[月別過去ログ] 2012年05月
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■ 表象、光点、ベイトソン、オートポイエーシス
TMSや微小電気刺激によるphospheneはたしかに視覚なのだろう。でもそれは知覚そのものを作っていると言うよりは、すでに視野が用意されていて、そのcontentを書き換えてやったと考えた方がよいのではないかという気がしてきた。
盲視の人は、明らかにMTは活動しているのだろうけど、内観を聞いた感じどうみても視覚という感じはしない。アルヴァノエの本で似たような議論があったときには釈然としなかったけど、知覚のcontentの表象とか操作とかよりは、視野という場そのものを作ることの方を考える方が意識研究なんではないかという気がしてきた。
まだ充分飲み込めた気はしない。でも、表象がsurpriseでありprediction errorであるという構図を進めていくこと以外の道を探るとしたら、こういうことを考えるしかない。でもってこれってたぶん、現象学だな。どうすればよいんだ。
ベイトソンの問題圏というのは徹頭徹尾表象の世界なのだな。違いを生み出す違い、メタになるプロセスと表象。一方でオートポイエーシスは根本的には内部の視点の話で、そこからカップリングとかを使って表象とかを作ろうとしているわけだが、それは成功しているだろうか。
外側から内側を推測しようとするのと、内側から外部を構成しようとするのと、両者は向きの違いの問題であって、どちらも同じくらい原理的にムリがあるのではないか。
オートポイエーシスで「カップリング」という装置を使って表象の世界と行き来しようとしたのと同じように、ベイトソンの「プロセスと表象との間でジグザグとレベルの上下する」という装置を使って表象と内部のダイナミクスとを行き来しようとした。少なくとも私はそのように読んだ。
反表象主義なんて極端なことを言う必要はないのだけれど、ミラーニューロンとかPPCニューロンの捉えにくさってのは「生態学的な意味づけを持った行動」を表象の方から捉えようとするがゆえなんだと思う。って自分で書いててもいまいちピンと来ない。「行動」をどう捉えるかなんだと思うのだけど。
2012年05月25日
■ コウモリのlocalizationとdetection
FB経由で以下の論文を知った。"Optimal Localization by Pointing Off Axis" Science 2010 コウモリがecholocationをするときにはソナーのピークではなくて、ちょっとずれたところを使う。
これはつまり、センサーの応答の変化が最大(slopeがもっとも急峻)なところを使う=fisher情報量が最大のところを使う、ということで、以前ブログで言及したpopulation codingの話(20120122)と同じことなのだ。
つまり、Hol and Treue のvision research 2001の現象と Jazayeri & Movshon Nature Neuroscience 2006 (pdf)の計算論のときにはtuning curveの広いセンサーを使ってcoarse discriminationをしなければいけない状況ではdetectionとidentificationとが乖離するということが分かっていて、それをわたしはYN-FCの話と関連づけられないかと考えていたのだった。
このコウモリの話のいいところは、これがlocalization、しかも自分を動かしながらやっていくという話であって、detectionとlocalizationという図式で捉えられているということ。それならばこっちのほうがよりsaccadeに近い状況と言えるだろう。
saccadeがちとややこしいのは、ものすごく速い現象(<30ms)なので視覚フィードバックは使えない、でも小脳の内部モデルでフィードフォワード的に軌道修正しているという点。しかし、正確なサッカードに必要なことと正確な検出に必要なこととが計算論的にどう違っているかというような問題として考えるヒントになりそうだ。
まだ頭が追いついてないけど、そしてこれは私が今この一ヶ月以内にとりかかるべきことでもないけど、とにかくこうやってメモっておく。
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- / 投稿日: 2012年05月25日
- / カテゴリー: [ニューロンの情報コーディング]
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2012年05月20日
