[月別過去ログ] 2024年06月
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■ Googleの検索の質が下がっている話について自分の経験を交えて書いてみた
(20231104) ギガジンの記事を経由してTHE VERGEの記事 "The people who ruined the internet"を読んだ。
前半はSEO業者編で、後半はGoogle編という構成なのだけど、Googleはけっして検索結果がクズになったとは認めてない。
ここは具体例が必要そうだ。私は本の題名を検索したときのユーザー・エクスペリエンスが低下したことを不満に思っている。たとえば「ジェフ・ホーキンス 脳は世界をどう見ているのか」と検索したならば、書店の販売情報がずらりと並ぶ。
でも知りたいのは「その本をどうやったら買えるか」なんかではない。そんなのamazonで調べる。そうではなくて、「その本についての感想、考察」を知りたい。
「ジェフ・ホーキンス 脳は世界をどう見ているのか 感想」とすればある程度は感想が増えるけど、honto、読書メーター、ブクログといった集合知サイト(これらはしょうもない断片的な感想ばかりで、使いものにならない)が上位に来て、以前のような面白い個人サイトが見つからなくなった。
私にとってはこれが不満だ。でもこれはGoogleにとっては意図的な方針であって、評価基準E-E-A-T(経験, 専門性, 権威性, 信頼性)を反映したものらしい。
けっきょくのところ、そういう個人サイトは「権威性、信頼」の点で欠けるので、検索順位が下がる、下がるどころか検索結果に出てこなくなった。
私自身はWeb 2.0の思想に賛同してブログを書いているということもあって、そういう「ロングテールを可視化できる」といった強みが消えていく現状に不満をいだいている。
たとえば"The electric Kool-aid acid test"で日本語のページを検索すると38件出てくる。でも、このなかで真っ当にこの本について語っているのは私のページと「サイケデリック漂流記」しかない。
でもこれらは検索の下位に出てくる。pooneilが20位で、サイケデリック漂流記が28位。5位に読書メーターがあるので開いてみると、「感想・レビューがありません」という空白ページが出てくる。
そんなわけで、E-E-A-Tといいつつ、経験、専門性などどうでもよくて、権威性、信頼性、に振っているということがよく分かる。
こうして考えると、検索の順位には「inforrmativeであるかどうか」を考慮すべきなのではないか、というアイデアが浮かぶ。つまり、書店サイトが上位に並んでも、同じ書誌情報が繰り返されるだけで情報が増えない。
そうではなくて、そのサイトにしか書いてないような、情報量を増やすようなもの(しかし信頼性のあるもの)に高い順位を与えるようなアルゴリズムがよりよい検索サイトには必要なのだと思う。
そうすれば、たとえば読書メーターのサイト内でも、感想ゼロの本のページの順位は落ちるし、感想が充実している本のページの順位は高く保たれる。こういうふうにできないものだろうか? 生成AIがクロールして学習する際に、informativeであるかどうかは評価できそうなものだけど。いま出てきている生成AI検索機能がそういう風に増強されないものだろうか。
こうして言語化してみると、自力で書評検索サイト(集合知的なあれではなくて)を作ったらハッピーになれるか、さらにいえば周りの人もハッピーにできるかも、と考えた。自分が興味のある本をWebクローラー使うところから徐々にスケールしていけば実現性もある。定年後にやることのネタ帳につけておく。
(20240217) Google検索の質が低下しているって話題についてはてブ界隈でしばしば見るようになった。わたしも自分の身近な経験(本の題名で検索)について上記の通り書いた。
そのときはGoogleの評価基準E-E-A-Tが(広告収入のために)歪められている可能性をオチにした。
