[月別過去ログ] 2009年05月

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2009年05月22日

ベイズ脳とsensorimotor contingency hypothesisとワイシャツと私

こういうメモをたくさん作ってるんだけど、死蔵せずに表に出しておきます。まったく威勢だけはいいんで、ま、ある種のマニフェストですな。

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[フィルタとしての視覚]

特徴抽出をするdetectorを作る、というのがスタート地点だった。

これ自体は一見問題ないように思える。
しかし我々の感覚と認知と行動はクローズドループだ。

# 行動によって周りの環境が変わり、
# 感覚入力も変わる、これがクローズドループ。

クローズドループである影響を取り扱うために、
感覚入力以外のすべてが「トップダウンの要素」
に押し込められてしまう。

# 「受動的」な要素の抽出と
# top-downによるその修飾

よって、その修飾を議論することは出来ても、それより先に行けない。
(top-downはなにを「表象」しているか?)

これが視覚野での応答とそのmodulation、
前頭葉から来る「トップダウン信号」というパラダイムが
早晩スタックするだろうとわたしが思っている理由だ。

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[ベイジアンな視覚]

クローズドループでのコントロールを扱うためには、
「なにかを表象している」という言い方ではなくて、
「外部の環境 - 内部状態」
をともに併せたダイナミクスの記述
をするのがより自然なアプローチだ。

# その意味では[ベイジアンな視覚]は
# [フィルタとしての視覚]が記述の複雑さを押さえるために
# 受動的側面から開始したのに対する
# 自然な拡張である、という言い方ができる。

内部状態とは
ニューロンの状態の記述であって、
「心理的表象」を必ずしも要請しない。
ニューロンの状態をすべて記述できれば
それとは独立した「心理的表象」がないのであれば、
「外部の環境 - 内部状態」
は「心理的表象」を含める必要がなくなる。

というわけで、
sensorimotor contingency hypothesis
は表象批判として始まり、それの徹底によって
「心的表象」をそもそも不要とするシステムになる。
(ここで前回のShadlenの話を思い出す。)

ただ、ここでの機能主義の徹底は
「クオリア、意識」どころか「心的表象」すら排除してしまうことになるので、
これはおかしい。

たとえば「言語活動」はどうなるか?
sensorimotor contingency hypothesis
はこれを排除するような形で成り立っているのではないか?

よって、「意識のsensorimotor contingency hypothesis」と言うときには、
以上では収まりきらないような、
極端行動主義ではない状況への当てはめが必要になる。
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ちなみに「カルマンフィルタ」としての視覚と言うときの「フィルタ」は
視覚刺激から表象へのフィルタではなくて、
視覚刺激から行動へのフィルタと言うべき。
もはや「フィルタ」という言葉を使う必要はなくなっているとは思うのだけれど。
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意識、awarenessの概念の安易な使用を防ぐために、
単なる表象、codingの問題のときにはそれを分けて考えるべきだ。

その意味でいちばんやっておくべき仕事は
「neural correlate of consciousness (NCC)」の
"neural correlate"っていったいなによ、ってこと。
これはconsciousnessの問題ではなくて、
表象とencoding/decodingの問題なんだと思う。
こっから片付けていこう。
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こういうことを、神経生理学者が言って、
それを神経生理学の実験として落とし込むところこそがチャレンジ。
「言うだけなら誰でもできるさ」とまでは言わないけど、
こっから先にこそ意味があると思ってるし、
それがこっから10年先の俺の仕事だと思ってんの。
(<-宣言しちゃったYO!)

