001 "Perception and action: alternative views."ということのようですので、ここから読んでいきたいと思います。
追悼の意を表します。
Susan Hurleyのサイト。
2007年08月18日
■ 論文コメント日記についてのあふれる思いを
どもども。さいきんブッコワレ気味です。水泳やってたこともあって、むかしは夏の方が好きでしたけど、なんかさいきん夏の暑さに体がもたない。歳でしょうか。なんてことはどうでもいい。
たまに思いがあふれてつい「私のブログ論」を書いてしまうのです。繰り返しになりますが、たいがいあとで消してるので、なんどでもやりましょう。長いっすよ。
んで、なんで私がこのブログで人の論文になんか言うのをメインコンテンツにしているのか。それは、1) それがいちばん書いていて問題が起こりにくいから、2) それは有益だから、3) 同じようなことをする人が増えてきてくれたらうれしいと私が思うから、そして 4) それらの交流を通じて、もっと大事なことを語れる場を作るお膳立てが可能となるから、です。
1) 「それがいちばん書いていて問題が起こりにくいから」
ネガティブな言い方を先にしてしまいましたが、私はブログをやることでプラスになることはあってもマイナスになることはないよ!ってのを身をもって示したい、って思いながら書いてます。だからここから書きます。
ブログを書き始めのころは、これは面白いなと思って書いたことがけっきょく人との会話だったりしてパーソナルなコミュニケーションに元づいていることであることを発見して、書くのを断念するということがしばしばありました。そういう意味では、公開された書類である学術論文にコメントをするというのはとてもやりやすいわけです。思えば、世の中のブログというのもたいていはなんかのニュースや人のブログを読んでそれにコメントを付けるというのが大半な訳ですが、それをサイエンスの分野でやっているとも言えるかもしれません。
だいたい、私と会話したことがいちいちブログに載せられたら嫌でしょうし、そういう目で私のことを敬遠されたら私としても困ります。そういうことをしませんよ、ということは激しくアピールしておきたい。だからイニシャルトークもしないようにしてます。「某先生」とか言ったりしない。たぶんこれまでにここで伊佐先生や宮下先生の話を書いたことがないんではないでしょうか。わざとそうしてます。そういう話題は飲み会で(エー)。
脱線しました。けっきょくのところさまざまなアイデアは人とのコミニュケーションでできてゆくのであって、完全にひとりのオリジナルアイデアなんてない、とも言えますが、いかにきっちりアイデアにクレジットを付けるか、ということにはものすごく気を遣っているつもりです。逆に言えば、人のアイデアをさも自分が考えたように書くという行為には厳しい。出版されている本の多くはこのラインを踏み外していると思うんです。極論はすべての文章が論文みたいにreference付きまくりになるということなんですが、別にそういうことを要求しているわけではありません。
2) 「それは有益だから」
そしてこれは有益です。みなさんそれぞれのラボでジャーナルクラブをやっていると思うんですけど、そのなかで冴えた意見が出ると思います。論文を批判的に読み込んだら、いろんなアイデアが出るし、そういう中から抽出されてきた思考法を作る場のひとつです。たとえば、適切なコントロールはどういう条件か、ある主張をするためにはどういう実験が必要か、ある実験結果から言えることはどこまでか、解析法などの問題点を踏まえた上でどのくらいまでが妥当なことをいってるか引き算して考えるとか、within-subject comparisonがいかに重要であるかとか、実験結果をdouble dissociationとして示すことの威力とか、そういうことの多くをわたしはジャーナルクラブから学んできました。このことは"strong inference"の考え方をさらに突き詰めて頭にたたき込む、という意味で私にとって重要な過程だったと思います。そういうのをもっとみんなで共有できたらいいのに、と思うんです。ウェブを漁るといろんなラボのジャーナルクラブの記録(論文リスト)が出てきます。あれに「要旨見てもわからないようなこと」を3行コメント付けてくれればすごく有益だと思うんですけど。
ちょっと具体例。うちのサイトでだったら、20040118で、Andrew SchwartzのScience 2004が蔵田先生のJNP 2002のプリズム適応の焼き直しじゃないの?ってコメントが一つあれば充分。GlimcherのNeuronについてのスレッドで長々と私が書いたこともひとことで言えば、「タイトルに反してobjective desirabilityを見ている」と書ければよいのです。ま、そういうふうに簡潔に鋭く書くってのが大変なわけですが、ラボでのジャーナルクラブってのはそういうのが行き交ってる場だと思うんです。
冴えてる人は各地にたくさんいますよね。そういうのに興味がある。飲み会で私がよくする話題のひとつとして「頭の良さ談義」というのがあります。いろんな頭の良さがありますが、私が経験したのはこういう人の例ですが、あなたの経験ではどうですか、というやつです。具体例なのでウェブでは不可能なわけですが。脱線。
3) 「同じようなことをする人が増えてきてくれたらうれしいと私が思うから」
