[月別過去ログ] 2014年11月

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2014年11月28日

さうして、このごろ 20140316

なるほど、「勝利の方程式」という言葉をよくよくみると、方程式解いてないじゃんって思う。逐語的に考えるならば、複数の拘束条件から(ナッシュ均衡的な)最適解を得るみたいなイメージが湧く。

しかし(たとえば)名監督の名采配ということであれば、毎回違う状況から流れに合わせて最適な手を打つことが必要になる。それならば「勝利の微分方程式」でどうだろう? もしくは、いつもの必勝パターンに持ち込むということだから、アトラクターに落とし込むということであって(<-かぶれすぎ)


無謬性なんかどうでもいいだろ。敗北主義で良いじゃんか。ぼやぼやと歩いて信号赤で警笛鳴らされたりしながら、泥と雪と魚の臭いと、騒音の向こうから聞こえる鐘の音と、そういうものでできたトンネルの中を、ポケットに手を突っ込んでかすかな熱を探りながら、正しくない選択をとり続けるんだ。

暗い寝室に戻って、黄色い防寒着を探してみたら、暗い部屋の中でその黄色は暗い灰色のようになっていて、なるほど黄色は白に近いから暗ければ灰色だななどと理屈に合わないことを考えた。そんな考えが、切れ味の悪い刃物のように、滑った鋼の棒のように、私の腹の中へと差し込まれるのを想像した。


オカザえもんが生理研に来訪。一挙に非日常モードへ。私は見逃したが。もしオカザえもんに質問できる日が来たら、Stereolabのジャケとかこの辺りのデザインからの影響の有無について聞いてみたい。


.@okazakiemon 「トマトケチャップ皇帝」いいですよね!


「虐殺器官」の4章を読んでたら、CEEP(Child Enemy Encount Possibility)という造語が出てきた。戦場で武器を持つ子どもたちというモチーフが、最近読んでた「虐殺器官」「スローターハウス5」「カタルーニャ賛歌」ついでに「カラマーゾフ」も入れてもいいかもしれないけど、なんだか連続して出てきたので、なんだか驚いた。

平行してkindleで再読していた「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」でも、語り手のなぎさは「実弾」を手に入れるために中卒で自衛隊に入ろうとする。いろいろあって結果としてそれは断念されることになるのだけれども、もしかしたらそこにも「子ども十字軍」のイメージはあったのかもしれない。


空へと続く階段? 「ブーツストラップ」? カモメとビスケット? なにもかもが明白すぎて、でもなにもかもおろそかにすることはできなかった。それでも疑問が浮かんでしまう。ぶら下がっている紐? 紙飛行機? 懐中電灯とスコップとセメントの袋? ぜんぶ引き寄せてフレームの中に押し込んだ。

世界が回る、地球が回る。血が巡り、水が回る。なんという偶然だろう? ほんとうに、水が回り、血が巡った。歌は終わり、火は止められた。ほんとうに、水が回り、血が巡った。


2014年11月18日

「真理の哲学 (ちくま新書)」貫 成人著 を読んでた

「真理の哲学 (ちくま新書)」貫 成人著 のフッサールの章を読んだら短いけどすごく明確でよかった。「超越論的速度性」のあたりはすごくオートポイエティックで興味あるが、さすがに紙面が足りなかったのかなんか横滑りしてる感じ。たぶん「経験の構造」を読んだほうがよいのだろう。

「路線バスだと思ってたら貸切バスだった」みたいな例から元の理性定立がアップデートされてより確かな理性定立へ至ることを「脱-誤謬 enttausschung」というあたりとか、ベイズかよとか思った。

そうしてみると、現出からいくら証拠が増えても完全な証拠(十全的明証)は集まらないので、そういう理想状態はカント的理念であるとかの話も現出=インスタンスのほうが所与で、対象、現出者=クラスのほうが不確定であるという意味でベイズ的(頻度論の逆)だよなあとか思った。

でもって、究極的にはクラスとインスタンスが片道ではなくってお互いがお互いを拘束するような鶏と卵的構造(duality)を持ってるんだろうとかそういうことをつらつらと考えていた。

つかZahavi本を英語で読んでると、the givenness of the objectとかthe object's different modes of appearanceとか書いてあったりしてプログラミングかよとか思う。

つかクラスを定義してからインスタンスを作るってそういう意味では現代というより近代的じゃねえの?それの逆ってありうるのか? つかそれがダックタイピング?(<-むちゃくちゃ)

つかクラスとインスタンスの関係に対応するのは、タイプとトークンの議論があるのだった。恥ずかしい、と言いつつべつに恥ずかしくない。


「真理の哲学」第2章をまとめてる。

p.76: 連合を経験している視点(=現象学)からの連合のメカニズム:(1)知覚においてまず生じているのは「なにかを思い出させる」という連合のはたらき (2)その結果、過去に見知っていたなにものかがピックアップされる (3)ふたつのあいだの類似関係が確認される

p.76: ヒュームやカントの連合では、二項の類似・隣接などが、わたしのそれについての認識以前に前提されている。これは「神の視点」を取っていることになる。二項間にあらかじめ想定された類似などを連合の起動因とすることはできない。

この本(「真理の哲学」)の「現象学還元から始めちゃうと観念論っぽく聞こえるかもしれないけど、要は「物自体」みたいな神の視点とかをあらかじめ想定するのって正しくないでしょ?」って言い方はいいと思った。ポパーの反証主義みたいに、科学者には受け入れやすい論点だと思う。


