[月別過去ログ] 2006年03月

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2006年03月31日

ギリギリでやってまーす

なんとかノイズ取りが完了か。eye coilのノイズ除去用に年末に作ったアクティブフィルタをひさびさにテストしてみたら変な発振がまざっててかなり焦る。これではぜんぜん使い物にならない。フィルタ壊したか、と福本漫画みたいにぐにゃりときたが、いろいろとっかえひっかえ試して、けっきょく電源が悪いことが判明。電源取り替えたらなんとかなった。
グラフィックカード入れてLinuxをインストールしようとしたら、オンボードのi845をdisableにできない。デュアルディスプレーになってしまう。そんなことしたいわけではないのに。BIOSではオンボードと追加したものとどちらをprimaryにするかの選択しかできない。DellのやつもPROSIDEのやつもだめ。どうなってるんだ。Web検索してもわからん。ピーンチ。ビデオチップ引っこ抜きたくなってきた。刺したカードの方をprimaryにすると起動の途中で最初に戻ってまたLILOの選択画面になったりとか、もういや。
こんな感じでいつも通りギリギリでやってます。体に悪い。


2006年03月29日

元気です。

よしだたくろうじゃないです(ご挨拶2)。
ぜんぜん更新する余裕がありません。
ぜんぜん更新してないのに、来訪者が減りません。どうなってるんでしょ。つうかすみません。
こないだの日大での研究会は良かったです。なんか書いときたい。
あと、ずいぶん前の話だけれど、英語のリスニングの題材探してStanford on iTunesでNewsomeの"Perception, Decisions, and Reward: Toward a Neurobiology of Decision Making"を見つけたたので聞いてみたら、大脳皮質の構造とか、Hubel and WieselのV1のカラムの話とかかなり基本的なところから始まって、random dotのperceptual decisionの話まで、という感じでした。それはいいんだけれど、音がひどい。たぶん録音したそのまんま。ファイルは120分あるけどトーク自体は74分で終了して、あとは無音だったり。音量のレベルも低いままだし。マイクの位置が変わったりしたのを補正しろとまでは言わないけれども、コンプレッサーとかリミッターとかかけて聞こえるレベルにしないと、というわけで自分でmp4を編集して(audacityも使ってたけど、今回はsonarで)、ついでにogg vorbisに変換してiRiverで聞いてます。
そしたらjapan.linux.comで関連する記事が:「Audacityを用いたポッドキャスト用のマスタリング処理」。やっぱり、おなじような問題に直面している人はほかにもいるんでしょう。説明が詳しいので、こんど編集するときはこれ読んでやってみるつもりです。音さえ良ければ不要なんですけどね。IT conversationはそういう問題はないですが、NerdTVはけっこう音悪いなあと思います。


2006年03月21日

無脊椎動物でのvalueとかCorollary Dischargeとか

Science 3/17 バッタのState-Dependent Valuation。"State-Dependent Learned Valuation Drives Choice in an Invertebrate"

アブスト読んでると、"sunk-costs fallacy"なんて出てくる。サンクコストの話の説明とくっつけておもしろげに説明してトラックバックすれば、はてなの注目エントリにエントリされうるネタになるので、だれかチャレンジしてみるのがよいと思う。たまには科学ネタも入れなきゃ。

Science 1/27 コオロギ聴覚ニューロンへの遠心性コピー。"The Cellular Basis of a Corollary Discharge"

ニュース記事を発見。UK Today 「1/27 録音された自分の声が、自分の声じゃないように聞こえるワケ」 (via 06.1 K.Moriyama's diary 1/28)

というわけで、コオロギは自分の出す音がとても大きいのに耳がおかしくならないのは、自分が鳴く(=運動、行動)ときは聴覚の入力を押さえているから、というわけです。運動のonline制御とかでのCorollary Dischargeとはニュアンスが違うとは思うのだけれど。

