[月別過去ログ] 2011年12月
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■ トラルファマドール星人と永劫回帰
「スローターハウス5」は2/3くらいまで来たが、意図せずカラマーゾフの兄弟と繋がってきたので、この偶然の一致に感激したが必然だとは思わない。(スローターハウス5のテーマとからむネタ。) トラルファマドール星人が「あなたの人生の物語」と繋がるのはあらかじめ知ってた。
"He said that everything there was to know about life was in the Brother Karamazov ... "But that isn't ENOUGH any more", said Rosewater."
さらにまどマギやエンドレスエイトと絡めているのを見つけた。なるほど、ループものと自由意志とトラルファマドール星人的視点(すべてを永遠の相の元に眺める)で三題噺ぐらい作れそうだ。
わかったような顔をして「永遠の相の元」とか書いたがスピノザとか読んでいるわけがない。
「来世に託す」という考え方を完璧に打ち砕くために、「来世はあるけれども、今生とまったく同じものが繰り返されるだけである」というふうに認識したらどうだろう? この人生を生きるしかないなって気がしてこないだろうか? ていうかそれ永井均経由で俺が受容した永劫回帰をさらに転倒させたものか。
もしくは、記憶の持続とかそういうメカニズムがまったくないループもの。ゆえに、やり直ししてもうまくはならない。カタルシス無し、神の視点無し。
たとえ輪廻転生があったとしても、ふたたび1968年の公害と騒音と地盤沈下の町まで引き戻されるのだ。校内暴力とツッパリハイスクールロックンロールの時代を生き延びて、バブルを横目で見て、ふたたび入院したり、交通事故にあったり、耳を七針縫ったりするのだ。
トラルファマドール星人にはすべての時間の事象が一挙に見渡せるので、つらい事象に対してはただ無視するだけだ。つまり、空間的注意と同じような意味で「時間的注意」とでも言ったものを備えているということになる。
こういう眼で見直すと、arousalレベルの上げ下げというのは不完全ながら時間的注意の一種であるといえる。focal attention (空間/featureへの注意)とsustained attention (arousal)という注意の分類は空間と時間の違いであると言える。
"I was still alive somewhere and always would be."
あるとき俺は1000分の1、あるとき俺は1分の1、統計的な俺と実存的な俺。
スローターハウス5読了した。よかった。トラルファマドール星人的描写に慣らされて、静かな心でイベントが描写されるのを眺めてゆくところで、ついにドレスデン空襲が描写される。ちょっと他にはない感覚だ。そして、そのような状況になったら、そのように世界を眺めるような気もしてくる。
ヴォネガットの「乾いたユーモア」みたいなものは正直好みではなかった。ブローティガンの「アメリカの鱒釣り」も同じくだめだった。でも「西瓜糖の日々」が大好きだったように、「スローターハウス5」の静謐な世界は好きだ。たぶん「乾いたユーモア」ってのはそれを引き立てる効果があるのだろう。
つーか、スローターハウスとかギャツビーとかライ麦畑とか、向こうの高校生の課題図書みたいなのばっか読んでる俺ってのはバカみたいに見えるのだろうか? まあいいや。
2011年12月24日
■ 知覚と行動の乖離-サッカード編
De Valois and De Valois 91みたいなmoving gaborで場所がシフトして見えるillusionでgaborにサッカードをしたときの結果を探しているのだけれども、なぜか見つからない。Goodaleの到達運動とかOFRみたいな広い刺激ではなくて。
Perceptionとactionの乖離みたいなストーリーで、結構あるだろうと思っていたのだけれど。 Motion-induced illusory displacement reexamined [Exp Brain Res. 2005] これにすこしサッカードでの結果の記載があるが、くわしいことは書いていない。意外に進んでないのかもしれないなと思った。
Goodale and Milnerの仕事(DF, それからエビングハウス錯覚)とかがあって、actionとperceptionの乖離が主張されて、でもそれは方法論的に問題があることが指摘されて(どうやって正しく両者を比較するか)、それでもsupportiveな論文としてATRの山岸さんの論文があって(でも効果が逆)、それでそれをreexamineしたのがこのEBR論文であるということのようだ。
そうして、EBRでは条件によって両者は乖離したり、知覚の方が正確だったり、行動の方が正確だったりといろいろぶれる。
こういう文脈とは別にして、サッカードが知覚の指標として使える、というような論文はある。J Opt Soc Am A Opt Image Sci Vis. 2003 これはサッカード課題を使ってnhpで心理物理をする根拠として押さえておく。
あとVision Research 2006 つうかこんなところでBrian White(共著者)が出てきた。
Eckstein MPってこの論文の人か。つながってきた。SDT applied to three visual search tasks-identification, yes/no detection and localization それよかこっちか:Vision Research 2009 "Statistical decision theory to relate neurons to behavior ..."
