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2014年03月28日

Aberrant salience仮説と潜在制止と統合失調症における主観的経験

JCのほうはけっきょくSchizophr Bull. 2012 Neural and Behavioral Correlates of Aberrant Salience in Individuals at Risk for Psychosis をやることにした。

Kapurのaberrant salience説のレビューだけだとJCにならないので。ただし、RoiserのSalience Attribution Testというのはなんのことはない連合学習課題なのに、縦軸がaberrant salienceとか操作的でないのが嫌。

あと、結果も汚いのでこれは正直信頼できない(散布図で外れ値一個しだいでp値0.03とか信じるの無理)。ただ、良いところは、動物でもこの課題使える。よってcriticalに読んで、associative account of SZ系の話と繋げるのがよさそう。

要は、aberrant salience説と、連合学習説と、フリスとかのprediction error説とがあって、たぶんどれも同じ事態についてものを言ってるんだろう。

"Latent inhibition"をキーワードにしたらざくざく出てくるな。これはヤヴァい。こっち方向は、勉強しなければならないことが多すぎる。

うーむ、このへんまで見てしまうと、Salience Attribution Testとか車輪の再発明としか思えない。ちょっと方針転換するか。Brain 2007 Disrupted prediction-error signal in psychosisにするとか。

ついに見つけた! Latent inhibition and other salience modulation effects: same neural substrates? これはLIとKapur説を繋げてる!って思ったら澤さんが紹介してくれた本の15章だった。ともあれ満足したので寝る。(<-読めよ!)


潜在制止だったらラットで充分だしすでに中間表現系の一つとなってるので、言いたいことはそうではなくて、kapurが提唱したみたいに、(中間表現系を現象論として評価に使うだけではなくて) 病因論的にどのように症状が発達、展開するのかを生理学的に解明するのに使えるのではないかという話。

だから、潜在制止をラットで見てゲノムとの対応を見てとかそういうのでは、PPIを代わりに使うのと同じ。pubmed見たらそういう研究が山のように出てきて、そういうことがしたいわけではないと思った。

私が問うべきだと思うのは、ラットにもし思考があって、そして潜在制止が低下しているのなら、delusionを引き起こすような展開はあり得るかということ。ありえないなら、じゃあ、霊長類なら思考はあるか? これが以前の因果推論の問題に繋がる。そもそも人間は思考しているのか?


Aberrant salience仮説の説明のために「(ぼっちの)大学生が食堂に来てみたら、その場にいる全員がギョッとして自分を見ている」っていうネットでよく見る画像、あれを使おうと思って探してみたら意外と見つからない。わざわざ探そうとするようなものではないものなあ。

見つかった>「(ぼっちの)大学生が食堂に来てみたら、その場にいる全員がギョッとして自分を見ている」っていうネットでよく見る画像。「ぼっち 食堂」でググればよいのだな。


Kapur 2003で引いているSZ前駆期の「気づきの亢進」についての論文を読んでた。"Living with schizophrenia"

"Psychedelic" Experiences in Acute Psychoses こっちはLSD経験についての主観的経験の報告だと勘違いしていた。そうではなくて、「急性精神症状時の「サイケデリック」な経験」、つまり前駆期にさまざまな「すべてがmake senseした」体験とかそういうまさに探していたものだったので、19ポンド払って購入した。

"there was some overwhelming significance in all this … The walk of a stranger on the street could be a "sign" to me which I must interpret"

"In this state, delusions can very easily take root and begin to grow"

"By the time I was admitted to hospital I had reached a stage of "wakefulness" when the brilliance of light on a window sill or the color of blue in the sky would be so important it could make me cry"

盲視に関しても同様なのだけど、こういう「主観的経験の記述」にものすごく興味が惹かれる。


2014年03月23日

さうして、このごろ 20131031

今日も長女の新体操のお迎え。今日は車内で長女が「冬の寒い時期におしゃれを取るか暖かさを取るか」という話題を持ち出しつつ、小学校の校舎がいかに寒いかという話へ展開した。

"grit your teeth"(歯ぎしりする)の「グリット」ってホント歯ぎしり感高くて、擬音語としてかなりいい線いっていると思う。

「百万遍」とか地名にしては中二病すぎるだろ、常識的に考えて、とか思ってウィキペ調べてみたら、知恩寺の通称が百万遍で、その名の謂れは念仏を百万遍唱えて疫病を収めたからというこれまたまさに中二病的エピソードがあることを知った。

