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■ Scientific Reports論文「盲視のサルの信号検出理論的解析」出ました(2/2)
Scientific Reports論文「盲視のサルの信号検出理論的解析」が5/29にオンラインで出版されました。Scientific Reports誌はオープンアクセスですので誰でも論文を入手することができます。プレスリリースは 「「見えてないのに分かってしまう」盲視はヒトでもサルでも同じ」。
さて前回のエントリの続きを。
Cowey and StoerigのNature 1995でV1損傷のnhpが盲視であるということの証明をしたという論文が出た。でもいくつか問題点があるのではないか。そこで「盲視の二つの側面についてForced-choice課題とYes-No課題というべつべつの行動課題で検証する」というアイデアを引き継いだ上で、その問題点について改良した実験デザインと解析を行ったというのが今回の私の論文。
そう聞くと、日本人らしい、重箱の隅的論文に見えるかもしれない。でもそこで動物ではほとんど行われてこなかった、意思決定バイアスを操作するタイプの信号検出理論的解析(type I SDT)まで加えて、この被験者の感度と意思決定バイアスまで定量化した。これによって現在のヒトでの意識研究で行っているのと同じレベルかそれ以上に正確なデータを得ることができた。これがこの論文の売り。
課題は以下の図1の通り。
図1 Yoshida & Isa 2015での行動課題
Cowey and Stoerig 1995と比べると(注1)、こちらではYes-No課題のときにエスケープ領域がない。代わりにYes-No課題ではターゲットがないときは注視しつづけるという行動をとれば報酬が得られる。これによって前回のエントリで指摘した「(1) Yes-No課題ではエスケープ領域があるという意味で画面にあるものがForced choice課題と異なっている」という問題へ対応している。
結果はどうだったかというと下の図2の通り。
図2 Yoshida & Isa 2015での行動課題の正答率
Forced-choice課題では二択で正答率>90%であった(注2)のに対して、Yes-No課題のターゲットあり条件ではまったく同じ視覚刺激を使っているにもかかわらず、正答率は50%になった。つまり、半分はターゲットに向かって正しく目を向けることができる。しかし、もう半分ではターゲットが出ているのにもかかわらず、注視点のあった位置に留まっていた。つまり、被験者はこの試行をターゲットのない試行に分類しているというわけで、被験者はターゲットがあるとは思ってないわけだ。よって結論はCowey and Stoerig 1995と同じく、サルもヒト患者と同様、盲視になる、つまり「ターゲットがあるとは思っていないけれども、当てずっぽうで位置を当てることができる」ということになる。
ただし、Cowey and Stoerig 1995ではYes-No課題のターゲットあり条件では正答率は0%だった。これはどういうことかというと、前回(1)で問題にしたように、エスケープ領域のサリエンシーが高かったせいで、正しい行動評価ができていなかったんではないかと思う。
図2のデータの方に戻ると、正答率が50%であるということは、この課題が全く出来ていないというわけではないことを示している。というのも図1に戻ってもらうとわかるけど、この論文のYes-No課題では、ターゲットが出る確率は全体の試行のうち30%となっている。もし被検者がターゲットが出ているかどうかが全くわかっていなかったとしたら、正答率は30%になるはずだ。
(より正確に言うならば、この実験では正解のフィードバックを得ているために、ターゲット有りと無しの試行の比率を推定することが可能であるため、その条件下で報酬を最大化しようとしたら、最適な行動は「30%で目を上下どちらかに動かし、70%は注視を続ける」というものになるということ。)
ではほんとうのところどのくらいわかっているのか、これを評価するためには「信号検出理論」に基づいた実験と解析を行う。これはどういうものかというと、図1の条件では「ターゲット有りの試行30%、無しの試行70%」と固定していた。これを一定時間ごとに変えてやろうというわけだ。