■ 「サザンマン」vs「スイートホーム・アラバマ」
Lynyrd Skynyrd and Neil Young 「サザンマン」vs「スイートホーム・アラバマ」についてのこってりとした考察。つうかおなかいっぱいで読めない。
ニールヤングはいろいろ超越しすぎていて、歌詞もうまいのかよく分からない。それでも「友人が話してたことについて考えてた。それは嘘であってほしいと僕は願ってた。」なんて言われると泣くしかない。
"Classic rock stations in the South are hilarious. At least once a day, they'll play "Southern Man" followed immediately by "Sweet Home Alabama". I call it the Southern Debate." FARK.com クソ笑った。
"Southern Man"の歌詞で前から分からなかったんだけど、二番で「栗色の髪のリリーベル(南部っぽい女性の名前)、あんたのblack manがうろついてるのを見たぜ、Swear by God I'm gonna cut him down」っていうくだり。
この文脈だとhimはblack manだ。なんで南部人の黒人差別を非難する歌なのにこんなフレーズなのかよくわからないけど、たぶんリリーベルの言葉なんだろうって思ってた。
でもそしたら"God's Gonna Cut You Down"ってトラディショナルソングがあることを知った。この歌詞は「ならずものはいつか天罰下るぜ」というものだから、これはKKK的な心情/信条を表明しているわけで、やはり南部人の言葉を批判的に/揶揄するように写し取ったと考えるのが正しいのだろう。
整理すると、二番はまるごと南部人の言葉で「リリーベル、お前んとこのXXXXがうろついてんの見たぞ、のさばらせてんじゃねえ、奴らリンチするぞ」って言わせてるのだろう。そりゃぶち切れるよなあ。なに俺らのことDQN扱いしてくれちゃってんの?って。
ニールヤングはこの曲を「風と共に去りぬ」を見た後に書いたという話がある。つまり、この歌に出てくるのは60年代の公民権運動の時代の話ではなくて、南北戦争の時代の話。当時ですら時代錯誤的な物言いだったはずだ。
いつだったか、OISTで開催したHFSPのミーティングで、Dougのラボ(カナダ)とLaurentのラボ(LA)とJanのラボ(アムス)と一緒にカラオケ屋に行って、だれかが「スイートホーム・アラバマ」入れてて、みんなノリノリで歌ってた。そこですかさず「サザンマン」入れてみたのだが、なるほど、みんなこの二つの曲の関係をよく知っているのだな。Dougはhighway starとか歌ってた。エアギター付きで。のりのいいオッサンだ。
2012年05月16日
■ 「脳の生物学的理論」からの話の展開
20111227のtwitterでの池上さんと藤井さんとのやりとり。
pooneil 因果的関係は物理的に見れば非常に細かいステップの連鎖なので、その連鎖の部分をはしょって、2つの変数間の関係を取り扱うのが相関。だから相関とはあいだにブラックボックスを置いたままで現象を扱おうとする簡便法であり、表象-プロセスの関係で言えば、表象だけでなんとかしようとする方法。
pooneil そう考えると「脳の生物学的理論」、つまり、計算論の層や認知科学的概念を入れずに「どこどこのニューロンが活動してそれによってある領域のニューロンが活動して、その結果行動が起こった」みたいに説明しようとする考えは、物理的な因果を追うことを志向していて、そんなナイーブなものでもない。
alltbl @pooneil おー、それってナイーブではないと思いますよ。その物理的因果の連鎖は難しすぎる。
alltbl @pooneil 難しすぎる、ってことなのですね。前の方のツイートをみると。むしろ「因果律」というフレームがつくれないって、ことですね。
pooneil @alltbl 神経生理学者は「生物学的理論」を志向していて、認知的モジュールを厳密に考えるのは内心不毛だと思っているように思います。(たとえばこのニューロン活動は「注意」を表象しているのか「意図」を表象しているのかとか。) ある意味ニューロン中心主義なわけです。
pooneil @alltbl でも、生物学的理論を徹底すると因果の連鎖を本気で考えることになって、そうするとMarrのimpelementationの層を[表象-プロセス]まるごと捉えることが出来るようになる。ここまで来て初めて、アルゴリズムとか計算論の層とかまで考える意義があるかもしれない。
