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2020年04月30日

「汎神論的な悪意/カニチャハーン」(さうして、このごろ2018年4-6月版)

活字中毒。文字メディア大好き。チラシでいいからなんか読んでいたい。ネットラジオとか映像や音声で流すものはほとんど聞かない。TEDですら、英語の勉強だと思って我慢して聞くけど、内容知るためにはtranscriptで済ましたい。音声だと文字のように飛ばし読みできないってのが耐え難い。

先日松屋に行ったら自販機に「大盛りカレー単品」ってのがあったので、サラダとか味噌汁とか無しのことかと思ってそれ頼んだら、「ご飯抜きカレールーだけ」が来た。いまさらご飯追加お願いするのもおっくうで、そのままルーだけ食べてみたら、意外に腹いっぱいになって満足した。よかったね!

カップラーメンにモヤシをトッピングする技法を探求している。普通にカップラーメン作ってモヤシを乗っけるとスープが薄まってしまう。試行錯誤の末、カップラーメンにはお湯半量、モヤシに粉末スープをかけてレンチンして水分を出させて、これらを合わせるようにした。これで私のQOLは25倍になった。


吉岡実の「サフラン摘み」を読みたくなって図書館で探したのだけれど、「吉岡実」という名前が出てこなくて見つからなかった。いま気づいたけど、「吉野弘」とごっちゃになってた。

「ストロングゼロ文学」を理解するためにストロングゼロ ダブルグレープフルーツ 350mlを買った。飲みはじめて、ああこれは以前間違えて買ってぜんぜん飲めなかったやつだと気づいた。しかたなく閉店前のイーオンで半額になっていたアジフライで流し込み、吉岡実全詩集を開いて文字を追う。

「すぐそばにタコのメスのみひらかれた眼がある それには汎神論的な悪意が感じられる」 …汎神論的な悪意!イイね!

駅でSuicaのチャージしているときに機械が「チャージ中です」って言ってるのを聞くと「チャージマン研!」の変身バンクが頭の中でリフレインする。ジュラル星人にSuicaを奪われないように、慌ててカードを引き抜く。

自分がいちばんお金をかけたのは楽器だろうけど、エレキギターは20年前に買った島村楽器のES-335模造品(当時5万円)だし、中2で買ったアコギ(当時2万円)は長男に譲ったし、ウクレレは15年前に買ったフェイマスの入門用(FS-5, 当時2万円)を修理して使ってる。トータルで10万円行ってない。質素すぎない?


今日の任務を無事終了させた。高安ですじラーメン。 腹一杯なので鞍馬口駅まで歩く。まだ岡崎に帰ってから今日締め切りの仕事がひとつあるが、あと一時間くらいで完了するだろう。良い一日だった。

実存的な不安に駆られて眼を開けたら、名古屋駅だった。っぶねー、乗りすごすところだった。


どっかの地方都市に出張したときに線路沿いにある城跡公園をぐるっと歩いたけどあれはどこだっけと記憶を辿ってみたが、山形だということに気がついた。そうそう、この東大手門を渡った憶えがある。駅前に戻ってジャスコ的なスーパーでお惣菜買ってホテルに戻った。

ひとつひとつ数え挙げてみる。広島、富山、高岡、新潟、甲府、長崎、熊本、札幌、仙台、長野、高山、山形、花巻、那覇、せいぜいこのくらいか。旭川も福井も秋田も岡山も山口も博多も大分も鹿児島も行ったことがないな。四国には大学の卒業旅行以来足を踏み入れてないし。(首都圏、関西、愛知は除く)

東海道新幹線沿いはあるか。小田原、熱海、三島、沼津、焼津、静岡、浜松。遺伝研に行ったときの三島はなんかいい感じのところだったな。三島広小路駅、好き。


夕食に帰ってみれば、奥さんから鳥川までホタル見に行こうとの提案。Web情報によると今日がベストコンディションらしい。たしかにたくさん飛んでて最高だった。写真部に入ってる長女が一眼レフで露光時間延ばして撮影したのを送ってくれた。いい一日だった。


