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■ 私のからだを通り過ぎていった音楽たち
上から下に向かって聞いていた年代が今に近づいていきます。アルバムの名前には「」を、個々の曲の名前には""を付けて表しております。
- 1968年。0歳。
- サンフランシスコではsummer of loveの年。
- 1980年。12歳。アリス、オフコースなど在りし日の「ニューミュージック」の時代
- 1980年代始めの流行りものとしてこういうものを聞いてフォークギターを弾いて歌うようになった。
- 1981年。13歳。井上陽水、吉田拓郎、岡林信康
- はやくも時代をさかのぼり、フォークの時代へたどり着く。「氷の世界」の頃の井上陽水の曲は毎日弾き語りしてた。今でもみんな歌える。吉田拓郎も「よしだたくろう」だった頃の「元気です」とかが好き、ってまるで団塊の世代のような聞き方をしてました。
- 1982年。14歳。The Beatles
- 中学の遠足で"Please, please me"をはじめて聞く。かなりありがちなパターンとしてはまるが、最初に聞いたアルバムは「Revolver」。"Tomorrow never knows"を聞いて人生変わりました。以降サイケデリック方面に完全にはまって高校生活が始まる。よって、後期の"I am the walrus"や"Strauberry Fields Forever"が大好き。初期の歌もみんないまだにギター弾いて歌います。
- 1983年。15歳。The Who, The Kinks, The roling stones その他多くの60-70年代ロック
- 図書館には貸し出しのできる古いレコードがたくさんあることを発見し、ただただ聞き漁る。文京区の小石川図書館と本駒込図書館と水道端図書館とを掛け持ちして常時10枚以上のレコードを借りて聞いていた。こうしてこの時代の英米のロックのメジャーなものを聞きまくった。
- 1983年。15歳。Neil Young
- 歌いかた、ギターの弾きかたともに、決定的な影響を受けた。大滝詠一がはっぴいえんどの時代に"空色のくれよん"で歌ったように僕も声を揺らせて歌った。グレッチは買えなかったけど、ハードロックの速弾きの練習などに目もくれずに、"Down by the river"をコピった。つまり、単音でたどたどしく歌うように弾くことを好んだ。よってギターソロは下手です(<-言い訳)。
- 1984年。16歳。Jefferson Airplane, The Greatful Dead などのサイケデリックロック
- "Tomorrow never knows"の影響からフラワームーブメント-サンフランシスコ-ウッドストックといったヒッピーの文化へとはまり込む。「マリファナ ナウ」とか読んだりして、大学はいる前から薬理学の専門家になってました。この頃(1980年代後半)はまだCDが出始めた頃で、この辺のもののちょっとマイナーなものは廃盤になってて、図書館にもレコード屋にも無かった。頼りになるのは中古レコード屋だけで、恵比寿の東にあったころのパテ書房とかで買いましたよJefferson Airplaneの「After bathing at Baxter's」(オリジナルとは違う蛍光のボディーペインティングのジャケット)、Fraternity of Manの1st、Donovanの「Hurdy Gurdy Man」、Tyranosaurus Rexの1st「my people were fair and had a sky in their hair(?)」,2nd「(こっちは完全に忘れた。やはり長いタイトル)」、Iron Butterflyの「In a Gadda-da-vida」、話は前後しますがマザーズレコードで買ったWest coast pop art experimental bandの1st、13th floor elevatorの1st,2nd、Greatful Deadの「Anthem of the sun」。 だからPink Floydも好きなのは「The piper at the gates of dawn」からSyd Barretの方向だし、Trafficも"paper sun","hole in my shoe","heaven is in you mind"といった感じです。
- 1985年。17歳。Frank Zappa, Todd Rundgren, XTCといったいわゆる奇才たち。
- フロ&エディーのいた頃のマザーズをアメリカンロックの一種として聞きはじめました。Deep Purpleの"smoke on the water"で歌われているのはこの時期のマザーズの機材の火災だと読んだことがあります。渋谷のマザーズレコードがまだ今のところに引っ越してない頃に「Absolutery Free」の海賊版を2000円ぐらい(当時CDは発売されておらず、正規版は1,2万してた。)で買ってはまりました。"Dukes of Prune"とかで木管楽器が入っているのがいい感じです。浪人のときに代ゼミの講習代を使い込んで、パテ書房で5500円で「Hot Rats」を買ったことを思い出します。だれか「Uncle meat」の"nine types of industrial pollution"のギター譜作っている人はいないでしょうか。Todd Rundgrenは「Wizard, a true star」「something,anything」がいいという多数派の意見に同じです。"The night when the callousel burned down(?)"が一番好きというあたりがサイケ趣味に対応しているかも。XTCはSteeve Lilywhiteによるドラムの音の時代のほうがよかったと思う。じつは覆面サイケバンドとして出したDukes of stratosphereのアルバムの方を聞いてから入った。
- 1986年。18歳。島田奈美