alltbl @pooneil なるほど。人工生命や複雑系は、「適度な疎視化」こそが、重要で、ぼくはそれを「中間層」とよんだけど、そこにこそ厳密な数学が成り立つと考えてます。
NaotakaFujii @alltbl @pooneil だからさ、理解するんじゃなくて、自分もそのネットワークの一部になるしか無いんだと思うんだよね。理解じゃなくて感じるしかないんだと思うな。世界の仕組みは分からなくても、世界の一部ではあるという感覚。
pooneil @NaotakaFujii 観察者ではなくって「内側から理解する」ためにどうすればいいかというと、たしかに藤井さんの言うやり方になるんではないかと思います。けっきょくそれは「説明」することではなくて、「了解」するってことだろうから。
alltbl @pooneil つまり、生物学的なニューロンをreplaceできるようなレイヤーの設定ということなんだけど。
alltbl @NaotakaFujii @pooneil うちのTom Froeseとかもその考えです。ぼくも、そう考えるけど、なんかまだその分かり方になじまない。
pooneil @alltbl それはコネクショニズムで言う中間層とかpopulation codingとかの概念とおなじなんでしょうか? ともあれ、個々のニューロン活動と個々の認知的概念や計算論があって、それを媒介する中間層を想定して、それの動力学を考えるというのは賛成です。
alltbl @pooneil うーんと、それとは違って、物理的にニューロンが下層にいなくてもいいことを積極的に証明するってことです。
pooneil @alltbl @NaotakaFujii 外側から説明しても内側から了解できてないじゃんってのと同じように、内側から了解できても外側から説明できてないじゃん、ってことが起こりえますかね? ともあれ内側からの方がもっと必要なのは確かだけど。
NaotakaFujii @alltbl @pooneil 外側からの理解に方法論的に絶望したから逃げてるだけのようにも思うけど、多様な了解可能性があるのが希望ではあります。
pooneil @alltbl なるほど、それは以前の話に繋がりますね。ニューロンという物理的実体がなくても心が作れるとしたらそれはニューロンそのものではなくてより抽象化したものが本質ってことですね。そこでの「厳密な数学」というのは情報処理の話だけでしょうか? もっと物理的なものでしょうか?
pooneil @NaotakaFujii @alltbl 「多様な了解可能性」ってところが面白いですね。「自転車に乗れるようになる」みたいな技能的なものと「赤い色とはどういうかんじがわかる」みたいな内観的なものとかがどう違っていてどう同じなのかとかそういう問題がもっと具体的になる気がします。
alltbl @pooneil いや、非常にタンジブルな感じとか、目の前にあるという「この感じ」が疑いえないもの、は、その意味で「厳密」なので。
alltbl @pooneil @NaotakaFujii コンピュータの内側のエージェントに、自分が内側だってことを了解させる謎のプロジェクトは、うまくいかなかったw
pooneil @alltbl @NaotakaFujii ありがとうございます。またそのうち今日のやりとりをブログにまとめてさせていただきます。
2012年05月11日
■ 寂しい場所を通り抜けて
立食パーティーでそれぞれの皿から順番に料理を取るために長蛇の列を作るってのが納得できないっていうか、端的に嫌なんだ。しかもこれ世界共通だ。それぞれの皿に並べばいいんじゃんか。ぜんぶ盛る必要なんか無いから、なんか一品食わせてくれ。
でもそういうことが気にならないときがあって、それは誰かと一緒におしゃべりしながら並んでいるときだということに気づいた。つまり、そういうことが気になるというのは、立食パーティーでボッチになってとりあえず食うだけ食ったらさっさと辞去したいという気持ちになっているからなんだな。
「よける」と「さける」が同じ漢字なのってどうやって処理したらいいんだ? これは困った。日本語バグってるぞ。
「ゆがむ」と「ひずむ」ってどっちも「歪む」って同じ漢字使うのか。「とめる」と「やめる」と同じ現象だな。日本語バグってんじゃん。
ASSC17のほうの議論は収拾つかないし、査読した論文の著者はrevisionで俺を目の敵にしてるし、次男は味噌汁をこぼすし、ダイエットする気は起きないし、前髪が伸びてきて気になるし、雨は降り止まない。俺の世界は混迷を極めている。(<-ってほどのことか?)