小雨降るなか車を走らせて、土井町で右折して田んぼだけの真っ暗な道を通り抜けて、美矢井橋まで出てみると、真っ黒な河と遠くの街の光が見えた。渡橋を通って戻ってきて、TSUTAYAでよつばと!の最新刊をレンタルして、店の前の電灯の下で全部読んで(<-マイルドヤンキー)、リフレッシュした。

よつばが自動改札でおっかなびっくり切符を入れて一喜一憂している様子をコマ数かけて描写しているのを見ると、親目線で涙が出てきちゃう。そうやって私は、三人の子供が成長するところを見届けてきたので。

紅葉が満開の東公園の池の横を通る砂利道を勝手に先に進んでいく子どもの姿を見ながら私は後ろを追いかけていく。ああこの光景を私は懐かしく思いだすだろうと思った記憶がある。でもあれは長男だったか、長女だったか、次男だったか。それすらも思いだせないのだけど。


おっさんカラオケしたい。「ボヘミアン・ラプソディ」とか「天国への階段」とか「ハイウェイ・スター」とか「ホテル・カリフォルニア」とかバンバン曲入れてみんなでマイク奪い合って全員で歌うの。

あとオタクカラオケもしたい。もちろんJOYSOUNDで。「鳥の詩」とか「Rumbling hearts」とか「同じ空の下で」とか「true my heart」とか「青い記憶」とか「Little Busters!」とか「空気力学少女と少年の詩」とか歌うの。当然キー下げるのは禁止。


車でアルバム「断絶」を歌いながら岡崎の街を警備。「人生が二度あれば」は父を亡くしたばかりの私にとっては泣かずには歌えないので、泣きながら歌う。この感情を探ってみたのだけれど「人生が二度あれば」って二度あったってしょうがないんだよな。子どもを育て家族のために年老いた母にとっては。

それでも「二度あれば」としか言いようがないし、若い歌い手が拙い表現として「二度あれば」と歌っている。そしてこのアルバムで歌われている感情はすべて、最初の曲「あこがれ」が提示しているように、ステロタイプな「あるべき姿」が失われた世界の話となっている。

だから「二度あれば」も子供じみた願望を、そんなものは失われた大人の世界から歌っているはずなのだ。同様に「断絶」も「感謝知らずの女」も「愛は君」も「限りない欲望」もそれらの感情はぜんぶ相対化されるの。竹田青嗣の陽水論でも似たようなこと書いてた気がするが、手元にないので確認できない。

一方でアルバム「断絶」は陽水的にはコミックソングとして作ったんでないかという節もあって、「小さな手」で間奏がいきなりムード歌謡になる(サックスソロと伊勢佐木町ブルース的吐息)とか「断絶」のやけくそな歌い方とか「ハトが泣いてる」がなぜかブラス・ロック的なアレンジであるところとか。

わざわざググって「伊勢佐木町ブルース」というキーフレーズを探し出す俺エラい。(<-偉くない) しかもどうしても思い出せなくて、「お色気BGM」でググると「タブー」とか「哀愁のヨーロッパ」ばかりで、しかたなく「テレッテテレレレッテレ」でググったら見つかるという驚きを伝えておきたくて。

「あこがれ」がオルゴール曲の序曲で始まって、「家へお帰り」のエンディングが同じオルゴール曲で終わって、そのあと曲間が少し開いて「傘がない」が始まる。これはサージェント・ペパーズでの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」と同じなので、「傘がない」はそれまでの曲と別の位置づけになってる。


「うにラーメン」が食べたい。うにがビッシリ入ってるの、殻だけ。中身は無し。しかも汁なし。そんなの食べたくない。寝る。

本日の「一度使ってみたいフレーズ」は「おいおい、そいつはちょっとパッショネイトすぎないか?」で。「パッショネイト」好きなんだが、パッショネイトな奴がなかなか見つからないので使う機会がない。

