[月別過去ログ] 2012年11月
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■ 「そのハウスに滑り込みな」
前回の続き。The 13th floor elevatorsの曲でいちばん好きなのは2ndの第一曲目、"slip inside the house"だ。とはいえ1968年生まれなもんで、最初に聴いたのはPrimal Screamによるカバー(Screamadelica 1991年)。こっちは歌詞も変えられているし、曲としても短いが、すごくよい。このアルバムの中でいちばん好き。
でもって、オリジナルの方は8分あって、ロッキー・エリクソンのボーカルのただならぬ雰囲気に圧倒されて曲を聴き終えてしまうという名曲なんだけど、歌詞の内容はさっぱり理解せずに聴いてきた。本腰入れて調べてみようかと辿っていたらこれを見つけた。A QUEST FOR PURE SANITY - THE PSYCHEDELIC POETRY OF TOMMY HALL
このサイトが指摘しているように、この曲の歌詞の特徴は、オカルトチックな混淆主義だ。歌詞から単語を拾ってみよう: bedouin / Alpha / disciples / caravan / Noah / baptismal / Twice born / gypsies / Maya / angels' mine/
われわれ日本人はこういう「ムー」的なものの帰結をよくよく経験しているわけだが、ここではそれには言及しないでおく。
曲全体としては、これはお経みたいなもんで、enlightenmentの過程をステージごとにさまざまなイメージを示しながら、the houseを見たならば通り過ぎずに潜り込め、と繰り返し喚起する。
"the house"という隠喩についてはこんなことが書いてある:
This is what each "house" means: it is a temporary state on the way to illumination, but a state that should be cherished and accepted -- slipped into -- rather than dismissed.
曲全体としては「出家のススメ」みたいなもんなんだけど、「入家 "inside this house"」になってるってところも面白い。
曲のラストはこんな感じ。試訳:
「一つ目の人々は君臨などしていない、彼らは同じところで行進しているだけだ、それも二つ目の人々が秘法を学びその力に満たされるまでのこと、三つ目の人々は文句は言わない、望むところでヨーヨーできるのだ。三つ目はお前が通りすぎたこの「ハウス」に滑り込んだのだ。お前も通り過ぎるなよ。」
三つ目が開くってのはヨガでチャクラが開いちゃうやつ。これはこじつけでもなんでもなくて、このアルバムの裏表紙にはヨガのチャクラの図が全面に示されている。(じつはそっちをこのアルバム(Easter everywhere)の表紙に持ってこようとしたのだけれども、あまりに一つの宗教へのreferenceが重くなってしまうという指摘を受けて変えたそうな。)
「ヨーヨー」ってのは、要するにアップとダウンを繰り返すってことだろうねえ。いつでも、どこでも。
このサイトも参考になる。Songs I Wish I'd Written: "Slip Inside This House" by the 13th Floor Elevators
2012年11月26日
■ 俺がもし人生をもう一度やり直せるなら、the 13th floor elevatorsで壺にマイク突っ込んでトゥクトゥクいう役、あれをやりたい。
テキサス出身のガレージ・サイケ・ロックバンドthe 13th floor elevators。ロッキー・エリクソンが曲とボーカル担当、トミー・ホールが歌詞を書き、壺にマイク突っ込んでトゥクトゥクいう役(electric jug)だった。(聴いたことのない人には何を言っているか意味不明かと思うが、探せば見つかるし、見つけて聴けば、なにを言っているか分かることだろう。) このふたりがthe 13th floor elevatorsの中心だった。ロッキー・エリクソンがもともとR&B系のソウルフルなロック・ボーカリストであったのを、ドラッグと神秘思想で洗脳してしまって、世界ではじめての「サイケデリックロック・バンド」にしてしまったのがトミー・ホール。
(ちょっとしたバンドのバイオグラフィー:) トミー・ホールの指示によって、バンドはギグを行うときは常にアシッド下で行うというあり得ない状況を続け、ロッキー・エリクソンはだんだんおかしくなり、バンドはアルバムを二つ出してほぼ解散状態となり、サードアルバムはギタリストのステイシー・サザーランドが余ったマテリアルを使って作成してバンドは終了した。ロッキー・エリクソンはマリワナで複数回逮捕されて、刑務所行きを避けるために精神病院に入院し、そこで電気ショック療法を繰り返し受けたりといった数奇な運命を辿るが、2000年代にはカムバックを果たす。ステイシー・サザーランドは70年代に妻に射殺された。そしてトミー・ホールは13th floorのあとは音楽の世界からは離れて暮らしてきた。
Where the Pyramid Meets the High オースチン・クロニクルによる、2004年のトミー・ホールへのインタビュー。
In fact, I never was a musician of any sort … They didn't really need me, but we became friends, and they let me play the jug, but I wasn't that accomplished at it.
