« 「身体性」ってなんすか? | 最新のページに戻る | 「身体性の脳内メカニズム」運営手伝い/旅費援助 募集中です »
■ 総説 長期記憶の脳内メカニズム
ずいぶん前の話になるのだけれど、大学院講義で「長期記憶」について担当したことがあって、そのときにneurologyについてかなり調べ物をしました。(「大学院講義「記憶の脳内機構」」のスレッド参照)
そのときはこれを再構成してweb講義でも作ろうとか言ってたんですけど、けっきょく放置してしまいました。今回別件で長期記憶の総説を書くことになったので、そのときのネタを元にまとめを作ることにしました。編集部の人に許可を得たので原稿を公開しときます。ここから:
はじめに
この項では長期記憶のうち、宣言的記憶の脳内メカニズムに関する知見をまとめる。宣言的記憶は大脳皮質の内側側頭葉記憶システムによって処理されていると考えられている。このシステムは海馬も含むので、海馬が関わっている事項についても言及する。
長期記憶の神経システム
1. 長期記憶の分類
長期記憶は宣言的記憶および手続き的記憶の二つに分類することができる(図1A)1)。
図1長期記憶のシステム。
A) 長期記憶の分類。
B) 長期記憶に関わる脳部位。
宣言的記憶は学習によって獲得された事実やデータに関する記憶のことを指す。「宣言的」というのはつまり「内容について言語で述べることができる」ことがその特徴であるということだ。一方で、手続き的記憶は学習された技能や認知的操作の変容にあたる記憶を指す。本項目では、大脳皮質で主に行われていると考えられている宣言的記憶について話を絞ることにする。
宣言的記憶はさらにエピソード記憶および意味記憶に分類することができる。Tulvingの定義2)では、エピソード記憶とは、出来事の時間的情報とそれらの出来事の時間的空間的関係を獲得して保持することである。一方で、意味記憶とは、ヒトが言葉や他の言語的シンボルの意味や指示対象に関して保持している組織だった知識のことである。
ざっくりとこの二つの概念を説明するなら、「911の事件のとき、あなたはどこで何をしていましたか?」がエピソード記憶のテストであり、「911の事件のときの日本の首相はだれですか?」が意味記憶のテストとなる。
2. 長期記憶に関わる脳部位
これまでの記憶障害の患者や動物使った脳損傷の実験などから、宣言的記憶は内側側頭葉の記憶システムによって支えられているということが明らかになっている。
図1Bは内側側頭葉の各部位とその結合を示している。このシステムの中心となるのは海馬だが、海馬への入力として、嗅内皮質があり、さらに嗅周皮質および海馬傍皮質がある。これらの領域はさまざまな感覚属性からの入力を受けているが、視覚情報に関しては、隣接する下部側頭葉から神経投射がある。
両側の海馬および隣接する皮質の摘出手術を受けた患者H.M.では重篤な宣言的記憶の障害が起こった3)。またより広範な両側性の損傷をもつE.P. (海馬、嗅内皮質、嗅周皮質を含む)の研究からもH.M.と同様な記憶障害を示すことが明らかになった4)。つまり、逆行性健忘によって、損傷前数年のエピソードおよび事実に関する記憶が失われていた。エピソード記憶、意味記憶の両方が影響を受けることから、内側側頭葉が宣言的記憶に関わることが明らかになった。
それでは、エピソード記憶と意味記憶とは関連する脳部位が違うだろうか。両側性の海馬選択的な損傷によってエピソード記憶の障害はあったが意味記憶は保持されていた症例がある5)。この症例では、たとえば、さっき聞いた話を憶えていることができない。しかし、言葉を憶えてしゃべることはできるし、学校に通って授業を受けていた。
逆に、意味記憶の選択的障害としては意味性痴呆がある。この症例では言葉や物の意味がわからなくなる。物体の名前が言えなくなる。つまり意味的記憶の障害がある。いっぽうで、エピソード記憶は比較的保持される。この障害は嗅内皮質や嗅周皮質を含む側頭葉前方部の萎縮によって引き起こされる。海馬の損傷は比較的少ない6)。このような知見を元にすると、海馬がエピソード記憶、嗅内皮質や嗅周皮質が意味記憶という機能局在があると考えることができるが、まだ論争は決着していない。