「カニチャハーン」が食べたい。「カニチャーハン」ぢゃないの。キラー・カーン的な何か。特殊健康食品カニチャハーン。

「忘れがたない虹と花」ってなんだっけ、とググってみたら、中原中也だった。中原中也を忘れてるのはさすがにまずいと思った。

自宅の部屋がどうにも不快で、しかも不快であることにも気づいていなく、ただただ不幸な気分に浸っている状態だったのだが、ふと思い立って扇風機を出して動かしてみたらすべてが解決した。蒸し暑かったのだね。


2020年04月19日

モードとTonnetzと五度圏

ロックの文脈だと、フランク・ザッパのギターソロがだいたいドリアンかリディアンだとか、サイケデリック・ロックのギターソロはだいたいミクソリディアンだとかそういうことを知って、つねづねモードについて知りたいと思っていた。

よくあるモードの説明ではこんなふうにある:

たとえばc Ionianは7つの音、c,d,e,f,g,a,bから構成される。以降コードには大文字(Cなど)を、音階や単音には小文字(cなど)を充てることにする。小文字のときはシャープは+で、フラットは-で表現。


これはいわゆるチャーチ・モード(教会旋法)というやつで、C長調の音階(スケール)には7種類のモードがあるって説明だけど、これって昔のハーモニーがない時代の音楽についての話であって、ルートの音をずらしただけにしか思えなかった。

(一つの音階(スケール)には7つのモードがある。もっとマニアックなモードがいろいろあるし、民族音楽まで入れたらきりがないが、ここでは7つのモードの話だけに限ってる。)

やっと納得いったのは、これを同じベース音cのモードに揃えて、近接するモードごとに並べた図を見たときで、こういうふうになる。

c Ionianは7つの音、c,d,e,f,g,a,bから構成される。元のc Ionianのときのスケール(オレンジ)を基準に、フラットかシャープがついたら灰色になるように表現。


隣接するモードの間では一つの音だけが変化していて、それはマゼンタで示している。この音が「特性音」と呼ばれるもの。たとえばDorianって基本短調なんだけど、違う感じも含まれている。このDorianらしさはc Aeolianとは違って6th (=13th)がaになっているから。

こうしてみると、長調(メジャースケール)であるc Ionianと短調(ナチュラルマイナースケール)であるc Aeolianがあって、MixolydianとDorianはその間を繋ぐように存在していることがわかる。

ルート、3度、5度、7度の音を並べるとそのモードの基本的なコードが作れるけど、c IonianがCmaj7で、c AeolianがCm7で、たしかに長調と短調に分かれている。そして、DorianとPhrigianは短調の仲間であることがわかる。いっぽうでLydianとMixolydianは長調の仲間なのだけど、MixolydianのほうはC7ができるので、ブルースっぽい感じがあるのもわかる。

c Lydianの上にはd- Locrianがあるし、c Locrianの下にはb Lydianがある。このようにして、12音のルートそれぞれに7つのモードがあって、全部で84個のモードが隣接して輪のようにつながっている。

一般的には、ルートの音からの相対的な音の高さを使って1,2,3,…,7で表現するので、以下ではこれを使って書く:

たとえばc Ionianは7つの音から構成されるが、それをルートを1度として、2,3,4,5,6,7で表現する。


Dorianは短調のスケールAeolianからb6を6に上げているところが特徴なのでこの音を入れるとDorian的になる。

たとえばGreensleevesの出だしには2通りあることが知られているけど(Wikipedia)、

Greensleevesの出だし。上はd Aeolian版、下はd Dorian版。


上のd Aeolianのほうは、b-音が短調らしさある。ちょっと泣かせ過ぎっていうか。下はd Dorianでは、b-音でなくb音なので、マイナー感が薄れて、ちょっと不思議な感じが出る。ここが好き。

