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■ さうして、このごろ 20140531

金平糖がポルトガル語のコンフェイト (confeito)から来てる、って記載のあまりのそれっぽさに、ウィキペなのに民明書房刊かと思った。

しゃっくりをしたら、しまい忘れた電気ストーブの熱反射をする部分が音を反響した。なんだか新しいワビサビを発見してしまった。

「ノーベル棒」ってのを考えついた。ノーベル賞じゃないの。代わりに棒が付いてる。棒が付いているからいろいろ便利なの。背中掻いたりとか。それだけ。それより先のことは考えてない。


奥さんの友人の一歳児を預かった。私の本棚から本を取り出して「読んで?」と主張した。でもそれは「くらやみの速さはどのくらい」だったので「それは絵がないからこっちにしよ?」と言って「マンガはじめましてファインマン先生」を見せた。でもどのぺーじも「おじさん」「くるま」だった。

見かねた奥さんがどうぶつ絵本を出してきてくれたんで、それを読んであげた。「これは?」「きりん!」「これは?」「がおー!(ライオン)」「これは?」「ちーた!(トラ)」とかなりイケてた。


「奥が深い症候群」というのはプログラムなどがさまざまな歴史的要因でバッドノウハウを抱え込んでしまうものに対して、そのバッドな部分をありがたがることへの批判なのだが、脳と心がまさにそういう意味でバッドノウハウだらけで、messyなのであった。

Larry Wallの言葉で"Perl is messy because the world is messy."というのがあるらしい。(ググると元ネタは見つからないのだが。)

世界がmessyでそれに対処するためにバッドノウハウで対処するというのはまさに「脳はあり合わせの材料から生まれた」というかんじでおもしろい。そしてハッドノウハウであることと「ハックする」ことってのはやってることは同じで、あとからどう評価するかだけの違いなのだ。つまり間に合わせでうまく行ったハックをその適応範囲を超えて使い続けようとすると、それは「バッドノウハウ」になるだろう。


VSSの飛行機で読みかけだった「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」を読了した。よかった。プロットとしては、えっ、そこで終わるの?ってかんじで、「猫のゆりかご」や「スローターハウス5」みたいなドラマチックな展開はないのだけれども、エリオットもストーリー自身も、ハムレットのように反転して意味を固定させないところが好み。というか、意味を固定して説教くさくなっちゃうようなものを受け付けることが出来なくなってしまっているくらいの域(?)に達しているもんで。

さっそく感想漁ってみようとぐぐってみたら関連キーワードに「富士山の恵みミネラルウォーター」が出てきたので、機械学習ならではの発想(?)に感心した。


The Musicのヒット曲"The People"のサビの部分はスキャット的に歌詞にならないなにかを叫んでいるのかと思っていたが、"out all alone and out on her own"と歌っていることが判明。いつもながら、まったく聴き取れていないことにショック。

ウィリアム・ブレイクの「無心のまえぶれ」(Auguries of Innocence)を読んでいたら、slip inside the houseのメロディーでこれを歌えることに気づいた。(詩の基本的形式だからみんなそうなのだろうけど)


「なぜ一流の男の腹は出ていないのか?」とか「なぜ東大生のノートは美しいのか」とか、正しくない言明があたかも成立しているかのように「なぜ」を付けて煽る技法についてなんか名前をつけたい。「早まった一般化」「合成の誤謬」論法、よりもspecificな感じで。

長女が英語の発音の聞き取り問題を出してほしいというので、Macのterminalのsayコマンドで発音だしたった。

雨の中を家まで帰ってきたが、傘が小さくて左肩がびしょ濡れ。我々の生活の質向上に寄与するのは傘をもっといいものにすることじゃあねえのか? "We re-invented umbrella"とか言ってkick starterで資金集めるの。具体的なアイデアは無し。

帰りの名鉄は人身事故のせいで混雑してた。近くにいた男子学生が同じクラブと思しき女子に「お前そんな格好してオレのこと男だと思ってないでしょ」みたいな、付き合い始める手前っぽい甘酸っぱい会話をしていたので、読んでる論文が頭に入らなくて困った。


家に帰って、長女と一言二言話をして、寝っ転がりながら「^ぶ\た-く_ーん」と太陽にほえろ!の黄昏れたインストバージョン(オルガンかなんかが主旋律のやつ)のメロディーで歌ったりする。べつに子どもに向かって歌っているわけでもないが、かといって一人でいたら歌ったりはしないだろう。

つまりこの15年くらい私は「^ぶ\た-く_ーん」とか歌いつづけてきたんだ。子どもたちが大きくなって、家を出て行ってしまったなら、いったい私はどうするというのだろう?


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