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■ 「デート中おばあちゃん助けた話」を見て考えた

(20240531) 増田の「デート中おばあちゃん助けたらフられた話」への返答が荒れてるの見て驚いた。

てっきり「デート中おばあちゃん助けるみたいな偽善的な行動うざい」「美徳シグナリングうざい」みたいな話かと思ったら、そういうのじゃなくて、素で増田の行動が「デート相手を大切にしてない」という意味で批判されてた。ちょっと納得いかなかった。


(20240601) この話題なんか気になっていたのだけど、このブコメを見てだいぶ問題が明確になった。

「ヤンキー気質がモテる理由の一つがこれ。周りに迷惑をかけ、授業などの毎日の行事を軽視しながらながら「自分達2人の仲間の空間をを最優先」」

これ見て疑問が氷解したのだけど、これって松尾匡の「右翼と左翼」で扱われている「ウチとソト」の問題だ。

詳しくはリンク先を読んでほしいけど、松尾匡によると、右翼か左翼か、という二分法は正しくなくて、じつは右翼とは「ウチとソト」に分けたときのウチの味方であり、左翼とは「ウエとシタ」に分けたときのシタの味方である、というねじれの関係にある。

松尾匡の右翼(=共同体主義者)は道義的正しさよりもウチに味方することを重視する(例: カスハラするヤンキーとその彼女)。 松尾匡の左翼(=リベラル)は身内かどうかでなく道義で判断するから、共同体主義者からすれば、身内を裏切る信用ならない者と思われるし、その行動は偽善的だと思われる(前述の美徳シグナリング)。

会社の腐敗を告発された社長(だけではなく社員)が告発者を避難する例がしばしばある。ここで告発者は身内と道義とを秤にかけて道義を選んだのだけど、社長(だけではなく社員)は身内を裏切ったことを非難する。道義よりも身内が大事だから。

こういう「道義よりも身内が大事」という感覚を前述のブコメは「ヤンキー気質」と呼んだけど、じつのところそれはふつうの人間に広く共有されていることなのだろうと思う。

増田とその反応を見ると、思った以上に共同体主義者(道義よりも身内)が多いようだ。増田とはてブのいいところは、建前の裏に隠された正直な心情が垣間見れることなので、そういう意味では有益な情報だった。

(徳倫理学にも関係してそうだが、今はそこは掘り下げない。)


以上を踏まえて「デート中おばあちゃん助けたらフられた話」(およびそれへの反応)に戻ると、「デート中おばあちゃん助けた」人は、身内よりも道義を優先したと言える。そして身内よりも道義を優先とは、「ソトに味方」することではなくて、困っているかそうでないかという軸(ウエとシタに対応)で、困っている人に味方したということ。

しかしデートの相手およびそれに同意した者は、その行動を「身内を大事にしない」と受け取った。しかしこれは上記の通りねじれている。「デート中おばあちゃん助けた」人は、もしデートの相手(身内)が困っていたなら親身になって助けてくれただろう。だからあの例は、悲しき行き違いだったのではないか。

とはいえ、「釣った魚に餌はやらない」的な態度で身内を邪険にする行動方針を取る人だという可能性は残る。これは松尾匡の「逆右翼」(ウチよりもソト)に該当する。(生徒のことばかり気にして家族をおろそかにする校長の例がブコメにあったけど、あれはこの範疇。)

ところで自分が同じ状況だったらどう行動するか想像してみた。自分なら、話題を切らさないことばかり気にかけて、べらべら喋って、周りが見えてなくて、困ってるおばあちゃんにも気づかずに通り過ぎてしまう、というのがいちばんありそう。(ダメなヤツ)


追記: ここまで書いてみると、世界で起きてる紛争だけでなく、ネットで見られるいざこざについても同じ理屈を援用できるなと思った。具体的な例には触れないが。つまり、「道義よりも身内が大事」は根深い。根深いのはそれが「理性と感情」の問題だから。


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