なお、音階記号で書くときは、上のd Aeolianはチャーチモードの7つ組の中ではf ionianと同じグループ。だから調号(ト音記号のすぐ右)ではbにフラットの記号がつく。一方で下のd Dorianはチャーチモードの7つ組の中ではc ionianと同じグループなので、調号には記号がない。

スカボロー・フェアもe Dorianなので、"[G] Parsley, [Em] sage, rose[G]ma[A]ry and [Em] thyme" と明示的にAコードを入れてコードでもドリアン的になってる。ふつうならEm-AmとなるところでEm-Aとなるのがドリアン的なコード進行というわけ。

同様に、Lydianは長調のスケールIonianから4を#4に上げているところが特徴なので、この音を入れるとLydian的になる。C-Dのように。

Mixolydianは長調のスケールIonianから7をb7に下げているところが特徴なので、この音を入れるとMixolydian的になる。C-Bbのように。Phrygianは短調のスケールAeolianから2をb2に下げているところが特徴なのでこの音を入れるとPhrygian的になる。Em-Fのように。

Locrianはどちらからも離れているが、Phrygianから5を変えたとも言えるし、Lydianから1を変えたとも言える。いちおう円環は閉じるようにはなっているが、ダイアトニックコードのBm7(b5)だけ仲間はずれなのと同じように、Locrianも仲間はずれっぽい。


いつのまにかモードとコード進行の話になっていたけど、このへんもずっとわからなかった。というのも、モードジャズの文脈では、Miles DavisのKind of BlueとかJohn Coltraneとか、それまでのコード理論での縛りから開放されて長時間のアドリブを取るためのモード奏法っていうことが強調されるため、コード理論とは相容れないように書かれていたから。

でも、後述する竹内 一弘氏の著書を読んで、スケールとモードが先にあって、そこからコードと使えるテンションが決まる、という考えに馴染めば、モードにコードが乗っていいってことに納得できた。

だから、こんなふうにモードとダイアトニックコードを並べることができる。

スペース節約のため、Cmaj7はCM7と表記。他も同様。


c IonianでのダイアトニックコードはCM7, Dm7, Em7, FM7, G7, Am7, Bm7(b5)となる。これはc Ionianを構成する音c,d,e,f,g,a,bで4和音作ると自動的に決まる。

同様にして、c Mixolydianでは特性音に対応した部分がBbM7になってる。これがさっき書いた、c Mixolydianでの独特のコード進行 C-Bb-F-C の説明になってる。(Hey JudeとかLoadedとかで聞こえるあれ。)


でここからが本題なのだが(遅い!)、以前音のトーラス(Tonnetz)について書いたことがあるけど(「和音の幾何学、つづき」)、モードについてもtonnetzと五度圏を考えながら見直してみたらもっと面白くできそう。さっそくやってみた。

まず、「和音の幾何学、つづき」で書いたように、12音がつくるメジャーコード、マイナーコードは全部で24個あって、そのコードを構成する3つの音で三角形を作ると、このように表示できる。


上の辺と下の辺は一致する。左の辺と右の辺は一致する。つまりこの表の上下と左右はつながっていて、実際にはトーラス構造になっている。

このトーラス構造にハサミを入れてやるとひとつながりの輪っかになる。こんなふうに。


このなかにすべてのスケールとモードが入ってる。たとえばc ionianはどこにあるかというと、


図の上の部分がc ionianの構成音(c,d,e,f,g,a,b)とそれによるコードが連なった部分だけど、これはながり輪っかのいち部分でしかない。でも、Bbコード、Bmコードの代わりにBdim(Bm7(b5)の三和音バージョン)を置くと、この中だけで小さいリングができてしまう。これが以前のブログでも書いた、Bm7(b5)でつじつま合わせしているって話。