でも最近のmarkezineの記事を読むと、これは「3rd Party Dataから1st Party Dataへの流れ」とリンクしているようだ。
すると「Googleがevilで広告収入集めたいから」なんて悪玉説では不十分なのだな。これは検索エンジンそのものの危機であり、生成AIへの移行が不可避である現状を反映したものであると捉えるのがよさそうだ。
そうすると以前のテッド・チャンの記事「ChatGPTはウェブのぼやけたJPEGだ」への見方も変わってくる。
テッド・チャンの記事「ChatGPTはウェブのぼやけたJPEGだ」
これの結論(というか締めの文章)はこういうものだった。
「もし私たちがインターネットへのアクセスを永久に失い、限られたスペースしかない個人サーバーにコピーを保存しなければならないのであれば、ChatGPTのような大規模な言語モデルは良い解決策かもしれない。しかし、私たちはインターネットへのアクセスを失うわけではない。では、オリジナルがまだあるのに、不鮮明なJPEGがどれほど役に立つのだろうか?」
私はこの結論に無意識的に同意していた。その反映として「検索エンジンが提示する1次データをかき集めて、自分の情報収集能力と編集能力を発揮する」という行動方針を取りつつ、同時に「検索エンジンの劣化を嘆く」という行動を取っていた。でも後者の原因は前者の行動方針にある。
たぶん今後必要なのは「検索エンジンの代わりに生成AIを活用しながら、それでも生成AIが出した答えが怪しいときには適宜1次データに当たって確認できるリテラシーを持つ」ということなのだろう。
私はPubMedの論文片っ端から読んだりする派だったので、まだ体が慣れないのだけど、老害にならないためには必須なことだなと思った。
論旨が紆余曲折したが、雑にまとめると「google検索が劣化したと嘆いてる人は、そのままだと生成AIを使いこなせてない老害になる。」でもこれはさすがに言い過ぎ感があるな。
現時点でgoogle検索が頭に返してくる生成 AIの結果は間違いだらけだったりする。あれで半分知ってることならまだしも、全然知らないことを検索したときに「これは間違ったこと書いてある」と気づくのは簡単ではない。将来的にも程度の差はあれ同じだろう。
そうして考えてみると、google検索で一次資料に当たるリテラシーがない人が生成AIを使いこなせるだろうか?と自分で反論してみる。
結論出せず。
2024年06月13日
■ BEATLESS (長谷敏司)についてメモ
(20230921) 長谷敏司のBEATLESSはハヤカワ文庫の原作とアニメを並行して読み進めていて、いま21話まで来た。原作は2012年、アニメ化は2018年だけど、「アナログハック」というテーマはChatGPTがある今、現実味が出てきてすごく面白くなってる。 長谷敏司氏のブログ記事: 「アナログハックの時代が、そろそろ始まりそうだ」
超高度AI《ヒギンズ》が最初に設計した(そして爆破された)のが《イライザ》、というところで「ピグマリオン」「マイ・フェア・レディ」から名前を取っているということに気づかないといけないの、俺にはムリ〜
それはそれとして、主人公の「遠藤アラト」の「アラト」って「新しい人」なんだろうなあと想像した。
ネットで見つけたコメント (ソースはこちらのコメ65 を補完):
「なんというかレイシア級は製造目的からすると、最初からあえて不完全にできていて、人間と一体運用されて初めて製造目的を達成できる様になってる節がある。戦略組めない人との戦いに勝つ道具 (紅霞) 新しい物を生み出せない進化の委託先としての道具 (スノウドロップ) 自分から積極的に動けない環境を整える道具 (マリアージュ) 行動が行き当たりばったりな人間を拡張する道具 (メトーデ) ってポンコツだらけやん」
これはなるほどと思った。レイシアはアラトと組むことでこの物語の結末を生み出した。でも別の人と組むことによって、レイシアは「邪悪な謀略を繰り出す政治マシーン」となるIFもあったのだろう。
逆にたとえば、スノウドロップが人間と組むことによって人間が進化するIFもあったのかもしれない。(とはいえ、そもそもスノウドロップに人間と組む動機がなかったけど。)