「借金」の話かと思ったら「しゃきっとしてない」ってだけの話だった。すっかり手持ち無沙汰になった私は、「爪楊枝」のポーズをとった。

目隠しをし、片手に剣、片手に天秤。


激しい雨の降る中を傘を差して家まで帰った。竜美ヶ丘の三菱社宅の緩やかな坂を下りながら、日没後の暗い空と雲を眺めながら帰った。心のなかで長時間露光をして、空の光を蓄積してみた。すると、暗い空のように見えたのはじつは真っ黒な雨雲であり、それが欠けた部分に白い雲があることに気づいた。そのとき図と地が逆転し、灰色の雨雲が雨を降らせるために一面を覆っていることは、はじめからそうであったように、当然のことだったように見えてきた。私の表象は変わり、私の知覚経験は変わった。


家で布団に寝っ転がってだらだらとしている。Dark room problemってあるじゃん? 自由エネルギー最小が脳の原理だったらみんな暗い部屋でじっとしてるだろよwwwってやつ。でもオレ今暗い部屋でずっとじっとしていたいわ。なんでみんなこんな大雨の中、わざわざ外で出てゆくんだ?

だが腹が減ってきたので雨の中豆腐とモヤシを書いにコンビニまで行く。暗い部屋問題、完全解決!


ザッカーバーグの“Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity”ってのはある種の革命を目指している。たとえば教育者が公では理解と和解を口にしながら家族に対しては暴君である、みたいな"lack of integrity"をぶっ壊すことを目指している。

それじたいは良いことのように聞こえる。しかしこの理屈ですべてを塗り込めてしまってよいのだろうか? すべてについて裏表無くできる人間なんているだろうか? できたとしてもそれは強者の論理じゃあないだろうか? なんて風にこの言葉を聞いたときは思った。

この理念(Only one identitiy)をどう扱うかという問題はこれまでは技術的に不可能だったので考えることが不要だった。しかし、FBが遅かれ速かれ衰退するとしても、今後は繰り返し出てくる論点なのではないだろうか。


SF的発想で間主観性の問題を私的な内面を完全に共有することで一つの主観にしちゃうようなのってあるけど、そもそも自分に私的な内面がなければ、行動がすべてであり、行動ですべてが伝わっているのであって、行動から意図を忖度する必要はないのであって、問題は解決しているようにも思える。

つまりそもそも、行動から相手の意図を忖度しなければいけないという事実自体が、内面を持っていることの証拠になるんではないだろうかってこと。じゃあ、忖度しない場合は内面を持っていないのか? こっちはよくわからん。


当事者研究関係の本を借りるために豊田市中央図書館まで行ってきた。豊田市中央図書館に行くのは久しぶりだ。いまは岡崎市中央図書館が改装して大きくなったので当分行ってなかった。5年ぶりくらいだろうか。かつては専門書は豊田に行かないとなかったので月2ペースで行ってた。

以前と比べるとすごく静かになっていた。以前は試験勉強とかしている高校生がずっとおしゃべりしていて、図書館側が放置しているのでひどいありさまだった。館長が変わったか方針が変わったか。以前これは環境のせいではないかということを考察したことがある。

岡崎の方では図書館のすぐ外にオープンスペースがあって、そこでおしゃべりできるようになっているので、館内はとても静かになっている。これがいわゆる環境的管理(マクドナルドの椅子が硬い理由、とか)かあとかわかったような口をきいたものだが、豊田でも静かに出来ていたということは普通に対策取ればできることだったのだな。

以前豊田図書館に来ていた頃は、長男がまだ小学校低学年くらいのころで、このエスカレーターを降りるときに長男は階段を先に降りてたっけとか、この階段でお昼代わりにミスド食ってたっけとか(ミスド閉店してた)、なんかものすごく場所ごとに記憶が埋め込まれていることに気がついてなんか泣けた。

いや、泣いてないけど。


次男が、クリスマスツリー買って家にたくさん友達を呼んでパーティーしたい、とリア充な発言をするのでなんかスゲー笑った。ぜひこのまま大きく育ってほしいと思った。


2014年03月19日

ここ一年分のブログエントリを電子書籍化したもの作った

Kindle Paperwhiteを買っていろいろ入れて重宝してる。ふつうにamazonから電子書籍を購入するだけではなくって、Kindleにはパーソナル・ドキュメントという仕組みがあるので、電子書籍を自分で作ってメールとかUSBとかを介してKindle本体に送ってやることができる。

どうやって電子書籍を作るかというと、いちばん手っ取り早いのは、htmlファイルを用意して、それをKindleGenというコマンドラインで実行するプログラムを使って、Kindleで読めるmobi形式に変換してやる。(以下全部Mac上で作業してます。)