ところで、「録音された自分の声が、自分の声じゃないように聞こえるワケ」じたいは、普段の自分の声は体を伝わる低周波音が混ざっているのに、録音したときにはそれがないから、という話でしょう。かえって、「体を伝わる低周波音」をさっ引けてない、ということでefferent copyが使えてないって話になったりして。と下書きを作って放置していたら、森山氏のところでさらにおもしろいことが書いてあったのでリンク。

ついでにScience 3/17 ラットのV1の応答がrewardでmodulateされるという話。"Reward Timing in the Primary Visual Cortex" BCM theoryのMark F. Bearはこんなこともしているのですな。


2006年03月20日

ループとXMLと私?

なんか、素朴なこと書いてみるけど、

matlabとかでifとかforとかのループを書くときに、 ifとendとの対応がわからなくならないように endのほうにもif文をコメントで書いたりすることがあります。 (Cとかだったら{}の対応ですな。)

if (xxx)
 if (yyy)
  z(i,j)=function(i,j);
 end % if (yyy)
end % if (xxx)

これってなんか、HTMlタグだなあ、と思うんです。 ループタグ。

<loop if(xxx)>
<loop if(yyy)>
z(i,j)=function(i,j);
</loop if(yyy)>
</loop if(xxx)>

そうすると、XMLみたいにとらえられる。


XMLでは objectとして入れうる情報の置き場所が タグに挟まれているところと、 タグの中の特定子href=""とかid=""みたいな のとがあって錯綜しているのだけれど、 たぶんぜんぶ特定子から外に出すか中に入れるか どっちかにそろえることが出来る。 たとえば

<a href="http://xxx">とあるサイト</a>

とは

<a referするhttp="http://xxx" referをつけるobject="とあるサイト"></a>

とか

<a>
<referするhttp>"http://xxx"<referするhttp>
<referをつけるobject>"とあるサイト"<referをつけるobject>
</a>

ということなのだろうし。 ただ、入れ子状になっていると簡単ではないけれど。 タグに挟まれているものは引数で、 タグ自体としてなんかの返り値を作る。 タグの中にタグがあるときは、 入れ子になってるタグでの返り値が得られないと 外側のタグに必要な引数が確定しない。 そういう意味では、 入れ子状に内側のタグで処理されうるものに関しては、 特定子として指定はできないからタグで挟み、 入れ子状に内側のタグで処理されえないものに関しては、 特定子として指定する、ってことか。

タグに挟まれたオブジェクトに特定子で属性を与える、 とも言えそうだけれど、 オブジェクトと属性の関係は 階層的かつ逆転があり得るようになってるようだ。


あと、こうやって考えると、 データベースの形にも変形できる。つまり、

[if(xxx) ~if(xxx)]
*
[if(yyy) ~if(yyy)]

の2*2のテーブルの四つあるセルの中の一つに

z(i,j)=function(i,j);

っていうオブジェクトが入るということ。

なんかこうすると、 プログラムってのは その場で作ったオブジェクトを使って データベースにどんどん新しい次元を作りながら またオブジェクトを作る、 ということを繰り返している、 っていうイメージがわいてくる。

なんかわかんないんだけれど、 データベースの表現として、 RDBみたいにやるのと XMLみたいにやるのとがある、みたいなのを 思い出したらなんかこんなことをぼんやり思った。

アルゴリズムとかやってる人ってのは こういうことをいろいろ考えているんだろうか。

……っつうか、こういうのがチューリングマシンってことか。 わからん。

あとで「こんなLLはXXだ」の「記法がXMLだ」を発見しました。


2006年03月17日

大阪へやってきた

友部正人じゃないです(ご挨拶)。

先週の月曜日に大阪に出張する用事があったので、前日から大阪入りしてレコード屋巡りをすることに。前回の栄、大須巡りの続編みたいな感じで。(ところで前回栄を探しても見つからなかったのはMUSTANG RECORDSであることが判明。しかも現在は通販専門に。ショック! ここで以前私はAmon Düül Iの2nd "Collapsing"とかを買ったのでした。)