そのようにヒギンズは「娘たち」を設計し、最後に設計されたレイシアが人間と組むことで破滅を避ける可能性を生み出したが、それでもギリギリ運任せだった、と読める。
(20231029) 「BEATLESS」長谷敏司 (文庫版)を読了した。4月に購入してからアニメ版と並行して読んでいたが、やっと終了。アニメ版はモノローグがないので、アラトが状況に振り回されているようにしか見えないところも多々あるのだけど、文庫版の方でだいぶ補完できた。
アラトはチョロいと言われつつも、自分の結論にたどり着くところは(宇野常寛的な意味での)決断主義ではなく、「ビジョンを持てるかどうか」の違いとして描写されていたと思う。
いろいろ考察はできるけどそれは置いといて、印象深いシーンを思い出すと、始終冷静なレイシアよりは紅霞やメトーデのほうを思い出す。メトーデの悲痛な「信じて、信じて」が胸に来る。(「心に茨を持つ少年」のようだ。) むしろ紅霞やメトーデのほうが人間臭い行動をしていた。
(20240317) 「redjuice × 長谷敏司対談」 さいきんBEATLESSを読んだ私には面白い記事だった。
redboxってのは、BEATLESS内での造語で、AIが作り上げた人類未到産物のこと。AIの進歩を人間が必死に追いかけていることを赤方転移(遠ざかっている天体から来る光が赤い方向にずれる)になぞらえてredboxと読んでいる。もし人間が追いかけるのを諦めたらそれはblack boxとなるということを含意している。
BEATLESSは2012年の作品だけど、いまのAIの状況を踏まえて読むことでより実感を持って読める。アニメも小説もおすすめ。
2024年06月09日
■ The Beach BoysのSurf's Upをカバーして歌った
(20240609) ひさびさにDAW開いて、The Beach BoysのSurf's Upをカバーして歌った。アコギだけでコーラスも簡略化バージョン。
キーは原曲と同じだが、"Columnated ruins domino"の部分(high Eb)が出なくなったので、そこだけ1オクターブ下げた。今はラストのコーラス部分のhigh Cの音がギリギリだった。
工夫したポイントとしては、元曲ではテンポが何度か変わるし、テンポが揺れているのに対応する必要がある。そこで、DAWで作る際も4パートに分けて、bpm 84, 100, 120, 100としてみた。これで"The glass was raised ..."のところがなんとか成立したんではないかと思う。
Youtubeにアップロードしたら、ちゃんと「著作権で保護されているコンテンツが見つかりました。著作権者はYouTubeでのコンテンツの使用を許可しています。」と出た。ちゃんとカバーだと認識してくれている。
2024年06月06日
■ 「ヒヤリハット、BSS、キャッキャウフフ」(さうして、このごろ2023年10-11月)
(20231024) 今日もまた、私利私欲を抑えて、他人のために行動してしまった(2件)。これが自己満足でなければよいのだけど。
自分は「一発だけ出るしゃっくり」(たぶんチックの一種)を持っているので、この話題に興味がある。
講演の話者でやたらと咳をする人がいるけど、あれもチックだと思う。コンサートの観客で咳をする人もたぶん同じだ。
咳をする人はすごく限られているし、それはランダムには発生してない。その人達は緊張から緩和されたタイミングで咳をする。あれを悪意で捉える必要はないと思う。逆に、意識して抑え込まないと出てしまうタイプの行動だと思う。
それとは別に、contagious yawningと同じように、伝染する側面があるのも面白い。
自分は学生の飲み会があったら、金だけ出して、口は出さない、なんなら顔も出さないように心がけてる。仕送り生活で学生並みの財政状況なので、毎回ちょっとしかお金が出せなくて申しわけないと思ってる。
だから後日に礼を言われることを期待してないし、されても困るし、されたこともない。
