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■ さうしてこのごろ201511
薬品会社の工場が移転した跡地に新興住宅街ができていて、きれいにライトアップした家が立ち並ぶところを自転車で通りかかったら、子どもたちが列を作って練り歩いていて、いちばん先頭のやんちゃっぽいのらしきが「トリックオアトリート!」と叫んでいるのを通り過ぎた背後で微笑ましく聞いた。
「『俺たちの旅』の歌詞はラブソングではないところが良い」って書いたけどこれは正確ではなかった。「背中の夢に 浮かぶ小舟に あなたが今でも手をふるようだ」には「あなた」への憧憬の情がある。でも「憧憬」ってとても良い。ライドっぽい。
と言いたいところだが、アンディ・ベルの曲はだいたい甘ったるいラブソングで最高(Vapour trailとか)。マーク・ガードナーの曲は寂寥感あふれてて至高("Seagull"とか"Leave them all behind"とか)。たぶん。歌詞全部再確認する必要があるが。
確認のためにアンディ・ベルによる解説を再読した。 Seagullはアンディ・ベルだそうです。さきほどの説はretractしたいと思います、と言いたいところだが、Unfamiliarがマーク・ガードナーなので、だいたい合ってる。
近所の100円ローソンショップでご老人達が生活用品をたくさん買い込んでレジが行列になってた。400m先にAEONがあるのだけど、徒歩圏であることが重要なのだろう。竜美のこの辺は1960年代に住宅造成がなされて移り住んだ人たちが(私の両親と同じくらいの)70-80歳になっている。
名古屋に通うために岡崎に家を購入する若夫婦は、以前は竜美に家を建てたのだろうけど、私が来た頃は緑丘だったし、さらに上地にも新築の住宅がたくさん建った。いまは福岡町と中島町のあいだに広い道路ができて(わたしの自転車コース)、そのあたりが住宅建築ラッシュとなっている。
ひさびさに次男と「人生ゲーム極辛」をプレイ。父は順調に社長へとステップアップして裕福な人生を歩み、次男は途中でフリーターにジョブチェンジして借金だらけでゴール。終了後に「ジョブチェンジのところはおまけしてほしかった」とか言いながらため息ついて片付けしてた。甘ったれてやがる。
昨晩は久々に子どもたちと外食。今どきの中高のスクールカースト状況とか、ヒップホップの4大要素とか、シャドーイングの仕方とか、森羅万象について長男と長女と語り合った。そのあいだ次男は食い過ぎでダルそうにしながら、ストローでサイフォンの原理を再現するなどの科学的偉業をうち立てていた。
太宰の言葉を借りて表現するならば、「けれども私は、ハムレット話法というものを処世術みたいな打算的なものとして考えていた矢先であったから、」批判者の曖昧であるという言葉を意外に感じた、というところになる。(<-いろいろ考えた挙句のこの表現)
今日は次男を体操教室に連れて行って、車の中で「アルクアラウンド」を二人で熱唱。一番のヒラウタ部分の「僕は歩く〜」が四回繰り返されるところが良いと言っていて、よくわかってるじゃんと関心した。
なんとなく詩が読みたいと思って先週借りてあったリルケの「ドゥイノの悲歌」を読んでる。案外覚えてた。大きい数字がきっちり割り切れるところとか、軽業師についての言及とか。以前読んだのは学部の頃だろうか。当然岩波文庫の改版前のものだ。どっかにドイツ語の原書があるのだが、実家だったか?
「ドゥイノの悲歌」の第8悲歌は「動物と人間」がテーマで、「動物にとって開かれている」という表現がハイデガーの批評の対象となったとかは知らなかった。さらにまさにこれをテーマとした「開かれ 人間と動物」アガンベンという本もあることを知った。読めるかどうか分からないが借りてこよう。
『ドゥイノの悲歌』の第八悲歌の解釈 独語独文学科研究年報, 16: 53-66 良い資料も見つかったので、ドイツ語で読むか。(<-ぜったいやらない系)
Saint Etienneを聴きながら帰宅。「こんなにいい気分なのははじめて、こんなに自分が強く感じるのははじめて、何人も私たちを止めることは出来ない!」とセカンド・サマー・オブ・ラブのMDMAで多幸感出まくり感あって最高。
「アウトロなんて「完璧!(perfect)」ってリフレインしてるし。」って書くつもりで、でも念のため歌詞サイトチェックしてみたら、アウトロのウィスパーは「何人も!(nothing)」って繰り返していることが判明。俺24年間ずっと勘違いしたまま聴いてた。どっこいそれでも生きている。
今日は家族5人全員で上和田町のスバカマナ。食べ放題をやってた ので、というかそういう時しか行かない。こうやって家族5人で外食というのも長男が高校を卒業したらなかなか無いだろう。じつはあと数えるくらいしかこういう機会はないのだ。きっと今日のこともいつか懐かしく思い出すことだろう。
今日は子どもたちのひいおじいさんが天パーだったのでうちはみんな癖っ毛とか、長女がいつも写真取っているのはinstagramにアップしているからとか、そういうとりとめのないことを話したが、あとでそれを想い出せるように、ここに記して永遠の記録とする。
急に思い出した。私は中学か高校くらいの頃、父親はまだ酒を飲んでいて、いつも行く寿司屋の「たけさん」でビール飲んで将棋打って、酔っ払って帰ってきて、たまに「マスオさんが持ってくるアレ」を持ち帰って、みんなで寿司(鮪の赤身)を食べたのだった。
「たけさん」はおやじさんの体調が悪くなったかなんだかで店じまいをして、いまは別の店になっている。その隣りにあった古い本屋も、さらに隣りにあったスポーツ用品店も、その向かいにあったレンタルビデオ屋も、みんな無くなった。
俺の人生が停滞しつつ徒に時が過ぎてゆくばかりであるあいだに、2年8ヶ月ぶりの「よつばと!」の13巻が出た。買いに行こうっと。
「みかんの心ぼし」をひさしぶりに聴いてみたら、3番の歌詞の展開がPixiesのMonkey Gone To Heavenの3番の展開を完全に先取りしていたことを知って、あのねのねの偉大さに驚いた。当時は不二家歌謡ベストテンとかでワンコーラスしか聴かなかったから気づかなかったのだ。