たとえば「ターゲット有りの試行80%、無しの試行20%」だったらどうなるか。大体の場合はターゲットが出ているのだから、自信がなかったらとりあえずターゲットの有りそうな方に眼を動かすのが最適戦略だろう。一方で「ターゲット有りの試行20%、無しの試行80%」だったらどうなるか。大体の場合はターゲットが出ていないのだから、自信がなかったらとりあえず注視を続けるのが最適戦略だろう。このようにして被験者は「意思決定のバイアス」を最適化する。そのときのデータを記録すれば「意思決定のバイアス」によらずに純粋に「ターゲットがあるかないか感知する能力=感度」を推定することができる。つまり、変わらないものを知るためには、周りのものを変えてやるのさ。(<-なんかイイこと言った風)
これが前回のエントリの(2)で指摘した「損傷視野に標的が出る確率が5%しかない」ので「経済的意思決定に基づいた選択のバイアスを反映しているだけでは?」に対する答えだ。信号検出理論についての解説は今回は省くけど、以前slideShareに解説スライドをアップロードしたことがあるのでそちらを参考にしてほしい(信号検出理論の解説)。
図3 Yoshida & Isa 2015での信号検出理論的解析の結果
データとしては図3の通り、「信号検出理論を使って「意思決定のバイアス」に影響を受けない「感度」を定量化したところ、Forced-choice課題と比べてYes-No課題では感度が下がっていた」というものになる。
このような解析を動物で行った論文はほとんど無い。たとえばHamptonの論文Anim Cogn. 2014 "Dissociation of visual localization and visual detection in rhesus monkeys (Macaca mulatta)"では信号検出理論を使ってはいるが意思決定のバイアスをいじってない(注3)。まれな例としてEichenbaumらのNature 2004 "Recollection-like memory retrieval in rats is dependent on the hippocampus"がある。ラットの再認記憶課題の成績を評価するために報酬の量をいじることで経済学でいうペイオフ変えてやることで意思決定のバイアスを操作している。
このようにして、刺激そのものは変えずに意思決定のバイアスを操作する解析をtype I信号検出理論的解析という(注4)。本研究は「視覚ターゲットが見えたかどうか」という視覚的気付きを動物で評価するにあたってType I信号検出理論的解析を行って感度と意思決定のバイアスの両方を独立して評価した最初の論文、ということになる(注5)。
この方法を用いれば前回指摘した(3) 「ここで起こっている現象は正常視野でも輝度コントラスト下げて閾値ギリギリにしたら起こるんではないの?」つまり「V1損傷に特異的な現象であるかどうかの保証がない」という問題にも答えることができる。まったく同じ課題を正常視野でも輝度コントラスト下げて閾値ギリギリにして行ってみた。この場合、Forced-choice課題の感度とYes-No課題の感度の間には差がなかった。つまり、この現象は「V1損傷に特異的な現象である」ということを示すことができたというわけ。
では以上のことから被験者はどのような視覚経験を持っていたといえるか。これは憶測になるのでdiscussionに書いておいたけど、かいつまんで言えば、今回使った視覚ターゲットについての視覚経験は全くないのだろうと思う。盲視では「何があるかはわからないけれども、なにかがあるかんじはする」という独特の経験があることが知られている。以前のブログ記事を参考に。でもそのような感覚はサリエンシーが高いもの、たとえばmoving gabor patchとかでしか起こらないことがヒト患者での研究からは知られている。今回使った刺激は小さくstaticな刺激で、ヒト患者に提示してもこのような経験は引き起こされない。よって今回使った視覚ターゲットについての視覚経験は全くないだろうというのがここで行った議論だった。ほんとうのところはわからない。どうやったらわかるだろう?これはほとんどハードプロブレムの領域に足を踏み入れている。
以上です。コンパクトにしたかったが結局長くなった。ジャーナルクラブなどで採り上げていただけたら幸い。アンチョコとしてご利用ください。
(注1) あちらはタッチパネルを使ったリーチング課題だったけど、こちらは眼球運動で応答する課題になっている。よって視覚刺激が網膜上のどこにあるかということもきっちりコントロールされている。
(注2) ここで正答率が100%ではないということが盲視の特徴らしい。ヒト患者の場合でも、どんなに自信満々でも部分的に間違える。この意味においてもnormal visionとは何かが異なっている。
(注3) なんでこんなことが可能かというと、よくある信号検出理論の解析ではもうひとつ余計に仮定をおいているから。正確な説明のためには信号検出理論のモデルに立ち入る必要があるが、意思決定の過程のモデルにおいて、ノイズの分散とノイズ+信号の分散が等しいと仮定すると意思決定のバイアスを操作しなくても感度が一意に求まる。当然、この仮定が満たされているかどうかは保証されていないので、この仮定を入れた分、論文の結論の信頼性は落ちる。