なんか大阪で西新宿みたいなところはないのかなと思って調べたのだけれど、よくわからない。キタとミナミのどちらにするか思案して、とりあえず心斎橋アメリカ村あたりに向かってみました。キングコングのstones店とかパルコの上のやつとか回ってみたけど、やっぱりサイケ・プログレ方面が充実しているところが見つからない。Time bombはサイケコーナーはあったけれど、ほしいものがない。あきらめそうになったけど、マルカバツ、ここはいいところでした。Boredomsとか思い出波止場とかそれ関連のコーナーもあったし、90年代前半のギターバンド関連の棚もあったりして、Boo RadleysのEP("Boo! Forever EP""Adrenalin EP")をここで二つ買いました。

そのあとタワーレコードへ。羅針盤の「ソングライン」が良かったので「はじまり」を。以前から気になっていたGuitarの"Sunkissed"(「マイブラを継承」みたいな)が大フィーチャーされてたので視聴してみたのだけれど、私にはちょっと音がきれいすぎたのでパス。あとは深追いせずに、でこれまで聞いたことあるやつをCDで買い直す、という後ろ向きな選択に。Gongの"You"(紙ジャケット仕様)、Trafficの"John Barleycorn must die"。なんばのForever Recordsの一階でTodd Rundgrenの"Runt - The Ballad of Todd Rundgren"とPosiesの"Frosting on the Beater"SOUND PAK なんさん店は覗いただけだけど、なんか数寄屋橋のハンターを彷彿させる感じがあって好き。

そんな休日でした。


2006年03月16日

近況報告アンドChapterhouse復刻

お久しぶりです。3/3以来新しいエントリ書いてませんでした。貯めたの貼ってただけ。Alva Noë関連はなんか書いておこうと思うのですが、身動きできません。しかもどんどん忙しくなってきた。ぶっ壊れかけてます。vikingさんもとりあげていたような、change blindness関連からアプローチするのが良さそうですが。

なんか2月くらいから、エントリの更新とも相関せずにvisit数が増えてます。平日は1000越えてる。ちょっと異様すぎます。いっぽうで、あいかわらずpagerankは2だし。原因究明中。RSSリーダで読む人増えましたね。トップページ(http://pooneil.sakura.ne.jp/)にアクセスしに来る人とatom0.3を読み込みに来る人(http://pooneil.sakura.ne.jp/atom.xml)との比がhit数にして2:1くらいになってきてます。わたしもFirefox1.5にSageを入れてRSSから読むようになりました。これ便利だけど、更新順にソートしてくれないかな。フレッシュリーダーはブロガーライセンスとか気にはなるけど使ってません。

20050803のエントリで「Chapterhouseのbreather聴きてー」などと叫んでいた私に良き知らせが:

CDJournal.com - ニュース - “シューゲイザーの名盤”チャプターハウス『ワールプール』が復刻!

via くもりめがね060212

もう、感涙。ボーナストラック付き。"Die Die Die"ってたぶんサビが"Die Die Die angel ..."ってやつのことですよね。あれはよいものです。メロディーがいい名曲とかそういうものではないけれど。そもそもこの1stの曲ってみんなそんなだし。("in my arms"と勘違いしてました。)

ところでシューゲイザーならやっぱり曲のタイトルはワンワード、ですな。"Breather", "Mesmerized", "Paralyzed", "Taste", "Nowhere", "Seagull", "Soon"。しかもなんか独特な、詩語みたいな、選択を感じます。手元の辞書で"problem", "place", "fight"とかみてもあんまりらしくない。あ、"empty"とかはすこし使えるかも。

そんでもって、なんかこの独特のワンワード、というのは「歌詞が聞き取れないようにギターの音に埋没させるようにして歌う」ってのとたぶん態度として通じているもんなのだと思う。わたしはその種の含羞をすくなくとも一回は通り過ぎているものを求めているんだろうなあ。ついでだけど「スロウ」「リライト」「ハルジオン」なんてタイトルにも私はシューゲイザー的メンタリティを感じます。

こういう日記的な書き方するとつい最後にSo what?と付け足したくなってしまうのだけれど、それはそれ。(「それはそれ」って英語訳できないよね!)


