[月別過去ログ] 2019年07月
« 2019年06月 | 最新のページに戻る | 2019年08月 »2019年07月21日
■ 2016年10月チュービンゲン出張メモ
そろそろチュービンゲン出張の準備を、と思って気温を調べてみたら最高12度、最低4度とかでクッソ寒いもよう。まだ自分は膝丈パンツにアロハシャツという状態なので、ちょうどこのタイミングが衣替えとなりそう。
明日からのチュービンゲン出張に備えて、時差分夜更かししてみた。7時間差なので今はまだ夜の10時。明日は完徹して空港バスに乗る予定。寝過ごすのがいちばん怖いから…
体内時計を後ろにずらしたつもりが、眠くて頭が働かない。今日はトヨロックの一日目で、午後3時からeastern youthだったんだけど、こっち行ったほうが1024倍幸せになれたっぽい(<-counterfactual)。
さーて、あと12時間で共著者へのデータ送付と科研費の第一次締め切り用の原稿提出をする。飛行機の中でシンポジウム用のスライド作って(すでに3/4できてる)、喋り原稿作って、それでフランクフルト到着。これで時差ボケになるまえに水曜までに必要な仕事は済むはず。(<-社畜)
科研費一次締切の書類を終了させた。解析の方はまだまだつづく。出発まであと5時間。
よーし、解析結果もメールした。あと2時間でスライドの完成を目指す。
いまから搭乗。今回もドタバタだった。でも今回は「白い恋人」をおみやげに買うのを忘れなかったので良かった。
フランクフルトに到着。入国審査が1分で終わった。列の前に一人しかいなかった。こんなことは初めて。いいことだ。ともあれ予定よりも早くシュツットガルトに向かっているところ。
チュービンゲン到着した。思ったより寒くない。最高11度、最低4度って聞いてたからけっこう覚悟していたのだけれど。
TU-NIPSシンポジウムの第一日目が無事終了。Schloss Hohentübingenの博物館で夕食という大変貴重な機会を楽しんだ。トイレの鍵が外せなくなって中から出られなくなるなどのトラブルもありつつ、ホテルに帰還してみれば夜10時半。喋り原稿を完成させるまであと少し。
喋り原稿完成した。いつもの say -f talk1.txt -v Alex -o talk1.aiff でファイルを作ると14分。実際に喋ると20分くらいになる。トータル30分にはちょっと短いがまあだいたい目処はついた。
朝起きて練習3回やって24分に収まるようにした。本番もだいたい24分で終了。質問込みで30分ちょっとオーバーでだいたい妥当な感じで終了。質問は前半に集中して、肝心のポズナー課題とマイクロサッカードのところは反応なしだったが、初めての図のお披露目としてはまあよかったのではないかと。
夕食は昨日の城の近くのお店で、食事が出るまでクッソ待たされたが、隣の人と「ゾンビモード」についての議論とかして楽しんだ。その人は第一回のシンポジウムのときに来ていたと話していて、たしかに見覚えもあったのだが、いまさら名前を聞くわけにも行かず、あとでこっそりネットで調べて確認した。
今日はネッカー川岸のホテルからチュービンゲン大学(丘の上)までウォーキングで行ってみた。 2.96km in 33:54。1.6kmで100m登るので最後はけっこう汗かいた。普段はバスで10分なんだけど、これなら毎回歩きでいいかも。
おとといはStuttgartのトルコ料理のお店まで連れてきてもらった。Piri Reis Restaurant & Cafe ラム肉を瓶で料理したものを山盛りで盛ってもらって大変満足した。StuttgartまではTuebingenから車クッソ飛ばすと40分弱。
目覚めた。時差ボケもだいぶ修正されてきて、夜中に起きることなく朝まで一挙に眠ることができた。さあ今日も頑張ろう。VSSに出すネタの方は昨日でだいたいまとまってきた。データ的にはどっちに転ぶか予想つかないので解析が楽しい。(<->ざっと見予想通りのものを形にする場合と比べて)
ラボに行く途中で中心街へ買い出しに行ったら、街中でジャズバンドが演奏をしている。なんだか岡崎のジャズ祭りみたいだと思ったら、まさにそういうイベントが今日から開始とのこと。Tübinger Jazz- und Klassiktage http://www.jazzklassiktage.de/
気分転換に建物の外に出てイヤホンで音楽を大音量で聴いていたら、ちょうどRideの"Leave them all behind"のイントロの部分で階段を登りながら見えてきた沈みゆく太陽が目に入ってきて、なるほどこのイントロは沈みゆく太陽だったかと合点した。(<-JTC bias)
じっさい、歌詞的には、まぼろしの世界へ時を越えて向かい、色は失われ夜に溶け込んでゆく(超訳)、というかんじなので、だいたい合ってる。