んでそういうことをだれかが書いてくられたうれしいなと思うんで、自分でやってみたわけです。まえにも書きましたが、それはそのころ読んでいたガヤ日記やGardenerさんの日記からの影響でした。んで、それらへの応答として、システム神経科学はものすごくcontext-richなんでどちらかというと長めなコメントを作るという方針にして現在に至るわけです。それから、同じようなことをする人も増えてきて、良かったなと思ってます。
論文コメントの集約が出来たらいいなあとかそれに基づいたコミュニティーを作れたらいいなあということを以前はいろいろ書いていましたが、なかなか難しい。もっと気軽に参加できたらいいのですけどね。ソーシャルブックマークでひとこと記入、でもおおいに意義があると思うんです。
あと、こういうことをするタイミングは、プロジェクト始まりとか始める前のサーべイ期に行うのがいいんではないかと思います。じっさい、こういうブログを運営されているのはポスドクやドクターの方が多いわけでして、それはたぶんネットを始めた時期とかにはよらないのではないでしょうか。
ということでいまでも、より多くの方の参加を期待しております。
4) 「それらの交流を通じて、もっと大事なことを語れる場を作るお膳立てが可能となるから」
んで、ほんとうはそうやって人の論文をサカナにして語ることによって、私たちはこれから何をやっていけばいいのだろうか、とかそういうことを語りたいのですね。べつにトレンド追っかけろとか言ってる訳じゃありません。その逆。私たちがこうやっていろんな課題中にニューロンを記録するという実験パラダイムでやっているけど、そこから先に行くにはどうすればよいのだろうか、ということであります。これからも実験手法は複雑になり、さまざまな高次脳機能を明らかにしようという流れは続くでしょう。また、脳の中でまだ明らかにされていない領域(わたしは未開の地とか呼びますが)、たとえばtemporal poleとかfrontal cortexの先っぽとかparietalのmedial側とかをcharacterizeしてゆく方向性は王道だし、これまでに考えられていなかった実験パラダイムを生む可能性もあるでしょう。たとえばミラーニューロンのように。でもほかはないか。ということで日々議論してるし、たしかに納得する意見もあります(こういうのがいちばん面白いんだけど書けないんだ)。こういうことをブログにみんながみんな書いてくれるとは思わないし、わたしも多くの部分を周りの人との議論によって作ってあるが故に書けないことが多いです。でも、このブログで書いていることが呼び水となって、そういうことを語れる場を設定することが出来るんではないかと思うのです。
流れ上、せっかくだから私自身考えていることを多少書いておきますが、わたしはこのシステム神経科学という実験科学を生体と環境との双方向の作用を取り込んだ考え方に移れるようにしたい。ひとことでいってしまえばsensorimotor contingency theory of consciousnessのラインなんですが。環境への働きかけによって私たちが環境をどう捉えるかは影響を受けるし、私たちが環境をどう捉えたかによって環境への働きかけは影響を受ける。そういうループの中で意識は生まれては消え、それをまとめ上げて自己と他者を認識する。この系では、原因と結果がループになっているのを解きほぐさなくてはいけない。そのためには現在の入力-出力スキームを越えた科学的議論が、学術論文誌に掲載されるような堅い議論に基づいた論文として作れるような形にならないといけない。パラダイムチェンジ、なんて言ってるだけではダメなのです。べつにわたしは科学批判を本に書いて文化人になりたいわけではなくて、NatureやScienceでも通じるような議論推論の形が作りたいというわけです(デカく出た!)。私たちが論文で使える論理はものすごく限られています。条件Aと条件Bの引き算とか。対立仮説のrejectとか。原因と結果がループをひとつのシステムとして説明するためにモデルを持ち出すというのがシステムバイオロジーなわけだけど、実験データにモデルを付けるという後付けでやってる限りそんなに強い議論だとは受け取ってもらえない(かならずや、パラメータの数増やせば、説明できるのでは、とか言われてしまう)。というかこれは人ごとではなくて自分の話なのだけれど。そこで、後付けだけにならないようにpredictionをしてやろう、というのが川人先生の操作脳科学の意義のひとつだと理解しています。私自身のアイデアはこの文脈に繋がるのかもしれません。
んで、そういうところを切り開いてゆけるようなところに向かいたい。私にとってミラーニューロンが面白いのはふつうに生理学的に記述しようとするとものすごくたいへんなのだけれど、そこでこぼれ落ちてしまいそうなところがあるのを感じるからです。Blindsightが面白いのもそこです。意識がないのに出来ることがある。しかもそれはたんに信頼度の低い感覚情報を用いているからというわけではないらしい(「near-threshold visionではない」)。これまでの道具ではもてあますようなところをこそ進みたい。解ける問題ではなく、解きたい問題を。
革命は天から降ってこない。アインシュタインだってワトソンとクリックだってその当時の問題を答えることによって革命を果たしました。科学の問題圏から、そこを拡張するような形でブレークスルーが起こるであろう。そういうヒューリスティックスでもってわたしはやってます。