Everything I wrote was inspired through my taking LSD. I invented the electric jug totally out of my desire to find a place onstage with this new group, so I could be a part of it, and so I could communicate my new ideas through the lyrics I wanted to write.
自分はミュージシャンであったことはないし、あくまでステージ上での居場所を作るためにelectric jagを発明したのだという。
この人はコージブスキーの思想の元で歌詞やライナーノートを書いていたそうだ。わたしのヒーローGregory Batesonが影響を受けたコージブスキー。といっても、"The map is not the territory"しか知らんけど、私が理解する限り、これは「言葉/概念が心を変える」という思想なわけで(だからNLPとかそれ系に影響を与えた)、以前書いたように、Gregory Batesonが徹底的に表象からスタートしてものを考えるのだということがうかがい知れる。
テリー・ホールが書いた(1stのライナーノートはこんなかんじでマニフェストみたいになってる:
Recently, it has become possible for man to chemically alter his mental state and thus alter his point of view ... It is this quest for pure sanity that forms the basis of the songs on this album
そうすると、この"pure sanity"ってのがコージブスキーの主著"Science and Sanity"(科学と正気)から来ているのだろうということは分かる。私がこのライナーノートをはじめて読んだときには、ランボーの「詩人は長期間の破壊的で計算された錯乱によって見者になる」を思い起こしたものだけど、後述のように、horizontal thinkingというのが瞑想であり、daydreamingであることからすると、そんなには間違っていなかったんではないかと思う。
前述の2004年のインタビューの続きで、現在トミー・ホールが何をやっているかが語られているのだけど、まあなんつーか、いろいろ終わっちゃってるってことがよく分かる。
[オースチン・クロニクル]: In 1985, I read about this research you've been doing, and you said then that you were preparing to put your findings in writing. Could you elaborate on what your studies have been and when you will complete your project?
[トミー・ホール]: I've been working weekly on my search for the perfect sanity and truth of the universe. It has been very complex and turned out to be a lifelong endeavor. My studies have gone way beyond that now.
[オースチン・クロニクル]: Does it have anything to do with horizontal thinking and logic? Has this been the factor that caused such a long study? How is horizontal thinking accomplished?
[トミー・ホール]: I could try to explain it, but my mind would revert to the pure mathematical state required for horizontal thinking. You will just have to wait until I put it in writing.