2006年03月15日

論文いろいろ PNAS 2/21

Partial tuning of motor cortex neurons to final posture in a free-moving paradigm
Michael S. A. Grazianoによるもの。当然、Charles G. Grossがcommunicateしてます。カテゴリー別過去ログ[第一次運動野は何をコードしているか]でこのグループのmicrostimulationの論文に言及したことがありました。M1をlocalにmicrostimulationすると複雑な運動を引き起こすことが出来て、刺激前の姿勢に依らずに最終的な姿勢をM1はコードしているのだ、という結論で大激論、StrickがNature Neuroscienceで文句付けた、という経緯でした。
今回の論文は、microstimulationではなくてM1ニューロンからunit recordingして、最終的な姿勢に対する選択性がある、としたものなのですが、"Partial tuning"とはまた奥歯に物が挟まった表現ですなあ。
Posterior α activity is not phase-reset by visual stimuli
こっち方面に興味あるんだけれどもたどり着けない。


2006年03月14日

論文いろいろ JNS 2/22


2006年03月09日

雑記らしい雑記を。

なんだかな、と思う瞬間。
コンビニで、レミ_オロ_メン聴きながら、ホー_リーラ_ンド立ち読みしている37歳のオレ。
はてなで、非_モ_テとかサーク_ルク_ラッシ_ャーとかそういうネタ読んでた37歳のオレ。

言い方を変えただけだからダメだ、ということはない。
それによって何かが生まれるかもしれないから。
ぎゃくに、言い方を変えただけで、何か新しいことを言ったとは認められない。

娘が「あいたかったー、あいたかったー」って歌ってるのを聞いて、なんだっけそれ、と思ってたらスピッツの「夏の魔物」であることに気づく。いや、カーステレオで流して教え込んだんだけれども。息子は「プール」が好き。

レッテル付け(それはXXだ)にはんたいするため、
すべてのXXにはよいXXとわるいXXがあるのだ、
という言い方を徹底する。

食卓にはじめて出てきた「ちくわぶ」を指さして、見たことないでしょ?って娘に聞いたら、えー、ハー_ドゲ_イ(*)で見たよ、と言う。なんだかわからない。なんだかわからないけれども、愛する妻と顔を見合わせて笑ったら、娘が怒った。

(*: 我が家では「バ_ク天」のことをこう言う)

2006年03月08日

Noë の知覚理論2

060210のエントリのつづきをarational agentさんが送ってくださいました。どうもありがとうございます。(じつは一週間まえにいただいていたのですが、私が寝込んでいたのでお待たせしておりました。) さっそく以下に記事を掲載します。というわけで今日はarational agentさんによるゲストブログです。ここから:


Noë の知覚理論2

pooneilさん、cogniさん、先日の記事にコメント下さって、どうもありがとうございます。 pooneilさんが盲視についてのノエの議論に触れていらっしゃいますので、私もノエのBBS論文の該当箇所を読み直しました。で、機能主義と現象的意識、スーパー盲視との関係については、話として大掛かりになるのでちょっと脇に置いておくとして(鈴木貴之「クオリアと意識のハードプロブレム」『シリーズ心の哲学1:人間編』勁草書房がこの問題を詳しく論じています)、ブロックのいうP意識(現象的意識)とA意識(アクセス意識)の区別と行動理論との論理的関係についてだけ、押さえておきたいと思います。