この図でさらにテンションについて考えると、


隣り合うコードの三角形をタイルのようにつないでやると、Cコードの三和音(c,e,g)からさらにテンションが付加されてゆく様子が見える。

さっき「このなかにすべてのスケールとモードが入ってる」って書いたけど、cをルートとする7つのモードについて並べてやればこうなる。

特性音(マゼンタ)はIonianとの比較、Aeolianとの比較で異なるものだけ表示。


そう、ひとつながりの長い輪をシフトさせてゆくと、さっきの隣り合ったモードが全部隣り合って出てくる。もちろん特性音(マゼンタ)は隣接するモードとは共有してない音だから、端っこに出てくる。

これはもちろん偶然でもなんでもなくて、五度圏の性質を言い換えただけのことに過ぎない。


五度圏を書いてみると、12音階にそれぞれ7つのモードを割り振ることができる。てっぺんがc Ionianで、左がf Ionianで、右がg Ionian。左のf Ionianのグループにc Mixolydianがいて、右のg Ionianのグループにc Lydianがいる。これが隣接したモードの関係が毎度出てくることの理由。

12音階に7モード振るから均等にならない。右半分はc音がないから、とりあえずc#音で表現しておいた。ここでは表現できないけど、z方向に螺旋状になって84個のモードがある。

というわけで、自力でいろいろいじってみたら面白かったけど、けっきょく五度圏の特性を違った見方で見ただけだよね、ということだった。今日はここまで。


参考文献:竹内 一弘氏の以下の著書が非常に参考になった。

二番目の本とかこのタイトルで全編モードについてなのでびっくりさせられる。Amazonのレビューでも結構文句つけられてる。でもモードの理解にはすごい役立った。


2020年04月12日

グレゴリー・ベイトソンの「形式、実体、そして差異」をまとめてみた

北海道大学の人間知・脳・AI 研究教育センター(CHAIN)の教育プログラムを作っていくところでわたしが密かに構想していたのは、グレゴリー・ベイトソンの「精神と自然」にあるような「サイバティックな認識論」を現在の科学の水準のもとで再構成するということだった。

「精神と自然」についてはこのブログの初期にサマリを作ったことがある:グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)の「精神と自然」まとめ これを作成したのが2000年8月のことで、まだ私はPh.D.を取得する前の過酷な実験生活に合間を見て書いたもので、それが巡り巡っていまここに戻ってこようというのだから感慨深い。

でもたとえば、Chap.2の「4.イメージの形成は無意識過程である」なんて見たら、ヘルムホルツ的視覚観じゃん!とか思うけど、フィードバックとフィードフォワードを組み合わせたキャリブレーションの概念とかまだ汲み尽くせない問題がある。また、「生物学に単調な価値はない」「[安定している][変化している]という言葉は記述のうちの一部分のみを表している」まさにどれもこれも今私が伝えておきたいことだなと思う。

そういうわけでベイトソン読み直してみた。ベイトソンのもうひとつの主著「精神の生態学」のラストの方にある講演原稿「形式、実体、そして差異」は、有名なフレーズ「情報とは、違いを作り出す違いのことである」の初出も含まれていて、ベイトソンの様々なアイデアを繋げて一つの話にしてあるという意味でたいへん重要な記事なので、これについてまとめておこうと思う。(なお、講演原稿であるため、個々の事項についての説明はあまりなく、これだけでは説得力があるかわからない部分も多々ある。)


[グレゴリー・ベイトソン「形式、実体、そして差異」まとめ]

(訳注: この原稿は1970年のコージブスキー記念講演というところで話されたもの。コージブスキーといえば「地図mapと領地territoryはべつものである」のフレーズで有名。これはベイトソンが頻繁に言及する。)

[前置き]

  • ギリシア哲学の時代から、2つの認識論が対立している。ピタゴラス派は(世界について)その実体substanceではなくてパターンを探求すべきとして、実体派と対立し、非主流的立場でありつづけた。
  • 進化論のラマルクは、精神mindとパターンを進化の説明原理にしようとした、ピタゴラス派の後継。しかしラマルクはダーウィンらの生物学的な考え方によって主流からは追いやられた。
  • サイバネティクスとシステム理論によって、(ピタゴラス派からの系譜の)パターンについての探求を行うことが可能になった。
  • ここでは「精神mindとはなにか?」について私なりの考えを書いてみよう。
  • そのためにまず進化の側面から話を始める。

