[月別過去ログ] 2011年04月
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■ 階層ベイズなdiffusion model
たぶんどっかで「信号検出理論と応答潜時のaccumulator modelとが統合されてconfidence levelとかの議論ができるようになるべき、俺の仕事じゃあないけど」みたいなことを書いた気がする(*)けど、これはけっこうそれっぽい: Two-Stage Dynamic Signal Detection: A Theory of Choice, Decision Time, and Confidence
(* あとでブログ調べたらこれのようだ:Confidence in LIP「"Log posterior odds = log-likelihood ratio + log prior odds"という式はaccumulator modelとSDTとを組み合わせるために有望なものです」もっといろいろ書いてた気がするのだけれど。)
Constraint-freeな状況でライフログ的に膨大なデータを獲得するというやつは階層ベイズモデル(とその仲間)と組み合わさることで威力を発揮すると思う。つまり、たくさんのデータがあるところで、構造を考えずにデータマイニングすると終わりが見つからない。いっぽうで、充分リアリスティックな階層ベイズモデルをつくるためにはそのパラメーター空間を充分埋めてくれるような大量な多次元データが必須だ。
このふたつの組み合わせによって生成モデルを作ることができる。生成モデルを作ること自体が理解するということであり、統計モデルでしかないという意味ではこれがまず第一歩。もちろん、本当は統計的モデルではなくて、動力学的なモデルに行きたいのだけれども、その前を固めることが重要。
そういう意味で以前「生態学的アプローチを見習ってGLMMとか使ったらいいんじゃん」とか書いた。実際、この論文(pdf)のfig.2とかシビれる。こんなかんじで、電気生理から解剖学まで全部ツッコみたい。
アイデアの発端は以前のJNS論文で使ったdiffusion modelなんだけど、あれはかなり大胆にモデルを簡略化してパラメータたった二つにしたことでなんとかなった。大元のdiffusion modelはもっとパラメータが多い。当時はこんなパラメータ多かったらなんでもfittingできちゃうでしょ!とか思ってたけど、逆に行くならば、たくさんのsubjectとたくさんのセッションとたくさんの条件でたくさんデータを取ればたぶんもっと複雑なものでもいけた。じっさい、nhpのデータのいいところは、データ数がsubjectあたりで万を超えるってところ。ヒト被験者ではこうはいかない。
Diffusion modelはそれでも脳の中の過程はぜんぜん考えてない。個人差とかいろんなrandom effectを取り込んでいけばよいでしょうなんて思ってたら、Ratcliffの共著者だったTuerlinckxによる"HIERARCHICAL DIFFUSION MODELS"(pdf)ってのが出てきた。まだ読んでないけど、こんなかんじでいきたい。
書いててわかったぞ、つまり、Ratcliffの論文読んでるといつもなんか歯がゆい感じがしてたんだけど、つまり、データがショボイくせに複雑なモデル立ててなんとかしようとしてたからなのだな。驚くべきことに、Ratcliff論文ではsubjectのデータをmergeしている。そうしないと充分なデータ数が集まらないからだ。つまり、データとモデルのバランスが悪いからなのだな。これがさっき書いたことと繋がる。
(ついったに書いたことを元にして編集して作成した)
2011年04月21日
■ ブログどうやって活用するかいつも通りちょっと考えた
ブログの方はちびちび更新してはいるものの、骨格とかはぜんぜん以前のまんまなのでなんとか更新したいなあと思ってた。でもいまさらmovable type 5にアップデートするのも先がないよなあとも思うし(おわコンとか知ったかぶりして言ってみたり)、wordpressにも惹かれない(テンプレ中にphpコードがばらまかれてるとかなんかヤダ)。そもそもブログという形式がよいのかなとも思う。
自分のブログをさかのぼって読んでいても、自分的には内的な流れをいろいろ思い出して面白いんだけど、これだけ巨大になるとこれを一つ一つ読もうという人もいないだろう。(かつてはアクセスログを見ると、なんか記事を見つけてそこからどんどんさかのぼって読んでくれた様子が見えたものだ。)
