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■ 「野暮」でない方法なんてあんのかな?

フェンスを外す人 これ、いろんな広がりがあって面白い文章だ。「なんにでも理由があると思うと動けなくなる」という文句も付けられる。でもそれよりは「どうやってその理由を伝えつづけてゆくか」ということを考えるために使う方がよいと思う。

この話で出てくるチェスタトンのフェンスの話のソースを探してみた。"Don't ever take a fence down until you know the reason it was put up" というのが流通しているフレーズだ。

これはHeretics (1905)というのににあるらしい。 ということでグーテンベルグで原本見てみるとこのフレーズはない。

さらに探してやると、The Thing (1929)というのにもっと小話ふうに書かれていることがわかる。「フェンスを壊すな」はパラフレーズされて一人歩きしたフレーズであるらしい。リンクしたところではJFKだと書いてる。

内容を読むと、"In the matter of reforming things ..."というかんじで、 明確にreformersとtraditionalistとの間の話だってことが分かる。グーテンベルグだとThe Thingsの4章"THE DRIFT FROM DOMESTICITY"でアクセスできる。


JFKによるパラフレーズだということについてはWikiquoteにもあった。というかここを最初に見つけるべきだった。回り道をした。ソースははてブ

もひとつこの文のポイントは「粋」ってところで、つまり無粋な奴には分からないって言ってる。マニュアルでがちがちに固める「野暮」な方法はだれででもできると言う。

心情的には前者を応援するけど、実務的には後者じゃないと回らないってのも分かってる。でも、前者が成り立つ楽園を作りたいんだ。これが心の奥底に隠した、コミューンの夢、革命の夢。気の合うものと夜を徹して語ったりしながら思いついた、名前の付いていないことを、ガレージから始めるんだ。

いっぽうで、教育とは「誰にでも出来るようにする」ことを前提とした、本質的に野暮なものだ。 (教育は無粋なもの参照。)

じゃあ、逆に言えばさ、「誰にでも出来るようにする」ことを考えなければ、それは可能だろうか? 研究は「粋」であり続けられるだろうか? それとも科学そのものが本質的に野暮なものなのだろうか?


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