[月別過去ログ] 2013年07月

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2013年07月27日

さうして、このごろ 20130131

めざましが遠くから呼びかけるせかいのせかいのせかい。

「吉田サンクチュアリ」を見つけに行くことにしよう。

「フィロポディア」ってなんか、いいよね。(<-フシギちゃんを気取って)

「顕(あらわ)せ 壁画の中」「張り巡らせ 檜の火」「かき乱せ 星の土」「トルコキキョウの水のように」


イントレピッド・トラベラー!

マジカルな感じでありたい、と願うことは地に足が付いていない証拠だろうか? それでも、マジカルな感じでありたいと思うんだ。


「かがみよ かがみよ かがみさん ブーツストラップで そらまでのぼるには どうすればよいのでしょうか」

おれヨシダ。だから友達はあいうえお順的にワタナベとかヤマダとかが多い。これホント。フシギ!

浮遊感を出していきたい。送別会でもらったメッセージで、後輩から、吉田さんはいつまでも浮世離れしていてください(意訳)と書かれていて超苦笑いした覚えがある。俺もそうしたいわ。

"OOO in the sky with diamond"でOOOに何入れればしっくりくるか考えていたんだけど、「ハリガネムシ」かな。

Flipping outを出したばかりのGigolo Auntsがテレビ番組でニールヤングの"Cinnamon Girl"を弾き語りで歌ってるんだけど、後ろで座っているチアリーダーが全員つまんなっさそーな顔して聴いていて誰も一緒に歌わないという、ひどい映像を堪能した。


大学院講義まであと一日になったヤヴァい。だがここからが面白い。かもしれない。なんか思ってもみなかったもの(だがたしかに自分の中になったもの)がうまいこと言葉になって出てきてくれて、その興奮の元で情熱的に語ることが出来たならうまくいくだろう。情熱大事。俺、獅子座だから。(<-牡牛座です)


丸ノ内線の階段を歩いているときに、サラリーマンで俺よか若いようなのが同僚に向かって「あんな、女の腐ったようなやつが…」とか言いながら歩いているのを聞いて、なんだか昭和にタイムスリップしたような気がした。そりゃ、体罰なんか無くなるわけがないよね。(<-こじつけ)


「ばねぢから☆さいばねてぃくす」

「づぼらや」の「づ」はあざとすぎる。


「じつはこの世界は、幻なんかじゃなくって、本当なのかもしれない」って表現は形を変えいろんなところに出てくるのだけれども、大好き。たとえば「私も生きているんだってことに気付いた」みたいな。子どもにとっては幼年期の終わりを意味する言葉が、大人にとっては一周回って逆説的な言葉となる。

「悩む」って言葉を「どちらを選択するか決めかねている」くらいの意味で使われるとなんか面食らう。言葉が軽すぎるわ。「悩む」って言葉は苦しみを伴うときだけにとっておいてほしい。

世界のすべてのカレーにもれなく納豆が入る日が来ますように。(祈願)


水色の厚紙に 前島密の切手を10枚貼って 六階の窓から 紙飛行機にしてしまおう

運が良ければそれは リッチ徳川園グリーンホテルを越えて

電車通りの市電まで 所内便を届けてくれることだろう

錆び付いた市電のシートからは ルミノール反応が出ることだろう


このエマルジョンが、俺をすっかり真白にしてくれる…(<-コックピットに座って、空と海の境を見据えて)

家に帰って、「明日は人間ドック。わんわんわん」と宣言してみたが、家族に完全にスルーされた。だれひとり「犬はドッグだろ」と突っ込んでくれません。


2013年07月04日

うーむなぜだか「意図」intentionの定義について調べたくなってきたぞ?