… 「(horizontal thinkingについて)説明しようと試みたことはあるのだが、そうすると私の心は(中略)純粋数学的な状態に立ち戻ってしまうのです」だって。まあ、トミー・ホールの哲学とやらがまとめられて出てくる日はけっして来ないだろう。
(なお、自己啓発本とかで出てくる「水平思考」はlataral thinkingの訳で、horizontal thinkingとはべつもの。wikipedia )
そんなわけで、ここになにか深いものがあるわけでもなかろう。それでも、この音楽の価値は変わらない。
The 13th Floor Elevatorsのバイオグラフィーが出版されている。Eye Mind: The Saga of Roky Erickson and the 13th Floor Elevators Amazonで見ると、けっこう評判も良い。絶版になる前に買うか。
出版社のサイトからは9章が読める。9章のタイトル("Hamburger and Acid")はトミー・ホールがサンフランシスコ在住時に、バンドの金巻き上げてぜんぶLSDと粗末な食事に変えてたって話から。まあ、いろいろとめちゃくちゃなことが書いてある。ロッキー・エリクソンはトミー・ホール夫妻の家にほとんど軟禁状態だったとか、二夜連続でギグがあるときはアシッド一回で済むからお得だとか。
注文した。本が届いた! ちらちら読んでる。そしたら、トミー・ホールは2ndアルバムの制作中に自分のアイデアを100%込めることが出来なかったことに苦しんで脱退を決意したとか、ロッキー・エリクソンはemotionを重視する一方で、トミー・ホールは伝えるべきinformationを重視し、両者が衝突し合った、とか書いてあって、ずいぶん印象が変わった。
上記の、「ナイーブなロッキーエリクソンをトミー・ホールがLSDと神秘思想で洗脳して言いなりにして、バンドを支配した」みたいなストーリーはなんか全部吹っ飛んでしまった。面倒くさいので直さずそのまま出す。
さてさて、前述の2004年のインタビューのあとでトミー・ホールはどうなったかというと、Houston Pressの2009年の記事によれば、
He survives on government assistance, leaving little money for anyone to steal.
Ask Hall what he's been up to lately and he'll answer that he's been "running the design." The exact nature of this design is something even his close friends cop to not quite understanding. His explanations are dotted with mentions of the fourth dimension, yogic theories and patterns in the universe. It doesn't make a lot of sense.
まあ、生活保護を受けながら、引きこもりながら、精神世界の中で生き続けているというかんじらしい。
2012年11月17日
■ 今日のエミスタ川柳
エミスタとは: Ina Researchホームページの説明
(7/13)今日のエミスタ川柳:休日の動物実験施設に行って、誰もいない施設でエミスタの中に閉じ込められて消毒液を噴霧されるときの今大地震が起こったらどうなるんだろう感は格別。
(7/15)今日のエミスタ川柳:暑い夏の日に動物実験施設に行って、誰もいない施設でエミスタの中に閉じ込められて、エアシャワーを浴びたときの汗の飛び具合と快適感は格別。
今日のエミスタ川柳2:動物実験施設に行って、誰もいない施設でエミスタの中に閉じ込められて、エアシャワーを浴びながらこんなときに地震が起こったらどうするんだろう、と考えていたら目の前に「非常ボタン」があることを発見したときの安堵感は格別。
今日のエミスタ川柳3:動物実験施設に行って、誰もいない施設でエミスタの中に閉じ込められて、エアミストを浴びるときにちょっと背伸びしてミストを頭に直撃させて楽しんでいるときの、人に見られたくない感は格別。
世界でひとりの「エミスタ川柳家」を目指します。それによってグリーン・イノベーションに貢献します。(<-なぜかグラント公募申請書風)
