[月別過去ログ] 2010年05月
« 2010年04月 | 最新のページに戻る | 2010年06月 »2010年05月30日
■ ある闘いの記録
数週間前の日記:
ああ寝なくては。だがまだ書く。今日はGlendale まで自転車で一時間かけて行ってきた。BOSEショップでquietcomfort15を買うのが目的。ロックンローラーでローファイ系の私としてはオーディオに凝ったりとかって人生的にないのだけれど、これは買いたかった。
こっちで買うと1万円分安いんで、こりゃチャンス、ナイスお買い物とか思って意気込んで店に入ったんだけど、iPhone用に使うって話をしたら、店員にiPhone用のアクセサリも売りつけられた。断ろうと思ってI won't buy it.って言ったら、You want to buy it?とか言われて買わされた。じぶんの英語のへたくそさに苦笑いしつつも、そのときはまあいいかって思った。
あとででもこのアクセサリぜったい使わないなって思った。iPhoneで音楽の途中でも通話できるようにするやつなんだけど、わたしは電話なんてほとんど使わない。なんかこういうバカでナイーブな買い物客になっちゃったことが悲しくなってきた。ちなみに私は基本的に断れない。無理めなこと頼んだりできない。やらなきゃいけないときはものすごく憔悴する。それで一日分の労力を使う。
たとえば小学校の高学年くらいのとき、学習塾の月謝を払う日に、たまたま家に現金が無くて、塾の人に交渉して次回持ってくるからと宣言するようにと親から言われた。そんなことぜったいできない、って泣いた。(よく泣く子どもだったのだ。)
とにかくそんなわけで、せっかくの買い物ウキウキ気分が台無しに。せいぜい40ドルくらいだしまあいいやとか、それでも日本で買うよりは安いんだからとか、自分を納得させる理由を探しながらモールの中をさまよった。釈然としない気持ちのままにフードコートで脂っこいメシを食っているときにふと思いついた。「いまからアクセサリだけ返品すればいいんじゃん?」(この時点までそういう発想にすら至ってないという点に注目)
それで、たいへんな決心をして、すごく緊張しながら、店に行って返品してもらった。店員に「いや、便利だよ?」って言われたから、「いやこれこれこういう理由で使わないんで」ってわざわざあらかじめ文章練っておいてしゃべった。もちろん問題なく返金してもらった。
そんなこんなでなんとか台無しな気分を取り返すことに成功したというわけ。それからまた自転車で一時間かけて夜の道を帰ってきて、クタクタになって、横になって、これを書いている。まったくもって、毎日は戦争だ。こんどこそ寝る。
2010年05月13日
■ 「好きな音楽」はコミュニケーションツール。
「好きな音楽」はコミュニケーションツール。だから、相手がアメリカ人のときは「ニールヤングとかのクラシックロック」って言うし、年長者に対しては「井上陽水とか70年代フォーク」って言うし、ロック好きのヒトには「カンタベリー系」って言うし、ブログでは「シューゲイザー系」って書くし、別アカでギャルゲソングについて語ったりする。
でも本当に好きなのは、というとそういうものはないんであって、結果としてこれを聞いたという統計的事実だけが残る。そこからこの人はこういうのが好きなんだなという形でだけ捉えられるのだ。だから、iTunesの「聴いた回数」みたいな記録が私がこれまで聴いたものすべてについて残っていたら面白かったろうなって思う。
さてさて、これって「自分」って者のあり方一般にあてはまる。「キャラ」「個性」これらはコミュニケーションツールであって、他者にとりあえず使ってもらえるように、自由度を下げてある。「多様で複雑な自分」というものは親しくなってから、お互いにそれをやりとりすればよいのだ。
このとき生まれるのがI-You relationship。生きている人間として他者に対峙して、魂をやりとりするんだ。
では、その他大勢としてでなく、人間として出会うということにはいったい何が不可欠なのか。いや、脳科学の話だけではなくて、実生活での話なのだけれど。たとえば、ぼくのことを心配してくれている人を邪険にするとき。
さっきわたしは、複雑さが質を変えるような書き方をした。「量が質を変えることもある。」自由度を上げることじたいにはたしかに意味はある。複雑なものを単純化せずに扱うってのは人間関係で言うならば、たとえば「君ってこういう人だよね」みたいな決めつけをせずに付き合うってことだ。ここには量から質への転換がある。
I-Youは指し示すことが難しい。I-Itのcounterとしてしか存在しないのかもしれない。
ところでI-Itの代わりにUs-Themを持ってくれば、党派性の構造のできあがりだ。もちろん、社会科学はI-Itの科学なのであって、人文科学の中にしかI-Youは存在しえない。
「聴いてる音楽」の話にまでぐっと引き戻してみれば、たとえば、じゃあそういう音楽聴いている俺が音楽を作ったらどういうもの作るか、っていう切り口で考えてみる。