2009年05月21日

Confidence in LIP

ShadlenのConfidence in LIPの論文が出てます:
"Representation of confidence associated with a decision by neurons in the parietal cortex." Kiani R, Shadlen MN. Science. 2009 May 8;324(5928):759-64.
要はpost-decision wageringをやっているときのLIPを記録したという話で、random dot刺激のperceptual decisionの実験系にuncertainなときはlow risk choiceを選べるようなオプションを付けたわけです。でもって、low risk choiceを選んだときはLIPの活動がどちらともつかないようなものになっていたというわけです。
いわば"post-decision wagering in LIP"なのですが、そういう言い方はしてません。恐るべきことにと言いましょうか、"Post-decision wagering objectively measures awareness."はreferしてません。これはあくまでdecisionの論文であって、awarenessの論文ではないので、awarenessに関連する言及はほぼ完全にシャットアウトしてます。
さらにこのようなconfidence judgementにはmetacognitionの概念を用いた説明が必要ない、としてます:
"This simple mechanism ... removes the need to resort to metacognitive explanations for certainty monitoring ... Our findings support a low-level explanation of postdecision wagering in our task"
Awarenessに関連する言及はこれにつづく一文だけです:"but they do not preclude the possibility that an animal that experiences subjective awareness of degree of certainty might base such impressions on neural signals like the ones exposed here."
まあ、こんなもんでしょう。以前も書いたことがありますが、awarenessのstudyとperceptual decisionの話は食い合わせが悪い。Perceptual decisionの話はその中できっちり話が閉じるので、awarenessの概念が必要ないのです。わたしの興味からこの論文を眺めれば、話の順番としては、awareness/consciousnessの評価をしたくて、metacognitionが関わって来るであろう課題としてpost-decision wageringを選んで、ニューロンを記録して、perceptual decisionの枠組みで解釈してみると、metacognitionもawarenessも必要なくなっている、という事態になっているように思います。しかし、Shadlenはdecisionのことが出来ればよいのでなにも困らないでしょう。
けど、わたしは困る。このへんがわたしの主戦場となるもんでね。敵にもせずに、味方にもしないようなうまい立ち回りが必要、というわけです。私の話も半分はawarenessで、半分はdecisionなのですから。彼らが使っている"Log posterior odds = log-likelihood ratio + log prior odds"という式はaccumulator modelとSDTとを組み合わせるために有望なものです。わたしがいま扱っている問題こそがいちばんこれをうまく使えるんではないかと思ってます。
そして、blindsightの話はいったん整合性よくできたperceptual decisionの話をdetection/discriminationの乖離というのを持ってきてまた揺り動かそうとするものなのです。さて、これがうまくいくかどうか、わたしの論文の行方で判断してみてください。


2009年05月03日

VSS不参加となりました

今年のVSSはうれしいことにtalkでacceptされたので楽しみにしていたのですが、不参加となりました。非常に残念です。
この決定およびその前後の手続きなどでいろんな人が関わり時間を割いてくださっていることを考えれば、憤慨したり揶揄したりするのは違うと思ってます。もうこれはしかたない、あとのところでベストを尽くすしかない、という気持ちです。
この件に関連するみなさまに、良い休日が訪れることを祈っております。
ではまた。
P.S. お次の出番は、金沢での第24回日本生体磁気学会大会(2009年5月28-29日)です。輪行して「カレーのチャンピオン」まで行ってくる予定(あいかわらずB級グルメ系)。これまでと違って、オーディエンスには臨床系もしくはヒトでのイメージング研究の人が多いでしょうから、わたしのトークにどのような反響があるか楽しみです。ただ、今月はiPhone一括で買っちゃって金がないんで、夕食は財布を気にしながら行く予定です。
P.P.S. そのつぎはベルリンでのASSC13(2009年6月5-8日)でのトークです。ドイツはこれがはじめて。アイスバイン楽しみ。テクノ系のクラブも行っておきたい。生理研での国際ワークショップの宣伝とか打ち合わせの活動もする予定。こっちはキャンセルにならないといいんですけど。

コメントする (3)
# viking

今年は生体磁気って金沢なんですね。ところで、たぶんイメージング屋(=fMRI屋)は少ないです。コテコテのMEG屋さんが多いので、time courseの話には食いつきがいいんじゃないかと思いますが。ちなみに今プログラムをザッと見たらY. C. Okada先生の教育講演があるのを見て、一度ぐらい聞いてみたかったとちょっと後悔しました。

# pooneil

なるほど、time courseはポイントですね。課題のどの時点からdecisionを反映した活動が出ているか、なんてのはひとつのトピックとなると思います。
もうひとつの論点は「局在論」のあたりかと思ってます。Single-unitをやっていると、極端局在論代表みたいな立ち位置になるし。
このへんで普段と違った議論ができるといいなと思ってます。

# viking

どのタイミングでdecisionを反映した活動が立ち上がるか、なんていう論点には生体磁気の人ならみんな食いついてくるんじゃないかと思います。MEGというのはある意味ヒトでそれを調べるために特化している手法だとも言えますし(無論EEG/ERPでもいいわけですが)。

「局在論」ということですが、最近のtime-frequency domainメインの人たちはともかく、昔ながらにコテコテのsource estimatesをやってきている人たちにはものすごく受けがいいと思いますよ。MEGは「一応理屈の上では」解剖学的にピンポイントに絞った位置におけるneural activityのtime courseが見られることになっていますので・・・。

そうそう、今年はどうかわかりませんが伝統的に心磁図・胎磁図の研究も多く発表されていますので、お時間があったらぜひご覧になってみて下さい。門外漢にも結構面白いものです。


お勧めエントリ

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  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
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  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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