(8/10)帰ってきた今日のエミスタ川柳。夏の暑い日にエミスタに入ってミストを浴びている時に、ふとここで歌ったらよく響いていいんじゃね?とか思って歌っている最中に、面識はあるが話したことのない微妙な距離の研究者と鉢合わせた時の気まずさはプライスレス。
(8/12)帰ってきた本日のエミスタ川柳:夏の暑い日の日曜日に誰もいない動物施設で処置をしていたらビクタス持ってくるのを忘れたことに気づいて、それだけのためにもう一度エミスタ往復しなければならないはめになったときのやるせなさは無限大。
帰ってきた本日のエミスタ川柳:夏の暑い日の日曜日に誰もいない動物施設で処置をしたら忘れ物に気づいて、エミスタ通って出てから忘れ物取ってきて戻ってみたら、まだエミスタが人が出た後の洗浄作業をしていたのを発見したときの達成感はプライスレス。
ちなみにエミスタとビクタスで韻を踏んでいる。(<-踏んでない)
(8/19)帰ってきた今日のエミスタ川柳:と言いたいところだが、とくになにもない。夏休みの宿題の絵日記で「今日は何もなかった」と書きたくなるようなそんなかんじ。白紙のページ、先の丸まった鉛筆。
(8/24)帰ってきた今日のエミスタ川柳:夏の暑い日に今日も今日とてエミスタ通過とか考えながらファルセットで歌ってみたら、それがザッパの「セクシュアリティ・ガスマスク序曲」であることに気付いて、まさにこの消毒用エアミストを浴びながら歌うにはこれしかないであろうことに気付いて我ながら感激した。
飽きたので終了。
2012年11月10日
■ 妄想(delusion)と幻覚(hallucination)の違いについて
Keisuke Suzukiさんとのツイッターでのやりとり(20120717)。
ksk_S 誰と話してたときだったか忘れたけど、ラバーバンドで元の手の温度が下がるのも面白いけど、ヒスタミンレベルまで下がるのはすごいねという話がでた。認知における自他が、免疫における自他と一致する必要性はないのに。
ksk_S あと、ちょっと不思議なのが、身体所有感や、運動主体感、自分の声や、思考ですらも自分に属してる気がしなくなる「妄想」が起こりえるのに、視覚にはその手の誤帰属が起きるという話がないということ。Derealizationはそれなのか?ちょっと違う気もする。
pooneil @ksk_S たとえば「今見ている視覚像はわたしではなくて別人が見ている」という信念ってこと? たしかにあり得なさそう。>> 視覚にはその手の誤帰属が起きるという話がない
ksk_S @pooneil その通りです。視覚は自らが視野の中心であるという感覚に揺るぎがないような。metzingerのOBEの議論でも、弱い一人称性は常にカメラのある位置に立ち上がる。
pooneil @ksk_S 身体性にもとづくagency自体はTPJとかあのあたりで作られるのだろうけどとにかくそっちはいろいろ揺らいで、外界にそのcontentを投影しているだけっぽい視覚の方は揺らがないというのは、あたりまえのような、そうでないような、面白い事態な気がします。
pooneil 「我思う、ゆえに我あり」ではなくて、「我見る、ゆえに我あり」?
pooneil 視覚では視覚のcontentはいろんな錯覚で揺らぐのと同じように、agencyは体性感覚や固有感覚でのcontentなので揺らぐ、と整理できる? 視覚では見る側が揺らがないということではなくて、端的にそれは視覚でのcontentとなっていない(視覚にとって外部である)ということ。
pooneil でも変かな。われわれが眼や頭を動かして視野像を繋いで視覚世界を作るというときにはその自己の運動は視覚にとりこまれているわけで、ほかでもない「わたし」が眼や頭を動かしたのであって、誰か他人ではない(とまでいかなくても、世界が動いたのではない)、という情報は持っている。
ksk_S @pooneil 身体性の感覚はagencyにしろownershipにしろ揺らぎますね。外界の投影としての視覚は、常に「外」なので揺るぎなくて、主体としての自己と帰属された自己が入り交じる身体感覚は、混乱しやすいということなんですかね。
pooneil @ksk_S そっか、「主体としての自己と帰属された自己が入り交じる」ここが今の話の本質ですね。
ksk_S @pooneil 何がcontentかを考えると整理できそうな気がしますね。気になるのは視覚はhallucinationは起こるけど、delusionalにはならないという点。身体の帰属自体がある種のdelusionだと考えると、それも自然な気もしますが。