なぜだろうふしぎ。

神経生理学では「運動の意図」という文脈でintentionについて調べられてきた。たとえばRichard A. Andersenらはposterior parietal cortexのニューロンの性質として「運動の意図」を反映していると主張してきた。Annual Review of Neuroscience 2002ではintentionを定義して、「実際に運動を行う前に、どこに向けてどういう動きをするか計画する段階」のことを指している。これは実際の運動ではさらにどういう動きを、どの筋肉を使って動かすかといった過程が続くため、それらと区別した表現になっているというわけだ。

以前のブログで、Jeffrey D. Schallのレビューでchoice(行動選択)とdecision(意思決定)とintention(意図)の違いについて書いたものを採りあげたことがある。 Jeffrey D. Schall, Decision making, Current Biology, Volume 15, Issue 1, 11 January 2005, Pages R9-R11

「行動選択」とは、選択可能ないくつかの行動の中から一つを選び、実際に行動を起こすことを指す。一方で「意志決定」とは、選択可能ないくつかの行動を選ぶこと自体であり、行動に移る前に熟考する過程を指す。「意図」は、行動の準備そのものではない。ある行動をしたときに「なぜその行動をしたのかの理由」を答えるものでなければならない。Andersenらが見ているのは行動の準備でしかない。人間以外の動物が「どういう意図でその行動をしたのか」を報告できない限り、ヒト以外で意図性について議論するべきではない。

Haggard P, Clark S. Conscious Cogn. 2003では、「意図的な運動」と「非意図的な体の動き」を対比する際に、意識的な意図とは、「そのactionの原因はなにであるか」を体験することであるとしている。たとえばanarchic hand syndromeの症例では、患者は自分の腕のownership(自分の腕であること)は疑わないが、自分の意図が腕の動きの原因となっていることを否定する。

動物行動学(ethology)の文脈だと、行動の分類として「意図行動」(intention movements)というものがある。動物がある行動を行う際に、それに先だっていつも行われる運動が見られることがある。このような運動からその動物が何をしようとしているか(意図しているか)が分かるということから、このような運動のことをHeinroth 1910は「意図行動」と呼んでいる。たとえば、オオカミが「噛みつく」という行動をする前に「牙を剝いてみせる」という運動をする。これが意図行動。他のオオカミがこの意図行動を見て次に起こる行動を解釈する、これがコミュニケーションの分野でのシグナルの原型と考えることが出来る。(Perspectives on Animal Behavior by Judith Goodenough, Betty McGuire, Elizabeth Jakob, p.388)Google Books

辞書を調べてみた。Animal Behavior Desk Reference. A Dictionary of Animal Behavior, Ecology, and Evolution by Edward M . Barrows によるとGoogle Books、intentionalityとは日常的な意味としては「ある個体が主観的に抱いた目的に向かって行動するのを計画し、実際に取りかかること」となる。(哲学的な意味での「志向性」とは異なった意味を持つ。)

この項目自体の元ネタはImmelmann K, Beer C. 1989. A dictionary of ethology p.153で、該当部分をGoogle Booksで調べてみるともっと突っ込んだことが書いてあって、intentionalityの定義というのは「心理主義」的な含意が大きいので動物行動学者はintentionalityという言葉を使わなかった。しかし近年「認知動物行動学」が栄えることでこの語が使われるようになっている。たとえば、distraction displayのような行動では動物がdeliberatelyでだましの行動を行っている。このような行動を説明する際にはintentionalityという側面からの説明が有効となり得る。

intention / intentionalityという言葉にはanimal consciousnessに関わる問題がある。"Essential Animal Behavior"ではこういう記載がある。「intentionalという言葉を動物行動について使うのはいくぶんか問題がある。ここで動物には意識があるかどうかという問題に入り込むつもりはないし、動物がintentionを持つとして、それがわれわれ人間が持っていると思っているものと同じものと見なすつもりもない。"intent"という言葉には自発的な行動を指す「自発的意図」とはべつに「進化的意図」を考えることが出来る。後者では、個体がある行動を選択して実行するのではなくて、自然選択の結果としてその行動が行われる、というふうに捉えることが出来るので「非自発的な意図」と表現することが出来るかもしれない」Essential Animal Behavior by Graham Scott p.94 Google Books

