[月別過去ログ] 2010年07月

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2010年07月24日

勝っている人たちは当然、私だって少しは。

「医療過誤訴訟を生き残る」 というエントリで"How to Survive a Medical Malpractice Lawsuit: The Physician’s Roadmap for Success"という本が紹介されていて、そこではたとえばこんなかんじでプロテクティブにやることを勧めている:

公判前の質問を受ける場面においては、病院の内部でしか通用しないような略語を、むしろ多用するように心がけたほうがいい。原告側弁護士は、しばしば言葉の説明を求めるかもしれないが、略語を多用することで、相手に伝わる情報を、より少なく保つことができる

裁判ってこうやっていかに失点を防ぐかみたいなことをガチガチにやることなんだなと思うと、そういうのが日常の人もいるのだろうということに思い当たって、そら恐ろしくなった。(なんて甘ちゃんなことを言ってる、と思うかい?)

ちなみに学術論文が無味乾燥なのも同じ理由から来ている。学術論文ってのは揚げ足取られないように細かい表現のレベルを調整してぎちぎちに書いてあるものだからだ。(以前、法律の文章のようだ、と書こうと思ったことがあったけど、じつのところ法律の文章がどんなもんだかわたしはわかってない。)

たとえば、ある機能のneural correlateを見つけたという論文を書くとしよう。この論文の結論として、そのニューロンが機能に関わっているとは絶対書けない。機能に因果的に関わっているかどうかは不明だし、同じニューロン活動は脳の別のところにもあるかもしれない。損傷実験やムシモル注入実験とかの関連する報告を踏まえたうえで、機能との関連はhighly likelyだ、とか言うのにとどめることになる。

Neural correlateの研究というのは結局、脳の中にこれこれこういう情報があるのを見つけましたよ、ということであって、本質的にはデコーディングと同一なんだと思う。だからこそ最近の気の利いた論文ではneural correlateの代わりにデコーディングの文脈でものを言ったりする。たとえばfMRIでワーキングメモリをV1からデコーディングとか。わたしはダッサいながらも戦略的にneural correlateについて論文を書いていこうと思っていたけれど、のろのろしているうちにあっという間に古くさくなってしまった。

脱線するけど、かといって、刺激実験をしたからって因果的に機能に関わる、みたいな結論にするのも全然足りない。刺激の下流が関わっている可能性もあるから。損傷とかにしてもそうだけど、そういうすごく単線的なロジックが求められているので嫌いだ。これは認知科学的な機能モジュールの発想を引きずっていて、コネクショニズムとかを通り過ぎた後の発想ではない。たとえば、ある部位を抑制したからってその下流が押さえられるとは限らない。

だから私としては、もっと計算論的モデルをいれて、あるところを刺激したらほかのところがどうなるかと動態を予測するという方向へ行くべきだと思うのだ。そっちの方向へ行けば、かえって予測の精度は下がるだろう。それでも良いと思う。そういう試みが並行して走れば、イノベーションはどこかで起こるだろう。

私が「イノベーションのジレンマ」で好きなのは、3.5インチHDが現れたときとか(さらにいまだったらSSDでも)、破壊的イノベーションが起こったときは、新興が手がけていて、スペックとしては先行するものと比べたら低かったということだ。しかし最終的にはその機能を上げて、先行者を追い越した。(これを胸に置くことは良いことだけれども、だからといって逆は真なりとは言えない。当然。だからこそ、そういう試みを並行して走らせればいいのだ。)

いまmulti-unitやLFPやECoGを使っている人は、single-unitだったらできたような個々のニューロンに対する課題条件の最適化を捨てて、その代わりに得られるものを求めているんだと思うし、私も次のプロジェクトは全面的にそちらに向かっている。

だからこそ、わたしが目を向けているのは、そういった新しい実験パラダイムでのデータのサンプル法(overtrainingと繰り返し前提の行動課題のデザインに留まらない)についてだ。つまり、大澤先生がやってるような刺激空間をいかにして網羅的かつ効率的にマップしてゆくかという問題だ。

しかもそれを知覚だけでなくて、知覚と行動の連関、つまり環境-個体のinteractionのレベルでマップするにはどうすればよいのかと考えている。はじめから網羅的にマップしなくても良いけど、それでも操作的脳科学になるようにぐるっとひとまわりできるようにしておく必要はあるだろう。

ぐるっと話を戻すと、それでも学術論文を無味乾燥でなくエキサイティングなものにすることは可能だし、読んでてこれは面白いと思ったことはいくらだってある。だからこそ論文コメントブログなんてやってるわけで。うまい人はホントにうまく書く。私もそうありたいと思う。自分の論文が毎度日本人的なこまっかな議論に落ち込んでいくのをなんとかしたいと思ってる。ぶっといメインのラインをいかに印象的に書くか(スティーブ・ジョブスの演説みたいにね)、あれこれひっくり返して考える。

それに揚げ足取られないようにきっちり書いてない論文ってのは、もう安全地帯にいる大御所か、逆に泡沫方補の演説みたいな論文にしかならない。揚げ足取られないようにきっちり書いている論文は、高校野球の試合で選手がきびきびしているのと同じようなさっぱり感というか、基本ができているかんじがある。ここをないがしろにして良いなんてわたしはぜったい言わない。