そこはごまかしのきかない世界だ。そしてはじめのうちはなんか真似っこしたものばかりが出てくる。この時点での俺は「ニセモン」でしかない。「自分」なんて存在しない。そこから他者に届くように魂を込める。論文だって、曲だって、小説だって、ありとあらゆる創作物で。
このブログだって、言葉が少数の誰かに伝わるようにと魂を込めて書いている。わかりやすいストーリーにして自由度を下げないように、錯綜したものを錯綜したままに書いている。この言葉が伝わったとき、私はあなたに向けて書いている。Web的なザッピングによる情報収集から私とのコミュニケーションに移行している。
なんかありきたりのところに着地した気がする。「ありきたりのところ」はわたしにとってまだ、逃れたい故郷のような、親密性を失った観念的な存在(I-It)でしかないのだろう。たぶんね。
2010年05月04日
■ 川のある土地へ行きたいと思っていたのさ
いろいろ煮詰まってきたので久しぶりにジョギングした。
そしたらなんだかくしゃみが止まらない。逆効果。
しかたないので帰る。自転車で30分くらいかかる。
ビルの合間から月が出てきてぎょっとする。
そういえば月を見ていなかった。そのくらい余裕がなかった。
深呼吸をして周りを見渡す。ずっと緊張していたことを思い出す。
緊張と弛緩を繰り返しながら、ベストなパフォーマンスを目指す。
高校時代にクロールがいちばん速かったやつは、
水を掻いてない時の腕がよく脱力できていた。
私はいつも力が入っていて、なんつーか動きが堅かった。
そういう自分となんとか折り合い付けてやってきた。
ぼくはやり遂げられるだろうか。なんだか水平線を遠くに感じる。
自転車をこいで、この町を精査する。
やかましい音楽が流れる。ヘリコプターが飛んでいる。
バスがものすごいスピードで走っている。ガラスの破片が散らばっている。
誰もが違う言葉をしゃべる。ぼくは腹が減り、水を飲む。
小銭で財布をふくらます。段差を気をつけて飛び越す。
突風で帽子が飛ばされる。ぼくはそれを拾うことができない。
信号があっという間に変わる。坂道を上ると行き止まりになっている。
自転車をくくりつける。写真を頼りに食事を注文をする。
誰かの携帯電話が鳴る。おとなが道ばたでトランプをしている。
この目で見たものをモザイク状に切り刻んで並べる。
スーパーのカート。車いす。満員の路面電車。
コインランドリーの蒸気の匂い。路上で設営中の観覧車。
思いを向けるべき面影はどこにもなくて、ただ逃避を繰り返す。
ぼくは暖房をつけっぱなしにした暗い部屋でこれを書き留め、
明日こそは気持ちよく目覚めることができるようにと祈る。
お勧めエントリ
- 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
- 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
- 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
- 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
- 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
- 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
- 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
- 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
- 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
- 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
- DKL色空間についてまとめ 20090113
- 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
- ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
- Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
- 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
- MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213
# おつかれさまです。
I don't like it.で返品するのが簡単でいいと思います。鍋使ってから返す人もいるらしいですから。
# pooneilですよねー、それだけでいいんだと思います。
あいつらサービス悪いくせに売りつけるときだけはしつこいんで、もうなるたけネットで済ませたいと思ってます。