「このブログで書いていることが呼び水となって、そういうことを語れる場を設定することが出来るんではないかと思うのです。」とわたしは書きました。呼び水とは曖昧な表現をしましたが、率直に言ってしまえば、ここで書いているような話題を共有できる人とこそ意識や脳について語りたい、ということです。これはqualia-MLを見て私が学んだことでもあります。
0) さて、最初の問題に戻りますが、やっぱそれでも現在の形式とそれに付随した倫理に縛られたかんじの現状をなんとかしたいというところはあります。ま、私自身としてはどちらかというともうそろそろ違った方向性にしたほうが良いとも思ってます。論文コメント日記をやめる、ということではないのですけれど、もっとアイデアを綴ったり、あけっぴろげにいけるようにしたいんです。その方が私らしいですし。極論とちゃぶ台ひっくり返しと自滅ネタとを用いて人の心に切り込むように語っていたのではなかったろうか……昔の俺は。
だいたいこんなもんでしょうか。あとは落ち穂拾い。というか文章作ったけど流れに繋げられなかったものをパラグラフごとに:
- クレジット問題への配慮で「誰かにこう言われて、自分はこう考えた」というコミニュケーションの現場を排除してゆくとどうしても、芸風が自分へのつっこみになる。自分ボケ、自分ツッコミ。どこか独り言テイストが出てきてしまう。そうならないようにするためのコメント欄とトラックバックなんですけどね。未解決。
- 日々の仕事について書けないのは今の仕事の責任者ではないから、といったん言ってみる。でもそんなの他の仕事でも同じじゃん、っていうことで、誰だって守秘義務のあること、相手がいることとかを書いたりしません。一方で、自分が責任者になったら書けるかっていると、そうでもない。自分の上司のブログにお小言とか書いてあったら嫌っしょ。部下がなんか書かれてないかと冷や冷やしながら毎日ブログをチェックしてる、なんてことになったら上司だって嫌っしょ。生徒のこと書いてる実名の教師ブログとかあったらおたがい嫌っしょ。そういうのがしたかったら匿名ブログにするわけです。さてここで実名ブログ、匿名ブログという問題になる。表だっては言いにくいことを率直に書くことを大切にする空間というのがあって、そこでしかできないことがあると思います。でも、たぶん学術的な議論には向いていない。でも私はあくまで学術的な話をすることに興味があった。だから徐々にこっちの方向に移ってきた、というところがあります。
- プライバシー問題ですが、偉くなっちゃうと往々にして華麗な交友歴みたいなの書いちゃうようですけど、それは違うんではないかと思うんです。
- Alva Noeのsensorimotor contingencyとかVarelaのenactionとかってのはメルロ・ポンティを下敷きにしてます。浅田彰の「構造と力」ではメルロ・ポンティを動物的な予定調和の世界であるというような言い方で対比させてラカンを導入する。(「生の水先案内人である本能は、それらのゲシュタルトの機能的な意味を正しく読み取って、有機体を安全な水路への導いていくのである。このような生の世界のヴィジョンにこそ、メルロー=ポンティの発想の源泉であると言ってよい。……ラカンもまたゲシュタルト理論に充分親しんであり、動物までの水準においてはそれを肯定する。決定的な違いは、メルロー=ポンティがこのヴィジョンをそのまま延長した上で人間を論ずるのに対して、ラカンは人間に関してこのヴィジョンが完全に破綻するというところから出発する点にある。」p.136) メルロ・ポンティをちゃんと読まなくっちゃぁいけないんで即断できないのだけれど、これ自体はなんで私が現象学ベースの話に惹かれるかと合致しているかもしれない。つまり、non-humanを扱い、そのレベルでのconsciousnessをメインに考えていることの反映かもしれないってこと。この意味ではやっぱ、ポイントは言語だと思うんですけど、どうもそちらにはいまのところ手が伸びないんです。
- わたしは目立ちたがり屋ですけど、政治好きではないです。群れるのは好きでない。人垣の中心にいたことはないし、いたくない。飲み屋で片隅の方でゆっくり語り合えればよいのです。でもそれをするのがいかに大変なことか。
あー。いろんなことを同時に書きすぎてしまいましたがこのままいきます。いちおう一週間寝かしておいたんでこのあたりでGO。班会議の酒の肴を兼ねて。正直に書きすぎたところについては「あとで消すかも」メソッドで。
# がや
ここに書かれてあること全て同感(or 個人的に好きなスタンス)です。しばらくして、あるいは、この日記を消したら、また、いずれ、何度でも同じこと書いてください。その度にきっと勇気づけられます。
来週、札幌で、また。
# pooneilどうもありがとうございます。相変わらずレスポンスがはやい、というか名前を挙げたことで引っ張り出してしまいましたね。
文章を見直してみると、あんま消す消すって書くのももったいぶってるような、あんまかんじのいいものではありませんでした。このまま残しておきます。
こちらのほうはといえば、統合脳のポスターの図のアップデートがまだ残ってます。終わらない土曜日。それではまた札幌で。
2007年08月11日
■ 皆既日食見たい!