現象学において、物体(physical object)を知覚するときには必ずあるパースペクティブからの知覚であって、けっして充分にfulfillされえないという話のときに、たとえ理想状態として全てを知っている神がいたとして物体の知覚はあるパースペクティブからの知覚であって、もしそうでなければその経験は物体に対する経験ではないだろうっていう有名らしい記述を見て(Zahavi p.34)、ヘプタポッドはどう経験しただろうって考えた。と同時に、以前も同じこと書いたような気がしてきた。

検索かけてみたら見つけた。「ヘプタポッドには我々にあるような「経験」というものがあるようにはちょっと思えないのだ。」「過去から現在、未来までをひとつの相のもとに見渡すと言うとき…経験というものがあるようには思えないのだ。」

「不十全的な明証」とか言われるとわっけわからんが、Zahavi本で英語で読めば"inadequate evidence"だったので、英語のほうが簡単でいいじゃんって思った。

あと「Evidenceはfeeling of uncertaintyではない」って記述(p.32)を見て、evidence accumulatorモデルによるメタ認知の計算論の論文を読んでいるような気がして面白かった。つかたぶん、あっちの感覚ではそんなに離れてないんだろう。


(例のlibrahack事件で有名な)岡崎中央図書館の書庫蔵書を調べたらイデーンII-1だけがあることを知ったので借りてきた。ちょうどこのへんは知覚経験についての具体的な分析だったようで、この辺なら読めるかもと思った。サントニンによる黄視症についての記述も第18節にあった。

でも英訳がほしい。springer linkで発見。フリーではなかったけど、とりあえず目次とかが読める。たとえば「有心的自然」ってわけわからんかったが、英語では"Animal Nature"だった。


2014年11月07日

PsychoPyで試行錯誤中(2014年4月版)

Ubuntu 14.04が利用可能になったのでVMWareに仮想環境作って、PsychoPyをインストール。SciPyとか一色全部apt-get installで入れて、python-setuptoolsを入れる。これでeasy_install psychopyできる。

これでGUIなしでimport psychopyできるようになる。GUIは立ち上がらないので、python-wxgtk2.8 python-wxtools wx2.8-i18nをapt-get installすると/usr/local/bin/psychopyApp.pyが動く。

でもこのままだと画像(gabor.py)が出せないのでeasy_install pygletすると1.14が入る。でもこのままだと動画(MovieStim.py)が動かないのでavbinを入れる。エラーは出なくなったが動画は出ない。(<-イマココ)

(apt-get install psychopyすればいいだけなのだけど、一つ一つ確認しながらインストールしてみたかったという意味)

仮想環境だとディスプレードライバ周りで不都合あるし、かといってデュアルブート環境作るほど気合も入ってない。どうしたものかと思っていたが、USBメモリに環境作って起動させるというのが一番正しいのではないかと思い至った。以前はクソ遅かったが、USB3対応のものを使えば実用になるはず。

.@kosukesa 十河さんの例題18-1を見て、easy_installで構築してみようと思った次第です。

ただし、USB起動するときにはブートローダの書き込み先を間違えてOSに指定すると大変なことが起こるので気をつけないといけない。仮想OS上のGpartedからでやってみようと思うのだけど、トリッキーすぎるだろうか?

ここまでやっておいて、tobii analytic SDKがLinuxに対応していないことを思い出す。けっきょくWindowsでNBS presentationというのが一番はやいのか?

ついでにトビーのサイトを見てみたら、Tobii EyeX Dev Kit 139$というのを見つけた。これはeye tribeへの対抗か。こちらもWindowsだけ。はやくeye tribeがMac対応してくれるといいんだけど。

2/7の段階では"there are no plans for multi-platform support for the EyeX Controller and Engine yet"と言ってる。


2014年11月02日

わたモテとSAD

わたモテの黒木智子がSAD(social anxiety disorder)と捉えられるはずなのに日本ではそうならない状況について このコミック、チラ見した限り辛くて読めなかったのだけど、今度読んでみようと思う。

"The Most Mean-Spirited Anime I Have Ever Watched"


わたモテ1巻読んでるけど、いじめではなく「空気系ぼっち」だったので、その意味では予想していたほど陰惨なトーン(が裏を流れているというかんじ)ではなかった。


「動物に「うつ」はあるのか」を読んでいたらdisease mongeringの一例としてSADが挙げられていて、やっぱそうかと思った。正確な表現はp.98:「たしかに、それまではたんに「人前で緊張する」ととらえられていた人たちに対し、「社交不安障害」という病気であるとして、抗うつ薬による治療を過度にすすめる動きなどは、「病気喧伝」(…)といわれてもしかたがない面もあると思います。」

ここの切り分けは難しいけれども「人前で恥をかくのが恥ずかしい」という当たり前の感覚から、「身体症状が出て本人が苦しんでいて人前に出られなくなる」までの幅がある。"Disease mongering and drug marketing"には"One such example is social anxiety disorder, better known as shyness … "とか"shyness is a new disease invented by Glaxo"とかそれはそれで極端な表現がある。

読むべきはこれか:PLoS Medicine Disease Mongering Collection

SAD(社会不安障害・社交不安障害)とは? この記事は「SAD」と「恥ずかしがりの性格」との違いを明確に分けているので納得がいく。


わたモテは5巻まで読んだ。やっぱ自虐辛くて笑えない。救いはないが、聖者が理不尽にいじめられているという描写でもない。まさに空気系ぼっち。4,5巻辺りでちょっとトーンが変わったか? 出てくる教師がどれもクズで、作者の恨みの深さを強く感じた。


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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