たとえばPLoS Biologyのサイトに行って論文のXMLをダウンロードする。たとえばPetrides and Pandyaだとjournal.pbio.1000170.xmlをダウンロードして、これをxhtmlにリネームして(xmlのままだとwarningが出て変換してくれない)、kindlegenを動かせば journal.pbio.1000170.mobi が出来上がる。

cp journal.pbio.1000170.xml journal.pbio.1000170.xhtml
./kindlegen journal.pbio.1000170.xhtml

xmlファイルの中身をまったくいじらずに変換すると、要旨無し、画像なし、本文だけのmobiファイルができる。要旨や図を入れたかったら、xmlファイルを編集してやればよい。一個なら手作業で、複数ならなんかスクリプト書けばよい。今回は省略。

mobiファイルをMacからプレビューして、正しく作成できているかを見るためにはKindleプレビューツールを使えばよい。機種ごとにどのように見えるかを確認できる。ただし、このアプリを使ってみたところ、動作がけっこう不安定なので注意。

ここまででしばらく満足してたんだけど、せっかくだからこのブログの一部をまとめて電子書籍化してみようと思い立った。といってもKDPで売るとかそういうのではない。

ともあれ必要なデータは以下のとおり:

  • a.opf (電子書籍の定義ファイル。ここで本体のhtmlや目次、表紙のファイルを指定する)
  • a.html (本文をhtmlで作成。スタイルシート(CSS)も利用可能。)
  • toc.ncx (目次の定義ファイル。)
  • a.jpg (表紙の画像ファイル。)

a.opfとtoc.ncxの形式については、最後に置いた参考サイトの情報を見てほしい。基本xml形式なので、必要な情報だけ入れ替えて使えばよい。

それで今度はopfファイルをkindlegenで指定してやると a.mobi という電子書籍ができる。

./kindlegen a.opf
IMG_3859s.png

こんなかんじで私のブログの最近1年分くらいのエントリから研究っぽいものだけ編集したものを作ってみました。さらに元のhtmlファイルからPDFを作成したものも置いておきます。ご自由にどうぞ。

CCライセンスとかちゃんと考えておきたいのだけど、まだちゃんと理解してないので今回はなんも付けてない。

表紙のためのフォントを探していて、ちどりフォント(仮)ってのを見つけたんだけど、非売品だった。


今回のエントリの作成には、以下のサイトを参考にしました:


2014年03月11日

「方位」と「方向」ってどう違うの?

JNS2013 Emergent Properties of the Optic Tectum Revealed by Population Analysis of Direction and Orientation Selectivity メダカの場合は網膜と上丘の両方で方向選択性が作り上げられる。それにしてもなぜ霊長類の上丘では方向選択性がないのだろう?

必要なphotoreceptorとかが足りないわけでもないので、二色性、三色性色覚の話とも違う。だから、大脳皮質で損傷が起こると、皮質下の方向選択性が再生したりとかしないだろうかと考えてる。でも直線的な進化を反映しているようにも思うし。まだわからん。

Lettvin and MaturanaによるFrogのbug detectorはきっとprimateにもあって、それがsaliency detectorとして働いているんだろうと思う。そういう「お話」をどう持っていったら意味のあるものにできるだろうか?

V1ニューロンの選択性とかで、orientationのことを「方位」って訳して、directionのことを「方向」って訳して別物として取り扱っているけど、元々の「方位」の語自体は必ずしも0-180degの範囲ではない(方位磁石とか)。どういう経緯でこういう訳になったんだろう?

こっちのフォーラムでのorientationとdirectionの違いを見るとさらに分かってきたようなわからないような。

たとえば"direct our gaze"という言い方はするがorientは使わない。gaze(見ている位置)は動く。一方でorienting of attentionというときは私を中心にしてそこから注意を向けている。orientって自分は動かずにrotateするかんじか。

方位=orientationには基準があって、方向=directionには基準がないという説明をいくつか見つけたけど、方位というのは(自分からの)向きといったエゴセントリックな含意があるということを反映してのことなのだろう。

追記:「方位」の話はけっきょく、orientationという言葉自体には(たとえば)90度と270度が等価になるような意味はないのだから、正確には「傾きtilt」とでも言うべきなのではないだろうか?こっちなら、水平(0度)から右縦(-90度)までと左縦(90度)までで定義できるし。