Life is beutifulの「皆既日食地図」に学ぶプレゼンのテクニックを見てて、ネタはプレゼンについてなんだけども、皆既日食の方が気になってしまって、いろいろ見て回ることに。
LIVE! ECLIPSE 2006 ここに2006年のリビア-エジプト-トルコで見ることができた皆既日食のムービーがいくつかあるのだけれど、日食じゃなくて、日食を見てる人を撮影してるムービーがあって、これがすごい。ほんとに真っ暗になるんだ。そしてその皆既日食になってる直径200kmの周りは明るいから、空の端が赤くなってる。なにこれ。すげー。
それから日本で見ることのできる皆既日食を探してみると再来年に奄美大島北部で見れるらしい。WikipediaのSolar eclipse of July 22, 2009を見る。ここのGIFアニメもわかりやすくて素晴らしいです。
さらにここからのリンクでGoogle mapのマッシュアップとおぼしきサイトへ。なるほど、奄美大島はいい位置にあるけど、上海も皆既日食の通り道になってる。こっちのほうがいいかも。奄美大島は季節的に台風などもあることでしょうし。
ふたたびWikipediaの日本語版を見てみると、21世紀中に日本で見ることのできる皆既日食は2009年7月22日、2035年9月2日、2063年8月24日、2089年10月4日だそうです。2089年とかあまりに遠いのになんだかリアルなもんだから、涙が出てきてしまいます。
というわけで、2009年7月22日の皆既日食見たい! そのときわたしはどこでなにをしてるんだろか、とか考えたり。
2007年08月10日
■ 暑いっすねー
暑いっすねー。人いねーなー。頭茹だってる。頭茹だちすぎて、今日からこのサイトはポエム日記になりました。ではみなさんさようなら。
昔のことを思い出しながら。
パズルのピースはところどころ欠けて落ちてる。もう、どうでもよかった。
目をつぶって考えた。なにも浮かばなかった。
手が震えていた。力が入らなかった。
坂を自転車で上ったけど、尋常じゃないくらい息を切らした。立ち止まった。
目の前が真っ暗になって、背中から落ちた。水びたしだった。
深呼吸をしてもダメだった。手がしびれていた。
血だらけだった。助けが必要だった。
悪夢から覚めて、へんてこなやり方で壁を乗り越えて、
すべてのつじつまを合わせずに、
目を輝かせて、テンション上げて、みんなにつっこまれて、
んで僕がしたいことは。
自転車で坂を上ったり下ったりしながら。
2007年08月08日
■ トップダウンの注意とボトムアップの注意を統合する大脳皮質ネットワーク
つづきです。
The Journal of Neuroscience, 2004, 24(28):6371-6382; "Target Selection in Area V4 during a Multidimensional Visual Search Task" Tadashi Ogawa and Hidehiko Komatsu
Experimental Brain Research 2006 "Neuronal dynamics of bottom-up and top-down processes in area V4 of macaque monkeys performing a visual search" Tadashi Ogawa and Hidehiko Komatsu
関係ある論文のリストを作っておきます。
Schallらの一連のsearch taskはFEFからの記録ですが、大いに関連あると言えるでしょう。たくさんあるんですが関連ありそうなのはThompsonの論文とかでしょうか:
JNS 2005 "Neuronal Basis of Covert Spatial Attention in the Frontal Eye Field"
JNP 1997 "Dissociation of Visual Discrimination From Saccade Programming in Macaque Frontal Eye Field"
V4でattentionということで関係があるのが、Desimone系列でJohn H. Reynolds。 Neuron 2007 "Differential Attention-Dependent Response Modulation across Cell Classes in Macaque Visual Area V4."
Neuron 2005 "Time Course of Attention Reveals Different Mechanisms for Spatial and Feature-Based Attention in Area V4"
Neuron 2003 "Interacting Roles of Attention and Visual Salience in V4"
Neuron 2000 "Attention increases sensitivity of V4 neurons."
Van Essenの系列でJack L. GallantとCharles E. Connor。
JNS 1997 "Spatial attention effects in macaque area V4."
Neuron 2005 "Time course of attention reveals different mechanisms for spatial and feature-based attention in area V4."