pooneil @ksk_S そもそもhallucinationとdelusionの違いが分かってないのだけれども、hallucinationは知覚のcontentのレベルで、delusionはその知覚を元に判断(表象)している表象部分? 妄「想」っていうくらいだし。仏教でいう受と想の違い。
pooneil いや、ちがう、端的に日常言語的に、hallucinationは知覚のレベルで、delusionは思考のレベルだと理解していたのだけれども。
ksk_S @pooneil hallucinationは本来ならそう知覚されるはずべきものとの「ずれ」、delusionは世界とはこうあるはずものとの「ずれ」。低次か高次かという違いな気もするし、delusionは何か暗黙的で大きな世界観とのずれが際立っている印象。
pooneil @ksk_S なるほど、そこでprediction errorの出番ですね。どのスケールでのエラーなのかの違いか。
ksk_S Antonio Damasio, et al "Persistence of Feelings and Sentience after Bilateral Damage of the Insula"
ksk_S insular失ってもfeelingは残るのか
2012年11月07日
■ 2012年のカブトくん脱出の観察日記
今年の夏のツイッターからカブトくんについて書いたものを集めてみた。
(7/24)今日は蒸し暑い夜なので、カブトムシが虫かご(フタ無し)から脱出して、ごそごそとやっているのが聞こえる。どうか俺に踏まれないようにしてほしい。
カブトくんは端的に道に迷っていたようだ。虫かごから脱出して、買い物袋を登ろうと難儀してごそごそしていたのだった。虫かごに返してあったら。なんだか静かにしている。とりあえず私が寝るまではしばらく静かにしていてほしい。
(7/30)カブトムシが脱出して、寝室を縦横無尽に飛び回っております……(<-三点リーダは偶数個で使わないといけないんだって)
(7/31)カブトくん今日も元気に脱走中。まだ21時前なのに。でもしょうがない。フタが新聞紙なのだからw 奴が羽ばたくと、部屋にカブト臭(樹液っぽい)が立ちこめる。
カブトくん、絶好調。うるさくてかなわないのでとっつかまえてお家に返した。
カブトくんたちが元気すぎて、ケンカしている。マジでツノで突き合いしてらっしゃる。
(8/3)カブトくんが脱走する気満々では音をばたばた言わせているのだが、今日はフタの新聞紙が二枚重ねで、しかもそれがずれていたのを直してあるのだ。(<-ドヤ顔)
(8/11)近いうちに(<-今年の流行語大賞)、カブトくんを知らずに踏んづけてしまう事故が起こってしまうのではないかと危惧している。そっと歩くしか対策はない。
(8/29)なんとか23時前にやるべきこと終了した(自慢げ) -> 駐車場に戻ってくると昨日とは打って変わって蒸し暑い夜 -> カブトくん活発化 -> 布団で寝モバ -> 耳元で羽音 ->超びびる -> 家族は全員爆睡 -> ふんづかまえて巣に戻す -> 手を洗って横になる -> イマココ
(9/6)9月になったというのに我が家のカブトくんはまだ羽音を鳴らして元気だ。さいきんはコクワガタがどんどん脱走するのだけれども、羽音をさせないのでみんな気付かない。いつの間にか脱走して、寝る前になって誰かに見つけられてお家へ強制送還させられる。
いやいや、脳天気すぎたか。羽音も元気がない。もう秋なのだから、カブトくんとはお別れの時期なのだ。
(9/7)今日は暑い夜なので、カブトくんの元気が回復してまた荒々しい羽音を立てている。「キミは、明日まで飛びたいのか?」と問いかけた。(<-「紙飛行機」と「ゼンマイじかけのカブト虫」が混ざったようす)
(9/12)カブトくんが脱出するたびについったに記録しているので、あとでみるといつ脱出したのが分かるというナイスな記録。
(9/18)「伝道者ILL!」とか「フリー・サトパル・ラム!」とか叫んでみたいが、横では次男が爆睡しているし、カブトくんはまだまだ元気でフタをかぶしてやんないといけない。「そして天まで飛ばそう」
ここまででツイッタへの言及はなくなっている。しばらくして今年はカブトくん全員亡くなっていることを奥さんから聞いた。
それでもコクワはもうしばらく元気でいた。ある日のこと、私が前日脱いだ靴下を再利用(<-ヤメれ)しようと履いたら、中に異物があってびっくりして確認してみたら、それは靴下に紛れ込んだコクワだった。びっくりしたなあモウ。
2012年11月01日
