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■ こみゅにちさいと
から始まっていろいろと。超まとまらない。以前の話題に関して、コメントを貼りそびれたことの続きを。
http://d.hatena.ne.jp/go-in-kyo/20041111#p1
さすがご隠居はまっとうなことを簡潔に記してます。
- フランクにやるにはクローズドで
- きちんと議論するには実名で
- よいアイデアにはクレジットをつける
私自身は議論に飢えてます。もっと自分の仕事について方々に行ってディスカッションしたい。しかし本当に私の仕事に直結したことはこのサイトには書けない。議論したいことと日記で書いていることが食い違ったままやらなければならないという矛盾を抱えていて、それはもっとクローズドなものをつくらなければ実現しない。それでいったん問題を棚上げして、この場ではやや間接的な話題について、ラボ内のディスカッションのようなフランクな雰囲気をかもし出しつつ厳しめなことも書いてゆく、ということをやってきております。そういう空気に違和感なく入って来れる方をお待ち申し上げている、というわけです*3。
しかしこのことにはリスクが伴います。ちょうど現在(というか数日前)に参加型ジャーナリズムの話題が出ていましたが(起点としてこのへんを推奨:http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2004/11/netjournalism.html)、このリスクに関する問題は他人事ではないのです。自分のconfidential matterを守る、ということだけではなく、各方面に厳しいことを書いてきたのですから(ラボのセミナーでだったら気楽に言えることだけど、学会で本人を前にしてするには言い方くらいは変えないと心証を害されてしまうようなことを書き連ねてきたのですから。)以前も書きましたが、Googleで翻訳の機能がテストでついています。これがどのくらい実用化してどのくらい普段のgoogle検索で使われるかは未知数ですが(今のところほとんど使いものにならないし、英語圏の人がわざわざクオリティの低い翻訳しているものまで探す可能性は低いようにも思えますが)、日本語でやっていることでかろうじて保証されていたhalf-closedなこのサイトの性格をそのまま保っていけるかどうかは不確定的です。でも、当り障りのないコメントを書くくらいだったらこんなサイトを公開する必要などないのです。即刻クローズドにして関係者(およびこれまでに獲得できた読者)の日本人だけが読めるような形に変更して普段のセミナーみたいに忌憚なくやったほうがマシです。でもそうしたくはない。というわけで話を戻すと、セミナーと学会の間が必要ではないか、ということでした。
というわけで答えはまったく出ていませんが、現在やっているmovable typeでのテストはそのへんまで射程に入れたサイトの再編成をすることを考えております(はてなへの住所登録の義務化撤回もあったことだし、たんなるコンテンツ引越しをするつもりもないです)。
*1:破壊的な意見かもしれないけど、と自嘲気味に付け足して意見を述べるご隠居の姿が目に浮かびます。
*2:mixiという可能性もありますが、完全内輪だったらクローズドMLのほうがリスクが少ないことでしょう。
*3:おかげさまでこういう限られた話題を扱っているサイトにしてはけっこう見にきてくださっている方を多く獲得することが出来まして、被アンテナ登録数もまだ上昇しております
# go-in-kyo
あーうー,今はご隠居なので,定義上,はかい活動からは手を引いています.かといって,ていこう勢力だという訳でもありません.
# go-in-kyo(解題)Webは自分の研究と直な関係はないけど興味があることを議論するにはとてもよさそうですし,(事実関係以上に踏み込んだ過度な批判を避ければ)危険もきっとすくないですよね.お陰様でここが繁盛している恩恵に私も大変有難くあやからせて頂いていますので...ただ,自分自身の一番の関心事の議論をするのはやはりちと難しいそうですね.ゴードンなどのクローズドなカンファや,知人ばかりのさらに小さいワークショップのweb版という感じなのでしょうか.もちろん議論の相手は同業者またはかなり近い人々になるわけですから,より有意義な議論ができるでしょうし,同時にクレジットをめぐる戦いの場ともなりうるのでしょうか.いずれにしろ,そのような試みに関しては共感するところが多いです.
# pooneilどうもありがとうございます。
# go-in-kyo>>事実関係以上に踏み込んだ過度な批判を避ければ
これ、重要な助言として承ります。やはり日本人の仕事にコメントするときのようにいつもコメントすべきかと考え直しております。
あともう一つ重要な問題として、ここで採りあげることが私自身の研究と直では関係ないとしても、言及された人にとっては必ずや直で関係あるわけで、そうやって日本人著者を引っ張り出してしまうことにはジレンマが付きまといます。もちろん、発表されていることにしか言及しないように細心の注意を払ってきたわけですが、この非対称性を崩すためには私自身の仕事をさっさと出すのがいちばんではないかと考えます。
>>ゴードンなどのクローズドなカンファや,知人ばかりのさらに小さいワークショップのweb版
これも適正なイメージだと思います。けっきょくのところ、いまここでリスクうんぬんといったこと自体は私がその分野でちゃんとidentifyされる存在になって、関係者と顔をつき合わせてきっちり話し合える関係になってしまえばある程度は解消されてしまうことだったりもします。そのときには彼らと英語でやっていくことになるでしょうけど。というわけでどちらにしろ、さっさと論文出さないと、という結論になるのでした。
いろいろと示唆に富む考察,大変参考になります.自分の発言のclarificationですが,「事実関係」というのは,論文発表という事実のみを指すのではなく,論文の結果などの中身,科学そのもの,を指したつもりでした.著者の主旨が実際に妥当であるかなどの,それに対する多少主観も交えた議論を期待してここに遊びに来ておりますので...あ,結局,がんばって〜,って応援したいだけですね.失礼しました.