それから、John H. R. Maunsell。
JNP 2006 "Effects of Spatial Attention on Contrast Response Functions in Macaque Area V4"
Nature 2002 "Attentional modulation in visual cortex depends on task timing"
JNP 2000 "Attention to Both Space and Feature Modulates Neuronal Responses in Macaque Area V4"
V4とFEFのinteractionという意味ではTirin Mooreの一連の仕事は大いに関係あります。
Nature 2003 "Selective gating of visual signals by microstimulation of frontal cortex"
Science 1999 "Shape Representations and Visual Guidance of Saccadic Eye Movements"
ここ最近LFPでtop-down attentionをみるというような話が続いて出てきました。
Science 2007 "Neural Mechanisms of Visual Attention: How Top-Down Feedback Highlights Relevant Locations"
Science 2007 "Top-Down Versus Bottom-Up Control of Attention in the Prefrontal and Posterior Parietal Cortices"
つづきます。
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- / 投稿日: 2007年08月08日
- / カテゴリー: [生理研研究会2007「注意と意志決定の脳内メカニズム」]
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# pooneil
小川さんからFEFにおけるspatial attentionの効果を見た論文として産総研の小高さんの論文を紹介していただきました。(以前コメントいただいていたのを忘れていました。) どうもありがとうございます。
Kodaka Y, Mikami A, Kubota K., 1997. Neuronal activity in the frontal eye field of the monkey is modulated while attention is focused on to a stimulus in the peripheral visual field, irrespective of eye movement. Neurosci Res. 28, pp. 291-298
ちなみに昔のME Goldbergの
Goldberg, M.E. and Bushnell, M.C., 1981. Behavioral enhancement of visual responses in monkey cerebral cortex: II. Modulation in frontal eye fields specifically related to saccades. J. Neurophysiol. 46, pp. 773-787
こっちのほうではポジティブな結果がでなかったそうです。
2007年08月07日
■ トップダウンの注意とボトムアップの注意を統合する大脳皮質ネットワーク
生理研研究会予習シリーズ続きます。現在京大の河野研に所属しておられる小川正さんが生理研の小松研の在籍されていたときのお仕事についてまとめておきます。
The Journal of Neuroscience, 2004, 24(28):6371-6382; "Target Selection in Area V4 during a Multidimensional Visual Search Task" Tadashi Ogawa and Hidehiko Komatsu
Experimental Brain Research 2006 "Neuronal dynamics of bottom-up and top-down processes in area V4 of macaque monkeys performing a visual search" Tadashi Ogawa and Hidehiko Komatsu
まずトップダウンの注意とボトムアップの注意ってなにかってことですが、刺激自体によって決まるのがボトムアップの注意です。たとえば、とても明るい、もしくは周りはみんな赤い点なのにその点だけ緑だとか。これを注意と言うか、pre-attentiveと言うかはまたいろいろ議論があるようです。そのへんの事情についてはvikingさんのブログで何度か採りあげられていると思います。いま検索したらこのエントリとか。いっぽうでトップダウンの注意というのはわれわれが自分の意志でもって行動の目的に向けるような注意のことです。だからgoal-drected attentionとか言ったりしますね。意識との関係が取りざたされるのはこちらです。課題の条件ではたいがいrewardおよび行動選択と結びつけられているので、それがtop-down attentionなのか、それともdecisionおよびaction selectionによるものなのか、といったことが必ずや問題となります。このへんは議論のネタのひとつとなることでしょう。今回の場合だと、V4はvisual cortexですので行動選択とかとは関係ないだろうから注意と考えて妥当だろう、という議論が成り立ちますが、それでも要旨の中では"top-down signal"みたいな言い方になっていたりします。
JNS 2004ではsearch taskを行ってV4からニューロンを記録しました。課題に関しては生理研のニュースリリースを見ていただくとわかりやすいですが、あるブロックではcolorに基づいたsearch (ひとつだけ緑のものを選ぶ、とか)、あるブロックではshapeに基づいたsearchを行います。Trialはいくつかに分類することができますが、重要な比較は4条件です。まずRF内の図形については色がsalientか形がsalientか('feature dimension')、それからtaskのrequirementによってRF内の図形がtargetになったり、distractorになったりします('search dimension')。よって、color-target / color-distractor / shape-target / shape-distractorの4条件を比較する、というのがこの実験の基本デザインです。
