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■ 「学会とセミナーの間」から自分語りへ

またも過去日記。「リア充」とかがあっという間に死語と化しているところがいとをかし:
--今回の研究会のことを「学会とセミナーの間ではセミナーに近い」というふうに書きましたが、要は「学会とセミナーの間」の存在がもっとあったらいいのに、というのがずっと考えていることであって、この研究会もその機能を果たしているのでした。
偶然自分の昔のエントリ(20041207)を読んでて、言ってることが変わらんなあと思いつつ、でもこのときから状況はずいぶん変わったと思いました。神経科学者SNS(まさに「こみゅにちさいと」)が出来たし、私も生理研研究会を運営しました。このブログについても、当時のはてなダイアリーでの活気あふれる状態とは変質してしまったけど、蓄積は出来ました。
班会議で泊まりがけで語りたい(ようするに私は「合宿」がしたいのですな)なんて語ったこともありましたが、これも同じことでした。
こういうのだけ抜き出してくるとまるで私が「さみしがりやさん」みたいぢゃないですか! 本人は至って素っ気ないキャラクターなんですけどね。子どもの頃から、つるんでなんかする人間でもなかったし。って自分で自分を表すると見誤ってるものがあるって話が最近のうちのブログのネタだったわけですが(脱線中)。
どうなんだろ。自分語り開始。仕事以外の遊び仲間がいたら、こういう欲求は消えてしまうんだろうか? 私は生理研に来るタイミングで、それまでずっと暮らしていた東京を離れ、高校の友人とかとの深いつながりを断ち切ってしまってから、岡崎で仕事以外の交友関係みたいなものを作ったりしてこなかった。僕にとってはそれだけ水泳部OB会(紫水会)というのは大きな存在だったし、僕をどこかつなぎ止めていたと思う。
でもそんなのみんな似たようなもんじゃないの? 6時に帰って食事して、スポーツ同好会で汗を流して仕事と関係ない仲間を作るとか? それとも週に一回教会に行って地域の人とだべるとか? あ、子育てサークルはそういう側面があるか。でもそんな時間はないし、そういう時間削ってブログ書いているという側面はある。あー、なるほど、わかってきた。(自分で言ってて自分で納得するというわたしの行動によく見られるパターン。) つまり、そういうネット寄りの生活から眺めた健全な生活のことを「リア充」と言うんだな。なんて悲しい言葉なんだ。そしてその悲しさは僕に戻ってくる。
ネットにこうやって書いてると「壁に向かってる感」がどうしても出てしまう、ということを書いたことがあります。そもそもブログに文章を書くということのどこがおもしろいのか、うちの奥さんはさっぱりわからない様子です。ま、正直に言って、毎晩バスケットボールの練習で忙しかったらネットで活動などしてないだろうな。
大学まではそういう生活だったんですけどね。昼にラボにやってきて、午後はまるまるバスケットボール大会のための練習をして、プールで泳いで、助手さんに見つからないようにそうっとラボに戻ったらもう夕方で、教授室の冷蔵庫開けてビールを飲んで、さらになんとキャビアの缶詰があったんでつまみにしてたら一晩で全部食べちゃってw、あとで教授に「吉田は思いやりがない」とか言われたりして、んで大学の仮眠所で寝てまた昼に起きてきて、カツカレー大盛食って、図書館で論文コピーしまくって、またカレー大盛食べて、夜からslice cultureの電気生理実験して、ラボメンバーに「吉田、スライスも寝るぞ」とか言われたりして、あー、とても楽しかった。
完全に自分語りでしたがもう消しません。消すもんか。


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