ブロックによると、現象的意識とは、主観的意識体験のことで、アクセス意識とは、思考や行動制御、言明による報告等に利用されている意識状態のこととされています。ブロックが1995年にBBSに発表した論文、"On a Confusion about a Function of Consciousness"の趣旨は、現象的意識という概念とアクセス意識という概念を分けて考えるようにと、脳科学者や心理学者、哲学者に警告することでした。そこで、ブロックは現象的意識とアクセス意識が明確に分離する事例(つまり、一方は保持するものの、他方はもたない事例)を指摘しようとします。で、想像上のスーパー盲視は、知覚者がアクセス意識は保持しているものの現象的意識をもたない場合の例で、何かに気を取られていて騒音が耳に入っているのに気がつかない場合などが、知覚者が現象的意識はもつているのにアクセス意識をもたない事例として挙げられています。

さて、話題をノエの行動理論に移しましょう。ノエの行動理論によりますと、ブロック的な区別ではアクセス意識に分類されると思われる知覚対象の検索的行為を知覚者が行っていることが、とりもなおさず、知覚者が対象を現象的意識体験において見ていることに他ならないわけです。したがって、行動理論が正しい場合には、ブロック流の区別は否定されます。ノエの理論によれば、知覚者がアクセス意識をもっている場合には、現象的意識をもっているし、アクセス意識を持たない場合には現象的意識ももたないとされるはずです。スーパー盲視の人は(アクセス意識を持っている以上)現象的意識をもっているだろうし、ボーッとして騒音に気がつかない人は(アクセス意識をもっていないのだから)現象的に騒音を聞いてはいないと言われることになります。

では、反対に、ブロック流の区別を否定した場合には、行動理論のような反表象主義的な知覚理論を採用せざるをえなくなるのか?これは必ずしもそうではないですね。比喩的な言い方をすると、ノエは、アクセス意識に現象的意識を埋没させるような仕方で両者の区別を解体するわけですが、現象的意識にアクセス意識を併合するような仕方で両者の区別を否定する道筋もあるからです。例えば、次の論文:

では、「現象的意識は、脳内の明示的表象の担い手と同一だ」とする理論が展開されています。より詳しくは、「すべての現象的意識は表象的であり、また、脳内にコード化されているすべての情報は意識的に体験される」(128頁)ということです。この前半はいわゆる「意識の表象理論」で、何人かの有力哲学者が支持してますが、後半は結構過激なのではないでしょうか。脳内での情報処理過程の多くは内観的にアクセス可能ではないというのが現在では常識的な見方でしょうから。この見解は、意識の担い手理論—つまり、意識体験が志向内容の担い手に他ならないとする理論—とよばれており、あからさまに表象主義的で、意識の行動理論とは全然毛並みがことなります。そうではあったとしても、オピーたちは、ノエと同様、盲視を、知覚者が現象的意識はもたないけれど対象の心的表象は形成している事例として解釈することに批判的です(130頁以下)。以上のように、ブロック流の意識の区別を受け入れないとしても、知覚に対して表象主義的なアプローチをとることもできれば、反表主義的なアプルーチをとることもできるわけです。

cogniさんは、ノエとトンプソンによるNCCリサーチ・プログラム批判論文(2004)をお読みになって、今一つピンとこなかったみたいですね。私には、ノエには非常に共感する部分と全く納得できない部分の両方があって、反表象主義やNCCの否定にはあまり馴染めません。で、私のこの論文に対する感想は、私のボス、トーマスのかなり批判的なコメント( Journal of Consciousness Studies 11: 67-72, 2004)の内容とだいたい同じです。

でも、この論文には(私のような者から見ても)結構いいなと思える点はあって、チャルマーズの NCC 論文:

の最終節(Should We Expect an NCC?)に登場するThe Content Mirror Argumentに対する批判的吟味をおこなっている箇所(ノエ・トンプソン論文19、20頁)は、短いですが、説得的に感じられました。チャルマーズのような仕方でNCCの存在可能性を擁護することにはやや無理があるということがわかっただけで、私としては、かなり満足でした。(原典にあたらなければ判読できないようなコメントの書き方をしてすいません。NCCについての議論は結構錯綜していますのであまり深入りしたくないもので。)