カテゴリー分けしてアーカイブしたりはするけれども、それが活用されているかんじもしない。かえってgoogleとかで無駄に検索に引っかかって申し訳ない気もする。
以前はwikiとかにした方がよいかとか考えていたけど、なんかピンと来ない。なんかCMS使うのかなあ。最近ちょっとJoomla!をいじってた。インストールが激カンタンで驚嘆した。こいつからCMS臭さを消去して(「ログインしてください」とか削って)、flowとしてのブログとそれを再構成してまとめたstockとしてのサイトとを作るとかかなあ。twitterとfacebookとに分散したものをまとめたいというのもある。ただいっぽうで、そもそもこういった「俺ポータルサイト」みたいなのってweb2.0じゃないよなあとも思う。
とにかく断片としてソーシャルに使えるようにしておいて、でもそれらの断片がpooneil.sakura.ne.jpにつながるようになってればいいのかなあ。でも"like"ボタンや"tweet"ボタンくっつけたりするだけじゃあしょうがない。どうやらそういう人たちと客層が違うようだし。
わたしのところのお客さんというのはつまり、googleでなんか調べ物してて("Goodale and Milner"とか"遠心性コピー"とか)それで何度かわたしのサイトが引っかかって、これ前にも見たなあって思った結果としてidentifyされるってあたりだろうと思う。
だんだんそういう意味では役に立たなくなっている。ちょっとややこしく書きすぎてる。これは複数の人に指摘された。だからといって、なんか対策しなきゃとおもっているわけでもない。これでアフィリエイト入れて稼ごうとかそういうつもりがあるわけじゃなし。
わたしがどういうことを面白いと思ってるかとかが分かってもらえたら、どういう関係であれそれはメリットなんじゃないかとか思ったりはするけど。その意味では単著を書くよりはアクセシブルだ。(<-「単著もないのに」症候群)
だから…なんなんだろ。まあどうでもよい気がしてきた。どうあれ俺は書き続けるのだろうし、書けば書くほどに書きたいことは増えるし、でもそれがどうにも突き抜けてないというもどかしさは増える一方だ。そういう自分とつきあい続けてゆくのだろう。それ以外に動機なんてはじめっからなかったんだ。
といいつつふと思い立って、ひさびさにpagerank調べてみたら4から3に落ちてたので軽くショックを受けつつ(こんなもん、長く続けてれば上がることはあれど下がることはないと思ってたYO!)、だからどうしたというわけでもない。(<-あんがい気にしてらっしゃる様子)
ひさびさに更新頻度を高めてみた。ついったに書いたことの再編集なのだけれども、こっちはこっちで見てくれる人がいるらしく、アクセスは増えてる。あと、facebook経由でコメントもらえるようになってきたので、facebookのコメントプラグイン使ってみようかと考えてる。
2011年04月18日
■ 僕らって基本的にゾンビモードだよね?
自転車に乗って帰ろうとチェーン鍵を外してさあ出発と思ったら動かない。そういえば今日は朝来たときは雨でチェーン鍵が錆びて動かなかったので、チェーン鍵を外しっぱなしにしていたのだった。つまり、いまわたしは自転車に乗ろうとして、外してあったチェーン鍵をわざわざはめていた。いかに無意識にこの作業をトグルオンオフしてるだけかがわかる。
昼ご飯買うつもりで生協に行ったのだけど、ずっと考え事していたので、気づいたら生協のトイレに行ってそのままなにも買わずに帰ってきていた。まさにゾンビモード。たまにこういうことあるけど(車を運転しているときでさえ!)、たぶんサリエントな刺激(知り合いが前から歩いてくるとか)があればゾンビモードは解除されるんだろうなあと思う。
これってわたしだけじゃない一般的なことだと思うのだけど、浪人生の時にボウっとしながら自転車漕いでいて交通事故にあったことがある(*)ので若干心配。(<-「若干」使ってみたかっただけ。)
(* 走ってる車に横から激突して頭打って気絶したらしいのだが、なにせ事故直前の記憶がないもんで、なんでそんなことになっちゃったのか自分でもわからない。記憶の定着には時間がかかるのだということを身をもって経験したという話でもある。)
ゾンビモードについては小学生の時に発見したな。夜にそろばん塾からの帰り道、団地の脇の通りをずっとまっすぐ歩いて行くのだけれど、ふとなんでいまこの道を歩いているのだろう、塾の出口からそこまでの500メートルをどうやって歩いていたかわからない、ということに気づいた。これがわたしのはじめての「クオリア経験」とでも申しましょうか。
という話を家族にしたら、そんな経験ないし、ちょっと大丈夫? と問われた。そういうもんなの?
