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■ 「シューゲ感」
"vapour trail"というタイトルにはシューゲ感があるが、「ひこうき雲」というタイトルにはシューゲ感がない。"seagull"というタイトルにはシューゲ感があるが、「かもめ」というタイトルにはシューゲ感がない。つかカタカナでないとシューゲ感って出てこない。「スロウ」とかシューゲだけど、「ゆっくり」だとダメ。
シューゲってのはたんに音の鳴らし方の形態の一つでしかないのだけど、歌詞にもどこか共通したものを感じていたのだが、よくよく"Vapour Trail"の歌詞とか読んでみるとシンプルなラブソングだったりする。マイブラもそうだ。
どちらかというと、シンプルな言葉づかいで、なんか届かないかんじとかを伝えるというのが特色なのかも。ブローティガンの詩とかにはシューゲを感じたことがある。
ヘルダーリン詩集のアマゾンレビューを見てたら「天上的なハーモニーと至福の美、そしてその中に潜む歪み、それはまさにmy bloody valentineの音楽に通じるものがある。」なんて記述を見つけた。チュービンゲンがらみだし、読んでおこうかと思う。
あと、音と同じように、歌詞ももごもごしている。あんま明確かつエモーショナルな歌詞はシューゲ的でない。これをシューゲの定義とするならば、音がシューゲでも歌詞がJ-Pop的だったらそれはシューゲではない。含羞がなければシューゲではない。80年代的スタジアム・ロックみたいなもののアンチ。
とここまで書いたうえで言わずもがなの断り書きを入れるならば、シューゲとはこうあるべきだとかそういう考え自体がクソ。(<-ちゃぶ台返し)