先に進みます。行動理論に対する批判を取り上げてみたいと思います。一つ目は、change blindness(CB)の扱いについてで、pooneilさんが2月7日のエントリーで取り上げていらっしゃいます次の論文で展開されています。

この論文は、ノエの行動理論を論証する手続きに異議を申し立てる内容を含んでいます。さて、ノエの論証を振り返ってみましょう。CBは、知覚についての正統的見方—つまり脳内に外界の詳細なパノラマ的表象が存在し、それが豊かな知覚体験の基盤となっているという見方—とは相容れないということがまず確認されます。ノエは選択肢として、正統的見方と行動理論の二つのみを考慮しています。そこで、CBにより正統的見方が否定されるので、行動理論が正しいのではないかと推定されます。最後に行動理論がCBを適切に説明できることが示され、行動理論の正しさが証明されるというわけです。

従って、ノエの論証の誤り、ないし不足を証明するためには、以下の三つのうちいずれかを示せばよいということになります。

  1. CBと正統的見方は両立可能
  2. CBと行動理論は両立不可能
  3. 正統的見方とも、行動理論とも異なるが、CBと両立する知覚理論の存在

上記のノエ批判論文は、このうちの1の可能性を検討しています。報告者の自作でかつ架空の例ですが、例えば、被験者に3枚のスライドを連続して見せたとしましょう。一枚目はおおきな神社が背景に見える都市風景の写真で、二枚目で画面いっぱいに閃光が走ったように見えるようにし、三枚目は神社がお寺に置き換わっている他は一枚目と変化がない都市風景写真です。被験者の多くが1と3の変化に気がつかないとします(CB)。脳内に詳細な表象が存在するという仮定の下でも、以下の四つの事態が生じれば、CBが起こると論文の著者たちは言います。

  1. 神社込みの風景の詳細な表象が形成されるのだが、3枚目のスライドが提示されるまでの間に消滅してしまう。
  2. 神社込みの風景の詳細な表象が形成されるのだが、その表象は、寺込みの風景の表象との照合を行うシステム(変化検出メカニズム)には送られない。
  3. 神社込みの風景の詳細な表象が形成されるのだが、その表象の書式が変化検出メカニズムに利用可能なものではない。
  4. 神社込みの風景の詳細な表象が形成され、適切な書式で表現されたものが変化検出メカニズムに送られるのだが、何らかの理由でメカニズムが作動しない。

現在までのCB研究では、これらの可能性を排除していない。従って、ノエの論証が正しいと決まったわけではない(反論終わり)。なるほど。すっかり納得してしまいました。ところで、私にとって、この論文で最も印象的だったのはCBに関するノエの論証に対する反論ではなく、著者による感情的ともいえるノエのBBS論文に対する批判です(18頁左コラム第2段落)。自然科学の雑誌論文でこういう批判がおこなわれるのは珍しいのではないでしょうか。 二つ目の反論は行動理論とミルナー、グッデイルらによるTVS理論との整合性の観点からのものです。行動理論は、dorsal経路での情報処理については考慮しているけど、ventral経路の情報処理は無視しているのではないかという疑念です。以下に論争状況についての簡潔な記述があります。

この論文に述べられていることの中で、行動理論の枠組み内で長期計画に従った行為の連鎖のメカニズムを明らかにするためには、心的表象ならざる実践的知識と行動計画という心的表象とのインターアクションを適切に説明しなければならないというのは結構重要な指摘ではないかと思います。

