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■ さうしてこのごろ201602
冬の自転車での帰り道は、ライトを灯けなければならない。持ってるライトは点滅することで電池の保ちを良くしている。暗い時間は長いはずなのだが、明るいときの残像で長時間道を照らしているように錯覚するのだ。ではなぜ暗闇の残像は持続しないのだろうか?暗闇の速さはどれくらい?(<-チガウ)
次男が代休の日用にコナンのDVDをツタヤに借りに行ったら、暗殺教室の映画版のポスターが貼ってあって、それを見ながら次男が「この黄色いのが悪者でしょ」と言うので、いやそのように見えるけど実はこいつはと微ネタバレかましつつ擁護しておいたが、ぶっちゃけ次男はどうでもよさそうだった。
暗いところからいきなり明るいところに出たときの「眩しい」って感覚、あれってなんなんだろう?痛み?苦しみ?気持ちの良いことではないのは確かだけど、痛覚を刺激されてるとかそういうのではない。杆体中心の活動から錐体の活動に移行することがなぜつらい?
我々は空を見ていても無意識的に太陽を直視するのを避けていると思うので、それとも関係してるかも。先天性無痛症の人が舌をかんだり骨折をしたりすることを考えると、そういう無意識の体の位置の誘導というのは見えてないけどかなりあるのだろう。
「シンギュラリティ 人工知能から超知能へ」訳者あとがき「抽象化の能力は反省(reflection)という、事象を再帰的に検証する行為を通して論理的な手続きを構築することを可能にしている。これは人間のような複雑な神経ネットワークを持たない前・反省的(pre-reflective)な生物にはない特徴である。」URL
Z会を「ツェット会」と読むと秘密結社度が上がってたいへん良い。ベルク・カッツェ(Bergkatze)くらい良い。
ミニオンズのCM見てて「これってスポンジボブ?」って聞いたら次男にめちゃバカにされた。
「茶の間の超能力者たち…野口選手がラストスパートをかけた頃からどんどん跳ね上がって、ゴール時点での瞬間視聴率は29.2%に達したそうです。これって不思議だと思いませんか?」これは進化の説明に使えるナイスな事例。メモっておく。
「カニは食ってもガニ食うな」の「ガニ」って音が好き。ローラン・ガルニエの「ガルニエ」よりも好きなくらい。
「ダダイズム100周年 全てを疑問視した芸術運動」ダダイズムなんて言葉久しぶりに聞いた。私がこの言葉を知ったのは多くの人と同様、中原中也からで、「タバコとマントの恋」とかの作風には強烈な影響を受けた。
それは中学生の頃で、そこからシュルレアリスムを発見し、「溶ける魚」を愛読し、そのあとでサイケデリック・ミュージックに触れ、そしてザッパを知ったのであった。(<-なぜかである調に)
私の父親は75歳を越えてから経営していた町工場(「(株)ヨシダニット」)の規模も縮小して仕事を減らしているのだけど、それでも年末には仕事がたくさん入って、休み前に終わらせるのが大変だったと言う。この歳でまだ仕事を持ってくるクライアントがい続けるってすげえことだなとあらためて思う。
「王様・軍人・学者・職人」って区分の話が好きなんだけど、あれは占いみたいに使うものではなくって、誰もが持っている欲求を明確にして、どうそれを割り振るかということを考えるのに役立つ。
たとえば研究者は「学者」的欲求だけでやっているかというとそうでもない。「日々の発見でのアハ体験や、研究をまとめ上げbig pictureを組み立てる喜び」みたいな「学者」的欲求は研究者の生活においてはほんの一部であって、「論文通すために査読というバトルパートで完勝するとか、大きいグラントを取ってくる」といった「軍人」的欲求も不可欠だし、そのためには「揺るぎないデータを得るための実験手法の開発のためのこだわりとプライド」といった「職人」的欲求に支えられる必要があるし、「PI/ラボマネとして個々のメンバーが幸せでアクティブなラボを作りたい」といった「王様」的欲求がなければ研究はスケールしないだろう。
翻って自分はどうかというと、いまここで晒すわけにはいかないのだが、だれもがそれぞれに違ったバランスでこの人生というゲームに取り組んでいるんだろう、とかそういうことを考えたり、考えなかったりする。
ウィキペってみたら、ジョージ・オーウェルはイートン校卒で、30代は「パリ・ロンドン放浪記」「カタロニア讃歌」とかのルポライターで、42歳で「動物農場」でブレークして、結核を患いながら45歳で「1989」を書いて、46歳で死去とのこと。