長期記憶の脳内メカニズム
3. 知識に関する記憶の情報表現
内側側頭葉において宣言的記憶がどのように実現しているかを明らかにするためには、ニューロンのレベルでの情報表現を調べる必要がある。このために有効なのは微小電極によって実験動物の神経細胞の活動電位を捉える方法だ。ここではサル内側側頭葉から単一ニューロン活動記録を行うことで得られた知見を紹介する。
動物を被験者として用いる研究では、脳内に電極を刺入することができるというメリットと引き替えに、ヒトでの記憶テストのように言語を用いることができない。このため、動物に合わせて記憶テストを改変する必要がある。サルは視覚情報処理の能力がよく発達しているので、記憶課題としては図形を用いた対連合記憶課題を採用した。この課題は、2枚1組の図形対の一方を提示し、もう一方の図形がなんであったかを答えさせる課題である(図2A)。百人一首をやるときに上の句と下の句の組み合わせを憶えるのと基本的に同じ頭の使い方をすることになる。つまり図形の対の関係という知識を長期記憶として獲得することが必要になる。よってこのテストはエピソード記憶ではなくて意味記憶のテストと考えることができる 。
この課題を行っている最中のサルの嗅周皮質から単一ニューロン活動を記録する。すると、12対で合計24枚の図形のうち対になっている図形3および図形3’それぞれを見たときだけ活動して、ほかの図形に対しては活動しないニューロンが見つかった(図2B)7)。つまりこのニューロンは図形3と図形3’とが対になっているという情報を表現している。つまり、個々のニューロンのレベルで長期記憶の情報表現が行われているということが明らかになったのだ。
図2 対連合記憶課題
A) 使用した図形対。
B) 長期記憶の情報表現のメカニズム。
ではこのような情報表現はどのようにして形成されるか。嗅周皮質は隣接する視覚連合野(TE野)から視覚情報を受けている。このTE野から同様にニューロン活動を記録してみると、こちらはより視覚情報処理に関わっていることが明らかになった8)。つまり、図形3だけに応答するニューロン、図形3’だけに応答するニューロンが見つかってきた(図2B)。そしてこれらのニューロン群のあいだに線維結合があることも確認された9)。また、類似した研究では、このような長期記憶を獲得中の嗅周皮質を記録して、徐々に長期記憶の情報表現が形成されることが明らかになった10)。
このような状況証拠からすると、嗅周皮質の長期記憶ニューロンはTE野の視覚ニューロンの情報を連合することによって形成されるのだろう(図2B)。神経回路モデルではヘブ則(他の項参照)によってこのような情報表現を作ることが可能だ。
この一連の研究ではさらに、保持していた記憶を思い出す過程では、嗅周皮質からTE野に向かって情報が伝播していること11)や前頭葉からのシグナルによって内側側頭葉記憶システムが活動すること12) 13)などがあきらかになっている。
4. エピソード記憶の脳内メカニズム
それではエピソード記憶に関してはどれだけ明らかになっているかというとじつはまだ充分解明が進んでいるとは言えない。前述の「知識に関する記憶」と比べるとまだ個々のニューロンの活動のレベルでは解明されていない。ここからは未解決問題を含んだ研究の現状についてまとめる。
4-1. エピソード「様」記憶
Tulvingによればエピソード記憶とは「出来事の時間的情報とそれらの出来事の時間的空間的関係を獲得して保持すること」だった。Nicola Claytonはこの定義に基づいて、エピソード記憶を動物実験によって解明するために、行動を用いた基準を作った14)。つまり、もしある動物が「なにがどこでいつ起こったか」(what-where-when)を保持することができたとしたらそれは人間のエピソード記憶に近いものがあると言えるのではないか。Claytonはこの定義を人間のエピソード記憶と分けて扱うためにエピソード「様」記憶 (episodic-like memory)と呼んだ。それでは人間以外の動物にはエピソード様記憶はあるのだろうか?
