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■ 「三遊亭4U、コロンボ、ビオレu詰め替え さっぱりさらさら」(さうして、このごろ2022年2-3月版)

ひさびさに「オレンジ」を聴いて、いい曲だなあと思った。なんか、ゼロ年代だなあって感じ。(「とらドラ!」15周年からたどって)

「新宝島2020」っていうMADムービーが好きで、ラストに出てくるヒゲモジャおじさんが荒野のまっすぐに伸びる道を歩くシーンにたどり着くと謎の感動が生まれてくるのだけど、いまは感情が平板化しているため、心が反応しない。これもだめだった。

Steve Hillageって、Uriel -> Khan -> Bananamour (Kevin Ayers) -> Flying Teapot (Gong)の順番か。思ったよりもKhanが早いのとFlying Teapotが遅いのが意外だった。Hatfield and the Northも1stが1974で意外に遅い。カンタベリー音楽は大好きだけど、もしカンタベリー音楽の検定試験があったらせいぜい3級ぐらいだな。

Pete Frameのrock family tree というのが有名で、カンタベリーシーンのものもよく見かけた。ここにバージョン違いについての詳細な記述がある。これを時間軸をlinearにして、バンド中心でなく、人中心で書いてみる、というアイデアが浮かんだが、来世でやる。

「三遊亭4U」ってネーミングが降りてきたので、実在したっけ?とググってみたら、そんなものはなかった。

ここでシューゲっぽいコードの例として「サブドミナントの#11th」を挙げててなるほどと思った。たとえばC(トニック)-F(サブドミナント)だと#11はb音になる。b音はトニックの9thなので、

X32000 CM7
133200 FM7(#11)

を繰り返すと1,2弦を開放弦にしてるところとかそれっぽい。


あんまり宣伝してないけど、ブログ「pooneilの脳科学論文コメント」http://pooneil.sakura.ne.jp/ では、1ヶ月に一回は投稿するのを続けている。ブログを定期的に書くようになったのは2003年11月からなので、もうすぐ20年になる。バズることもなく、炎上することもなく、細々と続けている。


「再生の象徴の魚、消滅を司る鳥たち」のフレーズを理知的な意味(キリスト教での含意とか)でずっと聴いていた。でもそういうものではないのな。スパイラルマタイした者が命と引き換えに得た真実なのだな。一人称の歌詞だし。ということを今日札幌の地下道を歩きながら聴いていて気がついた。

「初花凛々」の中で「ももいろのうた」という歌詞があるんだけど、これが「桃色」かと思ったら「百色」であると知って、なんか魂に響いたのか、ここを聴くたびに涙腺が緩む。でも最近はこれを理知的にしか聴くことができなくなってる。(試してみた)

自分は音楽の好みは雑食だと思っていたけど、考えてみたらそれは正しくなくて、雑食的な音楽(ZappaやXTCやTodd Rundgrenや(アルバムごとにジャンルが変わる)Neil Youngとか)が好きなのだと気がついた。サイケデリック音楽も折衷主義なところが好きなのであって、ガチなノイズや現代音楽は聴かないし。


スピッツの「ロビンソン」をはじめて聴いた場所をよく覚えている。かつて地下鉄大島駅前にあった安売り雑貨店コロンボでカセットテープを物色しているときに流れてきたのだった。私は2ndからのファンで(妹がインディーズ時代からのファンでその影響)、なかなかブレイクしないのにやきもきしていた。

で、流れてきたのがスピッツの新曲と気づいて、随分あっさりとした曲だな(ブリッジがない)、これも不発かな、と諦め気味に思っていたら、あれよあれよというまに大ヒットになったのだった。ということを急に思い出したので、書き留めておいた。

コロンボについて調べてみたら、2013年までは営業していたみたい。でもそのあとにまいばすけっとになったようだ。この写真がいちばんはっきりと(かつての)店舗の様子が見える。


いまだに“Kinky Afro” だけは聴く。歌詞がよくわからんので調べてみた。弟でベーシストのPaul Ryderが、子供ができた自分のことを歌っていると推測している。the guardian 自伝的なフレーズらしいが1990年当時はShaun Ryderは28歳。“Son, I am 30"じゃないんだ。

裸のラリーズのオフィシャルサイトができているのを知った。(昨年の10月。) 2019年に水谷孝氏が死去していること、ウィキペにある「海賊版は本人が売ってる説」の完全否定とか、新事実が多すぎてびっくりした。ソース: mikiki

ひさびさにコンビニスイーツの生クリームのやつ食べたら、なんかうまくて幸せになった。札幌来てからはコンビニで無駄遣いしないように、なるたけスーパーの冷凍解凍ショートケーキを買うようにしていたけど、生クリーム欲はそれだけでは満たされないのだなあ。


「東大の1限にぎりぎり間に合う範囲」 ポスドク時代を思い出した。毎週のラボセミナーに参加するために、6:07東岡崎発で、6:40豊橋発8:12東京着で本郷三丁目に8:30に到着する。帰りは21:30東京発で東岡崎着23:35。セミナーの前後の日とも電気生理の実験が6時間くらいあった。

冬の季節には、日の出前のまだ真っ暗な時間に、粉雪ぱらつく岡崎高校から東岡崎駅までの下り坂を、自転車で転倒しないように気をつけながら走った記憶がある。東岡崎から豊橋まで行く名鉄の急行(この時間帯は特急がない)で、東へ向かう途中に太陽が登ってくるのをみて、無意味に高揚感を抱いたりとか。


今日はなんだかもう疲れちゃったので、帰宅して横になったらそのまま1時間ほど寝てしまった。そのあとで遅い夕食を作ることに。鶏皮で親子丼という、「親子」の概念に再考を促す食べものを作った。

なんで「親子」の概念に再考を促すかというと、「皮じゃ親じゃねーじゃん!」と突っ込んだ直後に、「じゃあ肉なら親なのか?」という根本的な問題に気づかされるから。(<-マヂレス)


ビオレu詰め替え さっぱりさらさら(<-ついったを備忘録代わりに使用)


今日も「ビオレu詰め替え さっぱりさらさら」買いに行くの忘れた。ぜんぜん備忘録になってねえ。


TSUTAYAといえば、まだ小さい子どもを連れてビデオコーナーまで行って、「ニャッキ!」とか「おさるのジョージ」とかを選ばせながら、子供の背中を見ていた情景を思い出す。なんてことのない日常のひとつに過ぎないのだけど、もう戻ってこないんだということを実感して号泣(しない)。


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