(注4) Type II 信号検出理論的解析というのもあって、こちらでは刺激そのものは変えずに確信度評定をする。つまり、被験者に答えの自信がどのくらいあるか点数をつけてもらう。そうすると確信度の高さでデータを分類してやることと意思決定のバイアスを変えるとは等価になる。課題の条件を変える必要がないのでこちらのほうがより厳密であると言ってよいかと思う。
(注5) 意思決定のバイアスも同時に定量化できる。それによってはたして合理的な意思決定をしているか、バイアスがあるかの議論もできる。Hakwan Lauは盲視ではこのバイアスがconservativeな方にずれている(つまり自信がないときは「刺激が無い」と答えるというバイアス)のではないかと提唱している。本研究の結果はその逆、自信がないときはとりあえず「刺激はある」と答えるバイアスがあることを示している。
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2015年06月17日
■ Scientific Reports論文「盲視のサルの信号検出理論的解析」出ました(1/2)
Scientific Reports論文「盲視のサルの信号検出理論的解析」が5/29にオンラインで出版されました。Scientific Reports誌はオープンアクセスですので誰でも論文を入手することができます。
所属している生理学研究所からプレスリリース 「見えてないのに分かってしまう」盲視はヒトでもサルでも同じが出ています。つか私が書いているのですが、簡単な説明に関してはこちらをどうぞ。ブログの方ではもう少し背景とか詳しめなことを書きます。これがそのうち書くであろう日本語総説の原稿にもなる予定。
non-human primatesでの盲視の研究について歴史的経緯で言うと、ニコラス・ハンフリーのNature 1967でV1の両側損傷後にも視覚に対する反応があることを示したことに始まる。つまりWeiskrantzがヒト研究でblindsightという言葉を使った1974年よりも先の話。
でもnhpで「盲視である」ということを証明するのは簡単ではない。なぜなら盲視というのは「意識経験として視覚刺激が見えない」「でも強制選択条件では偶然より正しく視覚刺激の位置を同定できる」という二つのことが起きている現象だから。ハンフリーの論文は後者しか示していない。じつのところnhpではV1損傷後に視覚能力が全体として回復したのかもしれないのだから。
でもそんなことはないというのを示したのがCowey and StoerigのNature 1995だった。ここで彼らがやったのは、この二つの条件をそれぞれ別々の課題で評価してやろうということだった。
Cowey and Stoerig 1995での行動課題
Forced choice課題では、ディスプレーの中心に白い四角が出て、それをタッチすると黒い四角が4ヶ所のどこかに現れる。それにタッチすると報酬がもらえる。これは正答率90%以上。「強制選択条件では偶然より正しく視覚刺激の位置を同定できる」というのを示した。
Yes-No課題では、ディスプレーの左上にエスケープ領域が提示されている。白い四角が出てそれをタッチすると黒い四角が現れるのはForced choice課題と同じ。違いは「標的なし」という条件がランダムに混ぜられること。標的がないときは左上にあるエスケープ領域にタッチすると報酬がもらえる。行動結果はどうかというと、正常視野に標的が出たときは90%以上の正答率で正しく黒い四角をタッチするのに、損傷視野に標的が出たときはほぼ100%でエスケープ領域にタッチした。つまり、被験者は損傷視野に出た刺激を「標的なし」であると分類したわけで、これは「意識経験として視覚刺激が見えない」ということの証拠だ、と結論づけたのだった。
この論文は言葉を使えない動物に「視覚意識(正確に言うなら視覚的気付きvisual awareness)があるかどうか」をテストしたといえるわけで、意識の研究としては非常に大きなインパクトがあった。
でもちょっと考えてほしいのだけど、いろいろ変なところがある。(1) Yes-No課題ではエスケープ領域があるという意味で画面にあるものがForced choice課題と異なっている。Curr Biol 2012で示したようにサリエンシーの高いところにまず目を向けるというのは非常に自然な行動なわけで、「損傷視野の標的を無視してエスケープ領域をタッチした」という結果は端的にサリエンシーの一番高いところに反応しただけではないだろうか?