■ 上丘についていろいろ(5) transsaccadic integration
とりあえずstaircaseで自分のluminance contrastのthresholdを決める。ギリギリになってくると、画面の刺激だか、画面のムラだか、自分内ノイズだかわっけわからん。昔の網膜出血の残りで飛蚊症があるので、自分内ノイズ高すぎ。ほんとにわっけわからん。
trassaccadic integrationみたいなことを自分でテストしている。サッカード前にperipheryにある刺激をidentifyしたのか、それともサッカード後にfoveaにある刺激をidentifyしたのか、自分でやっていてさっぱり区別がつかない。
SRTから推測するに、postsaccadicにfoveaで見ている時間はほとんど無いはずなのだけれど、presaccadicにperipheryで見ているような気がしてならない。ああ、こうやって日が暮れてゆく。
もちろん、これこそが連続性を作るメカニズムなのだけれど、それを使った課題を作ってみたかったって話。
サッカード前後の知覚について論文を調べていたんだけど、MorroneとかのストーリーとDuhamelとかのremappingの話とかに終始してなんか代わり映えしないなあと思ってた。 そしたら、@kanair さんの日本語レビューを発見した。これがすごい面白かった。連続性よりも断続性を強調する、predictive codingなどへの展開、サッカードと視覚の相互拘束的関係とかみどころたくさん。感激してメールした。
ほかにもいろいろ調べてくれば出てくるのだけれど、Transsaccadic memoryとかtranssaccadic integrationみたいなキーワードでいくつか見つけた。いちばん新しいあたりだとVis. Res. 2010 "Parametric integration of visual form across saccades"とか。
サッカードでなんか出したいのだけれども、盲視に本質的なところでないとつまらない。すぐに浮かぶのはWurtzのdouble saccadeだけど、これはparietal lesion向きだと思う。Saccadic adaptationは試行数がたくさん必要なので不向き。
盲視ではtarget localizationはできるけれども、contentはわからない。そこで、transsaccadic integrationができないことと視覚意識を持てないこととを繋げられないかとか考えてる。
Deubelの仕事で、saccade中にtargetが移動しても気づかないが、targetの移動時にgapを入れると移動に気づく、という仕事がある。これはやりやすいかも。また、内観報告と眼の動きとの乖離も期待できる。まずはsaccadeなしで移動が弁別できることを押さえてから。
ただ、それだったらWurtzのdouble step taskのほうに持って行った方がキャッチーであるとは言える。意識との関連ではなくなるが。もしSC->MD->FEFが必須なら、V1 lesionでも起こるはずだ。だが起こらなかった、という結果になればサプライズが生まれる。
でもって、internal modelの維持には意識が必要であるってストーリーとつなげる。よし行った!(<-毎度の皮算用)
saccadic suppression, visual stability, internal modelこのへんでWurtzストーリーに乗っかったうえで、どっかで異議申し立てが出来ればよい。
Wurtzのストーリー的には、saccadic suppression(SS)はSGI->SGS->Pulv->MTとなっていて、corollary discharge(CD)はSGI->MD->FEFとなっている。
WurtzストーリーのままならV1 lesionによって、CDもSSも変わらないはずだが、どちらかだけ変わってくれるとインパクトがある。たとえば、CDは使えるがSSは効かなくなるとか。もちろん盲視でSSやCDをどうやってみるかってところがchallengeであって、簡単ではない。
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- / 投稿日: 2012年11月01日
- / カテゴリー: [上丘、FEFと眼球運動]
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