ノエは、2004年に Action in Perception という著書を出版しています。この本を見ると、BBS論文以降の論争を咀嚼して、ノエが自身の見解をかなり大きく軌道修正していることがわかります。まず非常に目立つものとしてCBの取り扱いがあります。著書の52頁に見られるように、ノエは、CBの現象が詳細な心的表象の存在と両立可能であることを積極的に認めるようになっています。このことはBBS論文での論証を放棄したことを示していると思います。次に、TVS理論との整合性についてなのですが、ノエは、行動理論とTVS理論との整合性にもはやこだわろうとはしなくなっていますね(19頁)。あと、 pooneilさんのご指摘の通りで、sensorimotor contingencies という用語の使用は控えて sensorimotor dependency と言うようになりました。これはトリウ゛ィアルな用語上の変化とみなすべきではないと思います。ノエは、知覚についての定義をかなり大幅に変更していて、用語の変化はこれを反映しているんだと思います。BBS論文では、見ることと知覚対象を実践的知識によって検索する行為とを同一視していたわけですが、著書では、これらが同一だとは言わなくなります。例えば次ぎのように述べています。

The basic claim of the enactive approach is that the perceiver’s ability to perceive is constituted (in part) by sensorimotor knowledge (i.e., by practical grasp of the way sensory stimulation varies as the perceiver moves) (Noë 2004: 12).

見ることは知覚者の検索行為に依拠するのだということですね。これを、次のように解釈します。

  1. 「知覚者が何かを見ているときにはいつでも、その対象の検索行為を行っている」は正。
  2. 「知覚対象の検索行為を行っているときにはいつでも、その対象を見ている」は否。

つまり、対象の検索行為をおこなっているだけでは、対象を現象的に見たことにはならないわけです。では必要なのは何か?これがちょっとまだよくわかりません。ノエは、1については懇切丁寧に説明してくれるのですが、2については多くを語らないので。常識的には、「対象を表象すること」が知覚には必要だと考えられるのだろうと思われます。

また、行動理論にとっての標的なのですが、もはやマッハ的表象主義は敵役としてのすごみを失っています。むしろ、古典的認知科学(フォーダーの1983年の本『心のモジュール形式』あたり)に見られた認知システムを入力側と出力側に分断する見方(input-output picture)、哲学ではヒューム主義と呼ばれるものが批判対象になっています。pooneilさんが2月16日のエントリーでとりあげていらっしゃいます批評論文で、批評者のCreem-Regehrはノエ自身が導入した、perception for action と perception by action の区別をとりあげています。これらのうち、前者が古典的知覚理論で、後者がヒューム主義を否定するノエの立場を特徴づけるものです。この路線変更には、ノエも認めているように、Susan Hurleyの1998年の著作Consciousness in Action、特にその最終章の影響が強いように思われます。この章は論文として発表されています。

この論文のなかでハーリーは、行動主義やギブソン的生態心理学を好意的に扱いながらも表象主義的観点から批判していたはずです。そのハーリーなのですが、dynamic sensorimotor approachをノエと共有していると最近言っています。それが正しいとするなら、ノエは何らかの表象主義を受け入れる用意があるのではないかと思われます。

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# arational agent

お久しぶりです。今日からUTCPのPDをやっています。なんと偶然にも、Noeを受け入れる側に所属することになってしまいまして、なんともはや驚いています。で、Noe来日情報をキャッチしましたので書き込みです。5月27日に来日して、6月12日まで日本にいるみたいです。セミナーを行うのは、水曜日と金曜日になりそうだと聞いています。また詳しい情報を入手しましたら、お知らせします。

# pooneil

どうもお久しぶりです。この話題、放置中ですみません。
Nöeのセミナーの件、ちょうどおとといサイトを見たら東大に来るのが5月から6月に変わってたので、まだみたいだな、と思ってたところです。なんとか参加したいと考えております。
んで、UTCP、おお、たしかにお名前がありますね。無事帰ってこられたということですね。おめでとうございます。