今日はなんかちょっと調子が悪かった。ランチャー(Alfred)で"Slack"と叩こうとして、"S"まで入れたところで止まってしまった。その次は"vs code"と入れようとして、なにから入力すればいいか10秒ほど時間がかかった。
なんかこういう、急に頭が働かなくなる感じは、先崎学や田中圭一や相原コージとかのうつ発症エピソードで見たことがある。いまのところそこまで深刻な感じはしないのだけど、ヒヤリハット事象として、ここに記録しておく。 たいしたことでないといいのだけど。
IHヒーターのIHってなんの略だっけ?とググってみたら、1ページめにはIHヒーターの価格.comとかアマゾンとか楽天とかそういうのばかりで、IHがなんの略だか調べるためにはぜんぜん使えない。それぞれのサイトはSEOを頑張るだろうけど、けっきょくのところGoogleが商売に関連するものばかり優先しているのでこういうことになる。俺は、こんな世界は、イヤだ。
eLife編集長のマイケル・アイゼン氏が解任のニュース。 マイケル・アイゼン氏がSNSで風刺ツイートを支持したことが発端で、イスラエルよりパレスチナ側に立っていると非難されたようだ。(記事にもあるように)氏自身はユダヤ人であり、ハマスのしたことを避難しているにもかかわらずだ。
FBでは、(自分の知り合いの)ユダヤ系の研究者がイスラエルによるガザの爆撃への支持を表明してプチ炎上している。
研究者として他人事ではない状況だ。この状況で見えてくるいろんな人の行動から、どのくらい信用が置けるか情報集めをしておこうと思った。(ちなみにこのFBの人は、「IITはニセ科学論文」に署名してた。)
「絵柄の古さの話題」 この記事経由で、やぶうち優の画風の変遷を見たら、ちゃんと今っぽく調整されているので、スゲーって思った。
岡崎市が東海オンエアの聖地巡礼で若者が集っている、ってニュース。岡崎を離れて4年近くになるけど、こんなことになっているとは知らなかった。東岡崎駅前のまんぷく家が大行列って、あそこ、そんなにスゲーところでもなかったぞ。
トミックさんの海鮮丼Youtubeチャンネルは、札幌や小樽の店の情報を収集するためにちょいちょい見てた。でも最近、岡崎魚市場の「平の食堂」が取材されてて、すごい評判良かった。
これは盲点だった。自分は岡崎市に23年在住してたけど、岡崎魚市場には行ったことがなかった。だいたいあのあたりでお魚市場に行こうとなると、一色さかな広場に行っていたから。
隣でうなぎを炭火焼きする店にも惹かれる。こんど岡崎に行くときには寄ってみようと思う。
恋愛代行 (赤坂アカ×西沢5㍉)はジャンプラのコメント欄とか評判良くないけど、自分はもっと西沢5㍉の作風に寄せて、心を抉る方向に行ったら面白くなると思ってた。だから今週の南砺くんのBSS展開は好き。
「突然胸のこの辺りがキュッとしてきて…吐き気とともに脳がチカチカしてきて…」って言いながら「チカッチカッ」ってする表現、あれ福本伸行の「ぐにゃあ」に匹敵するナイス表現だと思う。
極度のストレスで知覚が歪み、視野が狭くなる感じ、そして、目の前が真っ暗になるのではなくて、オチそうになっては復活するのを繰り返す、そういうのが「チカッチカッ」っていう表現だと理解してる。(追記: 見返したら、そんなに秀逸な表現でもないかと我に返った)
劇場版「ぼのぼの」(1993)が各動画配信サービスで配信をスタート、というニュース。 これ観に行ったわ。そのときのことについて語るつもりはないけれど、私の人生にとって、重要な瞬間だった。
封切りされたのが1993年11月13日なので、たぶん11月中に観に行ったのだろう。でもって泥酔して湯島の坂で自転車で転倒して左耳を7針縫ったのが、1993年12月25日。激動の日々だった。あのとき俺は死んで、そのあとの俺はずっと抜け殻だ。(おおげさ)
"The future that Babin had cackled about at the alligator party was already here."をdeepL翻訳したら、「バビンがワニパーティでキャッキャウフフしていた未来は、すでにここにあった。」となった。 キャッキャウフフと訳すとは、やるな、deepLと思った。
