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■ 「ロテンボリ、エムドゥ・モクター、男達の別れ」(さうして、このごろ2024年6月前半)

(2024/5/31) 「露天掘り」ってスウェーデン感あるよね。エドベリ、スヴェーデンボリだけでなく、ロテンの部分も。

汎心論のガレン・ストローソンがヘンリー・カウのオーディションを受けていた、という記述をwikipediaで見つけた。

前にも書いたけど、フレッド・フリスの兄弟がクリス・フリス(ベイズ脳仮説の人)。オックスフォード大学とかケンブリッジ大学とかのこの世代は、いろいろ混ざりあってて面白い。


自分は二次元の世界に踏み込んだあたり(2000年くらい)から、(原作付きかどうかに依らず)実写ドラマを観ることがだんだんしんどくなってきた。

それは、二次元の世界(えいえんの世界)に入り込むことで、三次元に対してうっすらとした嫌悪感を持つようになったからかな、と振り返って思う。

そういうわけで、いま実写化周辺で起きている問題には興味があるものの、じつのところ実写化作品をほとんど観てなくて、ぜんぜん被害を受けてないので、読者の立場からは他人事になってる。

それとはべつに、編集者との付き合い方とかそういう問題意識と重なるので、興味はあるけど。

そういうわけで、近年のアイドルにもまったく興味がない。その昔中森明夫が「おミズ」への嫌悪を表現したことがあるけど、自分はショービズ臭さが嫌い、というか怖いので、三次元のアイドルどころか、二次元のアイドルものにもほぼ触れてこなかった。生々しいのダメなんだよな。

自分が鍵に惹かれたのも、麻枝准の寓話的な感じというか、現実から退却してる感じ(それこそ「えいえんの世界」)に波長が合ったから、と言えるのかも。

昔書いたブログ記事: 「ショービズ臭と自尊心問題。」を見直してみると、冒頭の「In-A-Gadda-Da-Vidaのボーカルがショーヴィズ臭い」はうまく言い当てられてないな。

ああいうヴィブラート強めでソウルフルなボーカルが自分には、後期ビートルズ以前の芸能の世界(60年代のハリウッド,LA)から来たものに聴こえた、このくらいの補足が必要だった。

しかもこうして書いてみると、たんにブルー・アイド・ソウルが受け付けないだけだったように思える。(エリック・バードンやヴァン・モリソンも無理なので。)

アニマルズのウィキペを見たら、来日ツアーのエピソードを見つけた:

「ツアーは1968年9月に予定されていたが、ビザ取得が困難だったため11月まで延期された。ツアー開始から数日後、プロモーター(バンドは彼らがヤクザであることを知らなかった)がバンドのマネージャーを誘拐し、銃を突きつけてツアーの延期による損失を補填するための2万5千ドルの借用証書を書くよう脅迫した。誘拐犯が英語を読めないことを正しく察知した彼は、借用証書に「強要されて書いた」というメモを添えた。ヤクザは彼を解放したが、彼とバンドは翌日までに日本を出国しなければ殺すと警告した。ザ・アニマルズは、ツアー用の機材をすべて残したまま、すぐに国外に逃亡した。」

まさにショービズ的なエピソード。


The New York Timesの「10代の頃の音楽の好みが、大人になってからの好みに影響する」の記事 下の方で個別の曲の例が出てくる:

「例えば、レディオヘッドの「クリープ」という曲を考えてみよう。この曲は現在38歳の男性の間で164番目に人気のある曲である。しかし、10年前に生まれたコーホートでも、10年後に生まれたコーホートでも、トップ300には入っていない。現在「クリープ」が最も好きな男性は、1993年にこの曲が発表されたとき、およそ14歳だったことに注目してほしい。実際、これは一貫したパターンである。」

こちらはまた別のグループだと思うけど、"The power of nostalgia: Age and preference for popular music" オープンアクセスで論文が読める。

自分の場合はちょっと例外的というか、14歳(=1982年)に流行ってた音楽(「ベストヒットUSA」でかかるようなやつ)にハマれなかったので、ビートルズとか60-70年代のロックを掘り下げてた。そんな自分がはじめて同時代音楽にノレるようになったのは、1990年代前半のグランジ、シューゲ、ブリットポップだった。

というわけで、「ティーンエイジのときに聴いてた音楽を一生聴くようになる」という意味では該当するのだけど、それが自分の場合、当時流行ってた音楽ではなかった。

昔の自分のブログ記事で時系列的にまとめてた: 「私のからだを通り過ぎていった音楽たち」 (記念すべき、第一号の記事。)


「パワポをさわる前にWordを作れ」

これはわかる。自分の場合はWordではなくmarkdownだけど、アウトラインで構造を作るようにしてる。

それでもじっさいにスライドを作ってみないとその構造に説得力があるかわからないところは出てくる。(データの説得力、情報を出す順番など。) だからいったん構造を作ったら、構造と細部を行ったり来たりしながら完成させてる。

構造作りの段階でどのくらい詰めるかは、10分のグラントプロポーザルと90分の講義とで異なる。時間が短いほど、構造と理屈の流れ作りがより重要になる。

ついでにスライドのタイトルとまとめ文章についてだけど、自分は文章づくりのルールにある「既知からはじめて未知を後ろに持ってくる*」をスライドにも適応したほうがよいと思ってる。

(* Style: Lessons in Clarity and Graceより。)

だからタイトル部分には予想がつくこと(これからなにについて言及するのか)を書いて、スライドでデータを提示したうえで、最後にまとめとして新しいことが出てくるという形にしている。

いっぽうで、パラグラフ・ライティング的に、タイトルで結論を示すという理屈もある。

自分は前者のほうが聴衆のワーキングメモリーに負担がかからないと思っているけど。

"Style: The Basics of Clarity and Grace"については、とりあえずこのハンドアウトに要点はまとまってる。さっきの「既知から未知へ」はPRINCIPLE 3と4。


(ニジェールの)エムドゥ・モクターMdou MoctarはYoutubeでおすすめに出てくるとついつい観ちゃうくらいには好き。よく見るとギタリストはピックでなくて指弾きしてる。ジェフ・ベックみたいに。「砂漠のジミヘン」ってキャッチフレーズを見たけど、そういうのじゃなくて、ふつうにサイケデリックな音だよな。

音は違うけど、このサイケ感は(タイの)Khun Narin Electric Phin Bandにも通じるものがある。


「オペラ座の怪人はぬいペニ現場の分かりやすい例」 「オペラ座の怪人」は観たことがなかったけど、これを見てがぜん興味を持った。


ひさびさにエレカシEPIC時代初期三部作聴いてたけどやっぱすごいなあ。

「「序曲」夢のちまた」が好き。不忍池とか行ってみようと思いつつも、暗い自分の部屋で一日が過ぎてゆく、のを観想していて、焦燥感とかそういうのではない、なんか独特な感じなの。ラストで爆発するのだけど、そこでも「ああ、通り過ぎてゆく」という詠嘆なの。

これが出た1989年8月は自分は二浪してやっと大学に入ったところで、すっかりアパシー状態で自転車で隅田川とか不忍池とか行って、川面を眺めながら缶ビール飲んだりとかそんなかんじだったので、この歌には当時のテーマソングみたいなところがある。


LONG SEASONの「98.12.28 男達の別れ」版は佐藤伸治のギターソロが好き。ニール・ヤング的な、単音だけど歌ってるやつ。とくに12:49からのただただロングトーン鳴らしているところとか。


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