Claytonが実験に使ったのはアメリカカケスという鳥だが、この鳥は食べ物を砂の中に隠す習性を持っている。実験でアメリカカケスはピーナツとイモムシを与えられると、それを砂の中に隠す。時間をおいてまたその砂を掘り返すチャンスが与えられる。ピーナツは日持ちするけど、イモムシは5日後には腐っている。もしアメリカカケスがイモムシをいつ、どこに埋めたかを憶えているならば、5日前にイモムシを埋めた場所は掘り返さないけど、4時間前にイモムシを埋めた場所は掘り返すはずだ。そして実際その通りになった。つまりアメリカカケスはwhat (イモムシ/ピーナッツ) -where (砂のどこか)-when (5日前/4時間前)の情報を保持することができた。つまりエピソード様記憶があるのだ14)。同様な実験はラットでも行われ、ラットもwhat-where-whenの情報を保持できることが報告されている15)。
しかしこの実験課題で本当にwhenの情報を保持していると言えるだろうか? 5日前かどうかを憶えていることと、その日がX月X日であることを憶えていることとは別だ。このような視点から批判論文も出ている16)。
ところでこの課題を行っているときにニューロンはどのように活動しているのだろうか? そのような研究はまだない。What-where-whenがニューロンのレベルでどのような情報表現をしているのかを明らかにするためには単一ニューロン記録の実験が必要だ。
4.2. エピソード記憶の定義再訪
上記のエピソード記憶の定義はTulvingが1972年に提出したものだが、それ以降もTulvingはエピソード記憶の定義についてなんどか更新を加えてきた。新しい定義ではエピソード記憶とは「私的に経験された出来事に関する記憶」であり、“mental time travel”、つまり過去に遡って自分のかつての経験を追体験することである17)。なるほど、たしかにこの表現は我々がふだん「記憶」という言葉でイメージするものをうまく言い当てているように思う。
しかしこのエピソード記憶の定義は意識的経験の存在を前提としている。動物に意識があるかどうかどうやって行動で確認できるだろうか? つまりClaytonが行ったような方法で、エピソード記憶を行動のみを指標とした操作的定義によって捉えることはできない。また、エピソード記憶とはある単一の出来事に関する記憶であって、実験室の条件で繰り返しテストを行うのにはそぐわない。じっさい、ある出来事にだけ活動するニューロンがあったとして、それを確かめるのはどうすればよいのだろう? ある出来事が繰り返されるならばそれはもう出来事ではなくて、実験条件の一つでしかない。このへんにエピソード記憶の脳内メカニズムを明らかにする際の本質的な難しさがある。
4-3. 「想起」と「親近性」の区別
すこし違った角度からの研究が進んでいる。宣言的記憶のサブカテゴリーとして再認記憶というものがある。再認記憶課題では、文字カードなどを提示して、一定時間経ったあとでまたカードを提示してそれが以前提示されたものかどうかを答える。この課題を解く際に被験者の内観としては「そのカードを憶えたときの記憶がよみがえる」という「想起」をしている場合と、「想起の感覚はないけれど、そのカードに見覚えがある」という「親近性」の感覚がある場合とがある。この二つのうち、「想起」の要素がエピソード記憶に対応していると考えることができる。
ヒト患者を被験者とした再認記憶課題で、想起と親近性について報告してもらった報告がある。海馬のみを損傷した患者では想起の要素のみ成績が低下したが、海馬と嗅周皮質などの周辺皮質を損傷した患者では想起だけでなく親近性の要素でも成績が低下した18)。この結果からYonelinasは海馬がエピソード記憶的な想起に、嗅周皮質が親近性に関わっていると結論づけた。
この研究は大きな反響を巻き起こし、反論を含む多くの報告が続いた19)。その結果現在では、想起と親近性に関わる脳部位は当初主張されていたほどに厳密に分かれているわけではないと考えられている20)。
この方法をラットの再認課題で応用した例もある。とはいえ動物に想起と親近性の内観報告をさせることはできないので、行動データに対してモデルを当てはめて間接的に予測することになるのだが、海馬を除去したラットでは、再認課題のデータから、想起に関連するスコアだけが低下することを示している21)。
むすび
長期記憶の脳内メカニズムは現在も新しい発見が続いているホットな領域である。経験の継続としての長期記憶は、私たちがひとつの自己を形成する際に重要な意味を持っている。長期記憶のメカニズムの解明は私たちの心の解明だ。
文献
- 1) Larry R. Squire著、河内十郎訳「記憶と脳」医学書院、1989
- 2) Tulving, E. (1972). Episodic and semantic memory. In E. Tulving & W. Donaldson (Eds.), Organization of memory, (pp. 381–403). New York: Academic Press.
