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■ 「ズモフ/バルーン型投光機/ビュッフォン」(さうして、このごろ2018年1-3月版)
「コチュジャン・エクスプレス」ってのを考えた。めっちゃ辛い。そしてめっちゃ速い。なにそれ。
「かわいそうなウーゾ」ってのを考えた。どんな善良な人にも嗜虐心を抱かせる過酷な宿命からウーゾは**するのだけど、それはお星様も誰も、読者さえも見ていなくて、読者が読まされていたものは実はべつものであり、あらゆる嘆きは届かず、記憶にも留められず、すべてはなかったことにされるの。
帰り道を見てみたら知らぬ間に雪が降って、そして止んで、道路は真っ白に薄く雪が積もっていて、雲は去り空が見えている。ともあれ自転車を転がしながら、転ばないように細心の注意を払い、ゆっくりと長い坂を登り、そして下り、なんとか家まで帰ってきた。
"LAY YOUR HANDS ON ME"を聴いて感涙していたら、急に「全ての言葉はさよなら」ってのがどういう意味だかなんかわかったような気がした。「全ての言葉はこんにちは」ということは決してないのだな。
車で皆既月食の見やすいところを探してTSUTAYAとかコンビニの駐車場とか行ったけど、だれも皆既月食に興味を持っている様子はなくて、なんだか独りで無邪気に月探している俺おっかしいなとか思いながらスマホで写真を撮った。
ふと思い立って「ズモフ」で調べてみたらプロレスラーにバック・ズモフ(Zumhofe)という人がいるのを知った。って以前書いたような気がするが、記録が残ってない。デジャヴ?
「お祖父さんが作ったドールハウスが泣けるほど昭和の住宅だった」ははあ、コレジャナイロボ案件ね、と脱力笑いネタと思って読みすすめたら「お祖父さんの夢を形にした家なのかも」というところで感涙してしまった。
年度末になると道路工事が増えるけど、夜に使う「バルーン型投光機」がなんか怖い。あれ見るとギョッとする。真夜中にビルの間から半月が現れたのを見かけるとギョッとするけど、たぶんそれと同じ理由。
ある種の「優美さ」を尊ぶ人からは私は無教養でがさつな人間だと思われるのだということをひさびさに思い出した。研究者の中で生活しているとほとんど忘れてしまうのだけど、立ちふるまい、言葉遣い、身につけるもの、そういうものを見て即座に他人を評価する人達がいるのはアタリマエのことだった。
俺が普段の会話でもn=1で一般論に持ち込もうとする話を聞くのが耐えられないのと同じように、ある種の人は猫背で歩いたり箸の使い方が下手だったりするのを見るのが耐えられなかったりするのだろう。
車の中で「1,2,3,4,5,6,7,休, 1,2,3,4,5,6,7,休, 1,2,3,4,5,6,7,休, 1,2,3,4,5,ビュッフォン」っていうジングルを考案して精神統一を図った。
って書いてみて気づいたけど、"You never give me your money"のアウトロのパクリだな。ギャフン。じゃなくてビュッフォン。
淀から八幡市のところ、めちゃ楽しいな。巨大な列車基地があって、無茶なカーブがあって、いい感じの河川があって、ケーブル支線があるって、アトラクション盛り込み過ぎだろ。<=鉄ちゃん
エクストリーム帰宅を成功させて21時30分には名古屋駅に到着したが、驛麺通りはすでに終了だった。そういうわけで夕食は岡崎西友の割引弁当に確定した。
もしポプテピピックOPの「パラレルワールド旅して 鏤める願いに気付いて」が壮大な伏線で、この伏線が最終回で回収されたりしたら感動して泣く自信があるが、そんなことはけっして起こらないだろうと思っている。(<-「脚本の人そこまで考えてないと思うよ。」のコピペを思い出しながら)
「おお、おお、おお、俺の『ネコちゃん警察署捜査本部』よ、いったいぜんたい、どこへいっちまったというんだい?」(reprise)
寿司食いたい。他人の金で。雲丹ばかり注文して呆れられたい。
鰻食べたい。他人の金で。入店してから一時間かかるような老舗で、待っているあいだにビール2本空けてお腹いっぱいになって、やっと出来上がったやつを端っこの方だけちょっと食べてあと全部残したい。でもこの望みはかなわないだろう。なぜなら鰻はもう10年前に絶滅してしまったのだから(<-未来人)。
スバカマナで恒例のアニバーサリーバイキングをやっていたので子どもたちと行ってきた。5種類のカレーは辛くないけどそれぞれ味わい深いし、チーズナンはいつもどおり美味しかった。こういうのでいいんだよ こういうので
最終回見た。「パラレルワールド旅して 鏤める願いに気付いて」マヂでループもの的な伏線回収があったのでたまげた。