- 浪人時代になぜかはまりました。それまでアイドルの歌なんて聞いたこともなかったのに、ドラマ「お坊ちゃまにはわかるまい」ビデオに撮りました。デビューの年のサンシャイン噴水前広場行きました。渋谷東急ではレコード買って握手しました。その年のクリスマスミニコンサートにも行きました。今となっては恥ずかしいように思えてこの間アルバムを時代順に追って全部聞いてみましたが、思い入れのある時の曲は今でもよく聞こえる。この気持ちが大切、そう思いますんで隠さず書いてみました。
- 1988年。20歳。Soft machine, Caravan, Gongなどのいわゆるカンタベリー系そしてCan, Faust, Amon Duul/Amon Duul2などのジャーマンロック
- 雑誌「マーキー」によく載ってるやつと説明してもいいかもしれない。大学受かって入ったサークルが「フリークアウト」というやつで(まだあるかどうかは不明)、教室に酒タバコを持ち込んで誰かがある分野に絞って編集してきたテープを聞きながら、作ってきたレジメを読む、というのが活動内容でした。充分に参加できませんでしたが。あの人たちとバンドをやりたかった。でもってSoft machineの1st,2ndにはまるわけです。3rdは"Moon in June"はもちろん好きです。この間インターネットで歌詞カード取ってきました。インターネットで一番得したのは何かっていうとこれです。OLGAにもお世話になってます。1st,2ndは曲がつぎはぎだったり、どっかからフレーズを盗んできたりして結構いいかげんなところがあるのもまた魅力で、一方、プログレにはピンと来なかったことからすると(King Crimsonを除く)、しっかり構築されているものを求めているのではなくて、ある種の混沌を求めているんだとわかります。科学者らしくないかもしれない。Ammon Duulの野生的かつ狂った太鼓は最大音量にして自転車で堤防を走りながら聞きました。これに匹敵するものはあるだろうかと思いましたが、韓国のサムルノリはすごいと思いました。学会で韓国にいったときに生で聞きましたけど、打楽器系は生の迫力が一番だと思いました。きっといつか、ガムランを聞きに行く日も来ることでしょう。
- 1989年。21歳。John Coltrane, Charles Mingus, Eric Dolphy, セロニアスモンクなどの「モダンジャズ」
- もともとはジャズのスカした感じにはなじめなかったのですが、Coltraneの"my favorite things"から入りました。モード奏法で西洋的なものから外れていく感じがなじめたのだと思います。まあ、いかにもロック好きの聞き方って感じはしますけど。The Byrdsの"eight miles high"のギターソロはコルトレーンに触発されて作ったという話ですが、コルトレーンと比べなくてもぜんぜんショボイです。でも好き。しかしMiles Davisすら聞いてない、そのぐらいです。
- 1990年。22歳。Sonic Youth/My bloody valentine/Ride
- 大学4年生にしてやっとリアルタイムで聞いているものが出てきました。80年代は暗黒の時期でしたから。アメリカンハードロックとかイギリスのニューウェーブとか全部素通りしました。スミスとスタカンとアズカメだけ聞き直しました。若い時期にハードなギターの音を聞かなかったからか、この時期になってこういうノイジーなギターのものを聞き出しました。一部で有名なお茶の水の「JANIS」(フリッパーズギターの人たちも通っていたらしい)に通ってCD聞きまくりました。いわゆるshoegazer系の音を出すバンドを組みたいと思ったものでした。マイブラは人のアルバムはよいから自分のアルバムを出すべき。「Loveless」から10年経ってしまう!
- 1991年。23歳。フリッパーズギター、エレファントカシマシ、スピッツ
- こうしてすっかりロッキンオンジャパンの人になってしまいました。エレカシは2ndの"太陽ギラギラ"だと思ってますし、3rdは"夢のちまた"ですね。スピッツは2nd「名前を付けてやる」でしょう。ここまで書いて見直すとなんか2nd3rdといった初期のものばかり評価してますね。後ろ向きぎみです。草野マサムネやオザケンやスチャダラパーや、ちょっと上だと思うけど奥田民生(が井上陽水と組んだりして何か円環があるわけです)とかに対して同世代という意識があります。
- 1992年。24歳。Stone Roses, Oasis, The Bluetones, Kula Shaker
- でもってロッキンオンの人になるとこういうものを聞くわけです。なんかすっかりロック好きの中高生のようなものを聞くようになりました。このあいだ、妻の知り合いの中学生にテープを編集して送ったりしましたし。ま。何にしろ、10年前よりもずっといい状況になっているからであって、これでいいと思ってます。10才若かったらロック系のクラブに通ったりしたんでしょうけど。
- 1995年。27歳。スーパーカー
- Shoegazer系とかおマンチェ系とかが流行ってた頃に日本のバンドでも似たようなことをやってる人はいたけどいまいちメジャーになれなかった。フリッパーズの3rd("Dorphin Song"は"Broken arrow"のパクリで、いきなりここでNeil Young とつながったりする。)はとてもよかったけどスパイラルライフのラストアルバムは真似の仕方がちょっとダサかった。ここで出てきたスーパーカーは特に新しいことをしているとは思えないが、なんかさわやかで、当時こういうバンドをやりたいと思ったことを思い起こさせてうらやましくなる。「夢は叶うものよ」なんてかゆい歌詞があったりもして、痛し痒しといったところ。ライドのようにある種のつたなさから脱却できずにポシャってもいいのでは、と思う。
- 1999年。31歳。そうして、このごろ。
- ここ数年でよかったのはManic Street preachersの「This is my truth, tell me yours」とMansunの「six」とGrapevineの「退屈の花」とSebadohの「The Sebadoh」です。その種の「泣ける感じ」が琴線に触れるようです。'... And if you tolerate this, then your children will be next...'とかがしみるのは年をとったのかもしれん。