んで、明らかになったのは、この4条件で交互作用を持つニューロンが見つかった、ということです。つまり、たとえば、ニュースリリースの図Bのニューロンはcolor-target条件でいちばん強く活動し、活動の大きさはcolor-target > color-distractor > shape-target = shape-distractorとなっています。よって、ボトムアップの注意とトップダウンの注意はV4においてはたんにlinearに足し合わせれるのではなくて、ここで統合されている可能性があると言えるわけです。
つづきます。
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- / 投稿日: 2007年08月07日
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2007年08月06日
■ 「1000の小説とバックベアード」読んだ
花火の方は楽しく終了。途中で雷なったりとかすごいことになってましたけど。
んで、「1000の小説とバックベアード」佐藤 友哉が岡崎の書店に入るのを待っていたのだけれどけっきょくどこにも入らずあきらめていたところで、図書館に新潮の2006年12月号があったのでそれで読むことに成功しました。
いや、良かったです。奇妙な設定もじつは自伝的。どう話を落とすのと思ったら後半はけっこう盛り上がりました。熱くてやる気満々、ということはけっしてあり得ないのだけれどなんだか決意に充ち満ちているという雰囲気はこれまでの作風とも通じているような。あと、かなり狙ってた感じはする。「日本文学」さん、なんてかなり高橋源一郎的ですよね。(三島賞の第一回受賞者は高橋源一郎で、しかも三島賞受賞後に佐藤友哉は高橋源一郎と対談してる。ネットのどっかで見たけどいまみつからない。) これまで通り全体としてなんか戯画的な感じというのもそういえば通じている気がします。あと、「キャラクター小説の作り方」 大塚 英志にたいするアンサーソング的な側面も感じました。
……ここまで書いてから「佐藤友哉 高橋源一郎」でググってみたら、はてなだけでもけっこう採りあげられてる。「海難記」とか「東京猫の散歩と昼寝」とか。後者で「日本文学盛衰史」高橋源一郎への共感、という表現がされていたので、つぎはこれを読んでみようと思います。高橋源一郎はかなり好きで、10年ぐらい前に小説はけっこう読みましたけど(「さようなら、ギャングたち」「優雅で感傷的な日本野球」「虹の彼方に」「ジョン・レノン対火星人」「ペンギン村に陽は落ちて」とか、ストーリーよりは独特のポエジー(という表現をこの人はします)で読ませる)、21世紀になってから出たこの作品は読んでませんでした。
ユヤタンの方に戻ると、本作は鏡家シリーズとかに出てくるヤケクソ風味やグロ風味はほとんどみられず、強いていえば「友がみな僕よりえらく見える日は 刃物を振るいて お前らザクザク」くらいでしたが、その調子で小説、小説と繰り返したまま終わってしまったので、ネタだよね、というかボケっぱなし?とか思いつつも(しかもあまり皮肉が効いてないもしくは皮肉臭くない)、こういう書き方は好きですけど。今っぽいと言えるかも。
あと、「小説」家になってしまったせいか、オタク的意匠は見られなかったですね。強いて言えば、「バックベアード」ですが、これはいろいろコンテキストがあって面白いですね。私は改変ネタの方を先に知ってしまったのでちと笑ってしまいましたが。
2007年08月03日
■ 頭頂皮質で三次元の形状に反応するところ
Neuron。"Anterior Regions of Monkey Parietal Cortex Process Visual 3D Shape"。Guy A. Orbanのグループによるmonkey fMRIのstudyなのですが、もはやactivationの図がsliceで表示されているものがなくて、ぜんぶunfoldedになってます。IPSのどっちにactivation出てるかとかかなりシビアな気がするけど大丈夫なんでしょうか。
ともあれ実験のまとめ。実験1で、3D shapeで反応して、単なる出っぱった平面では反応しないところがAIP、どっちでも活動するのがCIP、それからLIPも。このLIPの活動とかはたんなるスムージングの効果ではないのでしょうか。実験2では、3Dのcurvatureとかorientationとか三次元のsurfaceに対する応答を見て、これはAIP。CIPは無し。実験3では、2D shapeの提示で、gray scaleの図とline drawingの図とで反応がちがうのがAIPとLIP、コントロールのスクランブル図形よりも応答が大きいのがCIP、ということでした。
さて、これはこれまでのsingle-unitの結果とどのくらいconsistentなのか、という疑問ですが、AIPが三次元図形に反応する、というのは村田哲さんのJNP 2000 "Selectivity for the shape, size, and orientation of objects for grasping in neurons of monkey parietal area AIP."など(1996 JNPに対応する日本語による解説が「三次元図形記憶の神経機構」にあります)でも詳しく調べられています。こちらの仕事はたんなるvisionではなくて、graspingとの関わりに注目したものです。Michael ArbibがAIPをアフォーダンスが抽出される場所である、というようなモデル(Neural Network 1998 "Modeling parietal–premotor interactions in primate control of grasping")を立てていますが、これにconsistentなストーリーと言えましょう。