だったら、酔っぱらってどうやって帰ったかはわからないけど気づいたら家で寝てた、これならだれだってあるはず。こっちの場合は意識経験がなかったというよりはその経験の記憶が定着しなかったと説明する方が尤もらしいけど。
「われわれには自由意志などなくて、後付けで自由意志で行動したように感じるだけなのだ」説ってのがあるけど、わたしにとってはこのような経験からほとんど自明のように思えるのだけれども、もしかしたらこの実感のレベルは個人差があるのかもしれないな、なんて思った。
(ついったに書いたことを元に編集して作成した)
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- / 投稿日: 2011年04月18日
- / カテゴリー: [視覚的意識 (visual awareness)]
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2011年04月15日
■ Neurobehavioral Systemsのpresentationをいじり中。(2月に)
さて今日はNeurobehavioral Systemsのpresentationをいじり中。30日間使用できるので、とりあえずwindowsにインストールして、デモプログラムを動かしている。
デモプログラムを始めるのにリターンキーを押す必要があることに気づくのに30分かかるとかそんな調子。いまはマウスが日本語名であるためにプログラムから認識されない問題に対処中。娘は隣で宿題やってる。そんな休日。
日本語の外部機器(マウスとか)が見つからないって言われる問題はExperiment File(*.exp)のなかにその情報があるのか。いつも上書きしますか?と聞かれて嫌だと答えていたから同じこと何度も繰り返してた。
なんど日本語の「マウス」を指定してexpファイルを保存しても、読み込み時に文句言われて実際マウスが指定されていないので途方に暮れていたが、設定をよく見たらencodingがUTF-8でなくてsingle-byteであったことに気づいたときの徒労感は異常(<-なげえよ)。
Neurobehavioral systemsのpresentationいじり中。とっかかりになりそうな実験ファイルがあったのでそれを元に改変してゆく。だんだんわかってきた。
実験ファイルはおもに三つの部分で構成されていて、ヘッダとSDLとPCLがある。ヘッダに定数を置いて、SDLでクラスのインスタンスを作って、PCLでクラスのメソッドを使って動かしてゆくのだな。なるほどなと思ったのは、trial自体もクラスで、その中で提示時間とか刺激とかも定義する。
TEMPOのCライクな文法と比べるとこちらはオブジェクト指向な、もうちょいモダンな文法だ。10年前のわたしには無理だったかもしんないけど今なら使えそうだ。
たとえば赤い四角を定義するとしたらこんなふうになる。
box { height = 100; width = 200; color = 255,0,0; } red_box;
これでboxクラスのred_boxっていうインスタンスというかなんかを作る。あとは同じ要領で、刺激のパーツ(box)、課題の画面(picture)、課題のスケジュール(trial)が階層的に定義されていて、そのインスタンスを作ることができる。
たとえば赤い四角を一秒間提示してもう一秒経つと終了、という課題を作るときにはこういうふうにする:
#---------------------------- begin; box { height = 100; width = 200; color = 255,0,0; } red_box; picture { background_color = 0,0,255; box red_box; x = 0; y = -100; } red_pic; trial { trial_duration = 2000; picture red_pic; time = 0; duration = 1000; } red_trial; #---------------------------- begin_pcl; red_trial.present();
ぱっと見でだいたい何してるかはわかると思う。静的なところはbegin;以下の部分(SDL)に書いておいて、動的なところはbegin_pcl;以下の部分(PCL)に書いておく。たとえば提示する図をシャッフルするとかはPCLで。
クラスの定義のところ自体はもうありもんとしてreference manualに記載されているけど、たぶん頑張れば派生クラス作ったり、一からクラス作ったりすることはできるのだろう。
かなり進んだが、いまだにstimulus_dataとresponse_dataの違いとか分からない。stimulus_data.sceを読めばいいらしい。なにが気味悪いって、hit-missはstimulus-responseの関係なのにresponseの方に入っている点。
いまどきパラレルポートのあるPCなんてもうないから、デジタルの入出力をどうするかはけっこう問題らしい。 以下presentationのforumから:
- fMRI : Detecting a TTL pulse using USB
- fMRI : USB port for response during fMRI
- Hardware Interfacing : Output via USB port
- fMRI : Recommendation for a USB digital I/O device
Forumが充実しているってのは素晴らしい。
まあとりあえずTTL->USBコンバータ 買うのと、NIの一番安いUSB DAQユニット買うのの二本立てでなんとかしようと思う。
TEMPOだとひとそろい集めるので250万円くらいかかるので、presentationでPCひとつと5万円ってのは気楽だ。心理学的な課題(Visual searchとか)はたぶんこれでよい。視覚心理物理がこれでいけるかまだ分からない。PsychoPyとかいろいろ出てるし。