[進化における生存の単位]

  • 「自然選択における生存の単位」とはなんだろうか?
  • ダーウィンの進化理論はこれを個々の生物や家系や亜種と捉えていたが誤っている。
  • もしこれらが生存の単位として最適化されるならば、環境を破壊し、おのれをも破壊してしまう。
  • 集団遺伝学はこの誤りを部分的に訂正した。生存の単位は均一な集団ではない。この不均一性こそが環境を扱うための試行錯誤システムの半分を担っている。
  • このような生物側の柔軟性(flexibility)に加えて、環境自体の柔軟性も考慮する必要がある。
  • よって「自然選択における生存の単位」は「柔軟性を持った生物と環境」これだ。

[精神mindの単位]

  • いっぽうで、精神mindの単位とはなんだろうか?
  • その準備として、差異について考えてみることにしよう。

[差異とは?]

  • ここでコージブスキーのフレーズを思い出そう。
  • 「地図mapと領地territoryはべつものである」というとき、地図の上に載っているのは何か?
  • それは領地のうち、周りと異なっている部分、つまり差異だ。たとえば高度の違い、植生の違い、これらの差異が地図上に線として書き込まれる。
  • では差異とはなんだろう?それはモノthingではない。紙と木材の違いは紙や木材の中にはない。紙と木材の間の空間にもない。差異とは抽象的なコトmatterだ。
  • ハード・サイエンスにおいては力とかそういう具体的な原因によって結果が引き起こされる。
  • しかしコミュニケーションの世界では、差異によって結果が引き起こされる。
  • ゆえに「知らせが無いこと」も原因となりうる。
  • (カントの「物自体」の議論と関連付けたうえで)観念ideaとは、もっとも基本的なelementary意味では、差異と同義ではないだろうか?
  • たとえばチョークと太陽との間、チョークを構成する分子の位置、こういったところに無限の差異がある。
  • われわれはこれらの無限の差異の中から限られたものを選択し、それが「情報」となる。
  • つまり情報(より正確には情報の基本的な単位)とは、ある一つの差異を生み出すような一つの差異のことなのだ。
  • この差異を運ぶための神経回路は、エネルギーを用いていつでもトリガー可能な状態になっている。(訳注: エネルギーが運ばれるわけではない)
  • このようにして身体の内部では差異による信号の伝達があり、身体の外では紙からの光が原因となって網膜へと入ってくる。
  • 「地図mapと領地territoryはべつものである」というのは、このような神経回路での変換によって、地図の地図の地図、が際限なくつづくものが精神の世界なのだということ。

[プレローマとクレアトゥーラを繋ぐ]

  • ユングが導入した2つの説明世界。
  • プレローマpleromaはハード・サイエンスの世界で、そこには区切りがなく、差異がない。
  • クレアトゥーラcreaturaは精神の世界で、差異が結果を生み出す。
  • (これら2つの分断ではなくて、)両者を結ぶ橋を考えてみよう。
  • ハード・サイエンスがプレローマだけを扱っているわけではない。
  • カルノーサイクルで温度差が無くなってしまえば仕事を取り出すことができない。
  • プレローマの研究者はこれを利用可能なエネルギー(=自由エネルギー)として捉える。
  • いっぽうでクレアトゥーラの研究者はこのシステムを温度の差異によってトリガーされる感覚器として記述するだろう。
  • つまり、情報を生み出す差異とは、この場合自由エネルギーになっている。
  • (訳注: 原文では「自由エネルギー」の部分はシュレディンガーの「生命とは何か」にあるように「負のエントロピー」を使っているのだけど、ミスリーディングなので読み替えてる。)

[シナプス加重と閾]