いっぽうでCIPのほうは筒井健一郎さんのScience 2002 "Neural correlates for perception of 3D surface orientation from texture gradient"が有名で、日本語による解説のタイトルにあるとおり、「テクスチャーの勾配から3次元的な面の傾きを知覚するための神経機構」であると考えられています。(なお、このdepth from textureというのの元ネタのひとつはギブソンですので、アフォーダンスとかミラーニューロンとかとも併せて、このグループがいかにecologicalなアプローチを志向しているかがよくわかります。) 一方で、CIPはdisparityで定義されるような平面の傾きに関しても応答することがわかっております(JNP 2001 "Integration of Perspective and Disparity Cues in Surface-Orientation-Selective Neurons of Area CIP")。こちらのほうは平面ではありますけど、Orbanの実験2でのdisparityでdefineされた3D 曲面ではAIPのみ活動して、CIPはactivationが見られないというのはどうもconsistentではないように感じます。
ともあれ、CIPおよびITからの入力でAIPの3D shapeへのselectivityができる、というのが基本的な流れのようです。(たとえば、Neuroscience Research 2005のレビュー"Neural mechanisms of three-dimensional vision"など。)
さらにこの情報の流れは3D objectをgraspする過程の一部として捉えられ、CIP-AIPと形成された3D shapeに対する情報がF5のgrasping neuronに送られて、さらにそれがefference copyとしてAIPに帰ってくる、というストーリーが描かれています(日本語での解説が「手操作運動のための物体と手の脳内表現」 PDF)。このへんについてはアフォーダンスと内部モデルとefference copy、なんてお題でこのサイトでも一時期盛んに採りあげました。
どちらかというとOrban論文をネタに日大グループの仕事を復習してみた、というテイストになりましたが。それではまた。明日は岡崎は花火大会です。
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- / 投稿日: 2007年08月03日
- / カテゴリー: [内部モデル、遠心性コピー、アフォーダンス]
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2007年08月02日
■ 昆虫だらけの我が家についてご報告させていただきます。
岡崎って町は名古屋と浜名湖の間にあって、北と東を山が囲んでいて、私が住んでいる中心部はけっこう町でして、田んぼとか全然ないコンクリートジャングルなんですけど、借家住まいで犬が飼えないからか、どんどん家の中に昆虫とか小動物が増えてきてます。奥さんと子どもとで。
まずカブトムシ。何年越しかで飼い続けていて、冬とかは発泡スチロールの大きな箱の堆肥の中にいる幼虫をたまに虫干ししたりしてつねに10匹とかいます。はじめのころは幼虫を奥さんが友人に分けてみたら成虫になって出てきたのがカナブンだったとかそういう失敗もありましたが、最近は安定供給。さらに車で15分行ったあたりの秘密の場所でクヌギの木で樹液が出ているスポットがあって毎年そこで野生の生きのいいのを取ってきてはカブト相撲大会に出場とかそんな感じ。夜とかスゲー羽音鳴ってます。その横で寝てる私。あと、巣箱から出てきたのが私の脛にかじりついて痛さで目覚めたとかそういう心温まるエピソードもあり。
それから、カミキリムシ。一ヶ月くらい飼ってるけどスゲー元気。このあいだ夜古本屋に行って車停めていたらカミキリムシのメスが一生懸命卵を車のリアガラスに産み付けてた。車走らせても卵はしっかりくっついてる。すごい。
それからカイコ。保育園で娘が飼ってたりけっこう身近だったのだけれど、ついに我が家でも飼うことに。桑の葉っぱをものすごい食べて、ものすごい勢いで大きくなる。あんなに急激に成長して、やつらは肉割れ出来ないんですかね、って脱皮するわけですが。トイレットペーパーの芯に繭作って、成虫が出てきて、交尾して、卵びっしりトイレットペーパーの芯にくっつけてます。もう一周行くらしい。
昨日はきれいな緑色のナナフシを奥さんが見つけてきました。はじめて野生のを見て感激。ほんとに枝そっくりなのですが、うごきもなんかゆらゆらとしていて、風に揺れる感じを再現しています。レベル高い。でも手足長すぎて歩くのとか下手。擬態にリソース使いすぎてるかんじです。絶滅しそう。
それから、カタツムリ。いま4匹います。脱走したやつがいてしばらく見つからなかったのだけれど、テーブルの裏にいるのを私が発見。フローリングに寝ころんだとき。
あと、アメリカザリガニ。西尾の方に西尾いきものふれあいの里というところがありまして、そこでザリガニ釣りが出来るってんでこのあいだ行ってきたのですが(費用は釣り竿第20円のみ)、誰もいない池があって、もう釣り放題。早く帰りたいとか行ってた娘もいったん釣れたら大はしゃぎでけっきょく3時間くらいかけて一家で20匹ぐらい釣って、2匹残してあとは全部放流。
んでおとといは今年はじめてのGに家の中で遭遇。そして逃がしました。そういうオチ。
2007年08月01日
■ 選択した行動の正解不正解をコードする前頭前野内側部
Nature Neuroscience 2007 "Medial prefrontal cell activity signaling prediction errors of action values" Madoka Matsumoto, Kenji Matsumoto, Hiroshi Abe and Keiji Tanakaに関して。だいたいこれでわたしの方からは言い切ったかんじになるのではないかと。
Medial frontal cortexに関する重要なレビューとしてRushworthによる、Trends in Cognitive Sciences 2004 "Action sets and decisions in the medial frontal cortex"があります。これを読んできました。多少まとめます。
もともとmedial frontal cortex (ここではpreSMAとACCを含んでいるようです)はNiki and Watanabe 1979による先駆的仕事やhumanのERP studyでerror related negativityというのが取れることなどから、errorやconflictのmonitoringをしていると考えられてきたのだけれど、最近の仕事からACCはもっとactionとそのoutcome(negativeなものだけでなくpositiveなものも)とを関連づけるところと考えられるようになってきた、というのがその骨子です。今回のNature neuroscience論文がこのレビューに対する答えになっているということがよくわかるかと思います。