PCがどんどんレガシーなものがなくなっていって、CRTとかパラレルポートとかシリアルポートとかに依存しているものはどんどんやりにくくなっている。PsychoPyとかpsychotoolboxとかがどうやっているか分からないけど、OS上でやってるかぎり問題は変わらないはず。
たぶんもうソフトウェアだけでの解決ってのは無理なんだろう。なんかreal-time OSを走らせている外部boxを使ったシステムとして開発すればよいのではないかと思うのだけど。Matlabの場合でいえばxPC TargetBoxみたいなかんじ。
TEMPOは心臓部分をDOSのPCで動かしているのと形式的には同じだけど、TEMPOの場合はいまどきrealtime-OS部分にでかいPC一個あてがって(PCIボードを入れる必要があるから)、しかもフロッピーで起動とかクソ過ぎる。実験前に起動が引っかかったりして冷や冷やしたよ。
組み込み用のシステムだったらシリアルだってパラレルだって現役だろうし、なんか新しいことをする必要はないよね。中身ビーグルボードで1個50万で売ればじゅうぶん価格破壊で、年に50個売れて2000万円くらい儲かるんでないの? (<-まさに素人の床屋談義)
でもそれよかおしゃれなのはオープンソースハードウェアの流れで、外部boxとクライアントPCのプログラミング言語と全部込みでフリーってのがいいよな。たぶんそういうの支援する競争的研究費があるはずだから、業界への貢献としてそういうプロジェクトを立ち上げても良いんではないだろうか。
これも俺がやる仕事とは思えないけど、こういうのは使いたい人が作らないといいものにならないし(作ったけど動いてないシステムというのがあることは知っている)、オープンソース的思想でもってやります、ってだけで充分貢献だと思うけどなあ。
バカな質問なのかもしんないけど、そういう目的で科研費とって、オープン化前提で業者の人にデザイン・実装してもらうって可能ではないのだろうか。データ共有、解析関連の話にも繋がるけど、使いたい人が作るってところが大事だと思うんだ。
だがそんなことはどうでもよい。それより気がかりなのは、「今日の雨、傘がない」ということであって、枯れてたアジサイにこの冬いっぱいダメくさいと思いつつも水を与えてきたけれど、やはり芽は出ず、やっぱり無理だと決断して引っこ抜いたので、この植木鉢を今後どうするのかということだ。
(ついったに書いたことを元に編集して作成した)
2011年04月13日
■ 「解明される意識」の翻訳にツッコミ
南山大学セミナーにあわせて「解明される意識」で盲視に言及しているあたりについてまとめておこうかなと思って読んでるんだけど、さっぱり読めない。訳がけっこうぼろぼろだと思うんだけど。訳者は哲学の人だから脳科学の知見のあたりは不得意なのだろう。
しかたないので原書の方に行ったらそっちのほうがわかりやすかった。訳書 p.402 刺激の「突出」が増大 => 原書p.338 stimulus "salience" increases とか。
訳書の同じページにはこうある:
また別の被験者たちは、「暗い影」が明るく眼を引くものとして現れて、それがどんどんはっきりしていくのだと、報告している。
どうも言っている意味がわからない。ここは原書を見ると誤訳だ。
Other subjects report "dark shadows" emerging as brightness and contrast are increased to high levels.
ここはじつはtype IIの盲視についての説明なのだ。(type IIの盲視については以前書きました:「盲視でおこる「なにかあるかんじ」) だからわたしが訳すとしたらこんなかんじになる:
ほかの被験者たちは、(視覚刺激の)明るさとコントラストが高くなるにつれて現れる「暗い影」について報告している。
これだと直訳調なのでもうすこしかみ砕くと:
ほかの被験者たちは、(視覚刺激の)明るさとコントラストが高くなるにつれて「暗い影」が現れる、と報告している。
この部分に関してはたまたまわたしは予備知識があったので、意味的に言ってこういうことだろうってわかる。
でもそうでなくても、文法的に考えてみても、元訳のようにbrightnessがshadowsのbrightnessであるという解釈はありえない。もしそうならas THEIR (or THE) brightness and contrast となるはずだからだ。すくなくとも無冠詞にはならないだろう。
あ、わかった。文法レベルで誤解してるんだ。
Other subjects report (that) ["dark shadows" emerging as brightness and contrast] are increased to high levels.
って読んでるんだ。ほんとうはこうでしょう:
Other subjects report ["dark shadows"] (that is) emerging / as brightness and contrast are increased to high levels.
それはそれとして、日本語でこういう本の翻訳が出るということは得難いことであって、わたしもいろいろ洋書を買ったりするけど、けっきょく積んでて、訳書が出てからそっちを読むことになる。やっぱ読めるスピードがぜんぜん違う。たぶんほかの分野の本もそうなのだろう。訳書はとばして読んで、原書で精読するってのがよい。訳書で精読するってのは戦略的に正しくない。原書でとばして読めるなら訳書はいらない。そして、わたしには訳書が必要だ。
(ついったに書いたことを元に編集して作成した)
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- / 投稿日: 2011年04月13日
- / カテゴリー: [視覚的意識 (visual awareness)]
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