« 疾患と疾患モデル | 最新のページに戻る | 「盲視の神経現象学を目指して」がオンラインで読めるようになりました »
■ ホワイト、ジャック!
(原題:さうして、このごろ 20150131)
「子供の頃、何が欲しかった?」高校生のときは宅録関係だったな。カセットMTRが欲しかったけど買えなかったので、シャープのダブルカセットでピンポン録音してた。ヒスノイズが重なりまくって、出来上がりの曲はシューシューいってたっけ。けっきょく大学4年くらいにfostexのX12買った。
「子供の頃、何が欲しかった?」あと、ドラムマシンが欲しかったがなかったので、近所のゴミ捨て場でスネアドラムとシンバルを拾ってきて、バスドラ代わりに枕をスティックで叩いて、マイクで音拾ってた。カセットでリミッタがかかる(リンゴ・スターのドラム的な意味で)ので案外音は気に入ってた。
ゴローがBOSSのドラムマシン (Dr. Rhythm DR-110ってやつ)を持ってて、それを借してもらったことがあって、延々ひとりでジャムってた。Grateful DeadのDark Starのモチーフを延々展開して。
「Z会(ぜっとかい)」のことを「ツェット会」と発音すると、秘密結社っぽくてよい。
JR岡崎駅から戸崎町を経由してゆるやかに登る坂道を自転車を漕ぎながら、この国道をエポケーして(<-フッサリアンジョーク)、これが開発される前の50年前の、林の中の誰もいない砂利道を自分は自転車を漕いで登っているのだと、目に見えるものを消して、ただ坂の傾きに意識を集中させる。
ライカ犬、ライカ犬。「今そこにある危機」と傘を回して見え隠れする魔女。電話で届けられる、予想通りの悪いニュース。思いつく限りの嘘と、廃墟で行われるある種の犯罪。カミキリの幼虫が白日のもとに透視され、白日のもとに凍死される。そうしてついに、海を見つけた。ライカ犬、ライカ犬。
n=1で「やっぱ俺の言ってたこと正しかった」とか言われると本当に統計わかってんのかって思うけど、そういうときに人々が言いたいのは「n=1の新しいevidenceによって、以前持っていたpriorから仮説が補強される方向にposteriorが変化した」ということだと脳内変換してる。
小学校3年生くらいのときには自転車でもうどこへでも行けるつもりであちこち行って、でも新大橋がまだ歩道がなくって車道だけで、ここ(隅田川)が自分の行ける範囲の限界なのだと思った覚えがあって、新大橋を走る車と排気ガスのイメージがあるのだけど、なぜかそれは色あせたカラーのイメージで、たぶんテレビの映像の記憶と混ざっている。
帰郷したときに送り迎えで明治通りを往復して、日曹橋の交差点を通りかかった。日曹橋は橋と名が付いているが橋はない。以前日本曹達の工場があった場所で、運河の埋め立てで橋もなくなり、橋にだけ名前が残る。日曹橋への愛が深い人の記事を見つけた:「いつか日曹橋で」が出来るまで あとこれも詳しい:東京都江東区に「日曹橋」という地名があります
岡崎の電車通りに「芦池橋 バス停」というのがあるが、ここにも芦池橋はすでにない。しかしこの近辺を歩いてみれば道路に運河の名残らしき段差があるのに気づく。
岡崎市内(2012.12.28) 「新田橋親柱 電車通りの歩道の脇にあります。図書館の前から電車通り西側にあった江川まで流れていた小川の橋らしいです。ちなみに江川は久後崎から占部川まで続く川で現在は暗渠になっています。」 あとこちらにも記載あり。
「島村卯月がブレイクしなかった世界で!」を読んだら泣けた。
「パパも返品ね」っていいなあw いっそのことパパを返品して、返金して、倒壊して、融解して、全てをやり直して、進化からやり直して、進化のランドスケープから違った山を選んで、僕らみんな全く違った形の生き物として生まれ直し、全てをやり直してみればいいんだと思う。
子どもたちがまだ小さかったころはよく受話器を耳にあてて「もしもしこちらネコちゃん警察署捜査本部、何?事件?」ってダミ声で言うっていうネタ(?)を繰り返していたのだけれども、だれも相手してくれなくなったのでもうしなくなった。それは記憶の片隅に追いやられ、しかし消えずに浮上してきた!
ツタヤで借りた「それでも町は廻っている」を読んでいる私を見た次男が「(手塚治虫の)ブラック・ジャックを読んでいるのかと思った」と言ったので、まったく頭を使わずに「ホワイト、ジャック!」とウイスキーのCMみたいに渋みたっぷりに返答したら、我ながら気に入った。「ホワイト、ジャック!」
「世が世なら・・・ADHDは狩猟採集社会では優位性を持っていた。」 元ネタはこれ:BMC Evol Biol. 2008 介入してるわけではないのでこれ自体はそんなに強い議論ではない印象。
統合失調症が創造性と関わるとか、糖尿病が寒冷期に糖を蓄える際には有利だったとか、そういう説とともに、進化的には意味のある表現系はここ数千年だか数百年だかの環境の違いには順応できないってのはもっともらしい話だ。
構造で規定されるんだな、みたいな相対化の洗礼を受けたのは大学生の頃だったか。今にして思えばずっとそんなこと考えていた気がするし、ずっとそれをうまく取り込むことが出来ずに、あるときは構造主義だったり、あるときはアフォーダンスだったり、オートポイエーシスだったり、力学系だったりと、近寄ってはぐるぐる回りつづけていただけなような気もする。
それは中観派の空の思想だったり、現象学の反表象主義だったり、実在の絶対性みたいなものを避けていく選択肢を常に選んできたけど、大元は浪人のときに読んだ岸田秀と「弁証法とはどういう科学か」で太宰治から戻ってこれたという、身も蓋もなく実存的な理由があったことは覚えている。