そもそも両者(エキサイティングであること/揚げ足を取られないこと)は両立する。みんなが苦労しているのは、NatureやScienceに載るほどエキサイティングな主張でありながら、揚げ足を取られないような完璧な論理構成を作る点にあるはずだ。

さらに話を戻すと、医療訴訟のように失言が命取りな世界で戦いを日常にしている人がいて、そういうのにわたしはビビったりするけれども、じつのところ研究の世界も同じなわけで、まさに戦いを日常とした世界にいて、いかに相手を黙らせるか論争的でありつづけている。

勝っている人たちは当然、私だって少しは。


追記。Twitterではこうやって話を閉じたけれど、わたしはいま自分がそういう戦いの世界にいるというイメージは持ってなくて、いかに想像力をぶっ飛ばしていけるかということに重きを置いている。その世界では、戦いの世界のように萎縮していたら、想像を広げることはできないと思うんだ。わたしが何度も繰り返して表明してきた「恫喝的コミュニケーションへの反発」とはそういった世界観の部分で繋がっている。

今日のエントリでは、A-B-C-B'-A'という変な構造を採用して、いつもどおり直線的なロジックを回避した。当然、A-A', B-B', Cと話を分けるべきだ。そうしなかったのは、A-B-Cの関連性にインスピレーションをかき立てられたからで、そういう意味では『脱線だけど』とか書いたけど、本人は全然脱線だと思ってない。それが論文で書くような直線的なロジックとの違いのはずで、そういうことが伝わると良いのだけれど。(<-今日いちばん言いたかったこと。)

「刺激空間をいかにして網羅的かつ効率的にマップしてゆくかという問題」についてはもう少し書いておきたい。と思ったがすでにエントリが長い。またにします。(<-こいつゼッテー続ける気がない)


2010年07月17日

日経サイエンス記事を翻訳しました

どうもご無沙汰してます。LAから帰ってきて、アムスに行ってまた帰ってきて、肩まで伸びた髪を切って、西海岸風ヒッピー系ナードから、元のだらっとしたかんじに戻ってきました。さていろんなことが溜まっている。
で向こうに行っているあいだにひとつしたのが、日経サイエンス記事の翻訳です。ちょうどいま発売中の日経サイエンス2010年8月号に出てます。
タイトルは"Uncanny sight in the Blind" 「盲人の不思議な視覚」 タイトルからわかるように、Blindsightの話です。元記事はScientific American 5月号のdeGelderの記事です。けっこうタイムラグが少ないなって印象があった。翻訳作業は4月だったけどそのときはまだ元記事が出版されてなかくてゲラ状態だったし。
deGelderはオランダの人で、Weiskrantzのところでやっていたaffective blindsightで有名。つまり、emotionに関連する視覚情報(怒った顔とか)はV1を通らずに直で扁桃体まで行くって話。
「英語で読む日経サイエンス」っていうページで私が訳した記事の訳文と元の文章が並べられてます。恥ずかしい。これをみて受験生が勉強に使ったりするのだろうか。このページの中にある例だと、"sidling"を「カニ歩きする」とかちょっとおちゃらけぎみに訳してみたりした。"it also does not make sense"は「意味をなさない」とか堅めに訳したら、編集部が「支離滅裂である」という表現に直してた。いま思うに「あり得ない」くらいでも良かったかも。
視覚障害の話題なので言葉の選び方とかえらく注意したのだけれど、元記事のタイトルは"Uncanny sight in the blind"。Uncannyって例の「不気味の谷」の「不気味」ですよ。どうなん、それ。タイトルの写真は目隠しをしている男性の写真なのだけれど、その目隠しに目が描いてあって、明らかに不気味な感じを意図している。辞書の定義では"seeming to have a supernatural character or origin: eerie, mysterious" なんで「不思議な」と処理しておきました。とりあえず間違ってはいないと思うんだけれど。
ともあれ、これが私にとって商業出版で翻訳をした初めての経験だったのでなかなか難儀しました。これまで科学系の翻訳書を読んでは、これはひどい訳だ、私がやればもっとうまくやるのに、と思ったものだけど、自分でやってみるとやっぱり難しい。いかにかみ砕いて表現するかとかそのへんはたぶん、労力と時間をかければもっとマシにすることはできる。しかしやっているときりがない。たぶんこねくりまわさずに、ざっと行くスピード感が必要なんだろうなあ。
大学生くらいの頃はアメリカの現代小説(アーヴィングとか)の訳書とか読んだりして翻訳に興味を持って、バベル・プレスの「翻訳の世界」(いま調べたら名前が変わってる!)とか購読したり、安西徹雄の翻訳英文法(新装版)読んだり、関連するワークブック(「英日翻訳トレーニング・マニュアル」)とかやってたことを思い出した。今回も、そういえば名詞句が主語の時は副詞句的に訳すんだ、とか思い出した。訳例で言えばこことか:"These discoveries spurred further systematic investigations of animals lacking the primary visual cortex. " 「これらの発見に刺激されて,第一次視覚野を失った動物を使った系統的な研究が進められた。」
だらだらしてきたんでこのあたりで。ではまた。次回はASCONEおよび生理研研究会について。
P.S. 「翻訳の世界」についてネットで調べてたら見つけた:『翻訳の世界』元編集長 今野哲男さんにきく


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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