さて月曜が始まった。今日と明日でCIN滞在は終了。問題はどこで科研費原稿をfinalizeするかだが、いまのところ飛行機の中になりそう。
Rail & Fly用のチケットを印刷してもらったら、あともうすこしで帰国かと感慨深くなる。だけども 問題は 今日の雨 傘がない。
小雨になったところを見計らって帰ってきた。そしていつものようにREWEでしょっぱすぎるクスクス(のようなもの)とと水を買い込んで、これでなんとか一晩しのげる。本当はここから科研費原稿書きなのだけど。持ってきた本も読んでない、ジャズフェスティバルも行ってない。ひたすら解析している。
使っているバス停がUni kliniken Bergという名で、 丘の上の大学病院の最寄りとなっている。手前の平地にあるバス停の名はUni kliniken Talというのだけど、Talとは「谷」の意味だった。Bergが「山」だから、「大学病院山部」と「谷部」というところか。
もう時間切れなので科研費書類書きに専念している。ああ終わらない。今日こそは日が暮れる前に帰ってネッカー河の中洲の公園を散策するつもりだったのだけど、けっきょく達成できず。今回はbotanical gardenにも行かなかった。今晩もREWEで夕食を買い物ということになりそう。
長居せずホテルに帰ってきた。これでCINでの仕事は終了。荷造りをして名残を惜しむ。前回のチュービンゲン訪問時のツイートを見ると、午後6時に鐘の大合唱があるのだけど、今回聴いた記憶がない。つまり今回午後6時にホテルに居たことは無かった。
以前のツイートを見直して、フランクフルト空港のチェックインにどのくらい時間があるか調べてみた。そしたら、肝心の部分の記述がない。なにやってんの俺。いつもなるたけメモするようにしているのに。
科研費書類、やっと最終形が見えてきた!でももう24時なのでここまでで寝る。
いまフランクフルト空港。結局鉄道が遅れて接続で一本逃して1時間遅れ、離陸まであと100分。でも駅到着12:00,駅出てすぐにチェックイン到着12:05,荷物預け12:10,そこから歩いてパスポートコントロール12:20,荷物チェック12:25で30分かからず全て終了。
長距離鉄道駅から来たのは初めてだったけど、すぐにチェックインできて荷物軽くなるのはよかった。この空港は3回目だがターミナルにまったく見覚えがないので、改装でもしたのだろうか。次があるかはわからないけれど、情報としてメモっておく。
とにかく帰ってきて、仮眠したら頭痛はなんとか通り過ぎてくれたので、科研費書いた。書くべきことは書いたので、あとはどうわかりやすい構成にするかという段階まで来た。明日は用事がいろいろ入っているので時間が厳しそうだが、とにかくいまは無理矢理でも寝る。(<-いまドイツ時間で19時)
昨日はぶじ科研費の書類を提出して燃え尽きた。昨晩は時差ボケ直すのも忘れて大爆睡した。9月を乗り切り、チュービンゲン出張を乗り切り、科研費を乗り切って、でもまだいろいろ締切が追っかけてくるのだが、でもなんとかここまでたどり着くことができたと感慨深い。
2019年07月19日
■ 一回性の現象と統計的な現象との連続性に注目してみる
カウフマンの新著"A World Beyond Physics"のレビュー"The new physics needed to probe the origins of life"が面白かった。
この文の中でカウフマンの"the nonergodic world"という概念に触れていて、タンパク質として可能な、200の20乗の組み合わせのうち、まだほんの一部しかこの宇宙の歴史上に現れてない、つまりエルゴード性が成り立たないようなところで、進化という一回性/歴史が起きているようなのだ。
これを見て考えるに、このような来歴に縛られた発展過程を見ているというのは、進化でどのように種が現れたかとかいう話だけでなく、生命の発生においてもそうであるらしい。
そう考えてみるとなんだかわかってきたのだけど、この「non-ergodic/historic/一回性」であることと「ergodic/statistical」であることって、スケールに依存した相対的なことなんだな。
進化を一回性の現象として見ているのは、われわれにはこの地球での進化しか見えてないからであって、(おそらく存在するであろう)宇宙の他の星すべてでの生命と進化をまとめて見る視点からは、進化すらも統計的な理論として捉えることが可能になる。でもそれができないから我々は進化を、その履歴に影響される現象としてしか理解することができない。
もし我々が分子のサイズで周りの気体分子を観察したなら、それはある分子がぶつかってそれがこっちに向かって跳ねてきたといった、ビリヤード台の解説のようなものになり、それは一回性の、履歴による、因果としての描写とならざるをえないだろう。(ここで、空間スケールを小さくしたから時間スケールも短くして、時間平均が充分取れないものと仮定している。)