というわけで、動物に自由意志とか主観的な経験とかを仮定しなくても、合目的な行動を行うための企画段階のことを指すものとして「意図」という言葉を使っても良いのではないかということらしい。

前述の通りintentionalityはコミュニケーションの場面で出てくる概念なのでtheory of mindにも関わってくる。Theory of mindを持つということは相手の意図を読めるかどうかなのだから。

Shared intentionalityという概念があって、Tomasello M, Carpenter M. Dev Sci. 2007 Shared intentionality.では以下のように定義されている。「(ある社会的な集まりの)参加者が心理的な状態を他の参加者と共有する際の協力的な相互作用」("Shared intentionality, sometimes called ‘we’ intentionality, refers to collaborative interactions in which participants share psychological states with one another (Gilbert, 1989; Searle, 1995; Tuomela, 1995).")

Tomaselloによれば、個体がお互いに他の個体の視線の先を追うこと(gaze following)じたいはshared intentionalityではない。そのときに「お互いに同じことをやっていると知っていること」があってはじめてjoint attentionが成立する。つまりshared intentionalityの有無がgaze followingとjoint attentionを区別する。

Intentional communicationのcriteriaとしてこの論文のはわかりやすかった。こちらはgaze followingのレベルと言ってよいと思う。 (a) そのシグナルの受け手がいる (b) 受け手の注意が影響を受ける (c) 受け手が送り手とそれが指す物体とのそれぞれにくりかえし眼や頭を向ける (d) 送り手は注意を惹きやすい行動を行う (e) もし注意を惹くことに失敗したときには、繰り返し、そしてもっと手の混んだ仕方で行う Leavens DA, Russell JL, Hopkins WD. Child Dev. 2005 Intentionality as measured in the persistence and elaboration of communication by chimpanzees (Pan troglodytes).

あとは、行動分析的側面からのintentionとintentionality。 Paul Neuman Behav Anal. 2004 Spring; 27 (1): 55–65. An intentional interpretive perspective Paul Neuman Behav Anal. 2007 Fall; 30(2): 211–216. [Some Comments on the Distinction Between Intention and Intentionality](http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2203638/ これはむずかしい。わからん。John Searleが提案したprior intentionとintention in actionという概念を出して、前者がいわゆるintention (行動を引き起こす原因と見なされるような)であって、後者がintentionality (行動しているということを経験していること、Haggardとかの文脈だとawareness of intentionか)ということになるらしい。それにさらに行動分析的な解釈が加わるのだけど、このへんで諦めた。

そんなわけで、私が600字でまとめるとしたらこんなかんじだろうか。

意図(intention, intent)、意図性(intentionality)とは:

ある個体がなんらかの目的に向けた行動を計画すること。実際に行動を起こすために筋肉をどのように動かすか決めることなどとは区別される。「行動選択」では実際に行動が行われるが、「意図」では必ずしも実際に行動を遂行するとは限らない。

行為者にとっての「意図」とは、「自分がその行動を行った原因」のことであり、主観的な経験とその報告を前提とするため、この意味での意図はヒトでのみ議論することが可能となる。しかし行為の観察者から見た「意図」としては、自然選択の結果として非自発的な行動が引き起こされた際の原因として捉えることが出来る。

動物行動学では、ある行動を行う際にそれに先だっていつも行われる運動のことを「意図行動」と呼ぶ(Heinroth 1910)。たとえば、オオカミが「噛みつく」という行動をする前に「牙を剝いてみせる」という運動をする。この意図行動は他のオオカミが次に起こる行動を推測するシグナルとして働く。このようにして動物コミュニケーションの文脈では意図が動物でも議論されている。

また、心の理論の文脈では「意図性の共有」という言葉で、ある個体が協力的な相互作用の際に他の個体と心理的状態を共有することを指す(Tomasello & Carpenter 2007)。このような意味での「意図性の共有」が人間以外の動物で可能かどうかはまだ明らかでない。(619文字)


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