(2) さらにもう一点、損傷視野に標的が出る確率が5%しかないというのも問題だ。ここで被験者がやっているのは意識の内観報告ではなくて報酬の最大化なのだから、もし損傷視野の標的が見えていても視力が低くて自信が持てないのであれば、とりあえず「エスケープ領域をタッチする」というのが賢い選択だろう。つまり、この結果は、「損傷視野の標的は見えているのだけれども、機能回復後ははっきりと見えているわけではない」という場合でも説明できてしまう。つまり、Forced choice課題なら自信がなくてもとりあえず一番あやしいところを選べば当たる(実質二択なのだから)が、Yes-No課題では自信がない場合にわざわざ成功率9%(=5/(50+5))の賭けには出ずにエスケープ領域をタッチする、というわけだ。
(3) 前述の項目で出た論点をさらに突き詰めると「ここで起こっている現象は正常視野でも輝度コントラスト下げて閾値ギリギリにしたら起こるんではないの?」という問題になる。彼らはこの可能性を排除していない。つまり、見ている現象がV1損傷に特異的な現象であることを示していない。
じゃあっつうんでこの三点を改良したのが今回の私の論文。ってそれだけ聞くと、日本人らしい、重箱の隅的論文に見えるかもしれない。でもそこで動物ではほとんど行われてこなかった、意思決定バイアスを操作するタイプの信号検出理論的解析(type I SDT)まで加えて、この被験者の感度と意思決定バイアスまで定量化することで現在のヒトでの意識研究で行っているのと同じレベルかそれ以上に正確なデータを得ることができたというところがこの論文の売り。
おっとしかしここで時間が。つづきはまた明日。
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2015年06月10日
■ 駒場学部講義2015 「意識の神経科学:「気づき」と「サリエンシー」を手がかりに」レジメアップしました
駒場学部講義2015 「意識の神経科学:「気づき」と「サリエンシー」を手がかりに」レジメアップしました。
今年の目玉は後半部。Predictive coding - フリストン自由エネルギーから統合失調症についての話を経由して、presenceへ。
統合失調症のトピックはコンパレーター仮説(フリス) - ベイズ的説明(フリストン) - 過剰サリエンス説(カプア)という流れになってきたが、ぜんぜんエナクティブでないのでなんか本意でない。現在確立しつつある視点を紹介という言い方になるか。
過剰サリエンス説と予想コーディング説を接続するという考えはすでにFletcher & Frith 2009 http://t.co/JmZPHmgJei に見られるので、それを基本的なところから、自分のongoingな仕事も絡めて解説した、というのが後半の講義の意義になる予定。
統合失調症のコンパレーター仮説(フリス) -> ベイズ的説明(フリストン) -> 過剰サリエンス説(カプア) という流れで作ってきたけれども、けっきょくのところベイズいらないじゃん(prediction errorで十分じゃん)とかベイズでDA-precision-salienceの概念を入れるならば、あらかじめサリエンス仮説の方を先に喋ったほうが良いじゃんとか、いろいろ構成を弄りたくなってきた。
でもDA-precision-salienceの話をするならばempiricalなevidenceも必要だろう。うーむ、削除かな!勇気ある撤退!(<-自己欺瞞)
こんなかんじでギリギリまでスライドアップデートしていてます。乞うご期待!
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2015年06月06日
■ 駒場講義2015/6/10の準備メモ
恒例の6月の駒場でのオムニバス講義「意識の神経科学:「気づき」と「サリエンシー」を手がかりに」6/10(水)がいよいよ近づいてきたので、講義に向けて準備しているところです。2012年から毎年、4年目となった池上高志さんの総合情報学特論IIIでの学部講義 105min * 2です。
昨年のレジメはこちらにあり:駒場講義2014「意識の神経科学を目指して」配付資料
今年もいくつか内容を補充してアップデートしたものをお送りする予定です。前日くらいにレジメをブログおよび生理研のサイトにアップロードする予定です。
今年は統合失調症についての話を盛り込んで、予測コーディングとサリエンシーとプレゼンスについて言及する予定。そんなわけで以下は準備メモです。
Predictive codingについての説明をするときってだいたいモジュール描いてトップダウンとボトムアップの絵を書く。(たとえばこういうやつ) でもそれだけだとホントのところ何をしているかわからないだろう。そこで流れているというpredictionとかprediction errorというものの実態が見えるような説明を作りたい。
結局のところ、たとえば顔モジュールから送られてくるpredictionというのは「顔があるかどうかの確率密度分布の時間的変動」でしかない。つまり、実態は発火頻度の時間変動であって、それが意味を成すのはそのニューロンの反応選択性の組で取り扱ったとき(=likelihood function)だけだ。prediction errorも同じ確率密度分布の引き算だ。