- 3) Corkin S. What's new with the amnesic patient H.M.? Nat Rev Neurosci. 2002 ; 3 : 153-60.
- 4) Stefanacci L, Buffalo EA, Schmolck H, Squire LR. Profound amnesia after damage to the medial temporal lobe: A neuroanatomical and neuropsychological profile of patient E. P. J Neurosci. 2000 ; 20 : 7024-36.
- 5) Vargha-Khadem F, Gadian DG, Watkins KE, Connelly A, Van Paesschen W, Mishkin M. Differential effects of early hippocampal pathology on episodic and semantic memory. Science. 1997 ; 277 : 376-80
- 6) Hodges JR, Graham KS. Episodic memory: insights from semantic dementia. Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci. 2001 ; 356 : 1423-34.
- 7) Sakai K, Miyashita Y. Neural organization for the long-term memory of paired associates. Nature. 1991 ; 354 : 152-5.
- 8) Naya Y, Yoshida M, Miyashita Y. Forward processing of long-term associative memory in monkey inferotemporal cortex. J Neurosci. 2003 ; 23 : 2861-71.
- 9) Yoshida M, Naya Y, Miyashita Y. Anatomical organization of forward fiber projections from area TE to perirhinal neurons representing visual long-term memory in monkeys. Proc Natl Acad Sci U S A. 2003 ; 100 : 4257-62.
- 10) Messinger A, Squire LR, Zola SM, Albright TD. Neuronal representations of stimulus associations develop in the temporal lobe during learning. Proc Natl Acad Sci U S A. 2001 ; 98 : 12239-44.
- 11) Naya Y, Yoshida M, Miyashita Y. Backward spreading of memory-retrieval signal in the primate temporal cortex. Science. 2001 ; 291 : 661-4.
- 12) Hasegawa I, Fukushima T, Ihara T, Miyashita Y. Callosal window between prefrontal cortices: cognitive interaction to retrieve long-term memory. Science. 1998 ; 281 : 814-8.
- 13) Tomita H, Ohbayashi M, Nakahara K, Hasegawa I, Miyashita Y. Top-down signal from prefrontal cortex in executive control of memory retrieval. Nature. 1999 ; 401 : 699-703.
- 14) Clayton NS, Dickinson A. Episodic-like memory during cache recovery by scrub jays. Nature. 1998 ; 395 : 272-4.
- 15) Babb SJ, Crystal JD. Episodic-like memory in the rat. Curr Biol. 2006 ; 16 : 1317-21.
- 16) Roberts WA, Feeney MC, Macpherson K, Petter M, McMillan N, Musolino E. Episodic-like memory in rats: is it based on when or how long ago? Science. 2008 ; 320 : 113-5.
- 17) Tulving E. Episodic memory: from mind to brain. Annu Rev Psychol. 2002 ; 53 : 1-25.
- 18) Yonelinas AP, Kroll NE, Quamme JR, Lazzara MM, Sauvé MJ, Widaman KF, Knight RT. Effects of extensive temporal lobe damage or mild hypoxia on recollection and familiarity. Nat Neurosci. 2002 ; 5 : 1236-41.
- 19) Squire LR, Wixted JT, Clark RE. Recognition memory and the medial temporal lobe: a new perspective. Nat Rev Neurosci. 2007 ; 8 : 872-83.
- 20) Diana RA, Yonelinas AP, Ranganath C. Imaging recollection and familiarity in the medial temporal lobe: a three-component model. Trends Cogn Sci. 2007 ; 11 : 379-86.
- 21) Fortin NJ, Wright SP, Eichenbaum H. Recollection-like memory retrieval in rats is dependent on the hippocampus. Nature. 2004 ; 431 : 188-91.
われながら、「長期記憶のメカニズムの解明は私たちの心の解明だ。」とかちょっと飛ばしすぎな気はする。だがそれがよい。
追記20110202 依頼元で原稿が出版されました。「月刊 臨床神経科学 Clinical Neuroscience」中外医学社 2011年2月号 特集「記憶のメカニズムとその障害」のなかの「大脳皮質 - 長期記憶」です。
- / ツイートする
- / 投稿日: 2010年09月09日
- / カテゴリー: [内側側頭葉と記憶システム]
- / Edit(管理者用)