こういうことちゃんとやって、ニューロンまでつなげたい。
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- / 投稿日: 2011年12月24日
- / カテゴリー: [腹側視覚路と背側視覚路]
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2011年12月10日
■ そうして、このごろ1001
ついったから転載。
自分はどのタイミングで全脳感を失ったんだろうか? ひとつ覚えているのは、小学校六年のときに生徒会長だったんだけど(正確には代表委員会委員長)、それが教師の傀儡として操られる存在であるという醒めた認識を持ったときだろうか? (小6で中2病ってかんじ。)
そういう状況事態をひっくり返すようなメタな発想と行動力を小学6年生に求めなくてもいいと思うけど、ともあれあそこが私の原点だったことを思い出す。徒競走が遅くたって、泣き虫だったって、投手として使い物にならなくてコンバートしたって、そういうことで自分の自尊心は揺るがなかったけど、「優等生」をやらなくちゃいけなくなった屈辱は忘れない。
そんなことを考える今日は次男の運動会の日で、両親がはるばる応援にやってきて、ビデオを撮影して、ステーキをごちそうになって、その店は今月で閉店となっていて、すっかり寒くなっていて、けっきょく私は帰るなり2時間ほど昼寝していた。そんな日のこと。
俺はこれだな:(15)の改変 何者かになりたいという欲望はあり、何者かになる強烈な快感をまだ味わってない自分をみじめだと思っていたが、仕事が忙しいのでどたばたしてたら年を取ってしまって、もはや何者かになれる人間ではなくなっていた。
だがここからが人生だ。俺の情熱はけっして消えないし、消えそうに思ったこともない。その時々の状況の中で、自分の疑問を磨き続けて、先鋭化させていく俺の旅はまだ終わっていないし、終わらせる必要もない。どんな状況にいようとも、だれも私のことを何者と認めなくても、それを続けていく力がある。
こういう抽象的な議論は好きではないのだが(<-おまえが言うな)、「何者かである」ということは「何者かであることによる強烈な快感」によってのみ定義される純粋に内的な価値であって、直接的には外的に決まらない。もちろん内的なものは外的なものによって影響を受け、規定されさえするが。
あーあ、でもさあ、率直に言って、世界が俺の思うとおりにならないなんて理不尽すぎる。ぷんすかぷーん。(<-キモッ)
2011年12月01日
■ Amazonのカスタマーレビューの「有用性の高い順」ってどうやって決めてる?
Amazonで本を探したりするときにはレビューの文章をけっこう読んだりするのだけれども、あれは「このレビューが参考になった」の数に基づいた「有用性の高い順」でソートすることができる。そうするとしょうもないレビューを読まなくてすむ。まさにwisdom of clouds。
ところであの「有用性の高い順」ってどうやって決めてるんだろう? たとえばUSアマゾンのSlaughterhouse 5のレビューで、Most Helpful Firstでソートしてみると、一位が257/286 (全投票数286のうち、helpfulが257)で、次が212/236、67/75, 16/16, 28/31, という順番になっている。
一番のものから順番に、「helpfulに投票された比率」をプロットしてゆくと図のいちばん上のようになる。もしこの比率だけで並べられているならこんなにはデコボコにならない。
どうやら、「helpfulに投票された比率」だけではなくて、投票数も加味して順位を決めているっぽい。そりゃそうだよね。16/16と1/1ではデータの信頼度がぜんぜん違う。
そこで以前のエントリ(20090319)で作ったように、最尤法で95% credible intervalを計算してやって、エラーバーを付けてやったのが真ん中の図。それっぽくなってきた。ちなみにエラーバーが0-1になっているデータは0/0のもの。
「helpfulに投票された比率」は二項分布での最尤推定値だけど、そのかわりに尤度の分布で重み付き平均を計算して表示したのが下の図。(これをnon-informative priorでのベイズと捉えれば、前者がMAP推定に相当して、後者がベイズ推定に相当する。)
完全には同じでないのでなんかまだ違うことやっているようだけど、だいたい近づいたので満足した。
データ入りのmatlabスクリプトあり:sh5plot3.m ご自由にどうぞ。
…とここまで書いて、Amazonランキングの謎を解くという本があることを思い出した。関係あるんだろうか。まあいいや。(あとで図書館で見つけたが、売り上げランキングの話で、今回の話題とは関係なかった。)
余談だけど、順位が下のレビュー(helpfulの比率が10%以下)ってのはたいがいは読んでなくても書けるような文章、たとえば「退屈で難解、読む価値無し」みたいなやつだったりして、0/10とか付いても当然ってかんじでつまらん。でもたまにトラルファマドール星人に拉致られたとしか思えないようなものが見つかる。しかもレビューへのコメント欄が煽り合戦。まさに「いったい何と戦っているんだ」状態。
お勧めエントリ
- 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
- 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
- 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
- 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
- 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
- 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
- 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
- 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
- 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
- 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
- DKL色空間についてまとめ 20090113
- 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
- ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
- Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
- 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
- MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213