2014年03月02日

さうして、このごろ 20130831

「ハンドルネームはひらがなにしろ!」 気持ち分かるわー。だれも「プーニールさん」って呼んでくれないからブログのfaviconにわざわざ「ぷーにーる」って入れた。といいつついざ初対面でプーニールさんって呼ばれたら引くな。(<-自分勝手)

なるほど、生理研には社会脳研究用に2つ並んだMR装置があるけど、じつはあれは転送装置だったんだな。(おれがあいつであいつがおれで、的なあれ。)

朝っぱらからこんだけたくさん蝉が鳴いているわけだが、まさか30年後には食料としての利用というイノベーションによってこれ全部が絶滅するなんてことにはお釈迦様でも気がつくめえ、なのであった。(<-50億羽のリョコウバト絶滅ネタ)

次男の足し算問題100問が一分を切るようになってきて、滑舌がよくなったことを自慢していたので、「人間発電所」のライム(「寺のボーズのようスネアードラムス木魚 お経のBUDDHA STYLE ライムフロー」)を一発決めて、真似できるか?と聞いたら、「無理」とさっくり流された。

"Slow in, fast out"は好き。"first in, first out"はとくにどうという気持ちもない。"garbage in, garbage out"はなんか嫌い。

A:「ちょっと待て!」 B:「ちょっと待った!」 A:「ありがとう」っていう吉本新喜劇っぽいシーケンスが頭をよぎったが、実生活で使うことはありそうもない。


研究所の耐震改修工事が済んで、エレベーターも新しくなったのだけど、そうしたらエレベーターが閉まるまでの時間が長いし、ドアの近くにいると赤外線かなんかで感知して閉まらないようになっている。研究所なんて急いでいる人しかいないのだからもっとさっさと閉まってほしいと思っていた。

でもあるとき気づいたのだけれども、これって「バリアフリー」の一環なのだろうか? 車椅子の人でも、パーキンソン病などで歩行が機敏でない人でも、この研究所では受け入れることができますよというメッセージなのだろうか? 考え過ぎかもしれないがバリアフリーという意図なら文句は言うまい。


20130815

「アンドレアス・グルスキー展」 行ってきた。すごい良かった。緻密化で圧倒的で不思議な遠近感に圧倒された。自分で持ってきた音楽聴きながら2時間以上かけてじっくり見た。MBVとかSeaside Voice Guitarとかかけて見てた。

不思議とザッパが合う。アンクル・ミート辺り。まあまさに、緻密で圧倒的で不思議なかんじだから納得がいく。ドブ川に写った光と影を写した「バンコク」とか衛星写真を貼りあわせて作った「オーシャン」とかすごく良かったけど、写真の面がテカっていて、観客とかライトとかが反射してしまう。

だから、でのせっかくの川面の深い色(「バンコク」)とか、衛星写真の海の深い色(「オーシャン」)とかがちゃんと見えない。これはけっして今回の会場だけの問題ではないのだけれども、なんとかならないものだろうか。暗い部屋に作品だけ光を当てて影を作らないようにするとかそんなかんじで。

学会でも顕微鏡写真のスライドの時とか会場の照明を暗くしたりするけど、あれみたいな感じで。


新宿までブックオフ巡りをしてきた。新宿駅西口と東口の両方に大型店がある。そこで真説ザ・ワールド・イズ・マイン(新井 英樹)をコンプリートしようという算段。西口から東口に移動する際にAflacのデカい壁宣伝ポスターがあるのを見かけた。

それは、将来に対して投げやりで雑な黒いアヒルが「病気なんて起きてから考えればいいだろ」みたいに言うやつで、ブラックスワンじゃなくてブラックダックか、ツイッターのネタになるかもとか考えながら通り過ぎた。

そして東口店には真説ザ・ワールド・イズ・マインの3,4巻がないのを見届けると、西口店にまた戻ることにした。タレブの「ブラック・スワン」の上巻が200円だったので買った。でもそのとき、Aflacの看板のことは完全に失念していた。

そしてまたさっきのaflacの看板を通るところで看板のことを思い出して、「ブラック・スワン」の上巻を買ったことがこの看板に影響されたっぽいことに気づいた。さらに看板をよく見ると、この黒い奴はアヒルではなくて本当にブラック・スワンだった!

西口店で真説ザ・ワールド・イズ・マインの3,4巻を買って、なんかの縁を感じて「ブラック・スワン」の下巻も1000円だったが買った。そして家に帰り、ネットを探し、aflacのは最近始まった宣伝であることを知った。テレビはほとんど見てないのでTV CMもあることは知らなかった。そんな一日。


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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