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■ そういうみっともなさを愛する。

空を飛びたいなんて思ったことないな。海水浴をしていて、ずいぶん離れたところまできて、深いところの冷たい水を感じたりすると、ぞっとする。深夜に丸の内のオフィス街あたり自転車で通って、誰もいないってことに気が付いてぞっとしたり、深夜のLAの街を自転車で徘徊しながら、自分を知っている人間はどこにもいないんだということに気づいてぞっとしたり。


いやいや、それはある、ふつうにある。大雨が降って、買った水が全部無駄になって、花火工場が爆発して、いつまでもあれが消えないままに、いやそれはどうでもよい、頭がはっきりしているあいだにたいせつなことに取りかかることにしよう。バカバカしいくらいに積み上げられた蛍光灯の束。

農道を走る自転車と遠くのたき火の臭い。顕微鏡の下でそっとネジを回しながら、船底で海水が流入してくるのをそっと待つ。腕がしびれて、前を向いた瞬間に、どっちが上だかわからなくなった。外巻きの渦と内巻きの渦がぶつかり合い、無限大を表象する。

いやいや、それはそうではない、と持ち替えた手がそもそも左右が間違っている。牛乳パックが日本刀で手品のように切られ、中の液体がスローモーションで落ちてゆく。眼球の毛細血管がゆっくりと膨張してゆく。バスケットボールが後ろ回転をしながら放物線を描いて、ガラス窓を直撃する。

蜘蛛の巣には誰もいなくて、近くで落ちた実がひからびている。その周りは住宅街で、蛇やら狸やらが追い出されては車に轢かれる。手のひらの皺から三十通りの単語を拾い出す。緊急用の赤いランプが点灯しっぱなしで、もはや意味を失っている。


オーバーロード、オーバードーズ、ウーバーメンシュ。鉄球と魂とペンドラムの歌。練乳をかけた植木鉢に集められた30個の錆びた缶バッチ。独学で至った境地。血に染まった川。顔に修正の加えられた白黒写真とステッキと山高帽。皮ははち切れそうになっているし、枝からは千切れそうになっている。

一斉に押されるスイッチ達。夕日の中を飛ぶ航空機。道ばたに置かれたままになっている白いペンキ。すべては止まっていて、ここから遠く離れていて、私が別れを告げるためだけに存在している。

「黒の二枚刃」「すぐのお出かけ」「ハッシュタグ、ハッシュタグ」


寒い道を康生町から東岡崎の駅まで歩いて行った。東岡崎の駅前は忘年会終了後の客でごった返していて、岡崎の夜とは思えないくらいの様子だった。ちょっと離れると静かさが際だって、なんだかスキー合宿で雪道を買い出しに出かけたような気分がしてきた。

iPhoneの光を頼りにして、足下のあやしい暗い道をたどって向かう。街を縦横に駆け巡るコミュニケーションの束。落ち葉とともに掃き集められた昆虫の死骸。鋭角に割れた窓ガラスが下腹部に突き刺さっているイメージ。路上に敷かれた鉄板から立ち上る冷気。


プルーフロックの"I do not think that they will sing to me" …なんて、なんという自己憐憫の固まりだろうか。ぜんぜんかっこよくないぞ。ダサダサだ。「キリッ」とか付けちゃうぞ。「私のために歌ってくれるとは思わないけど(キリッ)」そういうみっともなさを愛する。


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