それで、レビューの方では松元健二さんのScience 2003のほうをかなり大きく採りあげて、ACCがactionとreinforcement value of its outcomeとを関連づけた活動を保持している証拠のひとつとしています。Science 2003 "Neuronal Correlates of Goal-Based Motor Selection in the Prefrontal Cortex" Kenji Matsumoto, Wataru Suzuki, Keiji Tanakaのほうでは、刺激条件(図形AとB)/行動選択(Go or NoGo)/報酬条件(Rewarded or unrewarded)の2*2*2の組み合わせをブロックごとにスイッチするという課題を行っていました。それで、ACCで見つかったのは行動選択*報酬条件で交互作用があるニューロンでした。つまり、go-rewarded/go-unrewarded/nogo-rewarded/nogo-unrewardedの4通りのうち、nogo rewardedでのみ活動する、といったニューロンが見つかったというわけです。Science論文ではこの活動について"goal-based action selection"という言い方をしていましたが、Rushworthはaction-outcome relationshipという言い方をしています。この意味では、Science 2003と比べてNature Neuroscience 2007の結果を見ることも重要です。Nature Neuroscience 2007は学習が進んだら消えてしまうような成分を見ているのでその点では違いは明確なのですが。
また、以前にmuscimol injectionなどの可能性について考えてみましたが、lesion実験にかんしてはRushworthらの論文(JNP 2003 "The Anterior Cingulate and Reward-Guided Selection of Actions")がレビュー内で紹介されています。メインの課題(Reward conditional response selection)は、taskのはじめにpelletをもらったときはレバーを引くと2個目のpelletが出てきて、taskのはじめにpeanutsをもらったときはレバーを横に倒すと2個目のpeanutsが出てくる、というものです。この課題の成績はlesionによって落ちます。一方で、コントロール課題(Visual discrimination learning)は図形の対があって、どちらかがrewardとassociateしています。Rewardとassociateしている図形を選べばrewardがもらえる。いわゆるconcurrent discrimination taskというやつですな。こちらはACC lesionによって成績は落ちない。よって、stimulus-reward associationにはACC lesionは影響を及ぼさないけれど、action-reward associationは影響を受ける、というわけです。
あと、議論のネタとしては、ACCというのはfMRIとかで見ててもいろんなcognitiveな条件で光るようだし、かなり「自我の座」っぽいイメージのあるところだと思うので、ACCとはなんなのか、人の損傷症例とかと合わせてconsistentな説が作れるかどうか、というあたりが面白いところですかね。有名なPhineas Gageの症例での損傷部位はもっと前の方になるんでしょうか。
だんだんとりとめなくなってきたんでこのへんで。
次回の予習シリーズは小川正さんのtop-down attentionとbottom-up attentionの統合に関する論文について行いたいと思います。ではまた。
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- / 投稿日: 2007年08月01日
- / カテゴリー: [生理研研究会2007「注意と意志決定の脳内メカニズム」]
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# araragi
はじめまして。
非常に参考になるエントリ、ありがとうございます。
表示が乱れて読みにくいのですが、
あたしが使っているのがエクスプローラーだからでしょうか?
ご指摘どうもありがとうございます。Firefoxでは問題なかったので気付きませんでした。そういえば以前にもid:natsumotoさんのブクマhttp://b.hatena.ne.jp/natsumoto/20070719#bookmark-5326726
でOperaでもずれるというご指摘がありました。ソースを見直して、IE6とOpera 9でも正常に表示されるのを確認しました。どうもありがとうございます。
ちなみに横幅についてはCSSで
max-width=640px
というのを指定していますので、firefoxやOperaやIE7では全画面表示してもエントリが横に伸びないようになっているのですが、IE6以前ではそれは効かないようです。
それから、フォントは
font-family: Verdana, Arial, sans-serif;
という形で指定していて、わたしの環境ではゴシック体を表示するようになっているのですが、環境が違うと明朝体になっているかもしれません(古いPCのIE5で見たらそうなっていたことがあります)。
ほかに見にくい点などお気づきのことがありましたらご指摘ください。
拾っていただいてありがとうございます。(やっと気づきました……)
Opera 9.5で、快適に見られてます。お手数おかけしました。
どうもどうも。よかったです。
自分はFirefox派でして、Operaはチェック用にしか使ってないのですが、Operaは良いですか? 速いって聞きますが。
おそいマシンだと速く感じますねー。
カスタマイズとかしなくても、メールソフトやRSSリーダとして、ふつうにつかえるので、重宝しております。
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