248号線を走りながら、「風の辿り着く場所」とかひさびさに聴いてたら、なんだか岡崎に来たばっかりのころのことを思い出した。夕食後にまたラボに行くのがなんだか億劫で、地図も見ずに248号線を北上したら、寂しい場所を通り抜けて豊田市街に入って、本屋で立ち読みをして帰った。
新幹線で東京に向かうと神奈川県あたりのどっか左側の車窓から、坂というか小山の切り立ったところに家がびっしり立ち並んでいるところがあって、なんだか記憶に残っているのだけれども、いざあそこがどこかと言われると答えられない。もう数え切れないほど通ったのに。
私のために飲みニュケーションしてくれた先輩方には感謝している。説教食らうのに反発したこともあったけど、それでも時間とお金と労力をかけてくれたことに感謝している。その恩を何らかの形で返したいとは思いつづけてきたけれど、それを果たせずにいることにずっと焦っている。
わたしのなかには体育会系マッチョ思考の私と、貧弱モヤシメガネ君の私とがあって、政治的正しさを守るためにマッチョ君の方を隠蔽するのでかえっていろいろこじれたりする。
2012年05月05日
■ 上丘についていろいろ(2) motion selectivity
nhpの上丘はmotionの方向に依存しないサプライズ検出器みたいになっている。しかしFigure-backgroundでのmotion detectionの場合にはMT損傷でこれが消える。Exp Brain Res. 1997 "Loss of relative-motion sensitivity in the monkey superior colliculus after lesions of cortical area MT"
ちなみにcatの上丘ではdirection selectivityがある。macaqueの上丘ではあまりdirection selectivityがないという話の元ネタを探すためには1970年代まで遡る必要があって、J Neurophysiol. 1977では"Movement in any direction was as effective a stimulus as any other in 125 cells (83%)" とか書いてあったり、EBR1979では"The pan-directional cells which comprise about 90% of the visual cells in the superficial layers" とか書いてあったり。
0なわけではないのだけれど。それから、velocity sensitivityは非常に強い。Catの場合だとこれを使ってmagno系(Y)かkonio系(W)かを分ける。
方向依存のないサプライズdetectorを作るためには、そのまえにdirection selectivityのあるところが必要で、先述の通りMTが必須かもしれない。すると、blindsightにおいても、RGC->LGN->MT->SCみたいな経路を使えるかもしれない。
@ichipoohmt ネコもウサギもハトもカエルもみんなdirection selectiveだったはずなので、サルの方がその能力を失ったと考えた方がよいように思います。ただし、上丘がその能力を失ったというよりは、ウサギとかではRGCのレベルでmotion detectorがあったのに、それがnhpとかでは失われたという風に考えた方がよいようにも思います。
もっとちゃんと調べておいたほうがよいのですが、1)RGCに方向選択性のある動物ではMTだろうがSCだろうがそのコピーで情報を持つことができた。2)RGCでの方向選択性がなくなって、V1->MTを使った処理が専門化した。3)さらにそこからinvariantな情報が上丘にできた?
@ichipoohmt MTのある視野位置のいろんな方向検出器を統合してSCの方向サプライズ検出器を作っているとしたら、受容野がMT並に広くなるはずなので、それで検出できそう。
そういう眼で先述のEBR1997を読み返してみたら、読みまちがえていることに気づいた! MT lesionで消えるのはrelative-motion (図と地のあいだでのmotion)の選択性だけで、単純なmotion関連の成分(motionによる)は変化しない! となると今まで書いていた話が全部吹っ飛んだ!