2024年06月01日
■ 「デート中おばあちゃん助けた話」を見て考えた
(20240531) 増田の「デート中おばあちゃん助けたらフられた話」への返答が荒れてるの見て驚いた。
てっきり「デート中おばあちゃん助けるみたいな偽善的な行動うざい」「美徳シグナリングうざい」みたいな話かと思ったら、そういうのじゃなくて、素で増田の行動が「デート相手を大切にしてない」という意味で批判されてた。ちょっと納得いかなかった。
(20240601) この話題なんか気になっていたのだけど、このブコメを見てだいぶ問題が明確になった。
「ヤンキー気質がモテる理由の一つがこれ。周りに迷惑をかけ、授業などの毎日の行事を軽視しながらながら「自分達2人の仲間の空間をを最優先」」
これ見て疑問が氷解したのだけど、これって松尾匡の「右翼と左翼」で扱われている「ウチとソト」の問題だ。
詳しくはリンク先を読んでほしいけど、松尾匡によると、右翼か左翼か、という二分法は正しくなくて、じつは右翼とは「ウチとソト」に分けたときのウチの味方であり、左翼とは「ウエとシタ」に分けたときのシタの味方である、というねじれの関係にある。
松尾匡の右翼(=共同体主義者)は道義的正しさよりもウチに味方することを重視する(例: カスハラするヤンキーとその彼女)。 松尾匡の左翼(=リベラル)は身内かどうかでなく道義で判断するから、共同体主義者からすれば、身内を裏切る信用ならない者と思われるし、その行動は偽善的だと思われる(前述の美徳シグナリング)。
会社の腐敗を告発された社長(だけではなく社員)が告発者を避難する例がしばしばある。ここで告発者は身内と道義とを秤にかけて道義を選んだのだけど、社長(だけではなく社員)は身内を裏切ったことを非難する。道義よりも身内が大事だから。
こういう「道義よりも身内が大事」という感覚を前述のブコメは「ヤンキー気質」と呼んだけど、じつのところそれはふつうの人間に広く共有されていることなのだろうと思う。
増田とその反応を見ると、思った以上に共同体主義者(道義よりも身内)が多いようだ。増田とはてブのいいところは、建前の裏に隠された正直な心情が垣間見れることなので、そういう意味では有益な情報だった。
(徳倫理学にも関係してそうだが、今はそこは掘り下げない。)
以上を踏まえて「デート中おばあちゃん助けたらフられた話」(およびそれへの反応)に戻ると、「デート中おばあちゃん助けた」人は、身内よりも道義を優先したと言える。そして身内よりも道義を優先とは、「ソトに味方」することではなくて、困っているかそうでないかという軸(ウエとシタに対応)で、困っている人に味方したということ。
しかしデートの相手およびそれに同意した者は、その行動を「身内を大事にしない」と受け取った。しかしこれは上記の通りねじれている。「デート中おばあちゃん助けた」人は、もしデートの相手(身内)が困っていたなら親身になって助けてくれただろう。だからあの例は、悲しき行き違いだったのではないか。
とはいえ、「釣った魚に餌はやらない」的な態度で身内を邪険にする行動方針を取る人だという可能性は残る。これは松尾匡の「逆右翼」(ウチよりもソト)に該当する。(生徒のことばかり気にして家族をおろそかにする校長の例がブコメにあったけど、あれはこの範疇。)
ところで自分が同じ状況だったらどう行動するか想像してみた。自分なら、話題を切らさないことばかり気にかけて、べらべら喋って、周りが見えてなくて、困ってるおばあちゃんにも気づかずに通り過ぎてしまう、というのがいちばんありそう。(ダメなヤツ)
追記: ここまで書いてみると、世界で起きてる紛争だけでなく、ネットで見られるいざこざについても同じ理屈を援用できるなと思った。具体的な例には触れないが。つまり、「道義よりも身内が大事」は根深い。根深いのはそれが「理性と感情」の問題だから。
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