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■ 「ドルフィン・キック/ソクラテスの弁明」(さうして、このごろ2019年7-9月版)
繁華街を歩きながら、座り込んで地図を見ている旅行客とか、交差点で演奏するベーシストとか、暗闇にぼおっと浮かび上がる欄干とか、生ぬるい風とか、人混みを避けて進むジョギングランナーとか、そういうのを横目に見ながら、ブクオフにたどり着いて優雅な時間を楽しみ、白くまアイスを食べた。
「ドルフィン・キック」というのを考案した。イルカの鳴き真似をしながらドロップキック。めちゃ練習が必要(<-おもに鳴き真似の)
あと「アングリー・バード」ってのも考案した。めちゃ怒ってる。手のつけようがない。仕方がないので放置している。どっかへ飛んでいてほしい。銀閣寺。
「ヌガー」って、いいよね。(<-主に音韻的な意味で)
もろもろメール送り終えてラボからの帰り道、図書館の時間外窓口に本返しに行くつもりが、明日の予定とか考えごとしながら運転してたら、自宅に到着してた。私のオートパイロット(ゾンビ)モードが何もかもやってくれすぎて困る。いっそのこと実験と解析もしておいてほしい。
今気づいたけど、JR幸田駅の手前で在来線と新幹線が交差するのか。そんな重要なことではないが、はじめて意識に登ってきたことではあるので、ここに記して永遠の記録とする。
「骨休め」っていいよね。自分の中のガイコツ部分が、なんかアホ面してかぱっと口を開けているイメージ。世界が二つに分かれて、そこに海の水が流れ込む。
いまとくにウナギを食べたいとは思わないが、リョコウバトは食べてみたい。肉が美味で取り尽くされたというのを見ると。
早晩ウナギは絶滅するだろうけど、近い将来、専門店でありえないくらい高額になって、裕福な人がFBで自慢する写真をシラっとした気持ちで見てみたい。
今回の札幌での、全ての予定されてたイベントが終了して、JR琴似駅からホテルに向かうまでの帰り道で、これですべての日程が終了か、という感慨が湧いてきた。空気が涼しくてまるで秋が来たかのようで、なんだかメランコリックな気持ちになってきた。
今日撮った写真だけど、私にはこの画像に、雪が降っていて「夢の跡」が流れている光景が重ね合わされている。メランコリックな気分だから。
札幌からの帰りの電車の中で、和やかにしりとりをしていた家族が、ママの失言で小学生が一挙に機嫌を損ねてブチ切れ、居眠りしてたお父さんに八つ当たりしてお父さんがブチ切れて、ママが恐縮するというなんともやりきれないシーンに遭遇してしまったので、ここに記して永遠の記録とする。
Tom Froeseと会話していて「そういえばフローゼってドイツ的な名前?ドイツのミュージシャンで聞いたことのあるけど」って話をして、思い出せなかったのでその場でスマホでぐぐってみたらタンジェリン・ドリームのエドガー・フローゼだった。クラウト・ロック趣味が初めて日常生活で役に立った瞬間。
「ハクキンカイロ」と書いたTシャツを自作して、それを着ながら冷房のない部屋で汗だくになって、チューニングの合わないギターを掻き鳴らして、隣の部屋から壁ドンされたい。あまりの暑さにセミさえ鳴かず、すべての生きているミミズは地下に逃れる。遠くには鳥居を通して不二が見える。
「ヌフォガエル」ってのを考案した。ヌフォっとしている。つか寝るぞ諸君
先日クリスとskypeで話ししてて、なんか噛み合わないなあと思ったら、クリスが二重否定で話してるのを(「XXでないわけがない」)、私が単純否定だと誤解してたからだった。「英国人的だな!」とか言って笑った。
ブログ記事を作るために数年前のツイートをまとめていたら、「東岡崎からの空港バス」とか「改修工事前の実家」とか「田嶋さんのセミナー」とかそういうものに連続して遭遇した。しばし立ち止まって、心を当時へ飛ばしてみた。
「クラウド・ファンディング」ってフレーズを考えた。雲が、ゆっくりと、通り過ぎてゆくのを、長い時間かけて、眺めつづけるの。ファンディングのほうは知らない。
「来世で」を多用しているので、輪廻転生を信じているとか誤解されないように説明しておくと、来世というものは端的に無いので、「来世でやる」とは「やらない」という意味。“God only knows” = “Nobody knows”なのと同じ。言わせんなよ…
夜の風があんまり気持ちいいから、近くの奈良井公園までビールとつまみ持っていって、夜空を見ながら、たまにKindleで「意識と本質」のII章を行ったり来たりする。こんな気分は久しぶりだ。近所を歩いても新鮮に見える。
誰にも通じない地元ネタ…248号で八帖の交差点越えた北のコンクリート塀が並んでいる佇まいが、千石の交差点を通り過ぎた小石川高校の前あたりを思い起こさせる。とここまで書いてストリートビュー確認してみたら、そんなに似てねぇ。しかも小石川高校は6年一貫制の中等教育学校になってた。時が駆け巡ってる。
「また逢う日まで」を車運転しながら絶唱したりするんだけど、あれってコブシ(メリスマ)の入るところが「なぜかさみしいだ〜け なぜかむなしいだ〜け」で「だ〜」の部分なのが絶妙に難しい。ふつう「しい」の部分に入りそうなものなのに、そうはなってない。ネット探したがだれも言及してないな。
Kindleにダウンロードしたまま積んでた「ソクラテスの弁明」をウォーキングがてら読んでみるか、薄い本だし、と歩き始めたら思った以上に面白くて本編から訳者の解説まで全部読んでしまった。ソフィストとは別に哲学者が誕生したこととか、大学の概念の誕生とか、やっぱ古典超重要だった。
衆愚によって感情で裁かれる状況とか、現在の状況を思い起こされるものもあった。あと、ここで出てくるソクラテスは、死を恐れず金を取らず貧乏で信念を貫くというなんだかロックな爺さんだった。そういうわけでそのうち訳者の「哲学者の誕生 ソクラテスをめぐる人々」を読んでおこうかと思う。
あと、これが「無知の知」の原典なわけだけど、正しくは「不知を意識すること」とあって、それってメタ認知じゃねーの?とか言いたくなってきた。
あと、ソクラテスは「神霊の徴」を聞いているんだけど、それはなんらかの行動(政治的参加とか)を制止する声として聞かれている。これには驚いた。まったく知らなかった。