  • シナプス加重という現象では、ニューロンAの活動とニューロンBの活動が同時に起こったときだけニューロンCが活動する。
  • これをプレローマの研究者は加重summationと呼ぶけれども、むしろ差異を作り出すシステムの働きと考えたほうがよい。
  • つまりクレアトゥーラの研究者からはこのシステムは論理積(AND)の形成と捉えられる。

[差異の階層化について]

  • (訳注:省略)

[精神mindの単位ふたたび]

  • それでは、わたしの精神 my mindとはいったいなのか?
  • 木と斧と人間が作るシステムを考えてみる。
  • われわれが木を斧で切るときのシステムはこれらのサイクルをグルグルと巡り、切り離すことはできない。
  • 「精神の最も単純な単位」はこのようなメッセージが周回する回路だ。
  • そしてこれが観念ideaの最小単位とみなしても不合理はない。
  • このようなサブシステムが階層をなして、情報を変換し、試行錯誤をする回路の全体、これが私の精神だ。

[生存の単位と精神mindの単位]

  • このような「精神の単位」についての見方は、前述の「進化における生存の単位」についての見方と正確に一致する。
  • これこそがこの論文が提供する最も重要な一般則だ。
  • 進化における生存の単位も階層的構造をなしており、DNAが細胞の中にあり、細胞が身体の中にあり、身体が環境の中にある。
  • これらはそれぞれのレベルで「システム」であり、前者(例:DNA)がそれを取り巻く基体(matrix)である後者(例:細胞)との対比で可視化される。

[以上のことの意義、帰結]

  • 以上のことは理論的な意味での重要性だけでなく、さまざまな側面について見方を大きく変更するような重要性を持つ。
  • たとえば生態学における倫理的側面。 (訳注:省略)
  • たとえば宗教と神学。 (訳注:省略)
  • たとえば詩的想像力と美。 (訳注:省略)
  • たとえば死の意味。 (訳注:省略)

さいごの省略した部分が充分な分量があって、そこも意義深い。

たとえば、知覚するものと知覚されるものが分断されるような、現在の我々の思考法全体を組み立て直さなければならないのであって、音楽を聞く私と音楽との境界が消え去るような、新しい思考法を身につけること、これが大きな課題だと言っている。

また、「美、芸術」についてのところでは、知性と感情の分離の問題において、芸術家が行っていることはたんなる感情側についてのものではないのだと。芸術が関わるのは、知性と感情の橋渡しの仕事だと。芸術が関わるのは、精神課程のさまざまなレベルの間に結ばれる関係なのだと。

さて、読めば読むほど、話が大きいスケールに広がって、まあそれがベイトソン自身が歩んだ道の追体験であるのだけど、これを批判的に読んだうえで、ダメな部分はちゃんとダメと言ったうえで、もっと地に足をつけた形で再構成してやろう、これが私の野望というわけです。ともあれ今回はここまで。


2020年04月11日

北大CHAINの教育プログラムが始まります/講義の構想メモ

北海道大学の人間知・脳・AI 研究教育センター(CHAIN)に異動して3ヶ月が経ちました。新年度からいよいよCHAINの教育プログラムが始まります。詳しいことはこちらへ:CHAINの教育プログラム

まあいまはどこの大学の教員の方もオンライン講義への対応でたいへんかと思いますが、うちはそれにはじめての講義をデザインする過程がぶつかってしまったので、なかなかたいへんなことになってる。

元々CHAINの教育プログラムについての説明会を行う予定でしたが、こちらはオンラインでの説明会になる予定です。CHAINの教育プログラムwebサイトのwhat’s newのところで最新情報を追加してますので、履修希望の方はそちらの更新をチェックしておいてください。(ちなみに今これを主に更新している「中の人」は私。口調が吉田っぽいところがあるかも。)


さてそれで教育プログラムの中身ですが、まず最初はCHAINのコアメンバーによるオムニバス講義「人間知序論I」からです。人間知序論Iの構成はいまのところこんなかんじ:

  • 第1回: 田口 茂 教授 (文学研究院) 「学際研究の意義、哲学の意味」(仮題)
  • 第2回: 竹澤 正哲 准教授 (文学研究院) 「なぜモデリングが必要なのか」(仮題)
  • 第3回: 飯塚 博幸 准教授 (情報科学研究院) 「AI入門、ディープラーニング」(仮題)
  • 第4回: 吉田 正俊 特任准教授 (人間知・脳・AI研究教育センター) 「神経科学の方法: 観察と介入」(仮題)
  • 第5回: 島崎 秀昭 特任准教授 (人間知・脳・AI研究教育センター) 「脳の理論への招待1:認識への理論的アプローチ」(仮題)
  • 第6回: 島崎 秀昭 特任准教授 (人間知・脳・AI研究教育センター) 「脳の理論への招待2:回路・計算・情報」(仮題)
  • 第7回: 宮原 克典 特任講師 (人間知・脳・AI研究教育センター) 「脳と心の哲学」(仮題)
  • 第8回: 吉田 正俊 特任准教授 (人間知・脳・AI研究教育センター) 「脳と心の科学」(仮題)

私もここで90分授業を2回、第4回「神経科学の方法: 観察と介入」(仮題)と第8回「脳と心の科学」(仮題)を受け持ちます。

そういうわけで現在の講義の構想をメモっておきます。(このブログはいつも構想練ってばっかだな〜)

第4回の方は神経科学入門なんだけど、理系、文系両方に向けての講義なので、「脳を研究するとはどういうことか、脳を調べたら何がわかるのか」という問いに答える形で、神経科学の基礎的な事項を導入することを目指してる(口調変わった)。

つまり、ある心的活動をしたら脳のどこが「光った」というfMRIの図があるけど、それって相関でしかないよね、とか、そもそも「光る」っていうけど何を見ているかというと血流量だよとかそういう話。じゃあ脳のある部分が「因果的に関わっていることを示した」っていうけどそのとき何をやっているかっていうと、脳のある部分を刺激したり、抑制したりということで、損傷研究、薬理的方法、光遺伝学とかについて紹介する。でもこれらはあくまで介入する方法でしかない。(いろんな視覚刺激を見せて応答を計測するのだって介入の一種だ。)

「因果を示す」ってどういうことか考えてみれば、因果推論とは介入ありと無しとの比較という反実仮想に基づく推定であって、因果のノードが外部の刺激から脳のネットワーク、そして行動までのループに広がっていることを考えれば、因果を「直接的に示した」みたいな言い方には注意を要することがわかる。

このあたりを突き詰めていくと、脳を局在論的に扱うのではなくてシステムとして捉えるべきだ、という考えにたどり着く。以前ブログ記事で取り上げたNCC(意識の神経相関)ってそもそもなんだったっけ?で書いたことはそれを意識に関わるところまで広げたものだけど、90分でそこまで行くのは詰め込み過ぎだろうから、第5回、6回への橋渡しを意識して導入するマテリアルの分量を調整する。

第8回の方はオムニバス講義の総まとめ的な位置づけで、第1回の田口さんの哲学から始まって、第2,3回でのモデリングを経由して、4,5,6回あたりでいったん神経科学寄りになって、ふたたび7,8回で神経科学とモデリングと哲学を合体する、みたいなかんじで考えてるので、こちらは第7回の宮原さんの講義の内容を引き継いだ上で話ができるようにと考えてる。基本的なアイデアは昨年行った「エナクティヴィズム入門一週間コース」(北海道サマーインスティチュートで開催)で使ったマテリアルからエッセンスを抜き出してということになりそう。こちらについては以前ブログ記事で構想練ってるところについて書いたけど( たとえば「エナクティビズム入門一週間コースをやります/エナクティビズムっていったいなに?」)、講義内容の方はまだまとめてないのでそのうちスライドをアップロードする予定。

これらの2回の講義では到底伝えられないであろう部分をきっちりやるのが、来年度の私の通年の講義ということになりそう。そういうわけで、ぜひ北大CHAINの履修しに来てください。(PR表記)


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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