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■ Write globally, act locally

文章を書いたとして、それに影響されるのは文章を読むのが好きでそれが苦にならない人たちだけです*1。だから、文章にして書くことで何かを変えたいと思うときには、それが文章を読む習慣のある人にしか通じないことを踏まえて書かないとムダなのです。なんでもいいのですが、子供のしつけ方、ゴミの捨て方、交通マナー、もっと巨視的なことはいくらでもありますが、「それを読む人が、それを読まない人に働きかけるような形」に持っていくようにしないと実効性のあるように伝わらないのです。文章を書いて何かを変えようとする人は、それを文章を読む人にだけ読ませて、溜飲を下げさせる形で終わってしまってはしょうがないのです。そういうムダな文章は新聞の社説や投書欄を見ればいくらでもあります。
だから、私たちが文章を書いて何かを変えたいと思うなら、こういうことが伝わる必要があるのではないでしょうか:「このことをあなたがあなたの隣人、家族や親類、近所の人たち、職場の人たちを粘り強く説得してゆく過程で達成できるような形で理解して実行してほしい」と。まったく同じ文章でなくても良いわけですが、そういう意図がなければその文章は他者(自分の言葉が通じない人)へ向けているのではなくて、たんなる憂さばらしを仲間うち(自分の言葉が通じる人)へ向けているだけであると言われるのを甘受せざるを得ないでしょう。
もういちど。何かを変えたいと思うなら、その局面はあなたの家族や親類、近所の人たち、職場の人たちとのあいだで伝えて変えてゆくところにあるのです*2。そうしてそれを信ずるということこそが、文章を遠くまで行き渡らせてそれが自分の同類にしか伝わらない言葉だったとしても、その先を託していくことができるほぼ唯一の希望であり保証となるのです。


*1:浅羽通明が執拗に書いてきたように。また、ここ最近「読者の棲み分け」的な話題で書かれてきているように。そしてすくなくとも丸山真男『日本の思想』での「タコツボ化」まで遡れる問題であるように。
*2:そしてそのことはあなた自身が変わることも要求するでしょう。


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