たとえばRaoの論文Vision Research 1999とか、昨今のfMRIデコーディング論文とかにあるように、表象されている絵が時々刻々と切り替わっているのを見ると、あたかも詳細な顔の絵の表象が顔モジュールにあってそれが送られてくるように誤解されるかもしれない。(追記:あとでVision Research 1999確認してみたら、pixelベースでprediction error作る絵が書かれている。誤解してたかも。この後あとで見直す予定。)
Prinzの中間レベル表象説は顔モジュールレベルにはretinotopicな情報がないことをわかっているのでこの意味での誤解はないと思うけど、じゃあ中間レベルに全部を持っているところがあるかというとそれは幻想で、ただただ分散表象されていると言わざるをえないだろう。
Ittiのbayesian surpriseを説明するときに使う「テレビの砂嵐はエントロピー最大だけどサプライズはない」って話(こちらのサイトの"What is the essence of surprise?"の項目参照)について考えてみよう。フレームごとの砂嵐の変化はpixelレベルではものすごく大きな情報量があるといえるのだけれども、人間の認識レベルではその違いに気づかずに同じ砂嵐だと思う。
だからt=1での砂嵐からt=2での砂嵐への変化は人間にとってのサプライズはないし、uncertaintyの減少(情報量の増加)も起こらない。これは、情報量というのは外界にあるものではなくて、外界とセンサーとの間の関係で決まるものなのだから当たり前。
でもそれだけの話ではなくて、網膜のセンサーのレベルでの時間空間解像度があって、それが層ごとに「処理」を経て、あるレベルでは「顔があるか否か」「建物があるか否か」といったpopulation codingでの時間空間解像度になっていく過程で情報量云々というのはそれぞれの層ごとの伝達でのことに限られる。ってやっぱあたりまえか。
とにかく、通り一遍なprediction codingの説明を神経回路網の考えで前提となっているところを正しくおさえたうえで説明するにはどうすればいいかということ。
分散表現を身も蓋もない感じで表現するならば、顔モジュールが持つ確率密度分布、色モジュールが持つ確率密度分布(+おおよその刺激位置の確率密度分布)、傾きモジュールが持つ確率密度分布(+詳細な刺激位置の確率密度分布)があって、どこにも「顔」の絵(ピクトリアルな表象)なんてない。これを強調しておきたい。
そのうえで、それが層間でどう相互作用して時間変動するかってところがprediction codingなのであって、それ以外はあくまでコネクショニストなのだから。(ただし、ここでは中間層がsparseな表象をしているように書いている。実際には投射ニューロンはスパースで、介在ニューロンはコネクショニズムの中間層的な表象をしている、って話になるだろう。)
こんなこと言い出したのは、情報量と神経回路網の話をよく整理しておかないとIITの議論についてけないというか、IITでの情報量の扱いになんか文句付けられるんではないかと考えていて、しばらく調べていたのだった。でもってここあたりが力学系的世界と情報、統計的世界の繋がり方を考えるためになんか分かってないといけないことなんだろうなあと思う。
上丘では顕著なのだけど、視覚応答に対して潜時が短くてonsetとoffsetの両方にtransientに反応するタイプのニューロンと、潜時が長めで刺激提示中にsustainedで反応するタイプのニューロンがある。ざっくりいえば前者が予測誤差で後者が予測と言えなくもない。
でもってたいがいの視覚ニューロンというのはonsetに強く反応するので、こいつらは傾きとか形とかを表象しているだけではないよな、ってのが生理学者的な実感としてある。
多層のニューラルネットワークを作って、それに視覚刺激をいろいろ提示して、脳のニューロン活動を再現するようなシナプスの重みを学習させておく。そうするとtransientな応答のあるニューロンを再現には片方向の流れだけだと無理なのでで、リカレントとかフィードバックとかの回路が必要になる。
ではこうして結果的に学習されたシナプスの重みは、predictive codingに相当することをやっているのか、それともニューロンの応答のダイナミックレンジの最適化とかその種のルール(レセプターの一次的な飽和とか伝達物質の一次的な枯渇とかニューロンのintrinsicな機構を反映した帰結)なのか、とかそういうことをあるていどリアリスティックな(マルクラムほどでなくても手に負えるくらいの)規模のニューラルネットワークを作って、検証できないだろうか。夢見すぎか。
(追記:ここで書いているような、spiking netwrok modelでpredictive codingかそれともadaptationかを検証するパラダイムはすでにDehaeneがMMNで行っていた。Wacongne, C., Changeux, J.-P. & Dehaene, S. A neuronal model of predictive coding accounting for the mismatch negativity. J Neurosci 32, 3665–3678 (2012).)
そうすれば、IITで考えているような条件の前にまず安定して自発発火が持続するようなニューラルネットワークの条件ってものがあって、(たぶんそれはquasi-self-organizing criticalityになってるだろう)、そうやって絞ったパラメータ空間のなかでこそ、はじめてIITで言うような条件を満たすパラメータ空間を探索することが可能となるのではないだろうか? 夢見すぎか?
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