そうしてみると「一回性の科学なんてものはないのだから、一回性の減少に見えるものは、エルゴード性があるスケールに(仮想的にでも)視点を持っていったうえで扱うしかない」という立場もある気がして生きた。
たとえば、生命の発生についてたまたまRNAができたことによる履歴の効果でこういう生命ができたことにこだわらずに、統計的にはこれこれこういう生物もできた、という例を多数生成させたうえで、それらをまとめて説明できるような統計的な法則こそが生命を説明する法則であるのではないか。一回性の事実にこだわっているかぎり、生命と進化の科学的な説明はありえない。
意識とか心の発生についても同じ理屈が成り立つだろう。意識や心ならすでにたくさん人数あるだろってことにもならない。なぜなら、一人の人間が、しかも他でもなくこの私が、10万人の人間の主観的経験を入れ替わり経験して(しかも充分長い時間、無相関な形で)、そのうえでそこから法則性を導き出さなければならないという帰結になる。たぶん。あくまでもその立場ならば。
もしかしたらいまアタリマエのことを言っているように見えるかもしれない。というのも構築主義の人はすでにそれをやってるように見えるから。しかしそこで可能な一つの例を生成するのと、複数生成する法則を見つけるのは別の話ではないだろうか?
自分で言ってて手に負えなくなってきたのでここまで。
先日のこの話題に関連することをEvan Thompsonが言及してた。つまり、FEPはエルゴード性を前提としているだろってこと。
Friston's free-energy principle is based on the premise that living systems are ergodic. Kauffman begins his new book with the premise that life is non-ergodic. Who is right? My money is on Kauffman on this one, but what do I know? A World Beyond Physics https://t.co/dYsGKa02PP
— Evan Thompson (@evantthompson) May 7, 2019
でもそれは上にも書いたように、コインの裏側というか、連続したものの両端であって、われわれは普段はそんな不確定性な一回性を生きているわけではなくて、必要に応じて現象学的に見るとき、もしくは瞑想を通して見るときにそのような一回性が見えてくるということではないか。そしてそう見ることによって初めて両者がどのように世界を作っているかが見えるようになるのではないかと思うようになってきた。
お勧めエントリ
- 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
- 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
- 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
- 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
- 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
- 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
- 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
- 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
- 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
- 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
- DKL色空間についてまとめ 20090113
- 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
- ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
- Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
- 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
- MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213