@ichipoohmt おつきあいありがとうございました。今書いてたのは、犬山で話をした、盲視ザルではmotion saliencyが非常に強い、これはなぜかっていうことを考えていたのでした。
Relative motionの話の大元はJ Neurophysiol. 1991 "Selectivity for relative motion in the monkey superior colliculus." ランダムドットを提示して、バックグラウンドが均一な灰色だと方向選択性がないor弱いけど、バックもランダムドットだと選択性が出てくるという話だった。
だから、私がやっているようなmotionによるsaliency/surprise検出に関してはじつはこのrelative motionが効いてそう。ただし、Laurentのモデルは単にローカルにmotion energyを計算しているだけだからrelativeは考慮に入れてない。もちろん両者は刺激としては相関しているので結果としては有意に出てくると考えるのは悪くない。
ん? そうしてみると、さっきの図式をちょっと修正すればよいのか。Macaqueでは、SGSでの単純な方向選択性は非常に弱くて、RGC->SGSもMT->SGSもあまり寄与していない。Relativeな方向選択性、つまりcenter-surroundの計算をするときだけMTに依存。
だから、マカクSGSではRGCが方向選択性を失った分をMTからの入力で補完したりしてない。でもCat SGSには強い方向選択性があるから、これがMT由来なのか、RGC由来なのかが重要。もしMT由来だとしたら、じゃあなんでマカクではそれを失ったのよ?って問いになる。 ここまで来れば次はcat RGCでの方向選択性を調べてみることにしよう。
ざっと見るに、Vis Neurosci. 1995 "Spatio-temporal receptive-field structure of phasic W cells in the cat retina."ではcat RGC W cellで10/54はdirection selectiveと出ている。
だいたい満足できた。
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- / 投稿日: 2012年05月05日
- / カテゴリー: [上丘、FEFと眼球運動]
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2012年05月02日
■ ボン・ボリーニ!
昨日の長女との会話:父「(iPhoneに)アングリー・バード入れておいたから」娘「あれおもしろいよねー」父「面白すぎないところがいいよね」娘「あー、わかるー」そうかわかるのか。
昨日豆まきできなかったから今日豆まき。次男が鬼になりたいって言うからみんなで次男に豆を投げる。なんだかいたたまれなかったので鬼を守った。我が家から鬼は出て行かなかった。
夜9時過ぎだというのに次男が寝もせずに「ひな祭り」の歌(灯りをつけましょぼんぼりに)を歌っているので、横からイタリア人っぽく「ボン・ボリーニ!」と合いの手を入れて邪魔をしてやった。
車の中でフランス映画のナレーションみたいに、むちゃくちゃセクシーに「イヴォーンヌ」とか囁いてみたりする。(<-けっこうある)
「うどん」をフランス人っぽく「ウドォーンヌ」と発音できるように練習を繰り返す。(<-ネタの使い回し)
そこには「つるにはまるまるむし」が集まってくるので夜は離れた方がいいよ。(<-無駄な忠告)
窓の外ではキュウリ売り、窓の外ではキュウリ売り、きっと誰かがふざけて、語感だけでキュウリ売りに歌詞変えてご満悦しているだけなんだろ?(<-字余り)
幸せはスペードの43。200枚トランプで、各スートは50枚。Jack-Queen-Kingのあとには見たことのないキャラが並び、43は読むことの出来ないカタカナ四文字で呼ばれる。
暖かいところに集まる習性を持っている「つるにはまるまるむし」をゴザごと全部焼き払いました。これでやっと新年を迎えることが出来そうです。
神田明神から秋葉原へと下る坂で、車にはねられたとおぼしき猫の死体が置きっぱなしになっていた。私がついったに書いていることのほとんどはシュールレアリスティックかつマジックリアリズム的な嘘ばかりだが、これだけは本当のことなんだ。
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