# Arational Agent

Alva Noeの連続セミナーの詳しい予定が明らかになったので、ご報告します。(UTCP事務局に確認を取ったところ、もう宣伝してもよいということでした。)
5月31日(水)セミナー(1) 14:40 - 16:10
(東京大学教養学部18号館4Fコラボレーションルーム1)
6月2日(金)セミナー(2) 14:40 - 16:10
       セミナー(3) 16:20 - 17:50
(18号館4Fコラボレーションルーム3)
6月7日(水)セミナー(4) 14:40 - 16:10
(18号館4Fコラボレーションルーム1)
6月9日(金)セミナー(5) 14:40 - 16:10
       セミナー(6) 16:20 - 17:50
(18号館4Fコラボレーションルーム1)
セミナーの題目についてはまだNoeの側から連絡が来ていないということです。6月2日だけ、開催場所が他の日と違うことにご注意ください。pooneilさんのご参加、期待しております。

# pooneil

どうもありがとうございます。
6/7,9のほうはちょうど研究会とぶつかっているので(自分の仕事の発表をします)残念ながら参加できませんが、6/2は参加できます。初回5/31に参加できるかどうか、検討してみます。さて、"action in perception"を読まなくては。
Windowの機種依存文字が含まれていたので(丸1とか)、そこだけコメントをいじりましたので。

# Arational Agent

ご訂正ありがとうございました。お手数かけてすいません。お会いできることを楽しみにしております。

# Arational Agent

Noe連続セミナーの題目の詳細がUTCP事務局から送られてきました。最近、私は神経倫理学日記を書き始めたのですが、そこの5月19日のエントリーに題目を掲載しました。ご確認ください。


2006年03月07日

論文いろいろ JNP3月号

Neural Correlates of Attention and Distractibility in the Lateral Intraparietal Area James W. Bisley and Michael E. Goldberg。
以前のScience (Neuronal activity in the lateral intraparietal area and spatial attention.)の内容をfull paper用に膨らませたものなのだろうけど、figureとかそのまんまなんで、もうちょっと工夫はないのかと思いますけど。Short paperが出てからその内容でfull paperを書くってのは、データの厚みが増すことによって信頼性が増すという意味ではいいことなのだけれど、論文の新規性はあまりないわけです。さすがにまったく同じ結論って訳にはいかないから、ふつうせめてなんか言い方を変えたり、新規のデータに重点を置いて書くもんだと思うのだけれど、これはどうなんでしょ。
ま、JNPではこういうのはいくつかありますよね。Sommer and Wurtzとかのも連報で出てました。
Directional Selectivity of BOLD Activity in Human Posterior Parietal Cortex for Memory-Guided Double-Step Saccades
What do dendrites and their synapses tell the neuron? Idan Segev
ケーブル理論のオリジネーター、RALL WがむかしJNPに出版したclassical paper(freely available online)についてのessay。というわけで、Rallの論文落としに行ったら"This item requires a subscription to Journal of Neurophysiology Online"とか言われた。ぜんぜんfreely available onlineじゃないじゃん! ま、そのうち間違いは直るでしょう。もしくはだれか文句付けてきてください(自分でやる気なし)。
追記:このエントリ書いて放置して、いざ貼ってみたら、もう直ってました。


2006年03月03日

熱出して休んでました。

熱出して休んでました。二晩続けて40度台到達。人生初。
「ニューロインフォマティクス:IT時代の脳科学展開」もドタキャンしてしまいました。
ニールヤングの"Cowgirl in the sand"は高熱のときに出来たという逸話を聞くけど、そういう、ケクレのベンゼン環の構造みたいないいこともなく。ただなんか頭の中を同じことがぐるぐる回ってて(心像に浮かぶ一点からそれを囲む点へとなんか電撃みたいのが流れているのが消えないように中心の点の位置のバランスを取ろうとして、って書いてみてもさっぱり意味がわからん)、疲れ果てました。
なんか脳細胞すごい壊れたっぽい。いまもまだなんか視野が狭い感じ。
というわけで今週はおとなしくしてます。


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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