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■ 「ハーモニー」読了した
2012/10/28
「ハーモニー」読了した。よかった。いろいろ突っ込みたいところはあったし、いろいろ説明もしくは書き込みが足りないんじゃあないかとも思ったのだけれども、よかった。
あの理屈では「意識」は生まれないし、あの理屈では「ヒトだけに意識が出来た」というふうにできないだろうとかは思った。でも、「意識なんかなくなってしまえばいいのに」っていう強いメッセージを受け取れて、それがすごくよかった。本当はもっと外堀を埋めてこそ伝わる気はするのだけれども。
正直、これまで聞いていたヒントと、冒頭でetmlってのが出てくるところで予想できてしまったところはあるのだが、わたしの問題意識として重なるからすごく惹きつけられた。はたしてほかの人にとってはどうなんだろう、って気になった。これからネットで感想漁ることにする。
たとえばとあるアマゾンのレビュー「この話の最も重要なSF的モチーフの一つである「意識のない人間」というものがどうも腑に落ちない。人々から「意識」が失われる、といって何事か問題のあるように思えない。」
この人は逆転クオリアを意味のある問題だとは捉えなさそうだ。
あと、ここで指している「意識」とは「自意識」のことなんだろうなあと思わせるところがあったが、性急すぎてかつ舌っ足らずだとか思った。
ただし、意識がなくなると、(エピソード)記憶もなくなっていた。ここは評価できる。そしてそこにおぼろげな幸福感もあったと言っていて、これもいい。
ちょうど松沢先生の話を聞きに行って(本読んだのと合わせてこれで三回目だが)、「チンパンジーは今ここを生きているから絶望しない、人は絶望するから自殺もするが、希望を持つことも出来る」っていうのがメッセージで、驚くくらい同じことを言っていたような気がする。