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■ 「100分de名著 ブルデュー」を読んで自分語りした

ネットでよく出てくる「文化資本」とかあのあたりをちゃんと知りたいと思っていたが時間がないので「100分de名著 ブルデュー」を読んだ。これは面白かった。たしかに(作者がいうように)、これは自分語りしたくなる。


自分は高度成長期に上京してきた中卒の父と母が死にものぐるいで起業した町工場の家の長男だったので、家に文化的なものはなかったし、おもちゃも買ってもらえなかった。自分は家族の中でひとりだけ突然変異的に勉強ができたのだが、とくに褒められることもなく、逆にプレッシャーもなく、一人遊びばかりしていた。小学校時代は自宅兼町工場でひとり、対数計算尺を紙で自作したり、近所のゴミ捨て場で拾った化学の参考書をみて周期表を書いていた。自分の原風景は町工場でAMラジオから流れていた演歌や歌謡曲だった。

(80年代当時はツッパリハイスクールロックンロールなヤンキー文化の時代で、その暴力性に心底怯え(自分は当時ある傷害事件の被害者となった)、中学受験をして地元からの脱出に成功した。いまだに「闇金ウシジマくん」「地元最高!」とかガチで怖くて読めない)

中学は私立の進学校にも合格したが、国立の進学校に行った。それは共学だったからというのもあるけど、うっすら親の経済状況を気にしてのことでもあったのだと思う。(この選択について、自分は親孝行だと自認していた。) その中学は、私のように勉強で成り上がってきた者と附属小学校上がりで金持ちの子息とが混ざる残酷な環境で、私はすぐに差別問題に注意が向いた。(朝日訴訟の本とか読んでた記憶がある)

こんな育ちだったので、自分は上流社会的な文化には馴染めなかったし、そこでのハビトゥス(服や時計や靴や所作がそのトライブに入るために重要だ)というものを嫌っていた。大学受験のときに自分は医学部には行こうとは発想からしてまったくなかったのだけど、いまにして思えば、あの文化に入らずにいて正解だったと思う。

100分de名著の著者が「好きな映画監督はカウリスマキ、音楽はジャズ、クラシックではグールド、でいかにもインテリ」と自虐的に書いてる。これはよく分かる。自分とは全然かすってないし、正直そういうのにうっすらとした嫌悪感もある。 (もちろん、そういう嫌悪感を表出するような愚は犯さないように中高の時点から自分を律してきたつもりだし、これは自分の弱点であると自覚して、オープンであるように自己研鑽してきた。でも知らず知らずに漏れ出していたと思う。)

そうした志向からけっきょくサブカル、アングラに吸収されて、ありがちなトライブに収まった大学生の自分は、まさにブルデューの言説が示すとおりだった。(なお、ここで言うサブカルとは、文学的な上流社会のものではなくて、根本敬/青山正明的なものを指すのだが、当時の自分には区別がついてなかったので、単館上映映画とかアメリカ現代文学とかも含めて、混ぜこぜで消費してた。)

そんな自分にとっての大きなターニングポイントがゼロ年代にオタクに目覚めたことだった。

古のオタクの価値観では、裕福な家の子供でたくさんのものを買い与えられて、それに基づく文化資本を構築した者ほど偉いというヒエラルキーがあるので、自分にはまったく縁のない、むしろ敵対するものだった。

じっさい、自分は特撮やロボット物にいっさい興味がない。(もちろん小学生当時は観ていたが、それに対するノスタルジーを持っていない。) コレクター気質もない。そういうわけで、オタク第一世代(ヤマト)、オタク第二世代(ガンダム)ともにかすりもしなかった。

オタクに向いた時期的に自分はオタク第三世代(エヴァンゲリオン)に分類できると思うんだけど、ロボット物に興味がないので、いまだに見たことがない。(3話くらいまでみて脱落した)

でも就職して消費にお金が使えるようになり、ゼロ年代にインターネットの発達でさまざまな言説が手に入るようになった。Youtube前の時代にデモ動画とか観まくったのも大きかった。 並行してそれまでの雑誌文化が衰退してきた。それまで購読してたStudio voice、MARQUEE、クイック・ジャパン、危ない1号とかがみるみる終わっていった。(実際に終了したものもあれば、内容が変わっていったものもあるが。) そんなわけで自分はサブカル、悪趣味文化からオタクへと移行してきた。(たぶん、上流階級的なサブカルの人だったらそこで文芸誌や現代思想に向かったのだと思うけど、自分はそちらに行く素養がなかった。)

さてこれで自分はどういうトライブに属したかというと、ありがちなネット民(はてな的なギーク寄り)と化したんだと思う。自分は世代的にはバブル世代なのだけど、属している文化的なトライブは氷河期世代かもしくはもう少し若いところで、なんかちぐはぐになってる。星屑テレパスのアクキーとかぶら下げていい歳じゃないんだ

同窓生の集まりで「昔の音楽は良かったけど、いまの音楽はわからん」って話を聞いたり、人生逃げ切ってアイリーリタイアしてる人の話を聞いたりとかしてうんざりしつつ、じゃあ自分はどうなの?と自問する。

研究者/大学教員をやっていると、親も研究者/大学教員をやっていたという話にしばしば出くわす。やっぱそういうものかと思うが、親を選べるわけでもなし、本人についてなにか思うことはない。でも、その周りが「XX先生はサラブレッドだからw」とか発言しているのをみたときは、嫌悪感が高まって、平静を保てなかったことを覚えている。

だんだんとっ散らかってきたので、ここまでとしよう。結論がなにかあるわけではないけど、自分は自分であるように掘り続けてゆくだけ、それがありがちなところに着地にするのだとしても。


いやいや、これで終わるのは逃げか。ブルデューから始まったのだから、「階級意識」に踏み込むべきだよな。まずは、上のように整理することが出来たのは、自分が隠し持っていた階級意識を直視できたから、と言える。

あともう一点、私は私で、独特の、強烈な階級意識を隠し持っているのだが、これは言語化しにくい。先日ふと気づいたのは、「誰もが忌み、やりたがらないことを人知れずやるやつがなによりも偉い」という強烈な価値観を自分は持っているということだ。でもそれはこの言葉が示すような単純なものではないし、「ノブレス・オブリージュ」とも違う。これは差別問題とも関わっていて、言語化に気を使うので、今はここまでしか書けない。


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